中さん

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日記(2.4)気候変動観測衛星「しきさい」

2018-02-04 14:08:31 | 日常
2月4日   (日曜日)

日本のロケット技術も観測技術も素晴らしい。

JAXAは、2017年12月23日に打ち上げた気候変動観測衛星「しきさい(GCOM-C)が
取得した初画像を公開した。(1/12)

初画像は、初期機能確認試験を実施している中、「しきさい」(GCOM-C)
搭載の多波長光学放射計(SGLI)により1月1日から6日にかけて取得された。

SGLIは近紫外から熱赤外までの19の観測波長帯(色)を持ち、
偏光・多方向、近紫外観測といった特徴的な機能を有している。


本日公開した画像は、
日本近辺の海氷、沿岸域の海色、植生及びガンジス川流域でのエアロゾルの様子など
をそれぞれ見やすい色合いになるように処理したもの。



「しきさい」(GCOM-C)は、
 今後も引き続き初期機能確認運用を行った後、
 地上観測データとの比較などによるデータの精度確認やデータ補正等を行う
 初期校正検証運用を予定している。




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日記(2.4)貴乃花親方落選

2018-02-04 13:41:22 | 日常
2月4日   (日曜日)   晴れ

思っていることが新聞記事に載っていた。

貴乃花親方の負った傷…
「力士の勲章」か、致命傷か

【貴乃花親方落選】
~~~~~~~~~~~~~~
立候補者の顔ぶれ

広報部から理事候補選挙選挙結果=2日、

相撲に「顔の傷は力士の勲章」という格言がある。
顔をかばい、相手より先に手をつけば負けになる。傷を負っても顔から落ちよ、と。
平幕時代の貴乃花親方(元横綱)は格言を地で行く相撲で勝ったことがある。

▼顔をすりむいた当時10代の若者に父で師匠の藤島親方は
 「力士の仲間入りだ」と喜んだという。
  土俵の美学はしかし、処世万般に通じるものでもない。
  不利といわれた選挙である。
 「かばい手」ならぬ不戦敗で傷を負わない手もあった。

 ▼日本相撲協会の理事改選で敗れた貴乃花親方に、
  嘆息する好角家は多かろう。
  周囲の制止を振り切っての出馬だといい、
  同じ一門の親方から「ついて行けない」と見かぎる声も出たと聞く。
  かつて「将来の理事長」と目された人も、この黒星で負った傷は浅くない。

 ▼誰よりも強い発信力を持ちながら、元横綱日馬富士の暴力事件はもとより、
  この選挙でも沈黙を貫いたのはどうしたことか。
  部屋のウェブサイトに載せた声明文は改革への熱意をつづるのみで、
  角界をどう変えるのか何一つ語っていない。負けるべくして、だろう。

 ▼力士が自らの太鼓腹を開いて手術しようとするものの自覚症状が乏しく、
  どこが悪いか見えていない。
  それが相撲協会である。貴乃花親方が組織の非を鳴らしたところで、
  横綱時代と同じ「黙して語らず」の姿は角界の常識に縛られた一人にすぎないことを物語る。

 ▼父の先代貴ノ花は「技に心が脈打っている」と評された気骨稜々の名大関だった。
  実績では父を超えた「平成の大横綱」だが、テレビカメラの前で見せた謎の笑みからは、
  脈打つ心が読み取れなかった。
  選挙で負った深手は、いつか報われる向こう傷か。手当ての及ばぬ致命傷か。
~~~~~~~~~~~~~~~~
”平成の大横綱”も誠に残念な行動である。

昨年、暴行問題で騒ぎが大きくなった時に
国際交流の講演会で奥さんの花田景子さんが

江南の”ぴぴあ”に来られた時はカミさんが参加した。
聞けば、横綱は家では明るい人であると言っていたそうである。
であれば、外向きにもできれば明るく答えて欲しいものだった。
もう遅い!

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日記(2.4)埼玉駅伝コース整理員 ・コラム「シャープ副社長」

2018-02-04 13:05:18 | 日常
2月4日  (日曜日)    晴れ

埼玉駅伝のコース整理員の一員で

本日は国道17号沿いの熊谷駅近辺の交差点の場所に立つ。

ここコース整理の役割が続く。

先日のめぬま駅伝の時とは気温も高く楽な感じであったが
ビルの陰に当たってしまい寒い事!


埼玉県の高校生陸上部のチームなどが参加している。
10時20分トップチームが来る、約25分程時間差が開いて最終ランナーが通過
熊谷女子高で最後の中継があって熊谷陸上競技場にゴール予定。
国道が通れない為脇道も普段と違った渋滞が起こっていた。
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本日のコラムに・・

机の奥にあった電卓に久しぶりに触ってみる。
最近はスマートフォンの電卓機能を使うのがもっぱらで、
見向きもしなかったが、
その人の訃報に、その電子機器の労をねぎらいたくなる。
小型電卓の開発で知られる元シャープの佐々木正さんが亡くなった。102歳。

▼かつて電卓は高かった。東京五輪の1964年、
 当時の早川電機(現・シャープ)が発売した電卓は
 自動車一台分の53万5千円。
 重さは25キロ。若い人には想像もできまい



▼60年代から70年代にかけての「電卓戦争」。
 その中で佐々木さんらは技術、低価格競争に挑んだ。
 「立ち止まらぬ人」だったという。
  集積回路(IC)、太陽電池、液晶画面。新技術導入をためらわぬ佐々木さんの判断力。
  同社が77年発売した電卓は65グラム、価格は8千5百円まで下がった。
  電卓は短期間に身近な道具になった。

▼古い電卓をもう一度見る。「電卓戦争」で開発された技術は
 やがてスマートフォン、コンピューター、ゲーム機などにつながっていく。
 電卓は日本を支える電子産業の礎であり、
 その人の功績の大きさを思う。
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▼ある若者が電子翻訳機を持ってきた。
 誰も見向きもしなかったが、
 佐々木さんだけは「おもしろいやつだ」とその技術に大金を出した。
 銀行に口も利いた。

▼育てたのは技術だけではなく人もか。
 若者とは、ソフトバンクの孫正義会長である。

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★私が入社したとき上司にW氏がいた。
 若かった私らを仕事以外にも誘ってくれて良く遊びに出かけた。
 研究部門で何か満足できなかったのかな!?
 退社して即シャープに職を得て、瞬く間に技術のトップになった。
 そこに佐々木副社長がいた。
 人を見る目もすごいのであろう。
 時折り、研究懇談会と称して昔の仲間とに古巣で
 話をしているらしいが・・
 もうしばらく会っていない。
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