ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2015.11.30 がんになってからでも遅くない、自分に伝えたい10のこと

2015-11-30 21:19:05 | 日記
 ハフポスト日本版で気になる記事を見つけた。以下、長文だが、転載させて頂く。

※   ※    ※(転載開始)

キンバリー・フィンク がんサバイバー、がんや慢性疾患の患者をつなげるウェブサイト「Treatmint Box」設立者 投稿日: 2015年11月26日 16時18分 (ハフポスト日本版)

がんになる前の自分に伝えたい、10のこと
 がんになる前に知っていれば良かったのに、と思うことがいくつかあります。それを知っていれば、将来に可能性を見つけ出し、今日、明日、さらにその先の日々を受け入れる助けになるでしょう。がんになる前の自分と話せるとしたら、私はこの10のことを伝えたい。

1. いつもポジティブでいる必要はない。
 弱気になる日もあります。でも大丈夫。いつもポジティブでいる必要はありません。苦しみを抱えていてもいいし、失ったものを嘆いてもいい。調子の悪い日があってもいいのです。

2. 新しい考え方を取り入れる。
 がんになる前の自分に戻りたいと思うのは自然なことです。だけど以前のようにはいかないこともある。それを受け入れましょう。思い描いていた人生や、一番大切にしていたものを、がんは大きく変えてしまう場合があります。だから過去の自分と現在の自分に折り合いを付けるために、変化を受け入れるのは自然なのです。

3. 治療は予定した通りには進まない。
魔法の杖はありません。治療は時間がかかるものです。長い時間をかけて向き合っていかなければいけません。なるようになる、と気付くまでに多くの痛みを感じることでしょう。それに治療は順調に進むものではありません。体調が良い日もあれば、起き上がるのがつらい日もあります。三歩進んで二歩下がるような気持ちで前へ進み続けましょう。

4. 治療の方法は千差万別。
 治療には決まった方法も予定表もありません。回復の仕方はそれぞれ違います。がんを経験した人たちには、それぞれ違った生き方があります。感情的な痛みにどう対処するか、どういった治療をするかが生き方を大きな影響を与えます。ある人に合う方法が、別の人に合うとは限りません。がんに支配され、自分自身や生き方を左右されないために、自分にあった治療法を見つけましょう。

5. がんと戦っている以外の自分を発見する。
 がんになる前の自分を思い出せなくなると、心身ともに消耗してしまいます。でもそんな時間は段々少なくなります。気持ちが落ち込んでしまうと大好きだったものを忘れてしまいます。それを思い出すようにしましょう。夢中になれる新しいものをみつけましょう。

6. 命には終わりがあるという事実を受け入れる。 しばらくは将来について考えられないかもしれません。計画を立てたり、20年先の人生を想像するのも嫌かもしれません。人生はめちゃくちゃで計画を立てるのも予測するのも不可能だと感じる時もあります。だけど「命には限りがある」という事実を受け入れれば、力が沸いてきます。その事実に立ちすくんでしまうことも、受け入れて前へ進むこともできます。受け入れられれば、ストレスの多い世の中でも心を平和に保てるのです。

7. がんを克服した人たちとつながる。
 友人や家族に理解してもらえないと感じる時は、同じ気持ちを持っている人たちとつながりましょう。がんを経験すると世の中が軽薄でばかばかしく感じてしまうことがあります。それは孤独なことです。そんな時、気持ちを理解してくれる人はあなたの助けになります。自分は一人ではないと気付けば勇気付けられ、治療を続けるための力の源となるのです。何より避けなければいけないのは、苦しみの中で孤立してしまうことです。

8. 自分に優しくする。
 弱い自分に優しく寛大になるのは難しいことです。苦しみから抜け出したいのに、前へ進む方法が見つけられないかもしれません。意志の力で弱さを克服できないのは、想像以上につらいものです。だけど弱い自分に優しく寛大になってください。あなたはこれまでに多くを乗り越えてきたんです。焦ってはいけません。

9. 毎日を精一杯生きる必要はない。
 限られた時間しか生きられないとわかると、毎日を精一杯生きなければいけないと思ってしまうかもしれません。でも、そんなプレッシャーを抱えながら毎日を過ごすことはできません。掃除や買い物をしなければいけない日もあります。いつ死んでもおかしくないと知っても、日常が止まるわけではありません。生きている実感と止まらない日常のバランスをとれるようにしましょう。

