ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2009.11.29 季節性インフルエンザワクチン接種

2009-11-29 13:49:36 | 日記
今日はようやく季節性インフルエンザワクチン接種ができた。近くのクリニックで時間指定。それでも午前中の診察の方たちが長引き、予約時間から30分以上待った。先生は大忙しだ。同じクリニックで夫は2週間前に、息子は昨日、季節性インフルエンザワクチン接種を済ませた。私はなかなか日程があわず(前にも書いたけれど、休職して以来、有給休暇が殆どないので平日は通院休暇以外休めない。そのため、いろいろなイベントは当然土日限定になる)、家族で一番最初に受けるべきなのに、最後になってしまった。

このクリニックは家族全員本当にいろいろお世話になっているホームドクターである。私は再発以降なかなか伺う機会がなくなっているけれど、息子は生後2ヶ月(!)から通っており、診察券にも年季が入っている。通った保育園の2軒手前にあり、同じく通った小学校の校医でいらしたので、先生は息子のことは全てご存知だ。内科も外科も何でもOKの器用な先生なので、発熱は当然のことながら花粉症であろうと、捻挫や怪我であろうと、我が家はすべてまずこのクリニックから。夫もやれ血圧だの、胃痛だのなんだのもろもろお世話になっている。新型の方はこちらのクリニックでは受け付けていないと聞いていたので残念だ、と思っていた。するとお隣でその予約のことを話している方がいたので、だめもとで聞いてみたら優先対象者証を持っていれば1月に予約ができる、ということでエントリーしてきた。燈台下暗し、だった。

  今から四半世紀近く前、新規採用で初めて配属された職場は男所帯で、課に女性は私一人だった。部全体でも女性は10人足らずだったので、お姉さまたちと「お姫様の会」と称して美味しいものを食べに連れて行って頂くなどずいぶんかわいがって頂いた。
先日、当時隣の課にいらしたMさんからお手紙を頂いた。Мさんは私と同い年の息子さんがいらっしゃるお母様。私の母と同じ年代とは思えないほどおしゃれでとても若々しい方だった。最後にお目にかかったのは何年か前で、彼女は定年まで勤め上げた後、さらに再雇用で働き、請われてアルバイトに来ている、とおっしゃっていた。今も年賀状のやりとりだけはさせて頂いているのだが、私のブログを読んでくださっている、とのお手紙だった。励ましの言葉を頂き、どうもありがとうございます。

お歳暮の手配も終わり、年賀状印刷も受け取ってきた。いよいよ年末までカウントダウン。去年の今頃はとてもそんな状況ではなかった(入院中だった。)が、明後日からは12月。カレンダーも最後の一枚となった。
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2009.11.24 ハーセプチン69回目

2009-11-24 20:54:19 | 治療日記
 今日は一ヶ月ぶりの皮膚科。受付を済ませると、ほどなくして呼ばれた。手の爪、足の爪を見て頂く。手のケアは特に何もしていない。足は朝晩ケラチナミンをつけているが、あいかわらず岩のようにごつごつしており、これ以上厚くなるようだったらラップもした方がよい、他の指は深爪をしないこと、ということだった。ケラチナミンもまぶたのただれの軟膏もまだあるので、今回は薬はなし。次回は仕事納めの12月28日に予約が入った。
1階に降りて内科へ。すでに「中待合へどうぞ」に自分の受付番号が出ており、やはりほどなくして呼ばれた。最近はまた手のこわばりが気になること、少し重いものを持ったりすると胸の痛みがあること、早足で坂道を歩くと息切れがするなど、お話する。次回は12月1日。採血の予約も入っている。
 処置室に行くと、点滴椅子が満席。本を読みつつ検温、血圧を測って頂いて待つこと30分あまり、椅子が空いて薬が届いて今日はお昼前に点滴スタート。
 
