ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2016.4.30 大型連休初日、幸先良いスタート

2016-04-30 21:14:02 | 日記
 今日もいいお天気。春爛漫である。もう少し寝坊しても良いのだけれど、という時に限って目覚ましをかけるよりも早く目覚めてしまう。
 恒例の土曜日のプチ贅沢“ベッドの中で朝の連続テレビ小説鑑賞”はBSで30分繰り上げ。大物を洗濯機にどんどん放り込む。ベランダがもう少し広ければあと1回分でも洗濯したい気分だ。
 今日は月1回のお愉しみ、Wさんのサロンに予約を入れていた。夫は先週でひとまず治療が終わった病院へ診断書を書いてもらうために行かなければ・・・というので、一緒に出掛けた。
 
 あまりに気持ち良くて、眠ってしまってはもったいないと思うのだけれど、結局今日もWさんのゴッドハンドに身を委ねつつ、途中から意識が遠のく。Wさんがおっしゃるには、頑張って寝ずに起きておられる方が半分、私のように意識不明で寝落ちてしまう方が半分だという。先週お世話になったという母はしっかり起きているようだ。母娘とはいえ、当然ながら違うものである。

 今月は2回目のご来店なので、とアロマハンドマッサージもサービスして頂き、ご満悦。施術後はハーブティを頂き、次回の予約を済ませる。前回は、夫と合流してランチを摂った後、川べりの桜を愛でたのだったが、1か月も経たないうちに緑が鬱蒼としている。

 今日も病院帰りの夫と同じレストランで待ち合わせしてランチタイム。連休中なので混雑を覚悟したけれど、皆さん遠くにお出かけされているのか、すんなり入ることが出来てびっくり。
 お腹を満たした後はやはり前回と同じ行程で、夫と別れ、都心の常温ヨガスタジオに向かった。

 先週“均整術×Yoga”肩のレッスンでお世話になった、Oさんのベーシックのクラスだ。陽射し溢れるスタジオは程よい混み具合でとても気持ち良かった。Oさんがおっしゃるには、ベーシックのクラスは初心者向けではあるけれど、身体の使い方が判ってくるとどんどんキツくなるクラスでもある、とのこと。確かにポーズだけ模倣するのではなく、どこの筋肉をどう使っているのか意識して行うだけで身体への効き方は全く違う。正しく使えていると、その時はキツくても後でとても楽になるのが不思議だ。

 あっという間にシャバーサナのポーズとなり、クラスが終了。心地よい疲れに満足。帰りにOさんから「先週のクラス以降、調子はいかがですか」と問われ「おかげさまでとてもいいです。楽になりました。」と言うと、「そうですね、ちゃんと(正しい肩の位置が)キープできていますね。(胸を)庇いたくなる気持ちは良くわかりますが、却って凝り固まってしまって辛くなるので、楽になったのなら本当に良かったです。」と言って頂ける。有難いことである。

 今日は午前中Wさんのサロンでほぐして頂いたのと相乗効果で、呼吸がとても深く楽になったのを実感する。

 明日からは夫がアレンジしてくれた家族旅行に出発である。当初、夫と2人で出かける予定が、息子も授業に支障がないということで合流出来ることになった。久しぶりに温泉へ。愉しみなことである。
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2016.4.29 快晴の昭和の日、職場で断捨離!

2016-04-29 20:17:07 | 日記
 いよいよゴールデンウィークスタート。初日は昭和の日だ。勤務する大学では(聞くところによれば、息子の大学でも通常授業だそうだ。)授業開講日のため、出勤当番に当たった。方や夫は、今日からドーンと7連休である。
 そんなわけでいつもどおり起床して、だらーっとソファでくつろぐ夫を横目に出勤した。
 いつもはギッシリ人口密度の高い事務室も今日はまばら。各島に一人ないし2人といったところ。最低限の出勤シフトである。

 午前中はメールを処理したり資料を作成したり、と過ごしたが、さすがに電話もメールも少ない。お昼休みはあまりにお天気が良いので、散歩がてら駅前まで出かけた。
 風薫る5月もすぐそこまで。青空に緑、本当に気持ちの良い季節である。大型連休にあわせてアウトレットセールが大々的に開催されていることもあり、親子連れ、カップルなど人出が凄い。のんびり歩く人たちをすり抜けながら、カフェでてっとり早くランチを摂った。

