ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2013.10.31 スマホが奪うもの

2013-10-31 21:10:14 | 日記
 昨日の読売新聞のコラム「よみうり寸評」を読み、唸った。以下転載させて頂く。

※  ※  ※(転載開始)

かつて大学進学で地方から上京した若者は東京では電車の中で読書している人の多いことに驚いたものだ◆今、当時の文庫本にかわって乗客の多くが手にしているものはスマートフォンが圧倒的に多い。人々は座席に座るなり条件反射のようにスマホを取り出す◆読書に関する本紙の全国世論調査によるとスマホを使う時間が長くなるほど読書時間が減ったと答える人の割合が高くなる。9月に実施した調査の直近1カ月間に1冊も本を読まなかった人は全体の53%。これで5年連続で半数を超えた◆読書好きには信じられないさびしい数字だ。スマホの効用も多々あろうが、読書時間に影響するようなのめりこみはいただけない◆<ながら歩きは危険です>―これは地下鉄のホームで見たポスター。携帯電話やゲーム機器を使いながら歩くのは危ない。人にぶつかったり、線路に転落したり、トラブルや事故のもとになる◆読書週間の折、とりわけ子供たちの読書時間は確保してやりたい。スマホなどに取り込まれないように。

(転載終了)※  ※  ※

 そうだった。この2週間は読書週間なのであった。早いもので、今日で10月も終了。2ヵ月続きのカレンダーは最後の一枚になってしまった。学内の紅葉もかなり進み、見頃に近づいてきた。少し歩けば落ち葉を踏む音がカサカサと響く。

 そんな中、学生たちもご多分にもれず“歩きスマホ”が目立つ。
 危ないなあと思いつつ、我が息子もそうであることに下を向く。危険だしお願いだから止めてほしい、と思う。
 先日スマホを見ながら下りている遮断機をすり抜けて踏切を渡ろうとした挙句、轢かれて亡くなったというニュースを聞いて、本当に耳を疑った。

 かくいう私もスマホにしてからもうすぐ1年。息子に言わせれば、アプリを使わずにスマホにする必要性などない、と一刀両断だ。だが、電話はもとよりメールよりも便利に感じるようになったラインが使え、気になったことがあればネットですぐに調べられるし、手元でブログのチェックが出来たり、と私なりには十分活用しているつもりである。

 けれど、自分でもぼんやりと思っていたことがこの短いコラムにはっきり書かれていてちょっと慄いた。
 携帯電話を持っていた頃は電車に乗れば、すぐに文庫を開いて読書開始だった。だが、最近ではスマホチェックが先になっているのだ。特にメール到着ランプが点滅していたり、緑色のラインがいきなり画面一杯に割り込んできたりすると、KS(既読スルー)出来ずに、ついつい見て返事をしてしまう。さすがに歩きながら、は危ないのでやらないけれど。
 そうしてチェックをしてみたりニュースを見始めたりすると、本を取り出すタイミングが間違いなく遅れる。電車に乗っていても読書の世界に入るのにはしばしの時間を要するから、短い乗車時間だとその機を逸すことになる。

 うーん、ため息だ。今やコラムにもあるとおり電車に座った人はほぼ間違いなく老若男女スマホをいじっているか、子どもはゲーム機を両手にしているか。
 本を持っている人はごくごく少数派になっている。・・・中にはスマホで電子読書中の方もおられるのかもしれないけれど。
 今は受験生だから読書などしている暇はない、と言われるかもしれないけれど、高校合格のお祝いにスマホを希望した息子が、ついぞ本を読むのを見たことがない。小学生の頃はあんなに本好きだったのに。あんなに立派な図書館のある中高一貫校に入学したのに。
 漫画とネットサーフィンと、延々と続くラインの会話・・・それだけではあまりに淋しいのでは・・・と思う。本は紙で読みたいし、辞書も紙で引きたい昭和の香りムンムン(息子談)の母である。



