ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2018.4.28-29 GWスタート、体調も漸く上向きに~家事、断捨離、時々ヨガ

2018-04-29 20:16:33 | 日記
 土曜日。今日から待ちに待った連休が始まる。とはいえ、月曜日は祝日授業日で出勤に当たっているので、普段と変わりない土日である。
 水曜日の診察で白血球と好中球の値が低かったため、ゼローダ6クールが治療中止になったのは水曜日に書いた通りだ。結果的にゼローダ休薬からまる2週間経ってようやく体調が上向きになってきた感じ。木曜、金曜の前半あたりまでは、とにかく怠くて眠くて、胸痛も出るわで体調がイマイチ、ご機嫌斜めだった。

 それにしても3分の2の量を10日飲んで(規定では14日飲んで7日休み)、その後14日休まないと体調が復調してこないというのは、なんとも軟弱ではある。けれど、それが10年以上に渡り休むことなく化学療法を続けてきた今の自分の状態なのだから、受け入れるほかはない。ここで無理して普通の生活が送れなくなり、ひいては治療が出来なくなっては大変だ。

 久しぶりに特段の予定のない土日。朝の連続テレビ小説をベッドで視てからゆるゆると起き出す。お天気はとても良い。風もある。これは洗濯をするしかない、と先日途中だった衣替えも兼ねて朝から何度洗濯機を廻したことか。
 夫は朝から行きつけのクリニックで毎月1度の診察。その後クリーニング店にスーツを持ち込みに出かけた。その間私はひたすら洗濯干しと掃除に励む。
 お昼を軽く済ませた後は、最寄駅前のヨガスタジオでリンパリフレッシュヨガのクラスに参加して文字通りリフレッシュ。連休だからお出かけの人も多くて空いているか、と思いきや、さにあらず。それなりに混んだ中で、しっかり汗とリンパを流してきた。

 クラスの後は夫と合流して、お茶とパフェで一服してからアウトレットモールで買い物。夫のシャツやら私のセットアップやら買い物を楽しんだ。GWセールということで凄い人出だ。皆、沢山の買い物袋を下げて幸せそう。
 夜は夫が食事当番を引き受けてくれたので、私は洗濯物を畳んだり、と後始末等を続行。食後、買い忘れたものを買い出しに散歩方々駅前のスーパーまで。日が長くなったし、寒くもないので、夜の外出のハードルも低くなった。
 レイトショーを観ても良いけれど、と夫を誘ってみたが、お眼鏡にかなった作品はなく、早々に帰宅して自宅で撮り溜めたビデオを見たり、OBOG合唱団の楽譜を見たり、のんびり過ごした。

 日曜日。今日もいいお天気。少しだけ寝坊をして、夫の衣替えとともに断捨離開始。知らないうちにどうしてこう衣類が増殖するのだろう。・・・自分が買っているからに他ならないのだけれど。思い切ってあれこれ処分することにして、同時並行で夫の冬物やらニットやら、おうちクリーニングが出来るものを洗濯。結構風が強く、ベランダに干したら飛ばされてしまった。それでもこの風の所為で良く乾くこと。ふんわり仕上がって気持ち良いこと。

 昼過ぎからスタートの肩こり改善ヨガのクラスを予約していたのだけれど、断捨離が佳境に入ったので、切りの良い所まで続けることにして、夕方からのクラスに変更した。夫はずっと気になっていたベランダを綺麗に掃除してくれて、すっかり気分が明るくなった。
 お昼は今年初めての素麺を頂き、ドラマを視て時間調整をしてから、郵便局で息子への仕送りを済ませ、ハタヨガビギナーのクラスに参加した。体調が良いと汗もよくかけるし、ゆっくりとストレッチしながら肩回りや股関節周りを動かすのがとても気持ち良い。クラスの後はさっぱりシャワーを浴びて夫と合流し、買い物をしてお茶をご馳走してもらって帰宅した。

 そんなわけで、お天気に恵まれた行楽日和の土日だったけれど、家事三昧、断捨離三昧。ちょっとご褒美は買い物やヨガクラスにも参加出来たこと。今日の夕飯はきちんと作り、充実した2日間だった。
 明日は夫だけが暦通りのお休み。私は平日に代休を取る予定、今からどう過ごそうか楽しみなことである。
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2018.4.27 今年の合唱事情