 午後はさて、と日頃なかなか出来ない断捨離を実行した。家でも職場でも、より快適に過ごすためには、何より“溜め込まない”ことが必要だと実感する。
 今、学び始めたパタンジャリのヨガ・スートラ。八支則の中のヤマ(禁戒:日常生活で行ってはいけない5つの心得)の5番目はアプリグラハ(非所有・不貧戒)である。

 アプリグラハとは、貪欲さを捨てること。次から次へと沸き起こる尽きることのない欲望に身を任せない。何かを必要以上に所有しない。程度を超えた欲を持たず、独占欲を抑えることでもある。必要以上に所有すると、執着が湧いてそれを失うことへの恐れや他者への怒りと嫉妬を生む、という。

 だからこそ、“溜め込まない”なのである。これを実践することで、外の物質世界に縛られず、自らに満足感をもたらし寛容になり、他者から奪うのではなく、与えることに繋がる、すなわち生の目的を悟るという。

 ということで、不要な書類は思い切ってどんどんシュレッダーにかけ、ファイリングをしてスッキリ。思いのほか捗ってとても快適になった。

 かくいう私も明日からは6連休。有難いお休み期間、しっかり充電・リフレッシュして、スッキリしたデスク回りで5月からの勤務に備えたいと思う。
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2016.4.28 昨日の通院日に読んだ2冊

2016-04-28 21:23:34 | 読書
 昨日の1冊目は、津村記久子さんの「まともな家の子供はいない」(ちくま文庫)。
 帯には“世界はどうしてこんななのか 中学3年生セキコの怒りと絶望に読んだあなたも巻き込まれること必定。”とある。表題作の他、セキコの同級生いつみの物語「サバイブ」の2編が収録されている。

 “14歳の眼から見た不穏な日常から、大人と子どもそれぞれの事情と心情が浮かび上がる”と裏表紙にあったが、いや~、思春期女子の両親等に対する目の辛辣で容赦ないこと。読み進むにつれ背筋が冷たくなり、逃げ出したくなってしまった。

 解説は臨床心理士の岩宮恵子さんが書いておられる。“親も人間なのだから、完璧ではない。そんなことは当たり前のことなのだが、幼い頃はそんなことを思いもしない。ところが自己意識の芽生えとともに、子どもは親の人間としての弱さとか身勝手で表裏のある子どもっぽい面に気づくようになってくる。・・・”まさにそのとおりなのだろう。家庭状況が安定している家の子どもでも、こうした心の嵐に襲われる思春期。家の状態が揺れている場合はなおさらなのだ。セキコだけでなく登場人物のどの家庭も様々な事情を抱えている。だからこそ表題作のネーミングなのだろうけれど、セキコの怒りに大人として心がヒリヒリしてたまらなかった。

 岩宮さんがおっしゃるとおり“激しい社会変化の中で今まで通りの「まとも」や「大人としての在り方」もどんどん変わってきている。「まともな家」のイメージがガラガラと崩れている。いつまでも若いということが評価される社会では、子どもっぽい意識のままで生きていくことも容認されやすく、「大人の責任」から逃げ出しやすくなっているような気がする。”というのも実に頷ける。

 子どもは親を選べない。育児は育自だと思うけれど、大人は恥ずかしくない大人になれているのだろうか。“ちゃんとした「大人」のいる「まともな家」が激減している中、今の子どもたちは必死で自分なりの大人になる道を模索しているのである。”と言われると、耳の痛い大人が沢山いるのではないだろうか。

 2冊目は近藤史恵さんの「キアズマ」(新潮文庫)。
 近藤さんといえば「サクリファイス」、「エデン」、「サヴァイヴ」(奇しくも上記に収録されている短編と同じ題名!)ときて、本作は自転車ロードレースシリーズ第4作である。ロードレースをろくに視たこともなければ難しいルールなんぞ全く知らない、いわばロードレースと全く無関係に生きてきたスポーツ観戦音痴の私が、物語の面白さだけであっという間に惹きこまれたのが前3作だった。

