ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2013.3.31 おばさん未満かおばさん以上か、それが問題だ!?

2013-03-31 21:00:26 | 読書
 酒井順子さんの「おばさん未満」(集英社文庫)を読んだ。
 5歳年下の酒井さんも既に40代の折り返し点を過ぎている。このエッセイの単行本が出たのは2008年なので、40代に入ってまもなくの頃。そして文庫化されたのは2011年夏ということで、ちょうど40代ど真ん中、である。

 裏表紙には「若いのか、若くないのか。シミなのか、クスミなのか。あちらとこちらの間で揺れる、微妙なお年頃が40代。・・・まだおばさんではないけれど、もう若者ともいえない・・・と悶々とする女性たちに『痛くない』歳の取り方を明るく提案。」とある。
 「髪」、「声」から「旅」、「言葉」、「冠婚葬祭」、「親」、「友達」まで全20編。
 どれもこれも、いつもながらの冷静な視点と鋭く容赦ない観察力による分析の酒井節全開。何度も唸りつつ頷きつつ、笑いながら、はたまたちょっと身につまされながら、あっという間に一気読みした。

 あとがきでは、ちょうど先日、高校のクラス会に出た私が友人たちと言い合った「全然変わってないわね~」が、久しぶりに同級生等と会うときにまず言い合うべきマナーになってきた、とある。
 「おばさん」と自称しながらも実はおばさんだなどとは自覚していない人の多くが、「ぜんぜんおばさんじゃありませんよ」と相手が否定してくれることを密かに期待している・・・など鋭い指摘。
 おばさんに順調に移行することが出来た人々はなんだか楽しそう、とも。それは彼女たちが充足しているからこそ、愛情や面倒を他者に与え、幸福であるからこそ、若さや美にしがみつくことなく、普通におばさんになることが出来たのではないか。おばさんになることを拒否したり忘れたりする人が増えることは、社会にとっては損失で、自分のことを「おばさんでない何か」だと思っている女性たちは、年齢的にはおばさんだというのに「優しくされたい」「面倒を見てもらいたい」「他者から愛されたたい」と思い、結果、愛情や面倒の需給バランスが崩れつつあり、誰もが「私のことをチヤホヤしてほしい」とゼイゼイしている、と。これには実に納得した。

 アンチエイジングが叫ばれる中、何やら40代になっても50代になっても、ずっと綺麗で居続けなければならないと思わせられるような厳しい世の中になっていると感じる。そうした中、かつての中高年の女性たちより、自分にお金も時間もかけている人が増えているから、綺麗な40代以上が増えているとも思う。
 まあ、そもそも50代のくせに40代の本を読むとはずうずうしい!とお叱りを受けそうであるが。女性の平均寿命が90歳近くまで延びた今、人生50年時代の7がけの年齢が実年齢、とかかなり都合のよい話がまかり通っている。それが本当なら、私だってまだ30代後半ではないか(これまたずうずうしい!)。
 2年近く前に、このブログで田中ひかるさんが書かれた新書「オバサンはなぜ嫌われるか」の読後感を書いたことがあるが、「オバサン(おばさん)」というと、かつて流行した漫画「オバタリアン」の主人公-パンチパーマで小太りのオニババの如く怖いものなし-の印象が強く、たじろいでしまう。そう言いつつも、ついつい手に取ってしまうのは、怖いもの見たさというかなんというか、複雑な女ごころである。

 かく言う私も、何かの拍子に息子に「お母さん、それじゃあもうすっかりオバチャンだよ」と言われてちょっぴり複雑な気持ちになるから、今もなおずうずうしくもお嬢でいたい50代、なのかもしれない。まあ、そんなこと、許されるわけがないのだけれど。
 だからこそ、胸を張って幸福な「おばちゃん」になりたいと思う。

