ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2017.12.31 2017年総決算、どんな1年だったか

2017-12-31 23:14:20 | 日記
 2017年大晦日。前記事のとおり今日から親子3代で近県に旅行中。おかげさまで賑やかな年の瀬を迎えている。
 今日も心は穏やかだ。振り返れば、今年も公私ともに実に色々なことがあった。そして昨年に続き、相変わらずそれなりに動き回っている。

1月
 伊豆高原で2泊3日のSさんのヨガリトリートに参加。
 2年近く頑張ってくれたカドサイラ(T-DM1)に別れを告げて、ジェムザールとハーセプチンの治療に切り替え。
2月
 ジェムザールの副作用が思いのほか強く、減薬しながら調整するが、なかなか2週連続投与が叶わずスケジュールが確定しない。
 息子が入学後2年ぶり2回目の引越しのため夫が助っ人に。今年は腰を落ち着けて学業に励む予定。
3月
 息子の帰省のタイミングにゴスペル初体験(7ヵ月後講師だった亀渕友香さんの訃報を聞く。合掌)
 相変わらずジェムザールは副作用のため2投1休の投与が出来ない。
4月
 来日中のインドの大聖人、シュリシュリ先生によるヨーガコースに参加。 
 昨年のヒーリングの基礎、応用コース受講から1年余りが経過。Sさんのディグディーパーのコースを受講。
5月
 連休は関西へ。アルバイト中の息子とも面会するが、後半は夫とテーマパークを満喫。
 月末、母が黄斑前膜の手術のため大学病院に1週間の入院。
 ジェムザール2投1休は断念して隔週の治療に切り替え。
6月
 均整術養成前期基礎コース開始。
 無事56歳を迎える。誕生日旅行は夫とテーマパーク1泊。
 母の快気祝いも兼ねて、昨年に続きホテルでお誕生日プラン宿泊。
7月
 父一周忌の法要、納骨の儀無事終了。中旬は夫と1泊で秋田乳頭温泉へ。
 OB・OG合唱団に3年ぶりに参加。練習スタート。
 半年に渡る、月に1度6回のM先生のハタフローヨガインテンシヴコーススタート。
8月
 夏休みは親子三代で6年ぶりに3泊4日の台湾旅行。
9月
 淡々と治療を続ける。体調管理をしながらヨガ、均整術、合唱練習等に励む。
10月
 均整術師養成後期応用コーススタート。
 OB・OG合唱団本番無事終了。夫と2泊3日で「北の国から」の舞台を旅行。
11月
 均整術師養成後期応用コース無事修了。均整術師の資格を得る。
 月末、患者会スタッフ対象に瞑想ヨーガクラスのお試し会実施。翌年からコンスタントに開催することに。
12月
 ハタフローヨガインテンシヴコース無事修了。
 画像上両肺腫瘍の増大が続いており、年明けから薬剤変更確定。
 年末年始は親子三代で近県へ厄除けとお買い物の旅行。

 と、こう書きながら、今年も腰を落ち着ける暇もなく、ひたすら動き回っている、とつくづく思った。
 今年の3大ニュースは、均整術師養成コース修了、ハタヨガインテンシヴコース修了と来月からの瞑想ヨーガのクラス実施決定(インストラクターデビュー)だろうか。
 通院は後半からは隔週で落ち着いた。読書量は少し盛り返して81冊。昨年は72冊、一昨年は87冊、3年前は84冊。少なくとも100数十冊、300冊を超えていた頃が遠い昔のようだ。レビューもろくに書く時間がとれない。当日の治療日記でちょっと触れるだけが精一杯。
 映画はその分結構観た。機内やWOWOWを含めて98本。映画館で観たのはその半分弱。観っぱなしで、レビューが書けていないのも去年と同じ。

 京都通いはほぼ途絶え、関西へ旅したのは息子の引越し先確認で1回のみ。その分息子がいつになく足しげく帰省した。
 それでも台湾3泊、秋田1泊、北海道2泊、などそれなりにショートトリップに出ている。