10. 悲しみは癒しだ。
 失ったものを悲しんでもいいんです。悲しめば、生きていることに感謝していないように見えるかもしれないという理由で隠さないでください。悲しみは、隠すと大きくなってしまいます。変わってしまったことや失ってしまったものを悲しみながら、感謝の心を持つことはできるのですから。

(転載修了)※    ※     ※

 それぞれについて、本当にそうだ、と思う。そして、何より、がんになる前に知っておきたかったといわずとも、なってからでも十分間に合うと思う。がんになって、随分長いこと再発治療を続けてきている私だけれど、この10のことを思えば、これからの人生、もっと素敵に過ごすことが出来ると思う。以下、自分に当てはめて書いておきたい。

1. いつもポジティブでいる必要はない。
 このことについては、既に何度も書いてきている。ポジティブでいる必要がない、というよりポジティブでいられない日がある、と言った方が正しいと思う。治療を続けながら、いつもいつも調子が良いというのはありえないとも思う。それでもめげずに、朝の連続テレビ小説の主題歌ではないが、今日思い通りにいかなかったら、明日また頑張ろう、でいいと思う。

2. 新しい考え方を取り入れる。
 がんになる前の自分に戻りたい、そう思うかと問われてちょっと躊躇う。もちろん11年前の初診が間違いで今もなお元気でいたら、間違いなく別の人生を歩んでいただろう。けれど、がんになったこと、そして再発したことについてはもうすっかり受け容れている。そして、がんになったからこそ気付いたこと、得たことも少なからずある。人生全て自分の思い通りにはならない。だからこそ、人智の及ばない部分に畏れを抱きつつもそれを受け容れ、折り合いをつけながら日々を送っていくことが今の私にとって自然なことだと思う。

3. 治療は予定した通りには進まない。
 そう、なるようになると思えば肩のチカラは大分抜ける。もちろん、魔法の杖があったらな、と一度も思わなかったといえば嘘になるが。治療には時間もお金もかかる。そして今やエンドレス。人生が続く限り治療からは開放されない。体調が良い日、悪い日、いろいろある。三歩進んで二歩下がるどころか、二歩進んで三歩下がる日もある。けれど、細く長くしぶとく、あせらずあわてず諦めず、これからも、長い目でみれば身体にマイルドな治療を選んで続けていきたいと思う。

4. 治療の方法は千差万別。
 そう、自分の治療が他の人にとってもベストな治療ではない。そして、各々が考え抜いて決めた治療についてとやかく言うことは失礼なことだ。各々の生き方にあった治療を選ぶことが出来れば、それが一番だ。そのためには自分の生き方をもう一度見直すことが必要になるだろう。
 前の項目3.にも通じるけれど、色々な治療を経験してみた結果、寝込んだり入院したり、と仕事に行けなくなるようなハードな治療ではなく、少しでも身体にマイルドな治療、今までどおりの暮らしを少しでも長く続けられる治療(それで結果的に余命が短くなったとしても)を、出来るだけ細く長く続けていくことが私にとってベストな選択だと思っている。

5. がんと戦っている以外の自分を発見する。
 不思議なことだけれど、大好きなものが自然に近づいてきてくれるようになったように感じている。もちろん、自分から呼び寄せているのだろうけれど、夢中になれる新しいもの、それは私にとってヨガや瞑想なのかもしれない。ニュートラルで心穏やかにいられるため、今や私にとってなくてはならないもの。
 再発進行がんであることを忘れていられる時間が長いことはとても幸せなことだ。これまでどおり仕事をしている時も、本を読み、映画を観ている時も、歌っている時、文章を綴っている時もそうである。幸せなことである。

6. 命には終わりがあるという事実を受け入れる。
 今の私の状態で10年後、20年度のことはリアルに考えられない。息子の結婚や孫の話をされるとちょっと切ない。けれど、それは厭世的な話というわけでもない。人として生まれてきたからには、必ず旅立っていかなければならないのも厳然たる事実。
 「命には限りがある」という事実を受け入れれば、俄然力が沸いてくるというのも本当だ。だからこそ、生ある者として、その事実に畏れを抱きながらも、きちんと受け入れる。そして、心を平和に保って日々を送ることが出来るのだと思う。

