ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2016.7.29 Go!Go!で良いのか

2016-07-29 20:56:26 | 日記
 1961年生まれの私は今年55歳の誕生日を迎えた。Go!Go!Yearで頑張ろう、と同い年の患者仲間と励ましあっている。

 それはさておき、本当にGo!Go!で良いのかどうか、と首をかしげざるを得ないのは、いわゆるスマホのゲームアプリ“ポケモンGO”のこと。
 私はダウンロードをしていないし、今後ダウンロードをするつもりもないので、実際に使ってみて、体験した上で言っているわけではない。だから、やってもみないで何を偉そうにほざくか、とおっしゃる向きもあるかもしれない。
 けれど、既にあちこちで色々な懸念、実際のトラブルや事故が発生しているというのに、このまま放置している他ないのだろうか。

 親年代の大人たちが歩きスマホどころか、立ち入り禁止の区域まで侵入してしまうほど熱中する中、子どもたちにやれ時間を決めてやりなさいだの、今は我慢しなさいだのと言ったところで何の説得力も、ない。しかもタイミングよろしく、子どもたちは夏休み真っ盛りである。
 売れさえすれば何が起こっても良いのか、事故が起こっても自己責任だというのか。私にはやはり理解出来ない。

 もちろんあらゆることにはメリット・デメリットがあるから、今までなかなか外に出なかったのだけれど散歩するようになったとか、知らない人とお喋りするきっかけになったとかそんなプラスの面もあるそうで、もはや社会現象だなどとも言われているようだけれど。
 それにしても・・・である。

 ゲームが全て悪いとは言わない。大昔、スーパーファミコンが発売された時、たまたまレンタルビデオ店のオープン抽選で本体が当たって、夫と夜遅くまで落ち物ゲームやRPGゲームに時間を取られたこともある。だからこそ、知らないうちにどれだけ湯水のように時間を使ってしまうかもわかる。
 そして現在20歳、生まれた時からポケモンと一緒、ポケモン大好き現役息子を持つ母でもある。小学生までは夏休みとなればポケモンの映画も一緒に見たし、その魅力もそれなりに理解しているつもりだ。試験期間中に発売されたことを知り、「試験勉強そっちのけでやらないでね」とは言ってみたものの既読スルーである。

 けれど、冷静に考えればやはり・・・、なのである。
 取り返しのつかない大きな事故が起こってからでは遅いのではないだろうか。
 夫曰く「通勤電車の中でも、多くの大人がポケモンGOやってるよ。扉が開くと俯いたままホームに降りて行って、誰かにぶつかるんじゃないかと余計な心配をしてしまう。」と。歩きスマホ、自転車スマホ、そんな危険も増えそうに思えてならない。

 さて、ようやくの金曜日。長かった梅雨も空け、今日は美しい夏空が広がった。土日はあれこれ実家関係の予定でギッチリである。
 そして週明けからは早くも8月。体調管理をきちんとしながら、この夏を無事に乗り切りたい。
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2016.7.27 久しぶりに良く眠り、職場健康診断受診、そして2,000本突破

2016-07-27 21:29:07 | 日記
 昨日は仕事を終えてから、思い切ってSさんのスタジオに向かった。実に1ヶ月ぶりのこと。前回クラスに出てから父の入院、死去、葬儀とあっという間の1ヶ月だった。疲れが溜まり、呼吸が浅くなっており、寝付きも悪く、胸痛も出始めて・・・ということで、少しケアをしないといけないと思ってのことだった。

 メールで事情をご連絡していたSさんからは「よくぞおいでくださいました。」と歓待頂いた。瞑想やヨガのおかげでこの間どれほど救われたかしれないとお礼を言うと、「生きている甲斐があります。」とまで言って頂いた。指導者養成コースのメンバーやヒーリングのメンバーとも久しぶりに会って、リラックスするとともにとても癒された。1時間半のクラスでマントラを唱え、身体をゆっくりと丁寧に動かし、瞑想をし、キールタンを歌い、本当に穏やかに心も身体も満たされて、幸せな気持ちで帰宅の途についた。そして何より久しぶりによく眠ることが出来た。Sさんパワーはやはり凄い。

