中さん

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日記(12.6)19年度予算案

2018-12-06 16:06:53 | 日常
12月6日  (木曜日)  

来19年年の国家予案が発表された100兆円超えという。

気の遠くなる数字である。

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財務省は31日、各省庁からの2019年度予算の概算要求を締め切った。
基本的な経費を扱う一般会計の要求総額は過去最大の102兆円台後半に膨張。
医療などの社会保障や防衛費が最高額になったほか

借金返済に回す国債費が全体を押し上げた。
歳出抑制額の目安を設けないなど肥大化の歯止めを欠き、

12月の編成後には当初予算で初めて100兆円の大台に乗る可能性が高まった。
 編成過程で、19年10月の消費税増税に伴う景気対策費を上積みすることも拡大要因になる。

来夏に参院選を控えた与党の歳出圧力は強く、
暮らしに必要な経費を賄い、
財政健全化にも配慮するやり繰りは険しそうだ。
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改元までの主な日程も記事に載っている。

さて新元号は何に代わるであろうか?
5月1日は歴史の変換点を過ごすわけだ。
昭和・平成・xxと
考えてみれば私にとって
昭和は思い出多い時代
平成はアッという間に過ぎ去って・・
xxは???どういう時代であろうかな
 多分健康寿命を延ばすための毎日かな。
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昨日、用があって駅まで歩いた途中、熊女高校の銀杏の木が
素晴らしく黄葉していて風もあって落ち葉が広がる。



迷惑な落ち葉ではあるがひと時の風情だ。掃除の方は大変だなあ~!
銀杏の葉っぱは燃えにくく学校・お寺・神社など、
さらに防火林ようなのか、道路脇に街路樹として植えられているようだ。
~~~~~~~~~
最近の駅近くの写真を撮っておく。


熊谷東口駅を出たAZビルの入り口にまだ赤い丸ポストが立っている。
通常新規に交換するときに四角いものに変わるはずだが・・なあ~。ここは残したのかな?

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駅にはラグーWカップの大きな文字が。

熊谷にも”いきなりステーキ”の店が進出してきた。元は”モダンパスタ”だったかな?


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天気も悪いので写真を整理。
1日にパパイヤ収穫祭・前日の準備作業を行ったときの・・写真とDVDを
当自治会の写真好きのTさんが持ってきてくれた。

パパイヤ皮むき準備

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ゴボウのササガキ・・上手くなった。
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日記(12.6)山手線新駅「高輪ゲートウェイ」

2018-12-06 13:04:13 | 日常
12月6日   (木曜日)  曇り 時々雨

昨日の新聞に
山手線の30番目の新駅の名前が発表された。

あれ~!長すぎるんじゃないかい?!
と思った駅名だ。
~~~
やっぱり、世間からはあまり評判が良くなさそうだ!
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物にも、名を付くる事、昔の人は少しも求めず、
たゞありのまゝに、やすく付けけるなり」。
寺名など物の名をつける時、昔の人は余計なことを考えず
ただ分かりやすくつけたものだ。
「徒然草」はこう述べ、

最近の名前のつけ方にも触れている(第百十六段)。
考えをこね回して、
才覚のあるところを見せようとつけた名前を聞くのは本当にうっとうしい。
--兼好法師がそう書いたのは700年近く前のことである。


▲「何事も珍しき事を求め、異説を好むは、浅才の人の必ずある事なりとぞ」。

先の段はこう結ばれる。
そこまで辛辣に言うつもりはないが、
話で誰もが思い浮かべる最近の出来事があろう。
そう、新駅名「高輪(たかなわ)ゲートウェイ」だ。

▲JR東日本が東京・山手線の新駅名として発表した「高輪ゲートウェイ」の評判が何とも良くない。
 ネット上では「長すぎる」「山手線にそぐわない」「意味不明」「ダサい」と
 さんざんで、積極的な賛成は見つけるのすら難しい。

▲こうも反発を呼んだのは、新駅名を公募しながら
 その上位の「高輪」「芝浦」などの簡明さがまるで
 重視されなかったためだろう。
 「ゲートウェイ」は同地の再開発計画のキーワードでもあり、
  結局は出来レースと疑う声も飛び出た。

▲未来にかける意気を示す新駅名の不評はJRには不本意だろう。
 しかし
 駅の名前はその利用者はもちろん社会全体にとっての“公共財”である。
 決定にあたっては700年の時にも耐える知恵がほしかった

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『徒然草』
つれづれなるまゝに、
日ぐらし硯に向かひて、
心にうつりゆくよしなしごとを
そこはかとなく書き付くれば、
あやしうこそ物狂ほしけれ。



書き出しの「つれづれ」(徒然)は「やるべき事がなくて、手持ち無沙汰なさま」を意味する。
「つれづれなり」と「よしなしごと」や、「書き付く」は先行する文学にも用いられている組合せであり、作品および自己を卑下する謙遜の辞である。
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★学生時代に暗記した「させられた」 この徒然草
 ”とぜんそう”とか言って騒いで叱られて・・・
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★余分なことではあるが

