ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.2.28 再発は地獄か

2011-02-28 21:01:48 | 日記
 先日ある方のブログを見ていたら、初発と再発は天国と地獄ほどの違いがある、というくだりがあった。

 再発は地獄か・・・と唸った。
 確かに再発すれば完治しないから、この後、生きている限りエンドレスで治療を続けていくことになる。治癒や長期にわたる寛解は現代医学をもってしても、稀だ。初発で完治:再発が7:3の割合だということを考えると、確かに、私たち再発患者は厳しい事実と向き合っているかもしれない。

 が、決して負け惜しみではなく、私は今の毎日が地獄だ、などとは決して思っていないし、初発の方が天国である、とも思っていない。私は幸せなことに、主治医や看護師さんたちとのコミュニケーションがうまく取れているし、納得して自分の人生を大切にしながら治療を続けているから、今は全くない、とまで言えば嘘になるけれど、眠れないほどの大きな不安はない。しぶとく生きていれば新しい薬はどんどん出てくるし、かつてに比べて再発後の長期生存率も好転を続けている。家族や職場や患者仲間、そして旧友たちにも囲まれて御蔭さまで幸せな毎日を送れている、と自信をもって言える。

 初発の方たちは、完治する7割に入れずに再発して治らない3割に入ったらどうしよう、という不安をいつも抱えておられると思う。だが、それは“神のみぞ知る”で、残念ながら自分では決められない。どんなに食生活に気をつけようが、運動をしようが、低リスクだろうがなんだろうが、再発するときは再発するし、大丈夫なときは大丈夫。そのことで延々と思い患らってみても、結局はなるようにしかならない。

 でも、再発=即・死ではないし、こうして再発後3年経った私も、週1の通院は必須だけれど、フルタイムでの仕事もし、手抜きだけれど家事もこなし、趣味も好きなことも我慢せず、ごくごく普通の生活が送れている。

 患者会のワークショップ等に出かけて行っていつも思うことは、再発患者限定の場に「後学のために」とか、「参考のために」等と入ってくる方たちが少なくないことだ。 ご本人は、いつか自分が再発した場合に備えて学びたいということのようであるが、再発患者の立場から見れば言葉は悪いけれど、「怖いもの見たさ」、「興味本位」のように感じてならない。同じ病を持ち、相手の痛みがわかるはずの集団でありながら、初発と再発の患者の間には残念ながら深くて大きな溝があると思う。

 もちろん、健康な人には、私の病気のことを勉強してちゃんと理解して欲しい、などとは無理なことは言わないけれど、せめて同じ病を持った患者同士として改めて言っておきたい。
 当然のことながら、「再発転移するかもしれない」と不安に思うことと、実際に「再発転移する」ことは全く違う、ということだ。
 再発転移したら「再発転移したらどうしよう」という心配は、もはやない。今、自分に出来るベストの選択肢は何かと、生きるために次の一手を主治医とともに考えていかなければならない。新たに別の部位に転移した場合は?効く薬がなくなった場合は?と考えなければならないことは沢山ある。
 が、決して一刻を争うわけではない。時間は十分ではなくても、必ずある。だから、きちんと勉強して、きちんと自分の状況を受け入れること。そうすることで、落ち込んでも再び這いあがってまた新たな治療に向かうことが出来るのだ。

 昨日のあけぼのハウスの講演で講師の先生がおっしゃったように、大事なのは「自分の人生」だ。日々、再発の不安に苛まれて病気に振り回されることなく、病気以外の自分の人生をきちんと前向きに送ることが大切だ。自分にとって何が一番大事なのかを改めて考え直す時間、自分と向き合う時間は、十分ある。
 初発の方が「再発するかもしれない・・・」と過度に不安になることは、申し訳ないけれどあまり賢いとは思えない。前にも書いたけれど、再発したら、何か別の事態が起こってから考えて行動する、で十分だ。

 所詮、自分の身に起きないことは哀しいかな「他人事」で、想像することしか出来ない。
 初発の方が再発患者の気持ちになり切ることは決して出来ないだろう。再発治療中の私だって、つまるところ自分の再発部位のこと、自分の状況しかわからない。今後、自分の身に起こるかもしれない肝転移、脳転移については勉強した範囲内の知識と想像の範疇だ。