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2013.10.29 文庫売り場で幸せ気分

2013-10-29 21:11:19 | 日記
 学内の生協書籍売り場でのこと。
 毎月、月末には翌月の新刊文庫がちょっと早めに並ぶ。先月はちょっと出遅れたために欲しかった文庫を買うことが出来なかった。そもそもそんなに大きな売場ではないので、新刊本といっても数多く置いているわけではない。だから、1冊誰かが買ってしまえばそれっきりということも沢山ある。

 今月も月末を迎え、さすがにまだ並んでないかな、と思いつつ、昼食を終えてなんとなく文庫のコーナーに立ち寄ってみた。
 平積みしているコーナーを整理していたのに、私の顔を見て「あっ!」と言ってその場を離れた店員さんがいた。私を見て突然奥に消えたように感じ、あら、どうしたのかしら、と不思議に思いながら、目当ての一角に行ってみた。
  が、やはり来月の新刊はまだ並んでいなかった。
 すると「新潮文庫の方・・・ですよね?」と声をかけられた。「実はもう入っているんです。今持ってきたのです。すぐに並べますからもう少しお待ち頂けませんか。」とのこと。
 まさか、私のために新刊の段ボールを取りに行ってくれたとはゆめゆめ思わず、びっくりするやら、顔を覚えてくださってのだと分かって嬉しいやら。
 いくら通っているとはいっても、月に1,2度新刊の発売を狙って5,6冊(多くても1度に10冊は買わない)、それ以外に面白そうな新書があればそれを数冊買いに行く程度の客である。
 考えてみると、そんな私を覚えてくださるほど今の学生たちが本を買い求めないのかどうか。

 彼女の台詞の“新潮文庫の”というのは確かに当たっていて、中学時代から文庫といえばなんとなく新潮文庫だった。「夏の100冊」など、夏休みに汗をかきかき一生懸命読んだものだ(かつてに比べて100冊のラインナップがずいぶん変わったことに驚いたのは、昨年の夏だったか一昨年のことだったか。)。
 別に他社の文庫を読まないというわけではないが、文庫といって一番しっくりくるのが新潮文庫なのだ。
 「いつも気をつけて見に来て頂いて嬉しいので・・・」とのこと。本好きの匂いがする方だな、と思った。
 「まだ早いかな、と思ったのですが、先月出遅れて買い損なってしまって・・・」と応じ、早々に並べて頂いた新刊から5冊ほど選んで、お礼の挨拶をしてレジに向かった。
 「なんだか押しつけてしまったみたいで・・・ありがとうございます。」とその方。「いえいえ、とんでもない。覚えていてくださってこちらこそどうもありがとうございます。」と私。

 こんな小さな出来事だったけれど、とても温かな幸せな気分になった。
 秋の夜長は読書に限る?そう、読書の秋にふさわしい嬉しい出来事だった。

 さて、先々週、私が家族第一号で接種したインフルエンザの予防注射だが、今日は夫と息子の番。受験生の息子は、今年は2回の接種が必要ということで、来月末にもう1度予約だ。気付けばどんどん加速度がついて年末に向かっている。
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2013.10.27 祝・ブログ開設4周年!はメンテの日、一寸先は・・・

2013-10-27 19:59:07 | 日記
 自分で「祝!」もないものだが、3年前の1周年、一昨年の2周年、昨年の3周年に引き続き、今年もまた、の記事である。
 今日までの4年間で1,245という数の記事を書き続けてこられたことにあらためて感謝したい(昨年の記事によると3年間で945だったのでこの1年でちょうど300である。細く長く続けるために毎日更新は止めます、と4月に宣言したこともあり、年間365日より少なくなっている。)。
 そして昨年同様、こうして治療を続けることが出来、家族、友人、職場の方たちを含めたいろいろな方たちに支えられて生き永らえてこられたことにも。

