ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2014.9.30 9月最終日に想うこと

2014-09-30 20:23:55 | 日記
 あっという間に9月も今日で終了。明日からピンクリボン月間の10月だ。今年も早くも残り4分の1になったということだ。
 気付けば、街路樹のカツラは色づき始めた。学内では、つい先日満開になって素晴らしい真っ赤な花をつけた彼岸花も散り、私にとって「10月がやってきましたよ」という合図になっている金木犀の馥郁たる香りが漂っている。

 クリスマスケーキにおせち料理、あるいは年賀状印刷のDMが届き始め、いよいよ落ち着かない季節になってきた。昨年は義母が亡くなり、喪中欠礼状を早目に書き終えたけれど、今年は2年ぶりに年賀状の手配である。1年、間が空いたことで、近況報告をし合っていない友人知人も少なくないので、きちんと準備しなくてはと思う。

 昨日は、夫がいつもより早く出勤しなければならないということで、早めに目覚ましをかけて送り出したが、私は、といえば大事を取って休暇にした。
 1泊2日での遠距離移動は、やむを得ないとはいえ、本当に疲れに行くようなものだと思う。若い頃は出かけた翌日に出勤するのは当たり前だったけれど、この頃は、よほど早目に帰って来られない限り、もしくは明日1日行けば土日だから、という時以外は、“大事を取って帰宅翌日も休暇”のパターンになってきた。
 ずっと綱渡りだった有給休暇の残日数も、今年になって通院日がぐんと減ったことで、大分余裕が出てきたからこそ手に入れることが出来た贅沢なリハビリデーである。

 さて、出勤しないで良いとなると、いつもながら現金なもので、夫を送り出した後はいきなり身体が重くなる。もたもたと洗濯を済ませ、一段落したら撮り溜めたビデオでも見ようかとも思ったけれど、気付けばウトウトしてしまう。
 終日頭痛が酷く辛い1日になり、夕食を済ませて入浴したら、いつも就寝前の時間に飲むと決めているタイケルブの時間まで起きていられず、1時間以上早目に飲んでベッドに向かった。

 これがどうしても仕事に行かねば、と思えばそれなりにシャッキリするのだから、なんとも不思議なことだ。やはり根がグウタラ者の私としては、早まって退職するのは良くないだろうな、と自戒する。
 それでも、今日も相変わらず頭痛は抜けず、なんとなく身体が重くてだるいトホホな1日であった。
 季節の変わり目、うまく体調をコントロールしながら過ごさなくては。

 明日は5週間ぶりの通院日である。
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2014.9.28 義母一周忌法要無事終了、閲覧ページ200万頁突破御礼 

2014-09-28 23:05:10 | 日記
 昨夜は風邪引きの夫の鼾でなかなか眠れず。明け方になってからウトウトして所為か、少々寝過ごす羽目に。のんびり朝風呂に入ることも出来ず、部屋のユニットバスで足湯だけ素早く済ませ、朝食レストランへ向かった。

 今日も抜けるような秋の青空の好天に恵まれた。義妹夫婦の車で菩提寺へ移動する。
 ご住職ご夫妻にご挨拶をした後、義父の妹(夫と義妹の叔母にあたる)とその次男(同じく従弟にあたる)を迎え、今回はこじんまりと夫と私2人、義妹夫婦の出席者6人が揃い、法事が始まった。
 思えば、昨年11月、義母納骨の折、90歳を超える義父の妹夫妻が揃って参列してくれたのだが、そのご夫君が今年早々亡くなった。その連れ合いの叔母上もめっきり足が弱ってしまい、とても正座が叶わず、皆椅子で読経を聴く。
 無事焼香が終わり、墓石の前でのお参りも済ませ、少し早めに昼食会場へ向かった。車窓からいろいろなお店を見ながら、(義母が)このお肉屋さんのお肉を送ってくれた、とか○○屋さんのパンを送ってくれた等と懐かしく思い出す。
 義母の戒名は「秋明院・・・」であるが、シュウメイギクの名の通り、こんな明るい秋の日に一周忌のお勤めを果たすことが出来、夫ともども本当にほっとした。
 お昼は1847年に建立されたという蔵屋敷の往年の姿を生かしたレストランで会食。重厚な扉や柿渋塗りの柱や梁が見事である。この街は食の都とも言われ、立地的に独特の食文化を維持してきた奇跡の土地だという。豊かな海が近く、山々に囲まれ、真ん中に大きな庄内平野を抱えていることから、食材に恵まれ、料理人にとってはとても刺激的で魅力的な所らしい。確かに美味しいお米、四季折々の果物、魚介類、いつ訪れても美味しいものが一杯である。そんな旬の食材をふんだんに使い、洒落たあしらいのお料理の数々に皆で舌鼓を打ち、義母を偲んだ。

