甲子園きっぷ  yama’s stadium☆彡

~球児たちの あしあと~

Hyogo Nine 2020早春号 出たよ!

2020-03-08 | 読書




予約していたHyogo Nine 2020早春号が届きました♪

表紙を飾るこの投手は...ユニホームから明石商業 中森投手ですね?

明石商業も選抜開催を待って練習を頑張っている記事を観ました。

選抜の開催可否は11日に持ち越されましたね。

「選手たちの夢のために」...

普通に開催されることが本来は一番いいのは誰しもそう思うところ。

しかし今の状況ではそれも難しく、開催されても無観客ということが決まりました。

プロ野球のオープン戦や相撲なども無観客で行われているのをテレビで観ましたが、やはり寂しいですね。

アルプスからの大応援が無い中の高校野球甲子園...想像できないです。

色々なスポーツが無観客で行われていますが、

どのスポーツも応援、声援あって選手たちは力も沸くものだと思うので、

それが奪われることとなったこの事態、本当に早く収まってほしいと願うばかりです。


選抜は、選手たちに万一が起こらないよう万全の体勢での開催に向けて

関係各所大人たちが選手たちのために考え動かれているので、

色々な意見はありますが、私たちはその結果を待つのみですね。

個人的には、高校生の他競技が中止を余儀なくされる中、

「野球だけ」...という声を多く見かけますが、それぞれに事情もあり決定したことで比べて議論しても仕方がない。

そういう考えより、この状況下で高校野球を開催すること自体がどうなのか?

夢の大きさとリスクの大きさをどう比べるのか?

現状を考えると開催された場合にはリスクは付きまとうことは明確であって、

制約の中でも開催した場合にも失うものは多い。

例えば、最小人数での参加が言われていますが、3年生を多く抱えるチームにとっては、

ベンチ入りできなかった3年生は甲子園のアルプスで一緒に戦えないということ。

これは本当に心苦しいなと思います。

そして、親御さん方...甲子園で観せてあげたいですよね。

プラカードを持ってチームを先導するはずだった生徒さん

高校野球の春を彩る「今ありて」を歌うはずだった生徒さん

チームの応援団のみなさん、吹奏楽のみなさん

挙げきれないくらいのたくさん、選抜甲子園を楽しみにされておられた方々にとっても

開催有無に関わらず失うものは大きく、残念という言葉では表現できない春になってしまいました。

そしてまだ感染者が日々増えつつある中で、無観客であっても開催された場合でも

選手たちの万一が何より心配です。

感染者の重症化は何%とか、若者は軽症傾向...とか、そう言われていますが

そんなのは分からないですからね。

主催者は、開催を決定する際には相当な覚悟と責任を持って決定されることでしょうから

11日の結果を待つしかないですけどね。

どちらにしてもこの件に関しては、恨むは人ではないということだと思います。


話しは選抜から逸れますが、色々なことを狂わせてくれたコロナウイルス。

全国で不足しているマスク、トイレットペーパーなどなどの問題

買い占め、物流不足、不安...

なかなか落ち着きませんね。

マスクは仕方ないかなという感覚でしたが、トイレットペーパーやテッシュなどの紙製品に関しては

心無い人のデマ情報から起こった騒動だということで、現代病が拍車をかけてしまったという感覚。

自分自身、トイレットペーパーには本当困りました。

だいたい、無くなってから購入するタイプでストック生活ができていない私は

このトイレットペーパー騒動が起こりかけていた頃、

ちょうど3年生選手の卒業記念に贈るビデオ作りに没頭していた時で、

没頭しすぎていてほとんどテレビ、ネットなどで日々起こっている情勢を見ていなかったのです。

翌週に仕事で必要なポップなどを休日に作ることがよくありますが、

朝7時くらいから始めて気が付けばお昼もとっくに回った15時とかザラにある。

そういう没頭癖が?今回、自分を2週間以上も苦しめる結果になってしまいました。

街から消え始めたトイレットペーパー騒動に全く気が付いていなかった私...

何も知らずドラッグストアに日用品を買いに行った時。

そうそう、トイレットペーパーがあと少しだったな...買っておかないとって売り場を見て

あれ?無い!何で???状態。

店員さんに事情を伺って初めてその騒動を知った。

でもその時は、来週も入荷があるし大丈夫ですよと仰っていたので

また来週でいいや~くらいの感覚。

そこからの今日まで...

日本がこんなことになるとは想像もしておらず本当に驚きましたね~

まだ独身の若かりし頃、米騒動で日本のお米が街から消えたことがあったのですが、

アメリカ米だったっけ?長細く見たことも無い外国米しか売ってなくて焦ったこと...

それ以来、それに値しないくらいの危機感を感じたトイレットペーパー騒動。

お米は最悪食べなくても何とかなるけど、トイレットペーパーは本当困るでしょう!

あれから2週間、仕事もしているので朝から並んだりなかなかできないし、

タイミングの問題もあるんだと思うけど、本当にどのお店でもトイレットペーパーくんと出合わない。

そして残り2ロールで焦りが加速する。笑

今日も諦めていたところ、運良く?いつも利用するドラッグストアに買い物へ行ったら

この前話した店員さんが、今入荷したから少しだけ待ってくれたら出せますからと...

天使の声に聞こえましたね。笑

無事切れるまでに何とかなったので良かったのですが、未だ購入できず困っている人も多い。

先日、関東方面の大手スーパーに、ある製紙会社のトイレットペーパーが驚く程山積みにされ

お一人さま10個までという売り方をされているのをSNSで見かけた。

在庫はちゃんとあるから安心してほしい...の発信か?

買い占める人、転売する人への逆襲の意味をこめていたのかは知るところではない。

それに対して多く絶賛の声が上がっていたけれど、

本当に困っていた私はそれを見て怒りとさらに焦り、不安しかなかった。

在庫はあっても物流が足りていないということは理解して待っていたけれど、

来週は大丈夫と聞いてからさらに1週間、我が街のあらゆるお店で見たことがなかったので

本当に元に戻るのだろうか?と。

こんなに大量にあるのに我が街の同じ企業(スーパー)には何故ひとつも無いの?

誰もがその店に買いに行けるわけじゃなく、多くの人が困っていることを知りながら

一部店舗にこれだけの物量を集めて、お一人さま10個と販売することに何の意味があるのか?

本当に分からなかった。

不安は怒りにしか変わらなかったです。

私のように本当に困っている人からも同じ声を多く見た。

周りのお店にも分散すれば少しでも多くの行き渡るのに...

一刻も早く、どのお店にも普通に棚へ商品が並ぶ姿を見ない限り

手元にトイレットペーパーがあっても、この騒動はずっと続くのではないかという不安は消えません。


私が利用するドラッグストアにも、少量づつの入荷はあったそうですが

毎朝開店前から行列ができ、毎回同じ人が購入しようとしていたそうです。

今日、入荷しましたから店頭に出すまでもう少しだけ待って下さいねと言ってくれた

この従業員の方は、その毎回購入しようとする方へ現状を伝えご遠慮いただいたと言われていました。

買うことは自由ですし、どういう事情で毎日トイレットペーパーを購入されるのか知りませんが、

譲り合いの心が必要な事態にそういう人がいることが

さらに品不足に拍車をかけることを冷静に考えることが必要ですね。

困っている多くの人を目の当たりにしているこの従業員の方は

勇気を持っての発言だったのではないかと思います。

今日、高齢の方が品出しするその従業員の方へ

本当は裏にたくさんあるんでしょ?と心ない言葉を浴びせていました。

今、入荷したんですよ、すぐ出しますから少し待って下さいねと笑顔で接客されておられました。

毎日毎日同じことを聞かれての対応に、挙句はお店や従業員が悪いかのような言葉をかけられ

気持ちもお疲れだと思いますが、目の前のお客様を大事にされる姿を見て

若い方ですが、凄い方だな、立派だなと尊敬しました。


街からマスクが消え...

トイレットペーパーが消え...

東京の春も一次予選が消え...

愛媛の春、四国の春、高知の春も消え...

投球制限や申告敬遠など、春の大会で試す機会も消え...

最後の春が無くなった3年生選手たちが本当に可哀想でならない。

次は何が消えるのだろう。

消してはいけないものは、

譲り合いの心...

思い遣りの心...

そして冷静さ...

穏やかな春が来ることが待ち遠しい。


トイレットペーパー問題に時間を費やしてしまった

Hyogo Nine 2020早春号!

昨年12月に兵庫選抜チームによる台湾遠征

試合内容や遠征を終えて感じたこと、現地での様子、選手たちの表情まで内容深い記事でした。

普段は敵として切磋琢磨し戦う選手たちですが、

この貴重な経験から得たもの大きさを言葉から感じました。

それを自チームの仲間にも繋げていき、自分自身やチームの野球に生かしていくことで

更に意義のある選抜遠征であったと思えるよう、これからも頑張ってほしいですね。

おもしろかったのは18選手の嫌いな食べ物

トマトはよくある嫌いですが、明石商業 植本選手の嫌いな食べ物

「ごぼう」

ごぼうってそんなに頻繁に食卓に登場する食材ではないと思うのですが、

よほど嫌いなんだろうなって笑ってしまいました。

あと、報徳学園 足立選手は「茹でたほうれん草」が嫌いみたい。

緑野菜は頑張って食べましょう~

きのこ、なすび嫌いも多いのね。

西脇工業 東田選手は「アスパラ」が嫌い。

美味しいのに~

明石商業 中森投手は「チーズ&レバー」

わかる~!

私も両方大嫌い。笑

赤穂 山本投手、神港学園 河村選手、

神戸国際大付属 笠松選手、市立西宮 太田選手は

嫌いな食べ物特になし!偉い!

野球のこと以外も楽しめました。


クローズアップインタビューは、今を走っている選手たちの失敗と成功から得た学びや

意識高く野球に向き合っていることを感じました。

春、そして夏が楽しみになる選手の言葉がありました。


明石商 センバツ決定

待ちましょう。


カントクノタナゴコロでは、野球をイヤにならず好きになってほしい、好きなまま続けてほしい...

と指導される、市立西宮 吉田監督さんの言葉は興味深く読ませていただきました。


旅立ちのとき 〜3年生卒業おめでとう

兵庫の野球を楽しませてくれた選手の顔ぶれで、

常に目的、目標を持って野球に取り組んでいることを感じます。

次の夢に向かって扉が開く春ですね。


今回号で1番の楽しみだったのは、2019年度優秀選手に選出された

社高校 藤本竜輝選手のインタビューが掲載されていることでした。

藤本投手を楽しみに観に行ったことが懐かしく、

気持ちの入った投球には魅了されるものがありました。

思い出深い選手です。

報徳の林投手のマウンドも本当に魅力がある投手です。

林投手は社会人を経てプロ1軍を目指し、

藤本投手は大学で1年生から試合に出場することを目標に、その先に夢であるプロを目指しているそうです。

またいつか二人のマウンド姿が観れることを楽しみに、頑張ってほしいです。


2020年早春号も内容深く素晴らしい一冊で一気に読みました。

裏表紙は報徳 坂口選手のとてもカッコいい打席の姿です。

春また観たい選手です。

Hyogo Nineの好きなところは、兵庫球児に特化しているだけじゃなく、

取材されておられる方の想いを読んでいてたくさん感じるところです。

また次号も、どんな兵庫球児のココロが見れるのか楽しみに待ちたいと思います。


Contents

兵庫選抜チームの台湾遠征
選手名鑑
試合結果
解団式後に聞きました
三宅雄雅(報徳学園)
河村利毅(神港学園)
山本颯真(赤穂)
植本拓哉(明石商)

クローズアップ・インタビュー 
笠松拓真(神戸国際大付) 
前田衡(市川)
野島勇太 上林直輝(神戸弘陵学園)
竜波駿平(長田)

2019年秋季大会スコア一覧(地区、県、近畿)

明石商 センバツ決定

カントクノタナゴコロ Leaders Interview  
市西宮・吉田俊介監督

旅立ちのとき 〜3年生卒業おめでとう
重宮涼・山口翔大(明石商)
松本凌人(神戸国際大付)
山河楓(神戸弘陵学園)

Topic 2019年度優秀選手表彰式
Photo
表彰式後に聞きました

高校野球が教えてくれた

2019-09-11 | 読書




高校野球が教えてくれた...


この言葉に惹かれて取り寄せた一冊。

これからゆっくり読もうと思っているのですが、

[我らの最強高校論]

大阪桐蔭高校 根尾昂/中田翔/西岡剛

「ほとばしる情熱と常勝の宿命」


野球に携わる者は少なからず誰もが知る、大阪桐蔭西谷監督さんの『粋』を受けた

選手たちの言葉が心に止まりました。


今、高校野球の中に居る選手たちに伝わるものがあれば...