 さて、例年7月の最終週は職場の健康診断ウイークだ。昨年は4月の人間ドックで胃カメラ初体験をした3ヶ月後だったので、バリウムによる胃部レントゲンはパスだったけれど、さすがに今年もパスするわけにはいかない、と昨晩から断食で臨んだ。

 8時半の受付時間より早めに出勤して順番とり。既に待合の椅子はかなり埋まってきていた。女性はまとめて、ということなので時間のかかる胃や胸のレントゲンは男性優先で女性は後回しだそう。例年猛暑の中での受診だが、今年は梅雨明けもまだで、ことのほか涼しい。扇風機は回っているが、要らないくらい。同じ事務室の女性と隣だったので、本も読まずに少しお話をしながら待ち時間をやり過ごす。

 胸部レントゲンは、3年前からは事情を話してキャンセルさせてもらっている。毎月+αの頻度で、病院で撮影しているし、来月の通院日でも撮影予定だ。これを見落とされたら検査をやる意味がないでしょう、と主治医もおっしゃるほど両肺に複数の影が映ってしまうし、要精密検査で呼び出しして頂くのも申し訳ない。

 身長・体重もほぼいつも通りだが、165.6cm(去年より0.3cm延びていた。これならまだ166cmで自己申告できるだろうか。)、風袋込みで45kg。腹囲は68.5cmで3.5cmの増。ちょっと傷つく。血圧は118-74、2回目は118-70で問題なし。採血は3本だったが、相変わらず針刺しが超早業で、痛い!と思ったらもう針を抜く準備、といったところ。

 視力は、裸眼で遠見が右0.5、左1.5。ガチャ目化がさらに進んでいる。まだ老眼鏡のお世話にはなっていないのだけれど、近見は右1.2、左1.5。涙目のため、なかなか焦点が合わないのは例年のこと。健康診断限定で使っている30年以上前の就職活動中に作った(!)時代遅れのデザインの眼鏡、を使った矯正の遠見視力は右左とも1.5のまま。確か当時1.5で合わせたので、なんとエコなのだろう。度数はあまり進んでいないのかどうか定かではない。

 内科診察では問診票をご覧になった後、「(再発乳がんという既往を指差しながら)これは一度治ってから、ということですか。」と訊かれ、「術後3年弱で肺、骨、リンパ節などに転移があり、現在も3週間に1度点滴に通っています。」とお答えする。
 あっかんべーをして貧血をチェック、顎や鎖骨リンパ節をチェックして頂いた後、心音を聴き、別段所見もなく「異常なし」に○がついた。

「これ(再発乳がん)以外何か気になることはありますか。」と問われ、「先日父が亡くなり、寝不足気味、疲れ気味です。」とお答えして無事終了。心電図も特にコメントなく終了。尿検査は糖・蛋白、潜血すべて(-)。最後の聴力は室内が五月蝿かったこともあり、子どもの頃中耳炎を患った左がやや聴き辛かったが、左右2種類の音の聴こえとも異常なし。

 そして、最後の関門である胃レントゲンへ。2年ぶり、何回目になるだろう。何回受けてもなかなか慣れないしやはり憂鬱な気分。空咳が止まらなく、上手く飲めなかったらいやだな、と思うが「マイペースでゆっくりでいいですよ。」と言って頂き、ほっとする。やはりリラックスが一番だ。発泡剤を飲んでから放置されるうちにゲップが出そうになってくるのが辛い。

 十分待たされた後でバリウム。「ハイ、一気に飲んで」と急かされることもなく、何度も分けてようやく飲み終わった。お腹にバリウムが溜まり、発泡剤のおかげでポンポンに膨らんでいる中、上や下や右や左やぐるぐる回され、やっぱり大変だったけれど、何とか無事終了。頂いた下剤をたっぷりの水で飲み、待ち時間込みで1時間ちょっと。9時半過ぎには自席に就くことが出来た。

