クーたんとココ君のお家

燕尾服を着た女の子クーたんと神戸から来たやんちゃ坊主ココ君の小さなドラマ。

掃除機大好き

2009-11-30 05:02:47 | ネコ
ワン・ニャンのように耳の良い動物は、大きな音が大嫌いである。家の中で暮らすネコにとって最も苦手なのが、大きな音を遠慮なく撒き散らす掃除機であろう。我家でも、家内が納戸から掃除機を出すと、直ぐに非難する。これが極普通の家ネコであろう。
ところが、ものには例外が常にある。「掃除機なんか平っちゃらだい」と言う顔をしていたり「これ、おもちゃだよ」とコードにじゃれ付いて、掃除の邪魔をするネコがいる。我家ではココが例外ネコである。家内が掃除を始めると、掃除機の前でへそ天に転がり、家内が「ココ君邪魔だから退きなさい」と言っても「ぼく掃除機大好き」と言う顔をして退かないのであるし、写真のようにお腹や背中をブラシで吸われれば気持ち良くなってしまうのである。
ココが掃除機を怖がらないのに気付いたのは、我家に引き取って間も無くであった。生後2ヶ月目の頃だ。おそらく、拾われて直ぐの神戸で生活していた時から、掃除機を怖がらなかったのであろう。初夏、夏毛への抜け替わりの時期、クーは毎日のように、ブラッシングをしないと、毛の塊りが部屋中に漂う事になるが、ココは掃除機で吸い取って終わりであり、手間が掛からぬ。
そのココも他の音には敏感に反応する。例えば、ココが食事中に、側で僕が大きなくしゃみをすると、食べるのを一旦止めて、聞こえた方に振り向くのである。

誕生の喜び

2009-11-29 06:30:32 | Weblog
今日から全世界のキリスト教会の暦は新しくなり、アドベント=降臨節・待降節と呼ばれる、クリスマスの準備をする季節に入った。世界中の教会やキリスト教徒の家庭では、御子イエスキリストの御降誕を祝い、華やかな飾り付けをする。我家でも玄関には、写真のようなクリスマスリースを飾り、御子の御降誕を祝う心を表す。
何処の家庭でも、新しい命の誕生は喜びである。今年の1月に生まれた孫も、伝え歩きが出来るようになり、聞こえて来る泣き声も、自分の意思を伝えるようになって来た。孫達の成長する姿を見るのは、ジジ・ババの僕達夫婦にとつて喜びである。隣家K宅でも2人目のお子さんが誕生したようで、嫁がご亭主にお祝いを言っているのを立ち聞きした。
人と共に暮らすワン・ニャンの誕生も喜びを持って迎えねばならない。が、しかしである。生まれた事が罪のような扱いをされる仔犬や仔猫がいる事も、悲しいが事実である。我が国では年間30万匹以上のワン・ニャンが公的な施設で殺処分されており、その大部分が誕生間もない赤子である。施設に持ち込まれなくても、公園の片隅や河原に捨てられる命が後をたたない。京都府警察では、公園や河原に「仔犬・仔猫を捨てるのは犯罪として処罰する」旨のポスターを掲示したと言うが、これは処罰を厳しくすれば良いと言う事では無い。人間としてのモラル、生命観の問題であろう。東京・三鷹台の立教女学院小学校では、迷い込んで来た仔犬を、一人の教師が教職員を説き伏せて、学校犬として育てており、今では子供達のアイドルになったと、先日の新聞地方面が伝えていた。子供にとってワン・ニャンと一緒に生活する事は、命の尊さを学ぶ良い機会だ。立教女学院はキリスト教の学校であり、チャプレンと呼ばれる司祭もおり、祈りと共に命の尊さを日々教えているが、このワンちゃんが生きた教材となっている事は間違えない。
クリスマス迄の4週間余、日々の祈りの中で、今一度命について考えてみようと思っている。

クッション

2009-11-28 05:58:42 | ネコ
オルガン(キーボード)の椅子のクッション、クーとココの人気は高い場所だ。温風器の側にあり、陽射しも良く入る。家内が仕事に出掛けた後には、彼らのお休み処と、本来の目的外の使われ方となる。兎に角クションが厚く、寝心地が最高と2ニャンは言う。
昨日の朝も、温風器を止めると、本箱の上の基地で休んで居たクーが、この場所に移動した。ソファーで寝ていたココは、直ぐ横に飛び降りたクーの振動で目覚め、暫らくは寝ぼけ眼でクーを見ていたが「良い場所クーちゃんに取られちゃった」と、オルガンの上に飛び乗り、下のクッションの上で、気持ち良く休んで居るクーの背中をチョチョイと手で撫ぜる。当然クーも応戦し、一寸した小競り合いに。追いかけっこが始まるのかと見続けたが、この日はココがこの場所を諦めて、元居たソファーに戻り、ジエンド。
1時間程経つと、クッションの上ではココが昼寝をし、クーは廊下の専用ベッドで、2ニャン共小春日を楽しんでいたのであった。

ヘソ天兄弟-2

2009-11-27 05:38:15 | ネコ
今日掲載した写真は、ココを引取る2週間程前の、06年12月16日に、ぐりぐら写のテケトさんが、神戸のビートさんのお宅で撮影された時の1枚である。この撮影時の写真は、CDに複写されココを迎えにお邪魔した時に頂戴した。
何とも温かな情景である。ココの隣で寝ているのは、雪柳君、通称ユッキーである。ユッキーもこの年の春に、捨てられていたのをリングちゃんに拾われて、ビート家の一員となった。ココを引取りにお伺いした時に姿を見せてくれたのは、ユッキーと杏さんだけであった。生後7ヶ月程で体重5㎏越えの大ネコさん。しかし優しい心を持ち、新参者のココを毛嫌いする事無く、愛情一杯に包み、守ってくれたのである。ココにとっては大切な兄ちゃんであった。山下さんも同じ構図の写真を11月に撮られ、ビートさん経由で送って頂き、06年12月の本ブログにのせてある。
血の繋がりがないのに、チビッ子を兄弟・家族として守ってくれる溢れる愛。3年経った今でも、ビートさんのお宅のネコ兄弟のみんなに感謝しているのである。

出会って3年

2009-11-26 05:42:23 | ネコ
出会いは突然、そして劇的に起こるものなのである。ココとの出会いもそうであった。にゃぽち君のブログに仔猫のバナーが現れた。「これは何だろう」と僕は押した。押すと3葉の仔猫の可愛い写真が。キャプションには「おとうさん、おかあさん、ぼくの里親になってください」と。僕の目は釘付けになってしまった。1日に何回もこのバナーを押して、可愛い仔猫を見ていた。翌日の早朝4時、僕は意を決して、コメント欄に書き込みをした。「この子の里親になりたい」と。家の事、クーの事、さまざま考えて決心した。心配したのは、近畿圏に住んでいる方と言う1行のみ。
あれから3年、名前は珈琲からココへと変わったが、その可愛さは今も同じである。このブログを書いている今、ココはテンションが最高に上がり、布団の上でゴロゴロと転がったり、家中を駆け回ったりと。チビの頃と全く変わらぬやんちゃぶり。傍に居るクーは呆れ顔で見ているが、そんな事はココには関係ないようだ。
昨夜僕がココの子供の頃の写真を眺めていると、ココはパソコンの上で居眠りをしていた。モニターに山下さんが撮られた写真を大写しに出し、見比べると変わらぬ表情であった。何回も書いているが、拾われた後のココは、ビートさん、リングちゃんの愛情を一杯受け、杏さんはじめ、年上のネコさんに可愛がられて、性格形成期の大切な時期を育てられた。それが今も顔を見せ、明るく、少々ネコらしからぬネコになったのであろう。

緊急避難

2009-11-25 05:51:29 | ネコ
昨夕の事。家内が夕食の準備をしている時、ピンポンとインターホーンが鳴った。ネコ達、特にパソコンの上で休んで居たココはウロウロ・オロオロと緊急避難場所を探しまくった。調理台のネコ椅子に座り、夕食の準備を見ていたクーは、サッと冷蔵庫の上に避難した。入って来たのは隣に住む息子だった。クーは「何だお兄ちゃんか」と言う顔に。息子は仕事先から連絡があり、至急の見積書を得意先にFAXをしに来たのだった。ココはカーテンの中に潜って非難していた。FAXを送る音が聞こえると、姿を現したが、息子を見てまた隠れてしまった。
オチビの頃は人見知りを全くしなかったのが、今は大変な人見知りになってしまった。クーも人見知りであるが、最近は一応安全な高い所に上がるが、そこで人の様子を落着いて眺めるようになった。これも加齢の賜物であろうか。特に息子や孫が来ると、悪戯されない距離を保ちながら、孫が遊ぶ様子を見ている。
昨日は、息子が帰ると2ニャンはピンポンが鳴る前の位置に戻り、寛いだのであった。

猫とネコが力を合わせ

2009-11-24 04:32:16 | ネコ
外資系某生命保険会社のCMソングの替え歌を一寸考えてみた。
猫と猫が力を合わせ
我家の幸せを~!
招き猫ニャのだのだ
ミャン ニャン
ここ数日、クーとココが直ぐ傍に居る姿が多く見られるようになった。真に喜ばしい限りである。昨夜も、夜食を食べ終わったクーは、居間の本棚の上に乗り正座をしていた。するとココも、本棚のテレビの脇にピョコン。軽いチョチョイの後は写真のように、話をしているような素振りが見られた。昨日の昼前には、クーが居間のカーテンに潜り、日光浴を楽しんでいると、ココもカーテンの手前に置かれた、温風器の上で箱座りし、柔らかな日を浴びていた。
3歳になったココが、クーとある程度の距離を保つようになり、一緒に居られるのだ。しかし、バトルと言うか、追いかけっこが収まった分けではない。昨日の夕方には、10分以上追いかけっこをしていた。見ていた人間はハラハラのし通しである。クーが本箱の上の基地に登って終わったが、ココはその後も暫らく家中を駆け回っていた。
CMソングではないが、僕達夫婦は2ニャンが傍に居てくれる事をとっても感謝している。2人きりとなった家庭の潤滑油となっているからである。我家の場合、幸せにも、孫の声が絶えず聞こえて来るが、独立した家庭に踏み込む事は、互いに遠慮している。それがマナーであろう。30年以上連れ添った夫婦に、新鮮な話題を届けてくれるのが、クーとココである。特にココは3歳になった今も、お子ちゃま坊主で、楽しく・明るく過ごせる源になっているのである。

家ネコの特権

2009-11-23 04:58:54 | ネコ
昨日の東京は、粉糠雨が降る寒い1日であった。しかし、クーもココも暖房が程好く効いた温かな部屋で、満足げな顔をして、昼寝を楽しんだり、バトルをしたりして過していた。
今日の写真のような無防備な姿で寝ていても、誰からも文句を言われないし、外敵から襲われる事も無い。クーもそれを良く知っている。クーの敵と言えばココであるが、昨日はココも小引き出しの上で、写真のクーと同じ様に、手と足を思いっ切り伸ばし、尻尾をだらりと下げて、熟睡していた。
今朝のクーは、僕に向かって文句を言い続けている。朝ご飯のカリカリが普段より少ないだの、ご飯を食べる間背中を撫ぜろ、流しに上がれば「このお水飲んでも良いかしら。お父さんこっちに来てよ」。その都度ブログを書く手を中断して、クーの所に行かねばならない。クーの言う事を無視すれば、僕が行く迄文句を言い続ける。パソコンの上に座って、クーの様子を見ていたココもいささか呆れ顔であった。ところが家内が起きて来ると、クーは本棚に上がり「クーちゃん良い子よ」と、さっき迄の文句をピタっと止め、すまし顔で正座をしているのだ。
無防備な寝姿を見せたり、我が侭を言えるのも、家ネコの特権だろうか。

めげないネコ

2009-11-22 05:10:13 | ネコ
やんちゃ小僧のココは、ご飯を食べ終わると体のスイッチが、お遊びモードに切り替わるようだ。逆にクーは食後は静かにして、ご飯の余韻を楽しみたい。全く正反対である。
昨日の夕食後も、クーが静かにしていると、ココが「クーちゃん遊ぼうよ」チョッカイを出した。遊びたくないクーは、台所からパソコンテーブルの上へ避難しようと全力で走り出した。クーには珍しく直線的な走りで、障害物を次々に乗り越えた。その障害物の1つが、ソファーで雑誌を読んでいた僕であった。ソファーを飛び越えて落ちたのが僕の太股。「アッ!やっちゃった」と言う感じで踏み付けた。勢いが付いており、全体重が掛かったから「痛っー」。その数秒後、追い掛けるココも膝に飛び降り、また「痛っー」となった。ただ、ココの場合は障害物があっても、回り道は絶対にしないが。
パソコンテーブルの上段に登ったクーは、ココが駆け上って来ると、ココの背中に向って、パンチの速射砲を浴びせた。ココはこの速射砲から逃げる余裕は全く無く、サンドバック状態の打たれっぱなしでこの勝負は付いたのだ。しかし、この位でめげるココではなく、平然とした顔でパソコンテーブルから下り、何時もの椅子に乗り、写真のような顔をして「今日はやられちゃったよ」とクーを見上げていたのだった。何があっても絶対にめげないネコである。

小春日の中で

2009-11-21 05:39:51 | ネコ
冬至迄あと1ヶ月余となり、日の光も部屋の奥迄入るようになって来た。
昨日は一昨日と一転しての晴れ。気温は低いが、小春日の陽射しは、暖房を不要にしていた。そんな中、ココは光が届く、オルガンの椅子で寛いでいた。ココの体に当たった光は乱反射し、眩しい程であった。ココも眩しいのだろうか、顔は光と反対側に向け、時折居眠りをし、目を閉じる。艶つやの体毛は光を受けて輝いている。健康な証拠である。体を撫ぜれば、しっとりとして、整髪剤を付けた直後のようである。
毛に艶があると言うのは、若さの証でもある。人でもネコでも年を執るに連れて、肌に艶がなくなる。ココもクーもまだ毛艶がある。家ネコは、野良さんと違って、安全で栄養価の高い食事を取っている事もあるだろうが。
そんな健康なクーとココは寒さにも強いようで、室温が15度程度でも平気な顔をして昼寝をしているのであった。我家で一番寒さに弱いのは、僕かも知れぬ。来週になれば、長いズボン下を履くようになるだろう。今朝も足元から冷えが上がり、温風器を入れた程である。