中さん

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日記(2.28)雪解け

2018-02-28 16:21:28 | 日常
2月28日  (水曜日)      曇り
   
盛岡からの記事にあった。

 太宰治は「津軽」巻頭で七つの「津軽の雪を記す。

 大船渡出身の新沼謙治さんが
 「こな雪/つぶ雪/わた雪/ざらめ雪/みず雪/かた雪/春待つ氷雪」と歌う
 「津軽恋女」のモチーフだ。
  ★新沼謙治さんが歌った「津軽恋女」(1987年)の中に
  ♪津軽には七つの 雪が降るとか
  こな雪 つぶ雪 わた雪 ざらめ雪
  みず雪 かた雪 春待つ氷雪
  という歌詞があります。
~~~~~~~~~~
 この“七つの雪”の出典が太宰治『津軽』であることはよく知られています。
 その『津軽』では,巻頭に「津軽の雪」としてこの“七つの雪”が並べて書いてあり
 (ただし順序は“こな雪,つぶ雪,わた雪,みづ雪,かた雪,ざらめ雪,こほり雪”)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼盛岡市周辺では、10日ほど前に降った雪がなかなか消えず、
 中心部でも至る所で路面に分厚く張り付いている。
 さながら「かた雪」「氷雪」

 2月も今日で終わる。歌詞の通りに「春待つ氷雪」となるだろうか?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼降り方や積もり方もいろいろなら、雪の消え方もいろいろだ。
 本紙が準拠する新聞用語集では、
 ●暖かさを増す日差しの仕業なら「解かす」、
 ●薬剤や水による人為的手段なら「溶かす」

  表記する取り決めがある。
▼広辞苑には
 「雪解け」と「雪融け」が、同じ意味で併記されている。
 「融雪」という字面からは融雪剤や融雪機などで強制的に雪を消す場面が思い浮かぶが、
  一般には好みで使い分け可能ということなのだろう。・・・・

「雪どけ」という言葉には特別な意味がある。
 旧ソ連の小説家エレンブルグが、スターリン死後に
 明るさを取り戻していく世相を背景に描いた長編の題名は、
 冷戦の緊張緩和を示す世界共通の比喩表現となった。

 ★第2次大戦のヨーロッパ・ロシアにおけるソビエト軍の突出した
  蛮行をおそろしいプロパガンダ・洗脳作戦で一生懸命そそのかした
  ユダヤ人の作家のイリヤ・エレンブルグ。


▼平昌(ピョンチャン)五輪では南北の「雪どけ」が演出されたが、
 朝鮮半島非核化は依然として不透明。
 人為的にせよ、とけかけた雪は冷えると一層硬くなる。
 春待ちの気分には遠い。
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メモ:蛇足)⇒ 太宰のこと!
銅像の隣には太宰治文学碑があります。
碑文の文章は次のとおり。

 『たけはそれきり何も言はず、
  きちんと正座してそのモンペの丸い膝にちゃんと両手を置き、
  子供たちの走るのを熱心に見てゐる。
  けれども、私には何の不満もない。
  まるで、もう、安心してしまってゐる。
  足を投げ出して、ぼんやり運動會を見て、
  胸中に一つも思ふ事が無かった。
  もう、何がどうなってもいいんだ、
  といふような全く無憂無風の状態である。
  平和とは、こんな氣持の事を言ふのであらうか。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  ・・・しばらく経ってたけは、
  まっすぐ運動會を見ながら肩に波を打たせて
  深い長い溜息をもらした。
  たけも平気ではないのだな、と私にはその時はじめてわかった。
  でも、やっぱり黙ってゐた。』
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日記(2.28)コラム

2018-02-28 15:55:54 | 日常
2月28日  (水曜日)    曇り晴れ間

今日から明日への天気図は凄い低気圧になって列島を覆うらしい。

今日は温暖な日ではあるが花粉もあって自宅内で過ごす様にしている。
今は嵐の前の静けさだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2018年2月28日(水)
【いばらき春秋】にあった。
「人は城、人は石垣、人は堀」とは武田信玄の名言だが、
 これを地で行った知られざる名君がいる。
 水戸藩の初代藩主・徳川頼房(よりふさ)だ。
家康の11番目の子供とか!。



▼江戸市中を焼き尽くした明暦の大火(1657年)。
 水戸藩・小石川藩邸も瞬く間に延焼し、
 頼房は秘蔵の書を持ち出せなかったのを悔やんだ。
 それを見た近習・匂坂弥三郎は決死の覚悟で炎の中へ飛び込み、
 これを取り出してきた。
 重臣らは感激し弥三郎を賞するよう進言した。

▼だが、頼房は進言を退ける。
 「火災は今度だけと限らない。
  もし賞すれば弥三郎にならって命を失う者も出て来よう。
  良き家臣を家財のために損なうのは忍びない」


幼い頃から並でなかった。
 父・家康が子らを集め「何が欲しいか」と問うた際、
 他の子らが馬、太刀などと答える中、
 末っ子の頼房だけは「良い家来が欲しいと言ったという。
 いずれも森銑三著「偉人暦」にあった話だ。

人で支えられるのは現代の企業も変わらない。 
~~~~~~~~~~~~~~
あす1日は来春卒業生の就活解禁日。
頼房よろしく「良い社員が欲しい」と気合を入れる経営者は多かろう。

▼ただ、頼房は武田や北条、今川など滅亡した戦国大名の元家臣も数多く召し抱えた。
 いわば失業した中高年の再チャレンジ。
 
 これも名君たるゆえんか。
 とあった。
★上司が人を見る目がない職場に配属されたら悲劇だ!
そこをどう乗り切れるかは縦横の人の支えと人脈つくりだ。
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