 今年の健康診断、とりあえずファーストステップは、腹囲3.5cmの増で傷ついて終了した。あとは、今抱えている病気以外、何も見つかりませんように、と祈るのみである。

 さて、もうすぐ開設7周年を迎えるこのブログの記事が、気付けば今日で2,002本。2,000本を超えた。
 7年弱で2,000超え。1年換算では290に満たない。前回およそ2年前に1,500本目を迎えた時に書いたとおり、一時は毎日更新を目指したこともあった。けれど、無理やり絞り出して自分の首を絞めるよりも、書きたいことがある時だけ・・・と少しペースダウンしてから3年余。
 さらに今年になってからはヨーガや瞑想の学びからブログに綴らなくとも心を鎮め、気持ちの整理をすることが出来るようになった。よってさらなるペースダウンを図っている。

 1,500本から2,000本は達成することが出来た。この後、切り良く3,000本(つまりあと1,000本)の記事を目指すとしたら、優に4年以上はかかるだろう。それまで元気で綴り続けていられるかどうかはもちろん“神のみぞ知る”だ。

 思えば遠くへ来たものだ、といういつもの気持ちで、細く長く続けていきたいものである。


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2016.7.25 続・網棚にご注意

2016-07-25 21:04:46 | 日記
 またしてもこんな記事を書くとは・・・といったところだが。5年ぶりの同じ標題である。

 我が夫は基本、優しくてマメな人だ。これは決してのろけているわけではなく、公平に見てそうだと思う。自分より弱いと思われる人には実にフットワークよく自然に手を差し伸べる。自分だってもう結構齢を重ねているのにもかかわらず、お年寄りや妊婦さんをとても放っておけない。ぱっと席を立つ、荷物を持ってあげるなどをなんのてらいもなく、ごくすんなりする。横で見ていて、偉いな~と素直に思う。

 さて、そんな夫なので、私が一緒に外出する時も荷物持ちを進んで買って出てくれる。昨日も四十九日などの打ち合わせで実家に出向いたところ、私が持っていこうとしていた実家への手土産等が入った手提げを持ってあげる、と手を出した。そんなに重くないから大丈夫、と言ったのだけれど、では、せっかくだから、とわざわざ別のバッグに入れていた重いものまでいくつか移動させてお渡しした。

 私鉄、JR、JRと二回の乗り換えを順調に終えて、約束時間より30分ほど早めに到着し、葬儀社の方が来るまでちょっと一服できるね、と実家の玄関に入った途端、夫が両手を広げて、青ざめている。
 私は彼のジェスチャーを見て一体何が起こったか一瞬わからなかった。そう、手ぶらなのである。私の手提げを彼は持っていない。

 いきなり脱力する。多分網棚に置いたのだろうけれど、一体どの電車の網棚に置いたかもわからない・・・とのたまう。ちょっと、ちょっと待って、と頭をフル回転させて乗った電車の時間、車両の位置を思い出しながら、まずは私鉄の最寄り駅に電話をする。乗った車両の発車時間、乗車場所も進行方向も覚えていたので、置いてきた手提げや中身も全て伝える。
 当然、既にその電車は折り返して上り方面に向かっている。今のところ届けはないけれど、終点まで行ったところで確認しますので一時間経ったらまた連絡してみてください、と言われる。

 方や夫はJR東日本に電話。こちらはちょっとシステムが違って、まずは落し物センターに連絡すると、JR側からの連絡を待つのであれば、最寄りの駅に書面で届け出てください、とのこと。ということで、夫は実家最寄の駅まで引き返して届けを出してくる羽目になった。手提げの中には特に金目のものが入っているわけでなく、この後、月に一度の楽しみであるヨガクラスに出るつもりで入れていたウエアや化粧品という、きわめてプライベートなものである。

 かつて夫が網棚に忘れたのは買ったばかりのデジカメ、携帯のアーミーナイフセット、家の鍵などが入った小さなバッグ一式だった(結局何一つ出てこなかった。)から、これに比べれば被害総額もなんということはない。けれど、気に入って買い求めたウエアだし、日々使い慣れていた化粧品類で、明日からの化粧はどうする・・・というものである。