 繰り返しになるが、私たち進行再発がん患者にとって、1年1年は本当に重い。
 だからいきなり、「次は10周年を目指します。」などとは言わない(し、言えない。)。
 昨年の目標が「来年、2013年10月27日に“祝!ブログ開設4周年”の記事を書くことを当面の目標にしたい。そうすれば、再発当初、残された時間はあと5年くらいだろうか・・・と、ぼんやり思った時間を超えることが出来るのだから。細く長くしぶとく、これからも生きている限り書き続けて行きたいと思う。」であったが、その目標がクリア出来たことが素直に嬉しい。だから次は、来年2014年10月27日に“祝!ブログ開設5周年”を目指したい。

 今日は台風一過の青空が広がる、文字通りの秋晴れの日になった。
 息子を模試に送り出した後、楽しみにしていたリフレクソロジーに出かけた。思えばこの1か月間、本当にいろいろあったので、あれ、もう1か月経ったのだという感じ。山のように報告事項があったので、今日は施術中ウトウトすることもなく、徹頭徹尾オーナーとお喋りのし通し。ユーカリのアロマエッセンスの香りでリフレッシュし、相変わらず目・肩・腰の反射区に悲鳴を上げながらほぐして頂いた。最初は足がとても冷えていたが、お蔭ですっかり温まった。施術後のハーブティは疲労回復・ストレス解消ブレンドに。
 せっかく温まった下半身を大切に、午後はヨガベーシックのクラスに参加して、体を内側から温めてたっぷり汗をかいてすっきり。夫と合流してお茶と買い物。息子の帰宅予定時間に十分間に合うように帰宅したつもりが、なんと1時間も早く帰ってきたとのこと、しかも鍵を持たずに玄関で立ち尽くしていた。こういう時に携帯の電源切れでは、携帯を持っていることにならないだろう。トホホである。

 そして今日のお題の一寸先は・・・の話題。
 先月末に他界した義母が一番仲の良かった北海道在住の2番目の妹(夫の叔母)から果物が届いた。お礼の電話をしたのだが、どうも話が噛み合わない。訊けば留守番のものです、とのこと。私はお目にかかったことのない、道内在住の、夫の従姉妹だった。なんと叔母は、一昨日この荷物を出した日に転んで大腿骨骨折、入院したそうだ。明日が手術だという。
 かれこれ20年以上、悠々自適な未亡人生活をしているが、80歳をとうに過ぎての一人暮らし、姉弟は皆道内在住とはいえ、さすがに心配なことこの上ない。叔母のもとに駆け付けた一番下の弟(夫の叔父)が電話で言うには、本人はいたって元気なので、外科的手術が終わりリハビリすれば大丈夫とのこと。そうはいっても大腿骨骨折の後、寝たきりになってしまうことは多いと聞く。無事手術が成功してまた元気になってくれることを心から祈りたい。
 とりあえず急ぎお見舞いの手紙をしたためることにした。
 実家の両親もいつ、家の中で転倒するかもわからない。本当に心配し出したらきりがないのだけれど・・・。
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2013.10.26 あけぼの会創立35周年記念大会参加

2013-10-26 22:29:53 | あけぼの会
 心配した台風の進路が少しずれてくれて、息子は臨時休校にならず、ちょっと不機嫌な様子で登校した。
 そして、私が出かける時はかなりの降りだった雨も、2時間近くかかって会場に到着したときには大分小降りになっていた。

 今日は3年ぶり3回目、患者会の全国大会に参加した。昨年はEC投与後の体調不良、一昨年は大学の校友会音楽祭の合唱とバッティングして、それぞれ出席が叶わなかった。4年前の6月―ちょうどタキソテール治療が終了して職場復帰した1か月後―に入会し、その年の31回目、翌年の32回目に参加したことになる。
 会場の1階のエレベーター乗り場で、なんと3月に京都でお世話になったMさんとばったり。今日上京されているとは全く知らず本当に驚き、手を取り合って再会を喜びつつ会場入り口に向かった。

