ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2024.3.30 フェスゴ2回目8日後のこと 旅は5日目 40年ぶり花の都、フィレンツェへ これまたリベンジ大成功!

2024-03-31 06:59:59 | 

 昨夜は、レストランから戻ったらもうヘトヘト。入浴後はバタンキューで、今回の旅で初めて夫の鼾を聞かずに先に眠りについた。そして夜中3時半過ぎまで一度も目覚めなかった。初の5時間連続睡眠。
 ちょうどその時間は夫も目が覚めていたようでガタガタしていたけれど、そのまま二度寝に成功して、プラス2時間。睡眠負債を若干返上出来た。部屋の空調がまともに働かず何やら空気がよどんで暑苦しく寝苦しかったわりには、合計7時間近くの睡眠がとれた。

 今朝、スマホアラームですんなり目が覚める。6時起床、7時スーツケースの部屋出しと朝食、8時20分集合のスケジュールだ。ポーターさんに大きな荷物を運んでもらえるのが有難い。とにかく手指が痺れて痛み、寝ている時にも手袋を外していない。
 ベッドにいる間は手を休ませていられるので、痛みが和らぐ。が、いざ、起きてちょっとスーツケースのベルトを触ったりするだけでいきなり辛くなる。今回はパッキングも全て夫任せの使えない私である。

 レストランに降りて朝食。ぼちぼち私達のグループの方たちが下りてくる。オープンとともにレストランに入り、今日はワッフルとパンケーキをリクエスト。アツアツで美味しかった。添乗員のTさんとお隣のテーブルであれこれお喋り。コロナが始まった頃、シチリア島でロックダウンに遭い、4日間ホテルに缶詰めにされた話などを伺う。今は昔、のような3年間だったようだ。コロナ前とコロナ後で海外ツアー料金は5割増しだそう。なるほど、息子を連れて2回旅した時の3人分と今回の2人分が同じということだ。

 今日は水上タクシーがホテルに横づけしてもらえるとのこと。迷路のようなびしょびしょの小径を、傘を差して寒さに震えながらとぼとぼと歩いた一昨日とは打って変わった快適な出発だ。一足先にスーツケースだけが別ボートでバス駐車場まで送られるとのこと。6人乗り一艘目のボートに乗り、揺られること20分ほど。寒くなく暑くなく快適な船旅だった。
 さようなら、ヴェネツィア。中央駅の電車やモノレールを見ながら、新しいバスに乗り込む。

 今日は午前中にフィレンツェまで移動する。およそ3時間半、250㎞の旅だ。ミラノからヴェネツィアまでは東に進んだが、これからはどんどん南下していく。
 1時間半ほどでお手洗い休憩を兼ねてお土産店に立ち寄る。一人の日本人男性が案内してくれる。主にチョコレート等お菓子やパスタ等の扱いだったが、なかなか触手を動かされるほどのものが見つからず、30分ウロウロしただけで売り上げには貢献せず、申し訳ない。

 それから2時間弱、またしても眠くてたまらなくなって、船を漕ぎつつフィレンツェに到着した。窓の外の景色は糸杉、ブドウ畑、オリーブの木。この3つがトスカーナ地方の特徴だそう。イタリア人は都会で働き、こちらに別荘を持ってバカンスを過ごすのが憧れだという。
 ミラノとヴェネツィアの最初の日の寒さと雨は去り、こちらは20℃を超える気温だ。曇っているけれど、日中はコートも要らない感じ。それにしても実に人が多い。

 フィレンツェを訪れたのも卒業旅行以来のこと。その日は楽しみにしていたウフィツィ美術館が急遽休館になって鑑賞できずじまいだった。そのため、今回はゴンドラ乗船に続くリベンジである。
 
 まずは宿泊するホテルに観光に不要の手荷物を置き、身軽になってレストランへ向かうという、ヴェネツィアと同じパターンだ。宿泊客以外は市街地に車で入ることが出来ずに、遠い駐車場から延々と歩かなければならないそうだ。なるほど市内を流れるアルノ川沿いの道を歩いている人が退きも切らない。
 美術館入館でセキュリティチェックがあるので水は置いていきましょう、と言われ、後に喉の渇きでかなり苦しむ羽目になる。

 歩いてお昼のレストランまで。メニューはトスカーナ郷土料理でトマトとパンの濃いスープ、牛肉のタリアータ、クリームのケーキ。スープだけでお腹が一杯になり、苦手な牛肉攻撃に閉口し、ケーキも甘すぎて完食できず。
 ここで午後の市内観光を担当されるガイドYさんがお迎えに来る。訊けばコロナ後、レストランの料金は4割増し位になり、普通のイタリア人はほぼ外食をしなくなったそうな。道端でサンドイッチやパニーニを頬張る人たちが多い。

 観光は3時間コースで全て徒歩である。まずはベッキオ橋まで歩く。左右とも宝石やアクセサリーのお店が軒を連ねている。ここは40年前も歩いたけれど、こんなに綺麗だったかしら、と記憶がかなり曖昧だ。橋から望むバラ色の綺麗な街並みに改めて唸る。

 予約済のウフィツィ美術館へ。荷物のセキュリティチェックを終えて、音声ガイドのイヤホンをセットし、3階までエレベーターで上がって、鑑賞スタート。ウフィツィとはフィレンツェ王国の行政局(オフィス)が置かれていたのでついた名前という。メディチ家の財力を結集したルネッサンス美術の宝庫だ。
 ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」、レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」、ラファレロの「ひわの聖母」等美術の教科書に載っている絵画が本当にごくごく近くまで寄って観ることが出来る。さすがにあまり近づきすぎると赤外線が反応し、あちこちでブザーが鳴っていたけれど。

