クーたんとココ君のお家

燕尾服を着た女の子クーたんと神戸から来たやんちゃ坊主ココ君の小さなドラマ。

ご近所

2012-06-24 06:14:41 | Weblog
昨日の午前中、児童公園を見回りに出ると、斜向かいの老夫婦が出掛けるところで「2日ほど娘の家に行って来ます」と挨拶をされた。お二人の姿は、久しぶりに娘さんと過ごせる喜びで、うきうきしてほほえましかった。
都会では、近所付き合いも希薄になり、孤独死の対策が急がれている。我が住宅団地では、深くも浅くもなく丁度良い関係を保っている。家族構成等は知っていても、職業や収入等は知らず、すれ違えば挨拶はする。どこの子供なのかも知っている。老人世帯への見守りも、窓やカーテンが開けられてあるかを遠目で確かめる位。それでも不審な時は気が付く。
勤め人の頃は、近所付き合いも家内に任せていたが、自治会を任せられるとそうも行かず、僕自身の付き合いも増えた。安全パトロールで我が家の前を通ると、出窓にはクーがおり、それも話題に。また、先日はお向かいの夫人に「お宅ねこが2匹いるの」と話し掛けられた。この日はココが出窓から外を眺めていたのだった。
今、僕の前では新たな人間関係「ご近所」が築かれようとしているのだ。

おんぼろ公園

2012-06-23 06:34:31 | Weblog
子供の発想はユニークである。
我が住宅団地の真ん中には、開設時から児童公園がある。この土地も団地の地権者が共有する土地。団地を作った東京都が作ったもの。当時は名前が無かったが、息子が誕生した頃には「おんぼろ公園」と名前が付き、子供らの間には広まっていた。先年、市に無償貸与し管理を任せた。その時市は長い名前を付けてくれたが、近くの小学校などでは「おんぼろ公園」の方が通りが良い。
この公園平日は午後から、休日は朝から結構利用されており、公園から30歩程しか離れていない我が家では、子供の大声が聞えて来る。あまり大きな声が聞えると、クーとココがガラス戸に行くことも。午前中は近所の乳飲み子もお母さんに連れられて砂場で遊んでおり、お母さん達の憩いの場ともなっている。砂場の上にはツタも這わせてあり、日陰となっている。
放射線量も砂場の中は、滑り台の後ろ等より0.02~0.03㍃シーベルト位少ない値となっている。多分ツタの屋根が守っているのだと思う。
大災害が発生した時は、団地の方々の集合場所にもなる。それ故、隣の給水タンク跡地も合体し、公園を拡張したいのが僕達の考えである。
9年前の台風の夜、クーもここに捨てられたのではと推測している。ベッドで公園の方向から仔猫の声が聞えて来たのだから。

プリンターえんこ

2012-06-11 06:26:56 | Weblog
昨日の昼前の事、自治会の回覧の試し刷りをしていたら、プリンターが途中で止まってしまった。何回行っても同じで、紙質を換えてみたが止まってしまい、出て来た物は文字化け。ヘッドをテッシュで綺麗に拭いても同じ。ついに決断。今まで使っていたプリンターは、購入後8年経っていた。「取り替えよう」。
昼食後、車で5分のPCデポへ。店員に「年寄りにも簡単に使えるプリンターを」と告げた。店員に示されたのは、キャノン製のプリンター。価格も7千4百円少々と手頃。これなら家内に文句を言われぬ。持ち帰ってドライバー設定。説明書片手に、CDロムと2時間格闘。真夏並みの陽気で額に汗がにじみ、お邪魔なココとも格闘した。兎に角僕の傍をウロウロし、空きあらば悪戯しようと狙っている。
設定完了後試し刷り。ドッドが細かいのか、刷り上りは格段に美しい。特に画像を普通紙に印刷しても、はっきり細かい点まで印刷出来ているのが気に入った。
来年にはパソコン本体も交換だろうが、このプリンターはそのまま使おう。

なぜですか??

2012-06-09 07:01:18 | Weblog
昨日6時からの首相記者会見を見ていて画面に向かって大声を挙げた僕。首相の言う事は、国民の命よりも大企業の発展の方が大切。自民党の論調と全く変わらない。関西で大停電や計画停電が起こると、大不況になるから、国民は文句を言うな。
この論理、戦時下の軍部の論調と全く同じ。野田の父は職業軍人であり、国民を下に見ていたのが、家風となったのだろう。
今朝の東京新聞では、論説もコラムも大批判。当たり前である。国民を犠牲にしてまでも原発を動かすと言う。事故が起こり、国民が逃げ惑ってもとぼけて責任は電力会社に押し付けるのだろう。ふ ざ け る な。国民を舐めるな。そのつけは選挙で、この政党をずたずたに分解させる事にある。前首相の菅さんは、福島の事故を教訓に「脱原発」に舵を切った。それが本当だろう。
日本は世界の先頭に居なくても良い。小さな島国、お金がなくても、国民が穏やかに幸せに暮らせる国になって欲しい。次の選挙、原発賛成の候補には絶対に投票しない。

