ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2018.7.16 三連休最終日 イデアフォー講演会「再発後をよりよく生きるために―どう選ぶ?積極的治療と緩和医療」参加

2018-07-16 21:44:35 | イデアフォー
 今日も暑い。連続の猛暑日だ。天気予報を見ると、最高気温を色で示した日本列島が真っ赤っ赤である。
 明け方早くに目が覚めてしまい、もっとゆっくり寝ているつもりがそのままベッドでうだうだ。BSで朝の連続テレビ小説を視てからノソノソ起きる。

 朝食後は夕食用の一品を作ってから、今日で85歳の誕生日を迎えた母にお祝いとご機嫌伺いの電話。2年前の今日は父の葬儀だった。なんとか元気に一人暮らしを続けてくれて本当に有難い。母曰く、私のあれもこれもと精一杯飛び回っている(そのしわ寄せを食っているのは夫かと思うと、ちょっと申し訳ないこともない)生活ぶりを見ていて、自分も頑張らないと、と思っているそうだ。

 洗濯と掃除。洗濯はまだ気持ち良いが、掃除で身体を動かすと汗が滴ってくる。掃除後はシャワーを浴びてひとまずさっぱり。着替えを済ませ、申し込んでいた患者会・イデアフォーの講演会へ向かった。

 先日HPを拝見すると、新規入会は停止、今回は最後の講演会とあった。ここのところヨガやら合唱やら好きなことばかりにうつつを抜かし、次の薬はおそらくこれ、というものがあるため、患者会の講演会や勉強会等の出席もすっかりご無沙汰していた。

 ご案内を拝見すると、今回の講演会は「再発乳がんに関する薬物療法の最新情報と、緩和医療のこと、知っておくべき医療費補助などを腫瘍内科医・高野利実先生と院内がん相談支援センター専任ソーシャルワーカーの大沢かおり先生のお二人にお話頂きます」とのこと。
 高野先生は、以前新聞に連載されたコラムも欠かさず拝読し、このブログでも何度も取り上げさせて頂いたし、著書も買い求めた。大沢先生には直接お目にかかったことはなかったけれど、Hope Treeの代表として、子どもにいかにがんを伝えるか等の活動に関する記事を興味深く拝見していた。お二人の講演が同時に聴ける、これは合唱の練習に行っている場合ではないかも、と迷わず申し込みをした。

 「再発患者がよりよい生活を続けていくためには何をどう、どのタイミングで選択するかがとても重要になりますが、決めるのはとても難しい事です。そんな時にどう考えるのがよいか、この講演でヒントを得て頂ければ、と願って開催するイデアフォー最後の講演会です」という触れ込みだ。

 私鉄と地下鉄を乗り継ぎ、都心のうだるようなアスファルトの大通りを歩いて、ファストフードで軽く昼食を摂り、受付時間より5分ほど前に会場に到着した。

 すんなり受付をして頂き、まだ殆ど席も埋まっていなかったので、とても良い前方の席を確保。資料を見ると、お願いとして「本日の講演会に参加された方が、ご自身の判断で、講演内容をメール・ブログ・ホームページ・SNS等の手段で、公開したり、他の方に伝えることはご遠慮ください」とあった。そのため、講演内容については周知のチラシ以上の情報はここでは触れないが、講師お二人の講演に加え、講師お二人に対する質問コーナーもたっぷり取った充実の3時間。非会員であるのに一般参加させて頂き、有意義で学び多い時間を過ごすことが出来て、本当に良かったと有難く思った。

 早いもので、もう4年近く前のことになるが、私が所属する患者会を通じてイデアフォー世話人のNさんからご依頼があり、会報であるイデアフォー通信に「再発しても今まで通り生きるために」という原稿を書かせて頂いたことがある。それ以降、Nさんとお目にかかる機会も殆どなく、これが最後の講演会という寂しいことになってしまった。それでも直接ご挨拶して、労いの言葉をおかけすることが出来てほっとした。