 地元のヨガスタジオにはあまり通えなかったけれど、均整術師養成コースやハタフローヨガインテンシヴコースなどで密度の濃い時間を過ごした。今年レッスンを受けた回数は昨年の164回に及ばないが、ワークショップなども含めて136回。
 
 治療を続けながらこうしてコンスタントに運動を続けられること、つまり体調をセルフコントロールが出来ていることは、本当に有難いことだ。治療を続けていくうえで体力維持は必須である。階段の昇り降りがきつくなったり、これ以上息切れが酷くなったりしたら、毎日仕事には出られないどころか、片道1時間半かけての治療にも通えないだろう。

 昨年に引き続き、土日に2日連続で人と会うために都心に出かけることはしなかった。今年、土日連続で都心に出たのは、1泊でヒーリングコースと均整術師養成コースに行っただけ。どちらも行き先はSさんスタジオ。自分のために使わせてもらった。
 それでも、物理的に時間が足りない。家の掃除も満足に出来ない。断捨離も根を詰めて行うと、すぐにグッタリくる。埃を吸えば鼻水は出るし、咳き込む。曲がりなりにもフルタイムで働いて、家のことを人様と同じレベルで完璧にやろうなどというのはやはり欲張りな話だろう。寝る時間を削ってまで家事をやる元気は今の私には、ない。

 去年同様、クリスマスもお正月も特段の準備もしなかったし、正直出来なかった。普段の手抜きの家事だけで既にオーバーフローしている。丁寧な家事仕事は全くもって出来ない。大掃除も無理。それでも仕方ない、と思えるようになった。それが嫌なら仕事を辞めるしかないのだろうと思う。ただ仕事をやめてずっと家にいて家事をするかと問われればおそらく・・・。

 大学卒業後33年近く、産休と6ヶ月の病気休職以外休みなく働いてきた。健康な身体を頂いたのだから、働くことで社会に少しでも還元することは当然と思ってきた。
 けれど、昨年辺りから平日のゴールデンタイムを全て取られていると、家のことは二の次になっているという当たり前のことに気付くことが多くなった。まあ、家にいられる方たちと同じように自宅を綺麗にキープしておくのは、健康な働き手でも難しいことだろう、ともはや開き直っている。

 明日からの2018年はどんな年になるのだろう。来月から治療変更。必要以上に気負うことなく、心穏やかに潔く精一杯生きていきたい。私なりに、私らしく、細く長くしぶとくがモットーであることは変わらない。

 長々と書き連ねてしまいましたが、今年も一年お付き合い頂きまして、どうもありがとうございました。
 来年も気力・体力が続く限り細く長く綴っていきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。
 皆様にとって、来たる新しい年、2018年がより健やかで穏やかなものでありますことをお祈りして、今年最後の記事としたいと思います。
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2017.12.31 初雪にびっくり、2泊3日北関東の旅スタート

2017-12-31 20:51:28 | 
 昨夜の体調ではかなり心配だった今日からの旅。薄紙を剥がすように少しずつ復調してきて、朝食も4日ぶりに普通に頂くことが出来た。
 寝坊助の息子を起こしていざ、出発だ。

 予定通り準特急で最寄り駅を出発し、ターミナル駅でJRに乗って来た母と合流することに。息子に、母が乗ってくる快速電車が到着するホームに先着させて、母をピックアップし、無事4人で日光詣と金色に新装しているスペーシアに乗り込んだ。
 随分前のこと、まだ車体が白とオレンジだった頃、家族揃って日光に出かけて以来。ボックス席ですっかり旅気分。1時間半足らずの旅だ。お天気はあいにく雲り空だけれど、車窓からは山々の稜線がとても綺麗。遠く雪を被ったのは赤城山だろうか。

