ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2016.8.29 旅行4日目、終日アグラ観光 とうとう夢にまで見た世界遺産・タージマハールへ!

2016-08-30 00:59:14 | 
 今回の旅行、唯一の連泊ということで、昨日は荷物整理もそこそこに早めに就寝。夫は薬のおかげでだいぶ落ち着いて眠れた模様。ほっとする。私の我儘で気の進まない旅行に随行させられて、体調を崩して泣きっ面に蜂ではあまりに申し訳ないものだ。

 今朝もモーニングコールより小一時間早めの起床。ほぼ一番乗りにホテルの朝食レストランへ向かった。近くに宿泊しているガイドさんが心配して様子を見に来てくれる。大事を取って夫は今朝もお粥とヨーグルト、水分のみ。私もオムレツを焼いてもらった他はごく控えめにしておく。ホテルのパティオでは既にプールで楽しむ人たちが。今日は暑くなりそうである。

 部屋に戻る前に屋上のスカイデッキに行ってみると、ああ、そこには夢にまで見たタージマハールが。日本人のお伊勢参りや善光寺参りと同様、インドの人たちも死ぬまでに一度はタージマハールへ、というこの地に、まさか来ることが出来るとは思わなかった。本当に目の前にあることに感動する。

 バスは定刻通り発車。今回は6人ツアーで年代もほぼ同じ、皆さんとても穏やかで時間も正確。ガイドさんは悪乗り親父だけれど、ストレスフリーの心地よいツアーである。
 ホテルからほど近いお店で女性はサリー、男性はクルタパジャマに着替えて観光というのがこのツアーのセールスポイントである。ちょうど京都で着物を着て観光する、というのと同じ乗りだ。

 私はラベンダーカラーのサリーを選び、階下の着付け室に向かう。女性が上手に安全ピンで止めてくれてあっという間に着付けが終了。それにしても暑い。涼し気に見えるけれど、とんでもない。おでこにビジュー入りのビンディシールを貼ってもらい1階に戻ると、それぞれのご主人たちの着替えも完了している。夫は紺のクルタパジャマ姿。白いズボンが短くて腰パン状態だという。

 そんな出で立ち、テンションアップのノリノリでバスに戻り、タージマハールを目指す。入場のセキュリティチェックが厳しく、事前にカバンを2人で一つにし、持っていてはいけないものをリストアップされて用意万端。さすがにインド一の観光地、世界中からの観光客で早朝からごった返している。
 近くのバス駐車場から電動自動車に乗り込んで入口まで移動する。風が気持ち良い。物売りの人たちをかき分けながら、セキュリティチェックを無事通過。まずはガイドさん含めてツアーの集合写真。続いてカップルでポーズを決めて数ポーズ撮って頂く。ガイドさんの説明を聞いたら、小一時間の自由散策時間。雲が晴れていつのまにか青空。ものすごい日差し、汗が滲み出てくる。40度近くあるのではないだろうか。

 白亜のタージマハールはあまりに眩しくてサングラスがなければ目を開けていられないほど。

 この世界遺産・タージマハールはムガール帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、1631年に死去した愛妃ムムターズ・マハルのため建設した総大理石の墓廟で、言わずと知れたインド・イスラーム文化の代表的建築である。
 妃は戦場にまで同行し、毎年のように子宝に恵まれ、14人もの子供(!)を出産したが、それがもとで病を発し、39歳の若さで帰らぬ人になったという。皇帝は1週間も泣き暮らしたというが、その偏愛が造り出したのがこのタージマハールである。

 そこかしこに写真スポットを教えてくれる大人や子供が。うーん、これはチップの世界である。水と緑で飾られた庭園を見ながら墓所へと進む。気持ちが高揚していて暑さも疲れも気にならないが、昨日からお粥生活の夫は結構バテバテ。ポカリスウェットを飲みながら汗だくである。無事に1周して、皇帝が後に息子に幽閉されたというアグラ城の囚われの塔を、ヤムナー河を挟んで遠くに見ながら集合場所へ戻る。

 再び電動自動車で戻って、物売りたちを振り払いつつバスに乗り込み、サリー店へ戻る。脱いだ時の爽快感と言ったら例えようもないほど。汗でサリーの色が変わってしまって申し訳ないですね、と皆で言い合う。冷たいレモネードを出して頂き、生き返る。ここで息子が欲しがっていたシヴァ神とガネーシャの置物を物色。ちょうどシヴァの妃にしてガネーシャの母であるパールヴァティの3人一緒の大理石の置物があったので、こちらを頑張って値切って購入した。
 