 2階に降りると、カラヴァッジョの作品が集中している。ちょっと悪趣味な「メドゥーサ」なども間近に。
 この見学を1時間半ほどで、というのに大分無理がある。だんだん疲れてきて階段を下りながら顎が出る。 階下のブックショップでポストカードを数枚買い求め、お手洗いを済ませて外で再集合。

 賑やかな通りをスリに注意しながら歩き、明日の自由行動のために美味しいジェラート屋さんやレストラン等を教えて頂く。ほどなくフィレンツェの象徴、花の聖母教会ドゥオーモに到着。
 明日は復活祭で、教会内ではその準備が行われているということで入場はなし。復活祭は、春分の日の後の満月の後の最初の日曜日。移動性の祝日で、今年は大分早くに当たるようだ。明日からは夏時間ということで、早朝の2時から3時の間が1時間飛び、日本とは7時間の時差になる。そんなタイミングを旅の間に迎えるのも何かのご縁だろう。

 ゆるゆると歩きながらシニョーリア広場へ。かつて、そして今もフィレンツェの地行政の中心だ。広場はヴェッキオ宮と沢山の彫刻が並ぶ彫刻廊から成り、さながら屋外美術館の趣だ。ダビデ像はコピーだというが、その存在感はかなりのもの。
 水分補給も出来ず、スリに注意しながら石畳を歩き続け、足裏の痺れはだんだん膝の上まで上がってくる。

 最後に皮革店に案内されて30分。もう店内を物色する元気はなく、2階に上がってソファに座ってがっくりするだけ。夫とは「東南アジアだったら、お店に入ると冷たいお茶のサービスがあるよね」、などと憎まれ口を叩く始末。今回は11日間の長めのツアーだから、現役で働いているとなかなか参加しにくい。そのため、参加者は殆どがリタイア組のシニアである。5組の夫婦のうち、女性ではどうも私が一番若い、というレベル。
 なので、皆さんかなりお疲れのご様子だ。そうはいうものの買い物をしておられる2組の方を待ってホテルに戻る。

 既に部屋にはスーツケース等が運ばれ、手荷物だけ持って部屋にチェックイン。川沿いのホテルなので見晴らしを期待したけれど、残念ながら窓の外はパティオしか見えなかった。
 1時間もない休憩時間でざっと荷ほどきを済ませ、夕食へと繰り出すため、ロビーで再集合。
 今夜は地元で人気のレストランで、こだわりディナーフルコース。アンティパストのブルスケッタだけでその量にのけぞり、プリモピアットのタリアテッレトマトパスタでもうお腹一杯の中、さらにセコンドピアットに牛肉の煮込みが出てきてノックアウト状態。

 牛肉は夫が茄子のようだというのでトライしたが、一口食べて終了し、付け合わせのローズマリーポテトだけもそもそと頂く。デザートにはアップルマフィン、食後はカプチーノ。やはり体力がないと食事は出来ないと改めて思う。私達は7時スタートだったが、周りは8時、8時半からスタートするグループが多かった。今日は土曜日、明日は祝日とはいえ、なかなか夜更かしである。

 再び歩いてホテルに戻ってきた。本日も軽く1万歩を超えた。
 明日も体調管理のためには貴重な自由行動日。特に予定もなく、ゆっくり起きてゆっくり朝食。界隈を散策するだけで十分だと思っている。

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2024.3.29 フェスゴ2回目7日後のこと 旅は4日目 アドリア海の女王、夢の浮島ヴェネチアフリータイムの過ごし方

2024-03-30 04:26:06 | 

 昨夜は今回の旅行で一番遅い時間の就寝となった。なんとなく時差ぼけから脱して起きていられるようになったのか。日付が変わる前に眠りに落ちたようだったが、夫が先に軽い鼾をかき始めた。
 そして、1時間ほど眠ったかどうかの時間に腹痛で目が覚める。貧血や低栄養の症状を少しでも改善せねば、と昨日は結構頑張って食べることが出来て、頭痛も減ってきたと嬉しく思っていた矢先のこと。やはり食べ過ぎだったか。下痢ではないけれど、軟便。

 少しスッキリしたと思ったが、その1時間後、少しウツラウツラとしたのにまた腹痛。今度はあっという間に下痢になった。お手洗いから出られない。すっかり水様便。このところ平らだったお腹が少し丸みを帯びてきたなと思っていたのに、またしてもぺっちゃんこになってしまった。動けない。1時間ほどお手洗いに滞在したか。ようやくベッドに戻る。夫は気持ちよさそうに眠っている。

 夜中の3時。予定ではまだ4時間は眠れるのだが、腹痛が収まらず、なかなか入眠できずじまい。隣の夫が気持ちよさそうに鼾をかいているのが憎らしい。
 夫は6時まで一度も目が覚めなかったという。羨ましい。私はかくかくしかじかで、と夜中にお腹を壊した話をする。もう眠れない。ノロノロ起きて身支度をする。

 階下のレストランへ朝食に降りる。お腹はすっかり空っぽだ。胃が痛むような感じ。数名の宿泊客が並んでいたがほどなくして案内される。天井を見ると、ルーフガーデンになっており、眺めが良い。卵料理やハム、ベーコン、サラダにフルーツ、ヨーグルトとクロワッサンやケーキなどのベーカリーが沢山並んでいる。恐々ととって少しずつお腹に入れる。生絞りのオレンジジュースが美味しい。食後はカプチーノを頂く。

 今回の旅で初めて、出発時間に囚われずに済む朝食だ。昨日も一昨日も集合時間があったので、朝食は慌ただしさを免れなかった。今朝は気分的にリラックス出来た。明日も集合時間があるので、自由行動日、大切な時間だ。