7. がんを克服した人たちとつながる。
 今年2015年は、お正月早々から治療を続けていたお友達や先輩、職場関係の方たちとの悲しいお別れが数多くあった。確かに命の終わりについて特に意識することなく、ごくごく普通の生活をしている健康な人たちを見ると、孤独を感じてしまうことがないわけではない。
 けれど、私にはまだ共に分かち合える患者仲間がいる。このブログを読んで共感してくださる方もいる。寄り添ってくれる家族がいる。自分は一人ではないと気付いている。だからこそ、日々を大切に送っていくことが出来る。克服した人、と限定しなくとも(再発したら完全に克服することはごくごく難しい。)がんと共存していこうと治療を続けている人とつながることで十分なのだと思う。

8. 自分に優しくする。
 自分に厳しく、人に優しくが一番だと思ってきたので、自分に優しくするのは甘えだ、とか自己愛的なナルシストだとかいう固定観念に縛られるきらいがある。けれど、弱い自分もこれまた間違いなく自分。そんな自分に優しく寛大になるのは治療を続けていく上で大切なこと。
 逆説的かもしれないけれど、人に優しくするためには自分に優しくなくては、とも思う。意志が弱いから、と自分を痛めつけるのは止めよう。こんなに長いこと頑張って、その都度、その都度のピンチを乗り越えて、今を迎えることが出来たのだから。

9. 毎日を精一杯生きる必要はない。
 これは本当にそうだ。限られた時間しか生きられないと分かってから、もうシャカリキになって毎日が悔いないように、いつ断ち切られてもいいように日々を精一杯生きなければいけないと思い、あれもこれも、と精一杯頑張り続けてきた。そして、とてもとても疲れてしまった。やはりそんな生活は長続きしない。ちゃんと休まないと身体も心も疲れ果ててしまう。
 人と会うこと、何かを始めること、どこかに行くこと、それ以外にも日々こなさなければならない仕事も家事もある。いつ死んでもおかしくないと知っても、日常が止まるわけではない。本当にそうなのだ。生きている実感を求めすぎて、ふと立ち止まること、お休みすることを恐れていたら、必ずや身体も心もバランスが崩れる。燃え尽きないように日々を大切に過ごしたい。

10. 悲しみは癒しだ。 
 病を得るまでは、涙を流して悲しむことはいけないことのように思ってきた。けれど必要以上に我慢が美徳、と自分の気持ちを抑えこむのは良くないことと知った。悲しみたいと心が叫ぶ時はうんと悲しむ。大切なお友達を見送らなければならなかった時、めそめそが少し続いても決して恥ずかしくない。それは決して自己陶酔などではない。
 その時その時に素直な気持ちで悲しむからこそ、生きていること、生かされていることに感謝できるのだ。無理に自分の気持ちを隠しているとどんどん辛くなる。きちんと悲しみを昇華するためにきちんと悲しみたい。

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2015.11.29 お魚になった私・・・

2015-11-29 21:07:20 | ヨガ
 昨日は、午前中に掃除・洗濯と家事に励み、午後は久しぶりに深呼吸ヨガに参加し。夕方から夫と2人で、予約した美容院でサッパリ。夕食後、レイトショーで先行上映「007 スペクター」を観てしまった。
 そんなわけで、今朝はすっかり寝坊助状態。気付けば日が高くなっており、大慌て。昨日のうちに家事全般を済ませておいてセーフである。
 
 先週も書いたが、薦められて都心の常温ヨガスタジオに行ってみたところ、すっかりお気に入りになった。今日は午後からO先生のワークショップ「トリセツカラダヨガ マツヤ・アーサナ編 120分」に参加した。
 “このポーズが苦手・・・。なかなか上達しない・・・。そんな経験ありませんか?そんなヨギー達に贈るカラダとヨガの取扱説明書的ワークショップ。柔軟性を高める為の均整術を行いながら体の仕組みを学びます。ちょっとしたポイントで、カラダは変わります。体の使い方をマスターして楽しくヨガしましょう!自分の身体の取り扱い方が分かるワークショップに是非一度ご参加ください。均整術とは日本発祥の整体法で、誰でも安全にできる施術法です。カラダにとても優しく機能的な方法の為、ヨガと抜群に相性がいいです。”という触れ込みのワークショップだ。

