ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.7.31 やっと帰京…洗濯機故障にショック!

2011-07-31 19:35:30 | 
 今日も5時に目覚めてしまい(殆ど高齢者状態・・・)、部屋の露天風呂で贅沢に朝湯を楽しむ。そして、皆が起き出すまで静かに読書をし、手持ちの本を読み終わってしまったので、またお布団に潜ってぐずぐずした。
 夫は目覚めると珍しく朝風呂につかっていた。息子は相変わらず爆睡。義母はしっかりメイクも済み、遅い朝食に出かけた。

 昨日は洋食だったが、今日は和食にした。普段は忙しい朝食だから、パンと飲み物、フルーツ程度の軽いものだけれど、さすがに起きてから4時間以上経つと、昨日の夜の飽食はどこへやら、お腹がすいていてしっかり頂けた。我が家の夕食よりも多種多彩の品揃えで、朝から栄養チャージ。義母には、「良く食べて元気そうで良かった良かった。」と言われ、水曜日の通院後の体調やら食欲との落差を考えると、ちょっと複雑な気分になる。

 食後、夫と義母は珈琲タイムに出かけ、息子と私は部屋に戻り、息子がテレビで大笑いするのを横目に私は荷物整理。2人が帰ってきてから、11時ぎりぎりにチェックアウトした。

 今回は朝夕2食付プランで2泊だったので、ホテル以外での食事はランチだけだったが、さすがに義母は90歳。元気とはいえ、タクシーでドアツードアの移動ならまだしも、歩きながらどこか食事場所を探すというのは厳しいな、と感じた。身長150センチで、かつては63キロあった体重が今は55キロということだそうだ。私よりずっと健啖家で、フルコースもペロリとたいらげていたのに、今回の旅行では、息子に助けてもらっていたので、ちょっと驚いた。

 駅までの道、アーケードを覗きながら駅前で記念写真撮影も済ませた。息子のリクエストで帰りは普通列車でトコトコ戻ることになり、駅弁等を調達して乗り込んだ。
 特急だと1時間ほどだが、1時間半かかって終点まで。4人でボックスシートを2つ占領させて頂く。鉄ちゃんの息子は大好きな駅弁2食を見事に完食。あんなにたっぷり朝食をとったのに・・・と、見ているだけで圧倒される。車窓は途中から雨模様になってきたが、出先では殆ど雨に降られることもなく本当にラッキーだった。

 息子は本当ならホームステイ出発直前の明日、美容院でさっぱりカットの予定だったが、行きつけの美容院が改装のため8月は臨時休業ということで、急きょ旅行帰りに足を伸ばす羽目になった。
 夫はカットくらい近所のどこでもいいじゃない、と言っていたのだが、思春期男子はそうはいかない。慣れたところで慣れた人にやってほしいのだそうだ。
 仕方なく夫と義母にはカフェで待っていてもらい、息子を連れて美容院に行って支払だけ済ませて私だけ戻り、最低限の買い物をして夫と義母と合流して帰宅。

 休んでしまうと、もう立ち上がれなくなりそうだったので、胸痛が気になりだした中、頑張って荷物を出して洗濯機を回したところ、なんと途中でエラーが出て止まってしまった。夫に見てもらったら給水トラブルということで、すすぎが出来ず、途方に暮れた。脱水は出来るけれど、すすぎは手でやるほかない、ということでがっくり。さきほど、修理ステーションに電話した。
 結局、最短で明後日の午後修理に来てもらえることになった。また休暇をとらなくてはいけないけれど、修理せずにまたその場しのぎで新しいものを買う、ということを思えば・・・、とりあえず安堵した。

 それにしても、よりによって疲れて帰ってきたらこんなことって、神様は本当に意地悪である。
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2011.7.30 美術館でまったりと・・・「大人のお子様ランチ」

2011-07-30 21:21:04 | 
 昨日は早めに休んだので5時前には目覚めてしまい、部屋にある露天風呂の傍のサンデッキで朝から2時間ほど読書。本を読み終わっても3人はまだ寝ていたので、一人で大浴場まで朝風呂に出かけた。誰もいない浴場で、貸切状態で3つのお風呂を楽しんでから部屋に戻ると、夫も義母ももう起きていたので、ひたすら寝坊助の息子を起こして、ゆるゆると朝食へ向かった。