 イデアフォーは代表がおらず、世話人会の合議制で運営されているユニークな団体だ。1989年の設立以来、来年で設立30年になるが、一定の役割を果たし終えたことや、マンパワーや資金の不足等から、ここ数年会員たちと相談を重ね、来月末を持って会を閉じることにされたという。今はSNSも盛んだし、かつてに比べて患者を取り巻く状況が大きく変わっている。様々な患者会があるが、代表がいても世代交代がなかなか難しいのが現状だ。会員と合議し、こうした大きな判断をされたということは、とても潔いと感じた。

 すっかり満足して心地よい疲れの中、再び熱風と西日の中、帰路を急いだ。
 私鉄駅からは滑り込みで1時間に1本のライナーに乗ることが出来て、頂いた資料を読みながらゆったりと帰ることが出来た。到着した最寄り駅では、淡いオレンジが加わった水色の空がとても美しかった。

 こうしてあれやこれやと充実した三連休が終わった。
 明日からまた新しい1週間が始まる。通院週でもあり、翌木曜日からは、問題の好中球が復活していればゼローダ10クール再開予定である。
 相変わらず猛暑の週のようだが、食事をきちんと睡眠もたっぷり取って夏バテしないように乗り切りたい。


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2014.10.10 再発してもこれまで通り生きるために~イデアフォー通信第92号より~その5

2014-10-10 20:11:44 | イデアフォー
 4回にわたって連載してきたイデアフォー通信第92号からの記事も、いよいよ今回で最終回である。私の今の素直な思いをまとめてみた。

※   ※   ※(転載開始)

Ⅳ 社会に対して私が望むこと
 繰り返しになりますが、今や初発で治療専念のため、と仕事を辞する方はいないと思いますが、再発した後も治療は長期間続くのです。そして当然のことながら、生きている限り治療には半端でないお金がかかります。たとえ一時払いのがん保険が支払われても、それはあっという間に底がつきます。特に再発進行乳がんの予後は年単位です。
 例えば、乳がんの転移場所として一番多いといわれる骨転移が発覚したとします。ああ、もう全身転移なのだ、治らないのだ、と大きなショックを受けることは間違いないでしょう。けれど、痛み等の自覚症状が出ていなければ、ゾメタやランマークの治療を続けることで、おそらく殆ど今まで通りの生活を続けることが可能です。痛みさえうまくコントロールすることが出来れば、今まで通りの生活をし、寿命まで生きることも夢ではないわけです。だからこそ、仕事を軽々しく辞めてはいけないと思います。
 もちろん部位によっては歩行困難になる可能性もあります。万一そうなった場合には、QOLがどれほど下がるかわかりません。けれど放射線治療も可能です。厳しい現実ではありますが、誤解を恐れずに言えば、骨転移の場合、転移があったからといって即、命にかかわることになるわけでもないのです。

 今や2人に一人ががんになる時代です。がんになったからといって2人に1人の人がいちいち仕事を辞めていたら、社会は一体どれほどの人材を無駄にすることかと案じます。特に、少子高齢化で働く人たちがただでさえ少なくなっている昨今です。社会全体が立ち行かなくなってからでは遅いのです。
 がんになることは、決して他人事ではありません。2人に1人がかかるのですから、自分がならなくとも身近な家族が罹患することも十分ありえます。だからこそ、受け入れ側も明日は我が身のこととしてきちんと(再発)患者を雇用するように体制を整えて頂きたいと思います。意識改革には時間がかかるかもしれませんが、そうした社会全体の共通認識が絶対に必要な段階に来ていると考えます。

Ⅴ 患者会について私が思うこと
 最後になりましたが、私が患者会に入った理由を少しだけ。
 休職明け、まだタキソテールのいろいろな副作用が出ている中、これからどうやったら出来るだけ長い時間、再発治療と仕事、自分の生活を続けていくことが出来るのだろうか、と改めて考えました。
 その時、ふと手に取ったがんサポート雑誌に出ていた記事がきっかけでした。再発後、長生きしている人は皆、患者会をうまく利用している、ということが書いてあったのです。
 タキソテールの治療のために休職する迄は一度も患者会に入会しようとは思いませんでした。初発時、やれる治療は全てやったわけだし、これからはあまり病気に振り回されずに、一日も早く今までの生活に戻りたいと思っていましたので。が、再発し初めての抗がん剤の辛い治療を終えて、家族が支えてくれるとはいっても、やはり同じ病気で同じ経験をしているわけではありません。一人だけで次々と出現する副作用等に対峙しながら心穏やかにやり過ごすには正直、しんどかったのです。これから細く長くしぶとくこの病気と共存していくためには、やはりライフステージが近く、同じ病を得て同じような治療を続けている仲間がどうしても欲しい、と思いました。
 おかげさまで、今は患者会で知り合い、定期的にお会いして本音のお喋りが出来る大切な患者仲間がいます。そして患者会に背中を押されて書き始めたブログを通じて知り逢った仲間も数多くいます。一人ではない、と実感できることは、治療を続けていくうえでとても心強いことです。

