ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.6.30 ハーセプチン99回目、ゾメタ38回目

2010-06-30 21:03:14 | 治療日記
 今日で6月も終わり。早いもので今年も折り返し地点だ。
 朝、最寄り駅では人身事故のためダイヤがかなり乱れていたけれど、なんとかいつもどおりの時間に病院に滑り込めた。それでも今日は待合室がとても混雑しており、先生にお会いできるまで1時間半ほど待った。
 診察室に入ると、研修生がお二人同席していた。昨日も書いたとおり、かなり食欲が出てきていることをご報告。胸の圧痛、鈍痛については変わりなく、手のこわばりは心なしか良くなっているようだ、とお話した。次回は七夕。月初めの採血を予約。レントゲンは薬を変えて1ヶ月程度してからの方が良い、ということで7月半ばに撮ることになった。
 ヒスロンHは前回2週間分だったが、今回は30日分処方して頂いた。

 処置室に移動したが、満席ということで30分ほど廊下で待つ。終了時間を考えてお昼は院内の売店で買ってきて席で食べることにした。血圧測定後、針を刺して薬が届き、お昼前に点滴開始。今日はゾメタも含めて4本が無事終了した。

 今日は3冊読めた。
 1冊目は柴田よしきさんの『やってられない月曜日』(新潮文庫)。「働く女性のリアルな日常とホンネがここにあります。」との帯で手に取った。初めて彼女の本を読んだが、実にテンポ良く、主人公たちの生き方がポジティブで元気が出る本だった。今度は姉妹編『ワーキングガール・ウオーズ』も読んでみようと思う。
 2冊目は松崎一葉さんの『会社で心を病むということ』(新潮文庫)。こちらは「“うつ”は必ず克服できる。うつ病100万人時代へ送るあなたと会社への処方箋」という帯。メンタルヘルスは他人事ではないので、とても興味深く読んだ。社員を大切にしない企業はいずれ淘汰されてしまうだろう、と筆者が言うとおり「人」を大事にしない組織が栄えるわけはない、と日々実感する。いまどきの親の育て方に問題の淵源があるという現代型のうつ病にも根が深いものを感じる。
 3冊目は小川洋子さんの『夜明けの縁をさ迷う人々』(角川文庫)。「世界の片隅で人知れず息づく、奇天烈で愛すべき面々、珠玉のナイン・ストーリーズ」とあったが、どの話も彼女の独特のそこはかとない恐怖の世界に惹きこまれた。そして村田喜代子さんの解説にあった村野四郎さんの『体操詩集』の「棒高飛び」を私も思い出した。

 雨が降るかと覚悟して行ったけれど、往復とも日傘を差していられた。会計後、薬局に寄ったが、ヒスロンが在庫不足だということで、とりあえずあるだけ頂き、来週不足分を受け取ることになった。

 それにしても怖いくらいの空腹感だ。30年以上前の高校時代を彷彿とさせる感じ。何かうまくやり過ごす対策を考えておかないといけないかも、と思っている。
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2010.6.29 暴走する食欲

2010-06-29 20:46:51 | 日記
 新しいホルモン治療薬であるヒスロンHを飲み始めて10日あまり。先週の通院日には「おかげさまで特にまだ変わったこと(副作用)はありません。」とお答えしていた。先生に「まあこれからでしょう。」と言われたのは先日書いたとおりだが、看護師さんのお話だと、飲み始めてすぐに下痢等の症状が出ることもある、とのことだった。

 体内脂肪の蓄積につながると、病気にとってはありがたくない副作用である「食欲増進」だが、やはり徐々に食欲が出てきている。勤務時間中に常時お菓子をつまむ、という習慣はあまりない。書類やマウスが汚れたりべたついたりするのが嫌なので。それなのになんとなく口寂しい感じがある。間食はしないほうだったのに、これはちょっと危険な兆候かもしれない。

 きちんと夕食をとったのに夜中に空腹で胃が痛くなる・・・などという経験を初めてした。まあ、その欲求に素直に従って夜中に起き出して何か食べ始めたら、当然胃に負担がかかるだろうし、ろくに消化もしないまま翌朝最悪な体調になるのは目に見えているから、じっと我慢だけれど。満腹中枢がイカレてしまったのか、とちょっと不安である。

 半月前、風邪のため1日殆ど食欲がなくて1キロ半体重が落ちたと思ったら、すぐそれを盛り返してさらに今1キロ弱増えている。ただ、体重そのものは増えていても、体脂肪率は下がって代謝が上がっているようなので体年齢は2歳ほど若返っている。実年齢より20歳近く若く表示されているのだから、我が家の体脂肪計・カラダスキャンをどこまで信じていいのかよくわからないけれど・・・。