 義母が、履いてきた靴が脱げそうだ、ということで、ホテル近くの百貨店で履きやすそうな靴を買い、いったん部屋に戻ってからタクシーで県立美術館に移動した。
 旅行中お天気は悪いという予報だったが、幸いにもそれほど暑くなく、雨でもなく、まずまずのお天気に恵まれた。この美術館は、去年の7月に夫と初めて訪れたところだ。ミレーの「種まく人」や、「落ち穂拾い」で有名だ。夏休みの土曜日ということで、そこそこの人が入っている。けれど、都内の美術館のような混雑とは無縁で、本当にゆったりまったりのんびりと絵を楽しむことが出来た。息子は、土曜日に限り高校生まで無料ということで、特設展まで観せて頂くことが出来た。

 ミュージアム・ショップで買い物後、昨年もお茶したカフェでランチ。息子のリクエストで私は「大人のお子様ランチ」を食べる羽目になる。小学生以下限定の「お子様ランチ」と全く同じメニューにサラダとスープブッフェ、お茶がついたもの。つまり大人の・・・というのはプラスアルファ部分だけで、メインメニュー自体は全くのお子様ランチ。チキンライスに国旗が立ち、鶏の唐揚げにタコウインナ、ポテトフライにハンバーグ、プリン、うさぎりんごと、すっかり小学生になった気分だ。隣のテーブルで同じお子様ランチを食べていた女の子に笑われてしまった。いったい何十年ぶりで食べただろう。子どもの頃はどうしてこんなにお子様ランチが愛おしかったのだろう。もちろん、息子がついこの前まで食べていたものだが、本当にいざ、大人になって食べるとなると、それほど食欲をそそられるものでもない。結局息子に引き取ってもらう。

 美術館界隈は芸術の森という大きな公園になっており、文学館も隣接している。広々とした緑の芝生に点々とオブジェが建ち、開放感に溢れてとても気持ち良い。
 庭を散策後、再びタクシーでホテルまで戻った。

 夫はさっさと部屋の露天風呂に入る。その後、皆でほっと一息お茶を飲み始めると、予報通り大粒の雨が降り出した。稲光の直後に雷が鳴り響き、かなり近くで雷が落ちたのがわかる。凄い土砂降りになり、テレビを見ると大雨洪水警報まで出ていた。本当に危機一髪、滑り込みセーフで濡れずに帰ってこられて良かったね、と皆で言い合う。

 ロビーに降りて、雨宿りの人たちを横目に読書をし、雨が小止みになったところで百貨店をぶらつき、夕食をとった。昨日は和食懐石、今日はフレンチ。1泊旅行だと行きと帰り、2日連続の移動日でせわしないが、2泊できればすっかりのんびりと贅沢をした気分。

 そうはいっても明日は早くも帰る日だ。
 今日もこれからしっかりお風呂を楽しんで、お肌ツルツルピカピカ(!)になって帰京する予定だ。相変わらず大浴場の入浴禁忌には「悪性疾病」等と記載されていたが、気にしない、気にしない、である。



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2011.7.29 義母との家族旅行へ

2011-07-29 06:30:50 | 
 今日から近県に義母との旅行だ。
 夫が昼にターミナル駅に到着する義母を迎えに出て、2人はそこから特急に乗って一足先にホテルに入る。私は午前中仕事をしてから、夕方、息子とともに合流することになっている。