2018-04-27 22:34:11 | 合唱
 昨年10月、OB・OG合唱団の本番ステージが終わった折り、幹事の先輩から来年の9月30日に講堂でステージがあるから手帳にマークしておいて、とお話があった。
 以降、会報やHPで詳細がアップされていたが、治療薬変更後の体調のこともあるし、コンスタントにヨガのクラスもお引き受けしたし、練習がいつもの年より長くなるし、2つ掛け持ちはちょっと無理かしらなどと逡巡していた。

 そこに、同じパートの同期から、自分も他の合唱団と掛け持ちだから実際には半分くらいしか練習には参加出来ないけれど、一緒にどう?とお誘いがあった。
 ひとまず手帳に予定だけは書き入れて、幹事の方に連絡するのは保留にしていた。

 HPのお誘い記事を拝見すると、今年は団創立70周年かつOB・OG会設立20周年ということで、記念企画と銘打った参加者募集がかけられている。そして、私たちが現役時代にお世話になり、今も現役を指導してくださっている指揮者の先生も出演が決まったとのこと。

 ここ数年、先生はご多忙でもありOB・OGステージでの指揮はされなくなっている。
 ご高齢だし、いくらお元気でおられても、また次の機会に・・・と言っていたら私自身どうなっているかもわからないし、そんな機会はやってこないかもしれない。
 迷ったら、今やれることを精一杯、その予定を励みに体調調整すればいい、これが持論であるわけで、ここで止めてはまずいだろう。

 記念演奏会は、「現役ステージ」「卒団生ステージ」「合同演奏ステージ」並びに「アンコール」の構成で、私たちOB・OGは、「卒団生ステージ」「合同演奏ステージ」「アンコール」の出演が出来るという。これまで同様、各ステージは全部または一部への参加を自由に選べて、曲への関心や練習量など、各自の都合で決めてOKだそう。「全部乗らないと悪いんじゃないか…」「前にOB・OG音楽祭に出たことがあるけど最近顔を出してないからちょっと…」といったお気遣いもご無用に願います、とある。

 その3週間後、翌月10月21日(日)にはこれまでのOB・OG音楽祭2018があり、こちらの出演も決まっている。練習は時間帯を分けて実施するので、OB・OG音楽祭だけの参加も歓迎とのこと。
 夫からは「受け入れてくれるところがあるのは幸せだよ」と背中を押してもらった。どこまで頑張れるかわからないけれど、ひとまず飛び込んでみよう、と思うと気持ちが固まった。もしだめなら練習だけ参加したっていいではないか。

 昨夜、幹事の先輩に思い切ってメールを差し上げたら、今朝早く早速楽譜と音源が送られて来た。お身体お大事に無理なくご参加ください、とのコメントも頂いた。

《記念演奏会・卒団生ステージ》の 【曲目】は
信長貴富 混声合唱とピアノのための「くちびるに歌を」第1・4曲
 Heinrich Schütz : Das Benedicite vor dem Essen, SWV 429
とのこと。指揮は私より23期下の若手である。既に今月半ばから練習が始まっており、以降月に2度のペースで、本番まで5ヶ月。10回の練習が設定されている。

 それとは別に合同演奏・アンコールの練習が9月集中でほぼ全ての日曜日。ここには現役時代も練習場所だったホールも含まれている(これは平日夜なのでいけるかどうかわからないけれど)、あの空間を思い出すだけで懐かしさで一杯だ。

 そしていつものOB・OG音楽祭の練習スタートは7月末。本番前日のゲネプロまで練習は全8回。
 どこまで頑張れるか、頑張りすぎず歌えることを喜びとして、体調管理を続けていこう。
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2018.4.25 腫瘍内科診察、ハーセプチン194回目(3倍量再開6回目)、ゼローダ6クール中止

2018-04-25 21:05:26 | 治療日記
 昨日は、定時に職場を飛び出して3週間ぶりにSさんの瞑想ヨーガクラスに向かった。スタジオ最寄り駅で軽食を済ませ、受付へ。昨年M先生のインテンシヴコースでご一緒したFさんがコンスタントにビギナー向けコースを始められたのは伺っていたが、Aさんに代わって受付までされていらしたのでびっくり。Sさんもマタニティのヨガウェアがすっかり板についている。お腹の中で一日中元気で動き回って大変です、とのこと。ご対面が待ち遠しいことである。
 指導者養成コースでご一緒した、ビギナークラスでインストラクターも務めているMさん、Oさんや常連のSさん他、今日も8人という贅沢な環境である。