 叔母上と従弟を送った後、4人でお土産の手配等を終えて、国指定重要文化財である旧風間家住宅「丙申堂」と国登録有形文化財である別邸の「無量光苑釈迦堂」を訪れた。
 風間家は、幕末期にこの街第一の豪商、大地主となった商家である。丙申堂は20年に一度葺き替えるという石置屋根が見事だ。10年近く前、藤沢周平の「蝉しぐれ」が映画化されたが、この建物をそのまま使って撮影がされたという。最近NHKのテレビ番組でも紹介されたが、こうして一般公開されるようになってからまだ10数年しか経っていないようで、夫も初めて訪れたとのこと。
 釈迦堂は庭園が素晴らしいが、縁側にはなんと奇遇なことにロッキングチェアが置かれ、思わずそこでしばし揺られてきてしまった。

 夕方の飛行機に間に合うように空港迄送ってもらい、カフェでお茶をしてもう1泊する義妹夫婦とはお別れ。ちょうど夕暮れの時間だったため、展望台から日本海に沈む真っ赤な夕日を拝むことが出来た。
 飛行機は定刻通りの離陸。美しい東京の夜景を見ながら、これまた定刻通りに着陸した。帰りのリムジンバスも至極スムーズで、1時間半ほどの超スピードで最寄駅まで戻ってくることが出来た。

  
 さて、アクセス状況を見ると、昨日で閲覧頁が200万頁を超えた。
 100万頁を超えたのが一昨年の12月、そして昨年12月に150万頁を突破。それから9カ月で更に50万頁をご覧頂けたことになる。単純に一日で割りかえせば1,900頁弱である。
 ブログ村等のランキングに参加することなく、ただただひたすら日々長すぎる嫌いのある(少なくともスマホでご覧頂くのはかなり厳しいだろう・・・)文章を綴り、グルメなお料理や旅の綺麗な写真を載せることもなく・・・。そんな地味なブログであるのに、読んでくださる方がこれだけいらっしゃるということが、私の励みになっている。
 次は250万頁を、出来れば300万頁をも目指して細く長くしぶとく、書き続けていきたいものである。

 これからも引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

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2014.9.27 義母一周忌のため帰省 秋の日にクラゲとアシカに癒される

2014-09-27 21:50:02 | 
 今朝で、朝の連続テレビ小説も最終回。この原作になった文庫本(村岡恵理著「アンのゆりかご-村岡花子の生涯-」・新潮文庫)は一生懸命読んだし、何より少女時代、「赤毛のアン」シリーズにはとてもお世話になったので、終了してしまうのはちょっと淋しい。
 今日は8時過ぎの最寄駅発のリムジンバスを予約していたため、いつもの土曜日のようにベッドで鑑賞というわけにもいかず、BSで早めに鑑賞後、夫と2人で家を出た。

 一般道も高速も結構混んでおり、たっぷり2時間かかって羽田空港へ到着した。いつものことながら、空港は旅行前の高揚した気分で溢れ返っている。チェックインして身軽になり、お土産を買いこんだ後は、ラウンジで休息。
 乗り込んだ飛行機は満席。定刻通り離陸した。窓側の席で、しかも天気が良かったおかげで、眼下には少し雪を被った鳥海山がくっきりと、また、着陸前に一旦日本海に出て大きく旋回したことで、かつて義母とも訪れた湯の浜温泉や由良の海まで見渡すことが出来た。何度もこの飛行機に乗って帰省したが、こんなに夫の郷里の景色を俯瞰できたのは初めてのことだ。
 定刻通りに無事着陸すると、昨日から前泊している義妹夫婦が空港まで迎えに来てくれていた。