 あたふた電話をしているうちに、葬儀社の方が時間どおりに来訪される。
 葬儀後のあれこれを打ち合わせ。夫にも同席して聞いてほしいと思っていたのだけれど、それどころではなくなってしまった。JRでは今の時間帯は車内清掃も入らないし、まあ、中身を聞けば出てくると思われるけれど、夕方以降にまた連絡してみてくださいね~と、きわめてのんびりムードだったそうな。

 その後、私鉄に連絡したところ、全車両を調べましたが(お手数をおかけして本当に申し訳ありません・・・)見つかりませんでした、との回答。やはりおそらく2番目に乗ったJRで置いてきたのだろうということに夫が記憶をたぐる。
 いつもなら夫の網棚物置行動(!)には注意して、席に着いたら必ず手元に下ろしてもらうように、降りるときにも網棚大丈夫?と声をかけている私なのだが、昨日に限ってすっかりそれを怠り、あれこれ手帳でメモなどをとっていて、ドタバタと下車したのが間違いのもとだった。

 それにしても、なぜに席に座っているのにたいした重さでも大きさでもない手提げを網棚に乗せなければならないのだろうと思うのだけれど、それは私の感想であって彼の知ったことではなさそう。立っている時には目の上の網棚に荷物があることを意識するけれど、座ってしまえば、特にJRは網棚が最近は網棚ではなく棚になっているから上が見渡せない。だから、視界に入らず、忘れるのだ。

 とりあえず夫が届け出をして戻ってきて、後半の打ち合わせに加わった。実際の四十九日は8月末にあたるが、息子の帰省に合わせて三十五日法要として自宅で家族だけでこじんまりと執り行うことにした。お盆の最中で、僧侶の日程がどうかと心配したが、無事お引き受け頂き、胸をなでおろす。それまでに仏壇やら過去帖、ご本尊などの準備も整えなければならず、かなりのタイトスケジュール。結局デッドラインは2週間前と言われ、来週末に仏壇選びに再び葬儀社まで出向くことになった。

 打ち合わせが終わり、担当の方をお送りするともうぐったり。
 3人で昼食を摂りに外に出た。母は、食事は一人で食べても美味しくないけれど、皆と一緒だと美味しいわ、と大きなケーキまで嬉しそうにたいらげる。私も疲れて甘いものを身体が欲している。お土産までゲットしてしまった。
 実家に戻って、JRに電話を入れてみたが、今のところ届いていません、とのこと。
 当然ヨガはキャンセル。その前に予約していたマッサージの時間を30分遅らせて頂いて実家を後にして、バスでサロンに向かった。

 夫とはサロン最寄り駅で別れ、私はWさんの施術でようやくリラックス。父が入院したことだけはお伝えしていたのだけれど、急なことでした、とお悔やみを頂く。母も来週伺いますので、とご挨拶してボーっとするほどリラックスしてサロンを後にした。さすがにこの後、ヨガに参加するというのは無謀なスケジュールだったなあと反省。しぶとく胸痛もあり、疲れきってしまったのでお弁当とお寿司を調達して帰宅。

 そして、どうか見つかっていますように、と念じながらJRに再度電話をしたところ、おそらくこれだと思います、というものが見つかったそう。ラッキーなことに乗換駅の事務室で預かってくれているという。

 目出度く本日、夫が仕事帰りに、私の(忘れ物の受け取りを夫に任せます、という)委任状持参で受け取ってきてくれた。かくして今回は結果オーライ、めでたしめでたし・・・なのだが、それにしても網棚にご用心!これだけ痛い思いを繰り返しているのだから、今度こそ身体に染み付いてくれるとよいと思うのだけれど・・・。

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2016.7.23 今年の合唱事情

2016-07-23 21:36:09 | 合唱
 卒業25周年を契機に参加し始め、一昨年まで皆勤してきた母校のOB・OG合唱団、ホームカミングデーのミニステージのこと。
 昨年、迷った末に参加申し込みをした。1回だけ練習に出たものの、母の入院、手術、術後ケア等があり途中でリタイアを余儀なくされ、舞台に乗るところまで結びつかなかった。