 江戸から明治期に北関東有数の商都として栄えた「蔵の街」栃木に降り立つ。さすが北関東の空っ風の冷たいこと。皆で厚着をしてきたが、底冷えがするようだ。レトロな建物巡りが出来るから降りよう!という夫に乗せられて歩き始めた大通りは、あいにく大晦日でどこも寂しくシャッターが下りている。
 蔵が立ち並ぶ巴波(うずま)川のほとりまで歩くが、江戸時代にタイムスリップ出来るという遊覧船もカバーがかけられて残念ながらクローズ。観光館や美術館もどこもかしこも休館だ。寒いと思ったら、チラチラと雪が舞ってくるではないか。そんな中、鯉や鴨が泳ぐ姿に息子が触発されて餌を買い求める。ここで、すっかり童心に帰ってしばし餌やりに熱中する母子である。この頃から大分復調して笑顔が戻ってくる。

 旧町役場まで歩き、蔵造りのスタバに目を見張りつつ、お目当ての洋食屋さんを探しに行った夫と息子は、残念ながらクローズだと戻って来た。諦めてホテルのレストランでランチにする。静かな店内でゆっくり出来て、リーズナブルなお値段で美味しいランチを頂く。ドンペリドンの助けは借りたけれど、シェフからデザートまで振舞って頂き、皆「栃木はいい街だ」と大満足。
 外は霙か冷たい雨か、雲行きがかなり怪しくなったので、タクシーを呼んで頂き、1時間に1本の電車に乗ることに。息子はわざわざミニバスに乗っていきたいと、ホテル向かいのバス停から一人でふれあいバスに乗るという。先に駅に到着した私たちの気を揉ませてくれる。いつでもどこでもこじらせるのが得意な奴である。

 なんとか予定の電車に乗り込み、3駅先まで移動。初詣に行く予定にしている厄除け大師で有名な佐野の街に降りる。雨はやんでおり、寒さも栃木ほどではなくほっとする。
 タクシーでホテルまで移動して荷物を預け、クリスマスプレゼントとお年玉と、それに早くも頂いた来月のお誕生日祝いの軍資金を片手にした息子ともども、皆でアウトレットモールへ急ぐ。
 まずは彼の目的の靴とシューツリーをゲット。思いのほか混んではいない。母と私はパジャマ等を買って、しばしぶらぶら。明日のハッピーバッグに並ぶのかは体調次第だ。それでも昨日とは別人に元気になったので、皆をほっとさせている現金な私だ。

 2時間ほど歩いてカフェでお茶をして一服。ホテルに戻って態勢を整え、レストランへ繰り出した。
 夕食にはご当地ラーメンが有名なこの街ならでは、年越しそばならぬ年越しラーメンを頂く。再びホテルの展望露天風呂でゆっくり手足を伸ばし、冷えた身体を温めた。

 2017年大晦日、旅初日、あと数時間で新しい戌年がやって来る。
 
 

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2017.12.29-30 年末休暇は始まったけれど・・・頭痛とともに

2017-12-30 21:10:26 | 日記
 金曜日。投与2日目。
 昨日は頑張って仕事納めに行ったものの、夫が忘年会(通算6回目!)で夕食は不要というので、帰りに息子のお弁当だけスーパーで調達。私は巻き寿司を2切れつまみ、食後はリビングで横になる。夫はいつまで経っても帰宅せず、気づけば息子と2人でうたた寝をし、時は既に日付が変わる頃。午前様の夫を置いて、入浴後、就寝するところにようやくご帰還となった。

 普段なら今日一日頑張れば、と通常通り出勤するのに、前夜が遅かったことと、身体が休日モードになってしまっていることで、全く起きられない。頭が痛くて割れそう。気持ち悪さと怠さも相まって、なんとか洗顔だけ済ませたが、食欲など欠片もない。