カタカナ駅名が入るとあの四代目・先代柳亭痴楽(りゅうていちらく)
師匠の綴り方教室の
恋の山手線がくるってしまうなあ~・・

 痴楽は1921年、現在の富山市の呉羽で生まれ、
 幼少時に上京。義太夫から落語に転身し、
 45年、第2次大戦後で第1号の真打ちになった。
 落語のまくらに使った「つづり方」では、
  「柳亭痴楽はいい男 鶴田浩二や錦之助 あれよりグーンといい男」
  「上野を後に池袋、走る電車は内回り、私は近ごろ外回り」
といった節回しが受け、
  「爆笑王」と呼ばれた。後に人間国宝となった柳家小さんらと、若手の花形とされた。

  72年に落語芸術協会の初代理事長になったが、
  73年、大阪・角座で出演中に脳卒中で倒れ、
  闘病生活に。93年、東京・新宿で一時高座に復帰したが、
  当時の勢いは無かった。同年12月、72歳で亡くなった。
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 人気絶頂期に倒れ、約20年間、闘病を続けたため、
 痴楽は、忘れられた存在となり、
 活動を伝える高座の映像や音声、資料もごく限られているという。
 ◆◆◆◆◆
(補足) 落語「恋の山手線」  四代目・柳亭痴楽
あの名調子が聞こえてくる。
私も高校時代には暗記して、披露したものだ。

  上野を後に池袋、走る電車は内回り、私は近頃外回り、
  彼女は奇麗なうぐいす芸者(鶯谷)、
  にっぽり(日暮里)笑ったあのえくぼ、
  田畑(田端)を売っても命懸け、思うはあの娘(コ)の事ばかり。
  我が胸の内、こまごめ(駒込)と、愛のすがも(巣鴨)へ伝えたい。
  おおつか(大塚)なビックリ、度胸を定め、彼女に会いに行けぶくろ(池袋)、
  行けば男がめじろ(目白)押し。
  そんな女は駄目だよと、たかたの婆(高田馬場)や新大久保のおじさん達の意見でも、
  しんじゅく(新宿)聞いてはいられません。

  夜よぎ(代々木)なったら家を出て、
  腹じゅく(原宿)減ったと、渋や(渋谷)顔。
  彼女に会えればエビス(恵比寿)顔。
  親父が生きてて目黒い内(目黒)は私もいくらか豪胆だ(五反田)、
  おお先(大崎)真っ暗恋の鳥。
  彼女に贈るプレゼント、
  どんなしながわ(品川)良いのやら、
  魂ちぃも(田町)宙に踊るよな、
色よい返事をはま待つちょう(浜松町)、
  そんな事ばかりが心ばし(新橋)で、誰に悩みを言うらくちょう(有楽町)、
  思った私が素っ頓狂(東京)。
  何だかんだ(神田)の行き違い、彼女はとうに飽きはばら(秋葉原)、
  ホントにおかち(御徒町)な事ばかり。
  やまて(山手線)は消えゆく恋でした。
                柳亭痴楽「痴楽綴方狂室」 より
=================== 
 山手線に西日暮里が開業すると、これも加えていた。
 「にっぽり(日暮里)笑ったあのえくぼ」の後に
 「西日暮里と濡れてみたいが人の常」と入れていた。
 ただ、これを入れてから2年経たずに倒れたので聞いている人は少ないと思います。
 私も聞いた事がありません。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    
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日記(12.6)コラム「父ブッシュ」

2018-12-06 09:23:05 | 日常
12月6日  (木曜日)  曇り日   
今にも降ってきそうな空模様だ。


コラム京都新聞 "父ブッシュ氏死去"のこと
のことが

 米海軍のパイロットだった1944年、小笠原諸島父島沖で日本軍に撃墜された。
 仲間を失い、自分は海上を漂ったが、米艦に救助された。


半世紀近く後、米大統領となってヘリコプターで京都御苑に降り立った。
 蹴鞠(けまり)の輪に入り、ヘディングをしてみせた。
 和食は「ベリーナイス」としたものの、
 撃墜のことは語らなかったようだ。
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▼真珠湾攻撃から50年を迎えた際は「日本への恨みは全くない」と演説した。
 穏健で気配りができる。
 先日亡くなったジョージ・H・W・ブッシュ氏、「父
ブッシュ」である。

▼89年からの大統領在任中、東西冷戦の終結をソ連のゴルバチョフ元大統領と宣言した。
「ベルリンの壁」を崩壊に導き、ドイツ統一にも一役買った。
 現実主義に徹し、協調を重んじる姿勢が、世界の分断を解消したといえる。

「より優しく、より親切な国家」を目指し、
  冷戦後の「新しい世界秩序」を築こうとした。
  振り返れば、米国が一番輝いていたのは、このころだろう。
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▼トランプ氏について「ほら吹きなのは知っている」と発言、
 一昨年の大統領選ではクリントン氏に投票する意向を示した。

 亡くなった直後、20カ国・地域(G20)首脳会合の宣言から、
 「保護主義と闘う」との文言が削除された
  >世界の協調体制が、道連れとなったのかもしれない。
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国はトップの考え方で大きく変わっていくんだなあ~!
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