 今日も1日寒かったが、目覚ましをかけずに自然に目覚められる有難い日曜日。午前中から夕食の仕込みをして、昼前には夫とクリーニング店に出かけ、向いのカフェでのんびりお茶。帰り道はちょっと遠回りをして、我が家の近くにある公園経由でお花見をしてきた。
 昼食後、掃除をしてからベーシックヨガのクラスに参加。終了後は夫と待ち合わせをし、買い物をして帰宅した。 息子は一人でスポーツクラブに出かけた後、塾へ行ったが、鍵を持たずに出てしまい、思いのほか早い帰宅だったため、ちょっとの間締め出されてしまうことになった。

 かくして今年度も終了。明日から4月、今年もあっという間に4分の1が過ぎた。新しい年度が始まる。
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2013.3.30 花冷えの中、友と満開の桜を愛でる

2013-03-30 21:57:17 | 日記
 今日はIさんが初めて私の住む街にいらっしゃる日。
 当初は先週のお約束だったが、天気が悪かったこと、急な仕事が入ったせいで今週に延期になっていた。
 せっかく遠路はるばるいらして頂くので、なんとか晴れて暖かくなってほしい・・・とずっと祈っていたのだけれど、あいにく花冷えで冷たい霧雨が降ったりやんだりの一日になった。

 仕事での出張時にわざわざ太宰府天満宮に立ち寄り、息子のために学業成就のお守りや合格グッズ(マークシート用の合格鉛筆!)を頂いてきてくださったという。こちらも、先日京都に行った折に桃のお守りを頂いてあったので、それもお渡しする機会を待っていた。
 ということで、お見えになる皆さんをご案内する定番コース-学内レストランでビュッフェランチの後、学内を散策し、アウトレットモールでのショッピング-を愉しむことにした。
 新緑の頃、紅葉の頃は何回かご案内したが、なかなか桜満開のお花見の時期、うまい具合に土日に重なることもないので、この時期にお客様をお呼びするのは初めて。

 ちょうど春休み中の息子は、一人で義母の見舞いに出かけることになっており、駅でIさんを一緒に出迎え、ご挨拶をさせてから送り出した。
 例年なら3月末にお花見など出来ないのだが、先週から早々と咲き始めた桜が、満開のまま散らずに待っていてくれた。青空であればもっと・・・とちょっと残念だったけれど、桜のトンネルをゆるゆると歩きながらレストランへ向かった。こんなお天気なので、それほど混んでいないのでは、と高を括っていたが、オープン前から待合椅子は一杯でびっくり。繁盛しているのは良いことだけれど。

 無事すんなり入ることが出来、野菜たっぷりの前菜に焼き立てのパン、ハーブティをたっぷり頂きながら、治療の話、仕事の話と盛りだくさんな話題に花が咲く。Iさんも今は内服のホルモン治療が奏功しており、2カ月に1度の通院で済んでおられる。私も4週に1度。お互いにこの状態が長く続きますように、と思う。
 途中、職場で異動する予定の方たちの姿がちらほら。残務整理や引き継ぎ準備のため、休日出勤をされているわけで、こちらはちょっぴり小さくなってしまう。
 デザートも愉しんで、レストランを後にする。ちょうど雨が止んでおり、キャンパス内のフォトスポットで写真を撮りながら、再度、正門前の遊歩道にある見事な桜のトンネルを愛でる。
 アウトレットモールも雨が止んだせいか、結構な人出になっていた。こちらではお気に入りのキャンドル等が見つけられたご様子でほっとする。
 そんなこんなであっという間に5時間が経ち、駅までお送りしてお別れした。

 今日、息子が義母を見舞った様子。調子が良かったようで目を覚ましており、息子の手をしっかり握ってきたそうだ。
 義妹に、息子が無事に帰宅した旨お礼の連絡をすると、これからのこと―施設に戻るのか、治療をしない点滴のみの病棟に移るのかーは施設の方と主治医と義妹で月曜日に相談することになったとのこと。
 本当に悩ましいことである。

 今日は頂いた太宰府天満宮の病気平癒お守りを枕の下に忍ばせて、良い眠りにつこうと思う。
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2013.3.29 安らかに人生を終えるために