 マツヤ・アーサナとは魚のポーズである。文献によると、このポーズは「あらゆる病気を治す」・股関節屈筋(腰筋)の深部と肋骨の間の筋肉(肋間筋)のストレッチ・腹筋と首の前側のストレッチおよび活性化・腹部組織と喉のストレッチおよび活性化・背中上部の筋肉と首の後ろ側の強化・姿勢の改善につながるという。特に気持ちが前向きになれ、胸や気管支の病気等に良いポーズだという。
 まずは、“アーサナのチェック”から。今日のお題、魚のポーズの見本を先生がとる。本当に綺麗だ。その後、各自がそれぞれ同じポーズをとって、感想を言うところからスタート。私は「あまり気持ち良く感じられない」と言った。皆、首がつまった感じがあるとか手の位置が良くわからない等訴えている。

 次に“体の仕組みを学ぶ”ということで、タブレットの人体図を見ながら(理科の教科書のような骸骨に赤い筋肉が貼り付いている図で、タッチするとそのポーズに関係する筋肉がクローズアップされる!)、その部分がほぐれると今日のポーズがとりやすくなるという筋肉をひとつひとつほぐしていく。
 参加者からモデルを募り、先生がさすり方、ほぐし方を見せてくださる。その後、ペアになってお互いにやってみる。“均整術の実践”だ。
 最初は鎖骨下と肩を繋ぐ上部大胸筋。ポートが入っているので、そこを避けて頂くようにお願いしてスタート。この辺りはリンパプラスヨガの時にリンパドレナージュのマッサージをするし、以前ほぐしヨガで何回かトライしたことがあるけれど、自分でやるとどうしても加減してしまう。
 その点、人からやって頂くと、痛くても次が楽になるから・・・とひたすら耐える。あちこちで苦悶の表情だ。今日ペアになった方は、私のお友達が通っているスタジオが本拠地で、実家の傍にも仕事で来ることがあると伺い、あっという間に打ち解ける。
 まあ、初対面でマッサージしあうのだから、良く考えてみると凄いことだと思うけれど、皆さんとてもフレンドリー。
 鎖骨の下の皮膚をつままれると、かなり痛い。ところが、両側を終えた後には、肩周りが最初とは比べ物にならないほど滑らかに回せるようになる。
 次に下部大胸筋、みぞおちの下と続く。凝っている部分をつままれると「ううう」と声が漏れ、冷や汗をかくほど痛い。けれど、僅か5分程度でも終わってみれば、あら、不思議。体が暖かくなり、嘘のように胸が開いて、肩が軽~くなっている。なんだか魔法のようだ。
 「では、ここで後屈のポーズをやってみてください。うんとやり易くなっている筈です。」とO先生。試してみると、これはびっくり。ホットの環境でもいつもここまで反れないのに、常温でこんなにスムーズに!?というほど。各々がローランジ等の反るポーズを行うと、その効果が実感出来て、あちこちで歓声が上がる。
 最後に三角筋。もう痛いのなんのって。皆、顔が引きつっている。特に前肩の凝りはかなりのもの。やはりデスクワークで知らず知らずに前かがみ、猫背になっているのだと実感。
 これまでほぐした部分を意識しながら、反るイメージを掴むために、ブロックを置いて背中を刺激しながら、しばし仰向けでリラックス。ブロックを外して、“アーサナの練習”。最初は気持ち良さを感じないと言ったのだけれど、上半身がうんと伸びて、気持ちの良いことと言ったら。
 そのままシャヴァーサナ(安らぎのポーズ)に入って、レッスン終了。

 あっという間の2時間だったが、満足感と充実感で一杯。このワークショップは毎月月初と月末、2回ずつ月替わりで開催されるそうだ。来月のポーズはブリッジというので、ちょっと自信がないけれど、日程があったらまたよろしくお願いします、と言ってスタジオを後にした。

 明日からまた新しい1週間が始まる。いよいよ明後日からは師走。今週は通院日もあり、週末は法事も控えている。忙しい忙しいと言いつつ、文字通り心を亡くさないようにしなくては。こういう時期こそ心して深い呼吸でリラックスである。
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2015.11.27 至極快適!新しい椅子

2015-11-27 20:58:57 | 日記
 昨日までの雨模様のお天気とは打って変わって、今日は真っ青に澄み切った初冬の青空である。
 随分散ってしまったけれど、銀杏の黄色がいつもながらとても美しい。

 さて、今朝は出勤前から楽しみにしていたことがあった。
 一昨日造影CT撮影のため午後休暇を頂いたが、その間に事務室の椅子がリニューアルされたのだ。新しい椅子は言うまでもなくロッキングチェアではないけれど。