 ピンクの入場券ハガキをお渡しすると、3年前、作成にあたって少しお手伝いした「乳がんディクショナリー」の最新第6版を手にすることが出来た。
 プチ虹のサロンのKさん、Sさんと会場で合流する約束をしていたので素早く席を3つ確保。3か月ぶりに、お元気そうなKさんと再会することが出来て本当にほっとする。
 ショッキング・ピンクの衣装に身を包んだ会長さんが「会の35年を振り返って」と題して、会の誕生からこれまでの歩み、苦労された裏話などを大きなスクリーン一杯の写真とともにお話しされた。私が参加したのは2009年、2010年の2回だけだが、その時に舞台の上で笑顔を振りまいていたNさんやTさんはもういらっしゃらないことを改めて思い、偲んだ。

 続いて県立静岡がんセンター総長の山口建先生が「乳がんの患者さんから学んだこと」と題して基調講演をされた。がん生存者支援の取り組み、3人の進行再発乳がんの患者さんとのエピソードから、QOL(Quality of Life)だけでなくQOD(Quality of Death)の話題、治癒だけでなく看取りの話題等、再発患者にも寄り添った30分という短い時間ではあったが、とても中身の濃い内容だった。
 恒例のDoctor of the Year 2013発表の後、後半に登場予定の永六輔さんが早くも到着されたということで、そのまま車椅子で舞台へ登壇。パーキンソン病とがんを患いながらもユーモアたっぷりの永さんワールドを20分堪能させて頂いた。

 休憩を挟んで後半はピアノトリオコンサート。小一時間、ラフマニノフやサンサーンス、ドビュッシーといった聴き慣れたクラシック曲の生演奏を贅沢に愉しむことが出来た。
 圧巻だったのは、北は北海道、南は鹿児島から駆け付けた全国の支部長さん28名が、県名のカードをもって舞台で横一線に並ばれたこと。壮観だ。どの支部も後継者不足でいろいろ運営に苦労されているという。ボランティアでのお仕事に本当に頭が下がる。そして、お揃いのピンクのTシャツで登場した事務局の方々が、お一人ずつ自己紹介。この3年の間に、お顔を存じ上げている方が2人しかいらっしゃらなくなっており、ちょっと淋しかった。誰よりも長く事務局をやっているのはもちろん・・・ということで、会長さんに副会長さんから花束のプレゼント。さらにはサプライズということで、会長さんのお二人のお子さんからスクリーン一杯にビデオメッセージ。

 ラストは、会員でもありシャンソン歌手でもある方がリードされて全員で「千の風になって」を合唱し、12時から4時までという長丁場の大会が無事終了した。
 35年間と一口に言っても本当に長い時間だ。そもそも私が35年続けられていることなど何もない。一番長くて勤続28年半、くらいである。どれだけ沢山のご苦労があったかは想像に難くない。けれど、年々会員は減り、こうした大会を開催しても、会場が埋まらなくなっているという悩みは深い、という。
 会長さんが、いつものようにエスカレーターでお見送りをされ、ご挨拶して会場を後にした。

 その後、お茶をして帰宅した。帰路はすっかり真っ暗だったけれど、雨も止んでいた。
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2013.10.25 “最後の経過は早い”という厳しさ

2013-10-25 20:22:33 | 日記
 読売新聞の医療サイトyomi.Drで今月から新しく始まった、緩和医療医・大津秀一先生のコラムが目に飛び込んできたので、以下転載させて頂く。
 先生は、「死ぬときに後悔すること25」というベストセラーの著者。今月の新刊文庫である。買わなければ、と思って大学生協へ行ったが、見当たらなかったのでいまだ買えていない。とても気になっている。

※  ※  ※(転載開始)

専門家に聞きたい!終末期と緩和ケアの本当の話 治らないがんと生きる(2013年10月24日)