 ところで、母や母の姉は2人とも140cm台、30kg台で自動ドアに載っても感知されないほどのチビ痩せだが、反対に義母やその妹たちは皆とてもふくよかでがっちりしている。骨格のつくりが違うのだろうと思う。「水を飲んでも空気を吸っても太る。」と言っていたけれど、そんなことはあろうはずがない、と思う。観察していると、やはり間食が多いのだ。食べたらその分動けばいいのだろうが、一日家にいて10時と3時にきちんとお茶飲みをしていれば、それは間違いなく太るだろう。

 我が家では最近まで日々に追われて、夕食後にお茶とお菓子をとるような時間の余裕がなかったから、義母は遊びに来ると「この家には本当に何も(おやつが)ないから(持参してきた)・・・」と言っていた。日中は誰も家にいないから、10時と3時のおやつは要らないし、夜も食べる時間がないから、買っても、頂いても、結局賞味期限を過ぎて無駄にしてしまうのが関の山だからである。食事をして片づけて終わると、もうゆっくりお茶飲みをしている時間などなく、すぐに入浴・就寝の時間になる。

 それでも最近では、夫も私もかつてに比べて残業も休日出勤も減っているから、前よりはお菓子類が充実している。そのため夫は着実に体重が増加して、ウエストまわりが立派になっているのは前にも書いたとおり。
 一方、息子はそもそも間食をしない子だった。おやつを用意しておいても殆ど手をつけなかったし、自分で冷蔵庫や戸棚からおやつを探し出して食べる、ということは一切しなかった。ミルクタンクかと思うほど牛乳が大好きなので、1日優に1リットル以上飲んでいるのだが、最近ではやはりお腹もすくようである。

 ここのところ、職場の冷房のためか、足の冷え、むくみ、だるさが酷い。ひざかけは必携だ。去年の今頃はタキソテールの副作用のむくみがまだしっかり残っていたので、日中の着圧ストッキングと夜用のトレンカ状の着圧タイツが手放せなかったけれど、その頃は、今もお世話になろうとは予想もしていなかった。とにかく足がだるくて、枕をおいて高くして横になっても重さがとれない。

 夫もそうだ、という。クールビズでノーネクタイノージャケットなのだから執務室の設定温度が高めになっているはずなのに、建物が古いのか冷房の効きがとてもよいそうで、私がうつしたらしい風邪もなかなか良くならない様子。私も治るまでに2週間たっぷりかかったが、やはり夏風邪は長引くものらしい。

 体を冷やさないように、そしてくれぐれも食べ過ぎないように、この夏を無事に乗り切りたいと思う。
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2010.6.28 アクセス・ランキング

2010-06-28 21:39:54 | 日記
 今月は気づくとほぼ毎日のように更新してきた。
 始めた頃は、それほど書くこともないだろうし、毎週の治療日記に加え、読書や映画等、心に残ったことを書き留めておければ・・・くらいに考えていた。あまり負担になっては長続きしないし、と。しかし、始めてみたら自分でも驚くほどあとからあとから書くことが出てきて、今やすっかり生活の一部になっている。

 それにつれてこのブログを訪問してくださる方々が確実に増えている。既に日々訪問してくださる方の数は私が年賀状等でおつきあいをしている人数の優に倍を超えているので、こちらは全く存じ上げない方も何かのご縁でご覧くださっているのだろう、と思う。

 私はこのブログについては、あまり凝らずに細く長く続けることが目標と考えているので、ごくごく基本的な機能しか使っていない。写真を貼り付けているわけでもなく、他にリンクを貼っているわけでもなく、ただひたすら地味に文章を打ち込んでいるだけなのだが、編集画面を見ると、実にさまざまな機能がある。

 基本機能にアクセス・ランキングという項目があって、毎朝、前日に何人の方が訪問し、また、何ページ閲覧したかが数値でわかるようになっている。過去1週間が日別に表示された後、過去3週間分の週別の表示になり、集計されていく。そしてブログ開設日からその日までのトータル訪問者数、閲覧数が日々更新されている。付加機能を依頼すれば、どこからのアクセスで何時から何時の時間帯に何人が何ページ閲覧ということまでわかり、前日比較等のグラフ化もしてくれるようだ。

 この会社が運営しているブログだけで現在140万以上が登録されているようであり、驚くことに日々400から600くらいずつ増えている。去年始めた頃、8ヶ月ほど前には確か130万にも達していなかったと記憶している。
 ここでアクセス数の多いブログ上位1万件についてランキングが示される。
 もちろんランキング入りするためにブログを書いているわけではないが、これだけの方が見てくださっている、ということが書き手にとって励みになることは確かだろう。