 リビングで横になりウトウトするだけの半ば廃人状態の私を見かねた夫が、午後から息子を連れ出してくれる。パジャマのままで行儀悪く、用意しておいてくれていた朝食のうち、果物とお茶だけを頂き、再びリビングのソファに移動してウトウト。

 寝たかと思うとLINEで「今日も元気だ!ご飯が旨い」の2人から、出かけた先の写真がこまめに送られてきて、寝ているんだか起きているんだか。とにかく頭が痛く、起きられない。
 終日、リビングのソファとお手洗いを往復しただけで、あっという間に辺りは暗くなってしまった。文字通り籠城蟄居。昼食とお茶を済ませて元気に帰ってきた2人は、またお酒片手に夕飯を摂っていたけれど、こちらは全く動いていないので、お腹も空かない。主食らしいものは一切摂れず、鍋の残りを頂いて薬だけ飲み、入浴後、早々に横になる。

 土曜日。投与3日目。
 良いお天気だ。普段なら夕方辺りから復調してヨガクラスにも行くタイミングだというのに、相変わらず頭痛が酷い。寝過ぎなのか腰も痛いし、なんとも冴えない。炊事も洗濯も申し訳ないけれど、すっかり夫任せである。
 明日からは母連れで2泊の旅だ。こんな調子ではとてもではない、と意を決してパジャマを脱いでゆるゆると動き出した。

 お正月のお花が届き、なんとかその始末と拭き掃除を済ませる。一昨日からろくに食べていないので、少し動いただけですぐに立ち眩みでふらつくし、息切れも酷い。結局、私は大掃除らしきことは何一つ出来ず。夫にはレンジ周りを綺麗にしてもらい、掃除機をかけてもらう。

 息子が帰ってくれば、当然生ごみも洗濯物も増えるし部屋も汚れる。夫婦2人だけで殆ど家事は最小限、というわけにはいかない。
 夫が、私が少しでも休めるように、と午後から実家の母のところに出向いてくれた。先日届いた電灯の取り換えが年明けになってしまうのは、と助手に息子も連れて行った。
 一人になってようやくマイペースで家事と休息。夕食の支度を済ませ、2日ぶりに駅前まで買い物に行った。すっかり体力が落ちてしまった。鏡に映った自分を見ると目は落ち込み、目の下はクマ、顔色は土気色の病人然としている。

 投与後、こんなに調子の悪いところを息子に見せたのは初めてだ。このところ頻繁に帰省してはいたけれど、休薬週に当たっており、ごく普通に動けているタイミングばかりだった。
 そもそも貧乏性の私は動ければじっとしていないから、こうして全く動けないことについて彼がどう思っているか分からないけれど、ぱっと見はいたってマイペース。
 起こされなければ起きず、出てきた着替えをそのまま着て、出てきた食事を摂り、眠くなればお昼寝をし、ゲームに勤しみ、SNSやら何やらお友達との交流に勤しんでいる。

 というわけで、明日は大晦日。今日はなるべく早く眠って明日からに備えたい。

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2017.12.28 仕事納めに想うこと~いのちの値段

2017-12-28 21:19:23 | 日記
 今日は仕事納め。昨日の投与翌日とあって、朝から体調はすこぶる悪い。明け方気分が悪くて目が覚め、そのまま眠れず。
 昨夜早めにベッドに入ったので4時間ほどは眠っていたものの、起き出すには余りに早いし、眩暈もするし。1時間ほどぐずぐずしていたら夫がお手洗いに起きたので、ちょっとだけ、と話しかけてしまった。夫はそれで目が覚めてしまったらしく、もう起きる、と寝室を出た。私はその後もしぶとく1時間ほどベッドでウダウダしていた。

 食欲がないので朝食はパンをひとかけ、果物とお茶だけ。夫が出かけるタイミングで息子を起こして「片付かないから早く食べて」と言うと、「お母さんのその台詞を聞くと帰って来たなあと思う。」と。子供の頃からいつもいつも、そう言って急かしてきたのだなと改めて思う。