Ⅵ おわりに
 再発治療を始めるに当たり、完全に治癒はしない、ということをまず受け容れる必要がありました。そうであるならば、目的は少しでも長く今のQOLを落とさずに延命していくこと、病と共存していくことでしょう。ですから、キツすぎる治療で身体を痛めつけ、寝たきりで何も出来ない日が続くことは本末転倒であり、とてもやりきれない、続けられないと強く思いました。
 今の主治医には自分がどうありたいかを常に伝えつつ、自分が納得いく治療を続けさせて頂いていることをとても満足しています。長い治療です。とにかく自分が納得して前に進まないことには始まりません。

 初発時に小学校3年生だった一人息子の中学受験の真っ最中に再発が判り、セカンドオピニオンに奔走していたことは、今でも思い出すと胸が痛みます。が、その彼もこの4月に大学に入学し、家を巣立ちました。
 再発が判った時、無治療では年単位の余命は望めないだろうが、治療をすれば数年単位、と言われました。その時、漠然とあと5年くらいの命だろうか、高校卒業式に出席することが出来るだろうか、と思ったこともありました。
 が、日々を積み重ね、振り返ればなんとかここまで命を繋いで頑張ってくることが出来ました。

 これからも希望は決して捨てずに、細く長くしぶとく、私らしく私なりに頑張りすぎずに頑張っていきたいと思います。
 最後までお読み頂き、どうもありがとうございました。
 皆さまがご自分らしく、納得して病と共存されていけますことを心からお祈りいたします。

(転載終了)※    ※    ※

 夕方からのイベントを無事終えて、明日から三連休。定時に職場を出たところで外はすっかり暗い季節になった。息子が家を巣立ったことで、帰宅したら一刻も早く夕飯を作らなくては、という強迫観念のような焦燥感が大分軽減したのは有難いことだ。

 さてここ数日、口内炎が出来てしまって食事が摂りにくい。夫が宴会ということをいいことに、適当な夕食を済ませる。口の中は実にデリケートで、小さな口内炎が一つ出来てもこれだけ気になるのだから、副作用で複数の口内炎が次から次へと出来てしまうと、本当に大変。そうした副作用に悩まされながら治療を続けている方たちが少しでも軽減することを祈りたい。
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2014.10.8再発してもこれまで通り生きるために~イデアフォー通信第92号より~その4

2014-10-08 22:01:14 | イデアフォー
 前回に引き続き、イデアフォー通信第92号より、4回目の転載記事。今回は、再発治療を6年半余り続けている私が、日々を送る上で“極意”だと思っていることを3つほどご紹介する。

※    ※    ※(転載開始)

Ⅲ 再発治療を続けていくための極意―私の場合―
 私が再発治療を続ける上での、基本的な姿勢-出来るだけ長く仕事を続けられるように納得のいく治療方法を選択する、これまでと同じ生活を続けていくために私を支えてくれる周囲への感謝の気持ちを忘れない-等について述べたところで、これまでの闘病生活において得られた、~私にとって心穏やかに、そして潔く再発治療を続けていくための極意~をいくつか書きたいと思います。

