ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.8.31 「ツンツンにしてみました!」

2010-08-31 06:36:32 | 日記
 金曜日から前期期末試験だというのに、週明けの朝の忙しい中、息子は青りんごの香りのワックスをつけてご機嫌でリビングにやってきた。
 そして言った台詞が表題の言葉。夫と思わず顔を見合わせて苦笑い。

 中3男子だから、まあ当然のことながら、最近では買い物に一緒にはついてくることはなくなった。ごくたまについてきても、ずっと私や夫とは離れていて、いきなりレジの手前で自分のほしいお菓子を放り込んでくるのが関の山。
 もともと外食よりも家での食事が好きな子供だから(今は外食で出かけてしまうと、プロ野球中継が見られなくなる、というのが一番の理由かもしれないが)、外食に誘おうにも乗ってくれず、私はさっぱり楽をさせてもらえない。ファーストフードだと結構ノリはいいのだが、そんなものを夕食には出来ないし、そもそも夫も私もあまり食べたくない。

 先日、買い物の時にたまたまついてきて、「(頭につける)ワックスを買ってほしい。」と言う。お得意の「みんなが学校に持ってきてつけてるし・・・」のみんなフレーズ。そもそも授業に関係ないものは持ってこないお約束のはずなのに、お友達のものを借りてつけているのでは先方にご迷惑だし、いじましいし、いつまでワックス熱が続くかもわからないので、一番小さいサイズのものを買ってやった。
 そんなことをして、ただでさえ遅刻しそうな朝の時間を一体どうする、という言葉をなんとか飲みこんで。

 ついでにもう一つ欲しいと言ったのが、洗顔シート。(そんなものでうす汚れた顔を拭きとるより、ジャブジャブ水で洗った方がよっぽどさっぱりするし、気持ちいいじゃない!)と思うのだが、これも「みんなこれで拭いてる」そうだ。ニキビ予防にもなる、らしい。

 思春期真っ盛りの男子校の男の子たちの話だ。
 そんなお洒落なことを言いながら、ワイシャツが前も後ろも盛大にずり出ているのを見ると、よくそんなだらしない格好で電車に乗ってくるなあ、とガックリするのだが・・・。
 いるいる、わが職場にもシャツが背中からはみ出ている昔の中学生が!

 私は週1通院の際にだけはカツラをはずして地毛で出かけているのだが、いまだに毛髪量が少ないので、ワックスでボリュームをつけて、つむじや分け目が出ないようにして出かける。けれど、実際の話、ちょっと歩いて風にあたればすぐにぺしゃんこ。鏡に写った自分の姿はやっぱり頂けない。
 やはりちゃんと髪の毛の量が保障されていないと、そうそう「ツンツンにしてみました!」のままではいられない。

 ここ数日、胸の違和感と息苦しさ、痛みが気になる。明日、腫瘍マーカーの結果を待つまでもなく、治療変更のお告げなのだな、と考えている。

 今日で8月も終わり。それでも夏はまだまだ長居しそうな気配だ。
 ブログのテンプレートも明日からは秋にしようか、と思うにもあまりに暑く、当分夏バージョンのままにしておこうかと思う。

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2010.8.30 最期のとき

2010-08-30 06:03:07 | 日記
 先日プチ虹のサロンのSさんとお電話でお話した時のこと。Sさんはその日、通っておられる病院の患者仲間で、お姉さんのように慕っていた方の告別式に行かれたのだという。
 私が出した抗がん剤上乗せの治療変更で・・・という甘ったれメールに、告別式の帰りだというのに返事をくださった。

 私はまだ患者会に入ってから1年ほどしか経っていないし、初発時に通っていた病院でも、今現在通っている病院でも友人関係にある方はいないので、友人としての患者を見送ったことは、まだない。

 唯一、初発から半年後の初めての骨シンチ検査のとき、2時間ほど待ち時間をご一緒した5,6歳年上のKさんと年賀状のやりとりだけはしている。私が再発したという連絡をした後、1年ほどして彼女も再発した、と伺った。お母様の介護もしながら、なかなか自分の通院に時間が割けなくて・・・、とおっしゃっていた。メールをなさらないので、気にはなっているが、いきなりお電話するのも、と、どうしてもご無沙汰状態になってしまっている。 乳がん患者であるとともに子育て中の母だったり、子育ては卒業しても親の介護の担い手である年齢層なのだなあ、と改めて思う。