 早速触ってみると、何より軽い。下のコロはとてもスムーズに動き、ごくごく滑らか。座面高を調整するレバーも軽く自由自在。背もたれも今までのものより高く、背中を包み込むような安定感がある。自宅でデスクトップPC用に使っている椅子とちょっと似ている印象。

 これまで使っていた椅子は、こちらに移転してきた平成3年4月から一度も更新されていなかった。もちろん、大々的に壊れたものについてはひとつひとつ更新してきたのだろうけれど、ちょっとした不具合などはそのまま我慢であった。
 四半世紀もの間、いったい何人の人がお世話になってきたのか知る由もないけれど、少なくとも、私も今のポストに着任して以来ずーっとお世話になってきたわけだ。

 着任当初から座面の布地の隅は擦り切れたり、小さな穴が開いた箇所もあった。高さ調節のレバーも効かなくなっていてうまく調節できず、自分で持ち込んだクッションを重ねたりしていた。
 もちろん、購入当時は最新のものだったのだろうけれど、重いし、コロもスムーズには動かなかった。背もたれは新しいものより低く微妙なカーブがついていたのだけれど、それが私の腰にはあまりフィットせず、かえって腰痛になりそうで不安だった。それもひざ掛けなどを重ねてカバーしていた次第。

 さて、新しい椅子。座ってみた途端、あまりに快適なので、いきなりテンションがあがって思わずニコニコしてしまった。
 購入を決めてくれた担当氏が出勤するや否や、御礼の挨拶に行ってしまったほど。

 我ながら実に単純だけれど、すっかり気分よく仕事をする気になった。
 職場環境の整備は大切だ。これで事務処理能力がアップすれば、長い目で見れば安いものだと思うけれど。コストパフォーマンスはどんなものだろう。

 来週、師走の声とともに暖房も入ることになり、職場環境が俄然改善される模様。嬉しい気分で週末が、そして師走、新年が迎えられることになって改めて感謝である。

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2015.11.26 時薬と9周年と試写会と・・・代休は寒さにめげず大忙し

2015-11-26 23:12:29 | 日記
 今日も寒い一日だった。冷たい雨がしとしと降っている中、母の通院付添いの為に朝一番で実家へ向かう。退院後の初通院で問題がなければ、その後は3ヵ月毎の通院と聞いていたけれど、母の体調が落ち着かないということもあり、前回から4週間後、2回目の通院日だ。

 実家に到着すると、父がデイサービスのお迎えの車を待っている。「おはようございます」と挨拶をするが、耳が遠いのでなんだか噛みあわない。今月初めの施設退所のゴタゴタの時以来、父と顔を合わせるのは初めて。母の話によれば、その日のことは何も覚えていないのだという。あれだけのことがあって、なんだかなあと思うけれど、もうどうこう言っても仕方ないのだな、と諦める。
 雨降りの所為なのか、お迎えが10分近く遅れ、ようやく送り出してから急ぎタクシーを呼んで病院に向かった。

 自動再来受付機でIDカードを通し、採血室へ。前回より10分ほど到着が遅かっただけで、かなり混雑している。2階の外科へ移動したら、既に予約時間の10時になっていた。「中待合にどうぞ」の番号は点灯しているけれど、採血結果が出ないことには始まらない。それからたっぷり1時間以上待ってどんどん抜かされ、結局、呼ばれたのは最後だった。

 今日もトレードマークのミニスカートに紺のハイソックス、ローファー履きのT先生が「大変お待たせしてすみません」と顔を出された。「(お腹の調子は)どうですか」と問われ、母は「今は便秘で、マグラックスを処方通り飲むと今度は下痢をするのが怖くて眠れなくなるので・・・」と話すと、「だんだん落ち着いてくると思うけれど、便秘は良くないので、うまく調整しながら飲むように。」と言われる。
 入眠剤や軟膏もお願いし、「お腹の傷に引っかかる所があると言っています。」と診て頂くと、痩せている(なんと33kgだそうだ)ので(溶ける筈の)糸が出てきている部分があるとのこと。その場でピンセットと鋏で切って頂く。母は相当痛そうだったけれど、この後ずっと気になるよりも良かったのでは。