 本日の読書は2冊。1冊目は青砥恭さんの「ドキュメント高校中退―、いま、貧困がうまれる場所」(ちくま新書)。“家族みんな中退、二世代にわたる母子家庭、先行きのない若年出産。貧困スパイラル!”の帯は衝撃的だが、ある程度予測はしていたものの、読み進むうちに本当に息苦しくなった。行き場のない子供たちをどんどん切り捨てて、これからこの国はいったいどうなるのだろう、と暗澹たる気持ちになった。
2冊目は梨木香歩さんの「ぐるりのこと」(新潮文庫)。彼女のエッセイを読むのは初めてだ。息子の中学受験の時、国語の出題で見かけたので『西の魔女が死んだ』は3年前に読んでいたけれど、こんな方が書いていらしたのだ、ととても納得し、日々自分がいかに立ち止まって深く考えることをしていないのか、ということを突きつけられた。最相葉月さんの解説も秀逸だった。この後の小説もぜひ読んでみたいものだ。
それにしても、勉強と同じで、読めば読むほど自分がいかに読んでいないのかがよく判る。読みたいものがどんどん出てきて悩ましいこのごろだ。

今や平均寿命が85歳を超えている現在である。この後仮に50歳まで生きたとしても、その6割に満たない。もちろん全ての人を合わせての平均。もっと若くして事故や病気で亡くなる方たちも分母に入れているから実際には元気で生きている人たちは90才,100才だってとても珍しくない時代だ。

そう、自分の身の回りのことがきちんと自分でできて、回りに迷惑をかけずに元気に生きていられれば、だ。
それなのに・・・と思う。

「ガンはいいですよ、予測が出来るから。」と言った方がいた。昨年病気で休むことを報告しに行った時のことだ。「じゃああなたも(同じ病気に)なってごらんあそばせ、自分がそうなったときに本心からそう言えるかどうか。」と心の中で毒づいた。もちろんご本人は悪気がなかったのだろうけれど・・・。また目の前で線が引かれ、向こう岸に一人で取り残されたような気がした。

確かに不慮の事故や突然の災害等で命を落とす方がおられることを思えば、ご本人はどれだけ無念であろうかと思うし、突然何の前触れもなく愛する人が明日からの生を断ち切られる、ことを思えば残された家族の気持ちは計り知れない。
それでは、きちんと自らの行く末を予測しつつ、着実に準備できていれば安らかに死が迎えられるのか、と問われれば私は決してそうは言い切れないと思う。もちろんあくまで想像しかできないのだが。

きっと生への執着はもっときりがない。もうこれでいいか、と思う日は永遠に来ないような気がする。実際どんな人もためしに死んで見ることができないから、死んだらどうなるのか分からないから死が怖い、ということが本当のところではないだろうか。それでもどんな人でも生まれてきたら必ず死ぬのだ。けれど、病気もせず普通に日々を暮らしていれば、生きているだけで感謝、感謝、などとは思わないだろう。自分と死はあまりにかけ離れた存在であり、よもや自分がそう遠くない将来に必ずや死ぬなんてことは思わないのだろう。少なくとも私は、病気になる前はそうだったのだから。

仮に臨死体験をした人の話を聞くことがあっても、自分は決して経験したことがないことなのだし、それを人に伝えることもたぶん出来ないのだろうから。90まで生きられたのだからもう十分、いいじゃないか、と周りが仮に思ったとしてもご本人はとてもそうは思わないだろう。

子どもが中学を卒業するまで、が高校を卒業するまで、になり、大学が決まるまで、が大学を卒業するまで、になり、就職が決まるまで、が結婚が決まるまで、になり、孫を見るまで・・・と。

それでも常に耐え難い痛みとともにあって、自分で意思決定が出来ない状態になったら、やはり無理な延命はしないでほしい、と思うのかもしれない。少なくとも私はそう思っている。と、こんなことをつらつら考えていたら急に甘いものが食べたくなってしまった。

