「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

熊本県上天草市 「 下桶川港 ( しもおけがわこう ) 四号防波堤灯台 」

2012-06-22 22:16:30 | 熊本の灯台























下桶川港四号防波堤灯台はプラスチックに見えるが、
白色塔形のコンクリート造の灯台で、頂部までの高さが5.55m。
平均水面から灯火までの高さが8.83mになっている。
灯質は単閃緑光で毎4秒に1閃光の割合で照らしている。
光達距離は3.5海里で、現用灯器はLD管制器Ⅰ型を使用している。
灯台の初点は、昭和63年1月23日になっている。



下桶川港四号防波堤灯台へのアクセスは、
国道266号線の龍ヶ岳町の高戸小学校から右に樋島方面に入り、
樋島大橋を渡ってから右に進み、途中で樋ノ島灯台(赤)があるが、
それを過ぎて島の奥まで行くと防波堤にある灯台が見える。
灯台は写真のように一文字になっているので、渡船で行かなければ遠望での撮影になる。
駐車は、防波堤近くの空き地に駐車した。

( 熊本県上天草市龍ヶ岳町樋島 )





沖縄県糸満市  ・  沖縄の文化財 「 大度の用之助港 」

2012-06-22 21:41:10 | 沖縄の文化財



旧暦の3月3日 ( 浜下り ) の日、干潮で姿を見せた用之助港















大度集落にある 「 大度公民館 」









海から見る用之助港





大度の用之助港
Oodo no Younosuke Kou

( 選奨土木遺産 )


選奨年月日 : 平成 21 ( 2009 ) 年11月18日 
Designaed Date : November 18,2009
所在地 : 沖縄県糸満市大度
Location : Oodo,Itoman-shi,Okinawa-ken




大度の用之助港は、佐賀県出身の齋藤用之助 ( 1859~1933 )
によって造られた港である。
肥前鹿島藩主だった鍋島直彬が初代沖縄県令に就任した1879年、警察官として赴任。
島尻郡長などを歴任し、35年以上にわたり沖縄本島南部と
周辺諸島の公共事業や人材育成などに尽力した。

1851年にジョン万次郎が上陸したとされる糸満市大度海岸は、
戦前までは小渡浜と呼ばれていた。
1904年の大干ばつに際して、島尻郡長だった齋藤用之助は、
政府から割り当てられた救助金1,800円をそのまま分配すると
農民たちが座食する恐れがあるので、公共事業を起こし雇用を創出することとした。
そこで、漁業振興を目的として、小渡浜の沖の珊瑚礁を開削し、
港口 ( ンナトゥグチ ) を設ける工事に着手した。
干潮時にしか作業ができなかったため工事には3年7ヶ月を要し、
1907年 ( 明治40年 ) に幅3間 ( 5.4m ) 、深さ7尺 ( 2.1m ) 、
長さ120間 ( 216m ) の港口が完成した。
これにより干潮時にも船の出入港ができるようになり、
後年、砂糖の積出港として多いに利用され、地域に大きな利益をもたらした。



熊本県南阿蘇村  「 肥後・吉田城跡 」

2012-06-22 21:23:21 | 歴史 ・ 墓 ・ 城 ( 本土 )















明神池石橋を探訪した後に次に向ったのが吉田城跡である。

明神池名水公園の伝説の中でも紹介したが、
阿蘇でも有名な城址のひとつである吉田城。


吉田城は、阿蘇家の重臣 吉田主水頭(もんどのかみ)が在城していたといわれ、
阿蘇家の主城の一つとしてこの地に君臨し、
阿蘇家が矢部郷をあわせて支配した当時、
この城は位置的に非常に重要な役割を果たしていたといわれている。

阿蘇家は、この地域一帯に広大な土地を所有しており、
そのため、修復野 ( 城主使用のカヤを立てたところ ) や
馬場 ( 馬の調教訓練場 ) 、外園などの地名が残っており、
当時付近一帯は町なしで繁栄を極めたと言われている。

( 熊本県南阿蘇村大字吉田 )