クーたんとココ君のお家

燕尾服を着た女の子クーたんと神戸から来たやんちゃ坊主ココ君の小さなドラマ。

暑くないけど

2006-07-31 05:36:33 | Weblog
曇り空ばかりで、お日様が恋しかった東京も、昨日やっと梅雨が明けたようだ。今年の梅雨では、家内の故郷も被害が出た。身近では、岡谷市川岸の叔父の家も床下浸水となった。生まれ故郷の小野では、亡くなられた方もいた。
クーは暑くても平気で、廊下の箪笥の上のベットでお昼寝をする。昨日もお昼前から、このベットに入り、籠の端を枕にしてスヤスヤと。ところが、何時もより早い2時過ぎにお目覚めだ。あくびを一つすると、今度は仏壇の上に移動した。僕と家内の声がしたからだろう。「クーちゃん、お父さんとお母さんの側が良いの」。但し冷房の風は大嫌い。「あっちへ行け」だ。風の来ない仏壇の上で横になった。クーは決して大の字になって寝る事はなく、横になって眠る。そのうち僕と家内もソファーで眠ってしまった。
砂漠生まれの猫ではあるが、真夏35度を超える室内では、脱水症状を起こす危険がある。何時でも、きれいな水を、飲めるようにはしてあるが。家内が修道院のお手伝いに行く時は、高めに温度を設定して、冷房を入れるように話せねばならない。家全体の温度を少しでも下げれば、クーも脱水にはならないだろう。

側に居てくれる

2006-07-30 10:22:06 | Weblog
娘クーは何時も側に居てくれる。
昨夜帰宅し「クータンどこに居ますか」と声を掛けると、廊下の方から「ミャー」と声が聞こえて来た。廊下に行き頭を撫でる僕の手を、クーは盛んに匂いを嗅ぎなめ始めた。「お父さんお帰りなさい。クーちゃん待ってたのよ」と言うのだ。ご飯の時も、僕達の近くで一緒に食べる。寝室に行くと、隣にクーが寝ていた。僕が側に行くと、ごろんとひっくり返り、お腹を見せた。お腹を撫でているうちに、僕は眠ってしまった。クーも寝たらしい。
早朝僕が起きてまもなく、今の扉をノックする音が聞こえて来た。クーがノックしているのだ。扉を開けると、尻尾を45度上に立てて、静々と部屋に入って来た。クーの茶碗の前で「ワ~ォーン」「美味しいの入れてよ」とおねだり。「これかな」と煮干の入ったガラスの壷を見せると「ンミャ~アー」「これだよ。早く頂戴」と。美味しいのを食べた後は、可愛い猫ちゃんのブログを見ている僕の側に。何時ものように、モニターの上に座った。飲み物を出しに台所に行き、タバコをすい始めると、クーはモニターから降り、カーペットの上で、箱座りし「ワォーン」と。「早くこっちへ来てよ」。
朝になるとクーは、家内の側に付いて行く。洗濯をする為風呂場に入ると、ガラス戸の前で待っている。時々「ンミャー」「早く出てきてよ」と催促。洗濯物を干す時はケージの中に入って待っている。
クーは、僕や家内の側に居ると安心出来るのかなー。僕もクーが側に居てくれると癒される。心の疲れも取れて行く。可愛い娘のクーだもの。

ゥワーイとィヤン

2006-07-29 06:05:37 | Weblog
猫はンニャーと発情期のマオーと言う位しか、声が出せないと思っていた。クーと一緒に暮らしてみると、それは大変な間違いだったと分かった。クーはその時の感情により、幾つもの声を出す。人の赤ちゃんと同じように、声に出して僕たちに訴えるのだ。作家の阿部譲二氏は「俺は猫語を全て理解出来る」と豪語なさるが、僕もクーの言葉は70%位は分かるようになった。僕を側で呼ぶ時は「ミ~ヤー」と甘い声だ。おねだりの時は「ゥワーイ~」と言う。自分の側に来て欲しい時は「クー」と自分の名前を言う。クーが「クー」と言う様になったのは、我が家に来て一月程の頃からだ。
今朝も「くー、くー」と呼び、側に行くと「ゥワーイ・ゥワーイ」。「お父さん、クーちゃんと一緒に来てよ」と言う事だ。クーについて行くと、玄関の扉の前で「ゥワーイ」と。「お外に連れてって」と言う。抱いて外に連れて行ったが、少々忙しいので、数分で家に入ろうとすると「ィヤン」と。「いやだよ」。部屋に入り、ソファーの上に下ろすと、目をまん丸にしてかまえ、僕の頭に両手でパンチを打ち、一目散に廊下に逃げた。