 出勤すれば昨日溜まったメールなりなんなりやることは山積。既に昨日で仕事納めとしている人もそこかしこに。そんなわけで空席が目立ち、一層事務室が冷えている。
 とはいえ、やることがあるということは不思議なくらい体調不良を忘れる。午前中大車輪で頑張って大分書類のヤマを崩すことが出来た。なんとか6日間の年末年始休暇に突入出来そうである。

 今朝、読売新聞の連載、医療ルネサンス「いのちの値段」読者の声<上>高額治療 社会の負担思う、の記事に眼が釘付けになった。

 昨日の治療納めで今年1年の私一人の支払合計額が出た。32回の通院、3割負担で110万弱である。これでも抗がん剤の量は半分に減量、かつ2投1休を隔週にしたので、実際には既定量より大分少なくなっている。つまり既定どおりに投与したとなれば、この倍はかかったことになる。7割は共済組合に負担して頂き、さらには高額療養費で還付さえして頂いている。

 この記事では、人工透析と高額のがん治療薬(オプジーボ)に対する声が取り上げられていたが、88歳の透析患者さんの言葉が私にとても響いた。「自己負担がわずかな透析に、生活費の4倍近い医療費が費やされる。『社会に尽くしてきたご褒美』と受け止めてきたが、医療体制が整わない途上国で命を落とす子どもの姿をテレビで見るたび、『日本は恵まれすぎ』と感じていた。社会に負担をかけているという『後ろめたさ』から逃れたい気持ちや、透析による延命は自然ではないという思いもある。『元気で動けるうちは思い切り納得できる生き方をして、だめになったら透析をやめる』と考えるようになった。」とあった。

 そう、他でもない。私がこうして治療を続けながら生き長らえているということは、社会に負担をかけている、という後ろめたさが今の私の中にも大きな存在感を持って“ある”のだ。
 もちろん33年間近く働き、欠かすことなく毎月数万円単位の掛け金を支払い続けてきた。若い頃、健康な時は「高いな」と思ったけれど、こうして実際10年近く毎月お世話になっていると、本当に申し訳ない気持ちで一杯になる。

 ある時、思いもかけない人から「(医療費が嵩んでその上還付まであるから、毎月の掛け金は払っているかもしれないけれど)充分モトを取っているよね。」と言われた言葉がずっと胸に突き刺さっている。
 ヨーガの智慧で、考えても仕方のないことは考えない、をモットーにしてはいるけれど、こうした記事を読むことでその後ろめたさが蘇ってきたということは、まだまだ自分の中で浄化し切れていなかったのだ、と思い知らされた。

 勝手な理屈かもしれないが、自分が冗談で言うのは、良い。けれど、他人様からこう言われてしまったら、医療費を使わせて頂いている患者としては立つ瀬がない。「私は掛け金でモトを取ろうなどとは思っていなかった。掛け捨てになろうが、病気にならずに健康でいられた方が良かった。あなたはモトを取りたいの?私の代わりに同じ治療をし続けてくれますか?」と喉元まで出た言葉を飲み込んで下を向き、黙るしかなかった。

 オプジーボなど高額な治療薬について、日本対がん協会長でおられる垣添忠生先生がおっしゃった、高額で保険財政を圧迫するオプジーボは若い人が(優先的に)使った方が良いという思いに対しても、とても心が揺れた。
 確かにまだ現役世代の私は、80代、90代の大先輩からすれば小僧の若い部類に入るのかもしれない。けれど、30代、40代という実際にもっと若い患者さんたちからすれば、私はあと数年で退職する年齢の先が見えた、 “若い人”では決してない世代でもある。そんな私は高額な新薬を使うことを望んではならないのだろうか。

 考えても仕方ないことは考えない、と思いつつもいのちの値段を改めて想う仕事納めの夜である。
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2017.12.27 採血後診察、ハーセプチン188回目(1.65倍量1回目)、ジェムザール(5割減)21クール1回目)打ち止め、治療納め