 レストランでは、同じツアーの二組のご夫婦とお一人の男性の姿を見かけたが、今日は皆さんどうするものやら。フィレンツェまで電車で往復するという強者もいた。途中、添乗員のTさんがお顔を見せてくださったので、明日の確認等を済ませる。

 部屋に戻って母にMeet通話。なかなか出ないので諦めて切ろうとしたところ、ようやくキャッチしてくれた。日中にLINEで写真を送ったところ、何やらこちらの真夜中に不在着信等があった。時差があるのに困ったものだ。ともあれ元気そうだったので、ほっとする。部屋の様子や部屋から眼下に見える運河の様子等を実況中継して、また自由行動の日に連絡するからねと通話を切った。

 さて、自由行動、今日は何をするか、どこに行くかだが、無理せずこの辺りをそぞろ歩きすることに。
 今回の旅で初めて、雨降りでない一日の始まりだ。薄曇りだが、気温は一桁からせいぜい10℃あったかどうかの昨日迄に比べて、5,6℃高い。夫は薄いジャンパーに着替えている。私はなんとなくお腹が心配で、まだ冬のコートが脱げないが、さすがにインナー二枚重ねはなし。
 まずはリアルト橋を目指す。以前は木製だったが16世紀末に現在の石造りに変えられたという。ガイドブックには、一日中人で溢れて活気に満ちているとあったが、本当に押すな押すなの凄い人である。橋の両脇にはアクセサリーやお土産、カーニバルのお面等の洒落たお店が軒を連ねている。ちょっと覗きながらも絶対スリに注意!の場所である。

 それにしても、どこを見ても絵になってしまうので、ついつい写真撮影のタイミングが増える。橋からは市民と観光客の足、ヴァポレット(水上乗り合いバス)やゴンドラが行き交う様子が楽しい。水辺のカフェやレストランでは遅い朝食を摂っている人たちが沢山。

 次なる目的地は魚市場。旅先では必ず市場を外さない市場フリークの夫である。アドリア海で取れた魚介類を始め、野菜や果物も並び、赤黄緑紫オレンジと色彩の洪水。トマトの種類が多く、見慣れない野菜も色とりどり。
 香辛料のお店も並んでいる。深海魚のちょっとグロテスクな顔が凄い。生臭い匂いに飽きたところで、夫が、喉が渇いたからどこかでお茶をしようと言う。どうもお腹が心配で、そういう気分になれない。

 自分のお土産にムラノガラス製の小さなゴンドラの置物と、ガイドさんから美味しいとお勧めされたお菓子屋さんでゼリーのお菓子を買い求め、一旦休憩したいとホテルの部屋に戻ってきた。
 お掃除がまだだったので、お茶を淹れて一服して仕切り直しだ。特にどうしても行きたい処もないが、今日が昨日の日程だったらよかったな、と思う。雨風の中、鐘楼に上ってハラハラすることもなく、見晴らしも良かっただろうに。とはいえ、こうして時折日差しが差す傘不要の日になってくれたことは有難い。街の全く印象が違う。

 少し休んで水分補給してちょっとだけ元気になる。厚い冬のコートを脱いで、風を通さない春物のコートに着替えて、再びホテルを出る。こんなことが出来るのもホテルの立地が良いからに他ならない。
 さて、そろそろお昼の時間だ。徒歩5分もかからないサン・マルコ広場に行ってみると、昨日とは比べ物にならない人出。満員電車並みである。押すな押すなという感じで、辟易する。
 街歩きしていてとにかく腹立たしいのは歩きタバコが多いこと。建物内での禁煙が徹底していることで、逆に外は無法地帯なのである。これは政策として片手落ちではないか。喫煙場所をきちんと作ればよいのに、と思う。
 せっかく外気を吸いながら、いきなり煙が顔にかかる感じの不快さといったら。どんどん不機嫌に無口になってしまう。マスクをして歩けばよいのかもしれないけれど、それはそれで息苦しい。

 サン・マルコ広場に面した“カフェ・フローリアン”の列に並ぶ。殆ど待たずに窓際の席に案内された。創業1720年、現存する最古のカフェだそうだ。常連だったというゲーテやプルースト、カサノヴァの名前を見るにつけ、この店が積み重ねてきた歴史に圧倒される。
 カフェ・ラッテの発祥の店というが、今日は夫も私もオリジナルの紅茶をチョイス。ポットには優に3杯ほど、さらに差し湯、ミルクとレモンもたっぷりついている。クロワッサンサンドイッチやホットサンドイッチをシェアする。銀のトレー一杯に載せられた食事と飲み物はテーブルをはみ出すほど大きい。相変わらず空腹は感じながらもお腹が心配で、1対3で夫に頑張ってもらう。

 ガラスがトントンと鳴る。ん?と顔をあげると、なんと添乗員のTさんと夫と同郷のNさんが二人で手を振っている。びっくり。いやはや、よくぞ探してくれました、である。お互い中からと外から写真を撮りあいっこ。
 お手洗いと支払いを済ませ、再び散策開始。

 何処を歩いても空気を汚す煙草吸いが多いので、不機嫌になる私だ。ハイブランドが軒を連ねる通りを歩きながら、そこかしこにある立派な教会に入ることも忘れない。中にいれば煙を吸うことがないのだが、外に出た途端、煙が暴力的に襲ってくる。

 夫が船に乗って対岸のサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会に行ってみないかと言うが、どこも人が多く、なんだかとても疲れている。足裏も痛いし、明日はまた皆さんについていかなければならないし・・・、と写真だけ撮ってホテルに戻らせてもらうことに。