 さて、息子の通う高校は昨日、高校野球・県大会の準決勝に勝ち進んだため、全校応援となり、予定されていた夏季講習が中止となった。
 あんなにプロ野球や野球ゲームが好きなのだから、高校野球だって興味がないわけではあるまいに、昨日は友人と遊ぶ約束をして、応援はパスしていた。全校応援に欠席の場合は担任に申し出ること、と連絡まできているが、中学時代の3年間は一度も出かけていったことはなかった。
 確かに炎天下で制服を着こみ、片道2時間近くかかるスタジアムまで行って汗だくになるのは、中学生にはちょっと可哀想かな・・・と思っていたけれど、今年から高校生になったことだし、高3になれば応援は除外であるそうだから、応援に行けるとしたら今年と来年だけ。しかも来年は準決勝以上に勝ち進むかどうかわからない。参加することで新たに愛校心が育てば、それはそれでいいことではないか。私など、高校時代にはブラバンがなかった他の都立高校の友情応援にまで出向いたのに、とふがいなく思う。何度か夫と私で水を向けたが、息子は断固として気が進まなかったようで、そんなに冷めていていいのかなあ・・・と思う。

 夫に言わせれば「あいつにとってあの学校に愛校心を持てというのは無理だよ。やっぱり自分にとっては負けた学校なんだよ。」という言葉に気持ちが塞ぐ。息子にそういう思いをさせてしまったのは、受験戦略をきちんとマネジメント出来なかった自分なのかもしれない、と。もちろん息子の周りは、その多くが第一志望で入学した子ではない。それでも皆、表面上それを出すことなく日々をやり過ごしている。それが問題なのかな、とも思う。
 第一志望とする学校に入学して、この学校が好きだ、という同級生に囲まれて6年間を過ごすのと、そうでない挫折を味わった沢山の同級生たちに囲まれて6年間を過ごすのと、大きな違いがあることは否めないだろう。もちろんどうしても嫌だとなれば、高校入学のタイミングでリベンジする機会はあったわけだから、それをしないでそのまま温く過ごしたのはほかならぬ本人であるのだが。

 私は中学受験を経験していないし、高校は都立高校が第一志望で私立の女子高を受けただけだった。運よく第一志望の都立高校に入学出来たから、本当に楽しくて有意義な3年間が過ごせたけれど、ふとあの時に万一合格していなくて併願していた女子高に進むことになっていたら、いったいどんな高校生活だったのだろう、と思う。けれど残念ながらちょっと想像がつかない。優秀だったのに第一志望の都立に失敗して、私立女子高や私立男子高に進んだ友人がいたが、その後、どうしていたのだろう。
 なんだかんだ言っても、息子も私もまだかさぶたをはがせば血が滲むのだな、と思う。

 「まあ、もし決勝に進んだら行ってみてもいいかな。」と言っていた息子だったが、今日から旅行に出るわけだから、試合観戦等していたら到着が夜になってしまう。昨日も勝って今日はいよいよ決勝戦であるが、結局2日とも行かずじまいとなった。

 義母とは5月の90歳の誕生会以来の再会だ。息子と私が到着するまで、母と息子(夫)は水入らずで何の話をするのやら。
 去年、墓地を建てた時にそのプレゼントでもらった温泉一泊券で泊まりに来た土地だ。その時にたまたまランチをして、いいところだね、とチェックしておいたホテル。100周年記念で新しく出来た露天風呂付きの1室限定の和室がラッキーにも予約できた。これから2泊3日、日常の家事から解放される揚げ膳全据え膳が何よりのプレゼントである。
 天気予報では3日ともあまりいいお天気ではないようだけれど、あちこち動き回るよりもゆっくり骨休めをすることが目的。それで十分いいかな、と思っている。
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2011.7.28 予定を入れることは“希望”を入れること

2011-07-28 21:47:24 | 日記
 7月23日の朝日新聞で「政治時評2011 オピニオン」という記事に目がとまった。ゲストは「希望学」提唱者・玄田有史さんで、ホストは同じ東大教授の宇野重規さん。玄田さんは、先日読んだ岩波新書「大震災のなかで」にも寄稿されておられた方だ。今回のテーマは「東日本大震災の被災地に希望はよみがえるか」というものだった。

