クーたんとココ君のお家

燕尾服を着た女の子クーたんと神戸から来たやんちゃ坊主ココ君の小さなドラマ。

自分史ネコー8 クーたん献金

2008-08-31 08:18:17 | Weblog
今日は自分史第8回と、日曜日信仰随想を併せて書くことにする。
クーを家に入れてから最初の日曜日の9月27日に、家内は特別な感謝の気持ちを込めて教会に感謝献金をした。クーたん献金だ。クーと言う可愛い光を与えて下さった神様へ感謝の献金である。会計処理をして下さる、教会の会計委員の方もさぞ驚いたことであったに違いない。たった4日で、それほど迄にクーは我家の光となったのである。聖餐式の始まる5分前、教会では33回のアンジェラスの鐘が鳴らされる。会衆は着席して黙想し、日々の自分を振り返り、静かに祈るのである。僕はこの時間を大切にし、目を閉じ祈っている。この日から僕の祈りの中に、クーの健康と健やかな成長を願う祈りが加わった。今はクーとココ、息子一家、特に孫への祈りを奉げている。
さて、献金の事を話したが、昔神戸に住み、同じキリスト教徒の叔母は「信仰・信心にもお金が掛かるのよ」と言った。真に名言である。牧師や神父等聖職者も霞を食べているのではない。聖職者やその後ろで事務管理をする方々の俸給、教会堂、司祭・牧師舘の維持管理、修繕費、オルガンの修理費、ロウソク他消耗品費等の費用は、全て信徒等の献金で賄われている。仏教の場合も、街の小さな寺では、檀徒が出すお布施が中心だろう。今の寺では毎月・年に決まったお布施を出す檀徒がどれほど居るのであろうか。人々と宗教との結び付きが稀有になった故に、葬儀時のお布施や戒名料が高くなった原因ではあるまいか。信徒数200名弱の、僕がお世話になっている教会でも、毎月100万円程度の費用を必要としている。
僕達も生活費を遣り繰りしながら、教会の為、神様の為に毎月献金を捧ている。

きつーい一発 今朝も被雷

2008-08-30 07:29:21 | Weblog
クー&ココに夜食を食べさせ、居間でココを遊ばせ、僕は粒ログで可愛い粒ちゃんの姿を見ていた時の事だ。突然ドカッーンと。思わず尻が椅子から浮いた。時計を見れば、1時55分を差していた。ココもおもちゃから離れ、僕の足元に駆けて来た。ココも僕以上にビックリしたに違いない。それ迄雷鳴は遠くから聞こえて来ていた。それが突然、一発のきつい一発であった。その後も雷雨は遠のいたり、近付いたりを繰り返し、6時過ぎにやっと雨は上がったようだ。
5時過ぎに朝ご飯を食べたココは、深夜の遊びの続きで、おもちゃの入ったバケツをひっくり返し、大好きなマタタビの小枝を取り出し、茶の間の畳の上で転がして遊んでいた。畳の上だと木の床より不定に転がるのが面白いようだ。生後1年10ヶ月の大人の猫になり、体は大人になったが、おもちゃで遊ぶのが大好きなココなのである。
今日は伯母の一周忌で、埼玉・桶川迄出掛ける。強い雨が降らなければ良いのだが。

豪雨・落雷その時ココは

2008-08-29 09:33:24 | Weblog
今日早朝1時半、何時ものように、クーとココに夜食を食べさせ、ココと遊びながら、ネット・サーフィンをしていた。外は小雨が降っていたが、雷の音が小さく聞こえる程度で、普段通りの静かな夜であった。ところが、30分程たった頃から、雨が車庫のビニールトタンに落ちる音が、強く・大きくなって来た。それから約10分、雨は益々強くなり、雷の音も大きくなり、強めの風も吹いて来た。パソコンをOFFにし、昨晩のNHKTVで放送された事を思い出し、パソコンのコンセントと通信ケーブルを抜き、ココを抱いて寝室へ戻った。
ココは廊下に出て、カーテンの中に潜って庭を見ていたようだったが、直ぐに自分のベッドで丸くなった。しかし目は大きく開いていた。雷が我家の直近で炸裂し始めると、ココはイカ耳にし怯えた様子で僕の手元に。「ぼくこわいよ」と言う素振りだ。ココを抱き「大丈夫だよ」と話し掛けて直ぐ、稲妻が走ると同時に大きな音が聞こえ、電気が消えた。2分程で電気は付いたが、ココの顔はイカ耳のままであった。雨は真に風呂桶一杯に張った水を、瞬間的に引っ繰り返したような強い降りだ。雷雨雲が離れたのか、30分位で雷の音も小さくなり、雨も幾らか小降りになった。僕の布団に居たココも、元気を取り戻し、ボールを咥えて廊下で遊び始めた。
5時前になるとココは何時ものように、耳元で「ゴアーン、ゴアーン」と朝ご飯の催促をし、僕が茶碗を持つと「早く、早く」と急き立てて、台所に入った。この頃雨は上がり始め、庭からは秋の虫の音が聞こえて、1時間半前の事が嘘のようになったのだ。

