フェンネル氏の奇妙な生活

気付いた世界の中の小さな出来事と水彩画と時たま油絵と思いついたことを爺さんが一人語りいたします。

吉田東洋の墓

2011-01-10 14:18:54 | Weblog
昨日のことだけど、成人式で若者が着飾って待ちにあふれてたとき「私は慣らされる人間ではなく、創造する人間になりたい」と青春のバイブル高野悦子の「二十歳の原点」を口ずさんで独り吉田東洋の墓へ自転車を漕いで行って来た。自分の中でまだ、「龍馬伝」が完結してないからかもしれない。(福山みたいに切る髪がないからなぁ。)東洋は土佐勤王党の武市瑞山に暗殺された土佐の執政ですぐれた政治家だったとのこと。開国論を唱えて攘夷の勤王等と見解が違っていたばかりに襲われてのだがどちらも国を思う志に変わりはない。その東洋の墓が市内の中心部、鏡川の対岸に位置する筆山にあるとういので自転車で山を登った。自分で自転車を直した時、前輪のチェンジを調整するのを忘れていたらしく坂にかかったときギアチェンジをしようとしたら出来なかった。重いギアのままこの坂を上るのかと覚悟してペダルを踏んだけど腰が痛くなって自転車を降りてつきながら頂上まで登った。下の看板に簡単な地図があるだけで標識一つない。「龍馬伝」のおかげで観光客も増えたと言うのに不親切きわまりない。それでなくともこの山は全体が墓地で出来ているんだ。さてどこだろう?と1時間以上はさがしただろうか、途中で「坂本龍馬のおじいさんの墓」という標識はあったが、東洋のそれは1個だにない。



やはり勝者の歴史ということをあらためて感じた。もうあきらめかけたとき、なんと不思議なことに吉田東洋の墓所という石柱の前に進んでいた。


「やったー」と思った。これまで、墓を巡り藪を越え、またまたインディアナジョーンズかと思うようなことをしてきたんだもの「達成感」を覚えた。

東洋の墓を見ると四月八日没とあって、その隣の奥さんの墓には、四月二拾一日没とあった。自害したんだなと思ったら不覚にも涙がこぼれた。昔の武士の妻の覚悟が憐れでならなかった。「武市さん、東洋を斬らなければならなかったのか」と問うてみる。風が少し上の納骨堂の開いている扉に当たって咆哮のような音をだした。体がぶるっと震えて身構えた。「己を守るために倒す」か。そうなんだろうなと自分のレベルでなんとなく納得して墓参りを済ませ山を下りた。登りのぼりできたもんだから山の頂上からは自転車を漕がずにピュっと快適に下りてきた。ずっと、奥さんの自害のことが頭を離れなかった。こんなこと、ドラマでも教科書でも教えてくれなかったからなはじめて知ってショックだったんだ。厚手のコットンシャツの上にナパピリのダウンを羽織っただけなのに汗をかいていた。その晩、妙に興奮して眠れなかった。まるで、東洋が話しに来たような気がして。
コメント
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