 玄田さんが被災地に送って喜ばれたのはカレンダーだった、と述べておられる。「希望って明日をどう生きるかみたいなところがある。明日何をして、来週何をして、と自分で刻んでいく。被災地の人たちがカレンダーを求めるのは、被災の中の希望を象徴している感じがした。」と言っておられた。そして最後には「希望は自分たちの手で作るもの。社会、政治の関心は移ろいやすい。でも、被災地の人たちにとって復興の道のりは長い。苦しくても途中であきらめず、カレンダーに書きこんだ希望を被災者自身がかなえていくしかない。極端にいえば被災しなかった人は何もできないんです。・・・」と。

 この「被災者」が自分を含む「患者」に、また「被災しなかった人」が「健康な人」に、すんなりと読み替えられる気がした。
 私は夫に「あきれるくらいスケジュールを一杯にしないと気が済まない人だ。」と言われる。確かに真っ白なスケジュール帳はちょっと心もとないというか、落ち着かないのは事実。けれど、再発して以来、そうそう先のスケジュールまで一点の気持ちの曇りもなく入れることは憚られるようになった。そもそも来年の話をすると鬼が笑う、とも言うが。
 そうはいっても、概ね3ケ月から半年くらい先の“楽しむための”予定は、今のところ、どんどん入れてしまっている。家族との旅行や「プチ虹のサロン」の月例会、3月に1度が定例になりつつある「つぼみの会」やら、年に1度の合唱の予定もそうだ。こうして薬が奏功して小康状態が続いていると(もちろんマーカーがじわりじわりと上がっているとか、1年も経っていないポートが不調だとか、考え出せば暗雲垂れこめる事態が全くないわけではないのだけれど)、年末はどこどこに行ってみようか、もし今度の9月末の海外旅行で自信がついたら、もうちょっと長く遠出をしてみようか、くらいの欲張りな気持ちはある。
 けれど、来年度の入学式やら何やら、仕事上の諸々のスケジュールを入力している時、休薬の週を考えながら日程を調整する時、ふとこのスケジュールでちゃんと治療が出来、ちゃんと働くことが出来ているだろうか・・・と不安になることも、当然ある。

 予定を入れることは、“希望”を入れること。こうして予定を入れて、それを目標に体調管理をしながらきちんと治療を続ける。そして、その予定を一つずつ実現していく。そうしたらまた、次の予定を入れる。こうすると前向きに日々が送れるように感じている。

 4年ほど前に、高校時代の後輩の訃報に接した。卒業してから個人的なお付き合いはしてなかったけれど、新聞記者になったということは風の噂で知っていた。亡くなったのは肺がんの再発・転移で、40代半ばだった。その彼女が、亡くなる3日前に自らが立ちあげた活動を紹介する本の見本刷りを持って訪れた人の前で、出版の打ち上げの予定を書こうと手帳を開いたそうだ。人はどこまでも前を向いて生きて行くんだと、その時居合わせた人は感じた、というネット記事を読んだことを思い出した。

 先日頂いたコメントのお返事に書いたことがあったけれど、当面の私の3つの目標は、もう来週に迫った、息子を無事ホームステイに送り出し、その間は夫と小旅行等をしつつ元気に過ごすこと、9月末に勤続25周年の休暇を利用して5年半ぶりに家族3人で海外旅行に出かけること、10月半ばに3年連続となる大学の校友会音楽祭の合唱舞台に乗ること、である。

 さて、最近、夜遅くまで起きていられなくなった。やはり夏場の暑い時期、1日職場に出て、夕飯を作って、片づけをすませる時間になると、もう本を読んだり何か別のことをしたり、という元気が残っていない。夕食後にゆっくりお茶を飲むこともなく、そそくさとお風呂に入るともう横になりたくなってしまう。だからといって翌朝すっきり早起き、というわけでもないのだけれど。体力が落ちたなあ、と実感する。まあ、体が要求しているということで、無理に夜更かしをして頑張ろうとは決して思わないけれど・・・。
 今日は気圧のせいか、夕方から頭痛がひどくなり、またロキソニンのお世話になってしまった。