 年度初めで皆さんお疲れのようなので、今日は最後に20分ほどヨーガ・ニドラ(眠りの瞑想。30分のヨーガ・ニドラは3時間の熟睡に相当するという)をしますとのこと。最初に瞑想から入り、サンカルパ(自分の願いを短い文章にして唱える、宣言文)を決めてから最後のヨーガ・ニドラでその文章を繰り返すという試み。なんとなくお天気も不安定だし、眠いし怠い。まさにピッタリという感じのご提案だ。Sさんのガイドがあまりに心地よく、ウトウトを繰り返しつつ、なんとか寝落ちだけはしないで、最後に宣言文を心の中で繰り返すことが出来た。キールタンはママ・デーヴィ・シュリ(母なる女神)という初めて歌うもの。クラスが終わった時には本当にうっとりするほどいい気分で、来てよかった、と皆が口々に。お礼を言ってスタジオを後にし、初めてお目にかかった方と駅までご一緒した。帰路は各駅停車で席を確保。

 病院最寄り駅近辺の常宿はバイキングのレストランが改修中で、朝はお弁当をご用意しますということでちょっとがっかり。ちゃんと調べておくんだったと思うが後の祭り。アロマの入浴剤を入れてのんびり入浴し、ベッドに入ったのは日付が変わる頃。
 夜中に1度お手洗いに起きたが、その後もぐっすり。夫にタッチの差でモーニングLINEの先を越された。足裏の痺れや痛み、右親指の爪囲炎や爪の脱落もあるので浴槽足湯は断念。爪囲炎や手足のケアをしてから、ロビーへ。お弁当とサンドイッチボックスが選べてペットボトルのお茶やコーヒーもゲット。部屋でニュース横目に朝食。のんびり朝の連続テレビ小説を視てから、チェックアウト。予報通り外は大雨。僅か5分ほどの病院までの道のりでビッショリだ。レインコートとしっかりした長傘で来て良かった。

 エントランスを入ると、「希望」の木札とともに鎧兜のお飾りがしてある。IDカードを通して採血受付に出向く。番号を取ると、7分待ちとあったが、既に中待合に入ってことになっており、コートを脱いで態勢を整える前に番号を呼ばれる。初めましてのO主任検査技師さんに当たる。今日はフルセットなので5本採って頂く。結構血管の奥まで針が刺さった感じがしたが、止血しながら腫瘍内科へ移動。予約時間までちょうど1時間。検査結果が出るのにその位の時間がかかるので丁度良い。

 朝ホテルで頂いたペットボトルの蓋が硬くて開かない。申し訳ないけれど、これは無理だ、と受付のクラークの方に開けて頂く。それにしても酷く握力が落ちている。手袋をしていても圧がかかると痛いので、困りものだ。
 既に定位置の待合椅子は埋まっていて、そのすぐ後ろの席を確保して読書スタート。

 今日のお伴は佐々木譲さんの「警官の掟」(新潮文庫)。王道にして破格の警察小説!とあったが、先日起きた、新人の警官が上司に発砲して死亡させた事件を彷彿とさせるようなストーリー。拳銃の恐ろしさを今更ながら見せつけられて、頁を繰る手が止まらなかった。
 30分ほどして切りのよいところで血圧測定。99-60、脈拍は77。
 小一時間ほど待って中待合へどうぞ、と番号が出た。その後ほどなくして先生がお顔を出された。朝の受付から先生にお目にかかるまで今日は最速の1時間ちょっと。 
 「さて、いかがお過ごしでしたか。」と問われ「体調はおかげさまでまあまあ普通です。気圧の変化で胸痛はありましたが、酷くなることはありませんでした。足指の爪囲炎は相変わらずでまだ皮膚科クリニックに通いフロモックスを飲み、バラマイシン軟膏でケアを続けています。足裏の痺れと痛みが休薬してもなかなか取れないで残っています。」と言って手袋を取って発赤とテカリのある手の平をお見せし、ストッキングの上から足裏等も診て頂く。

 「うーん、副作用がそれだけ出ているなら、今回はゼローダ中止にしましょう。」と仰る。それは想定外だったので、「え、休薬でいいのですか?」と応ずると、「白血球値が低いんですよ、3,100で好中球も少な目で800ほど。始めた頃は好中球が2,000あって、前回前々回は1,000ちょっとありましたけれど、間違いなくこれはゼローダの仕業なので。」とのこと。「そうでしたか、大丈夫のつもりでいましたが、なんとなく怠いのはその所為だったのですね」と応ずる。先生は「半分の量でもこんなに副作用が出るんですね・・・」と仰る。