(1)なってから(事態が起こってから)考える
 初発の方たちが、再発するかもしれない、再発したらどうしようなどと延々と不安な気持ちを引きずり続け、自分を縛って後ろ向きになってしまうのは絶対にナンセンスであり、時間の無駄以外の何物でもありません。
 万一再発したとしても、再発が確定して治療方針が決まるまでは、再発治療は始まりません。それまでは辛いエンドレスの再発治療を受ける必要はないのです。初発後、やるべき治療を終えて一段落したのなら、再発するかもしれない等と余り考えることなく、ごくごく普通の毎日を精一杯愉しむべきです。
 もちろん、他でもない自分の身体に関わることですから、治療について最低限勉強することは必要ですが、あまり過度に必要以上の情報を得過ぎるのはいかがなものでしょうか。
 再発患者の行く末が気になるかもしれませんが、後学の為になるのかどうか、再発しないうちから耳年増になり過ぎるのも、これまた時間の無駄なように思います。それこそ、そういう日々の送り方は、他でもない自分の生活の主導権を病気に乗っ取られたものではないかと感じます。
 当然のことながら、再発するかもしれないということと、実際再発するということは全く別物なのです。かもしれない・・・と先回りして考えたところで、実際に再発した後、本当の意味での助けにはなるとは思えません。なってから(事態が起こってから)考える、で十分間に合います。それは、再発してから新たな転移等の病状の進行と対峙するときも同じです。

(2)支え合っても比べない
 患者が100人いれば、辿る経過は百人百様です。再発患者といっても、例えば骨転移のみであれば直接命を脅かされないケースですし、抗がん剤の力を借りることなく脱毛することもなく、ゾメタやホルモン治療だけで、数年から10年近く穏やかに暮らしている患者さんも沢山おられます。
 ですから、他の患者さんと自分を比べて一喜一憂することはナンセンスです。こういう方もいるのだ、と参考事例として客観的に線引き出来るならば、患者仲間はとても大切な存在です。が、それを自分と比べてどうか、自分はこんなに大変なのにあの人は何故・・・と思ってしまうのなら、それは幸せなことではないように思います。
 あくまでも治療をしながらお互いに一人ではない、と支え合うことが目的です。自分と仲間を比べて心穏やかでいられなくなるのなら、それは辛いことです。せっかくの仲間との関係を無駄にしないようにして頂きたいと思います。

(3)ネット依存は危険
 PCの前に座ってちょっと検索すれば、それこそ玉石混交の情報がいくらでもヒットする現在。どのサイトが信頼のおけるものか勘が働くくらいまで勉強をしないうちに、いろいろな偏った情報に振り回されて不安が不安を呼び・・・というのは、これまた時間の無駄です。適当なところでネットからは一線おいて頂くのが賢明ではないかと思います。

(転載終了)※    ※    ※

(次回で最終回です。)

 今日は残業。帰り道には3年ぶりの天体ショー(皆既月食)が真っ最中という筈だったが、残念ながら厚い雲に覆われて見ることが出来ずじまい。
 明日は、午前中の会議出席のため都心まで直行する。後期がスタートし、いよいよ様々な行事も立て込んできている。
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2014.10.6 再発してもこれまで通り生きるために~イデアフォー通信第92号より~その3

2014-10-06 21:19:34 | イデアフォー
 引き続き、イデアフォー通信第92号より、3回目。今日の転載記事は、就業トピックについての後半である。

※   ※   ※(転載開始)

(3)私にとっての就業継続メリット
 これは病気になってからに限ったことではありませんが、家庭以外にも自分の机がある(自分の居場所がある)ことの幸せを有難く思っています。○○さんの奥さん、○○君のお母さんではなく、一人の社会人として○○さんと呼んでもらえる自分の存在(アイデンティティ)の大切さを強く感じます。がん患者であっても、そうした社会でのあり方を諦めて、早々に隠居する必要は全くないと思います。自分が、家族はもとより社会に必要とされている存在であるということ、社会と繋がっているという幸せを実感できることは、私にとって代え難いものです。
 そして、治療や体調の不良で落ち込んだ時にも、仕事があれば家で引き籠ってネットサーフィンをしつつ不安になっていくという、負のスパイラルに陥ることがありません。仕事は、前向きに治療を続けていくうえでの気分転換に寄与することが大きいわけです。
 仕事に出るとなれば、身だしなみにも気を抜けないでしょう。
 命が助かればいいじゃないか、外見は多少悪くなっても我慢しろ、という時代は終わりました。明るいがん患者であり続けるために、外見はとても大事なことだと考えます。いくつになっても女性ですから、お洒落することで気持ちも明るく前向きになります。脱毛(髪の毛だけでなく眉毛やまつ毛も全て欠損することにより、容貌は哀しいほど変わります。)や爪の落下、浮腫み等による容姿の衰えは、ある程度覚悟しているとはいえ、想像以上に落ち込むものです。けれど、仕事に出るとなれば、きちんと鏡を見て、その姿を受け容れ、いかに今までに近づけるかという努力もしなければなりません。
 私自身はもともとズボラなので、家にいたらかなりだらしなく、身なりも構わずに過ごしそうだという懸念があります。そうなってしまえば、気持ちもテンションも下がるのが目に見えています。この状況はエンドレスの治療を続けていく上で決してプラスではないと感じます。 