食欲の秋、どっこいやっぱり生きている、のである。

今日は病院の後、息子の中学校で三者面談があったので学校を経由してきた。病院から学校に行く方が病院から家までよりずっと近くて驚いた。三者面談の後、息子を帰し、二者面談。高校進学の話、クラス分けの話等具体的にお話があった。
ついこの前中学に入ったと思ったのにもうあと数ヶ月で中3。最近どうもふわふわしている息子にそろそろきちんと考えないともったいないじゃないか、と言って頂いた。息子も神妙な顔をして聴いていた。少し変わってくれれば良いのだが・・・。
良い機会だったので、二者面談の際には私の病気のことも話してきた。息子が不安定になることもあるだろう、ということを詫びるつもりで。

さすがに朝から出ずっぱりで疲れたので、帰途は夫と息子と最寄り駅で合流し、久しぶりに外食をして帰宅した。

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2009.11.22 かつら調整

2009-11-22 14:05:02 | かつら
 早いものでかつらとの付き合いももうそろそろ1年になる。今日は2ヶ月に一度通っているかつらサロンに調整とお手入れに出かけてきた。シャンプーとトリートメントをしてもらい、サイズのチェック。きれいになったかつらを丁寧にかぶせてもらうと自然に微笑がこぼれる。

去年11月からのタキソテール投与により、出来れば避けたかった脱毛は必発だった。医療用かつらの手配は投与開始に先立って、10月末に既に済ませていた。投与すれば半月後には脱毛が始まるので、受け取りは12月初め予定。回復支援ということで定価から2割引きではあったけれど、もともと医療用のかつらは高価で、割引の分は必要なオプション品等の購入にあて、結局30万円弱かかった。これは確定申告時の医療費控除等申請適用外。帽子やバンダナをかぶればいいでしょう、と言われればそうかもしれないけれど、職場でずっと帽子をかぶっているわけにはいかないし、それだけで病気に立ち向かって行こうという気持ちが萎える。女性にとってはとても必要なものだと思うけれど・・・。ごそっと抜けるけれどまた生えてくるから、と医療関係者はおっしゃるけれど、「また生えてくる」の「また」、にはとても時間がかかるのだ。抜けるのは初回投与後2,3週間であっという間。脱毛してもう1年近くになる私だが、半年ほどで生えてきたものの今の髪の長さはまだ5センチに満たない。いつになったら普通に美容院にいけるものやら・・・という感じである。

それでもタキソテール投与によりずっと手の爪の状態が悪く、思うようにシャンプーができなかったので、いつでも無料で調整してもらえ、誰にも会わずに個室でシャンプーやトリートメントしてもらえるサロンはとてもありがたかった。最初に受け取りに行ったときに、普通に美容院に行くようにご来店を、といわれていたけれど、市内とはいえバスで片道30分以上かかるので、具合が悪いとなかなか足繁くも通えず、5月の職場復帰前にようやくがんばって出かけた。その後は、本当にとてもきれいになるので7月、9月、今月とコンスタントに通っている。次回は年明けに予約してきた。

かつらはやはりフィットしていないとかなり気持ちが悪いし、髪の毛の多い少ないでずいぶんかぶり心地が違う。きついのを我慢していると頭が痛くなってくるし、ゆるくて仕事中にずれたり、脱げたらそれこそしゃれにならないので、髪の毛が生えてきてからは止め具も増やして固定してもらっている。

 今日は帰りのバスで1冊の本を読んだ。佐藤由美さんの「現役美容師、奇跡の物語 余命ゼロを生きる」(WAVE出版)。ショッキングな題名だが、いつだったか新聞広告で読んでみたいと思っていたところ、今日偶然見つけたので購入。『大好きな仕事場で最後まで働きたい。』という帯のとおり、腺様のう胞がん転移の闘病記。彼女も私と同い年。病状や原発箇所は全く違うけれど、とても励まされた。