 初発の方たちには、きちんと治療をしていればいたずらに不安になることはない、と言いたい。
 そして、ちょっと先回りして勉強したり、聞きかじったことで、再発患者の気持ちが分かるし、再発する準備は出来ているから大丈夫、というようなことはあまり軽々しく言ってほしくないと強くお願いしたい。

 汗ばむような陽気だった昨日から一転して、今日は雪が降るほどの凍える寒さだった。本当にこの季節は体調管理が大変だ。風邪をひかないように暖かい食事と入浴、たっぷりの睡眠で乗り切らなくては。


 
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2011.2.27 あけぼのハウス講演会「再発転移治療について」参加

2011-02-27 20:24:30 | あけぼの会

 今日は久しぶりに「あけぼのハウス」の講演会に参加してきた。
早くも今回で28回目になるという。ほぼ毎週の開催だから、講師等との事前調整、会員への周知から当日の運営、報告までの一連の作業はどれだけ大変なことか。事務局の方々のご苦労に本当に頭が下がる。
 今日はお会いできるだろうか・・・と心配していた厳しい治療を再開されている事務局Tさんが、いつもながらパワフルに司会を勤められており、心底ほっとした。

 今年から毎月第4週は専門医の講演会ということになったようだ。
 今回は、昨年「患者が選ぶ2010 Doctor of the year」を受賞された坂東裕子先生(筑波大学付属病院)が講師。講演のテーマは「再発・転移治療について」だった。相談員スタッフによる個別相談・グループトークもあり、ということで、プチ虹のサロンのメンバーと待ち合わせ、早めにお昼をしてから会場へ向かった。

 今日はSさんが体調不良のため欠席との連絡が入り、4人でのランチだった。温泉旅行帰りのKさんから美味しいお土産を、また、昨年火事にあってご自宅の建替えのため前回新年会に出席できなかったSさんからは、これまでSさんが撮ってくださっていたスナップ写真を入れたアルバムを頂いた。これからもみんなの写真を増やしていきましょう、と。本当に嬉しいプレゼント、感謝でいっぱいだ。

 今日は、10月の全国大会以来のあけぼの会のイベントに参加したことになる。開会には会長さんが、年明けに亡くなったSさんを偲んだバラの花が1ヵ月半以上経た今もなお咲いており、しかも芽が出てきている様子を披露された。挿し木にされるとおっしゃっていた。Sさんのように大輪の豪華なバラの花だった。

 講師が若干遅れての到着ということで、がん研有明病院で治験コーディネーターをしておられる薬剤師さんから標準治療のガイドラインに向けてのアンケートが配布されたので、記入しながら待つ。講師到着後、1時半より少し前に講演が始まった。

 患者さんにとっては怖く悩み深い再発について、医師として何を大切に思って治療をするかというお話をしたい、と講演が始まった。
 まずは言葉の定義=再発、局所再発、遠隔転移=を明らかにされた。さらに再発が起こるグラフ等がパワーポイントの資料で分かり易く示された。アメリカのASCO(American Society of Clinical Oncology:米国臨床腫瘍学会)のガイドラインで推奨される検査、非推奨の検査等についても言及された。フォローアップについての大切な点、再発のためのセルフチェック(局所、リンパ節、肺、骨、肝臓)も今後役に立ちそうだった。再発後の生存率、再発治療の目標や再発治療の取り組み方等、チャートを使っての説明は改めてお話を聴くと、分かってはいることだが、頭の整理にとても役立った。
 そして、再発後の治療として、再発巣の病理学的評価が望ましいということについては、私もずっと気になっているところだけれど、切ることが出来ない場所なので、如何ともしがたいと思った。その後いくつかの症例が紹介され、ハーセプチン等がいかに奏功するか、今後期待されている薬など、希望のもてるお話が続いた。
 最後に再発治療において大切なのは「あなたの人生」と結ばれた。家族、仕事など、何が自分にとって大切かを明確にすることが必要なのだ、と改めて思う。

 その後、最初に提出した質問シートにより事務局Tさんから先生へ質問がされた。15問ほどの質問に対して、どれも鮮やかに分かり易くお答えになり、とても勉強になった。男がどう、女がどう、とあまり言うつもりはないけれど、さすがに女医さんで、とても穏やかに優しくお話され心から癒された感じだ。