 それでも5時間近くの外出で、万歩計は既に1万歩を超えていた。お腹に力が入らず、寝不足がボディブローのように効いている。せっかくだから、もう来ることはないだろうから、という気持ちはあるが、今回はとにかく来られたことだけで十分幸せなので、“欲張らない”が私の中のキーワードだ。ゴンドラにも乗って迷路のような街を十分歩いたし、もうこれで十分。

 部屋に戻ると綺麗に整えられた部屋が迎えてくれる。昨日と打って変わって窓を開けていても部屋が暑いくらいだ。ちょっとウトウトとしていたら、夫は本格的にお昼寝中。
 夕飯を食べに出かけないと、だが、そもそもイタリアンは大好きなのだが、お腹のことを考えると、うーん、また重たい食事はどうしたものやら、である。

 夫がガイドブックで見つけた、小さな橋のたもとにあるトラットリアに行ってきた。予約なしで混雑していたけれど、幸いにも入口の2人席にすぐに通された。ヴェネツイア料理が充実とのこと。お勧めのムール貝やアサリのワイン蒸し、魚介のフリット、ラザニアを注文し、デザートまで楽しんだ。どれも美味しかった。ウエイターは陽気なおじさんで、皆、赤いベストをお揃いで着ていた。

 そんなこんなで2連泊のヴェネツィアに早くも別れを告げ、明日は午前中花の都フィレンツェに移動する。
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2024.3.28 フェスゴ2回目6日後のこと 旅は3日目 40年ぶり水の都、ヴェネツィアヘ リベンジ大成功!

2024-03-29 06:42:14 | 
 昨夜は入浴後、早々に就寝。そのまま眠れば8時間睡眠可能!の予定だったが、いまだ時差ぼけなのか12時半、1時半と目が覚めてしまう。その後4時半までなんとか眠ったが、それからは目覚ましが鳴るまでほぼ眠れずじまい。
 夫は夫で途中一度目覚めたようだが、私は結構長いこと彼の鼾やら寝息やらを聞いていたような気がする。

 身支度をして、パッキングしたスーツケースを部屋のドア内側にセットして階下のレストランに降りる。7時のレストランオープンとともに、私達のグループがほぼ全員揃う。メニューは昨日と変わらなかったが、今朝はピスタチオクリームが入ったクロワッサンを頂く。美味しい。関空から飛び、初日夜遅く到着した加古川のご夫婦と関西話に花が咲いた。

 部屋に戻り、忘れ物がないか最終確認。ロビーに集合してバスが停車している場所まで歩く。今日も冷たい雨だ。ミラノは実に寒かった。もう雨に降られることはないんじゃない?という夫の言葉を信じて自分の傘をしまってしまったことを後悔する。念のため夫の傘だけでも持って出て良かった。

 バスは市内を出て高速に乗る。路駐が凄いことになっている。駐車場事情が悪いとのことで、仕方ないのだそう。ドイツのアウトバーンは有名だが、イタリアのアウトストラーダは日本の道路公団がシステムを学びに来たというほどの優秀な造りだという。

 水の都、ヴェネツィアまでは途中のお手洗い休憩を含み、4時間270㎞のバスの旅だ。前半2時間ほどは外の風景を楽しみつつ過ごす。なんといっても50人乗りのバスを12人で使っているのでバスはガラガラ。一人で2席使っているのでのびのびと好き放題だ。

 通勤電車を見たり、今は木だけの一面のブドウ畑を臨みつつ、バスは走る。EU圏ではバスの運転手さんの就業規制が厳しく、出発時間も休憩時間もしっかり確保するため、なかなかシビアだそう。今日もお客さんが揃っても出発しないし、休憩からお客さんが戻っても、バスに入れないという状態だった。
 途中のサービスエリアは大きなバール状の造りになっていたが、お手洗いを借りた(当然有料)だけ。お茶をしたり、買い物をしたりする時間はほぼなかった。

 後半2時間は知らない間に船を漕いでしまう。まだ時差ぼけなのである。それにしてもしつこく雨がやまない。うーん、雨男、雨女はどこに。

 こちらに来て感じたことは、路上喫煙、くわえタバコが男女ともかなり目立つこと。いきなり煙くて咳き込まないかハラハラする。そして夫は開口一番、ウオシュレットじゃない!紙が固い!と宣う。日本のように、ほぼ全ての公共のお手洗いがウオシュレット完備なんていうことは海外ではありえないのである。

 そうこうするうちに、バスはヴェネツィアに入るチェックポイントを経て、リベルタ橋を渡り、ヴェネツィア本島へと入る。雨降りで外が良く見えないのが残念。青空だったらどんなにか絶景だったことか。国鉄の終点サンタルチア駅を横目に見ながら、私達はトロンケット島の駐車場でバスを降り、そこから船着き場まで歩く。本降りの雨だ。

 2人で入るには小さい折り畳み傘。夫は頭にタオルを被っている。うーん、これはホテルで傘を借りないと、とても午後の観光は無理だ。お迎えのガイドさんにお願いする。
 水上タクシーでホテルまで移動。一艘6人乗りで2班に分かれる。ガイドさん曰く、最近お天気が悪く、寒いとのこと。少し前はぽかぽか陽気だったようだが、ついていない。

 普段だと、宿泊するホテルの前まで水上タクシーが横付けできるというが、水位が上がっており、少し手前で降りて、傘を差して水浸しになった迷路のような道をとぼとぼと歩いていく。それにしても凄い人出だ。どこの国から来ている観光客かわからないが、もう狭い道が大混雑。竹下通りが延々とどこまでも続いている、という感じだ。