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2011.7.27 働き続けるということを考える

2011-07-27 20:58:41 | 日記
 今は大学という職場に派遣の身になっているが、私はこれまで公務員として働いてきた(今も身分は公務員のままである。)ので、これまでいわゆる寿退社を身近に見ることはなかった。概して公務員になる女性は「定年まで働きたい、細く長く働きたい」と思っている人が殆どである。そのため、よほどのことがない限り”途中で退職する”という選択肢は最初から持っていない。
 かくいう私も病気休暇や病気休職もとりながらも四半世紀以上勤めてきている(今や、しがみついている)が、本当にやむにやまれぬ事情がある以外、結婚退職や出産退職した職員が身近にいたことはなかった。

 ここ数年来、大学の固有職員や派遣の職員など、いろいろな雇用形態の方たちと肩を並べて仕事をしている。雇用形態により職業観が違うということではなく、結局のところ個々人の価値観によるのだろうが、私の職業観がごく偏ったもので、本当に様々な価値観や働き方があるのだ、ということに今更ながら気付かされる。

 8月末で結婚退職する職員がいるという話を聞いた。
 この4月に異動したことで、通勤時間が片道2時間かかるようになったとも聞いた。確かに朝から元気がなさそうで、若いのに随分しんどそうだな、と思って見ていた。もちろん今の私が片道2時間の勤務先に異動ということになったら、辞めろということですね・・・と、認めざるを得ない状況だ。けれど、大学の事務職はデスクワークだし、結婚しても小さな子供がいても十分続けることが出来る職場だと思う。だからこそ、今、結婚退職という選択をすることに、正直なところ驚いた。
 一生働くことが良いとか悪いとか言うつもりはないけれど、高い倍率を勝ち抜いて入職したというのに、なんだかもったいないような気がしてならない。当然、産休も育休もあるし、当初に比べればいろいろな制度が整ってきている。現在のような厳しい雇用環境の中、いくら若くて能力があっても、いったん退職してしまったらこれから再就職するのはそうそう容易いことではないだろう。
 だが、こうしてあっさりと辞めていかれるということは、哀しいかな、この職場があまり魅力のない、無理しても続けようと思うほどの未練のある職場ではないということも認めなければならないのだろう。

 もう一人、妊娠中に安静にするようにとドクターストップがかかり、病欠に入っていた職員がいる。結局、病欠のまま産休に入り、来年度1年間は育休だそうだ。ほぼ2年間にわたるお休みである。
 私は、後にも先にも息子一人の産休しか経験していない。育休もとらずじまいだった。けれど、妊娠も出産も、それこそ本当に人それぞれで、つわりもなくぎりぎりまでごく普通に働き、何人も続けて出産される方がいる一方で、妊娠悪阻が酷く、出産までずっと入院、という方がいるのも事実だ。
 産休に入るまで全くトラブルもなく無事に働き、安産で、保育園にもすんなりと入所出来、保育園に入れなくともおばあちゃんがしっかり面倒を見てくれる等のバックアップ環境が整っていて、産休明けにすぐに復帰出来る人は、本当に恵まれた一部の人だ。いや、産休明けにすぐに復帰することが幸せかどうかはわからない。私は、1月末に出産して年度末の時期が産休明けだったので4月から保育園入所となったが、今は出産した年度末までは育休をとり、年度明けから保育園に入れるのが一般的だ。最長で3年の育休をとってから復帰する人も少なくない。

 若い世代ではイクメンが増えてきているとはいえ、妊娠・出産だけは生物的にやはり女性しかできない業だ。働き続けたい女性が少しでも無事に働き続けられるために、男性や一部の女性だけが長時間労働を強いられながら、働きたくても働けない人が沢山いる社会、ワークシェアリングが出来ない社会が少しでも変わっていくことを願いたいと思う。

 今日は帰宅するとお花が届いていた。白と紫のトルコキキョウが3本、ビタミンカラーの旭(姫ひまわり)が3本、紫のリアトリス(キリンギク)が2本、赤く色づいたヒペリカムが2本。それぞれ花言葉は「優美」「素敵」「燃える思い」「きらめき」だという。
2週間前のお花を何とかもたせていたけれど、やはり夏はお花にも辛い時期だ。来月は月末に1度、胡蝶蘭の鉢植えが届くそうだ。
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