 これまでの3作はプロの世界を描いていたが、今回はふとしたきっかけでメンバー不足の自転車部に入部した大学1年生・正樹が主人公。解説の大矢博子さんが書かれている通り“初心者が戸惑いながらもロードレースを始めるという設定で、競技に馴染みのない読者でも身近に引き寄せて読める作品”になっている。

 これまでが「ロードレースを観てみたい」と思わせる作品だったとするなら、本書は「自分も乗ってみたい」と思わせる作品なのであるという通り、(骨転移のある身、転んで骨折したら大変とママチャリすら封印した私が、全く別物ともいえる骨組みだけのような自転車に乗れるわけがないけれど)なんとなく一緒にペダルを漕いでいるような熱い気分になってあっという間に読了。

 「キアズマ」という題名は、ギリシャ語で“交差”という意味だという。本書のもう一つのドラマは、主人公の友人・豊が過去のスポーツ事故が原因で、重い障害を抱えていること。そして、正樹の先輩・櫻井と自転車事故で亡くなったその兄の関係。それぞれの人生が交差する中、受け継がれる思いは次作に繋がるのだろう。
 主人公・正樹はまだ1年生。これからの大学生活~続編~が今から楽しみなのである。
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2016.4.27 採血後診察・カドサイラ(T-DM1) 20回目(減量10回目)

2016-04-27 21:16:07 | 治療日記
 先週末の検査に続き、今月3回目の通院日である。
 昨日は仕事を終えてから、文字通り初めて“初めての瞑想”クラスに出席した。初心者向けのクラスということだけれど、常連さんも含め10人ほどの参加者でアットホームな雰囲気。最後にはどっしり安定して瞑想することが出来、どこも痛くならずスッキリ終わって心穏やかにスタジオを後にすることが出来た。

 インストラクターSさんの大学時代のダンス部仲間とおっしゃるYさんとスタジオ最寄駅まで歩き、私鉄に揺られて病院近くの常宿に前泊した。
 
 今朝、夫にモーニングコールをした後は、いつものように熱めの浴槽足湯で身体の芯を温め、たっぷり朝食を摂った。窓の外は曇天。ちょっと冴えないお天気だ。 

 朝の連続テレビ小説を視、徒歩5分で病院到着。自動再来受付機もすんなり、採血受付でもスムーズに受付。待ち人数は15名ほど、待ち時間は12分とあった。
 10分も待たずに入室し、ほどなくして呼ばれる。今日は刺針も抜針も痛みなく「お上手でした」と御礼を言う。担当してくださった看護師のKさんがおっしゃるには、「今日全然痛くありませんでした」と言ったのは私が2人目だそう。「そういうラッキーな人は一日に限定2名、もう今日はおしまいだわ~」と謙遜される。今日はマーカー測定もあるため4本の採取。

 大荷物を持ち、腫瘍内科受付へ移動。まだ朝早いのに連休前の所為か、既に大方の椅子が埋まっている。いつもの席は確保できなかったけれど、体勢を整えて読書開始。
 今日は2冊読めたが、どちらもとても面白かったので明日の記事にアップしたい。

 読書に没頭しつつ気付けば1時間半ほど待つ。“中待合へどうぞ”の番号が電子掲示板に出る。血圧測定は105-65、脈拍は81。 
 中待合に入ってからも小一時間待ち、ようやく先生がお顔を出された。ご挨拶するや否や「3週間、調子はどうでしたか」と先手を取られてしまう。「おかげさまで元気でした」と応えると、既にPCには4枚の輪切りの画像と、腫瘍マーカー推移のグラフが並んでいる。

 グラフの形を見て、ああ、上がっているな・・・と思っていると「まあ2月よりは低いですが、ちょっと上がっています」とのこと。そして、「CTは悩ましいです」と。昨年カドサイラ(T-DM1)に変更する直前の2月、効果測定1回目の6月、前回の11月と今回を順番に観ていくと、右下の一番大きい影がより一層大きくまん丸になっている。

 幅が3センチ以上ある。見れば、この影は最初から一度も小さくなっていない。「ということは、(この影には)カドサイラ(T-DM1)は効いていないということですね?」と訊くと、「そうです、これには。ただ、他のこことか、こちらとかはあまり変わっていない、なので押さえているものがいくつかあって、効いていないのはこの一番大きいものですね。そして、新たな転移もない。骨も増悪していない。だから今薬を変えるべきなのかどうか悩ましいのです」とおっしゃる。