 そのまま、義妹の提案で今年4月にオープンしたばかりのクラゲの展示で有名な市立水族館を目指す。いつもなら、空港からリムジンバスでホテル迄直行し、駅前でお土産を買っておしまい、のところだけれど、今回は有難くも法事前日オプション観光付きである。

 もう20年近く前、息子がまだ赤ちゃんだった頃にここを訪れた時は、言葉は悪いがなんとも寂れて閑散とした小さな水族館だった。ペンキが剥がれ、外の水槽にいたオタリアの声がなんだか哀愁を誘ったのを覚えている。が、今はかつての建物の向かいに、日本海に面して白亜の新築の建物が聳えている!
 クラゲの展示種数は50種以上ということで、世界最大級、直径5mの円形水槽を設置し、ミズクラゲ約1万匹を展示したクラゲシアターが看板だという。駐車場はどこも一杯で、エントランスまでかなりの距離を歩く。近県だけでなく遠く東京方面からの車もちらほら。

 薬を飲まないと・・・と遅いランチを館内レストランで頂く。クラゲラーメン、クラゲソフトクリームなどメニューは見事にクラゲ尽くしである。海の幸満載の定食を頂いた後は、鑑賞開始。沢山の珍しいクラゲにいちいち大きな歓声を上げながら、写真を撮りまくって息子にLINEで送ったり、としっかり楽しむ。
 先日、大阪観光では久しぶりに動物園を訪れたけれど、実は水族館が大好きである。ゆらゆらと水中で揺らめくクラゲを見ながら、気持ちがほっこりと癒されていくのを感じる。
 そして今日最後というアシカショー。僅か15分ほどだったけれど、賢いアシカの芸にこれまた癒されて童心に戻って楽しむ。イルカショーのように水しぶきも上がらず、ちびっこ連れの家族たちに交じって熟年の大人4人、大いに満足した。

 帰路は、明日のお花やお供物等の手配をしながらホテルへ。チェックインして一息ついてから、夕食に出かけてきた。
 夫がネットで見つけた、田園の中に位置する評判が良い一軒家レストラン。オープン以来かれこれ20年になる、と伺った奥様は東京出身とのこと。自家製の有機栽培野菜たっぷりのサラダやパスタ、薪窯で焼いたアツアツのピッツアなどイタリアンのコースを皆で堪能して、満腹でホテルに戻ってきた。

 朝から何やら空咳が続いているのがちょっと気になるけれど、ゆっくり大きなお風呂で汗を流し、ぐっすり眠って明日の法事に備えなくては・・・。

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2014.9.26 “良薬口に苦し”は過去のもの?重視するのは味より効果では・・・

2014-09-26 20:49:58 | 日記
 朝日新聞のネット記事で気になるものを見つけたので、以下転載させて頂く。

※   ※    ※(転載開始)

いちご・バナナ・ココア…ジェネリック薬、口に甘し(2014年9月26日11時32分)