東京新聞の歩みは我が家の歴史

2012-06-08 06:14:21 | Weblog
昨日で東京新聞が、2万5千号となったと言う。戦時下に都新聞と国民新聞が合併させられて出来た。父は都新聞の記者であり、終戦直後は整理部検閲課長で、進駐軍との折衝役であったようだ。
真に東京新聞が歩んだ道が、我が家の歴史である。父は中日新聞社との合併時に職を辞し、僕が20歳になった時、天に召された。仕事を愛し、家族を愛し、新聞記者を誇りに思っていた。葬儀の時に同僚だった方が「辞める直前までコラムニストとして、「筆洗」を書いていた、終生真の記者だった」と話されたのが今も心に残っている。
我が家は今でも、父が創刊し、育てて来た東京新聞を読み続けている。3.11以降東京新聞は、原発の停止を訴えている。地震国日本には原発は不要と言う論調。その論調を読むだけでも、購読料の価値はある。
あと2ヶ月で父の命日が来る。早産でか弱かった僕がここまで生きて来られ、孫の顔が見られたのも、東京新聞のおかげ。
これからも、読みやすく、庶民と共に歩む新聞であって欲しいと願うものである。
明日からはねこブログに戻ろう。

今日もお出掛け

2012-06-04 06:42:28 | Weblog
今朝の街は、強い朝日で包まれている。クーもココもこんな日差しが注ぐ日が大好きで、ご機嫌である。
今日は、自治会で集めた赤十字社の募金を、社会福祉協議会に届けて来よう。災害発生時にも、世界中の戦いの地へも、命の危険を顧みず出掛ける赤十字の社員には感謝である。その方々を後ろから支えるのが僕たちの役目。ばかな関西の市長が異を唱えたが、地域が一丸となり協力せねば支えられない。その計算に市役所の経費を使っても、抗議の言葉は出てこないだろう。
社会福祉協議会の帰りは、隣の青物市場へ。今日は枝豆を買ってこよう。これからが旬の枝豆。国産の大粒が出ていると良いのだが。

美味しく食べ美味しく飲んだ

2012-06-03 06:53:19 | Weblog
昨日の午後は、勤めていた会社のOB会。五反田へ出掛けた。半年振り、1年振りに顔を会わせた。親会社では専務であた会長も。80歳を過ぎたのに、注がれたビールをグビグビと。気取らぬ人柄で、我々とも気さくに話す。この会長とは今も年賀状を交換している。雲の上から下りて来たおじいさん。
久しぶりに冷酒を3合飲み、足元がふらついた。みんなと語り合いの2時間。ねこの事も。Fさんのお宅には7ニャンが暮らし、最近仔猫を保護したと言う。春は誕生のシーズン。保護された仔猫は幸せになるべきだ。近々里親を募集すると言う。このブログでもお手伝いを。
昨日はフラフラで2次会も遠慮し、軽くご飯を食べた後寝てしまった。でも楽しい一時であった。

動きは遅いけれど

2012-06-02 06:46:56 | Weblog
昨日我が家に届いた教会報に、今後緊急連絡を、パソコンと携帯電話のメールで発信したいと書かれてあった。逝去の連絡や災害時の連絡は、今迄固定電話を中心に、受けた人が次の人へと流す昔からの方法を取って来た。これを教会のパソコンから一斉に発信すると言う。僕は数年前の改定時にこれを提案し、名簿の中にメールアドレス欄を含めたが、大多数の人に拒絶され、叶わなかった。
各家庭にパソコンや携帯電話が普及した今の時代、教会や仏教寺院も時代に合わせて変わるべきである。それにしても、キリスト教の牧師・神父、仏教の僧侶、神道の神主が発信するブログの少ない事。精神的指導者の宗教職の彼らが、世の中の問題への意見を多数発信し、議論の糸口となるべきなのに。この混迷した世の中を黙って内に篭って見ているのではなく、自分の意見で世の中を救はなければと思って欲しい。主イエス・キリストや釈迦も混迷した世を救うために現れた。今の日本の宗教指導者は全くなさけない位である。

よく揺れる

2012-05-29 06:26:19 | Weblog
夕べの深夜、ブログを楽しんでいると、本棚のガラス戸がガタガタと音を立て始め、その音が大きく、一寸大きめな揺れも。台所で夜食の残りを食べていたココは、直ぐに食卓椅子に乗り、身を隠した。何回も書くが、これが落下物から身を守る最上の方法だと、3.11の時に学習した。
5分位経ってインターネットで地震情報を見ると、震源は千葉県沖、江東・墨田では震度4。我が街三鷹や調布では震度3。夕べの地震は大震災の揺れと同じ位に長く揺れ続けた。
震災前の東京では、震度2以上の揺れは、1ヶ月1回程度であったが、震災直後は毎日、1年以上経った今も、1週間に数回は起こる。真に「よく揺れる」街となった東京である。ねこが身を守る方法を身に着けてしまったのにもうなずけるのである。
先日、市の自主防災の会合があったが、「自助・共助」の心で身を守らねばならないとの結論であった。