 「前回カドサイラ(T-DM1)に替えた時はこの動脈の脇、心臓に近いものが大きくなって心臓すれすれになっていたので(心転移を恐れて)替えましたが、今は当時よりも心臓と間が空いてきている。そして、効いていないと思われる大きなものは横隔膜の下あたりなので、場所柄症状が出ないようですね」と。

 確かに大きさを見ると、このままこの影に効かないカドサイラ(T-DM1)を続けていていいのだろうか、という不安が頭をよぎる。けれど、それ以外の影の増悪を抑えてくれているのに今ここで変えるべきなのか、とも思う。他の薬に変えて、今度は今までの影に効かなくなることだってあるわけだ。全部が全部同じ性質でないというのがいかにも厄介である。すぐに答えが出せない。唸る。
 「今は体調も落ち着いているし、手先の痛みも落ち着き、痺れもなんとかやり過ごせています。やりたいことを色々やれているので、出来ればもう少し粘りたいのですが・・・」と言う。「そうですね、では慎重に経過観察をしながら、来月はレントゲンも撮って、3カ月ごとにCTを撮って治療を続行しましょう」ということになった。

 「カドサイラ(T-DM1)を8割に減らしていることは関係していますか」と問うと、減らす前から効いていないものには効いていないようなので、関係していないでしょう。そして、減らさないと(副作用で)治療が続けられないですよね?」と言われる。

 この判断が「ああ、あの時、やっぱり別の薬に変えていれば良かった・・・」と後悔しないものであってほしい。けれど、自分で納得して出した(往生際の悪い)結論だ。このまま自覚症状が出てこなければ、今まで以上に身体の声に耳を澄ましながら粘っていくのが私らしいだろう、と思う。

 白血球の数等、他の数値を訊くタイミングを逸してしまった。
 診察室での検温は6度6分。3週間分の2種類の漢方、デノタスチュアブル、ヒルドイドローションをいつもどおりに、痛みや涙目の症状が軽減しているためロキソニンやパタノール点眼薬は少し少な目に処方して頂いた。次回3週間後は診察前採血に加えレントゲン撮影とランマーク注射も含めての予約が入り、ご挨拶をして診察室を後にした。これからその都度、結果を見ながら治療変更のタイミングを判断していくことになる。

 化学療法室へ移動し、夫やお友達に報告LINEやメール。
 混んでいるとみえて、看護師さんたちがパタパタと動き回っており、なかなか呼ばれない。椅子も一杯ということで、30分ほど待って、ひとまず、こちらの椅子にどうぞ、とリクライニング機能のない椅子に案内された。30分くらいでリクライニング椅子が空きますので、そこで移動して頂きますね、とのこと。

 移動に備えてそのままポートの針刺しを待っていると、Okさんが針刺しをしてくださる。今日はちょっとアンラッキーで「うっ」という感じ。「ああ、ごめんなさい、今日はダメでした」とOkさん。20分ほどして席を移らないうちに点滴開始。
 開始後15分ほどして窓際のリクライニング椅子に移動した。Krさんが荷物を持って下さり、私は点滴棒を押しながらゆるゆると移動。こちらは脚もほぼ水平に上げていられるので、とても楽である。「ご家族の皆さんはその後お加減いかがですか」と訊かれ、実家の両親のこと、夫の手術が無事終了したことなどをお伝えする。

 終了後の血圧測定はKbさんが来られる。109-69、脈拍は63と問題なし。抜針もKbさん。残念ながらやっぱり衝撃で「うっ!」となった。
 ご挨拶して化学療法室を後にする。待合で20分ほど会計を待つ。自動支払機へ移動して、採血、点滴の3割負担、12万円強をカードで支払う。

 外に出ると今にも泣き出しそうな空で、空気の湿度が高い。薬局では5,6人の方が待っていたが、これもいつものとおり順番を抜かされて小1時間待った。今日も3,000円に満たず、現金払い。

