ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.5.31 嬉しい電話と「これが現実」

2011-05-31 20:45:53 | 日記
 昨夜、プチ虹のサロンのSさんから電話を頂いた。メールでのやりとりはあっても、電話を頂くことは珍しい。

 先日、私がTさんのお見舞いに行って、かなり沈んでしまったことをとても心配してくださっていた。長くこの病気とつきあっていると、哀しいかな、既にそういう経験を何度もされているわけである。

 週末には、次のようなメールを頂いていた。

 「○○さん(私のこと)がショックを受けて、落ち込む気持ちは当然ですよ。○○さんはとても優しい方なので、そうならないといいなあと心配していました。私もこの病気と長い付き合いの中で、何度か同じ様な経験をしました。どうしてあんなに元気だったのに…。だから自分が再発した時に、あ~私も□□ちゃんみたいになっちゃうんだ…と考えたら、とても前向きに治療を受ける事など出来ませんでした。○○さんがお見舞いの帰りに考えた事や、思った事は今の私達であれば、あたり前で当然だと思います。ご自分を責めないでくださいね。いま出来る事がたくさんある事を大切にしましょう(なかなか難しいですが…)。」

と。

 心に沁みた。
 私は初発から6年半、再発から3年半近くが経過するけれど、患者会に入るまでは同病の友人を持っていなかった。入会してまだ2年も経たないし、今回のように厳しい病状の方をお見舞いしたのは初めてのことだった。頭では分かっていたはずなのに、これまで弾けるような笑顔で元気と勇気をくださっていたTさんが、辛そうにベッドに横になっておられる姿を眼の前にして、やはりショックは隠せなかった。
 冷静に考えれば、至極当然のことだ。緊急入院をなさった方が、いつものように元気一杯でおられるわけがないのだから。そして、私よりもずっと長くこの病気と闘ってこられたTさんは、これまでに沢山の仲間を見送ってこられているのだ。

 こんなふうにSさんを心配させてしまった自分の情けなさとふがいなさを深く反省し、改めて思った。もちろん、決して気軽な気持ちで伺ったわけではなかったし、自分なりに考えて、お会いしたい気持ちが勝っての行動だったけれど、きちんと自分の中で事実を受け入れ、気持ちを消化出来ないのであれば、お見舞いに伺ったりしてはいけない、と。

 そして、いくら今、薬のおかげで元気にしていられても、やはり私も同じ病気なのだ、という事実を改めて突き付けられた。どうあがいてみても、「これが現実」であるということからは、決して逃げられない。
 だからこそ、これからも一日一日を大切に、今、出来ることに感謝しながら、出来る時に出来ることを、悔いのないように積み重ねていかなければならないのだ、と思う。

 土曜の夜にアップされた会長さんのエッセイによると、「Tさん、復活!」とあったので、Sさんから頂いたメールに対して御礼のメールを差し上げた際に「私が伺った時は体調が悪くていらしたけれど、少しはお元気になっておられるようです。」と添えたところ、昨日、Sさんは時間を作ってお見舞いにいらしたのだった。
 けれど、お話を伺うと、土日は調子が良かったけれど、昨日はあまりすぐれないようだった。

 嬉しい電話をくださったSさんには感謝の気持ちで一杯である。
 改めてTさんが少しでも痛みなく穏やかに過ごして頂けることを心から願いたい。

 そして、また、明日は治療日である。
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2011.5.30 つどうことは「本能」、移動できることは「尊厳」

2011-05-30 20:14:03 | 日記
 朝日新聞社のネット記事で医療・健康の分野を閲覧することが多い。

 長尾和弘先生の「町医者だから言いたい!」ブログは昨年4月20日からスタートしたもの。本当に頭が下がるのだが、365日これまで一日たりともお休みされたことはなく、毎日欠かさず更新がある。
 先生は私より3歳年上の1958年生。16年前、36歳の時に阪神大震災に被災され、それをきっかけに兵庫県尼崎市でクリニックを開業された長尾クリニックの院長先生である。

 こうして自分でブログを更新していると、物書きでもないし、充電することなしに放電し続けることは出来ないから、やはり何も書けない日が出てくる。もちろん私などは誰との約束があるわけでもなく、勝手に自分のペースで書いているので、一日欠かしたところで何のことはないのだけれど、それでも更新できなかった日にも多くの方たちがアクセスしてくださっているのがわかると、とても申し訳ない気持ちになる。
 だからこそ、この407日(今日5月30日まで)、一日も欠かすことなく更新されている先生に敬意を表したい。