きっとあるはず...。


高校野球での経験、勝ち負けも人生の糧に...と、よく言うけれど

その経験や、その日々の中で受けた恩師からの一言ひとことを、

それからの人生に生かせるか?は、どう自分の心にそれを置いて生きていくかということ。


高校野球2年と数ヶ月、多感な年頃の高校生が、やんちゃしながらも

でも野球には本気で夢を追いかけ向き合えた。

その中にあった苦しかったこと辛かったこと、

仲間と笑い合ったこと、泣き合ったこと...

恩師のあの日の一言...

その時は当たり前で、鬱陶しいなと思ったことも自分次第では

その後の人生で立ち止まってしまった時に、それが本当の「糧」になり

自分の背中を前へ押してくれる大事な「糧」になる。


終わってみないと言われた一言ひとことを理解できなかったり、

終わってみないと仲間の本当の大事さが見えなかったり...

そういう選手も少なくないと思うけれど。


本気で何かを追いかけたことなんて、歳を取り振り返るとひとつくらいあったかな...

なんて思う人生。

暑い日も寒い日も練習練習

遊びに行く暇もなく帰ったらご飯食べてバタンキュー。

学校が終わったら何して遊ぼう!そんなことしか考えていなかった自分には、

辛いことよく頑張れるな~と、歳を取り必死で夢を追いかけることもしなくなった今、

逆に羨ましかったり私はするなぁ。


当たり前に目の前にある「大好きな?野球」すら向き合えない選手だって実際に居る。

せっかく出逢えた仲間ですら大事にできない選手も居る。

自分の人生の中で、こんなに自分のことを想い、

厳しく言葉を贈ってくれた人が側にいてくれることがあるだろうか...

もっともっと大人になって歳を重ねないと気付かないのかもね。

その経験、その言葉を自分の人生の糧にできるか、なるかどうかは

その決められた短い時間をどう過ごすか。

その言葉をどう受け止めるか。

どうそれを理解できるか...。

自分次第なのではないかな。

今、大好きな野球に向かうこともできていない選手

今、その場所で奇跡的に出逢えた仲間を大事にできていない選手

今、これを読んで何かを感じて欲しいな。


自分にも、目の前に苦楽を共にし夢を一緒に追いかける仲間がいるでしょ?

自分にも、鬱陶しいなと思うこと度々でも、自分のことを本気で想って言葉を贈ってくれる

親や指導者がいるでしょ?

今、自分の前にある高校野球、仲間、言葉を大切にして

これからの自分の人生の「糧」...力になりますように。


number

[我らの最強高校論]