2017-12-27 21:38:55 | 治療日記
 昨夜は仕事を終え、いったん帰宅。夫と2人で夕食を済ませてから、予定通り病院近くの常宿に移動した。忘年会帰りと思しきご機嫌さんの人たちが多く、車内はなんとなくお酒の匂いで満ちている。
 少しぬるめのお湯でのんびり入浴し、見たいテレビもなく、早めにベッドに入ってはみたけれど、結局いつもの時間くらいまでは寝付けなかった。

 夜中にお手洗いに起きたが、すぐに寝直し、いつも通り起床。夫は遅めの出発で出張先に直行ということだったので、モーニングLINEの使命はなし。
 恒例の少し熱めの浴槽足湯で、マッサージしながらじんわり汗をかく。レストランで新聞を読みつつ、焼きたてデニッシュの朝食を摂り、朝の連続テレビ小説を視てからチェックアウトして病院へ向かう。今日は昨日よりうんと気温が下がって最高気温は一桁、風が強く体感温度は0度だという予報に震え上がる。
 ホテルを出ると、確かにピリリと冷たい風が頬を撫でるが、青空が澄み渡り、いいお天気だ。上を向いて深呼吸をすると、気持ちがシャンとする。

 IDカードを通して採血受付に出向く。年末のせいかかなり混んでいる。10人ほど待っていて、7分から10分という待ち時間が電光掲示板に出ている。その通り10分ほどで自分の番が来て中待合へ。今朝もS部長さんが担当だ。さすがにこれだけ連続で担当して頂くと「あれ、この前も担当したな」と覚えてくださったようで、声をかけてくださる。
 「それだけ病院に来ているということだから・・・あまり嬉しくないよね。もう何クールくらいになるの。辛いね。」と。「何クールというか、再発して10年になります。でも来られなくなる、ということはお空に・・・ということですから、有難いです。」とお応えするうちに、白血球等のチェックのため2本の採取。針刺しも抜針もちょっとビリッとして終了。

 止血したまま向かいの腫瘍内科に移動。待合椅子の定位置は既に埋まっていて、別の席を確保して読書を続ける。小一時間読んで、切りがよいところで忘れないうちに血圧測定。108-63、脈拍は73。15分ほどして中待合へどうぞ、と番号が出る。
 その後待つこと20分ほどして先生がお顔を出された。朝の受付から先生にお目にかかるまで2時間弱である。

 ご挨拶の後、「さて、いかがお過ごしでしたか」と問われ、体調説明。「おかげさまで副作用はありますが、なんとかうまくコントロール出来ています。いったん咳き込むと結構長いこと止まりませんが、痛みは酷くなく、朝一回のロキソニンでやり過ごせています。」とご報告。
 診察室での検温は6度6分。「さて、来年から治療変更で良いと思います。」と仰る。「はい、私もそう思っています。ハーセプチンは3週に1度ですが、2週間後から治療変更ということですと、今日は量を調整するということですか。」と訊く。

 「これまで4週間に1度で3.3倍量(300ml,アンプル2本)だったので、今日はアンプル1本廃棄することなく150mlでいきます。そして次回からは1㎏あたり6mg、規定通り3週間に1度で継続しましょう。久しぶりなので今日は身長体重を測って帰ってください。」と仰る。
「採血の結果は問題ありませんか」と問うと、白血球は3,800、好中球も1,800で問題なし。貧血は11.5で相変わらず、アルブミンも低め安定で3.9とのこと。

 次回は2週間後、年明けに採血、レントゲン、心エコーの予約が入った。前回4週間分の各種内服薬を処方して頂いているので、今日は薬局に寄ることもない。ランマークは前回でいったんお休みなので、デノタスチュアブルは今残っている分2週間分を飲み切るまでで終了とのこと。