 良薬、口にも甘し――最近話題の「国語の乱れ」ではない。苦い薬を飲むのは苦痛という患者の声に応えようと、後発薬メーカー各社が「おいしい薬」づくりに力を入れているのだ。
 見た目は何の変哲もなく、白く丸い錠剤。口に含むと、抹茶味(脳卒中薬)や、オレンジヨーグルト味(胃腸薬)がして驚かされる。後発薬(ジェネリック)大手の沢井製薬の製品の一例だ。
 いずれもラムネ菓子のように口の中で溶かして飲む「OD錠」と呼ばれる薬。子ども向けのドライシロップにはストロベリーやバナナ、お年寄りが飲むことが多いものにはメントールや抹茶と「苦みをうまく消すだけでなく、薬を飲む年齢層に応じて味つけも変えている」(製剤研究部の菊岡広晃グループマネジャー)。
 菊岡さんら約40人の研究員が働く大阪市内の研究室で欠かせないのが「味覚センサー」だ。開発中の薬にプリンを混ぜたり、乳酸菌飲料を加えたり。どの味つけが最も苦みをなくすか数値を調べている。配合を変えながら、試作を100回以上重ねることも。5年前に導入すると、またたく間に業界に広まった。
 東和薬品が2012年に発売した認知症の薬は、おかゆに混ぜて飲めるように梅味をつけた。日医工(富山市)の胃腸薬はいちごヨーグルト味。それに対抗し、テバ製薬(名古屋市)は大人でも飲みやすいようビターココア味を出した。
 各社が味つけを競うのは後発薬の普及が進んだためだ。ひとつの新薬の特許が切れると、後発薬メーカー約30社が、同じ成分と効き目の後発薬を一斉に売り出す。ある製薬幹部は「後発薬メーカーは他社と差をつけるため、おいしい薬をつくるのに必死」と明かす。
■印刷にも工夫凝らす
 味にこだわり始めると、次は「見た目」にも凝りたくなるのは世の常。東京都内で7月にあった医療機器の展示会で特ににぎわったのが、印刷機の展示ブースだ。
 数年前まで、錠剤に記されていたのは無味乾燥な識別番号ぐらいだった。製造元はそれで十分でも、飲む側からはわかりにくく誤飲の危険性があった。
 潮目が変わったのは最近1~2年のこと。国が医療費削減のため後発薬を普及させる方針を掲げると、後発薬メーカーがこぞって薬を増産。見た目の分かりやすさで他社と差をつけようと、新しい印刷機への投資が活発になった。
 インクジェット印刷であれば、薬の成分名や製造元、含有量をきれいに印字できる。
 国内の中小企業の独壇場だった錠剤用の印刷機市場も、今年7月には大手の大日本スクリーン製造も参入を決めた。約2億円の専用印刷機は、直径7ミリほどの錠剤の片方の面に16文字も書くことができる。
 「後発薬は医療現場の要望に応えないとなかなか買ってもらえない。印刷機への投資は、製薬業界で今一番のトピックだ」。大日本スクリーンの橋本邦久事業部長は力を込める。
 沢井製薬の菊岡さんは「患者さんと医療現場の要望にどこまでも応えようという気持ちが、改良を進めるきっかけになっている」と話す。(福山亜希、伊沢友之)

(転載終了)※    ※    ※

 最近、薬局で「ジェネリックでなくて良いですか」と訊かれることが増えた。
 職場では「医療費の増大を避けるため出来るだけジェネリック薬を使いましょう」と共済組合からお願い文書が届いている。初発以来、大きな医療費負担をして頂いている組合に少しでも協力出来るなら、その方が良いことは重々承知している。もちろん、効き目が全く変わらず安価であるなら、ジェネリック薬品を選択することが、お互いのために間違いなく良いことだろう。
 が、果たして本当に効き目が同じかどうか、軽微な風邪薬等、実際に試してみることが出来るものは良いけれど、それが出来ない場合、例えば、抗がん剤で効き目が悪く、取り返しがつかなくなりそうな場合はどうしたものだろう。

 痛み止めでここ数年毎日お世話になっているロキソニン、最近では処方箋に「ロキソプロフェンで可」と書かれている。そう書かれた最初に、薬局で「ジェネリック(ロキソプロフェン)に変えますか?」と訊かれたが、「どれだけ負担が違うのでしょうか」と確認したところ本当に微々たるもの。そうであるならばもし効きが悪ければ困るので、ロキソニンのままでお願いした。以来、ロキソニンを飲み続けている。

 もちろん、私一人にとっては微々たる額とはいえ、皆が皆、同じようにジェネリックを選ばずに高価な先発品を選び続けたら、国全体のダメージは大きくなるに違いないけれど・・・。まあ、一般的には負担の少ないジェネリックが選ばれているようだ。

 そもそも薬はお菓子や食事ではないのだから、味がどうの、と言っているよりもまずは効き目が同じでないと、というのが正直な感想だ。もちろん効き目に全く遜色なく、プラスアルファとして、というならウエルカムだけれど、薬たるもの、本来大事なのは味や見かけよりも効き目である。だからまずはそちらをしっかり、だと思う。