 先日、あけぼの会で知り合ったHさんからメールを頂いた。Hさんのお友達も私のブログを見てくださっているそうで、「励まされ時には泣いてしまうこともあるそうです。」とあった。
 なんとも照れ臭い限りであるが、私のブログがたとえ一人の方でも励ますことができるなら、このブログを始めて本当に良かったと思うし、今後、私がこのブログを続けていく上でこんなに励まされ、嬉しいことはない。

 単純な私は、また、細く長く更新し続けるために頑張ろう、と思う。今までの趣味「読書、旅行」に加えて「ブログ」とでもしておこうか、という心境である。



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2010.6.27 免許更新

2010-06-27 12:17:10 | 日記
 気がつけばあっという間に5年が経ち、免許更新通知がきた。
 前回の更新はちょうど初発の病み上がりで、ようやく普通の生活が始まった頃だったけれど、写真を見るとやはりどうにもこうにも冴えない顔つきをしている。
 ホルモン剤は抗がん剤と違ってマイルドだから、と言われていたけれど、私にとってはノルバデックスの副作用はそれなりにあり、3年近くの間、吐き気、だるさ、気分の落ち込みなどからはずっと解放されなかった。

 今回は再発から2年半近く経って、いまだにカツラのお世話になっているし、睫毛も眉毛も相変わらず生え揃わず、ぽわーんとしているから、これまたその写真で5年間過ごすのかなあ、という感じ。いや、それより次回(5年後)も無事更新できるのだろうか、というのが正直なところ。これをポロッと言ったら「そう言わずに次回も次々回も更新してくれよ・・・」と夫は言った。

 結婚以来運転をしていないので(車もないので)、今ではすっかりペーパードライバー。と同時に当然ゴールド免許証所持者である。乗らなかったら事故や違反を起こすはずがない。免許証は何に使っているかと言えば、まさしく身分証明書替わり。これがあれば本当に便利。夫は免許を持っていないので、写真付きの公的な身分証明書がないことで不便なことが結構多いようだ。

 私は大学時代に殆ど親の脛をかじって免許をとったのだから、せめてこのくらいのご利益がないと、親に対してなんとも申し訳ない。実家の両親は結構長いこと、「なんで乗らないのか、せっかくとったのに・・・」と言っていた。父は80歳を超え、もみじマークをつけてもさすがに危うい運転になってきたので、私は早く返上して欲しい、と切に思っているのだが、なかなか手放したくない様子。娘の手前、我が家までは車で来なくなったが、自宅周りでは相変わらず乗っているらしい。私が運転すれば、孫である息子にももっと頻繁に会えるし、何かと便利なのに・・・ということのようだ。(実家までは車なら直線距離で20分もかからずに来られるのだが、これが電車とバスを乗り継いで、というと1時間はゆうにかかる。父母とも半世紀近く車生活をしてきたので、1時間以上も電車とバスを乗り継いで、という移動はとてもしんどいらしい。)

 息子が小さかった頃、やれ夜の病院だ、やれ雨降りの保育園送迎だ、やれ買出しの大荷物だ、と本当に車があったら・・・と思った時期は確かにあったけれど、あっという間に過ぎてしまったので、我が家の移動はすべて公共交通機関。電車やバス、どうしようもなければタクシー。もちろん基本は徒歩か自転車であるから実に身軽だ。思い立ったらすぐに身一つで出かけられる。もし車があれば、ちょっとした休みにもすぐにどこかに行きたくなって、小金使いも甚だしかったのだろうと思う。

 今は高速料金1000円という実にエコに逆行する施策のため、祝日・休日にはより酷くなった渋滞などを見るにつけ、車は本当に便利なようだけれど、負け惜しみでなく我が家には必要ないなあ、と思う。保険やら駐車場やらで、維持費も子ども1人を育てるのと同じくらいだろうから、土日の買い物ドライバーだけではもったいない。また、私の運転する車には夫も息子も「絶対乗りたくない!」(私の頭に血が上ったら、暴走族とだって競りかねないと言うが、決してそんなことはない。)と言うのだから、仕方ない。

 前回は、手続きに行った時間がちょうどお昼休みにあたって窓口が閉まっていて、とツイていなかったけれど、今回は実にシステマティックにすいすい進み、何の問題もなく30分の優良講習を入れても40分ほどで新しい免許証を手にした。本籍がプリントアウトされていない。ICチップが内臓されて今回設定してきた暗証番号4桁を2回入力すればその部分が浮き上がって見えるそうだ。次回の5年後は一体どんな進化を遂げていることか。出来上がった免許証をこれまでどおり定期入れに入れたところ、IC乗車券と反応するのか、駅の改札で「もう一度通してください」と、引っかかりやすくなった気がする。