 確かに風邪も治りにくかったし、皮膚症状もなかなか改善しない、ここ2,3日は排尿時の痛みもあり、膀胱炎かなとも思っていると付け加える。けれど腫瘍マーカーCA15-3は前回より5%の増。ゼローダを始めた頃よりは下がっているとはいうものの、上がったり下がったり相変わらずウロウロしている。「でも、まあ効いているのですよね?」と言ってみると、「いや、それを測るために来月CTを撮りますから」と言われてしまう。診察室での検温は6度8分。
 そんなわけで今日はハーセプチン治療のみ。これは休めということです、という先生の言葉を信じることに。

 処方はミヤBM錠については3週間分1日3回で63錠。ヒルドイドローションとアンテベート軟膏を出して頂き、3種類。痺れについては長いこと加工ブシ末等漢方2種を飲み、結局、あまり効かないので止めた経緯があるが、止めてもあまり変わらない痺れがあるので、やはりおまじない程度だったのだろうと思う。先生もそもそも漢方はあまり長く飲む薬ではないと仰る。

 良い連休を、とご挨拶をして診察室を出、化学療法室へ入る。早いのでまだ空いている。ほどなくして看護助手さんから外の通路側のリクライニング椅子に案内された。態勢を整えつつ夫やお友達に報告LINE。
 刺針にKwさんが見える。殆ど痛みなく入ってほっとする。逆血も問題なし。二代目のポートは順調で、もう丸8年近くになる。ほどなくして薬が届き、Krさんがハーセプチンを始めてくださり、今回初めて渡された化学療法前の問診票をお渡しする。ハーセプチンと生理食塩水で1時間半。本は面白い。ちょっと眠かったが頑張って読み続けてしまう。無事に点滴が終わり。Mさんが血圧測定と抜針に見える。116-68、脈拍は64。相変わらず衝撃はあったけれど、まあ我慢のうち。

 病院滞在時間は4時間強で実に順調だった。会計書類を腫瘍内科受付に出して、時間を見計らって自動支払機へ移動。採血、点滴の3割負担の3万円強をカードで支払う。
 外に出ると土砂降りだった朝に比較して随分小雨になっていた。ジメジメした感じで気温が上がっている様子。

 薬局に入ると、かなりの混雑。私より15番以上前の人が呼ばれている。待つことを覚悟して、本の続きを読みながらやり過ごす。それでも割と順調で小一時間で済んだ。「ゼローダは体調不良でお休みですか?」と薬剤師さんに訊かれ、「はい、好中球が少なくて中止になりました。副作用もそこそこで、点滴のように退きが良くないので、連休が休薬になって嬉しいです。」とお応えする。ゼローダがないので2,000円強。3,000円以下なのでキャッシュで支払う。
 病院と薬局の合計滞在時間は結局5時間ほど。朝のサンドイッチがボリューミーだったせいか、なんとなく食欲がなく、病院最寄り駅で夕飯にちらし寿司等をゲットしてから乗り換え駅まで足を伸ばして、遅いランチ。ゆっくり頂きつつ本も読破。

 買い物も済ませ、最寄り駅に到着して、大荷物でヨタヨタ。迷わずタクシー乗り場へ急ぎ、無事帰宅した。洗濯機に溜まっていた洗濯物を見てしまい、洗濯機を廻して干し終えてからようやく休息。
 先週の金曜日から帰省していた息子は午前中の用事を済ませてまた関西に戻った。暫くまた静かな2人暮らしである。
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2018.4.24 選択的難聴と選択的健忘症は果たして・・・

2018-04-24 22:29:32 | 日記
 心穏やかに軽やかに生きていくために、色々聞きたくないこと、覚えていたくないことをあえて聴かないとか忘れる、というのは自分を守るために必要なことだ。
 ヨーガの智慧でも、考えてもどうにもならないことは延々と考えない、変えることの出来ない過去を悔やんでみても仕方ない、どうなるかわからない未来を憂えても仕方ない、だから今を一生懸命に、というのは自分に言い聞かせていることである。
 
 けれど、今般のセクハラ発言に絡んだ一連の「記憶にございません」発言は、どうもそういう類のものではない。
 そんなことを思っていたら、愛読している香山リカさんのコラムが目に飛び込んできた。

 以下、最新号を転載させて頂く。

※   ※   ※(転載開始)

香山リカのココロの万華鏡
その記憶消していいの? /東京(毎日新聞2018年4月24日 地方版)