 明日は勤労感謝の日。私の職場である大学は通常授業開講のため、出勤予定だ。そろそろ先日注文した年賀状の印刷もあがってくる頃。あっという間の1年だったなあと実感。

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2009.11.17 ハーセプチン68回目

2009-11-17 19:55:21 | 治療日記
 今日は朝から冷たい雨。中待合に呼ばれるまでに15分ほど待ち、それから15分ほどして診察室へ。特に変わりはないとご報告。急に寒くなったけれど、特に手のこわばりも悪化していない。先生から「その後生理の兆しのようなものはないですか」との質問があり、ノルバデックスを飲み始めた年の11月が最後だったこと、その後4年間1,2度“らしきもの”はあったけれど、殆ど全くないです、とお答えする。確かに最初1,2年は生理前の頭痛やだるさなどを感じることがあったけれど、今やすっかり忘れている。お気楽なものだ。現在は閉経状態、という前提で治療をしている。3月と6月に血液検査をしたときには(タキソテール後で)問題なく“閉経状態”であったけれど、半年ほど経過するのでまた卵巣に刺激がいっているかもしれない、次回の採血でもう一度確認しておきましょう、ということで12月1日の採血予約になった。
今日は予定どおりのハーセプチン投与。院内では季節性のワクチン接種は少し動きがあったけれど、新型の方は全く接種のめどが立っていないとのことだ。そのため、お願いして新型インフルエンザの優先接種対象者証明書を出して頂いた。

今日は2冊の読書。1冊目は藤原正彦先生の『人生に関する72章』(新潮文庫)。少女の頃一生懸命読んだ藤原ていさんの『流れる星は生きている』の三人兄弟の真ん中、数学者の藤原先生による読売新聞・人生相談のやりとり。本当に胸のすくような明確なお答えに元気をもらいつつ読み進む。解説はご夫婦で質問と回答をなさっており、なんとチャーミングなご夫妻だろう、と読後感はとてもさわやか。
2冊目は中野雅至さんの『公務員大崩落』(朝日新書)。「国のキャリアで政策にかかわるわけでもなく、市町村で住民とやりあう第一線の職員でもなく、早晩中途半端だ、と思うようになるよ。」と大学時代のゼミの先輩から言われたことを思い出す。私も今は派遣の身ではあるものの、地方公務員の端くれ。いろいろ思うところはありつつも、あっという間に読破。

今日はアロマシン30日分を処方して頂き、薬局経由で帰宅した。その後、近所の複数のクリニックに新型インフルエンザ優先接種予約の電話を入れたけれど、どこも延々と待たされた挙句、「いつになるかわからない」、「とりあえず予約だけ受けますが、ワクチンが実際どのくらい入ってくるかわからないし、全員の方に行き渡るかどうかわからないので確約ではありません」、とか、「昨日で受付が終わってしまい、次回はめどがつかない」、とか。本当にいつになったら受けられることやら、といった感じだ。

病院の最寄駅も自宅の最寄駅もクリスマスのイルミネーションが始まった。去年はとても楽しむ余裕がなかったけれど、我が家でも週末に3年ぶりにリビングに小さなツリーを飾りつけ、息子の部屋の窓にサンタクロースの電飾を飾った。

今日でちょうど中心静脈埋め込みポート設置1周年になる。当時はハーセプチンの点滴が始まって以来4ヶ月強経ったところで、毎回のように血管確保が難儀で、看護師さんや先生に汗をかかせてしまっていた。ポートにするとちょっとチクリとするだけで刺針の失敗はないし、両手が空くから本も自由に読めるし、そんなに目立たないし・・・と先生からも看護師さんからも薦められていたけれど、抗がん剤投与開始前はまだ迷っていた。結局タキソテールを始めるにあたって薬が漏れたりしたら大変・・・、と観念した。

初回タキソテール投与開始の前日から入院して、その日の午後ポートの埋め込み手術、翌日タキソテール開始、様子を見るため1泊し翌日退院の2泊3日の入院スケジュールだった。