 先生は先日来、東日本大震災の被災地で積極的に活動を続けてこられている。これは昨日のブログだが、以下、転載させて頂く。
 
※  ※  ※(転載開始)

【406回】 《東日本大震災》 仮設住宅に「つどい場」を [11/05/29]
 16年前も今回も、仮設住宅で同様な光景を見ました。みんなが表に出て、楽しそうに会話をしているのです。彼女らの笑顔を見ていると何も無かったかのようです。
 しかし、聞いてみると、身内に犠牲者が出ていました。慌てて「大変でしたね」と声をかけるのが精一杯でした。その悲しみを吹き飛ばすかのようにお喋りしていました。
 仮設住宅に必要なものは、「つどい場」だと思いました。フラーと座れて、お茶を飲んで、自由にお喋りできる。そんな「場」こそ、仮設住宅のどこかに必要です。
 さらに、老人ばかりの仮設住宅はどうしても暗くなります。どこからか子供の遊び声が聞こえてくる環境が望まれます。老人ばかりを集めるのではなく、老若男女が入り混じる。
 そんな仮設であって欲しい。孤独死と自殺を防ぐのが、仮設の最大の課題です。そのためには医療や介護以前に、「つどい場」です。
 相馬型井戸端長屋にしても、尼崎型グループハウスにしても、共通しているのは、長屋の中に「つどい場」があること。人間社会の原点なのかもしれません。
 仮設では、要介護老人がいても車椅子で外出しやすいのが利点。どんどん外出して、移動して欲しいもの。どんな病気になっても、「移動」も人間の原点。
 認知症患者さんも、旅行をすると元気になります。仮設に入っても、小旅行くらいは可能な環境であってほしい。移動のための「交通手段」を確保するのは国の仕事でしょう。
 「集う」ことは、本能。「移動」できることは、尊厳。いろんな人が「まじくる」のが、ポスト3.11のキーワード。

(転載終了)※  ※  ※

 最後の段落に心動かされた。集うことは人間社会の原点、人間の本能だ、と。確かにそうだ。人はさまざまな集団に属しながら生きている。そして決して1人では生きられない。

 そして、自分と似たような経験をした人や同じような境遇にある人たちの集団に属することで元気をもらったり、勇気をもらったり、再び上を向くことが出来たり。
 患者会の集まりなど、その最たるものだろう。辛いのはあなた一人じゃないよ、と今一度前を向いて生きるためのものなのだと思うから。(もちろん慰めあうだけのもの、人によっては傷をなめ合う、と称する人もいるようだけれど、それだけのものでは決して、ない。)
 
 さらに「移動」出来ることは、尊厳だ、と。本当だ。自分が行きたい時に行きたいところに思うように行けなくなったら、病室やベッドで過ごすしかないというだけの毎日になったら、尊厳はかなりの部分が損なわれるであろう。
 だからこそ、家族という足場をきちんと大切にした上で、社会参加を実感できる職場に、明日を信じて元気をもらえる仲間と集うために、概ねどこにでも自由に出かけて行ける今の自分の心と体に感謝し、一日も長く“今”を繋いでいけるように、今週も4日間はしっかり働き、1日はきちんと治療を続け、いろんな人と「まじく」ってこよう、と思う。

 さて、悪運の強い息子。早朝、通っている学校から緊急連絡網による電話があり、叩き起こされた。「“大雨洪水警報”のため、本日は休校。試験は1日順延」とのこと。一日遅らせたところで明日からしっかり4日間あるのだから、そんなに喜ぶべきことでもないだろうに、彼は私を「いってらっしゃーい!」とテンション高く送り出してくれた。もの凄く嬉しそう!試験勉強ができると言っていたが、本当のところ、何をして一日過ごしたやら・・・である。

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2011.5.29 最期は天任せ~パイレーツ・オブ・カリビアン-生命の泉―

2011-05-29 21:40:44 | 映画
 夫と標題の映画を観た。
 言わずと知れたジョニー・デップ演じるキャプテン・ジャック・スパロウのエンターテイメント作品だ。
 すでに3部作、「呪われた海賊たち」、「デッドマンズ・チェスト」、「ワールド・エンド」と来て4年ぶりの新作。
 これら3部作を観ていなくても十分に楽しめる独立したストーリーだった。新しいキャラクターとして、ジャックがかつて愛した女海賊・アンジェリカや海賊が恐れる伝説の海賊・黒ひげも登場。そして、なぜか英国海軍に寝返ったジャックの宿敵、海賊バルボッサ。
 今回は永遠の命をもたらすという伝説の“生命(いのち)の泉-Fountain of Youth―”が最大のモチーフ。史上最強の海賊たちが、禁断の宝“生命の泉”を求めて動き出す。永遠の命を得るために必要なものは、泉の水、人魚の涙、聖杯。そして、泉の場所を知る者は、ジャック・スパロウただ一人。