 今年も5月の末だったか、合唱団からご案内が来た。専任指揮者のY先生は本番の日程があわないため、OBのどなたかが指揮者をされるとのこと。いつも一緒に舞台に乗ってくれる現役の助っ人を今年は頼めないので、あまりに人数が集まらず演奏のレベルが保てないと判断すれば、団として参加見送りかもしれないという書きぶりだった。
 さて、どうしたものかと悩みつつ、幹事の先輩にどんなご様子かを伺い、その返事をお待ちしているうちに父の入院、死去等が続き、すっかりそれどころではなくなっていた。
 例年、6月下旬、梅雨の真っ只中に練習がスタートし、月に2回程度の練習スケジュール。そのため、今年はもう練習が始まっているとばかり思っていた。

 ところが、昨日楽譜が3種類届き、練習日程を見ると、明日からスタートだとある。10月の本番までに8回の練習予定が書いてあった。音取り音源等も進化してPCからダウンロードできるようになっている。
 早速YouTubeで検索し、楽譜を見ながらちょっと歌ってみた。どれもいい歌だ。モーツァルトが13歳の時の作品である「Te Deum laudamus KV141(66b)」、立原道造作詞、三宅悠太作曲「子守歌―立原道造の詩による小さなレクイエム-」、伊東恵司作詞、松下耕作曲 歌おうNIPPONプロジェクトのために作られた「ほらね、」。

 最後の歌は、東日本大震災のあと、歌で日本をつなげよう、歌で被災地を応援しようと企画されたカワイ出版の「歌おうNIPPONプロジェクト」のために書き下ろされた作品。合唱を愛する伊東、松下の両先生方が心を込めて作ったこの作品は、震災の被災者はもとより、現代社会の中で傷ついた多くの人々の心を癒してきたという。このお二人の作品は、息子たちの合唱団でも取り上げている。いい歌だ。メロディも詩も元気が出る幸せな感じ。一部、詩を転載させて頂く。

「ほらね きっとね ひとりじゃない それでもかなしいひがあったら なみだがとまらないひがあったら ゆっくりそっとうたをうたおう おもいでつまったあのうたを うたは あなたのたいせつなともだち いつもそばにいるたいせつなともだちだから」

 本当にそうだ。ほんのちょっとの間口ずさみながら、You Tubeでこの歌を歌っている方たちの幸せそうに歌う顔を見ながら、やっぱり歌って素晴らしい、と素直に思うのである。

 とはいえ、冷静に考えれば、明日は今後の法事の日取りなどの打ち合わせで実家に行くことになっている。初回から練習には出られない。その次の回もその次の回も予定が入っている。3回ある9月の練習日だけは今のところかろうじて参加できそうだが、治療薬の変更を予定しているから、今のように元気に動き回れる保証もない。そして本番当日ももう一つの日程とバッティングしそう。

 ということで、去年のようにいったん参加表明をしてまたリタイアでは申し訳ないので、今回は残念だけれど参加を見送ることにした。
 それにしても、一昨年の舞台を初めて見に来てくれた両親が昨年、今年とこういう事態になっており、最初で最後、なんとも凄いタイミングで見に来てくれたのだな、と改めて思う。

 現役時代から30年以上お世話になっているY先生は、今年の夏で85歳を迎えられる。先日亡くなった父と僅か3つ違いとは信じられないほど、お歳を感じさせないダンディな方だ。今年、団の専任指揮者就任50周年になるという。お誕生日とその記念パーティのお誘いも同封されていた。
 せめてこちらだけには出席出来るといいな・・・、とカレンダーと睨めっこを始める私である。
 
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2016.7.20 採血後診察、カドサイラ(T-DM1) 24回目(減量14回目)

2016-07-20 20:55:17 | 治療日記
 先週末のCT撮影に続き、今月2回目の通院日である。気づけば7月も半ばどころか下旬になっている。

 昨日は仕事を終えて帰宅後、食事を済ませてから体力温存のために病院最寄り駅に移動、常宿に前泊した。この10日間ずっと寝つきが悪く過度の睡眠不足が続いていたせいか、とにかく眠い。
 今朝は恒例の熱めの浴槽足湯と瞑想で頭と身体をシャキッとさせる。焼き立てデニッシュの朝食を済ませ、早々にチェックアウトして徒歩5分で病院到着。

