クーたんとココ君のお家

燕尾服を着た女の子クーたんと神戸から来たやんちゃ坊主ココ君の小さなドラマ。

ニャングココでも

2008-06-30 07:24:55 | Weblog
昨日の話の続きである。一昨日の土曜日、長坂の看板オチビさんの店を後にし、中央高速に入る。小仏トンネル内の事故の後遺症で、上野原から渋滞し、トンネルを出る迄の30分程はノロノロ運転だった。膀胱も満タンに近い。石川PAに入る。女性用手洗いは、2箇所とも長い列が出来ていた。売店の入口のショーケースの中に、犬用のおやつと500ペット入りの犬用の水を見付けた。ここ数年愛犬を連れた、車が多く見かける。便利になったものだ。猫を連れていても利用出来そうだ。この売店では、奥多摩・氷川のわさび漬けを売っており、この日も購入する。
家に戻り、車を車庫に入れると、2階から孫が「じぃーじ」と呼ぶ声が聞こえた。「お土産あげるから、下においで」と声を掛ける。まもなく一家揃ってやって来た。家内が野菜を分け、空豆の茹で方とトウモロコシの蒸し方を嫁に教える。その間もやんちゃ坊主は、部屋の中を動き回り「ニャーニャ」と言いながら猫を探す。ココを部屋に入れると、孫は触ろうとするが、ココは後ずさりした。ココの頭の中には、要注意のチビッ子とインプットされているのか。ココは、息子と嫁には無警戒で、撫ぜてもらい目を細めてていた。孫は台所に入り、冷蔵庫の底に、クーやココがおもちゃをストライクで入れぬように塞いである、紙筒を持ち出しココに近付く。流石のニャングココでもだいぶビビリ、ソファーとパソコンの間に身を隠した。素手で近寄れば、頭や背中を孫に触られても怒らないのに。
ココを拾われた時から見て戴いている方々、今日のココの写真如何でしょうか。1歳8ヶ月のココ、顔だけは大人になったような気がします。

八百屋さんの看板娘

2008-06-29 08:08:39 | Weblog
昨日の朝窓を開けると、薄日が差し込んでいた。絶好のドライブ日和だ。ここ数日長距離ドライブが仕方がなかった。レッツゴー!甲州街道から環8~関越自動車道へ。80~90kの速度で北へ進める。適度の緊張感が心地良い。碓氷峠の入口にある、鉄道文化村を見学した。場内には、峠のシェルパEF63型電気機関車等多数の機関車や、電車・気動車・客車が屋外展示されている。園内には、小さな子供の手を引いた家族の他、僕のような鉄道ファンのおじさんも。
見学後高速道路で佐久ICへ向かう。次の目的地清里の清泉寮に向かう。国道141号線に入ると、清里67kと表示が出た。佐久市内を出ると、千曲川に沿った、八ヶ岳山麓の隘路だ。南牧村からは、急勾配の峠道を進む。アクセルを床に着く程に踏んでも、力のないサニーのスピードメーターは、50~60の間をピョコ・ピョコするだけだ。
清泉寮には、梅雨の最中と言うのに、多くの観光客が来ていた。ポール・ラッシュ博士もどんなに喜んでおられる事か。drポールは、この寒冷山村の振興を目的に、牧場を開いた。それを手伝ったのが、立大の学生を中心とした聖徒アンデレ同胞会(BSA)の人々だ。この会は、キリスト教・聖公会の男子の修養団体で、僕もメンバーの一人である。パン工房を覗いた後は、清里聖アンデレ教会の、畳敷きの礼拝堂で目を閉じた。礼拝堂の礎石は、立大BSAの若き学生が、下の川から人力で運んだもの。
長坂IC迄は急な下り坂で、レジンを2に落としても、カーブではブレーキを踏みたくなる。美味しいトウモロコシが食べたくなり、農産品直売所を探す。あったー!。車を止め店内に入ると、レジ番のお上さんの隣に仔猫が居た。ココを引取った時と同じ位の、女の赤ニャンだ。レジ横の箱に出たり入ったりして遊んでいた。丁度猫好きさんであろう女性が、カメラを向けていた。僕も勿論写した。この子は兄弟2匹で、店の前に捨てられていたと言う。店主ご夫妻が保護され、1匹はその日の中にお客さんに引取られたとの事だ。きっと、ととらちゃんのような看板娘となるだろう。品物も良く、値段も良心的なお店である。お店の名前は、北部安売りセンター。中央高速長坂ICから清里に向かう道沿いの左側である。8月に塩尻の帰りに、もう一度立ち寄る。看板ニャンコさんの成長が楽しみである。