顔が変わる

2008-08-28 09:46:43 | Weblog
人はその時の環境や心の動きで、表情が変化する。一見無表情に見える、ニャンコ達の顔も、置かれた環境によって、顔は変わるのだ。例えば、超人気ニャンコのはっちゃんも、ハニー家の家族になる前は、鋭く精悍な顔であった。当時のはっちゃんは、野良として生存競争を日々戦っていたに違いない。負ければ蹴落とされ、食事取れず、寝場所も条件の悪い場所に追いやられる。家族の一員となった今は、大好きなお父さんとお母さんの愛を一身に受けて、その顔にも穏やかさを漂わせている。また、ジュルちゃんも、野良時代と今を比べると、顔に丸味が出来、幸せそうな表情である。
我家のクーとココは幸いにも、捨てられて間もなく拾われたので、表情に大きな変化はなかった。勿論、乳幼児期と比べれば、大人のニャンコの顔に変わってきている。歩く姿も、幼児期は常に駆け足であったのが、大人になると、音を立てずに静かに歩き、今足元に居たのが見えなくなってしまう事もしばしばある。元気坊主ココは、クーよりも駆け足で動き回る事が多いようだ。
何回も繰り返すが、収容所で殺処分される前の、ワンニャンの悲しげな表情は、思わず目を瞑りたくなる。ワンニャンは人と一緒で無ければ生活が出来ない。辛い事だが、適切な避妊手術を受けさせ、公園や川岸、道端に捨てる事は絶対に止めて欲しい。

自分史ネコー7 お転婆娘

2008-08-27 09:35:33 | Weblog
クーは僕達を新しい家族と認め、直ぐに懐いた。朝出掛ける時は「クーたん行って来ます。良い子してるんだよ」と言いながら頭をなぜる。帰宅するとクーは玄関迄出迎えてくれ、抱き上げて「クーただいま。良い子だった」と。これが習慣になった。クーが来てから家の中は明るくなり、家族の会話も、今は嫁となり隣に住む、知子とも話が出来るようになった。
仔猫の特性で、クーは家の中を探検しながら、新しい環境にも順応した。夕食後夫婦が居間でくつろいでいると、クーもそれに加わり「遊んでよ」と話し掛けるのだ。猫ジャラシやボールを投げると楽しそうに遊び、ボールは全力で走って取りに行き「ミャー」「ボール取ったよ」と嬉しそうな顔をするのであった。また、新聞を読んでいると写真のように「ネエーお父さん、新聞読むよりクーちゃんと遊ぶんだよ」とまとわり着いて来るのであった。
この頃のクーは、毎日元気一杯に家の中を駆け回っていた。静かだと思うと、陽の入る廊下や出窓で寝ているのだった。走ったり、おもちゃになる物を見付けては、持って来て、手でチョチョイしたり、足でケリケリしたりと、お転婆をしていたのだ。僕はこんな事も休みの日にか見られなかったが、振り替え休日の平日には、クーと一緒に遊ぶのが楽しみとなった。

