クーたんとココ君のお家

燕尾服を着た女の子クーたんと神戸から来たやんちゃ坊主ココ君の小さなドラマ。

お母さんのお膝

2008-05-31 09:08:47 | Weblog
クーはお母さんのお膝が大好きである。我家での最初の夜、僕と家内が食事を終えソファーに座ると、クーが台所から駆けて来て、ピョコンと家内の膝に乗り、嬉しそうに目を閉じた。まもなく5歳になる今も、甘えたくなると、お母さんの膝で休む。この時カメラを向ければ、目を吊り上げて、実に迷惑そうな顔をする。今日の写真は、クーだけの秘密基地で休んでいるところを、たった今写した。かなり怒っている。
さて、クーもココも、野良猫になる寸前に、新しい家を見付けた。ブログには、野良を経験したり、その寸前に助けられた、ニャンコさんが多く登場している。その代表は、はっちゃんだろう。はっちゃんやジュルちゃんの顔は、今とは全く違って、別の猫のようだ。それだけ野良生活は厳しいのだろう。昨晩のNHKTV、増え過ぎた野良猫を見て、その原因は、無責任な飼い方をする人間にある事を、改めて痛感した。ただ、夫婦の感想は「身近に接すれば猫の良さが分かる」と言う事であった。餌やりさんに敵対心を抱くだけでなく、庭に猫のトイレを置く等の工夫をすれば、共生出来る事を放送していた。また、餌やり反対派の女性の顔付きが、トイレを置く前と後では、全く違っていた。この方は、そのお宅の猫トイレで仔猫を見付けたら、家の中に入れるであろう。
野良猫への避妊手術代は、まだ多くの自治体では、個人の篤志家任せである。自治体でも、野良猫を減らすために、補助金の交付を望むものである。また、法律で猫を捨てたり、収容所に持ち込む時の、罰金や手数料を高額にするのも、無責任な飼い主を減らす方法であろう。

燕尾服の女の子

2008-05-30 09:55:43 | Weblog
03年9月23日午前6時、僕は仔猫を抱いて、仕事先に向かう息子を家の前で見送った。この仔猫は、僕のもっていた、薄茶色で虎模様、ずんぐりとした身体と言う、猫のイメージと全く違っていた。少し高く持ち上げると、お腹は白いフアフアの毛、女の子であった。顔を良く見て「ワォー」と声を上げそうになった。何と言う神様の悪戯なんだろう。鼻と顎の下には黒い毛が、まるで口髭のように生えており、首の下にも、蝶ネクタイのように、黒い毛がある。手と足は、白い長靴下を履いているようであった。4~5分も抱いていただろうか。ちっとも嫌がらない。可愛らしさが、恐ろしい位のスピードで、僕の心に湧き上がった。何とも不可解な気持ちだ。少し冷静になり、この子を家に入れる事を、家内と話をする為「チビちゃん、少し待っててね」と言って車庫に下ろす。何しろ、仔猫の日常の面倒を見るのは、家内になるのだ。その本人の了解を取らねばならぬ。「車庫に居る、オチビを家に入れようよ」これが家に入っての第一声だった。返事は「ウゥーン」と歯切れは良くない。
会社に行く為玄関を出ると、車の下から仔猫が出て来て、家内に抱かれた。仔猫の頭を撫ぜながら「チビちゃん、行って来ます。良い子しているんだよ」と言って、車を発車させた。その日は、行き帰りの運転中だけでなく、会社でも仔猫の事で頭は一杯で仕事にならなかったのを、昨日の事のように思い出す。そして、帰宅し、玄関を入ると、「只今」を言うより前に、家内に「チビちゃんいる?」と聞いた。「居るわよ。クーと名前を付けたの。クーちゃんよ」。これを聞いて、全身の力が抜けた。僕が猫に魅せられた最初の日である。