 ホテルのロビーで観光に不要な手荷物を預かってもらい、しっかりした大きな傘をお借りする。助かった。
そして、ランチに向かう。バスに4時間揺られてホテルまで若干歩いただけでもうお昼だ。今日のメニューはヴェネツィア名物、イカ墨スパゲティと小海老や烏賊のフリット。お歯黒になるのがちょっとどうよ・・・だったけれど、烏賊の味がしっかりしており、フリットもレモンを絞って頂けてとても美味しかった。
 昨日のミラノ風カツレツもレモンを絞って頂きたかったなぁと思う。昨日のお昼は半分ほど残してしまったけれど、今日はほぼ頂けた。食後はストロベリーアイスクリーム。お腹が心配なので夫に半分横流し。

 そして午後の市内観光スタートだ。ガイドは現地の男性、マリオさん。無情な雨がなかなか止まない。サン・マルコ広場は水浸し状態だ。ビニールの使い捨て雨靴(5€~7€もするらしい。)を履いている人も多数だ。次の日曜日に復活祭(イースター)の行事があるということで、今日明日はサン・マルコ寺院の見学ができないという。
 予定では寺院とバルコニー入場だったが、高さ96.8mの鐘楼の入場に変わる。まさか階段で上がるのなら、私は到底パス・・・と思ったら、しっかりエレベーターがあった。赤いレンガ造りで天を突くようなシンプルなフォルムは、異国情緒たっぷりのサン・マルコ寺院とは対照的な美しさ。
 けれど、何分風が強く、寒い。鐘のある場所からのヴェネツィアの町とラグーナの眺望はまさに絶景なのだけれど、容赦なく吹く風が恨めしいことといったら、ない。カツラを抑えるというストレスが加わる。まぁ飛ばされないとは思うけれど、ズレるのはありだし・・・。ひとまず多方向からの写真を撮り、2時の鐘の音を聞いてさっさと下りのエレベーターに乗り込む。

 続いて隣接したドゥカーレ宮殿へ。ここでも荷物検査がしっかりとある。ヴェネツィア共和国総督の政庁として9世紀に建てられ、何度かの火災により現在の建物は15世紀のものだという。評議員の部屋、大会議室、ヴェニスの商人の審判の部屋等を見ることが出来る。大評議の間の「天国」は世界最大の油絵と言われる。天井画も素晴らしく、相変わらず口をついて出てくる言葉は「凄いね~」だけ、という語彙の貧困が恨めしく、口を開けたまま首が痛いほど上を見る。

 そのまま内部の階段を下りて、溜息の橋を渡る。宮殿の地下牢獄は満水時には水牢になり、この橋を渡ると2度とこの世に戻ってこられないと言われ、橋の小窓からこの世に別れを惜しみ溜息をついたという逸話が残っているそうだ。カサノヴァがこの牢から脱獄したのは有名。牢獄には、囚人が自分の名前を蝋燭の煤で書いたという様が残っており、圧倒される。階段の上り下りが結構大変で、ふうふう言いながら登ったり降りたり頑張った。
 外に出ると、雨が小止みになっていた。

 再びゴンドラの船着き場まで戻り、6人乗りのゴンドラ3艘に分乗。カンツオーネを聴きながら、という触れ込みだったが、くじ引きで決めた音楽隊の人たちが乗り込む1艘には3人が、続いて私達夫婦と小田原からいらしているご夫婦の4人が乗る2艘目、5人が乗る3艘目が順番に出航する。
 波がかなりあり、ゴンドラは揺れに揺れている。救命具も何もつけず、本当に大丈夫?という感じだったが、さすがプロ。難なく水面を走っていく。じゃんけんで勝って私達夫婦は後ろの横並びの席に座ったままでいられたが、ご一緒したご夫婦の奥様は、やれこちらに座れ、やれ前に移動しろ、とバランスを取りながらあちこちに動くように船頭さんに指示され大変そうだった。
 オーソレミオ等聴きなれた歌が響く中、あっという間に30分経過。どこにアングルを向けても絵になること。多くの映画の舞台になっているのも頷ける。

 40年前、卒業旅行でこの地を訪れた時、1か月以上に亘たる長旅で体調を崩し、発熱してホテルの部屋で一人で寝ている羽目になった。文字通りの「ベニスに死す」。同行した友人2人は、ゴンドラに乗るオプショナルツアーに出かけていったのだった。その40年越しのリベンジが叶った。長い長い時間がかかったけれど、またやってくることが出来たことに胸が一杯になる。

 下船後は、ヴェネツィアン・グラス工房へ歩き、職人さんが水差しをあっという間に作り上げる様子を見た後、ワイングラス等の作品を紹介されるが、買い物の時間はなし。欲しい人はまた明日自由時間に訪れてね、とのこと。物欲からすっかり解放されているので、触手は動かない。

 ホテルに戻って、チェックイン。部屋は運河沿いの最高のロケーションだ。ここで夕食の時間まで小一時間。最低限の荷ほどきをして、お茶を淹れて一服する。気づけば水分補給をろくにしていなかったので、がっくり疲れていた。
 少し元気になって、夕食だ。徒歩で2,3分のレストランに案内され、グループごとに席を用意するプライベートディナーという趣向で、夫と2人席に案内される。前菜4品盛り合わせ、魚のラグーソースのペンネ、メインは鯛、デザートはプリン。カプチーノを頂いてお腹一杯。

 食後は、お腹ごなしのためにサン・マルコ広場の夜景を見に行きませんか、と添乗員のTさんから誘われ、皆が向かう。広場を囲む建物に点された灯りに浮かぶサン・マルコ寺院は、昼とはまた違う美しさだった。
 雨が止んで、足元が悪くないのが有難かったが、さすがに冷え込んでいる。昨日の寒さに懲りて、今日もインナーを重ね着し、持ってきた中で一番厚地のニットを着込み、カシミアのマフラーをぐるぐる巻き、ボトムもロングのガードルにタイツ、ペチコートと重ねていたので、大分頑張れた。