自分史ネコー6 クーの探検

2008-08-26 10:12:26 | Weblog
我家に入れた当日のクーは、良く眠り、お兄ちゃんとお姉ちゃんに遊んでもらい、夕ご飯を食べるが精一杯であった。クーが仔猫の本領を発揮したのは、2日目になってからである。この時我家では、風呂場と手洗いの一画と息子の部屋を除いて、クーが入れるようにしてあった。クーは新しい住処となったこの家を、最大限に好奇心を発揮して、探検を始めたのだ。箪笥や本箱の隙間、キッチンワゴン・ベッドの下、茶箪笥と百科事典の上等に入って行った。全身埃だらけになって出て来た。その都度家内はクーを追い掛け、捕まえては、乾いた雑巾で、全身を拭く。クーが入り込んだ場所は、毎日掃除をする処ではない。家内はクーが来て10日程隅っこの掃除におわれ、2週間で数キロ体重が落ちたとぼやいた。クーはそう言う場所に入り込み、落ちていた物を咥えて持って来る事が良く有り、何処に入ったの分からずじまいの物が時々出て来た。
クーが一番入りたくて、ウズウズしていたのが、息子の部屋である。息子に遊んで貰う時以外入れない聖域だ。その部屋は適度に散らかり、隠れる場所もあり、作り掛けのラジコンカー等も置いてあった。襖や障子が少し開いていると、頭をねじ込み、開けて入ってしまった。ラジコンカーの部品は、最良のおもちゃである。それを本体から咥えて引き抜き、廊下に持ち出しては、ボール代わりに転がして遊んだ。たまの休日に組み立てようとすると、部品が無くなっており、家内に聞けば、逆に片付けないからと小言を言われる始末であった。
こんなおてんば娘になったクーを、僕達家族は可愛くて仕方がなくなったのである。

ぼく チビだよ

2008-08-25 10:04:01 | Weblog
ぼくはチビ。去年の7月に生まれて、秋にこのお家の子供になったんだワン。家にはおじいちゃんとおばあちゃんとぼくの3人暮らしだワン。僕のお家は、長野県の塩尻で、冬は物凄く寒くなるよ。濡れたタオルなんか直ぐに凍って立っちゃうだワン。昨日はお客さん一杯来たから嬉しかったよ。松本のお兄ちゃんとお姉ちゃん、東京のおじさんおばさん、お兄ちゃんお姉ちゃんと晃君が来たんだよ。東京のみんなとは初めて会ったけど「ぼくチビです。よろしくネ」ってご挨拶したら、「チビ君良い子だね。おじいちゃんとおばあちゃんの事よろしくネ」って頭を撫ぜてもらったんだワン。嬉しくなっちゃった。晃君ともミニカーで遊んだよ。楽しかったよ。

チビからの話はこれ位にして、雨の昨日夫婦と息子一家は、家内の実家に出掛けました。久しぶりの親子・孫・曾孫が勢ぞろい。家内の両親は80歳前後で、義父は糖尿病、義母は腰痛で歩くのも苦痛のようですが、割合元気にしておりました。耳が遠くなり、運動不足になりがちの義父のために、仔犬を家族に向かい入れたとの事です。毎日のチビとの散歩は、適度な運動にもなりますし、チビの可愛さは、年寄り夫婦の心を慰めてくれるでしょう。晃は直ぐに打ち解け、ひいジジとひいババに笑顔を見せてくれました。3年後には、信州二ノ宮の小野神社では、7年に1回の大祭、御柱祭が行われます。両親にはこの祭り迄、元気に居て欲しいと願い・祈りながら、妻の実家をあとにしました。
帰り道の中央高速は、大月から先が、事故と故障の連続で大渋滞となり、4時間も掛かって帰宅しました。群馬・栃木・茨城ナンバーの自家用車やバスを見掛けましたが、到着は何時頃になったのでしょうか。僕達が玄関の鍵を開けると、クーとココの声が同時に聞こえて来ました。夕ご飯を食べさせながら「お留守番ありがとう。良い子だったネ」声を掛け、撫ぜながらほめてあげました。