2013-03-29 19:55:28 | 日記
 昨日の朝日新聞の記事で気になるものを見つけた。
 調査を行った「NPO法人高齢社会をよくする女性の会」は2005年1月にNPO法人に衣替えしたが、そもそもの創立は1983年のこと。大学の卒論でも大変お世話になった。理事長の樋口恵子さんも副理事長の袖井孝子さんも当時から続投して30年。本当に凄いパワーだと思う。
 以下、転載させて頂く。

※  ※  ※(転載開始)

みとり経験者ほど終末期に考え 希望、家族に伝える傾向

 【辻外記子】家族をみとった経験がある人ほど、終末期の医療について自分の希望を家族に伝えている。こんな傾向が「NPO法人高齢社会をよくする女性の会」の調査でわかった。看取り経験のある人ほど、人工的な栄養補給や心肺蘇生も望まなかった。
 調査は、2012年12月~13年2月、郵送などで行い、4744人から回答を得た。6割はみとりの経験があり、4割はなかった。
 自分で意思表示ができず回復が見込めなくなった場合の医療の内容について、「家族らと話し合い、希望を伝えている」人は31%だった。みとり経験があると36%、ない場合は23%だった。
 希望を事前指示書などで書面化しているのは全体の5%で、みとり経験があると7%。経験なしは3%と開きがあった。
 心肺蘇生や延命のために胃ろうによる人工的な栄養補給などを望むか、も聞いた。みとり経験があると、治療を望まない傾向が強かった。「心肺蘇生をして欲しくない」としたのはみとり経験があると75%、ないと65%。「胃ろうを望まない」割合は経験があると88%、ないと80%。高齢になるほど望まなかった。

(転載終了)※  ※  ※

 翻って我が家の場合。施設入居からほどなくして肺炎と脱水のため入院している義母のこと。2週間の入院予定が今日で3週間になろうとしている。症状が落ち着いたということで、口からの食事(流動食)も再開したのだが、それが原因でまた誤嚥性肺炎を起こし、発熱を繰り返しているという。義妹からの連絡によると「食事をすることにより誤嚥性肺炎を繰り返すようでは、(原則として口からの食事しか提供出来ない)特養施設にはもう戻れないのではないか」と主治医から話があったそうだ。入院中の病院には延命治療(心肺蘇生や胃ろう)はせず、口からの食事も摂らず点滴だけを行っている特別の病棟があるとのこと。そこへ移ることも視野に入れて、と言われたようだ。そこでは発熱すれば対症療法としての解熱剤は投与しても抗生剤は入れない、ということらしい。
 義母が今の状況を本当のところどう思っているのか、もはや訊く由もない。夫と義妹の間では当然割り切れないやり切れないものが残るものの「もう、それでいいよね。」ということになっているようだ。
 つくづく人は亡くなりたいようには亡くなれない。簡単に人生の幕引きをすることなど、出来ない。ならば、少しでも安らかにソフトランディングしながら人生を終わるためにどうするのが一番良いのか・・・本当に難しいことである。
 リビングウィルをちゃんと書面にして夫に託しておかなければならない、と思う。

 今日は24年度最後の出勤日。異動でもあれば明日、明後日も出勤して引継等の準備する必要があったろうけれど、その必要もなく有難い週末だ。
 それでも午後からは新入生の配布物の袋詰め作業等力仕事に追われた。
 今朝も曇り空だったが、気温は高め。雨が降ると、桜が散ってしまうのではないか、と気が気ではない。
 夫は年度末最終出勤日で宴会。息子と2人、お喋りだけは賑やかな(手抜きの?)夕食である。
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2013.3.28 何事も質の向上を支えるのは良質なコミュニケーション

2013-03-28 21:56:07 | 日記
 これまで何度もご紹介している毎日新聞の岡本左和子さんによる連載の最新号から、以下転載させて頂く。

※  ※  ※(転載開始)

診察室のワルツ:/46 「医療の質」向上目指し=岡本左和子(毎日新聞 2013年03月27日 東京朝刊)