 通院している曜日にもよるのかもしれないけれど、今、処置室(化学療法室)にいらっしゃる方は、見た感じ年齢層が高いし、いきなりお声をかけるのも憚られる。入院中同室だった、などということでもない限り、なかなかお友達関係になるのは難しいだろう。
 看護師さんは「出来れば院内の患者会を作りたいと考えているのだけれど・・・」というお話をされていたが。

 今は腫瘍内科に通っているので、処置室におられるのは、みな再発・進行がん患者ということになるのだが、患者さんたちは乳がん患者に限ったわけでないので、当然のことながら男性患者さんも半分くらいいらっしゃる。
 幸か不幸かだんだん耳年増になってきており、点滴薬の確認等をカーテンの隣で看護師さんがお話されていると、ああ、この方は同じ部位だな、骨転移だなとか、この方はおそらく大腸がんだな、とかわかってきてしまう。

 それにしても、友人としての患者を送らなければいけない気持ちというのは如何ばかりだろう。
 患者会でお会いする皆さんは本当に前向きで元気なので、ふと、死を予感させる病である、ということを忘れてしまうことがある。でも、やはりそうではないのだ、と思い知らされた。

 Sさんがおっしゃるには、葬儀のときには涙していた友人たちが、その後のお食事会では、故人との楽しかった思い出話で歓談されていたのを見て、とても辛かったとのこと。そして、その席で「同じ病を持つ患者として頑張っておられる姿をとても力強く思っていたのに、その人が逝ってしまったということがあまりに辛くて(とても歓談など出来ない)」という思いを吐露しつつ、涙してしまったそうだ。泣き崩れるSさんの姿を見て、それまで歓談していた友人たちは、言葉をなくしたという。
 「患者からこんな台詞が出てしまうと、健康な人たちには、患者に対してかける言葉がもはや何もないのだ、ということを痛感した。」とSさんは話されていた。
 亡くなったМさんはまだ51歳の若さだったそうだ。遺されたお母様が「娘の本当の気持ちは自分も最期までわかってあげられなかったかもしれない。同じ病気をされている貴女の方がわかってくださっているのでしょう。」とおっしゃっていたという。

 アクティブで頑張り屋さんで、弱音を一切吐かない方で、一体この人は泣くことなどあるのだろうか、と思うほどだったそうだ。
 脳転移の後、開頭手術を受け腫瘍摘出に成功し、後遺症も出ずに治療を続けていたそうだ。その後、骨転移で神経まで腫瘍が達し、車いす生活になってからも、筋力が衰えないようにとリハビリに励んでいたという。ラパチニブが奏功し、リハビリも功を奏し、突然、杖で歩けるようにまでなったのだという。
 お子さんはいらっしゃらなかったが、ご夫婦で海外旅行も楽しみ、今年の4月からは転院して入院中だったというが、Sさんが8月初めにお見舞いに行かれたとき、「8月中は暑いから、涼しい病院にいるつもり」とおっしゃっていたという。
 それでもその時のすがるような眼が忘れられないという。結局それが最後になってしまったそうだ。
 その後、メールをすればいつもその日のうちにレスがあるのに、おかしいな、とは思っていたけれど、翌々日、ご主人からメールが届いたときには(名字が同じなので、Мさんご本人からのものだと思って)「悲しいお知らせがあります」という意味が一瞬飲み込めなかったそうだ。

 最期はモルヒネの量を増やし、このまま明日の朝は目が覚めないでしょう、と言われながら、まだ若く、心臓が耐えられたため、朝になると目が覚めて手も動き・・・と、3日間そんな日が続いたという。
 そして4日目の朝、ついに目覚めなかった、と伺った。

 自分の最期は一体どうなるのだろう、とSさんとお互いに不安な気持ちを話しながら、(ああ、こんな話は本当に他の人とは絶対に出来ないな・・・)としみじみ思った。
 自分の命の砂時計が、刻々と静かに、けれど間違いなく砂を落とし続けていて、そのひたひたとした速さを感じる。
 誰しも命の砂時計を背負っているのは同じこと。考えすぎ・・・かもしれないけれど。

 お会いすることはなかったけれど、最期まで果敢に治療を続けられたМさんに敬意を表すとともに、そのご冥福を心よりお祈りしたいと思う。

 昨夕、合唱練習の帰り道、乗換駅のフラワーショップで濃いブルーの薔薇とかすみ草のアレンジメントを見つけた。とても珍しくあまりに綺麗だったので、買ってきて食卓に飾ってみた。生花があるとやっぱりいいな、と思う。