 次回はまた4週間後の木曜日で良いですか、と私の顔を見て訊かれたが、ちょうど自分の通院日と重なるので、「年内は厳しい。年明けも木曜日は外せない仕事の為3週連続で休めない。」と言うと、水曜日にも診察があるとのこと、やむなく8週間後の水曜日に入れて頂いた。
 処方箋が出るまで再び待合で待った後、会計へ。待ち時間にコンビニまで母に頼まれた食料品を買いに行き、自動支払機で支払を済ませると、既にお昼を回ってしまっていた。
 道路を渡って向かいの薬局へ。雨が止んでいて傘を差さずに済んでほっとしたが、こちらもかなり混んでいる。3,4歳の女の子がいきなり嘔吐して大変。お母さんは赤ちゃんを抱っこしていて、始末が出来ない。薬剤師さんが掃除をしていたが、周りにいた私達もノロウィルスなどに感染しないと良いけれど、と思うが咄嗟のことでどうしようもない。処方まで待つこと30分近く。薬の説明を受け、病院と薬局の滞在時間は3時間弱。やはり出だしの遅れが最後まで響いてしまった。
 
 やっと終わった時にはすっかりお腹もペコペコ。以前から一緒に行こうと誘われていた薬膳料理のお店に行くことに。
 前回の通院後、往復タクシーで伯母の葬儀に出かけた以外は、家の周りをちょこちょこと歩いているだけの母なので、すぐ近くだとはいっても歩いて大丈夫なのかと思う。ゆっくり歩いたこともあり結構な距離に感じる。足取りはそれほど危なっかしくもなく、ああ、時薬なのだな、と安心する。こうして薄紙が剥がれるように段々と元気になっていくのである。人間って凄いと思う。

 予約もしていなかったのに待たずに入れたのが本当にラッキーなほど繁盛していた。確かにお薦めだけあって、頂いたランチはとても美味だった。母も美味しい美味しいとよく喋り、良く食べる。夜はもう適当でいいから、と言う。今月から父は週2日だったデイサービスに週4日行くようになったことが有難いらしい。母自身も要介護2(父が要介護1なのに!)の認定がおり、ヘルパーさんに来て頂ける時間もそれなりに増えているという。
 レストランでタクシーを呼び、実家まで戻ってもろもろの書類等を整理し、母のお喋りの相手をしてから実家を後にした。

 その後、最寄駅まで電車を乗り継ぎ、いつものヨガスタジオに寄る。今日は会員証を見ると、入会からちょうど9年の日だ。フロントには「スタジオ9周年おめでとう」の花籠が飾ってあった。そう、23日のオープンから数日で入会したのだった。
 9年の間、タキソテールとECの治療期間中は2回に渡り数か月ずつ休んだけれど、辞めないでこれまで続けてこられたのは我ながらびっくりだ。インストラクターさんにも「凄いですね。私よりずっと先輩です。」と言われてしまい、なんだか恥ずかしい。
 「いえ、最初は月に1,2度しか来られなかったり、体調を崩して休会したり、と劣等生でした。ようやく最近コンスタントに通えるようになり、今では1週間来ないと、身体がおかしな感じです。」とお話する。さすがに平日の夕方、参加者も少なく10人。伸び伸びとスタジオを使ってたっぷり汗を流してリフレッシュし、スタジオを後にした。

 これだけでは終わらないのが欲張りな私である。
 いつだったか、何の気なしに応募した映画の試写会が珍しく当たり、本日3つ目のミッションは映画である。2名様ご招待ということなので夫も誘ってはみたが、趣味ではないとすげなく断られたのでお一人様での鑑賞。思いのほか惹きこまれ、あっという間に2時間半が過ぎた。

 こうしてあれもこれもの代休は充実し過ぎたほど。うがい手洗いの励行で風邪もノロウィルスも撃退し(ているつもりなのだけれど・・・・。)、あと1日出勤すれば、また有難い土日がやって来る。

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2015.11.25 5か月ぶり造影CT撮影~頚部から骨盤

2015-11-25 21:02:29 | 治療日記
 今日は昨日に比べ最高気温が8度も低く、12月中旬の寒さという予報だ。まだ暖房が入らない職場に対抗して、しっかり厚着をして出勤する。かつてはだんだんとタイツの厚さを調整していたけれど、最近はいきなり80デニールからスタートである。冷えると痛みが出るので要注意だ。
 このところ毎日の気温差が大きく、体調管理が難しい。既に事務室ではコホコホと咳をする風邪引きさんが目立ち始めている。出来ればマスクをしてほしいな、と思うがなかなか口にも出せず・・・。