 国会の証人喚問などで、証人が「記憶にない」と繰り返す。昔からよく見る光景だ。多くの人は「本当に忘れるわけはない。忘れたフリをしているんだ」と思うかもしれないが、もしかすると、その人は本当に忘れているのかもしれない。人間にはそういうことができるのだ。

 最近の心理学や脳科学の研究では、忘れたいことを忘れる「意図的忘却」がトレーニングによって可能だということがわかってきた。「これは絶対に忘れよう」と自分に言い聞かせ続けることで、本当にそのできごとや関連した固有名詞などを忘れることができるというのだ。

 もし、この「意図的忘却」の仕組みが正確にわかれば、私たちの人生はずいぶんラクになるかもしれない。失恋したことも親族が亡くなったときのショックも、「よし、もう忘れることにしよう」と思い、何らかの手順を踏んで記憶から消えれば、その後の苦しさや落ち込みを経験しなくてよいことになる。

 ただ、そうやってイヤなことをすべて忘れるだけでよいのか、と言われれば、それもまた違う気がする。これは多くの人が経験していることだと思うが、悲しみやつらさは人間を成長させてくれもする。たとえば、大好きな人と別れることになり、何日も泣いて暮らす中で、「次に恋人ができたら今度こそはやさしくしよう」と決意できる人もいるだろう。

 どうだろう。もし近い将来、「意図的忘却のためのマニュアル」ができて、「これを読めばすべての悲しみを忘れられますよ」と勧められたら、あなたは受け取るだろうか。私はきっと、「つらいできごとも大切な思い出です」と断ると思う。もちろん、親からの虐待や犯罪の被害など、少しでも忘れられるならそうしたほうがよい出来事もあるが、それ以外のことは自分なりに受けとめ、人生の大切な一ページとして記憶し続けたほうがよいとは言えないだろうか。

 「記憶にありません」と答える人たちは、自分で自分の記憶を消す達人なのかもしれない。しかし万が一、そうやって自分に都合の悪い記憶を本当に消去することができたとしても、それが真実を明らかにし、社会や自分を本当の意味で前に進める力になるとはとても思えない。簡単に「覚えていません」「記憶がはっきりしません」と言わずに、たとえ重くのしかかる責任につらい気持ちになったとしても、自分のやったこと、言ったことをしっかり思い出して語ってほしいと思う。(精神科医)

(転載終了)※  ※  ※

 自分に都合の悪いことは耳に入れず、忘れる、忘れる努力をする、忘れたふりをする、などなど、いわゆる選択的難聴と選択的健忘症はかなり鉄面皮でないと出来ないことだろう。何でもネガティブにウジウジ考えてしまっていたかつての私から見て、生き方上手だなあと思っていた今は亡き義母はその達人だったような気がする。
 そのくらい鈍感でないと勤まらないナイーヴな思い出は、長く生きていれば決して少なくない人が持っているのではないか。自分の心が壊れてしまわないように。

 とはいえ、今般のセクハラ発言で余りに多くの女性たちが悔しい気持ちに蓋をしてきたのか、と改めて思い知らされた。私も思い出したくないそうしたことはいくつもある。今また思い出すきっかけとなってしまったことで、なんだかなあ、と哀しくなる。
 言葉を発した側、行動を起こした側はもうそんなことすっかり忘却の彼方なのだろうけれど、こと言われた側、そうした行動を差し向けられた側はそう簡単には忘れられない。
 ただ、自分を守るために、円満に職場で過ごしていくためにどうしてもやり過ごさざるを得なかったことだったに違いない。

 このあたりの機微は男性にはなかなか通じないこともあるのだろうなと思う。
 我が家でも今回のことで夫と息子と話しをするにつけ、(2人ともわりとリベラルだし、ジェンダーについてはフラットな方だと思うけれど)やっぱり、ここは女性でないとわからないよな、と感じるもどかしさがあった。

 大の大人が相手の尊厳を否定し、傷つけるような言動を簡単に忘れてしまっていいわけがない。
 あまりに都合が悪くて、忘れたふりをしなければやっていけないような言動は厳に慎むべきだ。

 その後の「Me,Tooと言っている女性たちは自分にとってはセクハラの対象ではない」とか、「報道ルールを守らずハメたのは犯罪だ」などという驚くべき発言が続き、本当にげんなりしている。

 今回の件をこのままうやむやにしてはならない。少なくとも、自分の言動に責任を持てる人にこそ、人の上に立つ資格があるのではなかろうかと思う。

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2018.4.22 一足飛びの連続夏日、日曜日もあれやこれや

