クーたんとココ君のお家

燕尾服を着た女の子クーたんと神戸から来たやんちゃ坊主ココ君の小さなドラマ。

癒しのクータン

2006-06-29 13:46:27 | Weblog
仕事仲間や教会の方そして親類にも、猫大好きさんは多くいる。嫁の知子や実家のお母さんも猫が大好きで、家猫2匹と多くの野良ちゃんの面倒をみている。クーが来た時、知子や知子のお姉さんから色々と教えて頂いた。
仕事仲間では、重量鳶のAさんは、その会社の資材置き場に屋根から落ちた、子猫を助けて今は家族と一緒に暮らす。子猫は子供さんの遊び相手になり、命の大切さを自然のうちに教えている事だろう。息子宅にいるマイクも、生まれ来る孫にとっては、大切な遊び相手になる。
猫の本当の可愛さを実感するのは、子育てを終わってからだろう。子供が独立し家族の会話が少なくなった時、夫婦は無性に愛を注げるものを欲しくなる。猫は一日中家におり、話も分かり、可愛い仕種を見せてくれる。真に癒しの賜物だ。今のクーがそうだ。今日も家内と遊んでいたクーの目は、実に良かった。子供の目だ。
今日もクーを賜った事に感謝の祈りを奉げた。
哲也、知子、Aさんこれからも猫ちゃんを大切にしてね。君たちの心を慰めてくれるから。
明日は早朝出勤のためブログはお休みです。ごめんなさい。

遭遇

2006-06-29 06:49:05 | Weblog
先程40分前の5時20分過ぎ、台所の喫煙所(なんともかんとも味気ない)で煙草をくゆらしていると、クーが来て「ミャー」と一言言い、玄関に連れて行かれた。クーは「お父さんおんもに連れて行って」の意思表示だ。今日は土曜日と日曜日に仕事があり、振り替え休日。クーと思いっ切り遊ぶ事を計画していた。僕の姿は、パジャマにカメラをブル下げ、クーを抱くと言う何とも陳妙な格好。家内が見れば怒り狂うだろう。
さて、クーを抱いて外に出ると、小鳥達の大合唱だ。クーだけでなく僕もうっとりととした。大好きな、お母さんの自転車の荷籠にクーを入れ、数枚写真を撮る。家に入ろうとした時だ、Mさんのお兄ちゃん猫ちゃんが突然現れ、お向かいのSさんの門扉を悠然と歩き始めた。それを見付けたクーは、僕の手の中で暴れまくった。しかし、お兄ちゃんは門から降りると「チビおはよう。元気だね」とクーに目を向けた後、道の真ん中を悠然と歩き、自宅の庭に消えた。
家に入るとクーは、下駄箱の上で今の鬱憤を晴らそうと、僕にクーパンチを出すが当たらない。次に僕の腕を噛みに来たが、僕が引っ込めた瞬間バランスを崩し板の間に転落した。
ブログを書き始めるとまた、「おんもに連れて行ってよ」催促が始まった。無視していたが、椅子に上がり耳元で「ミャ~ア」とやられ、先程抱いて外に行った。クーは「お父さんの態度が気に食わない」と抱いている時にクーパンチを出し、見事に僕の顔に命中した。爪が当たり顔が少しヒリヒリする。このままでは力づくで僕の腕から飛び出しそうになったので、家に入り出窓にクーを置いた。

狭くても平気だよ

2006-06-28 05:54:59 | Weblog
クータンを見ていてすごいな、さすが猫と思う事がある。その一つが狭い場所でも、平気で座る事だ。
掲載した写真の、パソコンの本体の幅は9cm、クーが毎朝僕に開けさせる、クータンの窓の桟は10cmだ。極め付きは、庭に向かった欄間の隙間、5cmしかない。ここにクーは飛び上がり、庭の様子を見たり、お兄ちゃんの出勤を見送ったりする。子供の頃ならともかく、大人になった今も平気である。僕は感心する。そのバランス感覚が素晴らしい。
一回だけ狭い場所に乗り、クーが落ちそうになったのを見た事がある。野良が庭に入り、それを見つけたクーは、廊下のカーテンレールに乗ろうとした。しかし幅は、3cm程しかなく、焦っていた事もあり、バランスを崩し廊下に転落。見ていた僕は「アッ」と思ったが、流石に猫だった。廊下に頭から落ちる事はなく、軟着陸した。
こんな事も猫初体験の僕には驚きだ。