爪研ぎソファー

2008-06-28 06:24:16 | Weblog
我家のソファーには花模様で、つづれ織り風の、家内が気に入って買って来た、カバーが掛かっている。このカバーは、クーもココも大変気に入っている。ニャンコに模様の良さなど分かるはずはない。二人が気に入っているのは、このつづれ風の凸凹のある織りがお気に入りなのである。この凸凹が、爪を研ぐのに最高だと、あまり意見の一致しない二人が、口をそろえて言っている。
最初に爪を研ぎ始めたのはココである。我家に引取った翌日から始めた。手の平サイズのオチビ故、ソファーの角に摑まり立ちをし、チョコチョコとしていた。その仕草が可愛らしく、見逃したのが運の憑き。写真右上のグレーの物が、布製の爪研ぎ器であるが、ここでは滅多にしない。たまに、マタタビの粉を擦り付けた時だけである。また、ソファーの下にも、クーを家に入れた直後から使っている、紙製の爪研ぎもあるが、今これは、背中掻き器となり、クーもココも、ゴロンゴロンとこの上で転がり、背中を押し付けて書いている。
少し大きくなったココは、ソファーの背に登って、爪研ぎを始めた。目を細め実に楽しそうにしている。それをクーが台所からみていた。「ココ君上手い所で爪を研いでいるのネ。あたし気が付かなかった」となったのである。ココが行うまで、クーはソファーの背に乗り、爪を研ぐ事はなく、カバーも買った時のままであった。クーが爪を研ぐのは、カーペットのうえであった。ココを見習い、クーも背で爪研ぎを始めた。ココよりもクーの爪の方が太いので、カバーの糸は簡単に持ち上がる。家内は悲鳴を挙げるが二人とも「楽しいモン」と言う顔をいて、叱られても、知らん顔をし、続けている。

ココのチャームポイント

2008-06-27 07:15:48 | Weblog
06年11月26日、珈琲(ココ)の里親募集で、やましたさんが撮影された写真を初めて見た時、垂れたように見える目元も可愛かったが、頭の上に乗っている耳にも惹き付けられた。真正面を向き、幅が広くて大きい。子のこのチャームポイントと感じた。仔猫は顔の造作が小さく、耳が大きく見える。クーの子供の時もそうであって、1年程経ち、大人のニャンコさんになると、耳は大きく見えなくなる。
ところがココは違った。半年経っても、1年経っても、耳は小さく見えぬ。クーに比べると、顔が小さいようだ。そのせいかみみが大きく見える。いや違う。元々耳が大きいのだ。幅が広いのも大きく見せる事になっているのだろう。時々ウサギに見える事もある。
猫にとって耳は、大変重要な情報収集器官である。それ故、猫は耳を触られるのをすごく嫌がる。クーの耳を触ると、機嫌が良い時でも「何をするのよ」と睨んでくるし、不機嫌な時には、「シャッー」と言われる。ところがココは、耳の渕を触っても、内側に指を入れて撫ぜても、平気な顔をしている。今日載せた写真を撮る時、耳の先を引っ繰り返す悪戯をしたが、全く嫌がらなかった。ココの耳は大人のニャンコになっても、チャームポイントである。

携帯・パソコンは無くても

2008-06-26 06:05:46 | Weblog
クーを我家に入れた後、猫について何も分からぬ家内が、最初に電話をしたのが、教会でも猫通と知られているFさんだった。Fさんは僕より少し年上で、10歳を過ぎた猫ちゃんと暮らす、独身女性である。洋服には、常に猫ちゃんの毛が付いているが、全く構わない。Fさんから教えて頂いて、家内は近くのドラッグストアーに自転車を走らせ、直ぐに必要な、猫缶や猫砂を買い求めた。この前の日曜日家内とFさんは、昼食当番だった。食事を作りながらの話題が猫の事になるのは、聞かずとも分かる。携帯電話もパソコンも持っておられないFさんと、昼食後話をすると、発売になったばかりのくるねこー2も既に読んでおられ、はっちゃんが大好きで、最新刊も手に入れらたとの事だった。成城の書店の店長と親しくし、猫の本が発売になると、店長はFさんのために取って置かれるとの事だ。僕も、ちゃとらとはちわれ、アメショすの本が近々発刊される事を話した。
ずうっと以前このブログに書いた、成城に住まわれ、同じ教会のYさんご一家も、猫に魅せられたご家族だ。食事を与えていた野良さんが、ある日突然仔猫を咥えて座敷に入って来たという。この親子はY家に住み着き、放浪生活から足を洗ったという。奥さんも、同居する奥さんのお母様も猫にメロメロだ。そして野良さんを玄関に入れて、食事を与え可愛がっていたら、家猫さんが体調を崩したという。僕はストレスが原因ゆえ、家猫さんをもっと可愛がってあげるように話した。
教会のオルガニストで、1950年代日本音楽コンクールピアノ部門で優勝した、ピアニストのSさんも猫好きさんである。特にクーのような白と黒の猫が好きだと言われる。以前も猫の絵を頂戴し、会うと「ネコちゃんお元気」と声を掛けて戴ける。
この方々の他にも、教会にはネコを愛する方がおられ、礼拝後に猫の話をするのは、楽しい一時である。

