クーたんとココ君のお家

燕尾服を着た女の子クーたんと神戸から来たやんちゃ坊主ココ君の小さなドラマ。

箱入る息子

2009-10-31 05:45:29 | ネコ
空き箱、空き袋に入るのは、ネコの習性と言うより、楽しみの1つなのであろう。我家のニャンズも同じである。
好天に恵まれた昨日の午前、廊下に置いてあるダンボールの空き箱の中にココが入って、日光浴を楽しんでいた。秋の陽射しは低く長い。我家は廊下の奥迄光が届き、ネコにとっても、人にとっても快適な温度となる。ネコは快適な温度の場所を瞬時に見付ける。ココはこの快適な空き箱を見付け、陽射しを全身で受け、写真を撮った後は、昼過ぎまでグッスリと。その上ではこれまた、秋の日を浴びながらクーも真丸になって寝ていたのであった。真に、箱入る息子である。
午後は地デジ工事で電気職が入り、一寸落着かなくなり、ココは廊下をウロウロとしていた。今迄のように、テレビの後ろに隠れる事が出来なくなり、如何するかと反応を見たが、やはりテレビの後ろに回って身を隠したり、横に座ったりと興味津々。電器職によれば、薄型テレビからの発熱は、ブラウン管テレビ以上で、ネコにとっては快適な場所となるとの事。ココもテレビの奥で快適に冬を過すのだろうか。

クーたんの見上げる先には

2009-10-30 05:30:40 | ネコ
昨日の続きである。
ココに陽射しが一杯注ぐ一番良い場所を取られたクーは、何とも諦めきれずに本棚の上を見上げていた。この悔しさ一杯の顔も可愛い。
2ニャン以上が一緒の家の中で暮らすと、どんなに仲が良くても、血の繋がった兄弟・姉妹であっても、場所取り、おもちゃ取り、食事等で小競り合いが起こるのは、日常茶飯事のようだ。しかし、相手を決定的に痛めつける事はしない。それがネコの良いところである。
我家でも、クーがココを家族の一員と認める迄には時間が掛かった。兎に角ココがやんちゃ坊主だったからである。クーは少女期を過ぎると、一人静かに過ごす事を好むようになった。また、一人っ子として夫婦の愛情を独り占めして来たのが、生後2ヶ月の気配りなど無縁のやんちゃっ子が一緒に暮らすようになり、直ぐに「クーちゃ~ん」と追い掛け回され、ストレスも大きかっただろう。それも慣れと言うか時間の経過と共に、一緒にいるのが当たり前に感ずるようになった。
毎日のバトルは運動不足解消になり、ネコ団子にはならぬが、傍で一緒に居ても目触りとはならなくなったようだ。今も居間の本箱の上にクーが、下の椅子にはココがおり、2ニャンは共に香箱で寛いでいる。

勝ったよ

2009-10-29 05:51:15 | ネコ
秋の陽射しが部屋の奥まで入るようになった昨日の午前中、僕がみなさんのブログを楽しんでいると、クーが足元に来て「気持ちが良いわね」とレースのカーテンを通して入る、柔らかな光を目を細めて楽しんでいた。そこにやんちゃ小僧が「ぼくも」と言う様に近付いて来た。どうなる事かと見ていると、クーは攻撃範囲に入ったココに手を挙げて「邪魔しないでよ」とパンチを出した。ココもネコであり、反射神経は鋭く、首を左右に振りクーのパンチを交わし、廊下に走っていった。腹を立てたクーが追い掛ける。何時もと逆のパターンだ。ココは机に机を足場にして、本棚の上に登った。この本棚の上も柔らかな日に照らされ温かい。追い掛けて来たクーも、この場所に登ってお昼寝を楽しもうとしていたようだ。クーは真下に置いてある、パソコンの部品を入れたカートンの上に乗り「ココに取られた」と言う顔で、恨めしそうに本箱の上に正座しているココを見詰めた。ココは「ワーイ、クーちゃんに勝ったよ。パンチなんかするからだい」と言う表情。お気に入りの場所を取られたクーは、暫らくはカーテンの中に潜り外を見ていたが、諦めて箪笥の上の篭ベッドに篭り、猫丸になって昼寝を始めたのだ。ココは全身に日を浴びて、手足を思いっ切り伸ばして眠ってしまい、僕が腹を触っても起きる事は無かったのであった。