クータンの尻尾

2006-06-27 05:20:55 | Weblog
猫の顔を文字で表すと、大きな丸があり、その上に二等辺三角形が、数㌢の間を空けて二つ並ぶ。大きな丸の中に、小さな丸が並んでいて、小さな丸の中心から一寸下に、小さな逆三角。逆三角の下はハの字の切れ目となる。この形は大部分の猫に共通している。犬は違う。顔の形も、耳の形も、口の大きさや長さも、個々の犬によって違っている。
ならば、猫の体で一匹一匹違うのはどこだろうかと、猫の写真集とブログを観察した。一つは、毛の配色。これは生物体全て違う。神様のご苦労の賜物か。後一つは、尻尾の形と長さだろう。同じ黒と白の配色の猫でも、尻尾の太さと長さは皆異なっている。日本一有名な猫、はっちゃんは、細く長い尻尾。にゃんぽち君は、太く短い尻尾。我が娘クータンは、長くなく、太い尻尾だ。
クーは静々と歩く時、この尻尾を立てている。但し垂直に立っているのではなく、ジェット機の垂直尾翼のように、後ろに30度程反っている。”クータンのお窓”から外を見ている時も、尻尾は立っている。僕はその尻尾に顔を近づけ、軽く握った後あごの下を撫でる。ふんわりと気持ちが良い。クーの尻尾を強く握って以来嫌われるようになったのが、息子哲也だ。くーは息子が近付くと警戒する。また尻尾を引っ張られるかと。僕が抱いていてもだめだ。「お兄ちゃん嫌い」とフータンになる。今、クーはモニターの上で長く寝そべり、うとうととしている。良く見ると、尻尾はモニターからはみ出て、奥の地球儀を触っていた。


クータンの尻尾

2006-06-27 05:20:54 | Weblog
猫の顔を文字で表すと、大きな丸があり、その上に二等辺三角形が、数㌢の間を空けて二つ並ぶ。大きな丸の中に、小さな丸が並んでいて、小さな丸の中心から一寸下に、小さな逆三角。逆三角の下はハの字の切れ目となる。この形は大部分の猫に共通している。犬は違う。顔の形も、耳の形も、口の大きさや長さも、個々の犬によって違っている。
ならば、猫の体で一匹一匹違うのはどこだろうかと、猫の写真集とブログを観察した。一つは、毛の配色。これは生物体全て違う。神様のご苦労の賜物か。後一つは、尻尾の形と長さだろう。同じ黒と白の配色の猫でも、尻尾の太さと長さは皆異なっている。日本一有名な猫、はっちゃんは、細く長い尻尾。にゃんぽち君は、太く短い尻尾。我が娘クータンは、長くなく、太い尻尾だ。
クーは静々と歩く時、この尻尾を立てている。但し垂直に立っているのではなく、ジェット機の垂直尾翼のように、後ろに30度程反っている。”クータンのお窓”から外を見ている時も、尻尾は立っている。僕はその尻尾に顔を近づけ、軽く握った後あごの下を撫でる。ふんわりと気持ちが良い。クーの尻尾を強く握って以来嫌われるようになったのが、息子哲也だ。くーは息子が近付くと警戒する。また尻尾を引っ張られるかと。僕が抱いていてもだめだ。「お兄ちゃん嫌い」とフータンになる。今、クーはモニターの上で長く寝そべり、うとうととしている。良く見ると、尻尾はモニターからはみ出て、奥の地球儀を触っていた。


クータンの写真

2006-06-25 11:52:51 | Weblog
今迄クーの写真はどれほど撮ったであろうか。我が子哲也の写真だってこんなに撮ってはいない。それもこれも、デジカメのおかげだ。デジカメならば、失敗を恐れず、どんどんシャッターを押せる。直ぐに撮った画像の確認も出来る。最初会社でデジカメをいじった時、本当に便利だと感心した。値段も高く、自分で持つ気はなかった。最初に買ったのは、クーが来て間もない頃の事だ。クーの姿を撮りたくて、その頃大手スーパーが2万円を切る物を売り出した。それを予約して手に入れた。使っているうちに、手ぶれ防止機能が付いていないなどの不満が出て来た。
昨年息子の結婚が決まった直後、新聞の通信販売欄に、市価の約半額で性能の良いカメラが載っていた。僕は飛び付いた。型は、その頃街のPC店で販売されている物より1つ古かったが、性能は中級の上の品物だ。そして手に入れた。家内は反対したが、子供の頃からの癖で、ただをこねて買ってしまった。
息子の結婚式では、若い人にカメラを預けて、100枚以上スナップを撮った。
今は、もっぱらクータンの可愛い姿を撮っている。特にブログを始めてからは、その日のテーマに合わせて写真を撮る事も多くなった。今日掲載した写真も、1時間程前に撮影したものだ。今日はこの他、クーがお化粧をしている写真も撮影出来たが、別の機会に掲載する事にした。ファインダーから覗いていても、クーの愛らしい姿に見飽きる事はない。