大阪桐蔭高校 根尾昂/中田翔/西岡剛

「ほとばしる情熱と常勝の宿命」


西岡剛はもうスポーツカーに乗っていない。

ネオンの光からもしばらく遠ざかっている。

その代わり、8時間の睡眠、目覚めの散歩とストレッチ、半身浴、そして白球とバットで一日を満たしている。

「5台くらい乗ってましたが、再婚と同時に手放しました。

20代は派手な車に乗って、飲み屋で遊びましたけど、結局、見栄の張り合いなんですよ。

僕、頭良くないので、あの頃はわからなかったんです」


21歳でゴールデングラブ、ベストナインに輝いたスピードスターはそのまま日の丸をつけ、

アメリカへと突っ走ったが、やがて減速し、3年前にアキレス腱を断裂し、1年前、阪神を自由契約となった。

彼はついに止まった。

そこで大切なものが何かということに気づいた。


独立リーグ・栃木ゴールデンブレーブス。

今、西岡が汗を流しているのは、とてもフェラーリでは入れない北関東の農道の奥にある、ロッカー室もない地方球場である。

自らの練習が終われば、不揃いなユニホームの若者たちに「テンション低いんちゃうかあ!」と関西弁とノックを浴びせる。


野球人生の黄昏。

ここに至って無性に思い返されるのが、あの生駒山の坂道をがむしゃらに駆け抜けた3年間だという。

2000年、西岡が入学した頃の大阪桐蔭は群雄割拠の中のひとつに過ぎなかった。

西岡も王者PL学園のセレクションに落ちて入学してきた選手だった。

「僕らの代はみんな中学の卒業式で特攻服を着ていたような奴らの集まりでした。

入ってすぐに監督から『今までで最低の学年だ』と言われたんです。

だからかもしれないですが、バットを振れなくなっても振る。

捕れない打球に本気で飛びつく。

そういう精神的に追い込むような練習が多かったんです。

特にあの坂道ダッシュは‥‥」


とんがりまくった原石たちに、坂を走れと命じたのは当時30歳の青年監督・西谷浩一である。

中でも、とびきりのゴン太だった西岡とは真っ向からぶつかり合った。

「少しでも気を抜いたプレーをしたら、今すぐ野球辞めろと言われ、突き放されました。

でも僕も反抗するし、向かっていった」


もう来るな!  と言われても、寮に住み込んでいた西谷の部屋をノックし、食い下がった。

はね退けられ、またぶつかっていく。

そんな問答のうちにグラウンドで取っ組み合いになったこともあった。

ついには学校から外出する西谷の車の前に両手を広げて立ちふさがり、叫んだ。

『やめさせたいんなら、殺してみろ!』
 
黎明期の熱がほとばしっていた。


なぜ、西谷がとりわけ自分に厳しく接するのかはわかっていた。

部員が毎日、監督とやり取りする野球ノート。

西岡はそこに入学まもなく、こう書いたのだ。

『僕は甲子園を目指していません。 PLを倒して、プロで活躍することが目標です』

つまり西谷の厳しさとは、西岡の志に見合った情熱に他ならなかった。

「僕のずごく高い目標を知ってくれていたし、こいつはどんなに厳しくしてもめげないってことがわかっていたと思うんです」

2人のぶつかり合いは、ほとんどの場合、西岡の覚悟が試されるような罰則をもって決着した。

鎌ひとつを渡され、外野スタンド全面の草を刈ったこともあった。

その極めつけが坂ダッシュ100本だった。

皆が練習しているのを横目に、外野の向こうにある左中間からセンターにかけての斜面を「1本目ーっ!」と数えながら走る。

「僕は大体、『さんじゅう××本めーっ』とかごまかして、80本くらいで終わらせていました。

でも、たまにバレるんですよ(笑)」


なんでこんなこと‥‥と口を尖らせながらも走ったのは、なぜだろうか。

「喜怒哀楽をともにしてくれたんです。

西谷さんは世界史の授業を担当していたのですが、たまに自習にすることがあって、

その時、(立てた)教科書の裏で先生が居眠りしていました。

本当に寝る間もなく動いていた人で、朝5時に僕の練習に付き合って、

それから遠くまで自分の車で中学生をスカウトしに行って、

午後の練習時間には戻ってくる。 そういう背中を見ていたので‥‥」


そして日々、西谷に提出し、戻ってくる野球ノートには、よく赤ペンでこう書かれていた。

継続は力なりー。

「ノートの一番下に、よく書かれたなあ。

同じことを本気で何回も何回も言ってくれた。

真剣に僕と向き合ってくれたんです」


最後の夏。 西岡たちは大阪を制し、甲子園切符をつかんだ。

1つ上の中村剛也(西武)、岩田稔(阪神)を擁した世代が最強と言われながら敗れたのに、

西谷から「最低だ」と言われたヤンチャ軍団が勝った。


「根性論で結果は出ません。

ただ、やんちゃな集団が気合いを入れていっちょやったろかなとなった時は、

勝負どころでとてつもない破壊力を生むことがあるんです」


西谷は前年の部員不祥事の責任を取り、その年はコーチに降りていた。

デコボコの自分たちを押さえつけて平らにならすのではなく、

凸凹そのままに組み合ってくれた熱血漢へ、

11年ぶりの甲子園は彼らなりの恩返しだったのかもしれない。


別れの卒業式。

すでにロッテへの入団が決まり、関東での生活をスタートしていた西岡は髪を伸ばし茶色に染めて登校した。

「学校に行くのはもう卒業式の1日だけだし、まあいいかと。

そしたら西谷さんに捕まって『坊主にして卒業式に出るか、式に出ず今すぐ帰るか、どっちかにしろ』と」

じゃあ帰ります、と西岡が出て行こうとすると、首根っこを捕まえられ、

髪に黒彩をふりかけられ、式の列に並ばされた。

苦くて酸っぱい青春のラストシーンである。


そこから数年、母校には寄りつかなかったが、今になってやけに心に染みる。

結局、継続することが一番大変なんです。 

僕はそれが苦手だった。

50mダッシュ10本と決めても、だるい日、体調の良くない日もあるんです。

でも100%じゃなくてもいいから10本走る。

そうすると案外、最後は全力で走れていたりする。

今はそうやって習慣にすることができています」


今ならわかる。 

なぜ、あの人が赤ペンで同じ言葉を書き続けたのか。

なぜ、自分に坂道を走らせたのか。


「そういえば昔、オカンにも言われたなあ。 気づいた時には遅いんやでって

北海道日本ハムファイターズの4番として、プロ球界のど真ん中にいる中田翔も、

高校時代を象徴するものとして真っ先に浮かぶのは、

やはりあの生駒山の坂であり、そこで遭遇した「ヒロコ」であるという。

もちろん、セーラー服の女の子ではない。

「疲労骨折ですよ。 ヒロコ、ヒロコって僕ら言ってました。

人間って走り過ぎたら本当に脛の骨が折れるんです」

中田が入学したのは大阪桐蔭が全国にその名を轟かせた2005年だった。

150km左腕・辻内崇伸と平田良介を擁して、夏の甲子園ベスト4まで駆け上がった。

そのチームの中にただひとり、1年生からレギュラーとして入っていたのが中田だった。

広島の中学時代から全日本のエースで4番、

投げて松坂大輔、打って清原和博と言われ、同校史上最高の才能だった。


「入学から同級生は下に見ていました。 ライバルは辻内さんや平田さんでしたから」

無人の野をゆく中田に横を見ることを教えたのが、ヒロコの坂ダッシュだった。

エースも4番も、控えも全員が同じスタートラインに立ち、一足ごとに鈍くなる歩みを前に進める。

ゴールの瞬間、山道に倒れ込み、互いのゼイゼイという荒い息を聞きながら、同じ空を見る。

誰かが隣にいるから走破できる。

そういう坂道だった。


「仲間意識が高校の時は特に強かったです。

みんなで監督の文句を言いながら、普通では考えられないくらい走りましたから」


だからかもしれない。

仲間たちとの最後の夏、中田は泣きに泣いた。

誰もが最高のタレントを有する大阪桐蔭の甲子園出場を疑わなかった大阪大会決勝、金光大阪戦。

エースとして3点を失い、4番としてノーヒットに終わった。

3点を追う最終回、セカンドフライを打ち上げてしまった中田はベンチに戻ると、涙をこらえることができなかった。


 「僕らの代は甲子園に出て当たり前という重圧がありましたから、どうしよう、どうしようっていうのと、

この仲間たちとこれで終わっちゃうんだというので‥‥」


早すぎるゲームセット。

誰も顔を上げることができず、嗚咽だけが響く舞洲球場のベンチ裏。

中田は頬を濡らしたまま立ち上がると、一度もグラウンドに立たないまま

高校野球を終えたメンバーたち一人一人の背中に、こう声をかけてまわった。

『ありがとう、ごめんなーー』


中田は今、プロの世界でチームメイトたちに「大将」と呼ばれている。

個人事業主の集まりであるはずが、彼のまわりには人の輪ができる。

生来の気質がそうさせるのだろうが、ひたすら坂を駆け上がったあの3年間が無縁であるとは思えないのだ。

そして中田にはもう一つ、あの場所を離れてから気がついたことがある。

「プロ3年目に半月板の怪我をしたんです。 言い方は悪いんですけど、そこで初めて野球と向き合いました。

どうしたら打てるのか、初めて考えました」

1年目は一軍の試合にすら出られなかった。

2年目は出たものの何もできなかった。

そうして迎えた3年目は開幕スタメンで意気揚々だったが、すぐに二軍に落とされて、その直後に左膝を壊した。

松葉杖の自分を見て、初めて怖くなった。

「このままじゃダメだ。 首を切られてしまうと初めて思いました。

高校の時は投げることが好きで、打つことには興味がなかったですし、

何試合か打てなくても本番になれば打てるやろって感じで、実際に1試合でホームラン3本打ったりしていましたから。

プロに入ってからも、俺、中田翔だよ、ドラフト1位なんだからそんな簡単に切られないだろって思っていたんです」


そうやって消えていったドラフト1位は数知れない。

ただ、中田という才能は努力の仕方を知っていた。

いや刷り込まれていたと言ったほうが正しいかもしれない。


寮の部屋でひとり。

松葉杖を置くとバットを握った。

テレビ画面に自分の打撃フォームを映し、これまで見向きもしなかった他の打者の映像も凝視しながら、

何度も何度もバットを振ってみたのである。


生まれて初めて自らの才を疑った瞬間、中田の胸に響いたのは、いつかあのグラウンドで聞いた声だったという。

「そういえば、西谷さんにどっしり構えることであったりとか、とにかく打席に入ったら力を抜くことであったり、

そういうことを常日頃から何度も何度も口うるさく言ってもらっていたな、と。

あの頃の僕はあまり聞いていなかったんですけど‥‥」


その年、松葉杖のとれた中田はプロ初ホームランを放ち、野球選手としての人生を切り開いていった。

なぜだろう。

あの野球部の3年間は彼らが人生の坂道に直面した時にこそ問いかけてくる。

純情過多のゴン太も、才能を無造作にぶら下げていたガキ大将も、そこであの急斜面の意味に気づくのだ。

そして今、プロ野球界の入口に立ったばかりの根尾昴はある意味で、先人たちより過酷な坂を走破してきた。

豪雪の地・飛騨から出てきた神童が過ごしたのは、常勝の宿命を背負ってからの大阪桐蔭である。

入学した2016年春にはすでに春夏合わせて5回の優勝を誇っていた。

だから根尾たちの世代に対してはすべての相手が刺し違える覚悟で向かってきた。


「だから負けないための野球というか、ひとつの隙も見せないこと、そのための準備の大切さを教わりました。

実戦形式の練習でも負けている展開で残り3イニング、

そこからどう返していくか、ひっくり返すかというような想定をしていました」


最初は西谷が状況を設定していたが、やがて根尾の世代は自分たちで、さらに厳しい状況設定をするようになったという。

王者が平坦な道を歩いていたのではいつか屠られる。

生駒山の斜面でもまだ足りない。

ついに大阪桐蔭は自ら精神的な上り坂を生み出すまでになっていた。

もちろん、練習の後には本当の坂ダッシュが待っていた。

その強さが如実に表れたのが、根尾たちが3年生の夏、北大阪大会準決勝だった。

相手の履正社は秘策として公式戦初登板の外野手を先発投手に送ってきた。

捨て身のライバルに1点リードを奪われたまま、9回2死ランナーなしまで追いつめられた。

さすがの王者もこれまでかと、多くの人が思ったが、

そもそも下り坂を突っ走ろうなどとは考えていない根尾たちは極めて冷静に状況を見つめていた。


「2アウトになって後輩の中には泣いている選手もいました。

ただ、僕は不思議と焦りはなかったんです。

他の同級生たちもそうだったと思います。

相手は投手がひとりしか残っていなかったし、前のイニングからかなりきつそうな様子が見えましたから。

あの場面、ランナーが3人出ないと僕の打順はこないんですが、なぜか絶対に自分までまわってくると確信できたんです」


9回2死で2番打者が打席に入った時、5番の根尾はすでにレガースも革手袋も装置し、バットまで持って構えていた。

日々、急坂を上ってきた者の強さである。

そして本当に打席はめぐってきた。

3連続四球で満塁。

異様な空気の中で根尾は相手投手をじっと観察し、落ち着いて4球を見送った。

押し出しで同点。

次打者のタイムリーで勝ち越し。

決着はついた。


彼らは最終的に甲子園を春夏連覇するという高みにまで上っていった。

あれから1年。

根尾はプロに入って最初の夏を二軍で迎えている。

打率は1割台を這い、逆に三振の数は積み上がっていく。

すると周りは言う。

なぜ変わろうとしないのか。

それでも、根尾は頑なに強く大きいバットを振り続けている。


「試合への準備というのは高校時代から何も変わっていません。

技術的にはもちろん変わっていますし、もっと変えていくべきなのかもしれません‥‥。

ただ、自分がこうなりたいというものは変えてはいけないのかなとも思うんです。

とにかく経験して、1歩ずつ上がっていかないといけません


この坂を上りきった先に何かがある。

そう信じる根尾の眼はあの日と同じだ。


ひとつの節目を迎えた34歳も、脂の乗った30歳も、そして、まだ漕ぎ出したばかりの19歳も。

どこか通底するものがある。


西岡が地方球場の土煙の中で呟いた。

「僕が栃木に行くと報告したら、西谷さんは『お前らしい人生の選び方だな』と、そう言ってくれました。

あの人は僕らの時代も、甲子園常連校になった今も、まったく変わらない。

それが凄いんです」


大阪と奈良をまたいだ生駒山の上のグラウンドには、あの頃からずっと急斜面と大きな恰幅の情熱がそびえている。

夏が来る。

今年もまた真っ白な練習着の球児たちが、あの坂を駆け上がる。


SPECIAL FEATURES
[自律の3年間を語る] 大谷翔平 「『楽しい』より『正しい』を」
[覚悟の夏を語る] 菊池雄星 「監督を男にしたかった」
[チームメートが語る] 雄星と翔平と花巻東と ──「目標設定シート」で実現する夢
[我らの最強高校論] 大阪桐蔭高校 根尾昂/中田翔/西岡剛 「ほとばしる情熱と常勝の宿命」
[超名門の極意] 横浜高校 涌井秀章/近藤健介/渡邊佳明 「誰よりも走って、頭を使え」
[昭和の象徴を問う] PL学園 研志寮 「理不尽の先の光と清原和博」
[プロ量産高の秘密] 広陵高校 有原航平/小林誠司/佐野恵太 「帰りたい場所がある」
[徹底検証] 甲子園常連校のプロ選手輩出ランクと活躍度
[沖縄出身初のホームラン王] 山川穂高 「日本最強スラッガーの原風景」
[届かなかった甲子園] “悲願校”からプロへの道
[甲子園への憧憬を語る] 菅野智之 「遠回りは、意外と近道」
[強豪校出身芸人座談会] ココリコ遠藤×TIMレッド吉田×ジャングルポケット斉藤 「僕らの人生を変えた、遥かなる甲子園」
[異端から最先端へ] 慶應義塾高校 「Enjoy Baseballの正体」
[高校野球名言録] 名将たちの教え 木内幸男(常総学院)/馬淵史郎(明徳義塾) 山下智茂(星稜)/香田誉士史(駒大苫小牧) 高嶋仁(智弁和歌山)/我喜屋優(興南)ほか
[王座奪回を語る] 村田諒太 「僕は勝つべくして勝てた」
[NBA短期集中連載 最終回] 八村塁 「僕は何でもできるから」
[ウィンブルドン決勝・敗者の名言] フェデラー 「37歳でも終わっちゃいない」
錦織圭 「克服した難題と見えた課題と」
REGULARS
[連載ノンフィクション最終回] 2000年の桜庭和志 「クインテット」


Hyogo Nine ・*:.。.☆2019 初夏号 発売☆.。.:*・

2019-07-04 | 読書

いつも楽しみにしている兵庫球児オンリーの高校野球雑誌 Hyogo Nine

夏の高校野球 開幕直前スペシャル 2019 初夏号が発刊されました♪

春号の発刊がなかったので休刊になってしまったの?と心配しましたが

夏号の発刊がある!と知り楽しみしていました。

今日から発売が開始されたようで早速購入しました。

届くのは開幕後になりそうですが楽しみです。


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~Hyogo Nine ブログより~


悩んで迷って、結局また今年も、夏を迎えるにあたり、冊子を発行することにいたしました。

今回は13校を訪ねました。

春の県大会が終わってから、行く学校を決めて取材を始めて、

6週間ぐらいの間に一人で作るので 私の力量的にはこのぐらいの学校数が限界かなあと思っています。

161校中と考えると、わずか13校ではありますが それぞれの選手の言葉を読んでもらえば、

たぶんその選手を見る目も変わるし、試合を見る目も変わるし、

応援の仕方も変わってくるんじゃないかと思います。


取材に編集、発刊までお一人でされておられるのは知っていましたが、いつも凄いなぁ~と。

今回はどんな選手のどんな声を届けてくれるのだろうと毎冊楽しみにしています。

私のように楽しみにしている方もたくさんいると思うので、

これからも注目校や注目選手だけじゃなく、

より多くの兵庫球児たちを取り上げてあげていただいて

ぜひ、ず~っと続けて欲しいなぁ~と思います。

 Hyogo Nine  


HyogoNine ー兵庫の野球と人マガジン No.8 2019初夏号



ーContentsー

◎夏の高校野球 開幕直前スペシャル
ピックアップ13校41人“選手ボイス”                     
【神戸国際大付】松浦隆己・福元収大・西尾将毅・柴田大成
【須磨翔風】北村聡汰・堂本武蔵・豊福勇介・藤中亮弥
【姫路南】照峰賢也・谷大和・庄竜太郎・梅崎稜大・栁原誠・中村将希・田中湧也
【東洋大姫路】木南龍・上野心士郎・小林彪希・余根田祐太・宇野隼輝
【社】藤本竜輝・古西祥真・鐘搗啓介
【明石商】重宮涼・中森俊介
【西宮東】大貝龍輝・茶谷哲兵
【明石南】碓永莉己・平賀翼・吉川輝祐
【神戸北】松村恒司・花本大空
【武庫荘総合】谷添涼羽・吉田和生
【東播磨】軽部昂・瀬﨑知也・山下泰知
【県伊丹】執行大成・瀬尾直幹
【報徳学園】林直人・西井星矢 ☆うちのチームの“こいつ、すごいんです” 
☆六さん(公式記録委員長・橋本六司さん)と野球談義


Hyogo NineはAmazonからのみ購入できます


高校野球監督の名言ベスト66~言葉の力で人は育つ~

2019-02-20 | 読書



田尻賢誉氏 著書 やる気にさせる 高校野球監督の名言ベスト66 


高校野球の球春もすぐそこまでやってきました。

長い冬練習で積んだ成果は、きっと春に芽吹くと思うので、あと少し頑張って下さいね。


私はかなり遅れて野球オフ期に入り、時間のゆとりもできて読書などもしています。

活字から得ること、感じること、勉強になることがたくさんあって本を読むのが大好きです。

本を読むのは仕事の休憩時間や、ほとんどが就寝前の布団の中ですが

忙しく毎日の疲れもあってか?就寝前の読書とコタツは眠り薬・・・

気が付くと朝なんてこともしばしば。

朝は息子のお弁当作りや家事、仕事へ出掛ける準備で忙しいのですが

最近は夜読をやめて、いつもより少し早起きして「朝読」をする時間を作っています。

一日の始まりにほんの少しの時間ですが、テレビの音や雑音の無い空間で自分時間を作り、

読書をすることが心地が良くて、頭も心も目覚めます。

そうそう!

