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小田原の端々



今でも朝夕に時を告げる鐘楼の鐘。城下町小田原に300年以上続く伝統で、戦時中に鐘を供出した際に一度中断したが、戦後になって新しい鐘をつくり鐘楼での鐘突きが再開し今に至っている。小田原市本町の鐘楼。もともと小田原藩の鐘楼は江戸時代には、現在地から南に150mほどの場所にあったが、大正時代に入り現在の場所に移された。城下町小田原に時を告げていた鐘楼の鐘は太平洋戦争が激化してきた昭和17年に政府からの命令によって供出。以後、サイレンやチャイムなどが鐘の音に代わり時を告げた。その鐘楼の鐘を復活させようと計画が持ち上がったのは昭和27年の4月。4月28日の講和発効を記念して小田原市内97寺の連合寺院団が、城下町の呼物の復活と戦没者の慰霊供養のためにと鐘の復活運動が始まった。復活させる鐘は「平和の鐘」と呼ばれ、97寺の住職らが中心となって市内を托鉢に周り、浄財が集められた。そしてその浄財をもとに京都の工房に製作を依頼。新たに鋳造された平和の鐘は高さ約1.4m、口径約96センチで重さは約1.2トン。京都で製作された平和の鐘は汽車で輸送され昭和28年10月25日の午後に小田原に到着。すぐさま平和の鐘は牛車へと乗せられ、寺院団や稚児行列に護られて小田原駅から各町内を練り歩いて鐘楼へと到着。翌26日に鐘つり式が行われ28日の朝8時半に鳴鐘式が催された。以来、60年以上にわたり朝夕の時を告げている平和の鐘。鐘楼の周辺はこの先いろいろと変わってゆくだろうが、鐘の音はいつまでも変わることなく小田原の街に時を告げてもらいたい。

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