 先日、健康診断に行きました。検査のたびに、医療スタッフが私を「おかもとさわこさんですね」とフルネームで確認し、私もそのように言うよう促されました。これは患者を取り違えないための医療安全の一環で、同様の取り組みをする医療機関が増えています。
 医療安全をはじめ、「医療の質」の向上のため、多くの医療機関が日々の診療に加え、院内システムの改善や医療者のトレーニングなどに多くの時間を割いています。一方、一生懸命頑張っているものの、「医療の質」の向上がどのような方針や改善点を必要とし、何を患者に期待しているのかが患者に伝わっていないことが多く、医療者の努力が空回りしていることもあるように思います。冒頭の件も、医療安全の取り組みと知らなければ、「面倒だ」と感じる患者はいるでしょう。
 「医療の質」を支えるのは、以下の六つの基本姿勢とコミュニケーションです。
 (1)医療安全=医療の不確定要素や事故などを少なくするシステム作りや改善(2)証拠に基づいた医療=科学的根拠に基づき治療効果を期待できる医療(3)患者中心の医療=患者の疾患だけではなく「人となり」に焦点を当て、患者のニーズや価値観などに敬意を払う対応と医療への反映(4)適切な時期に最適な治療の実施(5)無駄のない医療=器具や機器、資材だけでなく、患者と医療者の時間や体力などのあらゆる無駄の軽減(6)医療の均質化=人格、性別、地域、社会経済的地位などによって受ける医療が異ならないこと。
 「そんなことは当たり前だろう」と感じるかもしれませんが、患者側にも「医療の質」の向上に貢献できることは多くあります。「医師の指示や治療計画に従い、気付いたことや体調の不具合を伝える」「患者の希望やニーズ、価値観を伝えて治療に反映されているかを確認する」「治療の結果を受け止める」「医師に伝えないまま複数の医療機関で治療を受けたり、治療を中断したりしない」「治療に関する情報を集め、医師の話を納得できるまでよく聞き、意思決定をする」などです。患者が適切に関わらなければ、「医療の質」の向上は実現しません。(おかもと・さわこ=医療コミュニケーション研究者)

(転載終了)※  ※  ※

 なるほど、と思う。
 実際、大きな病院では同姓同名の患者さんもいるだろう。念には念をで、(本人が言える場合には)本人にフルネームと生年月日をその都度言わせるのは、事故防止のために絶対必要なことだ。名前や生年月日を名乗ることを普通に出来る人が、僅か数秒のことに対して面倒臭いというのは、患者として怠慢ではないかと思うし、自分から安全を放棄しているようにも感じる。そして、なんでもかんでも医療者側に責任を転嫁するのは大人としていかがなものか、とも思う。

 コミュニケーションは一方通行ではない。双方のキャッチボールだ。いくら片方が頑張っても、投げられたボールをきちんと受け止められなければそれは徒労になってしまう。だからこそ、その質を高めるためにはお互いの努力が不可欠なのだろう。

 例えば、セカンドオピニオンを受けるにしても主治医に内緒で・・・となると、信頼関係を築けていないのではないかと思う。まぁ、今のご時世だから、セカンドオピニオンを受けたいといったら気分を害して勝手にしろ、という医師はそうはいないと思うけれど。
 もちろん、勝手に他の先生にかかって、更には治療も始めてしまう等は暴挙以外の何物でもなく、人としての信義にもとる言語道断な行為だろう。そんな患者さんはそうはいないと信じたいが、こうして話題にのぼるのだからそういうケースもあるのかもしれない。
 確かに医師にとって患者はone of themであり、患者は自分がonly oneであるから、背に腹は代えられないというのかもしれない。喩えどのような高名な先生であっても、結果が伴わない、あるいは実感できないのであれば、医師を替えるというのはあり得る選択だ。
 けれど、前の先生には挨拶もなくそれっきり、というのは非常に失礼な話だし、双方の先生に無断で治療を並行させるなどということはあってはならないと思う。

 自分が主治医として患者とかかわり、二人三脚でより良い治療をしようと思っているところに一方的にそんなことをされて、しかも事後報告でもされたら・・・。「もう責任持てません。あとはどうぞご自由に!」と言われても仕方ないだろう。
 自分が医師の立場でそんなことをされたらどう思うか、ちょっと深呼吸をして立ち止まって考えてみれば踏み留まれると思うのだけれど。