 そんな冒険スペクタクルの中で同時並行するのが、捉えられた人魚と宣教師の禁じられた恋。ああ、海に消えていったこの2人はどうなったのだろう。月光の中、魅惑的な姿と歌で海賊たちを誘惑して海へと引きずり込む、美しくも獰猛な(鳴き声が凄い!)人魚たちの描写もリアルで見逃せなった。

 それにしても、あっという間の2時間半弱。誰が見てもワクワクドキドキ、飽きることのないお薦めだろう。今はこの上映に合わせてテレビでも前作を放映しているようだ。
本作はシリーズ初の3Dということだったが、うーん、『アバター』の時は3Dで良かった、と思ったのだが、今回は全編を通じて暗めの画面で、3Dとなったせいで字幕と映像の焦点が微妙にずれるので、字幕を読むと映像が捉えられないし、映像に焦点を合わせると字幕が追いづらい。しかも普段メガネをかけ慣れていないので、うっとうしいし、落ち着かないことこの上ない。かなり目を酷使することになったし、2Dで落ち着いて観た方が良かったかもしれない。

 ちょっと重い内容をしんみり考えたり、想ったりする映画と違って、こういう楽しみが第一、あとくされない映画は夫が大好きなので、一人で観ると怒られる。
 土日、両日雨の休日で、洗濯物も乾かない中、良い気分転換になった。

 さて、キャプテン・ジャック・スパロウは泉の水、人魚の涙、聖杯を手に入れた。だから永遠の命を自分のものに出来たはずだったが、ラストシーンで彼が古い仲間の「なぜ?」の問いに答えた台詞が、憎らしい。
 「最期は天任せだ。」
 そう。人事を尽くして天命を待つ。永遠の命など手に入れられないものだからこそ、命は尊いもの、そのために大切に繋ぐものなのだ、と改めて思う。

 強い台風2号は温帯低気圧に変わった模様。それでも明日の朝までは強い雨が残るようだ。息子は明日から中間試験だが、明日は大雨洪水警報が出て学校が休校になることに賭ける、のだそうだ。いやはや、である。彼もこの映画は見たがっているが、さすがに試験が終わるまではお預けだ。

 今日はリンパプラスヨガに参加した後、夫と合流して買い物に寄ったが、帰りはあまりの強い雨でタクシーに乗ってしまった。ちょっと安いものを買ったところでタクシーに乗っていたのでは・・・、と思うけれど、自動車も腕力もない我が家としては致し方ない。

 明日からまた1週間が始まる。水曜日からは6月だ。早くも今年も折り返しの月を迎える。



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2011.5.27 気持ちは8割で

2011-05-27 20:13:52 | 日記
 昨日に続いて朝日新聞社のネット記事からの転載で恐縮だが、今日もなるほど、と思ったものがあった。少し長いため若干割愛しながら、転載させて頂く。「女子マネの時代」の連載第3回である。

※  ※  ※ (転載開始)

「怖い女」上司にならないための会話術 (2011.05.27)

・・・・今回は、中でもコミュニケーションに絞って、女性が陥りやすい課題やその解決策を考えていきたいと思います。

 真面目さ、熱心さが「怖いヒト」への落とし穴

 女性がビジネス社会のルールの中で、そこに溶け込みながら仕事をしようとすると、時に「男性社会」であることを意識しすぎて、「怖い人」になってしまうことがあります。
 私のかつての職場にもいました。彼女は人一倍仕事熱心でした。しかし、まじめさゆえに、「負けてはいけない」「女性だからと、なめられたくない」という気持ちが裏目に出てしまったのでしょう。表情が硬く、背中から話しかけにくいオーラがにじみ出ているのです。あなたの周りにも、そんな人がいませんか? いったん打ち解けると、親切に相談にも乗ってくれるし、困ったときは親身になって助けてくれる人なのに、です。