 次なる目的地は、同じく世界遺産のアグラ城。歴代の王様たちが建てたモニュメントの博物館といったところ。ここは赤砂岩で築かれた城壁の色から「赤い城」の名がある周囲2.5㎞に及ぶ広大な赤い城塞だ。16世紀から300年余に渡ってインドで繁栄を誇った、イスラム勢力のムガール帝国歴代皇帝の城で、帝国の強大な力と栄華を今に伝えている・・・のだが、暑いし色々な説明を聞きながらだんだん頭が飽和状態になってくるのがわかる。

 川向こうのタージマハールを望むと、その脇から煙が出ているのが見える。そこが火葬場だと聞いて、まさしくインドは生と死が隣り合わせで共存しているのだと思った。こちらの見学でたっぷり一時間を過ごし、再びバスに乗り込んで昼食レストランへと向かった。

 紫外線の強さに皆、ぐったり。クラクションの嵐にもめげずに、1時間近く首をガクガクさせながら眠った。お昼のメニューは北インドのターリー料理。大きな丸いお皿に小さい小皿に入ったカレーやナン、デザートが。夫はここでも大事をとってお粥さん。お薦めのグアバジュースがとても美味しかった。一組のご夫婦の奥様が同じくお粥を注文されている。お腹を壊されたのですか、と訊くと食事の刺激が強かったのか胃が痛むのだという。ちょうど胃薬を沢山持っていた夫(すべての薬を持っていたのに下痢止めだけは持ってこなかった、というなんとも皮肉なことである。)が手持ちの薬をお分けする。本当にお互いさま、助け合いのツアーになってしまった。

 レストランを後にして、本日最後の観光地、世界遺産ファテープル・シクリ「勝利の都」に向かった。ここにはバスでは外入口までしか入れず、エアコンのない乗り合いバスに乗り換えてチケット売り場まで移動する。それにしても暑い。ムガール帝国第3代皇帝アクバルによって建設された都市だが、水不足のためたった14年で役目を終えた幻の都といわれる。

 既にゴーストタウンになって久しいから、建物の中に入ると、何やら鼻を衝くアンモニア臭。ガイドさんに尋ねると、ヤモリの糞尿が原因だとのこと。そんな建物の数々には贅をつくした皇帝のこだわりがそこかしこに見える。キリスト教の王妃、イスラム教の王妃 そしてヒンズー教の王妃の好みに合わせたダイヤや絵画やイヤリングの彫刻が施された、それぞれの住居にはため息が出る。王が愛した象のための供養塔まであって、これまたビックリである。

 ということで、本日の観光はこれにて無事終了。ホテルへの帰途、大理石工房に寄って象嵌細工のテーブルやお皿などで目の保養をして、結局何も買わずに整えられた部屋に戻ってきた。

 明日の出発までは初めての自由時間。夕暮れのタージマハールを望むティータイムとか、タージマハールに因んだショー鑑賞などのオプショナルツアーがあるが、夫は部屋で休養、私はホテル送迎付きアーユルヴェーダトリートメント初体験。ホテルにほど近いサロンで、アビヤンガのオイルマッサージとハーブボールのトリートメントにシロダーラ。最初はちょっと緊張したが、終わる頃にはすっかりリラックス。帰りにセラピストの方がビンディを額に貼ってくれた。1時間くらいはオイルを流さないでおくようにとのこと。
 ホテルの夕食では夫が昨日の昼以来続いていたお粥でなく、普通の食事に戻れた。良かった。

 明日は再び5時間かけてデリーに戻り、観光と買い物をしたら、深夜の便で帰国の途に着く。不思議なくらいお腹も快調で、腰痛も空咳も出なかったこの数日間。代わりに夫が体調を崩したのが申し訳なかったけれど、今日はこれから入浴を終えて久しぶりに早く眠り、明日に備えることが出来そうだ。
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2016.8.28 旅行3日目 雨降りのジャイプール観光を終え、タージマハールの街アグラへ

2016-08-29 02:03:07 | 
 昨夜は何とか日付が変わる前にベッドに入った。モーニングコールより小一時間早く目覚め、その後はベッドで静かに時間が来るまで休息。早朝からびっくりするほどお腹が快調なのは、もしかすると壊す一歩手前なのかもしれない。そう思っていたら、なんと夫が一足先に大変なことに。

 朝はどうも食欲がない、とビュッフェから随分少なく取ってきていた。私も生ものは止めておこうといいつつ、オムレツを焼いてもらって果物とフレッシュジュースにチャレンジ。
 チェックアウトの時間間際まで何度もお手洗いに駆け込む夫。これは大変、である。ひとまず私が持ってきた漢方の下痢止めと整腸剤を渡して飲んでもらう。