 命にかかわる病気であればなおさらだ。確かに高額な開発費をかけた先発品に比べ、後発品のジェネリックは安価になるとはいえ、それほど値段が変わらず、どうも効き目が落ちるというのでは誰も使うまい。
 ちなみに、ある製薬会社のHPで両者の比較表を見ると、有効成分、治療効果は同じ、としながら、効能・効果の部分に※印で小さく「一部、異なる場合があります」などと書いてある。病気と闘っている患者にとっては、その“一部”が致命的な違いであるかもしれないという不安が過ぎる。それでは困るではないか。

 私は初発後の補助療法としてホルモン治療薬・ノルバデックスを内服していたけれど、これはタスオミンがジェネリック薬だとのこと。実際は、ジェネリック薬を飲まずに先発薬のみで終わった(再発した)けれど、それも飲み比べの比較実験が出来るわけではないから、微妙なところだ。
 もしジェネリックのタスオミンにして、先発品のノルバデックスを飲んでいたら再発しなかったのではないか、等と思う事態になるとしたら、患者にとってとても哀しいことだ。まあ、そんなことはないのだろうけれど・・。

 高価な抗がん剤にもジェネリック品が使われているが、実は一部効能・効果が違うことがあります、となれば、とんでもない話だと思う。
 乳がん治療では、既にタキソール(先発品)のジェネリックでパクリタキセル注「NK」が使われているという。
 私はタキサン系抗がん剤タキソテールで酷い目にあったクチだから、この後また同じ系列のタキソール、となると考えただけでちょっと腰が退けてしまうのだけれど、果たして通院している病院で「タキソールの代わりにこちらを使います。」と言われた時、「いえ、是非先発品を・・・」と言えるのかどうか。なんとも悩ましいところである。
 
 後発薬メーカーには美味しい薬、綺麗な薬作りよりは、まずは、「一部効能・効果が違うことがあります」などと書かずに済むようにしてほしい、と思うのは贅沢なお願いだろうか。
コメント (2)
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2014.9.25 緩和ケア外来で、セカンドオピニオン外来で・・・何が悩みなのか

2014-09-25 21:54:02 | 日記
 以前もご紹介させて頂いた、読売新聞医療サイトyomiDr.連載中の大津秀一先生のコラムで、続きも早く読みたいと思った最新号を以下、転載させて頂く。

※   ※   ※(転載開始)

専門家に聞きたい!終末期と緩和ケアの本当の話(大津秀一)
セカンドオピニオンから見える患者の悩み(2014.9.25) 

セカンドオピニオンという言葉があります。
 かかっている医師の診断や治療法が妥当かどうかを、別の医師に意見を求めることです。
 現在では有料の(病院によっては結構高いです)セカンドオピニオン外来を設けている病院も増えて来ています。
 私は緩和ケア外来を担当しています。
 自院に通院している患者さんで、苦痛を緩和してほしいと主治医から紹介された患者さんを外来で診察させて頂いて、苦痛緩和を行っています。
 様々な方がかかっていますから、がんの早期の方も、もちろん治療中の方も、終末期の方もいらっしゃいます。最近は抗がん剤などの治療中の方が多いです。
 緩和ケア外来はどこも一定の時間を確保して診察することが多いです。
 ですので、対話の内容はしばしば苦痛とその緩和策に留まらず、治療中の患者さんの生活上の注意や、今行っている治療で良いのかなどという「がん治療そのもの」あるいは「がんを抱えてどのように生きるのが良いのか」という話題に至ることも稀ではありません。時には「なかなか理解してもらえない家族との向き合い方」の話や「生き方」にまで話が及ぶこともあります。
 「がん治療そのもの」についての質問もしばしば投げかけられます。
 主治医の先生にはなかなか尋ねにくいのか、「先生、この治療で良いのですか?」と直接的な意見が求められることがあります。
 そう、緩和ケア外来がまるでセカンドオピニオン外来のようになっているのです。
 そのような事情がありますから、緩和ケア担当者は抗がん剤治療の知識もある程度必要です。
 私もかつては抗がん剤などのがん治療を行っていましたし、最新の抗がん剤治療等の知識を更新すべくできる努力はしています。主にがんを治療する側の資格である「がん治療認定医」という資格も持っています。
 「さて、この治療で良いのか?」
 そう尋ねられる時は、何らかの迷いが患者さんの中にあることも少なくありません。
 それは治療の副作用なのか、精神的なつらさなのか、経済的な問題なのか、長引く治療に疲れてしまっているのか、様々な理由から「この治療を続けることが本当に良いのか」と思われ、意を決して(おそらくは主治医の先生に直接聞きづらいということで)質問されるのです。
 もちろん私にも自分の意見はありますが、まずはその困っている背景をつかむようにしています。これが緩和ケアとしての重要な支え方であるからです。
 そうやって話を聞いていくと、「効果に疑問を持って」という直接的ながん治療の効果に迷いを持っている例は必ずしも多くないということに気がつきます。
 では、いったいどのようなことに悩まれているのでしょうか? 皆さんはどう思われますか?