クータンの隠れ家

2006-06-23 05:47:46 | Weblog
猫は隠れ家・秘密基地を持つ事が多いようだ。猫は狩をする為に、身を隠す必要があり、自分の行動範囲の中に、必ず隠れ家を持つと言われている。
クーも秘密基地を持っています。台所の一番隅にある、レジ袋を入れてある箱です。昨夜もクーの姿が見えなくなり、探すと居ました。クータンの隠れ家で、丸くなり、体を休めていた。この隠れ家に居る時に、手を出すとクーは怒るのだ。しかし昨夜は違っていた。フラッシュを光らせて写真を撮っても怒らなかった。
クータンにとっては一番の隠れ家がある。しかしそれは現在閉められて、クーは入る事が出来ない。息子の部屋だ。この部屋は適当に散らかっており、クーが身を隠すには最適だ。しかし入れてもらえない。時々お母さんに「お兄ちゃんのお部屋開けてょ」と猫なで声を出しておねだりをするのだが「ここはだめよ」と何時も冷たい答えが返ってくる。たまに息子が荷物を取りに入る時に、クーも付いて行くが、直ぐにお母さんに連れ出されてしまう。
「お兄ちゃんがお部屋を片付けたら入れるからね。クータン」

クータンの目

2006-06-21 05:47:29 | Weblog
クーが我家の子供になった日、帰宅後クーを抱き上げ、顔を良く見た。確かにユニークな顔。真に【口髭を生やし、燕尾服を着た、オーケストラの指揮者】である。そしてもっと良く顔を見た。まん丸で大きく澄んだ目。僕は自分の心の中迄、見透かれているのではと思ったほどだ。その目は、水晶体が大きく膨らみ金色で、瞳は黒。魅力的な目である。写真撮影の時に、フラッシュを光らせると、瞳は若葉のような緑色に変わる。
目は心の窓と良く言われる。クーの場合も然り。掲載の写真のように、落ち着いて休んでいる時は、静かな目をしている。お遊び・はしゃぎモードになると、目は一層真ん丸くなり、オチビさんの時の目になる。怒っている時は、三角に吊上がり、細くなる。僕が好きなクータンの目は、はしゃぎモードに入った時の目である。その目は何とも可愛く、それで見つめられると、クータンの言う事をついつい聞いてしまう。
クーも話しかける時、僕達の目を良く見ている。話し掛けられた時、クーの要求を断りたくなると、僕の目はクータンの顔からそらせてしまう。
クータン、何時までも可愛い目をお父さんとお母さんに見せてね。

美味しいのでなきゃヤン

2006-06-20 05:48:45 | Weblog
クーのご飯は、今はドライフード(カリカリ)が中心だ。先日の事、家内はこのご飯を、今迄の物から、アメリカ製の少し高級な物に変えた。ところが、クータンにはお気に召さない。ちっとも食べず、一緒に混ぜてある、美味しいカリカリだけを選んで食べる。仕方なくゴミ箱に捨ててしまった。そして翌日買い直しだ。なぜ食べなかったのか。このカリカリの主成分はお肉だったようだ。
クーはお肉が大嫌い。我家に来て3日目に分かった。離乳食の牛スジ肉の缶詰を入れたところ、手でお皿を押して「クーちゃん嫌い、あっちへ行け」とやった。この残った缶詰は知子の家に差し上げた。逆に、秋刀魚を焼けると、食卓に上がりお鼻を大きく開いたりと、ビック・ビックと。この出来事で、クーはお肉が大嫌いで、海の物なら大好きだという事が分かった。当時犬しか一緒に暮らした事がなかった、僕や家内は大変に愕いたものだ。
新しいカリカリに変える前の日、夕食時に「クーちゃんにも美味しいの頂戴」と甘えた声でおねだり。猫用の鰹のなまり節を、家内が取り出すとクーは、大騒ぎ。「これ美味しいんだょね」「お母さん早く、早く入れてよ」とばかりに、催促し立ち上がって袋の中を覗き込んだ。食べ終えると、居間に入って来て、座り、舌なめずりをして、美味しい余韻を楽しんでいた。

可愛いよクーちゃん

2006-06-19 05:48:53 | Weblog
以前にも書いたが、僕は犬とは3回暮らしている。そして猫はクーが初めてだ。犬はオチビの頃家の中に入れておいたが、外の犬小屋で飼っていた。そうなると、心の繋がりは、どうしても希薄になる。
クーが来た。窓を開けて入って来た時、「何だこの子猫は」と思って、可愛いとは思わなかった。ところが、息子の後を追いかけ始めた時、その仕種に僕の心は瞬時に変わった。これをキリスト教的な言葉で言えば、”聖霊の働き”となる。天の目に見えぬ力が僕に働いたのだ。クーは我家の子供になった。
クーとは家の中で一緒に暮らす。休日は一日中一緒だ。朝起きる時も、食事の時も、お昼寝だって同じ部屋でする事がある。小さい頃クーは、ソファーで寝ている僕の足元で寝ている事もあった。クーとは一緒に遊ぶ。子供と遊ぶのと同じように。
クーは話しが出来る。内容によって声が変わる。僕達の言う事を理解して、返事が返ってくる。コミニュケーションが出来るのだ。愛情が通じ合う。子育てを終えた夫婦にとってはまたとない贈り物であった。クーちゃん可愛いよ。いつまでも元気に遊ぼうね。