 集合時間ぎりぎりにバスに乗り込む。おや、ちょっと雲行きが怪しいと思っていたら、バスに乗り込むや否やスコールが。すぐに止みますから、とガイドさんは言うけれど、なかなかそうでもない。それにしてもインドの方たちは傘もささず、雨宿りしているかそのまま歩いているか。道路の水はけが悪く、いきなりあちこちに大きな水たまりが出来ている。

 今日の観光は世界遺産のアンベール城からスタート。丘の上のゴージャスな宮殿への足は、20年ほど前に秋篠宮殿下がお乗りになったという象のタクシーが有名だ。最初は乗るつもりだったのだが、雨降りだし、夫のお腹の調子を考えて私たちは早々に諦めてジープに乗り込む。他のご夫婦たちはぎりぎりまで象に乗ろうと待っていたが、雨が止まずに時間切れ。6人乗ってギュウギュウに詰め込まれたジプシーで登っていく。途中の石畳の坂道にはイノブタが餌を食べていたり、路上で牛が死んでいたり、生と死が共存している。

 山の尾根に長々と這う城壁と中腹の宮殿は、歴史絵巻の一部のような光景だ、とガイドブックにあるとおり、到着すると万里の長城を彷彿とさせるあまりの絶景に息をのむ。雨が小やみになったり、また降ってきたりでどうにも傘が邪魔なのが残念である。昨日はこんなお天気でも雨季なのね、と呑気に思っていたが、こうなるとやはり雨季が恨めしい。

 ここアンベール城は誇り高き砂漠の国の戦士、ラージプート族のマハーラージャが建てたもの。16世紀のアンベール王国の首都だ。岩山に聳える荘厳な外観は圧巻の一言。微細なモザイクと華やかな色どりのガネーシャ門の透かし彫りは実に美しく、ヨーガのレッスンでガネーシャのマントラを唱えたことを思い出し、有り難く拝む。壁と天井に鏡細工を施した鏡の間など、見所は満載。語彙の貧困を嘆きつつも「凄いね、素晴らしいね、来てよかった、見られてよかった」を連発した。

 帰路は雨が小やみになり、次々に寄って来る物売りたちのしつこさに辟易。ああ、少し時間がずれていたら象に乗って上がってこられた、と二組のご夫婦がしきりに残念がっておられた。

 小一時間かけて見学した次には、ラクダの骨を使った細密画の専門店へ。ここで、気に入ったガネーシャの額絵を購入。ルビーやアメジスト、ラピスラズリやクジャク石等を使った色とりどりの美しい絵にうっとり。他にも目の保養をして温かいマサラチャイを頂いて一休み。その道々でも夫は何度も何度もお手洗いに駆け込み、かなり大変な模様。なんといってもお手洗い事情が悪いし、毎回他の方たちをお待たせすることになるので、不安は募る。ガイドさんに状況を話すと、「インドの下痢は日本の薬やポカリスウェットでは効かない。後で良く効く薬をあげるので、自己責任で飲んでください」とのこと。

 次なる目的地はピンクに塗られた城壁にぐるりと囲まれた旧市街にある宮殿、シティパレスだ。現在、マハーラージャが住んでおり、一部が博物館として公開されている。ラージャスターンとムガールの二つの様式が融合した建築として有名だという。ここでも雨足が強くなり、往生する。一部は博物館となって公開されており、王様の衣装など豪華な生活を拝見。

 その後は、隣接するモダンアートと見まごう美しき天文台、ジャンタル・マンタルへ。約300年前に造られた天文観測施設でありながらも、現代においてほぼ正確に時や星座の位置を刻み続ける世界遺産だ。ジャンタル・マンタルとは何やら呪文のような言葉だが、「計測器」を意味する「ヤントラ・マントラ」がなまったものだそうで、サンスクリット語で「魔法の仕掛け」という意味があるという。

 あいにくの土砂降り。そのため、ガイドさんの日時計の説明にも熱が入らない。太陽が出ていれば、実感できるものの、無情に降り続く雨が恨めしい。12星座を観測するという建造物が並んでおり、乙女座(夫)とふたご座(私)の建物の前でそれぞれ記念写真を撮ってきた。ふたご座のシンボルが夫婦になっているのにはちょっとびっくりしたが、インドではそういう伝来の仕方をしたようだ。緑の美しい公園なので、お天気だったらどんなに楽しかっただろう、と言っても詮無きことがついつい口に出る。夫は、とりあえずガイドさんから薬を頂くが、なんとも口数が少なく、可哀想。こちらも快調を通り越して、なんとなく腹痛が伝染してくる。