それにしても局部麻酔の手術というのは、もろもろ見えるし聞こえるし痛みはなくても感じるし、電気メスを使えばタンパク質の焦げる匂いがするし・・・、で精神衛生上実によくない。先生もやりにくそう。アンギオ(血管造影)の処置室で目を開ければ、自分の胸部の画像が見えつつ麻酔が切れてくると薬を増量して頂くまで痛みにも耐えつつ・・・。なんとか中心静脈に無事カテーテルが入り、縫合。傷は右鎖骨下3センチ弱。普通は左、のようだが、左は初発のときの傷があるので、右しか選択肢がなかった。

前日から吐き気止めのステロイド(デカドロン)を飲んでいたためか、どうもお腹が気持ち悪く調子がよくなかった。実際初めて目にしたタキソテールは透明の液体、これが今後どんな副作用を起こすものやら、という感じだが、当日は少しぽっぽとした感じ以外特に何ごともなく終了、翌日も熱も出ずに無事退院した。そんなに大げさに騒ぐこともないかもしれない、と迎えに来てくれた夫と帰宅。

退院当日デカドロンを飲んでいるうちはまだ元気だったけれど、週末からガクンと具合が悪くなった。とにかく体中痛くて起きられない。吐き気はそれほどなかったけれどむかつきはあり、顔中吹き出物がひどく、熱っぽい。便秘だったかと思うと今度は下痢が続く。

翌週火曜日に何とか病院に行ってハーセプチンの点滴を受け、ほうほうの体で帰宅、その日の夕方からしっかり38度の発熱があった。
粘膜がやられたのか鼻血は出るし、熱が高くて殆ど固形物が食べられない、水曜日朝から熱は38度台後半のまま、1日ベッドから動けない始末。
木曜日にはのどの痛みで水も飲めなくなり尿量も減った。熱は39度まで上昇。土日をはさんでこのままではまずい、と病院に連絡した。とにかく受診をとのことで、昼過ぎに夫と初めて家から病院までタクシーで2時間近くかけて行った。夫が休んでくれてよかった。こういうときに限ってタクシーも慣れない道に迷ったり、で病院に到着したのは3時過ぎ。立って歩くのもしんどかった。
すぐに看護師さんが車椅子を用意してくれて生まれて初めて車椅子に乗った。処置室直行で採血。熱は39度を超えていた。点滴をして帰りましょう、ということだったが、採血の結果白血球そのものは1300だったけれど、中味は、というと普通は3~40%あるはずの好中球が0.5%ということで、一桁の値。幸いベッドが1つだけ空いていたため、“好中球減少症による発熱のため緊急入院”になってしまった。万一ということで入院セットは持っていたし、また2時間以上かけて帰宅する元気もなかったので、入院できてほっとした。
それでも今回の入院は12月初めまで8日間、退院までかなり大変だった。
一ヶ月に二回の入退院で、夫は、この病気が如何に大変なものか、改めて実感したそうだ。もちろん本人が一番不安だったけれど。

長くなるので、次回の治療日にこの続きを書きます。
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2009.11.14 虹のサロン

2009-11-14 19:35:33 | あけぼの会
 今日はあけぼの会東京支部主催の『おしゃべりサロン&虹のサロン』に初参加。「虹のサロン」は再発会員限定の交流の場で、「おしゃべりサロン」とは別の会議室で開催だ。会場が水天宮駅近くのビルだったのだが、14年前に妊婦だったときに、両親と夫と訪れた水天宮は、おりしも七五三のかわいいちびっ子たちで大賑わいだった。懐かしく見ながら会場に入ると、虹のサロンの出席者は8名。ひとつのテーブルに座り一人一人が病歴と治療の状況を紹介するだけであっという間の2時間だった。同じ病気とはいっても本当にいろいろなパターンがあり、お一人お一人とても前向きに、大変な思いをされながら病気と向かい合っていることを実感。私もがんばりすぎずにがんばっていこう、と元気をもらって帰宅した。

さて、私のブログ「ロッキングチェアに揺られて」―あせらず、あきらめず、頑張りすぎず、再び誇り高く美しく、を目指す日々・・・って?ということについて少し書いておきたい。