 いま日本人が一番亡くなっている病気は何ですか?
 皆さん、この答えはご存じですか?
 そう、がんです。現在約36万人(2012年)の方ががんでお亡くなりになっています。それでは2位は何ですか?
 答えは心疾患です。こちらも約19万9千人(同)と多いですが、ざっくり言いますと、がんに比べると半分くらいの数ではあります。
 高齢化の影響が強いため、がん死亡率は上昇しています。しかし、年齢の影響を除いて考えると、がんの死亡率は下がっています。
 がんも進み具合によっては、治療も経過も変わります。例えば早期がんの場合であれば、その治療の目的が完全に治ることになりますが、進行したがんで完全に腫瘍を手術等で取りきることができない場合は、できるだけ機能を低下させない、かつ長く生きられるようにする、というのが治療の目的となります。
 誰しも病気になれば治りたいと思うのは当然です。私も何度も病気をしたことがありますから、元に戻ってほしいと願う気持ちはとてもよくわかります。前回の内容とも重なりますが、失って真に、人はその普通にあった「健康」の大切さをまざまざと思い知らされるのです。
 けれども非常に進んでしまっているがんの場合の治療の目的は、根治ではありませんし、逆にそれを目指して例えば抗がん剤治療をし続けても、いつか最期が訪れてしまいます。抗がん剤治療と並行して、限られた時間をご自身にとって充足されたものにするという「人生の質」の観点から動いていくことが不可欠なのです。
 もちろん私も、進行したがんで治療をされていらっしゃる方に長く生きてほしいと願っています。しかし治療だけで時間を過ごして、それで人生が終わってしまったら、悔いが残るのはご本人なのではないかと思いますし、実際にそういう声も患者さんからあるいはご家族からたくさん聞いてまいりました。
 またさらにがんの特性として、最後の経過は早い、というものがあります。よく有名人ががんで亡くなった時に、「急だった」「早かった」という感想が周囲の方から聞かれることもありますし、そういう印象を私たちが受けることがあります。ただそれも「当たり前」の経過なのです。最後の何週間の経過は一般に早いのががんの特性です。詳しくは近著『どんな病気でも後悔しない死に方』に記してありますのでどうかご参照ください。
 がんという病気の特性を知っておけば、いざなった際にも、治療と並行して「良い人生」を作り上げることができるのではないかと思います。次回、この「並行」について事例を挙げて皆さんと考えたいと思います。

(転載終了)※  ※  ※

 がん患者を9年近く(うち再発進行がん患者としては6年近く)やっていても、このがんの最後の経過のスピード-いわゆるラッシュ期―を目の当たりにすると、たじろぐ。
 昨日訃報を記したながながさんも、そうだ。体調が悪いとおっしゃりながら、9月に入院されるまではごく普通に働いていらしたのだから。それが僅か1カ月ちょっとの間に・・・。
 先生が書かれている通り最後の経過が早い、ということは紛れもなくがんの特性なのだ。こういう最期はがん患者なら当たり前として受け入れなければならないのだろう。先日他界した義母のように、脳疾患等で何年も寝たきりということにならない、比較的最期まで元気に動き回れるのががんという病のメリットである、という人もいるくらいなのだから。
 ふと、こんなふうに呑気に来年初めに登場するT-DM1を待っていて大丈夫なのだろうか、という不安に陥る。増悪していてもまだ慌てる段階ではない、という主治医の言葉を信じ、縋りながら、いつ私の体の中の細胞が暴れ始めるのだろうと思うと、そうそういつも心穏やかでいられないのが正直なところだ。けれど、出来れば昨秋のECのような強力な抗がん剤を投与して健康な細胞まで痛めつけ、受験前の大事な時期、息子の足を引っ張るように寝込みたくない(いわんや入院したくない)というのも本音だ。
 だからこそ、人生の質の観点から動いていくことが不可欠だ、という。そう、治療と並行して、限られた時間を自分にとって満ち足りたものにするために今の私の毎日はある。それが真実だ。