 講師が「ここでは男性も女性も写真写りがいいですよ。」と言っていたけれど、美しい人はより美しく、それなりの私はそれなりの出来栄え。とにもかくにも、次回も元気に更新に行きたいものである。

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2010.6.26 母から娘へ 命のリレー

2010-06-26 08:02:57 | 日記
 先日、プチ虹のサロンでお話したときのこと。Kさんはもう成人していらっしゃるお二人の息子さんのお母様で、お孫さんもいらっしゃる。そしてSさんは息子と同い年のお嬢さんがいるお母様だ。

 Sさんが言われた言葉にしばし唸った。「自分が娘を出産したときは自分の母親がいたから、当然のように出産・子育てのアシストをお願い出来たけれど、自分の娘が出産するとき、自分はいないかもしれない・・・、それが不憫で・・・」とのこと。「お二人は息子さんだから、あんまり感じないかもしれないけれど・・・」と。

 本当にそうだ、と思った。もちろん子供にとって親は不死身というわけはないが、全面的に自分のサポーターでいてくれる存在が消失するということをリアルには想像できないものだろう。

 今や本当に長寿社会になっているから、還暦を過ぎても両親が健在で、不惑を過ぎても祖父母が健在で、というケースはいくらでもある。職場の訃報も傘寿,卒寿は当たり前、という感じ。100歳だって珍しくないし、古希といわれた70代では若すぎる、とさえ言われる。だからこそ老老介護という問題も起きてくるのだろうけれど。

 私が子供だった頃は、小学校でも中学高校でも交通事故やご病気等によりご両親のどちらかを亡くした友人は複数いたし、お葬式にも行った記憶がある。
 一方、息子はこれまで「お葬式」に出たという経験すらない。かくいう私も親族の葬儀といえば30年近くも前に祖父母の葬儀に参列したのが最後だ。数年前の伯父の葬儀には体調不良の私を気遣った両親が連絡をよこさず、出席していなかったので。あまりに今の生活は「死」から隔離されているのではないか、とも思う。

 息子を見ていても実感する。母である私が再発がんの治療中で、実際、毎週通院していることは事実としてわかっているが、床に伏したきりというわけではなく、日常生活を普通に送り、食事もお弁当も作(ってくれ)るし、洗濯もして(くれ)るし、日々仕事にも行き、ヨガにも出かけ、歌も歌い、日夜自分に渇を入れ、怒ってばかりの母。その母が、この先弱ってやせ衰えて死んでいく・・・なんていうことは実際のところ、やはり想定外なのだろう。

 50歳に手が届きそうな私自身も、両親は2人とも後期高齢者になっているし、いつどちらかが倒れても不思議ない・・・、と覚悟しつつも、どこかでまだ大丈夫・・・、というように高をくくっているところがある。

 息子は「僕は早く結婚して、孫を抱かせてあげるからね。」と言うけれど、まあ結婚は1人ではできないし、孫ができるかどうかだって神様の授かりものだからどうなるかわからない。

 それでもこうして命のリレーが出来ていくということはやはり凄いことだ、と思う。私にはあれほど厳しかった両親が、孫である息子には別人のようにレロレロのアマアマ。私が息子にきついことを言うと、2人で顔を見合わせてため息をつく。やはり「子供」と「孫」というのは全く違うジャンルの生き物なのだ、と実感する。

 私にも将来、孫を抱くことなんて、本当にできるのかしら・・・。

 さて、先日火事にあわれたもう一人のSさんへのお見舞いをプチ虹のサロン・3人の連名でお送りできた、とほっとしたところ、今度はなんとKさんのお母様がお会いした日の僅か2日後に倒れ、現在入院中との連絡を受けた。これからリハビリで長丁場になりそう、とのことだった。お母様はお独り暮らしで、先日も私たちとお会いになった後、実家に寄ってきました、とおっしゃっていたばかりなのに・・・。本当にこんなことってあるのだろうか、とやるせなさに憤る。

 神様はその試練に耐えられる人にのみ、その試練を与える、というけれど、現実は本当に意地悪だ。

 とにかくSさんとKさんのお二人がご自身の体調を崩さず、Sさんのお父様が無事に退院されることと、Kさんのお母様のリハビリが順調に進み、ご快癒されることを陰ながらお祈りしたいと思う。

 今日はこれから大学のイベントで出勤だ。
 おりしも息子の学校では、先日の定期テストの成績表が配布される保護者会クラス懇談会が開催される。また今回も夫に出席を頼んだ。

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