 最後は風の宮殿へ。ジャイプールのシンボル的存在で、昔、姿を見られることを禁じられていた後宮の女性たちが、顔を見られることなく風通しのよい小部屋から祝祭の行列や町の様子を眺めたという。前に張り出したテラスにはステンドグラスが装飾されている。通りに面した前面からは大きな宮殿だが、横から見ると奥行が殆どない、不思議な造りだ。ここでも土砂降り。物売りが寄ってきて追い払うのにやっと。トホホである。

 続いてお約束のショッピング。昔からインド中の宝石が集まる街ジャイプール。宝石店に行ったけれど、最初から買う意思もなく、ぐったりする夫が休憩させて頂くにとどまった感じ。買わない客にはお店の人も「あ、そうですか」と実にそっけない。
 さらにインドが生み出した織と染の芸術、テキスタイルの本場のジャイプール。ブロックプリントを見学できるサラサの店へ。スタンプを何度も重ねてあっという間に素敵な模様が仕上がる。これもまたお裁縫とは無縁の私が布地を買って帰っても、ということで見るだけで退散。ツアーの誰もお買い上げがないとなれば、早々に切り上げてレストランへ移動した。

 ランチは中華とインド料理折衷のレストランで。ガイドさんが夫にお粥を注文してくれる。可哀想に皆が焼きそばやチャーハン、カレーを頂いているのに一人殆ど味のないお粥を啜る夫である。この後はまた6時間ものバスの移動が待っているので、やはり不安が大きい。
 何かに当たったというよりも寝不足と疲労による胃腸炎ではないかと思う。昨日のお昼のタンドリー料理の食べ過ぎではないかとも。腹八分目が医者いらずとはよく言ったものだ。まさか私より夫が先にこんなことになるとは、やはり世の中何が起こるか分からない。渋る夫を強引に連れてきた私としては、ちょっと立つ瀬がない。

 そして230Km、6時間をかけてバスはアグラに向かう。昨日の高速はムンバイに向かう長距離トラックが多かったので事故もあり、渋滞で大変だったが、今日はそれほども混まないだろうとのこと。確かに順調。さすがに疲れて乗ってすぐ1時間ほどウトウト。夫もとりあえず寝ている様子でハラハラしつつもほっとする。2時間ほど走ってお手洗い休憩。こちらは雨も降らずにムッとする暑さだ。

 アグラの街に近づくと、パレードと遭遇する。狭い道でもう滅茶苦茶な運転。逆走があっても何の交通規制もなし。よくも事故が起こらないものだとある意味感動する。男性ばかりが目につき、若い女性の姿は本当にない。何やら考えさせられる光景である。それでも皆、イライラしている様子もなく、諦観している様子でもなく、淡々とただ受け入れているように見える。なんだか完全にノックアウトされた気分。もしインドに生まれていたら私はとてもではないけれど生き延びられなかったのではないかと思うほど、むせ返りそうな強靭な生命力に圧倒される。到着直後にガイドさんが是非自分の目で見て、インドで「生きている」ということを感じてください、と言っていたのを思い出す。

 ようやくホテルにチェックイン。一度部屋に入って荷物を置いた後、ガイドさんととんでもなく車が疾走する道を渡ってカシミヤのお店に向かう。母や息子のお土産を買ってホテルで夕食。ここでもお粥を食した夫。明日は少しでも普通の食事が出来るとよいのだけれど・・・。

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2016.8.27旅行2日目 デリー観光、3つの世界遺産制覇、ジャイプール憧れの宮殿ホテルへ

2016-08-28 02:56:52 | 
 昨日のフライトは予定通りの離陸で順調。席はびっくりするほどガラガラで半分ほどしか埋まっていない。こんなに空いた飛行機に乗ったのは久しぶり。遅めのディナーを済ませた後は、映画を観る元気もなく、アイマスクとマスクでちょっと不審人物に見えるかも、と思いつつも少しでも眠る努力をする。フルフラットと160度の差を思った以上に感じ、足が重く、だるい。

 インディラ・ガンジー国際空港に到着。イミグレーションまで遠いこと遠いこと。荷物を持って延々と動く歩道を歩く。パスポートコントロールが終わると現地時間で日付が変わってしまった。お迎えのガイドさんに見つけてもらってツアーの方々とご対面。私たち夫婦以外に60代と思われるご夫婦が2組。6人で全員集合だ。

 空港の外に出ると、まとわりつくような湿気。暑い。夜中で29度だという。文字通り熱帯夜である。ドライバーさんとアシスタントさんを含め20人乗りのバスには総勢9名だ。空港を出て宿泊するホテルを目指す。

