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日記(12.9)コラム「多用途運用護衛艦」

2018-12-09 20:21:16 | 日常
12月9日  (日曜日)   曇り

少々、風邪気味で喉が痛む。
熱はないので体操教室に・・寒い日である。
何とか半日は動けたが疲れが出てきた。
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昨日は朝から出かけたカミさんが、今年もどこかで
シクラメンを買ってきた。

この花が飾られると、
一年の終わりを思わせる時期になったんだな~。と

狭い玄関だが片付けをして花などを並べる。
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コラム
太平洋戦争が始まったと知った時
当時の日本人はどう受け止めたのだろう。
拳を握りしめたか、心を重くしたのか、それともあきらめの気分か?

◆この夏に出版された「朝、目覚めると、戦争が始まっていました」(方丈社)と いう本が目にとまる。
 政治家、作家らの日記などから、1941(昭和16)年12月8日にちなむ部分だけを集めた異色の本だ。
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 ★昭和16年12月8日。太平洋戦争が開戦した日。
  この本は、この日に焦点をあてている。
  昭和十六年十二月八日午前七時のラジオ放送より
  ”臨時ニュースを申し上げます””。臨時ニュースを申し上げます。
  大本営陸海軍部12月8日午前六時発表、
  帝国陸海軍は本8日未明西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。(後略)
  開戦を知った後の思想家吉本隆明(当時17歳)は、こう感じた。
  「ものすごく解放感がありました。パーッと天地が開けたほどの解放感でした。」
  この文章を読んだ私は、ぎょっとした。
  戦争が始まったのに、解放感だって!?!?

  吉本隆明の年齢を見て、自分を納得させた。
  (17歳の男の子なら、戦争ってワクワクするものなのかな?しょうがないんだろうな。)
   しかし、読み進めるうちに、この考えは若さゆえではないことがわかって来た。
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◆歌人の斎藤茂吉は「老生ノ紅血(こうけつ)躍動!」と書いた。
 伝えるラジオに「ばかやろう!」と怒鳴ったのは詩人の金子光晴。
 号外を手にした軍人の真崎甚三郎は「終局ノ見ヘザルコトガ最大ノ癌(がん)ナリ」としたためた

私たちは歴史の結末を知っている。
 しかし当時の人々は分からない。
 少なからぬ著名人が開戦の報に気分を高ぶらせているのが意外だが、
 それが時代の空気だったと読む。
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◆そして、
 今。戦闘機を搭載する多用途運用護衛艦計画を政府は打ち出す。   
 どう見てもこれは空母である。

 こうして防衛費は膨らみ続け、軍事面での日米一体化が進んでいく。
 きな臭さが一段と濃くなった。

◆冒頭の本からもう一つ。
 「こういう事にならぬように僕達が努力しなかったのが悪かった」。
  微力ではあっても、この言葉をもう一度かみしめたい、
  開戦77年の冬である



コメント
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