 今日はハーセプチンの量を半分に変更し、ジェムザール5割減量も21クール1回目で打ち止めになった。これで先生にお目にかかるのは年内最後、良いお年を、とご挨拶して診察室を後にした。

 化学療法室へ移動。お手洗いを済ませ、夫やお友達に報告LINE。10分ほどで、看護助手さんから外側のナースステーション脇のリクライニング椅子にご案内される。明後日から年末年始の閉院になるので、金曜日の方たちが今日、明日とばらけて来ているのか、混雑していて、看護師さんたちは皆お忙しそうにカートを押したり、Okさんが指示をされたり。

 リクライニング椅子に座って態勢を整えて本を読んでいると、Okさんが見えて、「では針刺ししましょう」と。あっという間に今日も早業。不思議と全く痛まない。さすがである。逆血も問題なく、薬が届くのを待つ。
 それから30分近く待ってOkさんが「お薬届きました。始めましょう。」と声をかけてくださり、点滴開始。「来年からは3週間に一度になります。3年前にゼローダはタイケルブとセットで、10日でギブアップしたのですけれど」と言うと、「でもその経験が役に立ちますね。ゼローダは手足症候群に注意。いまから保湿しておきましょう」とのこと。

 ハーセプチンは薬量が半分でも薬のパックは250mlで同じ。1時間ちょっとの時間をかけて行う。吐き気止めのアロキシとデキサートが20分弱、ジェムザールが30分ちょっと、最後の生食が15分ほど、2時間強のフルコースも今日でおしまいである。年明けからは点滴はハーセプチンのみ、あとはゼローダの内服となる。

 ずっと本を読んでいたけれど、吐き気止めの途中でどうしようもなく眠くなり、寝落ち。20分ほどウトウトしてしまったようで、気づけば点滴は3本目のジェムザールに変わっていた。むっくり起きて、また読書を始めるとOkさんが「あ、起きてる。珍しく寝ているんだ、と思ったけれど」と。いつものように最後の生理食塩水が始まったところで血圧測定。103-56、脈は58。「安定していますね」とのこと。
 抜針はMさん。やはり若干の衝撃は免れなかったけれど、ヨガクラスの話になり、励まして頂いた。

 病院滞在時間は5時間を超えている。皆さんに良いお年を、とご挨拶をして、中待合で身長体重測定。身長は165.5cm、体重は風袋毎で47.1kg。
 会計書類を腫瘍内科受付に出してから、時間を見計らって自動支払機へ移動。採血、点滴の3割負担、3万円弱をカードで支払う。ハーセプチンが半分なのでこの値段である。

 外に出ると日差しがあり、思いのほか暖かかった。吐き気止めが効いて食べられるうちに食事を、と駅ビルのパスタ屋さんに入った。駅の構内は大荷物を持った帰省客や旅行客でごったがえしている。
 持参した本は2冊とも読み終わった。どちらも面白かったので、休暇に入ったらなんとかレビューを残しておきたい。帰りは快速電車で席が確保出来たが、読む本もなく、なんとなくウトウトしてしまった。乗り換え駅のスーパーでお寿司や果物等を調達。最寄り駅からタクシーに乗り込めた。

 私が帰宅したのと同じくらいの時間に、息子が新幹線に乗ったとの連絡。
 いつもどおりの時間に夫が帰宅。リビングでげんなりしている私を見て、「昨日の夜まであんなに元気だったのにね」とのたまう。その後1時間ほどして息子が殆ど手ぶらで到着した。夕食作りは夫に任せ、私はまるで食欲がなく、いまだに夕飯が摂れない。
 薬を飲むために何か口に入れないと、と思うけれど口の中が気持ち悪くてお茶を飲んでもまずいことまずいこと。
 とにかく明日は仕事納め。一日働けば明後日から年末年始休暇。なんとか乗り切ろう。そして今日は息子には悪いけれど構うことなく早めに休むことにしたい。
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