阪神タイガース 矢野監督さんも、朝起きて野球に入るまでの唯一の自分時間に朝読されておられるそうです。

電車通学をされている高校球児のみなさんも、電車の中の貴重な自分時間に

携帯じゃなく、興味ある本を一冊カバンにしのばせて朝読始めてみては~♪

活字・・・人の言葉・・・

心開いたり、自分を変えるきっかけをもらえるかもですよ。


今回は昨夏の選手権前に取り寄せて、読もう・・・読もうと思いながらようやく開いた一冊

タジケンさん・・・

田尻賢誉氏の著書で、やる気にさせる高校野球監督の名言シリーズの中から

「言葉の力」で人は育つ

やる気にさせる高校野球監督の名言ベスト66


高校野球を知っている人ならよくご存知の22名の監督さんの言葉が綴られている一冊です。

名言と言うより、監督さん方が選手へ寄り添う気持ちであったり、

一緒に夢の舞台へ向かうための気持ちや行動の導き方であったり・・・

高校野球での時間の中で、親よりも長い時間を共有する監督さんと選手は野球の親子。

子どもたちの今だけじゃなく、未来を想うからこその言葉かけがある。

勝ち負けより大事な、人として・・・

時には厳しく、時には一緒に泣き笑い・・・

親心を感じる言葉。


ダジケンさんの~あとがき~にあるように、

本当の親子、野球の親子も、子どもたちと本気で向き合うからこそ生まれる言葉は、

多感な時期の子どもたちの心をにきっと響き残るものがあるのだと思う。

我が家も成人した二人の息子が居るのですが・・・

長男は社会人二年生、次男はこの春大学を卒業しますが

同居しているせいか、彼らが学生のような・・・まだ子育て中のような感覚もあって

日々生活の中で、こういう時はどういう言葉をかけてあげればいいかな・・・と考えることも未だ多いです。

この一冊の中に詰め込まれた監督さん方が選手たちへ向ける気持ちや言葉を

「子育て中」の自分に置き換えてみると、言葉をかけるタイミング、言葉のかけ方、導き方・・・

たくさんのヒントをもらえました。

選手たちは自分の野球の父の心に置き換えて読んでみると、親心に気づくかも。

我が子への心配不安で悩んでいる親御さん、指導者に不満を感じる親御さん方にも、

言葉の魔法やヒントが詰まっていると思うので、心配・不安・不満が少しは解消されるかも。

ぜひ「朝読」していただきたい一冊です。


私が感じる高校野球への興味と魅力の大きなひとつは、勝敗より

高校野球2年半の時間の中にある監督さんと選手との全力の付き合い方、向き合い方です。

野球に於いても、子どもたちに対しても、物事へも人それぞれの考え方や表現の仕方がありますが、

共通しているのは、我が子のように想う親心。

私たち親は我が子の未来を想い、長い時間をかけて子育てするのですが、

監督さん方は2年半の高校野球を通して、私たちと同じように想い、正に子育てなんだと思います。


大好きな監督さん方の言葉 とても勉強になりました。


やる気にさせる 高校野球監督の名言ベスト66 

~目次~

本誌では監督さんのお名前に「監督」表記はありません。

ご勇退、ご転勤などもあり現在とは異なる監督さんもいらっしゃいますが、

表記のチームを導いて来られた監督さんに敬意を表し、敢えて「監督」を付けさせていただきました。


第一章 【リーダーの姿勢】


日大三 小倉全由監督 「リーダーだからって腕組んで胸張ってなくてもいいんです」

今治西 大野康哉 監督 「実績があるから監督として認めてもらえるのではなく 一緒にやってるから認めてもらえる」

智弁和歌山 高嶋仁監督 「用事がない限りはネット裏で観る 僕自身が勉強せんとね」

佐賀北 百﨑敏克監督 「片目をつぶることが大事」

今治西 大野康哉監督 「どんな素晴らしい助言をしても試合終了では遅い」

今治西 大野康哉監督 「教えてできないのは選手にも責任がある 教えてないのにできると思っているのは指導者のおごりだ」

日本文理 大井道夫監督 「 監督がベンチでウロウロしちゃったら子供はすぐに感じるんだよね」

愛工大名電 倉野光生監督 「名指導者になると猫にワンと鳴け 犬にニャンと鳴けと言うし それができるようになると思っちゃう でも、それは無理」 

前橋育英 荒井直樹監督 「優秀なコーチというのは表現を変えずに同じことを1000回言える 人を変えるには自分を変えないこと」

龍谷大平安 原田英彦監督 「お前は悪ない、オレが見てた、お前の責任じゃない」

東海大相模 門馬敬治監督 「「見逃すな」って選手にすごく怒るわけじゃないですか でも、一番見逃しているのは僕ら 選手に投げかけてる言葉って、結局は自分に言ってる言葉じゃないのという感じがするんです」
 
明秀日立 金沢成奉監督 「 ズバリ、好きになることなんですよ そいつを好きになってやらなければやんちゃは伸びないです」

関東第一 米澤貴光監督 「当然叱らなきゃいけないですけど つぶす怒り方なのか 自分からやろうと思える怒り方なのか 差はあると思うんです」

興南 我喜屋優監督 「舞い上がっている時間があったら次のことを考えろ」

日大山形 荒木準也監督 「本気で取り組まなければ本物は絶対につかめない」

今治西 大野康哉監督「一番の研修は自分のチームの練習 指導者は選手に鍛えられる 選手をバカにしたらいかん 選手は先生だ」

花咲徳栄 岩井隆監督 「采配でシグナルを出してれば「まだ危ないぞ」と選手も感じたかもしれない」


第二章 【組織力を高める】

日大山形  荒木準也監督 「毎日が評価。通知表です 見られてるのがわかるから緊張感の中でやることができる」

興南 我喜屋優監督 「小さなことに全力で取り組み 小さなことを確実にする子は間違いなく大きな仕事ができる」

佐賀北 百﨑敏克監督 「思わず知らず応援されるチームになれ」

花巻東 佐々木洋監督 「ベスト4より上は監督に意見するヤツがいないと勝てない イエスマンじゃ勝てないんです」

広陵 中井哲之監督 「どの子も活躍するわけではなくて どの子も絶対ミスするわけですよ だから、この子ならしょうがないという子をつくりたい」

北大津 宮崎裕也監督 「個性があるから相性がある 個性的な野球をしないと相性も生まれてこない」

県岐阜商 藤田明宏監督 「ひとつのことにこだわりを持って みんなでやったことが野球やチームワークにつながる 結果にも反映すると信じたいですよね」

佐賀北 百﨑敏克監督 「ここ一番で活躍できるヤツは反骨精神のあるヤツ ベクトルを反対に向ければものすごい力になる」

北海 平川敦監督 「 高校野球は一回勝負 自分の欲求とか思いとかじゃなくてチームの思いとか目的を達成するために戦うんです」


第三章 『人間力を鍛える』

聖光学院 斎藤智也監督 「 みんな人のせいにして「僕は正しい」と言う これが人間に性だし、防衛本能 でも、高校野球をやる選手に これをゼロにしたら強いだろうなと」

興南 我喜屋優監督 「選手が自ら気がついて取り組んで自立型の仕事ができれば野球は強くなる」

興南 我喜屋優監督 「誰かが犯したミスを見つけてしまったわけだから それをカバーするのが見つけた人の責任」

花巻東 佐々木洋監督 「元をだどりなさい、それが本当の感謝だ」

聖光学院 斎藤智也監督 「表面を変えれば変えるほど、内面からの光は消える 自分の本当の謙虚な気持ちを逆なでしているようなもんだから光は出てこない」

広陵 中井哲之監督 「今は本気で怒ってくれる人がおらん 親もおこらんのじゃないですか だから愛情に飢えている ほめるだけが愛情じゃないんです」

広陵 中井哲之監督 「感謝できたら怖いものはない」

日本文理 大井道夫監督 「単なる野球バカをつくるなら野球をやらないほうがいい」

前橋育英 荒井直樹監督 「本物というのは中身の濃い平凡なことを積み重ねること」

前橋育英 荒井直樹監督 「過去でモノを言うな、過去でメシを食えるのは横綱と総理大臣だけだ」

龍谷大平安 原田英彦監督 「ええカッコせえ カッコようなれや 甲子園で打ったらカッコええで」

聖光学院 斎藤智也監督 「人と比較するな 過去の自分と比較しろ」

広陵 中井哲之監督 「万年補欠で3年間ボール拾ってましたと胸張って言えるような子どもをつくりたい」

興南 我喜屋優監督 「あいさつとは安心のパスポート」

今治西 大野康哉監督 「人は出会う人の数は同じ 周りに人がいる人生を送るかどうかは神様が決めるんじゃない 自分の対応が決めるんや」


第四章 『力を引き出す』

東海大相模 門馬敬治監督 「ゲームで全力でやるのに何で練習を全力でやらないの」

智弁和歌山 高嶋仁監督 「お前ら、なんぼ寒い中で どんな練習してきたんや、思い出せ」

智弁和歌山 高嶋仁監督 「お前のエラーで何点取られたんや?2点?2ランいったら帳消しやな」

県岐阜商 藤田明宏監督 「本気と一生懸命は違う 本気というのは自分の中から湧き出てくる本当の気持ち」

日本文理 大井道夫監督 「笑顔で新潟へ帰ろう 泣くようなことはするな オレに約束できるか」

聖望学園 岡本幹成監督 「君ら、ツイてるから」

関東第一 米澤貴光監督 「こっから逆転するのが楽しいんじゃねーか それが高校野球だ」

興南 我喜屋優監督 「のほほんと動いているようでは次の準備に間に合わない」

日本文理 大井道夫監督 「監督が何も言わないヘボのほうがいいんだよ」

北海 平川敦監督 「やれることからやり直そう やってなかったこと、忘れてたことをもう一回自分でちゃんとやろう」


第五章 『壁を超える』

智弁和歌山 高嶋仁監督 「甲子園に出られるときって「行きなさい」という道があるのよ それを探さなアカン」

佐賀北 百﨑敏克監督 「壁というのはあるわけじゃなくて自分がつくるもの」

花巻東 佐々木洋監督 「目標を達成したからといって目的が達成されたわけではない」

愛工大名電 倉野光生監督 「自分の到達目標をここと決めてあると人間はそこまでが厳しい 目標が上なら簡単に超えていく」

日大三 小倉全由監督 「あきらめないことを選手に教えているか 一生懸命、目一杯、最後までやる その積み重ねをしっかりやることでチームを常に上のレベルまで持っていける」

興南 我喜屋優監督 「気持ちさえ前向きになれば、みんなが「そうではない」と言うことも「そうだ」に変えられる 非常識が常識になるんです」


第六章 『勝つための方策』

明徳義塾・馬淵史郎監督 「相手の嫌がることをするのが作戦だ」

花巻東 佐々木洋監督 「やったつもり 言ったつもり 踏んだつもり つもりつもって何もない」

佐賀北 百﨑敏克監督 「運というのはだれの目の前にもある それをつかむか つかまないかは本人次第だ」

明秀日立 金沢成奉監督 「勢いをは何だといったら信じることだと思うんです」

花咲徳栄 岩井隆監督 「負ける理由は考えない 勝つこと、トップを取ることしか考えない」


第七章 『失敗を生かす』

花巻東 佐々木洋監督 「失敗の考え方 失敗を成功につなげる選手は一流 責任を転換して失敗をくり返すのは二流 三流は自分が失敗したことすら気づかない」

花巻東 佐々木洋監督 「許されるミスと許されないミスがあるとすれば、許されるミスだよ そういうミスなら取り返せるぞ」

日大三 小倉全由監督 「失敗したからこそ強くなれる」

佐賀北 百﨑敏克監督 「こっちが思う以上に生徒は成長してる それを止めるようなことだけはしないようにしよう」


・・・あとがき・・・

監督が怒るのは、期待しているからだ。

怒るほうもパワーがいる、

見込みのない選手や、やる気のない選手には怒らない。

怒るのは、その人に期待をかけているから。

可能性があることに気づいてほしいからなのだ。

~中略~

自信とは、文字通り自分を信じること。

自分で気づき、行動を変え、それをコツコツと続けたときに、

初めて本物の自信がつく。

自信とは、人から与えられるものではなく、自らつかむものなのだ。

自分が変わるきっかけ、何かに気づくきっかけになるのが指導者からの言葉、

本気で接してくれる大人からの言葉だ。

その言葉には、即効性のあるものと、そうでないものがある。

言われた時には受け入れられず、腑に落ちなくても、何年かたって、

壁にぶつかったときにふと思い出す言葉もある。

指導者が本気で発した言葉は、年月がたち、経験を積んだとき、

初めて心にストンと落ちる瞬間があるのだ。

言われてから何年たっても、心の中で生き続ける。

それほど言葉の持つ力は強い。

本気でつきあうからこそ生まれる言葉。

本気で変わって欲しいと願うからこそ湧き出る言葉。

熱い想いからあふれ出る言葉こそ、今の時代に本当に必要なものではないだろうか。

時代が変わっても、変わらないもの。

時代が変わっても、変わってはいけないもの。

それが、高校野球の監督と選手の関係。

本気で夢に向かう者同士だから許される、

本気で怒り、怒られる関係だ。

大の大人が子どもの前で、泣いて、笑う。

特別な時間を共有した彼らにしか生まれない特別な関係。

時代遅れと言われても構わない。

本気で怒ってくれる人がいることが、どれだけ幸せなことかー。

それが、いつか必ずわかる日が来ると信じているから。

~中略~

本気で子どもとかかわるからこそ生まれる熱い言葉。

スポーツの世界はもちろん、学校教育、ビジネスにも通用するヒントが必ずあるはずです。

もちろん、人生にもー。


1942年のプレイボール

2017-08-10 | 読書



「1942年のプレイボール」

戦前から戦後にかけて、日本のプロ野球で活躍した4兄弟 野口 明、二郎、昇、渉

野球を通して絆を深め、青春を燃やした4人の兄弟たちの物語。


以前観た映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」

ただ、大好きな野球を自由にすることも許されないこの時代に生きた選手たち、支える人たちから、

純粋に野球に向かう気持ちとは・・・、頑張るという本当の意味とは・・・「自由」の偉大さを感じた作品でした。

時代が違うと言えばそれまでだけど、またこの作品でも何か大事なことを感じることができるような気がします。


「1942年のプレイボール」

8月12日(土) NHK総合 PM19:30~20:45放送


Hyogo Nine 2017早春号 予約開始♪

2017-02-16 | 読書



毎回、 楽しみにしているHyogoNine

2017年春号の予約が開始しましたよ♪

表紙は神戸国際大附属の選手たちかな。

国際、報徳の選抜も楽しみ。

対外試合解禁も間近、春季大会も楽しみ。

もうすぐ球児たちの春がやってきますよ~

  HyogoNine ー兵庫の野球と人マガジン No.5 2017早春号
 あさぎり出版
 2017年2月24日発売
HyogoNineは、Amazonストアで予約、購入できます