 ホテルでは空港さながらのセキュリティチェック。チェックインして部屋に入れたのは1時を回っていた。デザイナーズホテルと思しき洒落た部屋の作り。窓も天井も斜めになっており、遊び心いっぱいだが、そんな面白さに浸っている余裕もない。時差は3時間半だから日本時間では4時半。

 完徹状態ゆえ殆どよれよれの中、荷物整理をし、さて充電を、と変換プラグを出したらいきなりヒューズが飛んで、旅行中充電が出来ないかもという非常事態発生。真夜中だしフロントに問い合わせてもプラグの貸し出しはないとのこと。夫が必死に工作してなんとか事なきを得る。そんなこんなで、入浴後ベッドに入ってからチェックアウトまで僅か6時間もなかった。

 結局殆ど眠れずじまいでモーニングコールより早めに起き出す。足湯をする余裕もなく、そのまま朝食レストランへ向かう。
 初日からお腹を壊しては大変ということで、生野菜や果物などは我慢してすべて火の通ったものを少な目にチョイス。水分だけはたっぷり摂っていざ出発だ。

 今日の予定は午前ニューデリー観光の後、午後はジャイプールへの移動だ。ガイドのBさんは3年間日本大使館に勤めて日本語を学んだという、この道29年のベテランさん。日本人専門だそうで、流暢な日本語を操り、親父ギャグまで飛び出す。

 ホテルは空港近くだったが、街の中に入った途端、あまりの喧騒に驚く。車、バイク、オートリキシャと言われる黄色と緑のいわゆるオート三輪などで道路が溢れかえっている。さすが人口13億3千万の国だ。バスの中で、なぜインドに?と問われ皆口々に、世界遺産を見たかった、タージマハールを見たかったなどの声が上がる。いわく、インドに来る人は魂に呼ばれるがごとく、かつ(他の旅行が中止になったりして)突然決まるとのこと。

 わが身を振り返り、本当にそうだ、と驚く。実際同じツアーでもヨーロッパの予定がテロで変更という方もいらした。私も、こうしてインドに来るなどとは直前まで思ってもみなかったのだから。さらに驚いたことにガイドさんはヨガの先生でもあるという。うーん、やはり訪れるべくして訪れたのだろうか。

 小一時間して最初の観光地、レッド・フォートへ到着。赤い城またはラール・キラーと呼ばれているムガール帝国時代の城塞である。まだ朝早いせいか、殆ど誰もいない。写真を撮るだけの短い時間だったけれど、他に観光客がいないので、世界遺産も私たちだけの貸し切り状態だ。

 続いて同じく世界遺産のフマユーン廟へ。ムガール帝国の第2代皇帝フマユーンの墓廟だ。左右対称なシルエットが美しい、インド・イスラーム建築の精華のひとつと評され、その建築スタイルはタージ・マハルにも影響を与えたといわれているそうだ。赤土の壁と大理石のドームの組み合わせは、夕日に照らされると一味違うロマンチックな印象だというが、残念ながら今回は午前中の訪問。

 西門から入るが、お墓は南から入らないといけないということで、周囲をぐるりと回る。白い大理石で作られた墓石は仮のもので、真下にフマユーンや彼の妻など150人がともに眠っているという。庭園も緑が美しく、ピクニックやデートの人たちでそこそこ賑わっている。現地の方たちと私たちツーリストの入園料の余りの差にちょっとびっくり。

 そして、最後の観光ポイントはサウスデリーの端っこにあるクトゥブミナール。レンガ造りでは世界最高、高さ72.5メートルのミナレット(尖塔)。 1200年頃に奴隷王朝の建国者であるクトゥブッディーン・アイバクによって、クワットゥル・イスラーム・モスクに付属して建てられたという。鉄柱をぐるりと囲むモスクは27のものヒンドゥー寺院を壊して作ったものだそう。

 塔の壁面にはイスラムのモチーフとコーランが細かく刻まれており、その細かな仕事に感嘆する。0.3度ほど傾いているそうで、さしずめインドのピサの斜塔か。思わず支えるポーズをとって記念写真を撮影してきた。園内は緑豊かで色とりどりのサリーを身にまとった女性たちの姿も美しい。

 世界遺産3か所を回って3時間半が経過。ランチタイムは街のレストランでタンドリー料理を頂く。さすがに美味しい。数種類のカレーやお野菜たっぷり、チャパティや長粒米のご飯がとても美味。夫がよく食べてガイドさんから「○○さんは、インドに住めるね」と言われる。