クーちゃんのお窓 ぼくも大好き

2008-06-25 06:53:47 | Weblog
おはようココだよ。元気だよ。今ぼくね、お父さんがこのブログ書いている、パソコンの横に居るんだよ。さっきカーテンの中に入ってお外見てたけど、お空はどんよりでお日様もお顔出さないし、可愛い小鳥さんや、きれいな蝶ちょさんも来ないから、つまんなくなって寝んこする事にしたんだ。お外が明るくなるの早いよね。知ってる?。ぼくがお父さんを起す4時半頃には明るくて、お日様がお顔見せて、カーテンの中に入ると「ココ君おはよう」って言われるの。
お外って言えば、車庫の隣のお窓からは、家の前の道が良く見えるんだ。このお窓のこと“クーたんのお窓”って言ううんだよ。クーちゃんがこのお家に最初に入った、お窓だからだって。あの柵の間良く入れたよね。小さかったからかニャー。そして、お家の子供になってからは、お父さんが会社から帰って来ると、お窓へ飛んで行って「お帰りなさい」って可愛い声で、挨拶してたよ。それはネ、ぼくも見たことあるよ。クーちゃんが「お帰りなさい」言うの聞いて、ぼくも大きな声で「お帰りなさい。ぼくと遊んで」と言ったんだニャー。
ぼくもこのお窓からお外見るの好きだよ。時々野良のお姉ちゃんが、塀の上を歩いているから、「ニャー」「お話ししようよ」って言うんだけど、澄ましていっちうよ。それから、車やバイクが良く通るけど、ぼくは怖いから、背を低くするの。クーちゃんは出窓でよく見てるから、平気なんだって。「ココ君、何で怖いの。弱虫」って言われるよ。でもさ、このクーちゃんのお窓ぼくも大好きだよ。

ニャングの後は

2008-06-24 07:24:27 | Weblog
今朝も僕が雑誌を読んでいると、自分のベットで寝ていたココが、スクッと立ち上がり数歩駆けて、僕の背中に乗った。瞬間的に時計を見れば、4時半だった。背中から下りると耳元で、口を大きく開けて「ミャーン・ミャーン」とご飯をせがむ。雑誌の記事は読み掛けで、ここで閉じれば何処まで読んだのか分からなくなる。霧の良いところ迄と思い、記事に目を向けると、今度は、頁をめくる腕に、ガブリとニャング攻撃が始まった。腕を上げると、これこそココの思う壺にはまる。背中にのり、腕をめがけて飛び上がる。仔猫の頃と全く変わらぬ。ニャンコさんの前歯を良く見ると上の歯は、鋭い左右の牙の間に、鋸のような歯が生えている。この歯を左右に動かすのだから、線状の傷が付くのだ。
諦めて雑誌を閉じ起き上がって「ご飯食べるの」と聞くと「ゴアーン」と返事が。ココの茶碗を手にすると、してやったりと勝ち誇った顔で、台所に駆け足だ。食後は何時ものように、棚に乗ってライターを落として転がしたり、おもちゃ箱を引っ繰り返して、マタタビの枝で遊び、最後は部屋中を駆け回る。これだけ動き回れば、クーよりも食べても太らない訳だ。駆け足の終わりは、3段飛びでパソコンテーブルに。身体をよじり、パソコンとモニターを動かして、その間に身体を横たえた。軽く毛繕いをして目を瞑った。その頭を軽く撫ぜると、僕の手を一なめし、眠ってしまった。