ネコの猫背

2009-10-28 06:01:47 | ネコ
先日クーが本箱の上で、写真のように横を向いて正座をしていた。何ともネコらしいフォルムで美しさを感じ、思わずシャッターを切った。ネコが正座をしている時、背中の猫背の曲線に美を感じるのは、僕だけであろうか。プロの写真家の岩合氏の写真集にも美しい正座をしている姿が幾つも載っている。このフォルムだけはイヌには出来ない。ネコを好きになる前から美しい線だと思っていたが、こんな姿を見せ付けられると「クーたん美人だよ」と抱きたくなってしまうのである。

旅徒然 悪いマナー

2009-10-28 05:45:51 | Weblog
今日の話は写真とは無関係である。写真はJR日光駅舎。実に良い建物で、長く保存して欲しいものである。
今回の旅、ドライブでもマナーの悪い車に出会い、義憤した。その最たるものが、日光いろは坂の急勾配で、角度のキツイヘアーピンカーブ手前に駐車し、写真を撮っていた2台連れの輩である。この2台は、東京ナンバーの屋根にでんでん虫マークを付けた個人タクシー。おそらく、自家使用の家族ドライブだろう。助手席に乗っていた女性が、かなりの年配であったから、運転者も僕と同年齢以上と思われる。プロ中のプロドライバーである個人タクシーがこのような場所で、駐車して良いか悪いか、他のドライバーの迷惑になるか・ならないかは即断出来るはずである。それが出来ないならば、個人タクシー免許を返上すべきだ。断じて許せぬ身勝手な行為である。
また、関越道高坂SA近くで、故障車救援作業中のJAF車の脇をすり抜けて行ったのも、中年の家族であった。今回目に余る無謀運転をしていたのは、大半が中年以上の運転者であった。20代30代のドライバーの方がマナーが良かったと感じた。街を走っていても、自分勝手な運転をするのは、男女共中高年の運転者に多いと感ずる。
話しに夢中になり、高速道路の登り勾配で速度を低下させるのは、家族連れが多い。僕は家族連れで運転している時も、顔は前方を注視し、返事をする時も顔を動かす事をしない。家内には結婚前のデートドライブからそれを言ってある。そして、1分間に数回速度計にチラっと目を向けて速度の確認をする事も大切である。
独り善がりな運転ではなく、気配り・目配り運転をすれば、イライラや疲労も軽減出来ると思うのだが。

ココの秘密基地は

2009-10-27 06:27:42 | ネコ
ココの秘密基地はテレビの裏側である。ブラウン管から出る熱がココには快適なようで、気温が下がって来たここ数日の朝夕には潜り込む事が多くなった。
我家はまだ、買ってから10年目のブラウン管テレビを見ている。高圧線による難視聴地域ゆえ、東京電力の無料ケーブルテレビ回線が各家に配線されている。しかし、地デジでは鮮明な画像が得られると言う事で、アナログ放送終了時には、このサービスも終了する。一寸早いが我家もデジタルテレビを購入する事にし、発注した。アンテナを息子宅の物干し台に取り付け、分配器を使って2世帯に分ける事にした。ココがお気に入りのブラウン管テレビも、あと数日で液晶薄型テレビと交換になる。新しいテレビにネコは乗れぬようで、ココがどんな顔をするのか今から楽しみである。テレビを置いてある本棚の奥が開くのでそこを秘密基地にするのだろうか。