去年とは違う

2008-05-29 09:27:44 | Weblog
いよいよ初夏を迎え、ニャンコさんの抜け毛のシーズンに突入した。我家も例外ではない。昨日の午後、クーが昼寝をしている出窓に行くと、クーの抜け毛が束になって舞い上がった。その下のベッドには、シーツの上に黒いフアフアの塊りが張り付いていた。出窓で喉を鳴らしながら、僕にじゃれ付いて来たクーの背から尾を軽く撫ぜると、抜けた毛が手の平に残った。最近は、クーの抜け毛で、初夏を感じるようになった。居間に入って来たクーに、家内がすきブラシを見せ「クーちゃん、ブラシしよう」と言うと、クーは伏せて大人しくしている。毛をすいてもらうのが気持ちが良いのだろう。ブラシを入れる都度抜けてくる。
クーが出窓に戻った後、ココが入って来た。やんちゃ坊主を家内が御用にし、プラスチック製の先の柔らかいブラシを取り出す。短毛種のココには、中毛種用ステンレスの、クー用ブラシは使わぬ。ココはブラシを掛け始めると、案の定それにじゃれ付いて来た。去年とは違って、今年はそのブラシ一面に毛が付いた。軽い毛は、カーペットにも落ちた。去年は生後半年位で、毛も細く、抜けるのも少なかったようだ。良く見れば、僕の掛け布団とシーツにも、ココの毛が沢山付いていた。気が付かぬ間に、ココの体も大きくなっていたのだ。今朝もココにブラシを掛けたが、細い毛が良く抜けた。

時にはクーたんも

2008-05-28 09:58:23 | Weblog
ココを我家に連れて来て、まもなく1年半になる。ココが来てから、クーはもの静かなお姉ちゃんニャンコになった。猫の成人式の1歳を過ぎる頃から、家の中では、駆け回る事が減ってはいたが、ココが来てからは、1日中静かに過ごす事が多くなった。時には、昼ご飯も食べずに、自分の部屋で寝ている事もある。こちらとすれば、運動不足を心配する程である。それ故、ココがクーを追いかけている時も、僕はココにもっとやって良いよと思っている。ココに追いかけられれば、クーも全力で走り回る。
そんなクーでも、1月に何回かは、気分がハイになるのだろうか、家の中を駆け回り、欄間のカーテンのレールに飛び乗ったり、僕が読んでいる新聞中に潜り込む。廊下の障子の窓から見ているココが、目を真丸にして驚く事も。昨夕は、居間のテーブルで静かにしていたクーが急に飛び降り、小走りに台所の隅に行くと、置いてあった空のカートンの中に飛び込み、満足そうな顔をし、横に置いてある、空のペットボトルを手で、チョイ・チョイして遊んでいた。時にはクーたんもこんな遊びをするのだ。
さて今朝の事、クーに何時もとは違う低カロリーのカリカリを入れた。3口ほど食べた後、僕の所に来て「何時ものご飯頂戴よ」と文句を言った。何時物に取り替えると、1皿をペロリと食べ、満足げに部屋に引上げた。一方ココには高カロリーの物を入れたが、1口食べた後文句を言って来た。七面鳥の入った低カロリーのカリカリが欲しかったのだ。猫は食べ物に煩い。クーの残った物を摘み食いするのに、時には全く食べないのだ。

ニャン子の尻尾

2008-05-27 09:41:32 | Weblog
ニャン子さんの尻尾は、毛模様と同じで千差万別である。長い尻尾、短い尻尾と色々あり、それを見るのも楽しい。我家では、クーが太くて少し短め、ココは長くて先端がちょこっと曲がっている鍵尻尾である。クーは歩く時、尻尾をジェット機の垂直尾翼のように、斜めにしている。ココは長い鍵尻尾を、ゆっくりと振りながら歩いている。但し、ココが静かに、ゆっくりと歩く事はめったに無い。絶えず小走りに動き回っている。
06年12月に神戸でココを最初に抱いた時、ココが鍵尻尾である事が分かった。鍵尻尾は奇形ではない。兄弟猫でも、毛模様と同様に、尻尾の形はみんな違うという。鍵尻尾の子は、幸運の扉を開くという。
ココは尻尾を触られても、強めに引っ張られても、決して怒らない。逆に尻尾を撫ぜると喜ぶ方だ。だから時々、鍵の部分に指を差し込む。ココはふざけて、指を締め付けてくる。一方クーは、尻尾を触られるのを嫌う。だが、あの太い尻尾を触りたい誘惑に勝てず、僕は時々静かに撫ぜたり、顔を近づける。そおっと撫ぜる分には怒らないが、一寸強めにすれば、にらまれたり、パンチでお返しをされる。
秋田犬や柴犬の、グルっと回った尻尾も魅力があるが、ニャン子さんの尻尾だって、可愛くて魅力がある。