 今朝は曇り空だったが、気温は高めで、またスプリングコートに戻った。昼休みに外に出ると時折青空が覗き、満開の桜がとても綺麗。風が吹くと花びらがちらほら舞い始めている。週末までどうか楽しめますように。

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2013.3.27 桜なべは桜とともに・・・

2013-03-27 19:50:30 | 日記
 馬の肉を桜、猪の肉は牡丹と言うけれど、この桜肉に目がないのが息子である。
 17歳にして馬肉の味が恋しいというのもなんとも・・・だが、彼が馬刺を初めて食べたのはもう10年以上前のこと。保育園児の頃、土曜日に実施された夫の職場の有志によるハイキングツアーに家族揃って参加させて頂いたときのことであった。

 家族揃って職場の行事に参加したことは後にも先にもこの時のみ。普段は最寄駅まで歩くのだって疲れれば抱っこポーズを取るような軟弱な息子が、果たして10キロメートルのコース、本当に歩けるのだろうか、途中でリタイアするにも電車の駅まで歩くことも難しそうだし・・・と、かなり心配していた。が、案ずるより産むが易しで、結局、夫におんぶされたり、途中で休んでいれば皆さんに叱咤激励して頂きながら、なんとかかんとかゴールまで歩破することが出来た。
 
 そのコースの上がり地点の昼食で馬刺が出たのだ。もちろん高価なものだから(私だってそれ迄殆ど食べたことなどなかった。)数切れのものが恭しく何皿かテーブルに上っていたのだけれど、一切れ食べた息子は「美味しい!」とおかわりを所望し、殆ど1人で全皿平らげてしまったのである。何も食べさせていないみたい・・・と私が恥ずかしさで下を向いたのはご想像のとおりである。
 以来、息子は何かといえば「馬肉は桜っていうんだよね、美味しかったなあ。また食べたいなあ。」を繰り返していた。

 いつだったか、部活の取材のために、いつも乗っている私鉄の終点(都営線と乗り入れている)迄出かけた時、沿線に桜なべ・馬肉料理の専門店を見つけたという。そこで馬肉を思いっきり食べてみたい、というのが彼のたっての希望だった。

 機会あって、家族揃って先日、そのお店を訪れることが出来た。
 創業は明治30年。昭和29年建築の粋な木造建築からはレトロな香りがする。引き戸を開けて三和土を上がると、下足番の方から下足板を頂く。縄のれんをくぐると、眼の前には籐敷きの大広間が広がる。奥には縁側と、その向こうに小さな池のある庭が整えてある。いかにも古き良き昭和のお家の佇まいだ。
 ステンレスの長机が二列、壮観に並べられていて、テーブル上には等間隔にコンロが置いてある。連れ同士は向かい合い、隣には他のお客さんが座る「入れ込み式」というそうだ。白いカバーが施された懐かしい感じの小さめの座布団に腰をおろして、ふと顔を上げると座敷奥の大きな時計の隣には一体どれほどの大きさかと圧倒されるほどの巨大な商売繁盛熊手が飾られている。
 食器も浅めの鉄鍋も、全てお店の紋とお店の名前の文字が入ったオリジナル。桜なべ、馬刺し、たたき、あぶらさしとフルコースを夫からご馳走になった。残念ながら馬肉の煮つけは、シーズンが終わってしまって、お土産にすることが出来なかったけれど、すっかり堪能した。

 馬肉は高タンパク・低脂肪・低カロリーで夏は夏バテ防止、冬は体を温めるのに効果があるという。また吸収率の高いヘム鉄が非常に多く、貧血気味の女性、妊婦さんにも特にお薦めだそうだ。
 次回はいつ行けるかしら・・・と、味をしめて次も楽しみにしてしまうほど美味しい体験だった。スポンサーの夫と、しつこくリクエストしてくれた息子に感謝である。

 今日は花冷えを通り越して、また冬が舞い戻って来たかのような寒い一日となった。朝から霧雨が降り続き、まだ仕舞っていないダウンとブーツを着込んで出勤した。
 今年度の出勤日もあと2日を残すだけとなった。週が明ければ新年度である。
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