 帰路はスーパーでお水を調達して部屋に戻ってきた。明日は一日フリータイムだが、昨日に続き、今日も万歩計は1万歩を優に超えた。
 明日は特に頑張らず、ノープラン。界隈をブラブラ出来たらそれでいいな、と思っているので少し寝坊をして体力温存に努めたい。
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2024.3.27 フェスゴ2回目5日後のこと 旅は2日目 約40年ぶりのミラノ再訪 市内観光を終え午後の自由時間は

2024-03-28 05:25:57 | 

 昨夜はスーツケースから最低限の荷物出しをして先に入浴させてもらう。もうよれよれのへろへろ。それでもお腹が空き過ぎると眠れない、と空港で買い求めたパンショコラを紅茶とともにお腹に入れる。何かしようと思っても頭が全然働かない。夫より先にベッドに入ったらそのまま寝落ちしてしまった。多分10時半になったかならないか。日本時間では翌朝6時半のことだ。

 3時半過ぎ、お手洗いで目が覚める。その後腹痛になりもう一度お手洗いへ。かろうじて下痢ではないけれど相変わらずの軟便。この2往復で夫を起こしてしまった。それでも5時間は連続して眠れたようだ。あと3時間くらい眠れるから・・・と言いつつ、夫から話しかけられて少し話をしてしまったら眠れなくなった。話しかけてきた夫は先に寝てしまう。ううう。

 悶々としている間にまたお手洗いに起きて、いつものスマホアラームが鳴る。夫も目覚めたようで、予定より少し早く起きて支度開始。足湯する?と夫に問われ、お断りする。そうでなくてもジンジンしている足裏を温めてはより痛みが酷くなってしまう。

 階下のレストランへ降りる。既にガイドさんや他の参加者の方たちの姿が見える。皆さん、早いこと。
生ハムや目玉焼き、モッツアレラチーズやトマトのサラダ、ジュースやヨーグルト、フルーツにたっぷりクリームが入ったクロワッサンを美味しく頂く。
 添乗員のTさんは私より年長でおられる。添乗員歴何十年だろう、大ベテラン。華奢で小柄だが、百戦錬磨の風格だ。ホテル界隈の地図を頂き、ちょっとした説明を受ける。滞在しているホテルはロケーションが最高で、徒歩5分くらいで主たる観光スポットのどこにでも行ける。今回のツアーは飛行機も遅れず、荷物も全て出てきてスムーズ過ぎるほどのスタート、というのがTさんの弁。

 部屋に戻り、母にMeet通話。LINEで無事到着した旨は連絡していたが、念のため連絡したら無事繋がった。凄い世の中だ。ミラノと母の住むサ高住がごく普通に繋がってしまった。何とか元気にしているという私の顔を見て安心した模様。とりあえず良かった。時差があるので様子を見ながらまた連絡するとして通話を切った。

 態勢を立て直してロビーに降りる。今朝から合流したご夫婦が加わり12名様ご一行になったが、一組のご夫婦は別行動(ダ・ヴィンチの最後の晩餐を観るオプショナルツアーにいらしてランチから合流)ということで、50人乗りの大型バスに10人だけという半日観光がスタート。

 今日のガイドさんは、在イタリア30年、在ミラノ20年というこれまたベテラン、私より2つ年下のAさんだ。あいにく外は冷たい雨。普通なら絶対外出などしないで家でまったり過ごしたいお天気だ。しっかりババシャツにセーターと冬物のコートを重ね、タイツの上にウオームタイプのジーンズを穿いて寒さ対策ばっちりのつもりだったが、まだ寒い。雨だけでなく風も強い。

 大型バスは中心街を迂回しながら、先ずはスフォルツェスコ城へ向かう。ハイブランドが軒を連ねる通りを横目に見ながらバスは進む。街には最新型の市電(トラム)が行き交い、市民公園の若葉が美しい。だが、いかんせん本降りの冷たい雨だ。外気温は10℃というが体感温度はもっと低い。晴れ女の私を打ち負かす強力な雨女か雨男の存在が気になる。雨に濡れて風で冷やされ、体感温度はどんどん下がる。

 震えながら下車して傘を差してお城の見学。ミラノのルネッサンス期最大の建物にして、ミラノのシンボル。かつての領主ヴィスコンティ家の城跡に、スフォルツァ侯爵が城兼要塞として建てたという。赤いレンガが美しい堂々とした城門から入ると、中庭が広がり、お堀と跳ね橋を渡ると宮殿だ。中には入れなかったが、ロンダニーニのピエタ美術館等もあるという説明を受ける。

 その後からは傘を差しながら歩いてヴィットリオ・エマヌエーレ二世のガレリアへ。高く美しいアーチ型ガラス天井のアーケードには、イタリアを代表するハイブランドの本店等が軒を連ねる。天井付近の絵画、舗道のモザイク模様などが見事だ。中央十字路の頭上4枚のフレスコ画はアメリカ、アジア、アフリカ、ヨーロッパ大陸を象徴的に描いたものだという。ついつい口を開けて見入ってしまう。

 そして、ここのパワースポットは雄牛のモザイク画。反時計回りに3回ずつ回ると良いとのことらしく、せっかくなので丑年の私もクルリ。皆が足を置く丸い部分はモザイクがすり減ってなくなっていた。
 通りを抜けたスカラ広場には「LEONALD」と名前が記された銅像がある。言わずと知れたレオナルド・ダ・ヴィンチの像だ。正面の建物はオペラの殿堂スカラ座。近くには博物館もあり、公演が見られない人にもおすすめのスポットらしい。もう見どころ満載なのである。

