旧暦の3月3日 ( 浜下り ) の日、干潮で姿を見せた用之助港
大度集落にある 「 大度公民館 」
海から見る用之助港
大度の用之助港
Oodo no Younosuke Kou
( 選奨土木遺産 )
選奨年月日 : 平成 21 ( 2009 ) 年11月18日
Designaed Date : November 18,2009
所在地 : 沖縄県糸満市大度
Location : Oodo,Itoman-shi,Okinawa-ken
大度の用之助港は、佐賀県出身の齋藤用之助 ( 1859~1933 )
によって造られた港である。
肥前鹿島藩主だった鍋島直彬が初代沖縄県令に就任した1879年、警察官として赴任。
島尻郡長などを歴任し、35年以上にわたり沖縄本島南部と
周辺諸島の公共事業や人材育成などに尽力した。
1851年にジョン万次郎が上陸したとされる糸満市大度海岸は、
戦前までは小渡浜と呼ばれていた。
1904年の大干ばつに際して、島尻郡長だった齋藤用之助は、
政府から割り当てられた救助金1,800円をそのまま分配すると
農民たちが座食する恐れがあるので、公共事業を起こし雇用を創出することとした。
そこで、漁業振興を目的として、小渡浜の沖の珊瑚礁を開削し、
港口 ( ンナトゥグチ ) を設ける工事に着手した。
干潮時にしか作業ができなかったため工事には3年7ヶ月を要し、
1907年 ( 明治40年 ) に幅3間 ( 5.4m ) 、深さ7尺 ( 2.1m ) 、
長さ120間 ( 216m ) の港口が完成した。
これにより干潮時にも船の出入港ができるようになり、
後年、砂糖の積出港として多いに利用され、地域に大きな利益をもたらした。