 お腹一杯になったところで、バスは一路、またの名をピンクシティ、ジャイプールへ移動する。260Kmで6時間かかるという。昨夜からの寝不足と疲れで皆、あっという間に舟を漕ぎ出す。高速道路とはいえ、バスのクッションが良くないせいか、舗装が良くないせいかよく揺れる。

 そして、何よりクラクションの騒音が凄い。追い越すときには必ず鳴らすという決まりだそうだが、そこまで鳴らさなくても・・・といった感じ。目が覚めてしまう。驚くことに高速道路には何の柵も塀もなく、人が歩き、露店まで出ている。何より牛が道路を横切り、逆走しているが、どの車も避けながら進んでいる。

 牛だけではない。犬もヤギも羊も馬もラクダまで歩いている。もう日本の価値観などどこかへ飛んで行ってしまう。バイクも2人乗りは当たり前、3人乗りも珍しくなく、4人乗りも結構いた。小さな幌につかまって、明らかに重量オーバーでしなっている軽トラックも見た。凄いバイタリティというか圧倒的な存在感だ。さすが13億人。

 3時間走ったところでお手洗い休憩。ここでマサラチャイを頂く。暑い中、スパイシーな熱いお茶の美味しかったこと。バスの中で縮こまった手足を伸ばして少し元気になる。「午前中は涼しいので」とのことだったけれど、十分暑いではないか、と思ったけれど、やはり午後はとんでもなく暑い。だからこうして午前中に観光を済ませ、午後はひたすらエアコン付きのバスで移動するのが理に適っているのだろうとは思うけれど、さすがに強行軍だ。
 あと半分と言われ、再び3時間のバス旅だ。どんな動物が高速のきわを歩いていようが、挙句の果てはサルまで出てきたが、それさえもだんだん気にならなくなってくる。

 ようやくジャイプールの街並に入った。圧倒的な人の多さと滅茶苦茶な運転とクラクションの嵐。このワチャワチャした雰囲気に呑まれる。バスの中から彫りの深い方たちと目が合って、思わず構えたカメラを隠す。ガイドさんが言う通り、日が暮れると女性たちは姿を消し、男性ばかりになる。暗くなってからの女性の外出はかなり危険だという。同じアジアとはいえ、東南アジアとはやはり一線を画していると思う。
  
 6時間半近くかかってようやくホテルにチェックイン。今朝のチェックアウトから11時間半経過して、ようやく到着した憧れの宮殿ホテルである。セキュリティチェックを済ませると、笑顔の女性たちが香り豊かな生花のレイをかけてくれる。もうお姫様扱いである。冷たいおしぼりとウエルカムドリンクに癒される。
 ところが明日の出発時間を聞いてがっくり。今朝より1時間以上早く、ホテルには12時間もいられないのである。時間があえばヨガのクラスにもフリーで参加できると聞き、これまた残念なことこの上ない。


 最低限の荷物整理をしてから夕食へ。レストランも煌びやかで別世界。本当にさっきの街中と同じ国なのかと思ってしまう。ビュッフェディナーを頂き、ようやく部屋に戻ってきた。
 明日も早い。早く寝なくては、と思うけれど、思ったこと感じた事を今、書き留めておかなければどんどん忘れてしまうのがもったいなくて、こうして慌ててアップしている。
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2016.8.26  四十九日を前に、今日から夏休み

2016-08-26 17:38:17 | 
 明日は先月急逝した父の四十九日。浄土真宗は極楽浄土への四十九日に渡る旅は想定されておらず、亡くなると同時に浄土に行けるという教えであることを聞き、なんと有難いことかと思った。(そのため柩には白装束を着て、六文銭を持って、というわけではなかった。)
 とはいえ、「やはりご遺族お気持ちのけじめとして法要だけはなさった方がよいですよ。」という葬儀社の担当者からのアドバイスを得て先日、三十五日忌にあわせて四十九日法要をしたのだった。

 その父のこと。60歳で退職した後、さすがに時間をもてあましたのだろう。よく母と二人であちこち旅行に出かけていた。国内は行き尽くしたのか月を空けずにヨーロッパを周っていた(しかもエコノミー席で!)こともあり、なんと凄い、とこちらがびっくりするほどだった。

 そんなわけで、さすがにもう行ってみたい国はないのだろうと思っていたのだが、4年前、ベトナムにだけは行っておきたいと言うので、我が家3人と両親の5人でベトナム周遊の旅行に出かけた。当時、既に圧迫骨折のため身長が縮み、足腰が大分弱くなっており、空港では車椅子のお世話になったり、足場の悪い観光ポイントには入場できなかったりと、かなり苦労をした。そのため、もう海外旅行は今回が最後だねと夫と言い合ったのだった。そして、そのとおりになった。