 今週も残暑はまだまだ続くようだが、体調管理をしながら夏バテしないよう、頑張りすぎず過ごしていこう。
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2010.8.29 合唱練習続行中

2010-08-29 21:51:20 | 合唱
 今日は1ヶ月以上ぶりで校友音楽祭の合唱練習日。
 前回以降すっかり復習もしていなかったので、昨夜あわてて楽譜の見直し。さらに今日は行きの電車の中で口パク。傍から見れば“不審な人”に違いない。
 今後の練習のスケジュールは9月に2回、10月に3回で、もう本番だ。
 9月からハーセプチン上乗せナベルビンの治療が開始されるが、どのくらいの副作用が出るかわからないので、「これからは皆勤で頑張ります!」と宣言できないところがなんとも情けない。それでも、本番の舞台に乗らせて頂くのなら、体調と相談しながらも、皆さんにご迷惑をかけないようにしなければ、と思う。
 今日もソプラノは現役1人と先輩2人と私だけ。アルトも5人。男性がいつものとおり若干多めで15人ほどだったろうか。今回エントリーをしているのは48人で現役の助っ人が7人ほどだという。
 とにかく今日も暑さが半端ではなく、レースのカーテンを閉めていても日差しが凄い。発声をしているうちにクラクラしてきた。
 都心の練習場までは片道たっぷり1時間半。12時半から小一時間の体操と発声練習後、休憩を挟みながらとはいっても、夕方5時までの練習はやはりかなりハードだ。
 ずっと胸の違和感があり、なかなか声が続かない。高音は情けないほど出ないし。それでもまた不思議な力に引きづられて最後までいることが出来た。

 さて、次回の練習日には指揮者の先生がおいでになる。練習が終わった後、先生のお誕生日パーティが予定されているようだ。幹事の方が練習会場から何から本当にすべてご好意で提供してくださっている上に、そのセッティングまで。本当に頭が下がる。
 昨年は先生へのプレゼントに各々が「先生のお名前の頭文字で文章を作る」というお題が出たけれど、今年は「先生にはじめて会ったとき、私は・・・」で始まるものなら、文章でもそれを意味する絵でも、写真でも貼り絵でも何でもOKということで、シンプルに文章を作って持っていった。
 次回、綺麗に台紙をつけてファイルに入れて先生にお渡し頂ける。私はあえて去年と同じレイアウトで験を担いでみた。昨年に引き続き、今年も先生のお誕生日をお祝いできる喜び、そして来年もまたお祝いを言わせて頂けることを楽しみに、と。

 帰りの道のりもまだまだ暑く、日傘が手放せなかった。
 自宅の最寄り駅に着いた頃には大分日は傾いていたが、むっとした空気。暑さは全然和らいでこないのに、日の入りだけは確実に秋に近づいている。

 夕食は大学内のレストランで。初めての室内楽コンサートが開かれていたので、物見遊山もあり、予約しておいた。演奏開始時間には間に合わず、途中からの入店だったため、1時間足らずしか聴くことができなかったけれど、雰囲気は十分味わえた。これから月1回のペースで開催されるようだ。
 レストランはランチタイムとは全く雰囲気が違い、水辺がライトアップされており、なんだか異次元空間のよう。お客さんが学内の関係者ばかりで知っている人にお会いしたら恥ずかしいな、と思っていたが、実際には見たところ近隣の方が結構多かったようで、顔見知りはいなかった。



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2010.8.28 Colorful― カラフル―

2010-08-28 06:39:15 | 映画
 表題の映画を見た。
 言わずと知れた森絵都さんの小説をアニメ映画化したものだ。休職中、何の気なしに読み始めた彼女の作品が面白くて止まらなくなり、ネットで購入、殆ど全作を一気読みした。

 原作とはちょっと違っていたが、とても良くできていた。
 ちょうど主人公が中3男子ということで、母親目線でいろいろ思うところ、感じるところがあった。そしてかつて自分も通り過ぎてきた中2、中3というアンバランスな齢のことを思い出した。女の子のセリフ「私、おかしいの、狂っているの・・・」には(そうだったよね・・・)と。

 自分は今、どんな色になっているのだろう、と思う。
 昔からパステルカラーが好きだった。淡くてほんわかした色。ベビーピンクやペパーミントグリーン、レモンイエロー、パウダーブルーなどなど。どちらともつかないはっきりしない色、と言ってしまえば元も子もないのだが。
 そして、いろいろな色を全部混ぜれば、結局は黒になるのだな、とも思う。