旅徒然 日光から

2009-10-27 05:47:40 | Weblog
昨日の続きである。
東照宮前から神橋を右折し、日光駅迄は直線の緩い下り坂。標識に従って左折し、日光駅に入る。東武鉄道の駅には大勢の人が居り、土産物店も賑っている。方やJR日光駅前は閑散としていた。見渡すがコインパーキングはない。バスの邪魔にならない場所に、ハザードを点滅させて停車する。駅前のかえでの大木が真っ赤に色付いていた。JR駅は瀟洒な気品溢れる建物だ。昔はお召し列車が発着し、皇室の方々の利用もあったからだろう。帰宅後インターネットで調べると、1912年(大正元年)8月に建てられたものであった。築後97年経っている。手入れが行き届き外回りだけでなく、内部も大正時代の面影を強く残す。国の有形文化財として保存して欲しい建物である。明日はもっと近付いて写した写真を載せる事に。
日光駅を出発したのが9時30分であり、時間はたっぷりとある。そこで、宇都宮の東北道へは下道の国道119号線、日光街道を走る事にした。途中の今市付近からは、杉並木の中を走る。夏ならば冷房を止めても暑くはならないだろう。ハイキンググループも数組すれ違った。
宇都宮からは東北道に上がり帰路につく。車の数は少なく100㎞/Hの定速走行で快適
だ。佐野SAに入り売店を覗くと、小粒大豆の溜り漬けが置いてあり、値段を見ずに買ってしまった。夕食時に食べたが、大変美味であった。次に休憩したのは蓮田SAである。このSAは勤めている頃から久喜への出張帰りに必ず立ち寄っていた。ここで売っている簡易包装の佐野ラーメンが目当てである。2食分の麺とスープがセットで400円だ。昼食は毎度のように、首都高川口PAで。ここのラーメンは全く癖の無い東京ラーメンである。毎日のように外食となる鳶職人の親方に教えてもらった店である。首都高中央環状線が西新宿迄伸び、甲州街道方面と東北道方面は、都心の渋滞に入る事が無くなり、大助かりである。高井戸から甲州街道に入った時午後1時を時計は指していた。

可愛いぼく

2009-10-26 06:08:30 | ネコ
先程、旅徒然を書き始めるとココが、パソコンの上に登り、寝転んで手を僕の手の上に乗せたり、座って首を長ーく伸ばし、僕の鼻をペロリした。それは真に可愛い僕だよと言っているのだ。
イヌは家族以外にも懐くが、ネコは家族だけ。それだけに家族にとっては可愛いのだ。ココだけでなく、クーも構って欲しい時には、ゴロンと寝そべり「撫ぜてよ」と言い、撫ぜれば満足そうな顔をして、僕の腕を自分の手で押さえ、甘噛みをしたり、頬っぺたを摺り寄せてくる。こんな時クーを家に入れ、ココを神戸に迎えに行って本当に良かったと思う。

旅徒然 金精峠から日光へ2

2009-10-26 05:43:06 | Weblog
昨日の続き。
国道120号線は、沼田市街と日光の清滝から日光駅迄の区間以外は、平坦な部分が少ない山岳道路で、約80㎞の内に幾つもの峠を越えて行く。運転は慎重に行わねば事故と直結する。上り坂はともかく、下りに入ればAT車では勾配の角度を判断し、レジンをDから2速へ切り替え、急カーブでは対向車の有無の判断も求められる。フートブレーキは補助として使い、坂を下る時はエンジンブレーキがメーンとなる。いろは坂の最急な下りでは僕は初めて1速に入れた。しかし僕は緊張感が伴う、このような峠道を走るのは好きである。車を意のままに操れた時の爽快感は何とも言えぬ。
尾瀬への分岐から中禅寺湖畔迄の区間は真に『紅葉街道』となっていた。戦場ヶ原に差し掛かると、道端に紅葉が植えられ、見事な生垣が目に止まった。側溝も蓋かあり、ぎりぎり迄左に寄せて車を止めた。そこで撮ったのが今日の1枚である。この生垣の奥には、瀟洒な別荘か保養所か分からぬが建物があった。戦場ヶ原から元湯温泉を通り、中禅寺湖畔へも峠の下り道であった。湖畔に到着は9時過ぎだったが、観光客で一杯で、華厳の滝の駐車場には順番待ちの列が出来ていた。湖畔はどこの観光地と同じ風情なのでスルー。いろは坂は兎に角急な下り。フルにエンジンブレーキを利かせて下る。愛車サニーの回転計も3500回転付近でピコピコと触れていた。この下りの途中でとんでもない輩と遭遇したが、その事は明後日書く事にしよう。
いろは坂を下り、清滝近くの無料駐車場でトイレ休憩。空気は冷たく、美味しい。10分程休憩し、日光駅へ車を進めた。この日光駅については、書く事にしよう。
明日は日光から自宅迄の帰り道となる。