(4)就業継続のためのポイント
 治療を続けながら就業継続することのポイントとして私が思うことは、職場の理解、制度、そして家族や友人たちに支えられている事に対していつも感謝の気持ちを忘れないということです。出来ればその都度その都度、声に出して「ありがとう」を言って過ごしたいと思っています。
 再発後の治療が目指すところは、完治ではありません。延命治療といってしまうと、ちょっと言葉が強すぎるように思いますが、要は少しでも長く今の生活(QOL)を継続出来るようにすることです。
 そのため、私は常に自分の軟弱な体と相談しながら、副作用の為に入院を余儀なくされるようなキツい治療を延々と続けることなく、だましだまし、よく言えばメリハリを付けながらやってきています。なぜならば、出来るだけ長く今まで通り働き続けることが、今の私にとって一番の目標だからです。治療の副作用の為に、入院したり、寝込んだりすることが多ければ、それはQOLを保っている治療とはいえません。
 このことについては、6年半余のお付き合いになる今の主治医が理解してくださっていることにとても感謝しています。これまで数種類の抗がん剤治療を経験してきましたが、私の身体にとっては全てにおいて規定量だと多すぎるようです。ありとあらゆる副作用が出現し、1クール目で体が悲鳴をあげてすぐに緊急入院になってしまいます。これまでの経験では、規定量の8割以下で充分効き目があり、今内服中のタイケルブはゼローダとの併用もなく単剤4割で奏功している模様です。そうはいうものの、やはり実際試してみなければどのくらいの副作用が出るものかわからないですから、初回は規定量から始めるしかないのですが・・・。
 こうした状況で、細く長くしぶとく(これが私の人生~仕事も趣味も含め~においてのモットーです。)治療を続けていくために、そして、気持ちを前向きにキープするために、私にとって仕事は不可欠な存在です。もちろん綺麗事ではなく、高額な治療費が、生きている限りエンドレスにかかるのです。霞を食べて生きていけるわけではありません。経済面でも仕事は不可欠だと思っています。新薬は多額の開発費がかかっているため、どれも目が飛び出るほど高額です。が、せっかく効くとわかっている薬が使える環境になった時、金の切れ目が治療の切れ目、ひいては命の切れ目になるのではあまりに悔しいではありませんか。

(5)再発後の過ごし方
 残念ながら、今もなお“再発した=即・死が待っている”というのが社会の一般的な認識のようですが、それは全くの誤解です。冷静に考えて頂ければ、今日普通に仕事をしていた人が、再発が判明した翌日から治療以外何も出来なくなる、死の床に就く、などということはあまりに荒唐無稽な話です。実際には年単位、長丁場の治療が待っているのです。
 そして、今やかつてのように入院治療をすることは殆どなく、外来通院治療をしながら仕事継続が十分可能な時代になっています。初発で職を辞し、治療専念という方はそう多くはいらっしゃらないでしょうが、再発したからといって退職することなど、今や全くの早計だと思います。一旦辞めてしまうと、よほどの資格や特技等がない限り、これまで以上、はおろかこれまでと同等の条件で再就職することは厳しいと思います。ですから、どうかしぶとくしがみついて、利用出来る制度は全て利用してでも、治療を続けて頂きたいと思います。
 繰り返しますが、次々に新しい薬が使えるようになっているのです。完治が難しいとはいえ、まだまだ手を替え品を替え、大切に薬を使っていけば長期間凌げるわけです。ですから、希望は決して捨てないでいたいと思います。
 もちろん無理は禁物ですから、残業は極力避け限られた勤務時間の中で集中して仕事を片付けることが大切です。そうすれば、家事も趣味も十分に行えると思います。