 ところが、父が亡くなってからすぐに母から、父がインドにも行きたがっていたと耳にした。
 インドといえばヨーガ発祥の地。6月に、お世話になっているインストラクターのS先生と指導者養成コースのメンバーが視察旅行に出かけたのを見送ったのは記憶に新しい。
 同じアジアとはいえ、フライト時間が9~10時間かかるインドは遠い国である。
 この時は、体調を崩したりして他のメンバーに迷惑をかけるわけにもいかないし、夏休期間中でもなく1週間の休みを取るのは難しかったため見送らざるを得なかった。

 けれど、この夏休みは特に予定がないし、夫と一緒なら・・・、とムクムクと行きたい気持ちが抑えきれなくなった。
 以前から一度見てみたかった悠久の国、世界遺産の数々。もし今回無事に行ってこられたら、現地の様子もわかって自信がついて、今後またヨーガ教室による視察の機会があれば、体調と相談しながら同行することも夢ではないかもしれない、と。
 そこで早速、同行をお願いする夫の説得にかかった。

 出来れば行きたくないという渋々の夫。感染症は大丈夫か、お腹は大丈夫か、と心配は尽きない。なんで病気を抱えてわざわざそんな不安な土地へ、とまで言われたけれど、今回は万全を期して、フルパックのオールインクルーシブツアーだ。
 常備薬に加え、下痢止め、整腸剤等もしっかり持った。自由時間はほぼないし、食事は全てレストランかホテル。行ってはいけない、食べてはいけない、飲んではいけないと言われるものには決して手を出さず、絶対無理はしないから、ということで押し切った。

 片や母はケロッとしていて、「行けるうちにどうぞ行ってらっしゃい。」と言う。これは諸事情がよくわからなくて言っているのか、ある意味浮世離れしているというか腹が座っているというのか定かではない。だが、病を得て体力が落ちている自分の身を振り返り、旅は行ける時に行き、お金は使える時に使わなければ、という思いもあるのだろう。

 夏休み中の息子の同行も当然考えたが、彼は彼で2週間ほど前に一時帰省したものの、その後は部活で忙しく、日程が折り合わない。ということで、今回は夫と二人だけの旅となった。
 私達夫婦にとって、息子が同行しない海外旅行はこれが初めて。けれど、息子が成人していよいよ社会人に、ともなれば、これからは息子と一緒の旅行というのも難しくなっていくだろう。今回はその始まりなのかもしれない、と思うと感慨深いものがある。

 というわけで、今日から父の弔いも兼ねての夏休みである。
 フライトは夜。夕方の集合なので、今朝は午前中に溜まった家事を一通り済ませ、午後、最寄り駅から出発のリムジンバスに揺られて成田までやってきた。

 今はラウンジでくつろいでいる。
 到着はこちらの時間で、明日の真夜中である。ひとまず今日の更新はここまで。
 明日以降無理せず旅行記を綴っていけたらと思う。よろしくお付き合いのほどお願いしたい。

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2016.8.22 より生きやすくするために大切だと思うこと

2016-08-22 21:37:15 | 日記
 朝日新聞のデジタル記事の連載、安藤俊介さんの「アンガーマネジメント」をいつもなるほどな~と頷きながら拝読している。最新号は最近実感している話題だったので、以下、転載させて頂く。

※  ※  ※(転載開始)

人はネガティブ思考になりやすい!?(安藤俊介のアンガーマネジメント 2016年8月22日)