昭和十七年の夏 幻の甲子園~戦時下の球児たち~

2017-02-06 | 読書



高校野球の歴史の中で、全国高等学校野球選手権大会(当時の大会名称 全国中等学校優勝野球大会)が

戦争により昭和16年から20年5年間の空白があったことは知られていますが、

(大正7年第4回大会は米騒動により中止)

その空白の中に、全国高等学校野球選手権大会の回次には残らず、年譜にひっそりとだけ記載されている

「全国中等学校体育大会野球大会」という『幻の甲子園』と呼ばれる大会が存在していたことをご存知でしょうか。


年譜には・・・

1941年(第27回大会) 太平洋戦争の影響で地区予選の途中で中止ー1945年

1942年は、代わりに文部省主催で全国中等学校野球大会が開催されたが、

文部省の意向により全国高等学校野球選手権大会とは独立した大会とされ、通算記録にも数えられていない

と記載だけが残っていて、この幻の甲子園での試合や、出場をした選手たちを取り巻く当時の環境や、

その後、その選手たちが辿った辛い道が書き綴られた、早坂 隆氏著書「幻の甲子園 戦時下の球児たち」という

一冊の著書の存在を知り取り寄せました。

戦時下にあったこの時代に生きた若者や人々の生きた証が詰まっており、大変興味深く、また胸詰まる想いで読ませて戴きました。

戦争については、その時代を経験したことがない今を生きる私たちにとっては現実のことと思えない悲惨で無残な・・・

出来事と言葉に表すのも躊躇してしまう時代ですが、そんな時代の中で野球が大好きな少年たちが

甲子園出場を夢に一生懸命野球に向う姿は今と変わらずに在り、今と変わらず多くの方々が

高校球児を応援し温かく見守られておられたことが少しの救いでありました。

しかし、今では考えられないような過酷な中での「大好きな野球」だったことは言うまでもない時代で、

唯一の楽しみだった野球さえ取り上げてしまった戦争を憎むしかないとも言える内容でもありました。


この当時、戦争膠着(こうちゃく)状態の中、全国の鉄道では兵士や物資を輸送することが先決で、

学生生徒の居住地足止めという規定で、球児たちは二府県以上にまたがる移動を伴う試合を禁止されており、

当然、甲子園大会も中止の途に至り、昭和16年春の選抜は実施されたものの、

その夏の第27回大会は中止、社会人野球の都市対抗も同じ運命で中止、翌年の選抜も中止という状況だった。

昭和17年の夏、全国中等学校優勝野球大会の主催である朝日新聞社ではなく、

文部省と、前年16年末に発足された大日本学徒体育振興会野球委員主催による

第1回全国中等学校体育大会野球大会が行われることとなった。

最初で最後の1回限りとなったこの大会が「幻の甲子園」である。

幻の甲子園開催にあたり、この大会だけに作られた時代を想わせる厳しい規定の中での野球をする姿があり、

それでも球児たちは夢の甲子園の舞台で飛躍し、多くの人々は歓喜に沸いた様子が書かれてありました。

当時は現在とは違い、夏の甲子園出場代表校は各県1校ではなく、

今でいう秋春の大会と同じ要領で、各都道府県で行われる1次予選の優勝チームが

分けられた地区大会へ進出し優勝チームが甲子園へ出場できるという方法が取られていたそうです。

例年の大会では23校の代表による大会でしたが、幻の甲子園では地域割りの変更により、

2つの地区に分けられていた東北地区が1つの地区となったり、福島県は4校の予選出場、

東京府(当時の名称)は南関東地区に編入、信越地区は二分化、

東海地区の三重が近畿の予選へ入ったり、この大会へ出場した近畿地区の兵庫県滝川中学が

予選地区編成割りの変更で東中国地区の代表として出場しており、

沖縄は全島で野球部が解散となっていたため南九州地区での参加はゼロであったりと、

予選地区割りだけをみても大きく例年とは違うことに、時代により廃部に追い込まれ、

野球ができなくなった球児たちが多く居たことが伺えます。


また、以前読んだKANO 1931海の向こうの甲子園でも紹介したように、

当時日本の統治下であった朝鮮や台湾、満州などの外地からの参加もあった時代ですが、

朝鮮に至っては野球禁止案発令中で予選すら行われなかったそうで、唯一、台湾の台北工業が出場しています。

予選地区割りだけではなく、大会開催における色々な規定なども、その当時の例年でも

今を思えば考えられない厳しいものであったと思いますが、更に考えられないような

信じられない規定、幻の甲子園だけの新ルールの中での大会が行われたのです。

それはそれは考えられないもので、まず選手という呼び名からして違う。

選手たちは「選士」と呼ばれ、突撃精神に反することはいけないものとされ、

打者は投手の投球を避けてはいけない・・・

今ではわざと避けないと死球とはならず逆に注意されますよね・・・

先発メンバー同士の守備位置の変更は認めるが、ベンチ控え選手との交代は

立つことができない状態を例外とし、それ以外は認めない・・・

最後まで死力を尽くして戦えという意味をも持っていたそうで、

諦めない気持ちとは全く異なった意味合いを持つ無謀な規定?・・・

容姿にも厳しく、ユニホームの校名もローマ字は禁止、漢字表記にされ

当時はまだ定着していなかった背番号も勿論なく、対戦校もクジ運などは存在しない・・・

抽選ではなく大会本部が勝手に決める。

大会の回数継承は先に書いたように無く、優勝旗の使用も却下・・・

この大会へ近畿代表として出場をした第15回大会優勝校の和歌山県海草中学には

別物の大会であるため優勝旗自体を持って来る必要はないとの通達までがあったという「幻の甲子園」です。

現代ではこんなことを言おうものなら球界から追放されるのではないか?と思うような

やはり・・・時代がそうせざるおえなかった中で、幻であれ憧れの甲子園でプレイをすること、

野球ができることを喜んだ選手たちを想うと切なすぎますね。


球児たちがここまで経てきた道のりは、決して平坦なものではなかった。


予選参加校のだけを見れば、甲子園に出場することは、現在の球児たちの方が大変かもしれない。

しかし、戦時中に甲子園を目指して野球をすることは、今とは異なる類いの苦労が絶えなかった。


と著書の早坂氏が仰るように、戦時下で野球をすること自体に反発があった時代、

日々の練習にも信じられないその様子が綴られていました。


全国中等学校体育大会野球大会 『幻の甲子園』 出場16校

北海道代表 北海中学(北海道)
東北代表  仙台一中(宮城県)
北関東代表 水戸商業(茨城県)
南関東代表 京王商業(東京府)当時の名称
北陸代表  敦賀商業(福井県)
中部代表  松本商業(長野県)
東海代表  一宮中学(愛知県)
京滋代表  平安中学(京都府)
大阪代表  市岡中学(大阪府)
近畿代表  海草中学(和歌山県)
東中国代表 滝川中学(兵庫県)
西中国代表 広島商業(広島県)
四国代表  徳島商業(徳島県)
北九州代表 福岡工業(福岡県)
南九州代表 大分商業(大分県)
台湾代表  台北工業

全国中等学校体育大会野球大会は、文部省、大日本学徒体育振興会野球委員主催であったため、

大日本学徒体育振興大会の中の一競技であり、柔道、剣道、相撲、陸上、蹴球(サッカー)や、

戦場運動と称された「手榴弾投擲(とうてき)突撃」「土嚢(どのう)運搬縦走」「行軍競走」といった

それを体育振興、競技?と位置づけるのか・・・?というような9つの競技参加者による合同開会式が

昭和17年8月22日 奈良県橿原神宮外苑運動場で行われ、

翌23日には中等野球だけの開会式が甲子園球場で行われたそうです。

開会式の様子が一枚の写真に残されていますが、スタンドは大勢の観客で埋め尽くされていて、

選手たちだけではなく、多くの人々が大会復活、野球を楽しみにされておられたことを知ることができます。



この著書の驚くべきところは、上記に書いた時代背景や何とも苦しい内容がメインではなく、

当時の選手たちへの取材や、残されたスコアーや資料からでしょうか・・・

幻の甲子園 開幕戦から決勝戦までの全15試合の詳細な内容や、

選手たちの生い立ちや、大会後、選手たちの身に起こったことなどが丁寧に残されていることです。



よくここまで細かく残されたとビックリする内容で、試合に関しては戦時下の中であった野球を忘れるくらい

頭の中にランナーを置いたりして、思わずいつも球場で観戦する時のように

野球ノートへスコアーを書きながら読み進めてしまうくらいドキドキワクワクする試合ばかりで、

録画していてもなかなか全部の試合を観るのは大変ですが、一冊の中に一大会が凝縮されていて

スタンドで全試合を観たような気持ちになる貴重な著書との出会いでした。


開幕戦は、南関東代表 京王商業と、四国代表 徳島商業の一戦。

京王商業エース宮崎投手と徳島商業エース加藤投手との投手戦となり、

0-0 の7回、裏の徳島商業は4番笹川選手、6番角田選手への四球から

Wスチールで先制のチャンスを広げ、7番梅本選手のスクイズが失敗(捕手小フライ)になり

3塁ランナー笹川選手が帰塁できずWプレイとなり、更に投手戦の末0-0で延長戦へ。

10回表 京王商業5番宮崎投手がレフト線2ベースヒットを放つと、

6番秋元選手が先制のタイムリーを放ち均衡を破ります。

更に7、8番の連続ヒットで1死満塁とし、追加点を狙い京王商業もスクイズを決行する場面や、

その裏、高松商業の攻撃に京王商業の失策絡みで1死満塁、その後の結末など

その展開がおもしろすぎて、時代の背景があることを忘れるくらいでした。

その他、1回戦の対戦組み合わせは、

北関東代表 水戸商業ー東中国代表 滝川中学東

北陸代表 敦賀商業ー北九州代表 福岡工業

台湾代表  台北工業ー近畿代表  海草中学

北海道代表 北海中学ー西中国代表 広島商業

南九州代表 大分商業ー東北代表  仙台一中

東海代表  一宮中学ー中部代表  松本商業

大阪代表  市岡中学ー京滋代表  平安中学

2回戦の組み合わせを書いてしまうと勝者が分かってしまうので省略・・・

決勝も手に汗握る展開に・・・どのチームが戦ったのでしょう・・・

と言っても本の目次を見ると分かってしまうのですが。

ぜひ本を読んで幻の甲子園での選手たちの頑張りや「試合」を楽しんでもらいたいなと思います。


「海ゆかば」


海ゆかば

水漬く屍(かばね)