 締めは会長さんからいくつかのお話。「知らないと怖い」ということを思い知らされるエピソードだった。治療については悩んで当然だけれど、何より自分の体だ。疑問はそのままにせず、きちんと相談し、きちんと対処していきたいと思う。
 幸せなことに私はこれまでの治療について、とても納得して行ってきているので、今のところ個別に質問することもなかった。が、いろいろな方のお話しを伺うことが出来、考えさせられることが多かった。

 個別の質問等がない人はこれでお開き、ということで流れ解散。4ヶ月ぶりのあけぼのハウス参加だったので、プチ虹のサロンのメンバーもいろいろな会員の方たちとそこかしこでお話。私も、年明けに亡くなったSさんと懇意にしていらしたEさんからお話を伺った。また、Oさんからはブログで紹介している本を読んでいるわ、と言って頂いた。そう言って頂けると、単純な私は本当に嬉しい。

 あっという間に予定終了時間の4時を回り、Kさんとターミナル駅までご一緒し、最寄り駅で買い物後、帰宅した。
 夫の得意料理の食材を用意して出かけたところ、帰宅するやいなや食事が出てきて、本当に有り難かった。夫の好きな桜餅をお土産に買って帰ったら、大喜びされた。

 講演会ダブルヘッダーの充実した週末だった。すっかり知恵熱が出そうなくらい。明日からまた新しい一週間が始まる。元気を頂いた分、頑張って過ごさなくては、と思う。


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2011.2.26 品格をもって生きる

2011-02-26 18:41:15 | 日記
 昨年12月、住んでいる市の広報で、昭和女子大学学長の坂東眞理子先生の講演会の告知を見つけて電話予約した。既に申し込み開始から10日も経っていたのでもうダメかと思ったが、先着500名ということでなんとか間に合った。

 「女性の品格」、「親の品格」などのいわゆる品格シリーズの著作は読んでいたし、「錆びない生き方」等の生き方論、「ワークライフバランス」「女性の幸福(仕事編)」等の著作も拝読した。
 1969年に総務省に入省され、私が大学で就職活動をしていた当時から、行政官としてのキャリアと2児の母としての役割を両立した経験は有名で、その当時既にお名前を存じ上げていた。そのキャリアの多くは女性政策に携わり、その立案をリードした方であるのは周知のとおりだ。

 今回は市が主催する「女と男のいきいきフォーラム」講演会の一環で、開催場所が自宅最寄駅傍のホールだった。この手のイベントがよく行われる市内で最もメジャーなホールには、バスを乗り継いで1時間くらいかかるので、なかなか参加できない。今回はラッキーである。

 今日の講演のテーマは表題のとおり「品格をもって生きる」。
 ふとわが身を振り返ると、恥ずかしながら、品格をもって生きているとはとてもいえないのだが、それでもそうして生きたい・・・と、思いもしないよりは思うだけでも良いのではないか、と自分を慰めつつの参加だった。

 さて、内容だが、このフォーラムは今年で20回目を迎えるもので、公募による市民実行委員会と市の男女共同参画センターが共同で企画運営をしているとのこと。行政側主催者挨拶の後、実行委員長の挨拶があり、講演はジャスト1時間半だった。ミーハーな私は、先生の著作を数冊とサインペンを持参し、サインを頂けるかどうか受付で確認したが、時間が許さないのでご勘弁をということで、ちょっと残念だった。

 これまでの仕事や著作、現在の大学での女性教育まで、多岐にわたる内容を90分の間淀みなくお話された。
 現在では企業戦士の男性と家を守る女性といった20世紀後半型のモデルが通用しなくなってきている。日本の社会が、従来の地縁・血縁社会から社縁社会を経て、無縁・孤独死社会に行くのか、支援社会・志の社会に行くか、現在その分かれ目にある。そこで通用する人材こそ男女共同参画社会において有用な人材なのではないか、とおっしゃった。
 そして、現在ほど高学歴な女性が100%子育てに全力投球している時代はなかったが、先回りして子どもに失敗させないようにするよりも、むしろ転んで擦りむいたくらいでレースを放棄しないこと、ゴールまで走ること、を教えるべきであるというお話はとても耳が痛かった。息子には、生物としてもっと逞しく生きていく力を鍛えていけるような訓練をしなくては・・・と思った。