2018-04-22 21:25:39 | 日記
 今朝もちょっぴり寝坊をしたけれど、明るい陽射しで自然に目覚める。
 今日は月一度のWさんサロンでお楽しみマッサージの日。夕飯の下ごしらえをして3人で朝食を摂り、家を出た。
 前回は満開だった川べりの桜並木はすっかり緑が濃くなっている。青空が広がり、何やらすっかり夏の雰囲気。

 今日も身を委ねてウトウトする予定だったのだけれど、Wさんが相談がある、と仰る。訊けば、お客様のお友達で、50代前半の方が昨年手術した乳がんが転移し、余命一年を告げられたという。
 すっかり絶望して、自分でホスピスを探し、無治療状態なのだそうだ。お子さんもいないし、仕事もしていないし、もう生きていたって・・・という状態で治療に立ち向かう気持ちが全くないらしい。お友達もどうしたものやらとのこと。Wさんもなかなか軽々しく相談にも乗れないし、と現役ステージ4歴10年超えの私に相談されたようだ。

 薬は沢山あるし、余命は当てになるものでないし、数年と言われた私がこうして10年超えて普通の生活をしているのだから、と思いつくままお話をする。とにかく絶望するにはまだ早い、そして、もしなかなか現状が受け入れられないのであれば、精神腫瘍科なり心療内科で診てもらって気持ちを立て直してからでも、というアドバイスをさせて頂いた。

 さらには、ご主人が前立腺がんに罹患し、これから手術されるという奥様の相談も。ご主人は淡々と自治会のお仕事をしたり、普通どおりの生活をしておられるようだが、片や奥様は心配でたまらず、ネットサーフィン三昧で、酷く悲観的なのだそうだ。ネットの情報は玉石混交だし、宣伝も多いし、あまり見過ぎないほうが良いこと、前立腺がんも比較的おとなしいがんの種類だし、ホルモン剤等もあるし、すぐ命に係わるようなことではないですよ、と知る限りのコメントをした。

 その後も件のセクハラ事件から話は弾み、お互い若い頃に職場等でセクハラに遭って悔しかった話等でも盛り上がってしまった。というわけで、マッサージの後のパックでもハンドトリートメントでも、結局一睡もせずに喋り続けたという次第。それでも何らかのお役に立てたのなら嬉しいことだ。
 来月以降の予約をして、ハーブティと可愛らしいチョコレートをご馳走になって、明日予約をしている母を宜しく、とサロンを後にした。
 
 そして昼食は夫と息子と合流。母も含めて駅前のレストランで。皆それぞれ好きなものを好きなだけ頂く。混んでいて、ホールの人出が足りないのかなかなか食事が出てこないし、食事が終わってデザートになっても済んだ食器を下げてくれるわけでもなし、なんだかなあだった。夫や息子にはどうせバイトなんだからそんなサービスを求める方が無理、と言われたのだけれど・・・。

 母の予防接種の書類を代筆したり、明日以降の眼科クリニックでの対応も相談して、2時間ほどお喋り。息子はこの後用があるとのことで、一足先に電車に乗りに席を立ち、夫と私は母が帰りのバスに乗るのを見送ってから最寄り駅まで戻った。食料品やら日用品を買い求め、夫と別れてから最寄のスタジオでリラックスヨガのクラスに参加。結構な参加人数で、クラスが終了した後、シャワーの第一陣からはあぶれてしまった。最近は男性の参加者も多いので、それもまたちょっとストレスなのだけれど。

 夫と再び待ち合わせをしていたアウトレットモールに向かったところ、なんと入口で高校時代のお友達にバッタリ。年賀状のやり取りだけは続けていたのだけれど、もう20年近く前の同窓会で逢ったきりだった。瞬時に昔に戻ったような感じで会話が始まった。
 私のブログも読んでくださっているご様子。一緒にいらした下のお子さんもお母さんの若い頃にそっくり。遺伝子は凄いものだと改めて思う。同じ市内在住だけれど、電車を乗り継ぐと結構時間がかかるほど端と端に離れているが、車なのでよくこちらにも訪れるとのこと。ひとしきり立ち話をして、今度は食事でも、とお別れした。そして夫と合流して夫や息子のシャツやネクタイを買って帰宅。

 鉄砲玉の息子が帰ってくるのを待って、今しがた夕食を済ませた。
 日が長くなったし、お天気が良いと、実に気分よくついつい活動的になる。このままの体調が続いてくれることを祈って、明日からの新しい1週間を過ごしたい。
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