「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

思い出の宝塚記念  イナリワン

2012-06-24 13:35:11 | 競馬・ボート









『 風雲児 』  イナリワン




ドタドタッと
芝を蹴り上げ
はやる気持ちを抑えつつ
かかるハミも巧くかわして
上手に上手に操作する

気まぐれどころか
荒々しいまでの暴れん坊を
フワリ フワフワと
手の内入れて
120パーセントの
力を引き出す
豊の綱にあやつられ
淀に続き仁川でも
緑に輝く
イナリワン





第30回 宝塚記念 ( 1989年 ) より


第30回の宝塚記念の1番人気はヤエノムテキだった。
イナリワンは、ハイセイコー、カツアールといった歴代の優勝馬と同じ
地方競馬 ( 大井 ) からの上がりの馬だけに
春の天皇賞がフロックではないかと、注目されたレースだった。

この馬の荒々しい気性を御する鞍上の手腕が勝負を左右すると予測されたが、
心配とは裏腹に、それを上手く手の内に入れて勝利へと導いたのは鞍上の武豊であった。

イナリワンのように気性的に燃えやすい馬はスピードがあり、爆発力で勝負する脚質である。
その反対に我慢強い馬はスタミナがあり、粘りで勝負する脚質がある。
これらの馬の長所を最大限に引き出すには、
無駄な脚力や体力を消耗させないために、鞍上鞍下がケンカをしないことである。
そして馬の機嫌を損なわないように 「 なだめ 」 気分よく走らせる。
騎手は馬に話しかけ、馬は騎手の言葉を聞きながら、
お互いの気持ちを理解して走ることだ。

そして勝負どころの4コーナーを回る時に、
どれくらい脚力が残っているか。どのくらい脚力を残させたか。で、
ほぼ勝負が決まって来る。
もちろん馬の持っている潜在能力にもよるが、
同レベルの馬ならば、脚力も体力も在る時に倹約した方に分がある。

レース展開やペースにもよるが、これは僕らのやっていた競輪も同じである。







熊本県南阿蘇村   「 小池水源 」

2012-06-24 13:07:34 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣










































吉田城跡の次に向ったのが小池水源である。

南阿蘇村に10ヵ所ある湧水池のひとつである 「 小池水源 」は、
毎分13トンの水が湧く。
透き通った透明感のある湧水は、心地良さを感じさせ、
「 水割りにしたらおいしいだろうな 」 と思わせた。





沖縄県糸満市  ・  ジョン万次郎が上陸した 「 大度海岸 」

2012-06-24 12:40:23 | 沖縄











上陸したといわれる、先端の “ 四角い岩付近 ”









大度海岸






大度海岸で用之助港の潮が引くのを待っていたら、
地元のおじさんから 「 あそこがジョン万次郎が上陸した場所さ~ 」 って教えられた。
大度についてはオドサトグスクと用之助港のことしか知らなかったので、
最初に聞いたときは 「 へぇ~ 」 って思ってしまった。



ジョン万次郎

本名・中濱万次郎(なかのはま・まんじろう、1827年~1898年)。
土佐国(現在の高知県)出身。漁師の家に生まれ、
1841年14歳の時に他の漁師らと共に漁に出た折、嵐に遭い遭難。
無人島に流されたところをアメリカの捕鯨船に救われる。
当時の日本は鎖国中で、アメリカの船は入国できなかったため、
船長は万次郎たちをアメリカへ連れ帰り、
中でも最も若く勉強熱心だった万次郎を養子として養育した。
アメリカで学問を修めた万次郎は、当時ゴールドラッシュで沸いていたカリフォルニアに
日本人として初めて金鉱を採掘、そこで得た金をもとに日本への帰国を計画する。

そして1851年、25歳の時に当時薩摩の支配下にあった
琉球(沖縄県)糸満市大渡浜海岸に上陸した。
彼はすぐに薩摩藩に捕らわれ、長崎や江戸で長期間の尋問にさらされるが、
1853年のペリー来航によって日本が開国すると、
当時のアメリカ事情に詳しい通訳、翻訳者として幕府に重用され、
日米和親条約や日米修好通商条約の締結のために働いた。
彼は勝海舟や福沢諭吉と共に咸臨丸でサンフランシスコにも渡っており、
彼の国際感覚やアメリカで得た民主主義思想は、
福沢諭吉や坂本竜馬に強い影響を与えたと言われている。




熊本県上天草市 「 小屋河内港小島防波堤灯台 」

2012-06-24 12:02:18 | 熊本の灯台



平成元年の初点の割りに古く見える





























龍ヶ岳町高戸にある上天草総合病院







病院を中心に広がる小屋河内港







宇土半島にある三角港と龍ヶ岳、倉岳を結ぶ 「 スーパーイーグル 」















小屋河内港小島防波堤灯台は、白色塔形のプラスチック造の灯台である。
頂部までの高さが5.62mで、平均水面から灯火までの高さは8.78mとなっている。
灯質は単閃緑光で毎3秒に1閃光の割合で照らしている。
光達距離は3.5海里。現用灯器にはLED灯器 ( Ⅱ型緑 )。
初点は平成元年12月22日と新しい灯台である。


小屋河内港小島防波堤灯台へのアクセスは、
本渡上島側から国道266号線を北上し、棚底を過ぎて天草市から上天草市入り、
大崎トンネルの三つ目を出て、松ヶ鼻を過ぎると上天草総合病院がある。
その手前を右に入って行ったところに灯台がある。
灯台へは、防波堤の上を歩いて行ける。
駐車は防波堤近くの空き地に駐車した。

( 熊本県上天草市龍ヶ岳町小屋河内 )