美味しいですか お兄ちゃん

2006-07-27 05:37:41 | Weblog
今から20分程前の5時一寸前、ブログを見ていると、車庫の屋根の上を何かが歩く音が聞こえた。クータンのお窓を大きく開けて見ると、お向かいの車庫の前に、M家のお兄ちゃん猫ちゃんが座っていた。玄関から外に出ると、お兄ちゃんは、美味しそうに竹輪を食べていたのだ。車庫の屋根から聞こえた物音は、それを見つけたカラスが、竹輪を横取りしようと、お兄ちゃんを威嚇する為に、歩き回る足音だった。カメラを取りに部屋に戻った時、クーの様子も見ると、出窓からお兄ちゃんが、美味しそうに食べるのを見ていたのだった。さも「美味しいですか、お兄ちゃん」と話をしているかのようだ。
お兄ちゃんは聞く所によれば、年齢も10歳近い老猫だ。カラスが少々脅かしても、物怖じしない位の度胸がある。この竹輪をあげたのは、近所のおばあさんだろう。
お兄ちゃんは数分掛けて、竹輪を1本平らげると、悠然と道の真ん中を歩き、自分の家の庭の方へと消えた。

クータンの朝

2006-07-26 05:45:26 | Weblog
クーは早起きだ。クーを早起きにさせたのは僕。我が家に来た翌朝4時に起き、居間の照明を付けるとクーも起きた。それ以来クーは僕と同じ頃起き出す。
今朝も3時半過ぎに僕がベットを出ると、まもなくクーも居間に静々と歩いて来た。まずは猫体操。思いっきり背筋を伸ばす。因みにこのニャン・ワンのする体操は理に適っているとの事だ。試しに僕もやってみたが、体がシャンとして気持ちが良い。猫体操の後は、カーペットで爪磨ぎ。インターネットを見ている僕の側にやって来て「ミャー」自分はさっさとご飯の前に行く。そしてもう一言「ミャー」蝿帳の前に。「美味しい煮干頂戴」と。ガラス容器に煮干はちょぴりしか、入っていなかった。新しい煮干の袋を開けると、僕が嗅いでも、香ばしく良い匂いがした。もちろんクーは大騒ぎだ。「ネェー・ネエー」と催促された。美味しそうに朝御飯を食べた後は、何時ものように、クータンのお窓から外の様子を見ていた。今朝はパソコンが変調し、直しているとクーの姿が見えなくなった。寝室に戻りお母さんの横で寝ていた。ちょっぴり我侭なクーだが、やっぱり可愛い子供だ。

母のスツール

2006-07-25 05:42:18 | Weblog
以前にも書いたが、亡くなった母は多くの趣味を持っていた。その一つが皮細工である。今も我が家には母の作った皮の工芸品が残されている。クーが座っているスツールもその一つだ。樽に細工を施した皮を張ったもので、上の座る部分を空けると物入れとしても使える。
このスツールは、洋間の入り口に置いてあり、クーが良く座っている。ソファーに座っている僕を呼ぶ時には、スツールの上に立ち上がり、手をソファーに掛けて「ミャー」と可愛い声を出す。今日もそうであった。スツールに上がり、雑誌を読んでいる僕の耳元で「ミャ~ァ~」と。自分はさっさと玄関に出て、扉のノブに手を掛けて立ち上がった。クーを抱いて外に出ると霧の空だ。電線には数羽のカラスが止まっておしゃべりの真っ最中だった。近所のおばあさんが通りかかり「この間ね、子猫がカラスに噛まれ、通りかかった人が病院に連れてったの。あとで聞いたら軽い傷だったらしいけど。こいつら悪さするからね」茶色のお兄ちゃん猫ちゃんもやって来て「おばあちゃんおはよう」と猫なで声を出す。クーはお兄ちゃんには目もくれず、小鳥と一緒に歌を唄っていた。部屋に戻るとスツールの上に一寸据わった後に出窓に行った。

はみ出てるよ 余計なお世話

2006-07-22 16:21:04 | Weblog
お宅のミャ~コさんは、パソコンを悪戯しませんか。キーボードの上を歩いたり、マウスをねずみに見たたて攻撃したりと。くーは、我が家の子供になって2ヶ月目の頃、朝僕がパソコンで手紙を書いていた時の事。台所の喫煙所に立つとクーは、僕の座っていた椅子から、パソコンテーブルに上がり、キーボードの上を歩き始めたのだ。直ぐに気が付き、椅子に戻るとクーはすでにモニターの上に、画面には、まままふふふう;:]WWaaというようになっていた。そしてご丁寧に、Enterキーまで押され、確定していた。モニターの上から僕を見ていたクーに、キーボードを指で指しながら「キーボードの上に乗っちゃだめ。今度乗ったら、お鼻ピンだよ」とピンをするまねをした。それ以来クーはキーボードの上を歩かなくなった。テーブルの端5~6cmの所を器用に歩くのだ。
今朝の事。クーは僕がメールを書いていると、プリンターテーブルからモニターの上にやって来た。因みに僕のモニターは10年前、アプティバを買った時に付いていた物をまだ使っている。画面も大きく見やすく、故障も無いので手放しがたくなっている。さて、しばらくすると画面が小刻みに揺れだした。何事が起こったのかと思い目を上に向けると、クーがモニターの上でノビノビ体操をしていた。終ると90度体を回し、足を下に垂らしてのリラックスモードに入った。パソコンとモニターの間を見れば、お尻と尻尾はモニターからはみ出していた。「クータンお尻がはみ出ますよ。直しましょうか」と言いながら頭を撫でると、顔だけ僕の方に向け「おとうさん、余計なおせわょ」と鋭い目付きをされた。