小さな命は国の基い

2008-05-26 09:56:41 | Weblog
【小さな命は国の基 お年寄は国の為に尽くされてきた】この言葉は、先程見ていたテレビ番組の中で、キューバの小児科医で、革命家のチェ・ゲバラの娘さんが語った1節である。しごく当たり前の言葉だが、大変新鮮に聞こえてくる。何故だろ。今の日本には、この当たり前の考えが欠如しているからか。キューバでは、医療と教育は全て無償であると言う。昔の日本だって、子供は国の宝、お年寄りを敬うのは当然の事と言う思想が有った筈だ。でも今は無い。僕が子供の頃は、東京の山の手・世田谷でも近所通しが助け合っていた。助け合わなければ生きていけなかったからだろう。“遠くの親戚より、近所の他人"と言う言葉が生きていて、おかずのお裾分け、お年寄りの手助けは当たり前であった。高層住宅などでは、隣の人の事等全く知らないし、挨拶を交わす事がないという。これでは助け合いも出来ないだろう。悲しい事である。
小さな命を大切にしないのは、自己本位主義の表れなのか。宗教の衰退なのか。根底には、物欲と拝金があるだろう。教育の中から宗教教育を排除したのが、間違えの大元だ。公立学校でも、各家庭の宗教に合わせて、仏教・神道・キリスト教の話を聞く時間を取って、命の大切さを教えて欲しい。それで無いと、水戸の黒鳥惨殺や、乳幼児の虐待は減らぬ。子供の頃から、ペットを大切に友として可愛がる事は、親が語らなくても、無言で子供に命の意味を教える事が出来るだろう。但し、以前にも書いたが、年老いた、病気になったと、簡単に処分するのは、全く逆な教育になる。
今日の写真は、カリカリ新聞のやましたさんが撮影した、牛乳を飲んで満足げなココの一枚である。幼子やペット達が安心して暮らせるよう努力しよう。

ちょっぴり大人に

2008-05-25 07:04:42 | Weblog
ココは生後1年半が過ぎた。大人のニャンコさんなっていなければおかしい。しかしどう言う訳か、まだまだオコチャマである。クーにちょっかいを出し、怒られ、パンチをされるのは毎日の事。怒られたって全く懲りない。台所でご飯を食べていると思えば、流しのスポンジを洗い桶にポチャリして、浮かんでいるスポンジを手で押さえ、また浮かび上がるのを見ている。今朝は、ダイニングテーブルから、ココが何かを咥えて、飛び降りるの姿がチラっと見えた。咥えていたのは、鮭と海苔のふりかけであった。駆け出す所を御用にして取り上げた。居間まで咥えて、ばら撒かれたら、後の始末が大変だし、食べられても、塩分の過剰摂取となりかねない。全く油断も隙もあった物ではない。
ココは神戸に居たオチビの頃から、乗り・乗りニャン子である。布団の上でお腹を撫ぜたりすれば、直ぐに乗ってくる。そして、僕の手を舐めたりしているが、乗り過ぎると、手でも足でも、獲物に見立てて、攻撃をしてくる。自分の手で押さえ付けて、手加減無しのガブリをする。クーもじゃれている時はガブリをするが、1歳になる頃には、歯は全く立てない甘噛みを憶えた。僕の手首や足首は、噛まれた傷が絶えなかった。ところが、ところが、ここ数日ココが甘噛みを憶えたようなのだ。攻撃をしても、噛み方が弱く、傷を負わない。「ココ痛いよ」と言えば、直ぐに離してくれるようになった。また、悪戯をしている時にも「ココ止めなさい」と言うと、止める事も多くなって来た。最近のココを見ていると、ちょっぴり大人になったような気がする。