信仰随想 祈り

2008-08-24 05:02:32 | Weblog
毎週日曜日には、僕の信仰随想を書かせて頂いている。プロフィールにもある通り、僕達夫婦はキリスト教信仰を心の拠り所として、日々生活している。
僕が主イエス・キリストと出会ったのは、7歳の小学1年生の時だ。この頃母が結核に犯され、肺切除で入院したのだ。この時近所のカトリック信徒K夫人の導きで、カトリック世田谷教会の門を潜った。北沢神父様は「先ず、お母さんとご家族の為に、神様に祈りなさい。君の祈りは聞き入れられるでしょう」と語られた。幼い僕は、御堂に膝ま突いて、必死に母を守って下さいと祈った。1年後母は元気になり家に帰って来た。この時僕は、神様は絶対に居られると確信した。
中学の時出会った、生涯の恩師鐵神父も「聖書を読みキリストの御跡を学ぶ事も大切だが、それ以上に日々祈る事が大切だ」と教えられた。祈りはご利益を求める、自己中心の祈りであってはならない事も教えられた。今も僕は日々願いと感謝の祈りを奉げている。
さて、今日は父の40年の逝去記念日・命日である。父は60歳で癌の為天に召された。丁度鐵神父の随筆集をまとめようとしていた時である。僕もやっと父と同じの年齢になり、家族にも恵まれ、日々明るく・楽しく生きられる事は感謝である。
「主よ、父の逝去記念日にあたり、父の魂が御許にあって安らかに憩えますように。我ら家族が主の見守りの中で平和に過ごせる事を感謝致します。 アーメン」
今日はこれから息子の家族と共に、長野・塩尻の家内の実家を訪れます。また、一昨日来られた、ビートさんとリングちゃん親子も、列車で神戸に向かっておられます。「全能の神よ、旅の途中にある、ビートさんリングちゃん親子の旅路を守りたまえ、また、これから旅に出る我ら家族の上にも、その旅路を守りたまえ。主イエス・キリストの御名によりて、この祈りを奉げます。 アーメン」
「全能の神よ、愛すべきワン・ニャンを人の魔手から守り、安らかな家庭を得られますように。魔手を行う人の心を変えさせたまえ。主イエス・キリストによりて請い願い奉る。 アーメン」

この人だれニャン

2008-08-23 10:08:03 | Weblog
昨日神戸から、ココの神戸のお母さんのビートさんと、お姉ちゃんのリングちゃんが、1年ぶりに我家に来られた。お二人の姿を見たココは「この人だれニャン?」とカタマリ、駆け足で寝室の飾り棚に上がってしまった。去年の夏来られた時は、リングちゃんとおもちゃで遊んだものだが。それでも暫らくすると、お土産のおもちゃの誘惑には勝てず、畳の上に下りて、リングちゃんに抱かれ、お二人に喉やお腹を撫ぜられると、うっとりとした表情を見せた。そこをビートさんが携帯で写真を何枚も撮られた。1年前に比べて、体が大きくなり、見慣れぬ人を怖がる、ニャンコらしい性格を持つようになったココを、喜んで下さった。
お二人が居間で休んでおられると、寝室を出たココは、足音を立てずに、台所に来て、椅子の下に潜って、遠くからお客様の様子を見ていた。お帰りになる際に僕がココを抱くと、お二人はもう一回ココを撫ぜられた。もう少し我家に居て頂けたら、ココは前の時と同じように、遊んだのだろう。
お二人は、昨日7時過ぎに神戸を出られ、青春18切符を利用し、普通列車の乗り継ぎで東京迄来られ、今日一日東京近くのご友人宅を訪問後、夜行のながらでお帰りになるとの事である。何時もながらそのバイタリティーに敬服する。
お二人が帰られた後ココは、寝室から頂戴したおもちゃを咥えて台所に入り、引っ張り回したり、ケリケリをして楽しく遊んだのだ。

白旗を揚げて

2008-08-22 10:13:24 | Weblog
今朝、僕が寝ている時、お腹を空かせたココが、ブツブツと文句を言いながら、僕の周りで運動会を始めた。眠いのにうるさい事この上ない。ココが文句を言ったり、駆け回る分けは直ぐに分かった。しかし目が開かぬ。僕がどうしても起きないのが分かったココは、実力行使を開始した。先ず、助走を付けて腹の上にダイブ。手首を舐めると見せかけて、ガブリ。幾らか涼しい今朝であったが、僕は布団を頭から被った。それ位で攻撃を止めるココではない。今度は顔の上にジャンプし、布団の隙間に体を潜らせ、左膝をガブリとかんだ。手で払い除けようとするが、その手にもガブリと。ついに僕は白旗を揚げて降参した。時計を見ると6時であった。何時もより1時間遅い、ココの朝ご飯である。
先日の朝、ココは何時ものように、ご飯の後紐で思いっ切り猫サッカーをしながら、家中を駆け回って、楽しく遊んだ。遊び疲れたココは、庭に面したガラス戸の側に行き、ゴロンと仰向けに寝転び、目を閉じた。実に幸せそうな顔であった。フラッシュが光っても、起きる気配は全く無かった。