クータンは寂しがり屋-2

2006-07-21 05:46:49 | Weblog
クーが来た翌朝、僕が手洗いに入りガラス戸を閉めると、クーの声が聞こえて来た。その声は、3日前の夜ベットで聞いた子猫の声と、鳴き方、声の響き等全く同じであった。3日前の夜は、秋の台風が襲来し、東京は大嵐であった。9時過ぎ、ベットに入ると、子猫が鳴く声が数回聞こえた。”どこの子猫だろうか。濡れて寒いのかなー”とは思ったが、大して気にもせず眠ってしまった。
僕の推測が正しければ、泣いていたのは正しくクーである。前日の夜は子猫の声を聞いていない。とすれば、心無い人に捨てられたのだ。僕の家の3軒先は子供の公園である。台風で誰も居ない夜に捨てられたと思う。
こんな怖く、寂しい体験をしたクーには、一人ぼっちになるのが本当に怖いのだろう。家の中でさえ、僕や家内の姿が見えなくなると、「ミャ、ミャー」と呼ぶ事が良くあるのだ。姿が見えると、「どこに居たのよ」と足元に擦り寄るのだ。僕達が部屋に居る事が分かっている時は、廊下や出窓で一人で外を見ている。それが猫らしいのだ。

クータンは寂しがり屋-1

2006-07-20 05:55:06 | Weblog
本来のクーは寂しがり屋だ。置いてきぼりになり、一人ぼっちにされるのが怖いのだ。
我が家の子供となった最初の日曜日、息子は彼女との逢瀬で出掛け、僕達夫婦は、礼拝に参列する為に、家を空ける事になった。クーは一人でお留守番だ。家内は「お父さんもお母さんもお出掛けするの。クーちゃん、お留守番しててね」と話した。無論、ご飯とミルクは何時でも口に入れられるようにした。教会に行くと猫大好きのFさんが「クーちゃん元気」と聞いて来た。この方には最初の日に猫の事を色々と教えを受けた。この日も猫じゃらしのおもちゃを戴いた。「大丈夫、猫はねお留守番出来るから、心配無いはよ」と。多少家の中を悪戯される事は覚悟していた。数時間して家に戻り、居間の扉を開けると「ミャー・ミャー」と言いながらクーは家内の足元に掛けて来た。「クーちゃん寂しかったのょ。良い子だったよ」と言った。家内は抱き上げ頬ずりをしながら「クーちゃんは良い子ね」と。
その後は段々長い時間お留守番が出来るようになった。時には僕達が帰っても、ちらっと目を開けるだけで、そのままお昼寝を続ける事もある。しかし、寂しいのだ。僕達が帰ってくると、甘えて「遊んでよ」となる。出窓に連れてゆくと、ゴロンとなり、甘えるのだ。
クーちゃん良い子だよ。

クーが居る幸せ

2006-07-19 05:47:42 | Weblog
クーが僕の側に居るようになって、2年10ヶ月になる。もう毎日当たり前になった。だが思い起こすと、クーが来る前と後を比べると、家庭内の会話が大変に多くなった。クーの事で、家内との会話も大変に増えた。息子も「あー・ふー」だけだったのが、話が進むようになり、当時息子の恋人だった知子とも、挨拶程度だったものが、クーの事を通して話をするようになった。
息子が結婚した今、寂しくなった家庭の穴を埋めるのに、クーは充分過ぎる役割を果たしてくれている。
毎日クーと話し、撫で、遊び、時には文句も言い合う。また、パソコンを操作する時に、クーがモニターの上に居てくれれば、文章が続かなくなった時、頭を撫でながら静かに考える事も出来るのだ。そんな時や帰宅して「クータンただ今」と言う時に、ほっとしたり、幸せを感ずる。
家内だって同じだろう。外から帰ってくると「クーちゃん」まず呼ぶのだ。そして、頭をなで「いい子ねー」と言うのだ。
やっぱりクーは癒しの賜物だ。