 皆さんは「メラビアンの法則」をご存じでしょうか。人間はコミュニケーションにおいて相手が発する言葉そのものだけではなく、声の調子や態度などから多くの情報を得ているということを証明したものです。誰かに話しかけたときに、「どうしたんですか?」と優しい態度で言われるのと、無愛想な態度で言われるのとでは、同じ言葉でも受ける印象が全く異なります。つまり、「負けない」「なめられたくない」と思う気持ちは、言葉としてそれを発していなくても、態度となって相手に伝わっているおそれがあるということです。私たちは、「何を」伝えるかと同じくらい「どう」伝えるかということも意識した方が良いようです。

 「気持ち8割」のコミュニケーションを

 私自身も、後から入社した同僚に「最初はすごく話しかけづらかった」と言われたことがあります。当時はまだ管理職ではなかったものの、「あ、意外と見られてるんだ」「自分の態度って伝わっちゃうものなんだ」と知りました。甘くみられたくはありませんが、それでコミュニケーション不全に陥り、業務に支障が出たら意味がありません。この時の気づきが、マネジャーになった時の原体験となりました。

 若い部下に遅刻の常習犯がいました。ある日、クライアントとの商談が長引いたからと、私との1対1のミーティングに事前連絡もなく遅れてきたのです。「上司との打ち合わせに連絡もなく遅刻するなんてあり得えない」。私は厳しく注意したい気持ちでした。しかし、ただ叱りつけては、萎縮させたり、お小言だと思われてしまう可能性もあります。

 そこで私は、意識的に肩の力を抜き、自分の気持ちを8割程度に抑え、「怖く」ではなく「残念」そうに伝えたのです。「あなたが忙しいのはよく知っている。でも、お互い調整して、やっとこの時間を作りだしたんだよね。なのに、私たちはその貴重な1時間を10分もロスしてしまったね」。叱られるとばかり思っていたその部下は、私の態度に驚いたようでした。そしてその後は、遅れるときは連絡を入れてくれるようになり、自分から話しかけてきてくれるようにもなりました。

 またある時期、私には自分より社歴も業界経験も長い、年上の男性部下がいたのですが、「女で年下だからとなめられてはいけない」と、どうしても肩に力が入りがちで、何かと細かな管理をしてしまいました。そのため、最初は業界動向など何かと私に教えてくれていたのに、いつのまにか話しかけないと口を利いてくれず、ミーティングで話す時も顔をそらされてしまうような状態に陥ってしまいました 。

 彼に対しては特に、「気持ちの8割」を意識していたのですが、それでも気負ってしまうため、彼とのコミュニケーションには自分のなかでルールをつくることが必要でした。たとえば、仕事については「やり方はお任せし、結果のみに口を出す」、話す内容は「締め切りと数値目標という客観的なものに絞る」。数字という客観的事実に基づけば、叱る(怖くなる)必要はありません。数字が芳しくない場合は「データを見ると、今月の数値目標厳しそうですね。どうしましょうか?」と聞く。事実を淡々と伝えるだけで、明確かつ十分にポイントを指摘できるので、最初は硬い表情をしていた彼も、少しずつ話を聞いてくれるようになったのです。

 このように、自分の中にある「気負い」と向き合いながら、気持ち8割のコミュニケーションを心がけるうちに、部下にとっては「話しやすい」上司として映ったのか、少しずつ、部下とのコミュニケーション量が増えていきました。

 毎日の仕事をまじめにがんばっている女性こそ、ぜひ一度、ご自分と向き合い、「8割くらいでちょうどいい(それが相手にとっては10割)」に挑戦してみていただければと思います。

(転載終了) ※  ※  ※

 結局のところ、気持ちに余裕があるかどうか、なのだろう。
 もちろん私も曲がりなりにも四半世紀以上働いてきて、しかも最近では治療・日常生活との両立のために、ある程度余力を残しつつ・・・という仕事との向き合い方だから、「気持ちに余裕が・・」などという悠長なことが言えるのだ、ということは重々承知の上だ。

 もちろん若い時は一杯一杯だったし、貧乏性で真面目(?)だったから怖い顔をして人に厳しく(?)仕事をしていたのだろうなあ、と今更のように思う。女だからなめられるとか、負けてはいけないとか、男性以上にしっかりしなくてはとか、という、男性だから、女性だから、ということについては、これまでの職場環境に恵まれていたのか、こちらからは不思議なほど意識したことはなかった。そしてある程度歳を重ねてきてみれば、今は、男性であれ女性であれ、一歩引いて深呼吸してから・・・これこそ一番の仕事との接し方だと思う。それは仕事だけでなく、生きて行く上で、人とのコミュニケーションの上で、何事にも通じる処世術のような気がする。

 ピンチの時こそ、肩の力を抜いて、にっこり笑って深呼吸。もちろんブレない気持ちはしっかりと持ちつつ、駄目なものは駄目、と優しく言えるしなやかさが欲しい、と切に思う。

 いよいよ関東地方も梅雨入り。猛烈な台風も近づいているという。せっかくの休薬週の週末、アクティブに過ごしたいものだが、頭痛にも胸痛にも悩まされませんように・・・。

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2011.5.26 コントロール不能!