 息子は今、どんな色になりたいのだろう、そして、これからどんな色になっていくのだろう。息子が大人になったときの「色」を見てみたい、と強く思う。

 「世界に一つしかない花」で歌われたように、みんながたった一つのonly one。いろいろな色があって当然で、いろいろな色があるからこそ、世界は面白いのだから。金子みすずさんの詩のように「みんなちがって、みんないい」のだ。

 そして「今、自分は生きている」ということが何よりも大切なのだ。決して自分から死んではいけない、という強いメッセージ。自死は自分という人間を殺す犯罪なのだ。

 息子にも前売り券を買ってある。見て、今ある日常のほんの小さな出来事が、どれだけいろいろな色で彩られているのか、少しでも考えてくれると嬉しい、と思う。

 さて、5月に東京文化会館で開催したOB有志によるベートーヴェン第九演奏会のDVDが届いた。本番の演奏本編が95分と練習風景、打上げ編が25分。夜遅くまでかかって合計120分を一気に見てしまった。
 わずか4ヶ月も経っていないというのに、なんだか遠い昔のように感じる。
 それでも楽しそうに歌っている自分の姿を見て、(ああ、参加してよかった)と思った。ご丁寧に最後にはエンドクレジットで合唱団の参加者の名前が全員記載されていた。紛れもない私の名前も。

 「今、出来る事を逃げないでやる、そして前に前に歩く。そんな言葉を自分にかけながら、私も頑張っています。」先日火事にあわれたプチ虹のサロンのSさんから頂いたメールだ。
 そう、迷っている時間など、本当にもったいない。やれるかどうか、やろうかどうか迷うのだったら、やってみればよいのだから。そして、きっとやってよかった、と思う日が来るのだから。
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2010.8.27 臓器移植を考える

2010-08-27 05:53:45 | 日記
 こんな大きなテーマを大上段に構えて論ずるつもりなど全くないのだが、最近、脳死判定後、本人の意思確認がないまま、家族の承諾だけで臓器移植が実現したというケースが続いたことで、我が家でも夕食の時に話題にのぼった。

 残念ながら、私は再発乳がん治療のため抗がん剤治療中である身ゆえ、臓器提供はできない。
 かつて職場で意思確認のための小さなカードが配られたことがあったけれど、机の中に眠っている。
 夫に聞いてみたところ「(あげられるものは全部で)いいんじゃない?」とのこと。息子は「目ん玉以外はいいよ。」だそうだ。(なぜ眼だけは嫌なのかは具体的に言っていなかったけれど・・・ゲゲゲの鬼太郎のお父さん効果だろうか。先ほど確認したら「もちろん死んでしまえば目は閉じているかもしれないけれど、もし誰かがふとまぶたを開けたときにがらんどうだと気持ち悪いじゃん!」だそうだ。なんとも不謹慎な!怪奇漫画の読みすぎではないか。)
 ちょっと意外な感じもしつつ、二人の気持ちは一応分かった。
 けれど、万一、実際にそんなことが起こったら、私は冷静な判断ができるだろうか。・・・とても自信がない。

 もうこのまま決して助かることはない、と頭では解っていても、実際にはまだ温かい体にメスを入れ、動いている五臓六腑を取り出す、ということは遺された家族にとって一体どれほど辛いことだろう、と思う。
 それでも、どなたかの体の一部となってでも生きていてほしい、どなたかの役に立ってほしい、そうした気持ちでのことだという。

 私はもとから貧血気味だったから、病気になる前も献血すらできなかったけれど、こうしてみると、今や毎週の治療で所属する共済組合に多額の医療費の負担をして頂くばかりで、本当に誰かの役に立つことが何も出来ていないなあ、と唇を嚙む思いだ。

 ずいぶん前に「孤高のメス」という映画を見たことを思い出した。元気だった青年が不慮の事故で脳死状態となる。執刀医が「汚れのない肝臓でした。」と母親に告げるシーンがあった。監督はその台詞を主人公の医師に言わせるかどうか最後まで迷ったとのことだった。
 また「七つの贈り物」という映画もあった。7人の人を交通事故で死なせてしまった主人公の贖罪の話だった。臓器を待つ7人に対して、その人たちが善人だと判断した上で、主人公が生きながらひとつずつ自分の臓器を贈っていく、最後には生きた心臓を愛する人に送るため、自ら命を落とすというショッキングなストーリーだった。

 やはり、私にとって、今はまだあまりに重く、答えは容易には出せない課題だ、と思う。



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