山ゆかば

草生す(くさむす)屍

大君の

辺にこそ死なめ

かえりみはぜし


閉会式で決勝を戦った両チームの選手たちが、スタンドの観客と共に唄った歌だそうです。

「海ゆかば」の歌詞の意味など、覗いてみて下さい。


大会後、優勝校には文部省からのぼりのような優勝旗が贈られたそうです。

先に書いたように、この大会は主催者が異なり、全国中等学校優勝野球大会(現 全国高等学校野球選手権大会)の正史には

記録されていないことから、この大会の優勝校のある県で、その後優勝したチームが県勢初優勝とされ、

大会中に出た偉大な記録も大会史には存在にない記録となっている。

翌年18年には第2回大会が明治神宮球場で開催される予定であったそうですが、

更に戦局が悪化し開催されることなく、その後もこの大会は二度と開かれず

「幻の甲子園」は「最後の甲子園」と記されてある。


時代の流れで道具や技術の進化はあっても、いつの時代にも

野球が好きだという選手たちの気持ちはだけは変わらず今もある。

だだ唯一違うのは・・・

夏が終わり、引退ライフがないことだ。

この時代の選手たちのその後の道は戦場・・・

時代の力によって、自分の意思ではなく、これが最後の野球になるかもしれないと、

そんな気持ちで野球をしていた選手たちが可哀想でならない。

今を生きられていたら、自分たちの時代の野球を懐かしく想いながら

今の野球や球児たちの姿に目を細められることだと思う。


その後の選手たちの身に起こったことなども詳細に残されており、

おわりに・・・では、甲子園球場が大正13年に完成した時に植栽された蔦にも触れられています。

平成12年二十世紀メモリアル事業として全国の高野連加盟校4170校に蔦の種が配布されたそうで、

平成19年に改修工事のために甲子園球場を覆っていたあの蔦は伐採されて今の蔦のない外壁になったのですが、

その時の蔦の種を育てた苗木から集め現在、その蔦が甲子園球場へ里帰りを実現し育っているそうです。

この幻の甲子園へ出場された選手の中には大正13年、甲子園球場が完成した年に生まれた選手も少なくないそうで、

甲子園の蔦と同い年ということになります。

一度は伐採された蔦ですが、再び甲子園へと戻り、


戦前から連なるこの蔦は、横風に時折、身を揺らしながら、新たな緑を萌やし続けている。


これからも、この国に夏が訪れるたび、若葉のような球児たちを迎え入れることであろう。

志半ばで散った命も少なくなかった。


8月15日の終戦の日の正午に行われる黙祷に、


かすみゆく夢の切れ端の足音に、耳を澄ませたい・・・と締めくくられている。


そして、甲子園が再び蔦に覆われる頃、大会は100回目を迎えるはずである。

それは、本当は101回目の夏の声だ・・・とも。


毎年夏の大会期間中に行われる終戦の日、戦争でお亡くなりになられた方々を偲び黙祷を捧げる時には、

ぜひ、戦争で犠牲となった選手たち、そしてこの幻の甲子園で頑張った球児たちのことも

そっと想ってあげてほしいなと思います。

貴重な記録(選手)との出逢いに感謝致します。

昭和十七年の夏 幻の甲子園―戦時下の球児たち



昔を書いた著書などは年号もたくさん並び、球児のみなさんには少し読み辛いかもしれませんが、

本は自分の知らない世界に行くことができるし、出逢ったことのない人にも出逢うことができます。

そして、日々忙しい毎日に、ふと無になれる貴重な時間です。

毎日10分でもいいので、スマホを触っているその10分を使って本を読む習慣を付けると良いですよ。


次は一緒に取り寄せた石丸投手の記憶を辿ってみたいと思います。

「戦火に散った投手 石丸進一 消えた春」


実はこの著書も随分前から手元にある一冊
少し読みましたが、やはりこの時代を読むには気持ちが進まずそのままに。
偉大な記録を持つ 嶋 清一投手の記憶もまた辿ってみたいと思います。