 午前中に大車輪で仕事を片づけてから昼食抜きで病院に向かった。
 今日は、カドサイラ(T-DM1)開始から3ヶ月経過した6月末に行った初めての効果測定撮影後、5ヶ月ぶり2回目の効果測定になる。 

 最寄駅でも乗換駅でも電車は順調。
 今日のお伴は鎌田實先生の「死を受けとめる練習」(小学館文庫)。この秋、私とともにがん患者の仲間入りをした母に「がんばらない」「あきらめない」「それでもやっぱりがんばらない」の3部作を貸したところ、とても読み易くて良かったというので、読み終わったら貸してあげようと思っている。

 頁を繰っていると、あれ、これ・・・もしや既に読んだかも・・・と思う。また、やってしまった二重買い。トホホである。だからこそいつも最新刊を買っているのに、珍しく発行日を確認しないで買ってしまった(最新刊の帯が付いていた。)。とはいえ、面白いので本を閉じることなく、再読しながらあっという間に病院最寄駅に到着。
 死ぬほど苦しい状況に陥った時、働く場所があること、愛する人がいること、この2つのことが大きな支えになるというくだりには本当に頷く。感謝しながら病院までの道のりを歩く。こちらでも冷たい雨が降っている。

 予定通り予約時間の20分前に到着。自動再来受付機に診察券(IDカード)を通し、受付番号のスリップを受け取り、エスカレーターで2階の放射線受付へ向かう。かなりの人が待合椅子に座っている。受付後はいつものようにCT準備室の前廊下へ移動する。
 こちらにも既に点滴棒に繋がれた方たちが2、3人待っている。名前を呼ばれ、着替えを済ませてから造影剤注入のためルート確保の針刺し。やはり右腕の一番太い真ん中の血管が使い易い(というか、ここしかないので、大事にしなければならない。)ようで、今日も順当にここから。
 ただ、肘より若干手首よりだったことと早業だったため、それほど痛まず、ラッキー。生理食塩水のパックが下がった点滴棒に繋がれながら、CT撮影室前で待つこと5分。予約時間より5分ほど遅れてスタートした。

 造影CT撮影は概ね半年に1度のペースだから、今回無事パスすれば、次回は来年の春頃になる筈だ。期待のカドサイラ(T-DM1)にはせめて1年くらいは頑張ってもらいたい。とはいえ、今回の結果で薬が変更ということになれば、残すはパージェタだけになる。

 ベッドに寝て万歳の姿勢をとり、最初は造影剤なしで、次に造影剤を入れて計2回の撮影。所要時間は僅か10分足らず。今日は放射線のK先生が「あれ、この前もお会いしましたね、つい最近ですよね」とおっしゃる。
 「前回は6月末だったので5か月ぶりですが・・・」とお答えすると「そうでしたか。どなたかと間違えたのですね」とのこと。良く似た患者さんがいらしたようである。造影剤が注入されるや否や、ものの10秒もしないで薬液の匂いが鼻を突き、瞬く間に体中を駆け巡る。体の芯がカーッと熱くなる得も言われぬ感じにも慣れてきた。実際の造影剤注入は1分7秒。今日はバッチリ目を開けて注入曲線の画面を見ていた。
 「息を吸って。止めて下さい・・・。」を繰り返して無事終了。息を止めているのはゆっくり数えて15秒ほど。最近、ヨガで完全呼吸法が得意になったので、充分余裕である。看護師さんに針を抜いてもらい、布テープできつく止血をしてもらう。
 1階に降りて、会計を待つ。15分程待って自動支払機で1万円弱をお支払。本日の病院滞在時間は1時間強で済んだ。

 とにかく、来週の診察時、結果を聞くまで、余計なことは考えない。今の薬が“効いている”ことだけを信じて心穏やかに過ごす。これは7年半に渡る再発治療により体得した、気持ちの折り合いのつけ方だ。

 お腹もペコペコ、喉もカラカラで駅ビルへ向かい、滑りこみでランチにありつく。造影剤を排出するために水分もたっぷり摂って帰途についた。外はまだ冷たい雨。滞在時間は1時間ほど、往復を含めて半日とはいえ、病院に行くとやはり消耗する。
 最寄駅に到着すると、雨が止んでいて傘を差さずに済んだ。有難かった。いやはやあっという間に真っ暗である。

 明日は祝日出勤の代休を頂き、母の通院に付き添いの予定である。
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