2011-05-26 20:31:21 | 日記
 以前にも朝日新聞のネット記事から勝間和代さんの“人生を変える「法則」”を転載させて頂いたことがあった(自信過剰バイアスの話題)が、気づいたら連載が3月末で終了していた。残念だ。

 最近、あることが我が身に起きて、ここで紹介されている法則がとても納得出来る経験をした。自分自身がこうであってはならないという自戒も込めてその最終回を今回転載させて頂く。

 既に2ケ月も経っていることをお断りの上だ。

※  ※  ※(転載開始)

人は他人に支配されようとは思わない――選択理論 (2011年3月28日)

 米国の精神科医、ウィリアム・グラッサーが唱えた「選択理論」は、私たちの行動は、外からの刺激にどう反応するのが最善か、毎回判断することで成り立っているという考え方です。そのため、人間一人ひとりの行動は、他人に無理強いされても変えられないというのです。
 私たちは「上質世界」という、「こんな形で生きたい」と思うイメージをもっていて、そこに近づくよう行動を選択しています。たとえば一緒にいたい人、所有したり経験したりしたいことなどが含まれています。
 私たちは当然、他人からの影響を受けますが、それは配偶者や親友など、上質世界に含まれている人からの影響が大きいという意味です。
 私たちが、誰を自分の上質世界に入れるのかは、さまざまな付き合いの中で決めています。興味深いのは、この上質世界に、いったん誰かを入れても、付き合う間に「あること」をされ続けると、その人を上質世界から追い出すのです。それが配偶者ならば離婚となるし、親友ならば、単なる友人に格下げか絶交することになります。
 その「あること」とは、「相手からコントロールされる」です。具体的には〈1〉批判する〈2〉責める〈3〉罰する〈4〉脅す〈5〉文句を言う〈6〉ガミガミ言う〈7〉目先の褒美で釣る――で、グラッサー博士はこれを、「致命的な七つの習慣」と名付けました。
 では、この習慣に陥らずに相手から信頼されるには、どうすればいいでしょうか。グラッサー博士は、相手に対して〈1〉傾聴する〈2〉支援する〈3〉励ます〈4〉尊敬する〈5〉信頼する〈6〉受容する〈7〉意見の違いを交渉する――を提唱し、これを「身につけたい七つの習慣」と呼んでいます。
 これらの行動原則は、夫婦や友人の関係だけでなく、親子や企業の上司・部下の関係にも当てはまります。
 上質世界というと分かりにくいのですが、要は、相手を無条件に信頼できるかどうかを、私たちは常に相手の言動などから判断しているということです。そして、自分たちをコントロールしようとする人は、なるべく遠ざけようとしているのです。
 「致命的な七つの習慣」を自分の行動から排除することを心がけていきたいと思います。

  (転載終了)※  ※  ※

 本当にそうだ、と膝を打った。無条件に信頼できる相手が複数いてくれたら、これからの人生はどれほど豊かなものになるだろう。
 そして、確かにこの「致命的な七つの習慣」こそ、相手から信頼を失うにあまりある手段だろう。ふと、このうちいったい一日にどれだけ息子に対して実践しているだろう・・・と思うと、もはや消え入りたくなる。コントロール不能は、当然のことなのだ。いくらかつて自分のお腹から出てきた子どもだからといって、全く違う人格なのだから、と改めて反省する。いわんや他人(ひと)様をや、だ。

 なるほど、夫婦は離婚出来るかもしれない。また、友人知人ならばお付き合いを遠ざければよいかもしれない。けれど、親子はさすがに絶縁もしがたい。明日からひとつずつでも排除していくように努めなければ・・・。

 そして「身につけたい七つの習慣」を、日々ひとつずつでも増やしていこう。もし、相手が変わらなければ自分から変わっていければいいのだ、と思う。

 昨日のお天気はどこへやら。今日はまたどんよりと曇り空で、今にも雨が降り出す模様。ここ数日は、週末も含めてはっきりしないお天気のようだ。中国・四国・近畿地方も梅雨入りしたという。関東もまもなく雨のシーズンを迎える。頭痛もちとしては憂鬱な季節である。
コメント (2)
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