 ブログを開設することになって、まずタイトルを決める時、とにかく、今のところ完治しないことを受け入れなければならない病気は抱えているけれど、それでも日々少しでも心穏やかにここちよく暮らしていきたい、という強い想いを発信していきたかったので、最初は「Easy Living」にしようかと考えていた。
ただ、これはスタンダード・ナンバーのタイトルで、このニュアンスを多くの方たちに分かって頂けるかどうか自信がなかった。決して「お気楽で怠惰な生活」ということではないので、やはり気取らずに日本語にしよう、と思うようになった。

そもそも夫のジャズ好きに影響されて何曲か好きな曲のタイトルを考えたけれど、どれも一長一短で、絶対にこれ、という決め手がなかった。結局「ロッキングチェア」というタイトルに「に揺られて」を加えてみたら、結構しっくりきた。あたかもロッキングチェアに揺られるようにゆったりとここちよく、これからの人生、ちょっぴりのんびり、うとうと居眠りする時間があってもいいじゃない・・・、という思いだ。息子からはなんだか居眠りばあちゃんみたい、と言われているけれど。

サブタイトルはご覧のとおり、やけに長い。タイトルだけでは表現しきれなかった言葉を選んで集めた。病気を抱えながらも心地よい暮らしをしていくために、日々自分に言い聞かせている言葉たちである。
「あきらめない、がんばらない、それでもやっぱりがんばらない」はご存知のとおり鎌田實先生の三部作だ。

「あせらない」-そもそも私はとてもせっかちで、何でもすぐに結果が出ないと・・・と思う性質(たち)だ。
それではだめだ、ということが病気になってよく分かったはずなのに、それでも生来の貧乏性のせいか、意識して言い聞かせていないと、すぐにあせる。とにかく、ことこの病気と付き合うことになって以来、あせってみても何も始まらないのだから。何があってもあせらず、受け入れる。それからゆっくりその状況でどうしたいのかを考える。それを自分に言い聞かせるために、自戒を込めて「あせらず」。

「あきらめない」-これもこの病気と付き合う上で実に大切なことだと思う。とにかく医学の進歩は日進月歩。あと数年も経ったら本当にオーダーメイドのがんワクチンが標準治療化しそうな勢いを感じる。たとえ今のホルモン剤やハーセプチンが効かなくなっても、まだ次の手、次の次の手、くらいはある。そうして粘っているうちに、ある日きっと未来が開けるーという願いをこめて「あきらめず」。

「がんばらない」-もちろんこの病気の治療を続けていく上で「がんばらない」とだめな時もある。今では週1の通院プラスアルファの検査くらいは、特にがんばらなくても自分の生活の一部になっている。ただ、ここぞ、という時にはやはり「がんばらない」と乗り切れないことも多いのだ。たとえばタキソテール6クールのように。
それでも「がんばりすぎる」のは再発患者としてはもうウエルカムなことではない。がんばりすぎてQOLを落としてしまうことは、やはり嬉しくないことだから。だから「がんばり過ぎず(、ほどよく頑張って)」。

最後の「再び誇り高く、美しく」はあけぼの会のキャッチフレーズであるが、これから逃げることなく病気としっかり向き合って、胸に傷がある身、いじけることなく背筋をすっと伸ばして生きたい、という心の琴線に触れたので、ちゃっかり拝借させて頂いている。では、病気をする前の私が「誇り高く、美しかったのか」と問われれば、仕事、家事、育児、と日々に追われとても潤いのない生活をしていたから、ずうずうしくとてもそうは言えないけれど、また、これからもこのスローガンどおりにはならないかもしれないけれど、心意気だけは、ある。

そんないろいろな思いをこめて、こんな毎日を目指す心意気をもって日々ブログを書いている。私のちっぽけな思いを分かって頂ける方、どうかこれからも引き続きよろしくお願いいたします。
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