嶋清一 ―戦火に散った伝説の左腕


はるかなる甲子園~もう一つの高校野球物語~ 第一部 熱血甲子園 其の1・2・3より

2016-11-20 | 読書


はるかなる甲子園 第一部 熱血甲子園2010 其の1. 2 . 3より

其の一 興南高校 我喜屋優監督が目指す「選手の育て方」
其の二 興南高校 春夏連覇 間一髪の野球と周到な準備
其の三 2010年決勝 投げ合った二人のエース

高校野球 沖縄の歴史は奥深い・・・。

1958年夏の甲子園

以前読んだ、首里高校が初めて甲子園へ立った時の切ない時代を書いた

甲子園の鼓動 ~ 球児たちの涙に染みた土 ~のこともこの著書の中で触れられているが、

長い長い時を越えて、2010年 第92回大会 沖縄に深紅の大優勝旗が初めて渡った夏が書かれている。

春夏連覇を果たした沖縄興南高校の選手たちは、あの夏どんな想いで沖縄へと帰ったのだろう・・・。

1968年 第50回大会へ出場をした時の主将 我喜屋勝選手が42年の時を越えて

興南の監督として甲子園へ立ち、大優勝旗を掲げる教え子をどんな想いを重ねて見つめていたのだろう・・・。


我喜屋監督さんの野球道は意外なところからスタートをしている。

小さな頃から野球少年だったのかと思っていたが、中学では陸上部で名を馳せた選手で

その活躍があり興南高校へ入学したという経歴にまず驚く。

入学後、1人で棒を持って走っているよりも、大きな目標に向かった方がいいかな・・・という発想で野球を始められたという。

その時の逆転の発想がなければ、あの瞬間、教え子たちが大優勝旗を手にする姿を甲子園で監督として

見ることはなかったんだと思うと、感慨深いものがある。

興南を卒業後、静岡の大昭和製紙、北海道の大昭和製紙白老での野球道を経て、

2007年 興南の監督さんとして母校へ戻られた。

監督就任から僅か3ヶ月で24年ぶりに甲子園へと導かれた裏には、北海道でのご経験も大きく

逆転の発想、逆境からの気付き、創意工夫が大きく影響していることが分かる。

その我喜屋監督さんが持たれておられる逆転の発想、逆境を味方に・・・という考えの根っこが、

あの大偉業を達成した興南の基盤となっていることが読み取れた。


我喜屋監督さんの信念にある「小言が大事を成す」

小さいところに気付く子は大きな仕事ができる・・・ということ。

普段は目立つ選手でも、小さいことに気付かない選手は大きなところで、大きな試合で必ず大きな失敗をする。

逆を言うと、小さなことに気付く選手は大きなところで、大きな試合で成功する・・・ということだろう。

ご就任になられてカルチャーショックを受けたという選手たちの生活態度。

椅子は片手で引かない、お皿の片付けには間に指を入れて運ぶといった

日常生活をする上で、チーム内にはたくさんの約束事があるそうだ。

例えばお皿の間に指を入れて運ぶという約束には、

全員がきれいに食べるということや、運ぶ時の音も軽減される。

お皿をきれいにすることで、洗う水の節約にも繋がる。

こういう細かい約束事の中には意味があり、その意味を理解し行うことで次々と「気付き」が生まれ、

野球をする上でも大切な、気配り、心配り、思いやりの心が育つ。


野球より前に人として身につけなければいけないことから一つひとつ選手たちの生活から整えて行かれる中で、

その一つに、自分たちを応援してもらえるような環境作りを作るためにも、

出来ることから始めようと行われたゴミ拾い、朝の散歩の後の「気付き」を言葉にする1分間スピーチ。

今も受け継がれて興南の選手たちは行っている。

ゴミ拾いができるようになればバントもできるようになってくると我喜屋監督さんは言われる。

その根拠は・・・バントが出来れば、人の有り難さが分かるようになり、

自分が出来ることで、後の人が楽になる・・・

自分がバントを決めることで、後ろのバッターはホームに近づける。

こういう気持ち、考えで多くの高校球児たちは「バント」をしているだろうか・・・。

1分間スピーチにも意味があり、日々の中での「気付き」が野球へ繋がる「気付き」となっていく。


基本というのは次を支えてくれるのが基本で、基本の在り方、精神力の使い方だと、

我喜屋監督さんの教えは野球にも繋がっているが、その先の選手たちの未来で

人として・・・を大事に想い、様々な事へ意識を持ち行動出来るようにと願う気持ちが込められているのだと思う。

なかなか家庭教育の中でも伝えきれない大切なことを、

我喜屋監督さんから教わることができている選手たちは、幸せな時を過ごせていますよね。


そういう教えが今も受け継がれて選手たちが行うことで、興南の選手たちを多くの人たちが応援してくれるようになったという。

ゴミ拾いをしたからといって野球が強くなるものではないのだろうけど、

その意味を理解し行うことで、感謝の気持ちが芽生えたり、人とのコミュニケーションを図れるようになったり、

人の心を惹きつけ応援してもらえるようになることで、選手たちのやる気、頑張りへと繋がり

それが野球へ繋がることでチームは強くなっていく。

誰かが自分たちを応援してくれているということは、選手たちの大きな力へと変わるのだろう。

興南の選手たちは、それを自分たちの手で行い得て行き、あの優勝旗を手にできたのだろうと感じる。

2010年の夏、我喜屋監督さんの教えが繋がった瞬間、

選手たちの姿が逞しく見えただろうし、本当嬉しかったことだろうと思う。

されどゴミ拾い・・・。

誰かのために何かをしてみようという気持ちが選手たちの心を強くし、

気付くことで考えや視野広がり心を豊かにする。

小さな気付きが大きな心を育てる・・・素晴らしい教えだ。

2007年の主将 宮里主将は言う。

ちょうど監督が就任されたのが僕の2年生の時、確かにだらしない部分があり、

野球のことより、まず生活をきちんとしなければ何も始まらないということで、

そういった部分から意識を徹底的に変えて行った。

散歩の後の1分間スピーチも、とにかく朝のニュースや新聞などからも話すテーマを見つけ、

社会で何が起こっているのか、それまで新聞なども目を通すことはあまりなく理解もしていなかった。

スピーチがきっかけで新聞にも目を通すようになり、野球ももちろん大切ですが、

様々な面に意識をもって学んでいくことの大切さを凄く感じた。

そういう習慣が今とても自分にとって大きなものになっている。

自分に対する生き方の指針みたいなものがはっきりあるように思う。

そういったものを与えてもらったことに感謝していると。


野球より前に人として・・・ゴミ拾いもスピーチも、椅子の運び方も、

そこからの気付き、意識の持ち方が野球へと繋がり、

そして社会へと旅立った時の根っこへとなり繋がっている。

我喜屋監督さんの教えは、子供たちが社会へ立った時に人として・・・を大事にできる人になってもらいたいと、

そこを1番大切に目標とされご指導されておられるのだと感じる。

読みながら、自分は息子たちをこういう導き方ができただろうか?と振り返りながら、

子育ても終わりに近付きつつある私であるが、もうすぐ社会へと旅立つ息子たちが

このように想う生き方ができるように、あと少しの子育ての中で、

このような導き方をしながら大切なことを伝えていこうと思う。


我喜屋監督さんの目指す選手の育て方・・・育ち方は、

その後の興南の野球で大きく花を咲かせ2010年 春夏連覇へと繋がって行く。

其の二 興南高校 春夏連覇 間一髪の野球と周到な準備では、

あの夏の中に居る興南の選手たちが、「相手の気持ちで常に考え人のために尽くす」という

監督さんの教えを野球に変えて行く様があり、気付きから生まれるプレイに興味深いものがあった。


其の三 2010年決勝 投げ合った二人のエースでは、

優勝投手 島袋投手の創意工夫から得た強さを知ることとができる。

また、2010年選抜甲子園決勝で投げ合った東海大相模のエース 一二三投手の苦悩の日々と門馬監督さん、

また、東海大相模と準決勝で対戦し投げ合った成田高校のエース中川投手と尾島監督さん

選手と監督さんとの絆と想い・・・

誰もが辿り着ける場所ではない甲子園へ立つ選手たちは、一様に華やかに見えるが、

様々なものを乗り越えてこそのあの場所だったことを知り、胸が熱くなった。


2010年 夏

多くの3年生の球児たちが高校野球から引退となるが、この夏のドラマはみんなで作り出したもの。

そのがんばりに自信を持って、誇りを持って次の一歩を踏み出して欲しい。

みんなの思いは私も含め、多くの人の心を捕らえたのだから・・・と締め括られている。

そこには、日々選手たちと向き合っておられる監督さんという大きな存在がある。

監督=父と、選手=息子たちが創り出す野球から、感動を与えてもらっていることに感謝の気持ちが溢れた。


はるかなる甲子園~もう一つの高校野球物語~ まえがき

2016-11-17 | 読書



はるかなる甲子園~もう一つの高校野球物語~を読み終えて・・・まえがき


一気に読んだ。

その時が蘇り、言葉に吸い込まれ久しぶりに集中して無になり没頭できた時間だった。


2016年 日本一に輝いた北海道日本ハムファイターズ 栗山監督さんが、

高校野球熱闘甲子園ナビゲーターとしてご活躍されておられた2010年に発刊された著者。

栗山監督さんの著書は数々あり、読んでみたいと思うものはたくさんある中で、

「2010年」「甲子園」というキーワードにこの一冊を選びました。


自分の中にもこの春や夏、高校球児の姿が深く残っている。

この瞬間があったから、更に高校野球というものの魅力を感じることとなった2010年。

高校野球の記憶、高校野球の素晴らしさが更に奥深いものとなり心に残る一冊に出会えたこと、

この本を書いて下さった栗山監督さんに感謝の気持ちいっぱいです。


第1部では、自分自身も記憶に深い2010年夏の甲子園出場校の監督さんと選手の物語が綴られている。

2010年と言えば、島袋投手を擁し我如古主将率いる沖縄興南高校が

春夏連覇を成し遂げたことは記憶に深く残る甲子園であった。

その興南高校野球部 我喜屋監督さんの言葉は、高校野球や球児だけに留まらず、

それを越え人生に於いて大切なことを教えて戴くことができる。

以前、我喜屋監督さんの著書 ~逆境を生き抜く力~ 沖縄興南高校 我喜屋 優 監督 を読んだことがあり、

その中でも考え深い我喜屋監督さんの言葉に、子育てをする上でヒントとをたくさんもらい

思春期に居た息子たちと前から向き合うことができた。

この著書の中の我喜屋監督さんの言葉にも、私自身がまた勉強になる言葉がたくさん詰まっていて、

選手たちも、今の自分を見つめ直すきっかけとなるだろうと思う言葉が綴られている。


まえがきに、

甲子園とは、選手たちへ与える見えない力がある。

甲子園だけではなく野球をする中で起こる一つひとつを、

偶然と捉えるのか、意味を持つこととして受け止め活かすのか‥‥

正に人生と同じことだろう‥‥とある。

人生に於いても同じことが言えるということだ。

そしてその瞬間がくるまでに、どれだけ最高の準備ができるか。

高校球児にとっての甲子園とは、これからの人生においてメッセージを送ってくれているものという言葉がある。


この言葉からも、高校野球は人間形成の場、人生教育のひとつだということが読み取れる。

野球を通して指導という形で、選手たちに日々グラウンドの中で

メッセージを贈り続けられておられる監督さん方の想いを知ることができ、

高校球児のみなさんには、自分もこんな気持ちで野球に向かってみようと

きっと明日からの野球へ向かう気持ちが今以上に向上するだろうと思う一冊なので

機会があればぜひ読んで欲しいなぁと思います。


この著者に登場される監督さんの野球や生活指導の中に、

「準備」

ということが共通して出てくる。

そう言えば先週末、試合後に報徳学園の指導者の方が、

最高の準備という言葉を用いて選手たちにご指導をされていた姿が重なった。

どれだけ最高の準備をして、その時に挑めるか・・・

その時が成功しても失敗したとしても、そこまでどれだけ最高の準備を自分自身ができたか。

高校野球は人生教育と置き換えると、最も大切な部分ではないかと思う。


高校野球は人間教育の場と言われるが、選手にとってもうひとつの家庭があり、

野球を通して監督さん=もうひとりのお父さん、選手たち=息子たち

勝ち負け以上の大切なものを得ることができる、正に家庭教育の中に居るように思う。

高校野球という家庭の中で、私たちには見えない親子の信頼関係がある
からこそ、

子供たちは
あんなに真っ直ぐに進んでいけるのだろう。

高校野球とは、社会に旅立つ最高の準備ができる、する場所である。

その準備をする場で、多感な年頃の大勢の選手たちと向き合い、

日々、大切なことを伝え続けられている高校野球の監督さんは本当凄い。

野球、子供を心から愛しているからこそできる、興南の春夏連覇に添えられた「偉業」という言葉が似合う。

そして、選手も監督さんも、辛いことがあっても、挫けそうになっても前へ進めるのは、

やはり、高校野球にはその先にある「甲子園」という大きな目標があるからだろう。

改めて甲子園というものが偉大な力を生み出してくれる場所だということを感じる。

その場所を目指す父と息子たち、その場所に辿り着いた父と息子たちの深い絆と愛情、想いを感じる言葉が詰まっていた。


甲子園・・・勝ち負け・・・成功に挫折・・・と、野球の中にたくさんのキーワードがあるが、

今、高校野球の中に居る選手たち、野球道を歩まれた選手の方々、そして監督さん

全てに共通するのは‥‥

やはり 「野球が大好き」だということに尽きると、この著書を読み終えて思った一言です。


第一部 熱血甲子園2010

其の一 興南高校 我喜屋優監督が目指す「選手の育て方」

其の二 興南高校 春夏連覇 間一髪の野球と周到な準備

其の三 2010年決勝 投げ合った二人のエース

其の四 元プロ選手 阿井英二郎監督が追いかける夢

其の五 同級生 早実 和泉実監督 野球脳を鍛える

其の六 本当に大切なものを求めて 山形中央高校 心の野球

其の七 名将去る 福井商 北野尚文監督最後の夏


第二部 それぞれの夏

其の一 怪物伝説 作新学院 江川卓

其の二 悲鳴を上げていた右肘 沖縄水産 大野倫

其の三 甲子園で学んだこと 浜田高校 和田毅

其の四 津軽海峡を越えた大旗 駒大苫小牧

其の五 遥かなる聖地甲子園 日本文理 伊藤直輝vs中京大中京 堂林翔太

其の六 背負えなかったエースナンバー 横浜 松井光介

其の七 栄光と挫折の狭間で 平安高校 川口知哉

其の八 アルプスで誓ったエースの誇り PL学園 前田健太

其の九 「お待たせいたしました」 ウグイス嬢 石塚くみ子

あとがきにかえて 



その時その場所に自分も居たあの日もあり、読み進めるにつれ懐かしいと思う気持ちと、

その裏にも知り得なかった深いものがあったことを6年が過ぎ知ることができた。

監督さ
ん方の深い言葉や、選手たちの想いに感動しながら一気に読み進める中で、

文章が涙で見えなくなる場面も幾度とあった。

一気に読みすぎて、もう一度ゆっくりひとつづつ読み返し、残していきたいなと思う。


変革!もし高校野球のマネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら

2016-10-28 | 読書

 

 

レンタルを返しに行くと、ついまた借りたくなる衝動に駆られる。

これ観ていなかったな・・・と、

もし高校野球のマネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだらを借りてみた。

岩崎氏の著書で小説 もし高校野球のマネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだらの映画版

岩崎夏海氏の著書は以前ブログでご紹介したことがある

「甲子園だけが高校野球ではない」も有名な一冊です。

岩崎夏海氏と言えば、2012年の夏の甲子園へ応援に行った際、

甲子園駅に隣接されるダイエー(現在はイオン)の

広場で毎年夏の甲子園では恒例だった西浦達雄氏のミニコンサートに

「甲子園だけが高校野球ではない2」の発売を記念して岩崎夏海氏がゲストとして

来られていて、夏海というお名前に自分の中では女性だとずっと勘違いしていたので

えっ!?男性だったの~なんて驚いたという懐かしい思い出があります。

その時のブログです。

2012 夏!甲子園 第4目対戦結果 ~最高のホームラン!~

もし高校野球のマネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら・・・

病で入院中の程久保高校野球部のマネージャー宮田夕紀ちゃんの幼馴染

前田敦子さんが演じる川島みなみちゃんが夕紀ちゃんの替りにマネージャーになり、

目標もなく、ただダラダラと野球をしている状況の程久保高校野球部を

ドラッカー氏の「マネジメント」という経営学の一冊に出合い、

イノベーション・・・「変革」を起こし甲子園へ導くというストーリー。


「この野球部を甲子園に連れて行きたい」

そんな想いでマネージャーとしてやってきた みなみちゃんの気持ちとは裏腹に

監督さんでさえ、うちの部員はそういうことを考えて野球はやっていないから・・・

身体作りとか、思い出作りとか・・・ねと。

甲子園???と鼻で笑っていた部員たち、監督さん。

マネージャーとは?とマネジメントについて調べようと立ち寄った本屋さんで

出合ったドラッカー氏の著書「マネジメント」に書かれていた

「マネージャーの資質」の言葉から、今までやってきた野球自体の変革、

監督さん、選手たちの気持ちの「変革」を起こす様は観ていてとてもおもしろい野球が見れた。


「マネージャーの資質」

マネージャーにできなければならないことは、そのほとんどが教わらなくても学ぶことができる。

しかし、学ぶことのできない資質

初めから身につけていなければいけない資質が一つだけある。

才能ではない

真摯さである


真摯さとは・・・真面目でひたむきなようす。

才能ではなく、ひたむきさである。


身近に高校野球を観る私には、野球へのイノベーションもおもしろい!と思いましたが、

ひたむきさ、一所懸命さ、仲間へ向ける気持ち・・・

そんなキーワードで選手がイノベーションしていき、チームがひとつになっていく姿に

歳なのかなぁ~^^; ・・・観終わった時には涙。

物事には、見方やり方を変えるだけで、右にも左にも、上下にもなれることのおもしろさや、

高校野球、仲間ってやっぱりいいなぁ~と、ふたつの感動をもらった作品でした。

そして、マネージャーとは・・・

雑用係りなんかでは決してない。

自分自身の取り組む姿勢行動や気持ち次第で、

人の心を纏めたり、動かすことができる。

チームを創るため、チームの勝利のために無くてはならない、

チームの核となる重要なポジションであることを感じてもらえるような気がします。

女子マネージャーさんだけじゃなく、色々な事情でマネージャーとなった選手たちに

ぜひ観て、何かを感じてもらえたらなぁと思います。


KANO 1931海の向こうの甲子園

2016-10-23 | 読書

知っていましたか・・・

かつて甲子園に台湾代表が出場していたことを・・・



ずっと前から観たかったKANO 1931海の向こうの甲子園を観ました。

第二次世界大戦が終わるまで日本の統治下にあった台湾に、

日本球児、台湾球児が一つのチームで野球に向かう嘉義農林学校野球部 KANOがあった。



ある日突然現れた日本人のスパルタ監督と、一度も勝利したことがないKANOの球児たちが海を越え甲子園へやってくる物語。

素朴に必死に野球に向かう姿に、野球が楽しいってこういうことだなぁと、

練習に疲れて授業中居眠りする姿は現代にもあるある~と思わず微笑んでしまう場面もあり、

かつて松山商業率いていた近藤監督さんの厳しくも球児たちに向ける父親のような温かさや、

選手より熱く甲子園を目指す監督さんの姿に自然と涙溢れる素敵な野球が見れる映画でした。

勝ちたいと思うな 負けられないと思え・・・

この秋、その気持ちの違いが勝敗を分けたかなと思う対戦があった。

KANO球児たちの快進撃の元には、その気持ちが芽生えたからこそだと・・・。

高校球児や、高校野球が大好きな方にはぜひ観て戴きたいなぁと思う作品です。

忘れてはいけないこと、現代の野球に通ずるものも多く感じられる野球を

KANO球児から魅せてもらったようで、温かい気持ちになる野球でした。


野球に感謝~PL学園最強世代 あるキャッチャーの人生を追って~

2016-10-08 | 読書

あれから28年

今の夢・・・

もう一度、ユニホームを着て、自分の脚でグラウンドに立ちたい。

たとえそれが草野球であっても・・・。

1987年 甲子園春夏連覇を成し遂げたPL学園の正捕手

伊藤敬司氏の野球道、生きた証が綴られた一冊。

伊藤氏はPL学園を卒業後、青山学院へ進学し、その後社会人野球JR東海でプレーされた。

プロ野球選手を目指し、社会人3年目が過ぎ叶わない夢へとなった。

伊藤氏の野球人生での経験に、チームが強くなければ野球をしていても充実感、達成感は生まれないと、

何とか強いチームにしたいとJR東海の指導者としてもご活躍になられた。

都市対抗で優勝することを目標に。

その目標も夢半ばで野球から離れ、もう一度野球をと思った矢先

筋萎縮性側索硬化症(ALS)という難病に侵され闘病を続けてこられた。


この著書に出会ったのは一年半ほど前。

6月の末日、伊藤氏もこの著書をヘルパーさんの手助けを戴きながらご覧になられたそうです。

それから3ヶ月後の2015年10月8日

伊藤氏は、もう一度ユニホームを着て自分の足でグラウンドに立つという夢を叶えることなく旅立たれた。

今日は伊藤氏がお亡くなりなられて一年。

ご回復を願っていましたが本当に残念でショックでした。


なぜかは自分でも分からないのですが、

この著書は手元へ届いてから一年半、本棚ではなく自分の枕元へ置いていて、

ふともう一度読みたくなり読み返しました。

伊藤氏が夢叶え自分の足でたった甲子園。

今日は、その夢舞台へ立つために、兵庫球児たちが先日まで熱戦を繰り広げた明石球場へ

秋を終えた村野工業のみんなのその後が見たくて練習試合を観に行って来ました。

いつもは座ることのないバックネットの真ん中から、いつも手にしているカメラも今日は置いて行き、

頑張る選手たちの姿を観ていて思った。

目標、夢に向かって、一所懸命に野球に向き合えることができる日々があることは幸せだな・・・

何より元気に野球ができることに感謝だな・・・

元気に野球ができることを楽しんでいるかな・・・

元気に大好きな野球が観られることに感謝だな・・・

そう思った穏やかな一日だった。





~著書より抜粋~

伊藤 敬司氏

1969年 兵庫県生まれ
立浪和義、片山篤史、野村弘樹、橋本清らが在籍し
「史上最強」と称されたPL学園で正捕手を努め
1987年の甲子園春夏連覇に貢献。
卒業後は、青山学院大学を経て、JR東海に入社。
捕手、コーチとして長く野球部を支えた。

筋萎縮性側索硬化症(ALS)
厚生労働省の指定難病。
国内の患者数は昨年3月末時点で約9200人。
詳しい原因は分かっておらず、有効な治療法は確立されていない。

伊藤氏のご冥福を心よりお祈り致します。


星稜高校野球部 山下智茂総監督さん 横浜高校 渡辺元智前監督さん ~人間力~

2016-06-14 | 読書

デイリースポーツ評論家 星稜高校野球部 山下智茂総監督さんの 『高校野球の未来を考える』 企画第6弾

横浜高校野球部 渡辺元智前監督さんとの対談を拝見しました。

5章に渡る対談の内容を拝見させて戴き、現在自分が置かれている状況に対しての答えが見つかったような気がします。


『努力の上に成功 失敗の上に成長』



この春、ご縁ありあるチームで中学球児たちと出逢いチームのサポートを始めた私です・・・。

しかし、色々なことに理解を深めれず僅かひと月で、私は出逢えた選手たちを置き、

結果的には投げ出したと言われても仕方のない行動をしてしまい

後悔や、気持ちの置き場がない時間を過ごしています。

私は野球の指導者でもないし、野球のこと、指導のことを語るも恥ずかしい・・・

でも、私は野球が大好き!一所懸命直向きに野球をしている選手たちが大好き!