(転載終了)※   ※   ※

 長く再発治療を続けて行けば、当然疲れは蓄積してくる。入院して治療だけに専念しているわけではなく、日々の生活も回していく必要があるわけだから。そして、治療のゴールはない(死ぬ迄エンドレス)のだから。そんな中で、いろいろな迷いが出てくるのは致し方ないことだろう。
 辛い治療を続けていても、それなりに結果がついてきてこれまでと同様の生活が維持出来れば、深刻に迷うこともないのだろう。けれど、得られる結果と耐えるべき副作用を天秤にかけて、前者があまり伴わなくなれば、本当にこれで良いのだろうか、果たしてもっと良い選択肢があるのではないのだろうか、と訊きたくなるのは、人情である。

 私自身、再発後に転院するきっかけになったのがセカンドオピニオンだった。それから6年8カ月が過ぎ、幸運なことに現在迄、治療に迷い、主治医以外の意見を訊かなければこの先に進めない、という切羽詰まった気持ちになったことがない。後にも先にも転院時のセカンドオピニオンとサードオピニオンが最初で、今のところ最後である。

 通っている病院の緩和ケア外来の扉を叩いたことはまだない。けれど、がん治療に詳しい主治医とは別の先生が常駐されているなら、他の病院に出向いてセカンドオピニオン外来の予約を取る大変さに比べれば、ずっとハードルが低い。参考までに意見を訊いてみるということは自然な流れだろうな、と思う。

 そう、再発がん患者を長くやっていると、治療が上手くいっている時は良いけれど、ちょっと陰りが出てきたとか増悪が見られたという時には、気持ちが揺れる人が大半だろう。遺された命の時間に直結しているわけだから、何があっても動じない、というわけにはなかなかいかないのではないか。

 先生の次回のコラムがどう展開するのか予想するに、必ずしも患者は効果に疑問云々で悩んでいるのではない、ということが読みとれる。それよりも家族との関わりや、がんを抱えて生きていくあり方といった問題に悩まれているようだ、と。

 いつかもこのブログで書いたけれど、誰か(それは誰でもよいから誰か、ではなく信頼のおける、きちんと病気のことを判ってくれている誰か)に、「(あなたの選択は間違っていない)それでいいんだよ」と言ってほしいという気持ちはいつもある。
 考えて考えて、自分でこれがベストだ、と思ってその都度治療を決めて行く。だからろくに知りもしない人から自分の選択についてとやかく言われたくはない、という気持ちもある。
 定期的に効果測定をしながら、効果が見られなくなれば別の薬にチェンジをして(チェンジ出来るうちは幸せである。)、また治療を組み立て直していく-その決して容易くない、むしろ精神的にはかなりタフな作業を繰り返すにつれて、「それでいいんだよ」と言ってもらう機会がなくなっていくような気がする。

 大切な家族や友人たちが寄り添ってくれていても、自分より自分の治療方法等について詳しいわけがないから、結局のところ、主治医と相談しながら自分で決めていくしかないわけだ。そうして決めたことだから、それを迷っている・・・ということを直接(主治医には)言いづらいのだろう。もちろん、主治医から「あなたが自分で決めたことですよね(私は知りません)」と正面切って言われることはそうはないと思いたいけれど・・・。

 悩みは“孤独”なのではないか。
 次回のコラムを楽しみに待ちたい、と思う。
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