 今回はいきなり質問からはじめましょう。人は快楽を追求するのと、苦痛から逃げるのではどちらが得意でしょうか?
 答えは、苦痛から逃げるです。これは人間の進化の歴史に関係しています。その昔、人は目の前のりんごを採ることよりも、目の前の猛獣から逃げることを優先させた方が生き延びる確率は高かったです。りんごを採ることは失敗しても大丈夫ですが、猛獣から逃げ損ねれば命に関わります。苦痛から逃れるための学習には猶予がありません。すぐにその経験や危険だということを学習してしまわないといけないのです。人は快楽については失敗することができても、苦痛についてはできるだけ失敗しないようにプログラムされているのです。
 一般的に言って私たちは快楽を求めることよりも、苦痛から逃げることの方が学習しやすいという特徴を持っています。これを脳のネガティブ・バイアス(ネガティブ偏向)と言います。この特徴は生物として生き残るためには都合が良いのですが、社会の中で感情をコントロールしながら生きていく上では不都合になることが多々あります。
 ネガティブなことの方が学習しやすいということは、例えば両親に怒られた、友達と絶交した、裏切られたといったような人間関係でのネガティブな経験の方が記憶に残りやすいということです。でもネガティブなことばかり記憶していたら、人間関係は辛いものになるし、イライラしたり、不安になったりと、後ろ向きな感情に支配されることが多くなってしまいます。
 ただ、脳は変化するという特徴も持っています。これを少し難しい言葉で言うと、神経可塑(かそ)性と言います。最新の脳科学でわかってきたのは、脳は自分の思考に合わせて変化していくということです。もし思考がネガティブな傾向にある人は、脳はよりネガティブに思考しやすくなります。逆にポジティブに考えられる人は、よりポジティブに考えやすいように脳が変化します。
 では自分の感情と上手に付き合い、より良い人生を歩めるようにするにはどうすればよいか。そのためにはできるだけ、誰かの楽しい、うれしい、幸せ、ポジティブな経験や話を聞くことが、良いトレーニングになります。人の幸せ話を聞いても、ひがんだり、うらやましがったりしては意味がありません。誰かの話を聞く時のコツは、できるだけその人が話している経験を五感を使って同じように感じるということです。すると、相手の話を自分の幸せな体験のように感じることができます。それを繰り返すことで、脳がポジティブな思考をしやすいように変化していきます。
 実は出来事にはポジティブもネガティブもなく、あるのは事実のみです。その出来事をポジティブなものと捉えるのか、ネガティブなものとして捉えるのかは本人次第です。物事のポジティブな面をより多く見られるようになれば、あなたの人生はより生きやすいものになります。ぜひ、そんな風に誰かの話を聞く練習をしてみてください。

(転載終了)※  ※  ※

 ヒーリングの講座に通った時、若い方たちが、ひと様の幸せな話を素直に喜ぶことが出来ない自分がどうにも嫌いで・・・という台詞に良く出くわした。そんな自分をなんとか変えたいと仰る。自分と真摯に向き合い、豊かな人生を歩んで生きたいという姿勢に何度も胸を打たれた。

 私は根が単純なので、どなたかの幸せだった話、努力して上手くいった話などを聞くと、まずは素直に「わあ、良かったですね!素晴らしいですね!」と思う。

 けれど、世の中、そう単純でもないらしい。ともに喜ぶことなく、何かといえばすぐに自慢話と受け取って妬んだり、羨ましがったり。そんなことをしてしまっては折角のいい話が台無しだ。自分がそれによって幸せな気持ちにならない、後味が悪いことになるのは目に見えていて、とても残念なことだと思うのだけれど。

 ヨーガ・スートラの学びの中で一番腑に落ちたのは人付き合いの話題だった。人生は一度だけ。一人では限られた体験しか出来ないからこそ、他の人の体験を聴くことはとても意味あること。自分がその方の体験を聴き、五感を駆使してそれを想像することで自分の体験が広がる。良い話を聞いたらともに幸せになれる。誰かが勇気を出して成功した話は凄いな、と聞き、どうせ自分には出来ないや、と羨むのではなく、それをうまく追体験する(同じことが出来なくても何かに応用する)ことが出来れば、間違いなく幸せや成功は伝染すると思う。

 こうして脳がポジティヴに動き出すと、人生は変わり出す。こうありたいと思う自分に近づいていく。日々穏やかに幸せに暮らせるようになったことで改めてこのことを実感している。
 
 このブログでも自分がちょっと勇気を出して言葉にしたこと、行動に移したこと、それで上手くいったこと、幸せに感じたことなども素直に発信していくことが出来ればいいなと思う。それを読み手の方々がポジティヴに受け取って頂けるように綴ることが出来れば、こんなに素敵なことはない、と思う。

 昨日も暑い一日だった。朝一番で月に一度のお楽しみWさんのサロンで癒された後、実家詣で。夫も合流してくれて母と3人でランチ。父に供えるお花を買い求めてから実家訪問。もろもろの手続きや書類の残務整理。取捨選択してファイリングしながらあっという間に数時間が過ぎてしまった。

 とにかくやるべきことは一つ一つ地道に潰していくしかない。それでも少しだけ整理がついてきた。急いで対応しなければならなかった役所関係はとりあえずOKだ。母も少しずつ父の衣類等を整理し始めた模様。

 週明けの月曜日。雨にもめげず、風にもめげずびしょ濡れになりながら出勤したが、台風直撃となった。前が見えないほどの凄い暴風雨。午前中に最寄の私鉄は運転見合わせになってしまった。
 高校野球もオリンピックも、いわゆる夏の祭典は相次いでフィナーレを告げ、こうしていくつも台風が押し寄せてくると否でも応でも夏の終わりを感じさせられる夜である。


コメント (2)
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