 ガレリアには素敵なレストランやカフェも沢山。Aさんは「高くて美味しいのは当たり前だけれど、安いところはない!」ときっぱり。1000円程度(7€)で食べられるのはマックだけ。レストランではパスタが20€はする、とのこと。ランチとディナーの差はなく、すべての時間帯同一料金だそうだ。
 ここで少し自由行動があり、今日は夕食がついていないので、レストランやカフェ等を物色して下見する。
 
 再集合して世界最大級の荘厳なるゴシック建築の傑作、ドゥオモ見学。ドゥオモはイタリア語で街を代表する教会堂のこと、神の家を意味している。荷物検査と服装検査があって中へ入る。街のシンボルであり、ミラノの街のおへそにもあたる場所にあり、135本もの尖塔が天を突きさすように伸びる。
 青空だったらどんなにか美しいだろうと思うが、このお天気が恨めしい。40年前近く、大学の卒業旅行で訪れたのだけれど、当時は中の見学はしないで買い物にうつつを抜かしていたのでは・・・、とぼんやり思い出す。

 14世紀後半に着工され、正面の完成を見たのは19世紀初めナポレオンによってだったという。内部に入場したところで、石造りだから暖かいわけもなく、相変わらずふるふると震える。天井を仰ぎ見る美しいステンドグラスにため息連発。床の大理石も黒、ピンク、白、朱色ととても美しい。
 ランチまで時間調整で40分ほど自由時間と言われるが、一旦外に出ると再入場は出来ないし、他に行くところもなく、礼拝椅子でステンドグラス等をぼーっと見ながら時間つぶし。

 再集合して、ランチのレストランへ移動。ようやく暖かい場所に入れたが、寒くてコートがなかなか脱げない。ドアが開く度に冷気が入ってくる。ミネラルウオーターも冷たくて手が伸びない。夫は白ワインを飲んでご機嫌。ミラノ風リゾットとミラノ風カツレツとティラミスのスリーコースだったが、完食出来たのはティラミスだけで、あとはボリューミー過ぎて半分も食べられずじまい。

 この後は自由行動ということで、ここで解散だったが、寒くてもう1枚シャツかセーターを重ねて出直そうということでホテルに一旦戻ってきた。道中お一人で参加されている男性が、夫と同郷であることがわかり、2人は握手をしていきなり方言になり意気投合。こんなご縁もあるものだ。

 暖かく綺麗に掃除が終わった部屋で紅茶を入れて一服し、私はこうして記事を書いているが、お酒が入った夫は気持ちよくお昼寝。
 私もなんだか疲れてしまい、少しだけ、とベッドで横になったら寝落ちしてしまった。

 夫は何やらお腹の調子がいまいちで、ニンニクの効いた料理を食べる元気はないという。時差ぼけと疲れだろう。私も午前中冷やされたせいでとても疲れてしまった。ここで風邪などひいたら大変だ。夕食はどこかレストランで、は止めて老舗の百貨店のフードフロアで調達して部屋で頂くことにした。いつの間にか雨は止み、外は青空。冷え込んでいるけれど、写真を撮るにも邪魔だった傘を持たなくて済み、有難い。

 ということで、百貨店に行ったものの、デパ地下のようなお持ち帰り専門のお店は見当たらず、ぐるりとフードフロアを回って諦めた。イースターが近いので卵型のチョコレートが沢山。
 界隈にコンビニらしきものはなかったけれど、タバッキで美味しそうなサンドイッチを購入。注文はサンドイッチカウンターで、支払いはレジに陣取るタバッキの女主人。現金は使えずカードオンリーで、支払いを終えたら品物を受け取るシステム。いやはや色々面倒である。

 夫がジュースを飲みたいというが、自販機はないし、持ち帰りのジュースを売っているお店もなく、ホテル近くのお助けマックに寄った。これまた注文方法がちょっと日本とは違い、注文は画面で終えたものの支払いはカードのみのようで立ち尽くす。ようやくキャッシュオンリーの会計場所を見つけ、支払いを終えてレシートをもらったものの、待てど暮らせどジュースが出てこない。
 確認すると受け取りは上階のカフェであるとのこと。生のオレンジを絞ったブラッドオレンジジュースだったのでびっくりしたけれど、これを受け取るまでに時間がかかったことといったら。忘れていた、海外で時間がかかってもイライラしてはいけない、という感じを少しずつ思い出した。はぁ、これが嫌なら日本にいればいいのである。

 そんなこんなで夕食の買い物をするだけで1時間がつぶれ、部屋に戻ってお茶を淹れて夫と食事。楽な部屋着で気兼ねなく頂けたので今日はこれで良しとしたい。

 明日はベニスに移動するため、今日より出発が1時間前倒し。荷物のパッキングもほぼ終え、これから入浴して早めの就寝の予定だ。
 添乗員のTさん曰く、一に健康に留意、二に貴重品に留意、三に時間に留意、無事に11日間の旅を終えて帰国するには正に真なり、のお言葉である。
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2024.3.26 フェスゴ2回目4日後のこと 今日から悠久のイタリア世界遺産紀行11日間の旅 行ってきます!