寝顔は可愛い

2008-05-24 09:54:44 | Weblog
今朝も元気で遊んでいたニャング、ココ。4時頃に、寝ている僕の背中に登り、大きな声で「お父さん起きろ!」と叫び、起きないとなれば、最初は優しく顔をペロリ。それでも起きずにいると、肩に乗り手首をガブリ。嫌でも目が覚める。ニャング・ココの本領発揮だ。
襖を開けると、僕の顔を見上げ「ココ君向こうのお部屋に行くよ」と、小走りに台所に。クーの残した夜食のカリカリを摘み食いする。これは何時ものパターンだ。目が覚めた僕は一服し、珈琲を入れたジョッキ片手にパソコンの前に。先ずはブログのコメントを確認し、みなさんのステキなブログを読み始める。床に物が落ちる音が聞こえて来た。振り向くと、フランスパンを入れた袋が落ちていた。その袋を引きずってゆく所であった。車庫の窓を開けると、大人しく外を見ていたが、足音が聞こえて、パソコンの前で「ミャー」と。時計を見れば5時近くになっていた。ココの茶碗にご飯を入れたが、2~3口食べては遊び始める。今日はその繰り返しだった。最後は部屋中を全力疾走で数回回った後、パソコンテーブルに飛び上がり、大きな欠伸をすると、横になり目を閉じた。6時過ぎに、家内が起きて来ても、薄目をあけてチラッと見ただけで寝てしまった。
その寝顔は、無警戒で、安らぎそのもの。孫の寝顔と全く変わらない。そっと抱き上げて、寝室の布団の上に置いた。後30分もすれば「ぼく起きたよ」の声が聞こえてくるだろうが。
今日の写真は、06年12月16日に、ぐりぐら写のテケトさんが撮影した、生後2ヶ月の頃ココ。ココの後ろは、助けて頂いた神戸・ビート家の長老、今年で19歳になる杏父さんである。今朝の寝顔はこの写真と全く変わらない。

バラが咲いた

2008-05-23 09:42:46 | Weblog
我家の生垣に植えてある肌色のバラが、今週の月曜日頃から咲き始め、ここ数日の好天気で、ほぼ満開になってきた。出窓を網戸にしておくと、良い香りが部屋の中にも漂ってくる。花が好きなクーは、柔らかな日差しと甘い香りを、出窓で寝そべって楽しんでいる。お腹を撫ぜれば、普段より大きな声で喉を鳴らす。その顔は安心しきった、安らぎそのものである。出窓でくつろいでいるクーの顔を見る度、あの時家に上げて良かったと思い出す。
今、近くの神代植物公園では、バラ祭りが開かれ、閉演時間も延長されて、ライトアップされたバラを見る事が出来ると言う。天気の良い日の午後家内と二人で、自転車で出掛ける事にしよう。我家のニャンズが、忘られぬテリトリーのコゲ君のように、リードを付けてお散歩が出来れば良いのだが、クーはおそらく、ゴロンゴロンするだけであろうし、ココに至っては、恐怖感で芝生に下ろす事も出来ないだろう。

ぼく ニャング

2008-05-22 09:57:17 | Weblog
おはようココだよ。元気だよ。今さ、お部屋で寝んこしてたら、お父さん「カメラ、カメラ」って、ブチブチ独り言を言いながら、入って来て起されちゃったよ。安眠妨害だよね。目がパッチリ覚めたら、お写真パッチと撮られちゃった。それからニャ、お布団の上で、猫体操をしてから、お父さんに付いて、お台所に行って「お窓開けるの」ってね。お外見てるんだよ。晃君が2階のお部屋で、駆けている音が聞こえてるんだ。晃君はぼくと同じに元気なんだ。
昨日も今日と同じように、お日様ニコニコしてたよ。お昼ご飯を食べた後ぼくは、お廊下のニャンコベッドでお昼寝していたんだ。そうしたら、お父さんがご本を持って入って来て、ゴロンと寝んこして、ご本を読み始めたよ。ぼくはベッドから飛び降りて「何の本」って聞いたら「ココだって見れば分かるだろう」って。ニャンコさんのお写真が一杯載ってたよ。ぼくも見たことあるお顔もあったニャー。ぼくは毎朝お父さんと一緒に、ブログ見ているから憶えちゃったんだよ。つまんないから、ご本の隅っこにガブリしたり、カーテンの中に入って、小さく動いていたお父さんの足を、一寸舐める振りをして、ガブリしたんだニャー。これって、狩の練習だよ。そしたらね、お父さんなんて言ったと思う。「ココ、ニャングは止めろ」だって。「ココはチビ猫ギャングだから、“ニャング”」って言うんだって。
ぼくは気にしてニャイよ。楽しくニャングごっこして今日も遊ぶんだニャー。バイバイ。