 現に私は、再発してからの方が、日々の時間を大切に有意義に使えているのではないかと自負しています。私なりに今、与えられた時間を穏やかに丁寧に送れるよう努力しているつもりです。身体と相談しながらやりたいことは後回しにしない、逢いたい人には少し無理をしても逢っておく、全てにおいて後悔しないように努めて過ごしています。

(6)日常生活について
 私の、仕事、読書、映画、ヨガ、合唱時々家事(笑)に勤しむ欲張りな毎日は、私が入会している患者会(あけぼの会)のHPに連載していた“再発患者の治療日記”から端を発したブログ「ロッキングチェアに揺られて」(http://blog.goo.ne.jp/in-a-rockingchair)において、ほぼ毎日、発信を続けています。この10月で開設から5年を迎え、記事の数は1,500を超えています。
 もしご興味がありましたら、是非一度ご訪問ください。
 再発患者がいきなり死の床につき、これまでのような普通の生活を送ることは出来なくなる、病人生活を送らざるを得なくなるということが全くの誤解であるということがお分かり頂けるのではないかと思います。
 一人でも多くの再発患者の方が、踏みとどまって就労を続けて頂きたいと思います。再発治療中であっても条件さえ整えば、十分普通に働くことが出来るのだ、ということを一人でも多くの方に分かって頂けるよう、社会の意識改革の一助になるよう、これからも細く長くしぶとく働き続けていきたいと思います。

(転載終了)※   ※   ※

(次回に続きます。)

 今日は台風18号が東京を直撃した影響で、出勤時は暴風雨。勤務する大学では結局1日休講になった。夫は早目に家を出たけれど、到着はいつもより1時間遅れ。2時間半以上かかって流石にぐったりだったようだ。私も午前中別々の建物で2つの会議。台風の影響で開始時間が遅れ、事務室を出たり入ったり、コートを脱いだり着たりと落ち着かず、ぐったり。
 が、昼過ぎには朝の荒天はどこへやら、台風一過の青空になり、汗ばむほどになった。朝はお助けマンだったレインコートもレインブーツも雨傘も、帰途にはすっかりお荷物になってしまった。とはいえ、美しい夕焼け空ともうすぐ満月の綺麗なお月様も拝むことが出来た。
 終わりよければ全て良し、の1週間の始まりである。


 
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2014.10.4 再発してもこれまで通り生きるために~イデアフォー通信第92号より~その2

2014-10-04 20:40:20 | イデアフォー
 前回に引き続き、イデアフォー通信第92号からの転載、2回目。常に思っていることであるが、働くことについて、私なりの考えを述べたもの(前半)である。

※   ※   ※(転載開始)

Ⅱ 就業継続と再発治療―私の場合―
(1)私の職歴
 1985年4月、大学卒業後に東京都事務職員として採用されて以来、現在までフルタイム勤務を継続中です。
 今年度末で勤続30年を迎えます。その間、1カ月以上の長期休暇取得は勤続11年目の産休16週間、勤続20年直前の初発時に手術・放射線治療で70日、術後2年弱でノルバデックス副作用による卵巣嚢腫摘出開腹手術で35日間の病気休暇。さらに、再発後タキソテール治療中に6カ月の病気休職、合計4回です。
 休職明けから現在に至るまで、概ね週1回から月1回の通院治療を、1日単位の病気休暇取得により継続しています。治療薬変更時には、体調不良による緊急入院等も何度か経験しましたが、こと休職明けから直近の5年余りに限って言えば、2012年秋、EC初回投与後の好中球減少症により1週間緊急入院した以外は、連続休暇の取得はありません。