お邪魔と言われても

2008-06-23 07:24:08 | Weblog
先程の事だ。家内が資源ごみの紙を束ねていると、洋間で休んでいたココが、それを見付けた。ココにはたまらない。家内の足元に近付くと、紐の端に飛び上がってじゃれ付く。結んだダンボールや、紙袋にも顔を入れる。家内も諦め顔だ。ココは少しだけ紐をゲットした。チャチャイして楽しく遊ぶ。生き生きとした顔である。それに飽きると、カーペットの掃除を始めた、家内の手元にじゃれ付く。お邪魔と言われてもココは平気だ。
昨日も、ブログを読んでいる、画面の前に座り込んだ。頭を撫ぜ「ココ退いて」と言っても、簡単には退かない。床に下ろしても、直ぐに上がり座り込む。人があきれても、ニャンコさんには関係ない。楽しく遊べば良いのだから。
今日もおもちゃを見付けて、楽しく遊ぶ事だろう。僕はその笑顔に癒されるのだ。

愛の業(わざ)

2008-06-22 07:19:32 | Weblog
《空の鳥は小さくても お守りなさる神様》で始まる歌は、僕が好きな聖歌の一つである。その4番の歌詞は、愛の業は小さくても 喜びなさる神様 となる。神は小さな命をも守られようとする。神の愛には、性別、貧富、社会的な地位、人間社会の功績等々全て無関係である。人だけでなく、鳥、犬、猫等を含めて、命を粗末にする事は、神の意に反することであろう。この神を仏と読み替えても良いが。しかし、愚かな人間は、命を粗末にする。(動物が糧を得るための狩は、別の次元)今日であの忌まわしい、秋葉原事件から2週間たった。自分のうっぷんを晴らすために、無関係な人を殺し、傷付ける事は断じて許されぬ。人が手助けをしなければ生きて行けぬ、仔犬や仔猫を捨てる行為も、殺人者と同列な犯罪者である。
今週の土曜日封切られる、映画ネコナデでは、人事部長として、リストラを進める鬼塚に、深夜の公園で、か細い声で泣く仔猫のトラを抱き上げさせた。神はこの鬼塚の行為を喜ばれる事だろう。
豆花ちゃんの嫁ぎ先の弟、李ご夫妻が、東京と上海で暮らしているニャンコさんも、保護された子供だ。ブログに登場するニャンコの多くが、保護され守られた命。今日も土浦では、ワン・ニャンの譲渡会が行われるという。ご奉仕される皆様の愛の業の上に、神・仏のご加護と一匹でも多くのワン・ニャンが幸せを掴むように、主日の礼拝の中で祈ろうと思っている。

梅雨に入り

2008-06-21 06:54:58 | Weblog
いよいよ梅雨本番となり、日々蒸し暑くなってまいりましたが、神様から頂いた、純毛の服を纏っておられる、各ご家庭の猫のみな様に心よりお見舞い申し上げます。猫様にとっては、暑さよりも、このジメジメとした湿気の方が、身体に応えるのではないかと、拝察する次第で御座います。いくら冬の暑い毛が抜けても、身体にまとわり付くような湿気は、癇癪の一つも出したくなるのではないでしょうか。
我家では、毛の短いココは、さっさと夏服に着替え、何時ものごとく、やんちゃをし、僕や家内が癇癪玉を膨らませても、我関せず「何で怒っているんだよー」と言う顔をしながら、元気に部屋中を飛び回っております。
一方、毛の比較的長い、日本猫の血を引く、お姉ちゃん猫のクーは、浴衣への着替えが、まだ終らないようで、少々顎を出しております。そのクーは家の中で涼しい所、居心地の良い場所を見付ける事に長けております。因みに我家では、CO2削減の為(それは嘘で、電気代節約)まだエアコンを使用しておりません。クーが見付けたのが、冷蔵庫の上です。この場所は、部屋の中に比べると、少しだけ涼しいようで、オチビの頃から良く乗っております。
昨夕も、お気に入りの冷蔵庫の上に乗り、毛繕いを始めました。直ぐ下のシンクでは、家内が夫婦の夕食の準備をしています。クーが毛繕いで、足で身体を掻くと、冬毛が纏まって、フアフアと舞い降ります。また、冷凍庫の氷を取るのも、扉に足を掛けているクーに「クーちゃん、扉を開けるよ」と声を掛けてからとなりますが、クーは実に迷惑そうな顔で、僕を睨み付けるのでした。
あと1ヶ月程して梅雨が明け、湿度が下がれば、クーも浴衣に着替え、少々熱くても、気に入っている出窓で、元気に遊ぶ孫達の様子を見る事でしょう。