2024-03-27 05:17:35 | 
 昨夜は最上階の温浴施設に使い捨て脱毛用帽子を被って入った。いきなりの禿げ頭丸見えより、黒いシャワーキャップを被った感じならちょっと許されそうで。
 露天風呂からの夜景はなかなか素晴らしかった。天然温泉は塩気がある茶色いお風呂。熱いお湯、少しぬるめのお湯と入って、桃の葉のスチームサウナ、内湯も温度が違う数種類をコンプリート。サウナにもちょっとお邪魔したけれど、足の裏が痛くて退散。バブルバスと炭酸湯もさっと入って合計30分ほど。
 足が痛み、お湯に浸けていられなかったけれど、いいお湯だった。夫と合流して部屋に戻り、コンビニおやつをちょっとお腹に入れてすぐに消灯。

 3時間近く眠ったところで、2時前に腹痛で目覚める。こんな時間に排便とは。あと3時間眠らなければ、と再びベッドに入るがなかなか寝付けず。トロリとしたと思ったらアラームが鳴った。

 ぱっぱと身支度を終え、赤いヨーグルトドリンクだけ飲んでホテルをチェックアウト。チェックインからチェックアウトまで正味12時間も滞在しなかった。

 空港内集合場所を目指す。6時ちょっと過ぎだが、空港は時間を感じさせない人の多さだ。添乗員さんにeチケットを頂き、スーツケースにネームタグ等をつけてもらい、体調のことを少しお話ししてから、各自チェックインカウンターへ。
 パリ乗り継ぎでミラノまでの旅、手続きになかなか時間がかかった。荷物を預け、身軽になったらすぐにセキュリティチェック。特に問題なく、私はするっと出たけれど、夫はまた足止めを食らってあれこれチェックされていた。お疲れ様。
 出国手続きも顔認証でするっと終わる。スタンプもなく、あれれという感じ。夫は何やらスタンプをもらっていた。

 ラウンジへ移動して朝食。随分混んでいる。搭乗まで小一時間だ。空腹だけれど、朝からお腹が快調すぎるので食べ過ぎないように恐々と頂く。夫はあれこれモリモリ食べている。食後はカフェラテを飲んで、ほっとする。

 搭乗口はラウンジの傍。8時25分発パリシャルル・ド・ゴール空港行である。5年近くぶりの海外旅行。果たして本当に行けるのか、とかなり危うかった今回の旅、ついに機上の人となる。
 ウエルカムドリンクでオレンジジュースを頂き、ほっとする間もなく、定刻に離陸する。

 すると1時間もしないで食事のサービスが始まる。前方の席だったこともあって何やらやけにスタートが早い。がっつりとした食事が運ばれてくる。私は和食を、夫は洋食をチョイスしたが、ラウンジで朝食を摂ってから2時間しか経っていない。さすがに入らない。せめてあと1時間遅くても良いのでは、と思うが色々事情があるのだろう。
 結局、どれもこれもちょっぴり箸をつけただけで申し訳ないくらい。メインもろくに頂けず、デザートの抹茶プリンだけ完食した。夫も前菜半分、メインの牛肉は一口でおしまいだったようだ。なんと・・・。

 お昼前に食事が終わってしまい、機内はなんとなく暗くなる。もう寝てくださいね~モードだ。うーん、それもちょっと辛い。読みかけの文庫を読み終わるまで2時間ほど。2回ほどお腹を壊し、あ~あ、という感じ。では、少し横になろうかとカツラを外し、ケア帽子になってエアウィーブのマットレスを借りてフルフラットの寝床を作る。昨夜は足が焼け付くようにジンジンと痛かったけれど、今日は足を下げることなく、靴も脱いでいられたので、痺れだけになって少し楽だった。

 横になったもののなかなか眠れない。結局2時間ほど寝返りを打ってみたが、眠れなかった。隣の夫はワインが効いたのか、気持ちよさそうに眠っていた。

 ウクライナ侵攻の関係でロシア上空を飛行出来ないので、普通なら12時間で飛べるパリまでの経路がアンカレッジ上空経由で14時間かかる。いかにも長い。アンカレッジと言えば、40年前にHさんを訪ねてパリに行った時はアンカレッジ経由だった。空港に給油のために降りただけだったけれど、今や14時間連続で飛べるのだから凄いことだ。

 夫は赤いお月様の写真を撮ったり、窓際からの風景をあれこれ楽しんでいた。
 夫の勧めで、「翔んで埼玉」の第2作を観た。第1作は映画館で観て面白かったので、第2作も観ようと誘われていたが、体調不良だったかタイミングが合わなかったかで見そびれていたのだ。とはいえ、相変わらずの濃すぎる映像にちょっと疲れてしまった。
 夕方近くになってさすがに空腹になる。夫はタンタンヌードルを、私はトルティーヤとフルーツを頂く。その後もアイスクリームを頂いたりしながら過ごす。
 到着まであと2時間半ほどのタイミング、こちら時間のお昼に相当する軽食を頂く。お腹が空いて頂くのはやはり美味しい。合計3時間ちょっと横になってみたけれど、一睡もできなかった。

 再びカツラを被ってお化粧直しをして、定刻通りパリ到着。今回の旅は12名とのことだったが、2名は別便で今夜遅くの到着で、明日から合流とのこと、私達の他3組のご夫婦と男性1人旅がお二人の10名だ。
 セキュリティチェックがやけに厳しく、夫はバッグの中を全てひっくり返されていた。私は手袋を外すように言われたけれど、それ以外は問題なし。
 無事入国審査を終え、EUに入ったので、次のイタリア入国は審査なしだ。

 2時間半ほどの乗り継ぎ時間があり、今、搭乗待合でこの記事を書いている。この後、ミラノに到着してからホテルまでは20,30分とのこと。チェックインして部屋に入れるのはこちらの時間で夜9時頃とのこと。つまりは日本時間で27日の朝5時ということだ。26日朝5時に起きて、27日朝5時まで完徹状態、長い長い一日である。

 と、記事をアップしてしまおうとしたのだが、電源が切れてPCがダウン。集合時間まで小一時間、夕食用のパンを買ったり、お茶をしたり。いやはや物価の高さに驚くばかり。
 ようやくミラノのホテルにチェックインしてこんな時間のアップになった。外は冷たい雨である。
コメント (2)
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