 希望を捨ててはいけないけれど、もしかしたら新薬で完治するかもしれない、と思うことはやはり甘いのだな、と自戒する。いつ最後の経過になっても、できるだけ後悔しないように生きていかなければならない。
 スティーブ・ジョブズの言葉を思い出す。“今日が人生最後の日なら、今日することは自分がしたいことだろうか?”―長い間答えがノーであるときはいつも何かを変える必要があるとわかる-というあの言葉だ。
 もちろん一人の社会人として生きていれば、日々の全てのことは自分がしたいことばかりではない。やりたくなくてもやらなければならないことは、当然のように沢山ある。けれど、もしそれが全てやりたくないことだったら・・・やはり何か変える必要があるのだろう。
 我が身を顧みれば、家族と暮らしながら毎日仕事をし、ヨガに通い、読書や映画を楽しみ、友人と会い・・・仮に今日が人生最後の日になっても、大事な日常を送れていたと自信を持って言うことができる、と思いたい。もちろん他人様から見れば、てんで面白くも可笑しくもない大したことない平凡な毎日だろう。けれど、それこそが私にとってかけがえのない愛おしい日常なのだ。

 ちなみに先生のベストセラー「死ぬときに後悔すること25」は以下のとおりで、矢印の右が私の今の自己評価だ。
1 健康を大切にしなかったこと→ 健康に気をつけてはいたけれど、結果的に病を得た。
2 たばこを止めなかったこと → 吸ったことはない。(さらに夫も禁煙させた。)
3 生前の意思を示さなかったこと → 早めに文書の準備をしなければ、と思っている。
4 治療の意味を見失ってしまったこと → 細く長くしぶとく病と共存するために、なるべく体にマイルドな治療を望んでいる。
5 自分のやりたいことをやらなかったこと → 一つだけ残っているけれど、ほぼやりたいことをやっている。
6 夢をかなえられなかったこと → 滅相もない夢は別として概ね叶えることが出来ている。
7 悪事に手を染めたこと → 小心者なので、悪事とは無縁。
8 感情に振り回された一生を過ごしたこと → なるべく感情をコントロール出来るように日々ヨガで鍛錬しているつもり。
9 他人に優しくなかったこと →健康でブイブイ仕事をしていた時にはそうであったことも事実、けれど病を得てからは心して優しくありたいと思っている。
10 自分が一番と信じて疑わなかったこと → 滅相もない。けれど、ダメな自分でも自分が好き。
11 遺産をどうするかを決めなかったこと → 大した遺産はないけれど、早めに文書にしておかなければ、と思っている。
12 自分の葬儀を考えなかったこと → 具体的に詰めておきたいと思っている。
13 故郷に帰らなかったこと → もっと頻繁に実家に行かなければと思っている。
14 美味しいものを食べておかなかったこと → 貧乏性だったが、病を得てからは贅沢だと思わずに、美味しいものを楽しめるときに楽しむようになっている。
15 仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと → 病を得てからは、より趣味に時間を割けるようになった。
16 行きたい場所に旅行しなかったこと → 病を得てからはそう無理は出来ないが、それまでは海外旅行も含めてあちこち旅行することが出来た。
17 会いたい人に会っておかなかったこと → 病を得てからは、ちょっとくらい無理をしても会いたい人には会うのがモットー。一期一会を大切にしている。
18 記憶に残る恋愛をしなかったこと → おかげさまで記憶に残る恋愛が成就して今に至る。
19 結婚をしなかったこと → 既婚
20 子供を育てなかったこと → 一男あり
21 子供を結婚させなかったこと → まだそこまで達していないが、息子の意思を阻むつもりはない。
22 自分の生きた証を残さなかったこと → 息子の存在、そしてこのブログの存在。
23 生と死の問題を乗り越えられなかったこと → まだ修行中。
24 神仏の教えを知らなかったこと → これはまったくもって勉強不足。
25 愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと → 日頃から言っているつもり。

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