 そして「品格」とはその人の生き方、考え方、働き方など心の中の問題だが、たとえ内にあるものがいくら立派であっても外に伝わらないとダメである。そして、いかに外に出して伝えるのか、つまり内面と外面のバランスが重要である。自分だけが幸せであり、便利であれば良い、自分は他人(ひと)に迷惑をかけないから、他人からも迷惑をかけてもらいたくない・・・という自立ではなく、自分の持てる力を必要とする人のために使おうという気持ち、その志を持つ人こそ「品格」がある人である、品格のコアはその気持ちを持っていることだ、と講演を締めくくられた。

 それならば、私にもその気持ちは持てるかもしれない。このブログの「どうぞのいす」も何かお役に立つことが出来るかもしれない。いつまでもその気持ちを大切にしていきたい、と思いを新たにして席を立った。
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2011.2.25 「春一番」・・・入試の日に考える

2011-02-25 23:10:12 | 日記
 今日は4月中旬から下旬の陽気になるでしょう、という天気予報の通り、朝から日差しがいっぱいで暖かい。花粉情報は「やや多い」マークなので、息子には点鼻、点眼薬を忘れずに挿していくように言う。

 おりしも勤務する大学では、二次試験初日ということで各門は厳重に閉ざされている。“地域に開かれた大学”を標榜する本学も今日ばかりは物々しく、かつては顔パスOKだったけれど、最近では職員証が必携の一日だ。
 受験生が入構開始となり、各試験室に散っていくよりも早い時間の出勤だったが、既にあちこちに動員された職員が配置され、立ち入り禁止のテープが張られ、自販機はすべてクローズ状態。
 ふと、3年後のこの日、息子はどこにいるのだろう、と思った。

 先日逢った「つぼみの会」のメンバーの息子さん、娘さんたちも、今日は全国各地のキャンパスでこの1年ないし2年の努力を精一杯ぶつけていることだろう。最後までしぶとく粘って頑張ってほしい、と思う。

 昨日は、不眠と気持ち悪さでヨレヨレだったので、久しぶりに10時過ぎにべッドに入ったが、見事に朝まで目覚めることなく熟睡できた。御蔭さまで今朝はすっきりして、気持ち悪さも大分軽減している。やはり不眠と吐き気がセットだとかなり辛い。

 早いもので来週からは3月だ。
 息子が生まれてから毎年、年度末の繁忙期を大学で迎えてきたけれど、地方公務員という恵まれた身分を保持したままで派遣されているこの職場には、最大あと4年しかいられない。あと4年、今のペースで働いていられることを祈って大切に過ごしていきたいと思う。

 その後、どうするか。
 これまでは、そんな先のことは考えても仕方ないと思っていたけれど、先日の日野原先生の“10年日記”を思えば、ちょっとイメージしておくことも必要だろうか。
 魔法のように薬が奏功して、副作用なく悪い細胞が休眠状態・寛解状態であればまだしも、毎週の通院治療を続けながら都心までの通勤-つまりは今の勤務時間に毎朝・毎夕の往復3時間が加算される-は、体力的にも精神的にもかなり厳しいだろうと思う。今のように都心早朝会議だから前泊という窮余の策も、毎日となれば所詮無理な話。満員の通勤電車で傷口やポートをかばいつつ、気力体力を奪われながら、週4日で週5日分のフルタイム勤務をこなすには、当然残業も避けられないだろう。また、そういう職場に異動すれば、家では殆ど何の余力もなくなり、日々のことも今のようにはとても出来なくなるだろう。土日も自分の好きなこともできずにひたすら体を休める・・ことが出来ればまだしも、最悪、土日に仕事の穴埋めをしに出勤するという生活が目に見えている。
 おそらくそう長くないであろう残された時間を、そうして過ごすのは、もはや避けたい。

 やはりあと4年、しっかりこの場所で働いて、その後は自分のために大切に使おう、と思う。
 それでも30年間は働き続けられたことになる。当初予定の定年まで働く・・・は無理だったにせよ、それは健康であれば、の話だ。
 初発から10年強・再発から7年強働くことが出来れば、神様に感謝しなければいけないのだな、と思う。