 自動再来受付機はすんなり。採血は5人待ちで12分とあったが、10分かからずに順番が来た。今月はマーカー測定があるので4本の採取。看護師のKさんはいつもながら早業で刺針も抜針もあっという間に終了。

 止血したまま、向かいの腫瘍内科受付へ移動。先週末のCT検査で月初めの保険証チェックも済んでいるのですんなり定位置の待合椅子に腰かけ、読書を開始した。ほどなくして遊軍で走り回っている針刺し名人のOさんが私のところにやってこられて「いよいよ本格的に異動になりました。次回は3週間後ですか。8月はまだ半分くらいこちらに来ますけれど、次回またきちんとご挨拶しますね」と耳打ちされていく。ああ、もうOさんに針刺しをして頂くことはないのだな、とちょっとがっかりしてテンションが下がる。

 今日のお伴、1冊目は梨木果歩さんの「エストニア紀行 森の苔・庭の木漏れ日・海の葦」(新潮文庫)。
 帯には「北欧の小国を訪れ、考えたこと。」とある。梨木さんの繊細で静謐な文章が好きだし、バルト海に面した小国エストニアにも興味があり、美しい虹の写真の表紙を迷わず手に取った。裏表紙には「長い被支配の歴史を持つこの国を訪れた著者が出会い、感じたものは。祖国への熱情を静かに抱き続ける人々と、彼らが愛する自然をつぶさに見つめた九日間の旅」とあるが、1日1章の紀行文と美しい写真にとても心が満たされ、癒された。

 どっぷりと梨木さんの世界に没頭すること1時間。“中待合へどうぞ”の番号が電子掲示板に出てから血圧測定へ。111-75、脈拍は75。 
 中待合に入ってから30分ほどすると先生がお顔を出された。「体調はいかがでしたか?」と問われ、体調は大きな変化はありませんでしたが、実は・・・と父の他界を報告する。疲れた所為か胸痛もあったことを告げると、「マーカーはちょっと上がっていますね。ただ1か月で1割増にもならない程度です。そして相変わらず血糖値が低いですね。代謝がうまくいっていてエコなんですね」と。血糖値についてはここのところ食事がいい加減だったことも起因しているかもしれない。診察室での検温は6度8分。

 気になる造影CTの結果だが、やはり肺の腫瘍は大きくなる傾向にある。PCに並べられた3か月前のものと比較すると、各所少しずつの増大。だが1年前の6月末(カドサイラ(T-DM1)の最初の効果測定時)のCT画像と比べると明らかにどれも大きく濃くなっている。ただし、腫瘍の位置がカドサイラに変えた時のように心臓に接近しているというわけではない。

 その中で右肺の中ほどのものがだいぶ大きくなっており、胸膜を押しているように見える。これが更に大きくなって胸膜を破って外に出てがん細胞がばらまかれると、胸水が溜まって辛くなるという。今のところ胸水はないし、新しい病変もない。骨の病変は安定しており、肺の腫瘍の増大がこのスピードでいられるのもカドサイラのおかげでしょう、とのこと。

 ということで、やはり(薬のチェンジが)悩ましいとおっしゃる。言葉は悪いが、うんと悪くてスパッと薬をチェンジする、というくらいの悩む余地のない増悪ではないようだ。HER2陽性でこの(増悪の)スピードというのは、かなりゆっくりしたものといえるらしい。

 ここで、ハーセプチンは本当に良い薬だという話を先生としみじみ。HER2陽性は、かつては予後が悪いがんの代名詞だったが、ハーセプチンの出現によりHER2陰性のがんよりも使える薬の選択肢が増えている。この薬にどれだけ長期間助けられているか。有り難いことである。
 
 ではいつ、何の薬に変えるか-だが、これまでのハラヴェン、ジェムザールに加えて今日は第3の選択肢が示された。2年半前にタイケルブとゼローダの併用で酷い下痢と手足症候群、爪囲炎に見舞われ、10日ほどでいったんリセットをしたのだが、ゼローダは効く人には長期間効くのであれで捨てるのはもったいない。ハーセプチンと組ませて再度少量から試してみる価値はあるとのこと。