 前泊のお蔭で到着が早かったものの、混雑の所為で病院と薬局の滞在時間は合わせて6時間強。駅ビルのランチタイムに滑り込み、遅いお昼を摂った。
 帰路の電車でも席を確保し、途中で2冊目を読み切った。根を詰めて本を読んだためか買い物をする元気もなく、帰宅した。もろもろ片付けて、なんとか夕食を作った。
 既に目がしょぼしょぼでかなり疲れている。金曜日は祝日授業開講日で出勤なので、私のGWは土曜日からである。あと2日、無事に乗り切らなくては。

 
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2016.4.26 患者会との距離感に思うこと

2016-04-26 22:32:54 | 日記
 昨夜帰宅すると、患者会のニュースレターが届いていた。年4回春夏秋冬に届く読み応えのあるピンクの冊子である。
 早いもので入会してこの6月で丸7年になる。そう、再発治療が一段落して職場復帰早々入会したのだった。
 会費を振り込み、ピンクカードに書かれた会長さん直筆の「ようこそ!」のメッセージを受け取った時、本当に嬉しかったことを覚えている。
 その後紆余曲折はあったが、会には随分助けてもらったと思う。このブログも会の後押しがあって始めたものだ。沢山の患者仲間も出来た。少しでも恩返しをしなくては、と依頼があれば原稿を書き、大会等で話をさせて頂くという貴重な機会にも恵まれた。

 このところ、とんとご無沙汰しているけれど、こうして送られてくるニュースに眼を通し、時折HPを見ながらまだ会とは繋がっているのだということでどこか安心して日々を送っている。
 とはいえ、最初の頃のように毎月のイベントを優先順位1番にして出かけることはなくなっている。8年以上の時間をかけて、病気や治療について自分なりに気持ちの折り合いのつけ方を身につけることが出来るようになったからかもしれない。会のイベントに出かけて気持ちを吐き出さないと心の澱をうまく取り除いて前を向くことが出来ないということもなくなった。自己完結できるようになったということか。
 そして、この間随分沢山の先輩や仲間たちを失った。

 今回、何度もイベントでご一緒していたOさんが2月末に亡くなったということを知り、心が塞いだ。
 3年ほど前、夏の再発イベントの時に久しぶりにお姿を拝見して、あまりに小さく痩せてしまわれたことにショックを受けたのを覚えている。それでも果敢に治療を続けておられた。20歳近く年長でいらしたので、ライフステージは異なり、プライベートでお目にかかるということはなかったけれど、いつも前向きで熱心にメモをとりながら会に通っておられる姿を尊敬していた。このブログもお読みくださっており、ヘルプマークのことを書いた時には「こんなバッジもありますよ」と送ってくださったり、爪囲炎が酷くて、と書けば、便利なのよ、と小さな絆創膏を送ってくださったりと何かと気にかけて頂き、もったいなくも有難く思っていた。

 私はごく単純で現金だから、体調がうまく管理出来ていればあれもこれもやりたいクチだ。一日中ずーっと病気のことで考え込むことは殆どない。普段も仕事をし、趣味に奔走し、病気のことを忘れている時間が長いのだけれど、こうして訃報に接するにつけ、やはりこの病は甘くはないのだ、という厳然たる事実を突きつけられる想いだ。
 だからこそ、今出来ることを、今やりたいことを、という突き上げてくるような思いに駆られるのだとも思う。

 虫のいい話かもしれないけれど、今の私にとって、患者会との距離のとり方は付かず離れずの感じが一番心地よいのだと感じている。
 とはいっても、老兵は消え去るのみなどと言うつもりはない。どんなステージの会員にとっても当人が必要だといった時にいつでも開かれている場所があるーそう思えるだけでどれだけ有難いことか、と思う。
 望むべくは駆け込む所がなくて本当に困って切羽詰った患者さんの数があまり増えないことなのだけれど・・・。

 昨年は両親の介護で参加出来なかった秋の大会。今年はどうかしら、と日程を見たら、同じく昨年介護で練習に通えず参加を断念した母校の校友音楽祭とバッティングしていた。
 10月からは今通っている瞑想ヨーガ講師養成コースの後期も始まる。まだ日程はオープンになっていないけれど、土日が2回だから、バッティングする可能性は50%だ。
 と、相変わらずあれもこれもと予定を詰め込みそうな私だけれど、身体はひとつ。その時に自分にとって一番必要なものに参加出来るに違いない、と考えている。


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