 強い南風はやはり「春一番」だった。奇しくも去年と同じ日に吹いたとのこと。明日はまた冷え込むようだけれど、本当に三寒四温。春の足音が一歩一歩近づいている。待ち遠しい春だ。
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2011.2.24 ポートの周辺のこと

2011-02-24 20:09:09 | 日記
 昨日の通院時、処置室のベッドに横になり刺針を待っていると、看護師さんが、中心静脈ポートが入っているぷっくり膨れた鎖骨下の皮膚とその上にくっきりと盛り上がっている頸部までのカテーテルの状況を指で確認しながら、消毒を始めた。

 私もその視線に気づいて「かなりしっかりでっぱっていますよね。」と言うと、「常時カテーテルやポートが衣類等で擦れたりしないようにしてくださいね。床ずれと同じですから・・・」と。つまり、そうなったら、又入れ直しの手術、ということを暗に予感させる言葉だった。

 確かに、今は鎖骨の直ぐ下に入っているので、これまで留置されていた場所よりもかなり皮膚の薄い、脂肪の薄いところに入っている、ということは前にもこのブログで書いた。5か月ほど経ってようやく気にならなくはなってきたけれど、それにしても鏡に映ったところを見ると我ながらギョッとなる。

 今回のポートにまた不具合が起これば、次回のポートを入れるのは大腿部・・・脚の付け根から、だそうだ。とりあえず昨年9月に入れ直したポートは半永久的にお付き合いしてくれる、と信じたい。左胸は放射線治療をしているから適用外、今回、頸部をループにして使ったので、もう右の血管も同じ血管は使えないのだ。
 もし大腿部からとなれば、点滴で刺針するときにはいちいちストッキングを脱いだり、洋服を脱いだりしなくてはいけなくなるから、点滴椅子に座ったままでというわけにいかず、カーテンのある部屋に移動して行うことになり大ごとだ。今はちょいと胸元を開けば良いのだから。そんなわけで、冬の間、寒くても病院に行く時にはタートルネックやハイネックの服はご法度だった。もちろん脱衣すればいいのだけれど、それもまた面倒なので、マフラーやストールでごまかしていた。

 「齢をとると首から風邪をひくのよね。」と言っていた母の言葉が正しかったのだ、と最近とても納得する齢になった。そのため、今の季節、通院日以外はほとんどタートルネックかハイネックを着ている。もちろん擦れて痛くないような柔らかい綿素材等のものを。また、下着も傷口に当たらないようなものにしている。
 風邪は免疫力が下がっている可能性がある身にはやはり凶器になりうるから。

 それでも都心等混雑した場所に行くのが、正直怖い。思いっきりぶつかられたりしたら、破損してしまうのではないか、など良くないことを考えてしまう。だから自然といつも両腕で胸をかばっているので、猫背になりがちでパッとしない。前向きに上を向いて歩きたい、と心の中では念じているのだけれど。

 それにしても昨夜は本当に眠れなかった。吐き気止めのステロイドのせいだ。病院滞在時間が長くて疲れていたので、12時前にベッドには行ったのに、1時、2時、3時、4時・・・と焦れば焦るほど眠れない。かといって寒い中リビングに起きだす勇気もなく、お手洗いに行ってみたり、水を飲んでみたりしたけどダメだった。
 そして、5時半に目覚ましが鳴るよりも先に目覚めてしまった。実質1時間ほど寝たのだろうか。やはりお腹の気持ちの悪さと寝不足はリンクしている感じで、むかむか感がかなりきつい。

 なんとかかんとか、一日の仕事はこなして帰宅したけれど、今日は一刻も早く休みたい。副作用なくそうそう毎回楽に過ごせる、ということではないらしい。特にクールの2回目、なのだろうか。情けなくも、ちょっと凹んでいる。

 さて、雛祭りも近いのでテンプレートを変更し、同時に携帯からもブログを見ていただけるような設定にしてみた。早速、自分で貼り付けたバーコードを携帯のバーコードリーダーで読み込んでみたら、ちょっと文字は小さいけれど、確かに読める。長い文だと続き→、続き→、となかなかイライラしてしまうけれど。


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