ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

落ちたチョーク

2019-05-04 | アメリカ事情

neatoday.org

 

 

 

かなり献身的に無神論を説く哲学教授がいた。 彼のクラスの主目的は、神が存在できないことを証明するのに全学期を費やすことだった。彼のクラスの学生たちは常にこの教授の申し分のない論理のために議論することを恐れていた。 20年間、彼はこのクラスを教え、誰も彼を論破する勇気を持つことはなかった。確かに、何人かは時々クラスで論じていたが、教授の評判のために本気で反対意見を唱える者はいなかった。毎学期の最終日に、彼は300人の学生のクラスに、「まだイエスを信じる者がいるなら、立ち上がれ!」と言ったものである。


20年間で、誰も立ち上がったことはなかった。彼らは教授が次にやろうとしていることを知っていた。 「神を信じる者はだれでも馬鹿だ。神が存在するならば、このチョークが地面に当たって壊れるのを止めることができるはずだ。そんな単純なことで彼が神であると証明できるのに、いまだ彼はなにもしていない。」そして毎年、彼はチョークを教室のタイル張りの床に落として100個ほどの破片に砕き、学生たち全員は、立ってそれを凝視する以外なにも言わなかったし、なにもしなかった。何人かのクリスチャン学生は黙って教室を抜け出したくらいだった。


さて、二、三年前のある新入生は、たまたまこの教授のクラスを取った。彼はクリスチャンで、この教授についての話は聞いていた。彼は専攻分野のためにこのクラスを取らなければならず、彼は恐れていた。しかし、その学期の3ヶ月間、彼は毎朝、教授が何を言ったか、あるいは何をクラスが考えたかに関係なく、自分が立ち上がる勇気を持てるように祈った。人々が言ったことで自分の信仰を打ち破ることはできない、と彼は望んだ。


ついに、その日がやってきた。教授は、「神をまだ信じている人がいるなら、立ち上がってください」と言った。その学生が教室の後ろで立ち上がったとき、教授と300人のクラスが彼を見てショックを受けた。教授は叫んだ、「君は愚か者だ。もし神が存在していたら、地面に落ちたときにこのチョークの破片が壊れないようにするはずだ」と叫んだ。


彼はチョークを落とし始めた、しかし、チョークは彼のシャツの袖口から彼のズボンのひだの上に、そして彼の足の上に、そして彼の靴から、床へと滑り落ちた。チョークが床に落ちたとき、それは壊れずに転がった。チョークを見つめている教授の開いた口が塞がらなかった。彼はその若い学生を見上げてから講堂を一目散に駆け出した。


立っていた若い学生は講堂の前方に歩いて行き、次の30分間イエスへの信仰をみなに話した。 300人の学生たちは、神がひとりひとりを愛しておられること、そしてイエスを通しての神の力について彼が話すのに、耳を傾けたのだった。


*******


私は初期の東映動画・アニメメイション作品が好きで、その中のひとつ西遊記に、今でも覚えている場面がある。それは腕白な孫悟空を天帝(天に居て万物を支配する神。造物主。創造主。)に調伏(ちょうふく・ぢょうふく=仏教の言葉で、元来悪魔や怨敵を祈祷で下す、降伏させる等の意味であるが、孫悟空に関しては”調教”的な意味合いで、その悪行を戒めることであろうか。)を依頼された釈迦如来が、孫悟空と賭けをする。それは、釈迦如来の右手から孫悟空が逃げられるか、ということである。孫悟空がこれに勝てば、天帝となることを認めさせ、負ければ罰を受けるという賭けである。そしてどちらの結果にせよ、文句なしで、という約束も交わされた。釈迦如来の右手から逃れるくらい、簡単なことだと高を括る孫悟空だが、「 觔斗雲[ 金斗雲とも斤斗雲とも ](きんとうん)の術」で、つまり雲を使って空を飛ぶ術で、世界の果てまで飛んでいく。するとその果てには黄金の五本の柱があり、孫悟空はその一つに一筆したためる。帰還した孫悟空は得意気に賭けに勝ったことを吹聴する。しかし釈迦如来の右手の指にはしっかりと悟空の一筆の墨跡があった。勝ち負けに関係なく、結果に一切文句を言わないという約束に、孫悟空は釈迦如来の手に捕まれて地上にたたきつけられ、そのままその手は岩となり、その岩屋に孫悟空は閉じ込められる。その後(五百年も!悔い改めて)三蔵法師と共に経典のために天竺を目指し助けていく。


この釈迦如来の右手について、私は思い出したのだ。宇宙に生きる限り、釈迦如来は無遍に存在し、衆生を救い続ける仏であるから、孫悟空はごくごく小さな存在に過ぎず、世界の果てまで飛んで行った、と豪語しても、結局は釈迦の右手の中での出来事でしかなかった。このあたり、小学校にさえ上がっていなかった私でさえ、圧倒された。そこに神の存在を感じた、と言っても言い過ぎではなかった。


上記の教授の話は、あの孫悟空を思い出させた。

 

 

 

 

コメント
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