(2)私が考える“就業ということ”
 そもそも、私の就労に対する考え方は、公務員を選んだという選択からもお判り頂けるかと思いますが、“細く長く”・“(女性も)働くことは当たり前”です。大学卒業後、男性と同様の条件で定年まで働き続けるつもりで公務員試験を受験しました。そのため、初発後も、さらに再発後も退職しようとは全く思いませんでした。
 おかげさまで病気休暇、病気休職という制度も整っておりましたし、病気を理由として職場から退職について言及されたことはありません。実際には、一度休職してしまうと、休職明け1年以内には同じ病気による病気休暇を取得することが出来ない=完治する病が前提で、精神疾患等による繰り返し休職をさせない制度でしたので、休職明けの1年間は、何があっても有給休暇や休日出勤の代休で凌がざるを得ず、常に休暇の残日数を数えながらヒヤヒヤの綱渡りという苦労があったのは事実です。けれど、“働きたい”という意欲と、実際に職務をこなす能力さえあれば、就業継続は十分可能であるのです。
 もちろん、再発治療には山あり谷ありですから、365日いつも健康な人と同様に、というわけにはいきません。抗がん剤投与後の数日、なんとか出勤はするものの、どうしても具合が悪く無理の出来ない時はあります。が、どういうタイミングでどういう副作用が出るのかが掴めてくれば、自分でコントロールできる出張等は調整する、会議にぶつかりそうな時は治療日を1日前後させる、などして乗り切ることも可能です。
 健康な方であっても、インフルエンザなどで数日休むことはあり得ます。がん治療を始めるまで長く勤めてきたわけですから、それ迄の知識や経験を武器に、職場の理解を得ながら工夫して仕事を続けられるのです。
 最近では、病院でも告知の時に、すぐに仕事を辞めたりしないように、と釘をさすようですが、私が特に強調したいことは、今、就労中の方は初発、再発に限らずどうか簡単に離職しないで、ということです。なぜなら、一旦仕事を辞めてしまうと、この病気を抱えて新しく就職活動をするのはやはりハードルが高いと思うからです。もちろん、中には採用面接時に病気をカミングアウトし、その条件できちんと再就職する方もおられるとはいえ、やはり社会の“がん”という病気に対する意識~死に直結する病、治療による副作用はとても大変、フルタイムでの就業なんぞはもってのほか!?~を思うと、まだまだ少数派ではないかと思います。
 やむなく病気のことを隠したまま就職した場合、治療の折りに休暇を取りづらいということになるでしょう。それでは、自分で自分の首を絞めることになります。
 長期間付き合っていかなければならない病を得たということで、ただでさえダメージを受けているわけです。心も身体も傷つき、経済的にも高額な治療費がかかる中で、社会との接点である職業まで奪われてしまうのでは、まさに踏んだり蹴ったりです。決して何か悪いことをしているわけでもないのに、あたかもこの病気になったのは自分が悪いように病気であることを隠したまま、黙って職場を去っていくしかないとしたら、それは、あまりに悲しすぎます。
 必要以上に職場から身を隠すからこそ、再発=普通の生活は続けられない、死の床についてしまう、という暗いイメージを助長させているのではないでしょうか。実際には長期間これまで通りのごく普通の暮らしを続けながら定期的に治療に通う、ということなのです。もちろん自分ががん患者である、ということを周囲に必要以上に吹聴する必要はないと思います(別に特別扱いをしてもらうためではないのです。逆に特別扱いは不要ですし、逆に徒に特別扱いしてもらうことは嬉しいことではありません。が、良きにつけ悪しきにつけ、何かあった時にがんの治療中である、ということを知っておいてもらうことが必要なのだということです。)が、私は職場の方に病気について訊かれれば正直に答えています。隠す必要は全くないと思っています。何も悪いことをしていないのですから。
 それでも、そう話したことで引かれてしまうという経験があったのも事実です。実際、一緒に仕事をする部下たちには病気のことを話し、体調が悪い日もある、ということを理解しておいてもらいたい、と申し出たところ、上司から部下が動揺するようなことは言わずにいるように、と指示されたこともあります。明日にも死んでしまうわけではないのに・・・。
 けれど、それを嫌がっていたら決して世の中は変わらない。“がん”は自分にも、自分の家族にも全く関係ないことではない、ということを、より多くの方たちに知ってほしいと思うのです。

(転載終了)※   ※   ※

(次回以降に続きます。)
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