ただそれだけで野球を追いかけています。


山下総監督さんが対談の中で仰っておられた言葉・・・

僕は自分の子供より生徒がかわいかった。

自分は本当にそこまでの気持ちで接することができていたか・・・?と問われると、

はい!とは答えられるまでではないだろう。

しかし、そこまでの気持ちを持って野球や球児たちに接してきたという自信は持っている。

中学球児たちとの関わりの中では、選手が先で野球を続けること思い、

時には、まだ先日まで学童野球をしてきた選手にとって厳しいこともあるかもれない。

しかし私は、中学野球はその先への野球へ進むための貴重な準備期間だと捉えている。

また、学童野球の延長のような中、手取り足取り子供たちに世話を焼くのが当たり前のように思ってされてきた親御さんにとっては

親でもない、しかも女で指導者でもない私の思う野球や言うことに理解を得れず反発が起きる。

今回も、そういうことに悩みに悩んで、貫くという選択ではなく自らチームを離れてしまい、

今はただ置いてきた子供たちへ後悔と寂しさしかない日々です。

これで本当に良かったのか・・・

後悔するくらいなら貫けよ・・・と。


そんな折り、山下総監督さんと渡辺元監督さんとの対談を拝見し、

失礼ながら自分が思う球児への気持ち、親御さんへ対する気持ちも共感する部分ばかりで、

正解か間違いなのかは、人それぞれの考え方があるので言えないですが

少なくとも自分にとっては、お二人の言葉一つひとつに胸打たれるものがあり、前に進む勇気を戴けました。


『野球は人間が成長する旅』 だという言葉に、自分のこの経験が自分を成長させる為の経験だったのだろうと思えるようになりました。

またどこかで、大好きな野球、大好きな選手と出逢えることを夢見て、進んで行こう!っていう勇気を戴きました。

先日、渡辺元監督さんの著書 『人生の勝利者たれ』 をご紹介させて戴きましたが、

やはり、渡辺監督さんの言葉は深く重いです。

そして、山下総監督さんの言葉にも勇気を戴けました。

お二人の一語一句に 『人間力』 という言葉が浮かびました。

この対談を拝見し、指導、子育てに悩む方々、野球をしている選手だけではなく

スポーツや勉強、今をがんばっている子供たち、大人の方々へも読んで戴きたいなぁと思います。

選手、親御さん、何かを目指しがんばる人たちへ、ハッ!とさせられる大事なメッセージがたくさん詰まっています。

何かがきっと見えるように思います。

ぜひご覧戴けたらと思います。


星稜高校野球部 山下智茂総監督さん 『高校野球の未来を考える』

【1】 松井秀喜も自分のバットを磨いた

【2】愛情と体罰の境界線

【3】自宅に生徒…女房の愛情もあった

【4】文武両道…松坂は賢いからあそこまで行った

【5】98年春夏連覇の真実…星稜戦が大きかった


横浜高校野球部 渡辺元智 元監督 著 ~人生の勝利者たれ ~

2016-06-08 | 読書

2015年の夏を最後に、半世紀に渡り横浜高校野球部での指導からご勇退された

渡辺 元智 元監督さんの著書『人生の勝利者たれ』を拝読させて戴きました。


渡辺監督さんがご勇退後に書かれた著書で、今年3月に創刊された一冊です。

渡辺監督さんの著書は、「もっと自分を好きになれ」「高校野球ってなんだろう」「わが人生」(コラム)など

読書カテゴリーでもご紹介していますが好んで読ませて戴いています。

迷ったり悩んだりしている時に、不思議と渡辺監督さんの言葉に出会います。

渡辺監督さんの言葉は、その時々、迷ったり悩んだりしていることへ一歩立ち止まって考えれたり、

子育てにも於いても、ふと気付かせて戴くヒントであったり、私にとって心に残る重き言葉がたくさん詰まっています。

この『人生の勝利者たれ』も、読むべき時に出会えた一冊となりました。


あとがきにも記されておられる 「言葉の魅力」 「言葉の魔力」

言葉とは本当に不思議な道具で、何気ない一言が人を傷つけてしまったり、

言葉を発する者、受ける者、その時の心の持ちようで感じ方や捉え方が違った形となって、

時にはその一言が人を惹きつけたり、永遠に離してしまったり・・・

『言葉』って、怖くも、優しくもあり、人と人との繋がりには無くてはならないものですが

発するタイミングや、伝え方、自分の心の持ちようで右にも左にも、上にも下にもなってしまう不思議な道具です。


『人生の勝利者たれ』 では、渡辺監督さんの野球道で出逢われた恩師であったり、選手であったり、

関わってこられた方々からの『言葉』を、渡辺監督さんの生き方や、野球指導の軸とし

数々の選手や野球、人と関わって来られた体験や感じたことなどが書き記されていました。

それぞれの言葉に、球児へ・・・全ての人へ・・・と、その言葉の意味や、渡辺監督さんからのメッセージが入っており、

一言ひとことが今 自分が置かれた状況への解決というか、前へ進むヒントを戴いたように思います。

もし・・・今、人との付き合いに疲れたり、野球に対して迷ったりしている選手がいたなら

渡辺監督さんの言葉を、一歩立ち止まって心に吸収して戴けたらなと思います。

きっと、今までと違う視点で物事や人が見れたり、前へ進む勇気や元気がもらえると思います。


2015年 夏 渡辺監督さんの横浜高校野球部での最後のお姿

『言葉』の他にも、横浜高校野球部や神奈川の高校野球の歴史にも触れることができ、

特に、誰もが知る松阪大輔投手を擁した1997年からの44連勝記録を表にして見ると、

偉業という言葉では表せない歴史と重みと、選手たちの凄さを改めて感じることもできました。


奇跡の44連勝と言われた連勝記録

80年代、90年代、2000年代・・・と、時代の移り変わりで、野球そのものが変わりつつある、変わってきたと、

今年に入り徳島池田高校 蔦 文也 元監督さんの映画『蔦監督 高校野球を変えた男の真実』を観る旅

徳島県プチ旅~池田高校 蔦監督さんの野球道を尋ねて~ で、感想を書きましたが、

蔦監督さんも渡辺監督さんも、そして私の尊敬する日大三高 小倉監督さんも同じように

時代の変化、人、選手の気質の変化に、信念は持ちつつ、変化に自分自身も対応する(変わる)ことが

人や選手と上手く共存していける方法だと仰います。


最近、私は人との関わりの中での言葉が生んでしまった壁に悩む日々なのですが、

渡辺監督さんの言葉に、まず自分が変わってみよう、考え方の方向を転換してみようと思えました。

そして、考え方や捉え方は人それぞれ違って当たり前、、まず人の言葉を曲げず素直な気持ちで聞いてみること・・・

そうすると、こんな考え方もあるんだ、じゃぁこうしてみようと見えなかったものが見えてくるかもしれない・・・

そんなふうに思うことができ気持ちが少し楽になりました。

実は、この渡辺監督さんの本は随分前に購入していたのですが、春からバタバタ続きで

読もう読もうと思いながらも、そっと置いたままでした。

今朝、ふと読もうと思って熟読させて戴きました。

もっと早く渡辺監督さんの言葉と出会えていたなら、その状況が打開できていたかもしれないなと思いました。

でも、今のタイミングだったからこそ見えたものがあったのかも・・・と、そんなふうにも思います。

・・・が、これから本は購入したらすぐ読もう!と決意した私でありました

『人生の勝利者たれ』

自分の行動、言動で如何ようにも変わる人生、『言葉』の重み、

勉強になった一冊、渡辺監督さんの言葉との出会いでありました。

人生の勝利者たれ人生の勝利者たれ
横浜高校野球部 渡辺 元智 元監督
  
 

 


Hyogo Nine 2016年早春号NO,3♪

2016-03-04 | 読書


兵庫の球児オンリーの雑誌 Hyogo Nineをご存知ですか~?

2015早春号が創刊してから毎刊取り寄せて愛読しています

3刊目 2016早春号NO,3「春が来た。球場で会おう」が届きました  

今回も注目選手や選抜間近ということもあって内容満載♫

「ホップステップの秋 ジャンプで夏へ」では

神港学園 三宅投手、もうすぐ選抜甲子園 長田 園田投手、注目の育英 山本投手、

秋ベスト4 加古川東 大村投手と正中投手の2人、

六甲アイランド 切り込み隊長 岸本選手と、注目している一年生投手 薗投手、

三田松聖 女房役 稲岡捕手、東洋大姫路 森田選手の9人のインタビューと

それぞれの選手へ向けるチーム監督さんの言葉も。


毎回楽しみな監督さんインタビュー「カントク タナゴゴロ」 

今回は飾磨工業 野監督さんの内容濃いインタビュー記事が掲載されています。


そして、「報徳学園 多鹿丈一郎に聞く」

このページは見入ってしまった。

昨秋季大会の対戦や、近畿大会準々決勝 滋賀学園との延長14回の接戦など

キーポイントとなった場面について、多鹿主将の目線での振り返りがとても興味深い内容でした。



毎刊、直近の大会の地区ブロック大会から県大会、近畿大会までの全試合の結果を網羅していて

県大会、近畿大会スコアでは全試合のニングスコアが掲載されているのも、この本の好きなところです。

秋号は発刊されなかったので、昨夏のスコアや夏を終えた3年生の記事がないのが残念なところ・・・。


今回のスコア一覧ページのトップには報徳学園エース ヌッシーこと主島投手が

野球の母心・・・やっぱりお知り合いの選手が掲載されると嬉しいものです。

想いを最後の夏へ向けてガンバレ!ヌッシー!

明石商業 吉高投手の甲子園マウンドも本当楽しみです。



「チーム背景」には、昨秋季県大会で創部後初勝利を上げた浜坂高校が取り上げられていました。

春夏通して甲子園初出場の明石商業、長田みんながドド~ンと掲載されています。


                    左ページ折目2段目にコニタ~ン                                   

ここも野球の母心・・・明石商業 コニタンこと小西選手 一番に見つけました。

ど真ん中のいい場所で、いい笑顔です

コニタン!明石商業のみんな~甲子園ガンバレ!


        右 小無田マネージャーさん          

いつも長田野球部の様子を届けてくれる小無田マネージャーさんの姿も♪

長田 園田投手は、マウンドの表情からは想像できない笑顔が印象的でした

長田のみんな!甲子園楽しみにしてるよ~ガンバレ
 

みんなの晴れ姿が観れるまで、甲子園まであと16日!楽しみです

そんなこんな~2016早春号も期待以上の内容満載でした

次号も楽しみです♪

Hyogo Nine ぜひ読んでみて下さいね♪

Hyogo Nineは書店では販売されてなくて、現在amazonのネット販売からのみ購入できます。

 HyogoNine ー兵庫の野球と人マガジン No.1 2015早春号

 HyogoNine ー兵庫の野球と人マガジン No.2 2015初夏号

 HyogoNine ー兵庫の野球と人マガジン No.3 2016早春号