 なるほど、ハラヴェン、ジェムザールは2投1休だし、好中球減少により、投与出来ずに結局1週おきの投与になったり、となかなかスケジュール管理が難しいが、飲み薬のゼローダと3週間に1度のハーセプチンであれば、これまで通りのペースで仕事に出ることが出来る。しかも脱毛もないという大きな贈り物付き。

 パージェタはタキサンと組まなければならないので、脱毛必至だから、これはもう少し後に(最後の切り札)に取っておきましょう、とのこと。私がなるべくこれまで通りの生活を続けたいと願っていること、出来れば脱毛は先延ばしにしたいことを十分理解してくださっての提案がとても嬉しい。

 そして、今年の夏の暑さや父の四十九日等を考えると8月中は強い薬に変更することで体調を崩したくないのでこのままカドサイラを続け、9月から(治療変更)にしたいと希望を言うと、それでよいでしょう、ただ念のため次回レントゲンを撮っておきましょう、ということになった。

 2種類の漢方、デノタスチュアブルを3週間分、ヒルドイドローションはいつも通り2本、ロキソニンは少し多めに、パタノール点眼薬も瞼の爛れが気になるので念のため1本処方して頂き、ご挨拶をして診察室を後にした。

 化学療法室へ移動し、待ち時間に夫やお友達に報告LINEやメールを打っていると、すぐにKrさんから内側のリクライニング椅子に案内される。そして、先生が電子カルテに書き込まれた父のことをご覧になったらしく、大変でしたね、とお悔みを頂く。
 針刺しの前に早々と薬が届いてしまい、Sさんがすぐにポートの針刺しをしてくださる。ちょっぴり痛んだけれど、相変わらずお名前のとおり静かでお上手である。
 Krさんがセットをして点滴開始。生理食塩水で満たした後、カドサイラ(T-DM1)。再び生理食塩水で流して1時間半ほどで無事終了。

 2冊目を読み始めたが、眠気に耐え切れず、リクライニングを最大にして爆睡してしまった。終了時の血圧測定と抜針はOkさんが来られて目が覚める。「いつも本を読んでいて寝ていることは殆どない○○さんが寝ている!とびっくりしました、お疲れですか」と訊かれたので父の葬儀のことを話す。とても驚いていらした。3週間前はこんなことになるとは予想だにしていなかったのだから・・・。110-68、脈拍は67。早業だったけれどちょっと衝撃。
 ご挨拶して化学療法室を後にする。待合で20分ほど会計を待つ。自動支払機へ移動して、採血、点滴の3割負担、12万円弱をカードで支払う。

 外に出ると陽射しはそれほどではないが、蒸し暑い。薬局は割と空いていたので30分ほどの待ち時間で済んだ。なぜかヒルドイドローションの処方が漏れていたようで、間に合いますか、リクエストし直しますかと訊かれ、手持ちでなんとかなりそうですとお答えする。そんなわけで2,000円ちょっとの現金払い。

 前泊かつスムーズな流れだったので、病院と薬局の滞在時間は合わせて5時間強。駅ビルでランチをゆっくり摂ったが、本を読む元気はなく、夕食を作る気力もなく、お弁当を調達して帰宅した。やはり思いのほか疲労が溜まっているのを実感。
 
 昨日届いた今月1回目のお花は、黄色とオレンジのグラジオラス2本、濃いピンクのスプレーカーネーション2本、淡いピンクのカーネーション3本とドラセナの葉。花言葉はそれぞれ「愛の祈り」、「素朴」、「女の愛」だそうだ。暑さで切り花の日持ちが悪くなるため今月でお花のお届けは一旦お休み。来月は例年通りミニ胡蝶蘭が月初めに届くことになっている。夏本番だなあと思う。

 帰宅後、ちょっと夕飯の支度をして夫が帰宅するまで昼寝をしてしまった。明日も会議が2つ。夜は母に電話でご機嫌伺い。お世話になったケアマネさんたちにご挨拶に行ったり、市役所に書類をもらいに行ったり母なりに頑張っているようだ。
 かくいう私は身体がだるくてひたすら眠い。今日も早めの就寝としたい。
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