フェンネル氏の奇妙な生活

気付いた世界の中の小さな出来事と水彩画と時たま油絵と思いついたことを爺さんが一人語りいたします。

梅は咲いたか梅太郎

2011-01-19 19:59:21 | Weblog
お城の目の段の梅が昨日一輪咲いたというので今日はどのくらいかと確認してきた。4~5輪の花が咲いていた。もうすぐ梅の香がこの辺りに漂い春の気配を感じさせてくれると思うと待ち遠しい。


ところで才谷梅太郎、龍馬の変名だがやはりおかしい。明治になってから16年たってやっと世間にお披露目されている。なんだか明治政府にとって龍馬はタブーのような扱いだった。「明治維新偉人伝」にも当然のように記載されていない。真木和泉、高杉晋作等は記載されてると言うのにこれはどうしたことだろう。歴史は、勝者の歴史という。薩長は、勝者、幕府は、敗者。倒幕が勝者。大政奉還が敗者。となれば、龍馬は敗者となるのか。龍馬の暗殺から龍馬のことは口外無用の緘口令が敷かれているようだ。誰も薩長をおそれて龍馬のことを語ったものはいない。睦宗光だけが、「龍馬が生きていたら」ということを薩長に対し公言しているが、後藤にしろ容堂にしろ勝海舟にしろ口をつぐんでいるんだ。それが、薩長政治にいよいよ頭に来た自由民権論者「坂口紫蘭」の「汗血千里駒」ではじめて龍馬は世に出たんだ。反薩長の旗頭として。後になって今井信郎という幕臣が「龍馬を斬ったのは、自分他幕府見回り組みである」と名乗り出て、とりあえずこれが通説となっているが、谷干城も田中光顕も言下に否定している。敗者であるものが敗者側に立つ龍馬を暗殺するだろうか。龍馬を暗殺することによって勝者となりうるものの仕業と考えるのが筋だろう。実行犯が例え幕臣であったとしても黒幕は、違う。谷も、田中も知っていたんだ真犯人を。多分。しかし、新政府の強さは、生半可でなく口にすると多分命が危ないだけでなく災いが累代に及ぶと考えたのだろう。墓場まで口をつぐんだまま逝ってしまった。だから、今なお龍馬の暗殺は謎なのであり、土佐に墓がないというのも謎なのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする