ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

雅子妃 この1年の事件簿

2011-12-09 08:13:49 | 皇室報道

 「ご体調の波がおありになりながらも」

「ご病気に苦しまれながらも」

「できるだけの事をしたいと誠意を持って懸命に頑張って」

のフレーズを念頭に置き、去年の雅子妃の誕生日から1年の間に彼女が

起こした問題の数々を列挙してみたいと思います。

 2010年12月7日・・・内親王の社会科見学に同行。

                  当日朝になって出席か否か決まらず皇宮警察が混乱

                  雅子妃と内親王は別の車でお昼に現場へ帰りも別。

 2010年12月9日・・・誕生日。参内のため、内親王に学校を休ませる。

 2011年1月・・・小山女官&木幡女官が辞職。

 2011年1月31日・・・ウイリアム王子結婚式に皇太子夫妻が出席へ

 2011年2月23日・・・皇太子の誕生日行事を欠席。

                  小和田家を含んでの祝宴は出席

 この頃は愛子内親王はまだ1時間目から出席せず。「かまぼこ工場」見学の

  騒ぎを東宮大夫が否定。

  「付添いは愛子内親王が望んだこと」と言い訳。

 イギリスは招待状をどこに送っていいかわからず両陛下へ。東宮職は

  「東宮家へ送りなおし」を依頼。夫妻は出席に意欲。しかし、雅子妃は公式行事

  に出席せず内々に静養を目的に行くのではないかといわれる。

 

 3月16日・・・仕方なくイギリス行きを断念。

 4月11日・・・午前11時ー午後7時まで東宮御所で「お楽しみ会」

            学習院の子供達を招いてのパーティの合間に黙祷。

 5月4日・・・宮城訪問。決定したのは2日前。

          この頃「愛子内親王の付添いが中心の為、平日は被災地にいかない」

          事が問題に。

 5月7日・・・三郷訪問。

            「助けられなかった人のことは心に傷が残るようで大変ですね」

           と発言。

           また「陸に上がった河童の気分」猟師の発言に爆笑。

 6月13日・・・デンマーク・フレデリック皇太子が東宮御所訪問。雅子妃出ず。

 6月14日・・・フレデリック皇太子、被災地訪問。

            雅子妃は愛子内親王の「芸術鑑賞会」に同伴。本来1-3年までしか

            付き添いが認められないのに「特別待遇」

            帰りは「思いつき」で電車で帰宅。マスコミを集めて撮影させたのは

            いいが、JRから苦情。

 6月14日・・・皇太子、武蔵野陵・武蔵野東陵参拝に同行せず。

             夕方5時過ぎに一家で参内し乗馬を楽しむが、両陛下には

             来た事を知らせずに会わずに帰る。

 8月13日ー9月3日・・・那須ご用邸滞在。

                 ・ 二期倶楽部貸切

                 ・ 遊覧船を貸切で花火鑑賞

                 ・ 民間のプールを貸切

                 ・ 連日23時まで遊ぶ

                 ・ ご用邸にきた秋篠宮殿下と眞子様には会わず。

 9月・・・学習院初等科貴賓室占拠。毎日9時間滞在し、内親王と昼食をとる。

 9月14-17一・・・愛子内親王・山中湖校外学習に同行。

                 ・ 児童が訪問する場所全てについていき、規制線を張る

                 ・ マウント富士インペリアルスイート貸切で特別料理。

                 ・ 総額3000万かかる。

 10月・・・愛子内親王の運動会の席取りに侍従を並ばせる。

          双眼鏡で父兄を監視。父兄は見回りに刈りだされる。

 10月20日・・・皇后誕生日。参内するも祝宴は欠席。身内の食事会も途中退席。

 10月23日・・・眞子内親王成年の儀の挨拶に出ず。無視。

 11月1日ー5日・・・愛子内親王を東大病院貴賓質に入院させる。

                1フロアを貸切、一度も東宮御所に帰らず。

                精養軒から出前をとって食べる日々。

 11月3日・・・悠仁親王着袴の儀を無視。そもそも葉山に静養する予定だった

            事が発覚。

 11月10日・・・皇太子が東大病院訪問。「風邪」の為同行せず。

 11月14日・・・愛子内親王に社会科見学を欠席させる。

 11月15日ー18日・・・ブータン国王夫妻来日。

                 ・ 歓迎行事に出席せず。

 11月18日・・・ブータン国王の見送りに出ず、学習院への付添い再開。

             夜、皇太子が東大病院へいくも同行せず。

 11月30日・・・秋篠宮殿下誕生日の食事会を愛子内親王と欠席。

 12月1日・・・愛子内親王の誕生日。身内だけですごす。

 

時系列でみると大震災以後変な行動が目立つのですが、イギリス行きが

なくなった事、スキー静養がダメになったことが「心の傷」になった模様。

(皇太子夫妻イギリス訪問はネット上では大問題で「雅子妃がイギリスへ行ったら

日本の皇室の名前を汚す」とまで言われて抗議のチラシ配布が始まった頃に

大震災発生・・・これは天のご意志ではないかと言われました。前年から

江戸川区のスケート場を貸しきって幕張の公務は行けず・・とかやっていたので。

私もあの時は「天はここまでしてとめたのか」と思いました)

夫婦関係の破綻の芽は2月の皇太子誕生日の祝宴をキャンセルしたあたりから?

夏は皇太子が毎日のように内親王に付添って外出。

10月からは皇太子が何かと理由をつけては東宮御所にいない日が続き

11月に「東大病院」へプチ家出。

普段は娘に熱心な様子を見せている皇太子がこの入院騒ぎの時は一切表面に

出ず・・・以降「名代」もあって娘にかまってる暇はないような?

 夏から行動がエスカレートして、もはや制御不能状態。

離婚話が出るのはしょうがないかも。

妃としては「愛子内親王」が最後の切り札なんでしょう。何が何でも手元において

事を有利に運びたい。そのための『女性宮家」なんでしょうね。

マスコミ報道が容赦なくなったのは「山中湖」事件からですが、悠仁親王が5歳に

なった9月6日がターニングポイント・・・つまり悠仁親王の為に皇室を清浄化

しようとの動きが加速したと思われます。

 

冒頭の3フレーズ、どう聞こえますか?

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東宮職医師団見解 2

2011-12-09 07:46:28 | 皇室報道

こうした状況のなかで、東宮職医師団としては、最近、週刊誌を中心として、

ご病気に苦しまれながらもさまざまなご活動に

懸命に取り組んでいらっしゃる妃殿下のご努力を否定するかのような、

悪意ともとれる誤った情報に基づく報道が、関係者とされる人物の発言の

引用を含めてなされていること、そしてそのことに対して妃殿下が

心を痛めていらっしゃることへの強い懸念を表明いたします。

 このような報道はこれまでも繰り返されていて、これが続くことは、

妃殿下の更なるご快復の妨げになるのみならず、

ご病状の悪化にさえつながります。

 妃殿下は、ご体調に波がおありのなか、できるだけのことをしたいと

誠意を持って懸命に頑張っていらっしゃいますが、

そのご努力を否定するような批判的な報道が繰り返されますと、

妃殿下は自信をなくされますし、安心して先に進むこともおできになりません。

 心のケアが重要な社会的課題になっているなか、このような心ない報道が

平然と繰り返されている現状に、東宮職医師団は専門家として憤りを

覚えるものであり、この状況が改善されない限り順調なご快復は

望めないと考えております。

 皆様におかれましては、何よりも、妃殿下がいまだにご病気ご治療中であり、

その中でご快復に向けて力を尽くしていらっしゃることを理解していただき、

温かく見守っていただきますよう重ねてお願い申し上げます。

 

 訳

 週刊誌に書かれている事は事実ではなく、でもその報道で病気が治らない。

 人格否定発言再び。

 それでも報道が繰り返される事に怒り心頭である。

 マスコミが書く限り体調は戻らない。

 暖かく見守れっ

 

 「病気に苦しまれながら」だから回りに迷惑をかけてもいいのか?

  マスコミが書いてきたのは「事実」であり、常識的にどうかという問題提起。

  雅子妃のせいで学習院関係者がトラウマにさいなまれて適応障害を起こしたら

  どう責任をとるのか?

  そういう「周り」に全く目がいかず「とにかく不幸で可哀想な私」への同情と

  理解ばかり求める姿勢に国民がうんざりしている事に気づかないんでしょうか?

  本当に医師団がいるなら、そこをはっきり告げないといけないのでは?

  「自分が傷ついたといって行動する事で相手に倍も傷を与えている現実」を。

  その証拠に皇太子までがおかしくなっているではないですか?

 

 ここまで「努力した」「頑張った」と自画自賛して恥ずかしくないのか?

 本当は小和田夫妻に言ってもらいたい台詞なんじゃないの?

 「まーちゃん、よく頑張ったね。さすがにうちの子だわ」って。そういう評価がないから

  今になって子供返りして娘と自分を重ね合わせて帳尻あわせをする。

   小さい頃からの育てられ方に問題があり、壁にぶつかると乗り越えられずに

 他人のせいにして先制攻撃。あとはつじつまあわせの為に奔走する・・・

  最終的にごまかせない現実にぶつかって壊れる。

 

 つまり責任の大部分は小和田夫妻にあるので・・・娘を引き取って最後まで

  面倒をみるべきでは?  

 

 「心のケア」が社会的課題となっているというなら、まず雅子妃が生まれた

  時からどのような環境でどう育ち、それが心にどう影響を受けたかを発表すべき。

  「心のケア」とは甘やかすことではなく、自分の過去と向き合う勇気を持たせる

  事ではないでしょうか?

  「人格否定発言再び」のような庇い方をしても少しも本人の為にならないし

  また悪者にされた周囲は声もなく離れていくばかりです

  こういった見解文書がますます東宮家の「病」を助長している事に

  気づかない精神科医っていると思いますか?

 

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東宮職医師団見解1

2011-12-09 07:46:02 | 皇室報道

 東宮職医師団の見解  

「皇太子妃殿下におかれましては、皇太子殿下のお支えを受けられながら、

ご自身が懸命に努力され、ゆっくりとではありますが、

着実に快復されてこられました。

しかしながら、今なお心身の状態の波が続いておられ、そのため引き続き

ご治療を必要とされる状況にいらっしゃいます。

 そうした中で、昨年3月以来、妃殿下は愛子内親王殿下の学校での

問題の対応に懸命に取り組んでこられました。妃殿下には、

必ずしも万全でないご体調の下、内親王殿下が安心できる環境で

ご通学がおできになるように、母親としてこまやかな気配りをされながら、

学習院初等科をはじめとする関係の方々と丁寧に相談を続け、

内親王殿下を全力で支えてきていらっしゃいます。

 そもそも、こうした学校へのお付き添いは、学校側と協議を重ねたあげくに、

内親王殿下が

学校生活に戻ることができる唯一の方法として始められ

続けてこられたものであり、これは妃殿下にとってご体調面からも

非常な努力を要するものでありました。

 妃殿下のこうしたご尽力の結果、内親王殿下のご通学に関わる問題は

良い方向に向かうようになっており、お付き添いなしのご通学がおできになる日々が

出てくるようになりました。

 こうしたなか、この春の東日本大震災の際には、災害の大きさに

非常に心を痛められ、

被災者に寄せる思いを強くお持ちになり、さまざまな工夫をされて

ご体調を整えられながら、専門家のお話を複数回にわたりお聞きになられた後

被災地をお見舞いのためご訪問になられました。

 ご体調の波がおありになりながらも、妃殿下ご自身が頑張られて

ご訪問がかなったことは、東宮職医師団としては着実なご快復の兆候であったと

受けとめました。

 

 そもそも東宮職医師団とは誰か?大野裕氏でいいのですか?

  だとしてもこれは「医師が書いた文章ではない」と思います。多分雅子妃本人が

  書いたのでしょう。

  日本語がおかしいです。

  しかも普通は「病名〇〇の治療に〇〇を行い、結果現在は〇〇です」となるべき

  所、あまりにも感情的な文章が並び、思わず頭がクラクラ・・・・

  (しかも毎年同じフレーズの羅列がパワーアップして国民を恫喝してる)

 

 訳

 雅子妃は着実に快復。でも体調に波がある。

毎年同じフレーズ。体調に波があるのは女性なら誰でも。です。紀子妃も華子妃も

久子妃もそうですよ。でもそれぞれ薬を飲んだり折り合いをつけて生活をしている。

医師団殿。そういうものじゃないですか?

治療の内容が書かれておりませんが、皇室ジャーナリストによると

「電話によるカウンセリングと投薬」だそうですが、まるっきり効果が出てない

どころか「迷惑行為が目立ってきたように思えますが。

 体調が万全でないのに娘の通学問題に心を砕いてきた。

だから何?そもそも通学問はなぜ出てきた?

医師団なのに妃はおろかその娘まで心の病にしてしまうとはヤブすぎる。

ことさらに「心を砕いてきた」と自慢してどうなる?褒めて欲しい?

 付添いは学校側と相談しあって決めたもの。

体調に波があるのに沢山努力してやってきたことなのだ。

こういう事って医師が書く事でしょうか?全く病気と関係ないでしょう?

学校側と相談してと書いてありますが、学校側は散々「推奨してない」と言ってます。

努力を他へ向ける努力を医師団はしたのですか?

 結果的に愛子内親王は一人で通学できる日もある。

それこそ医師が関与することではない。

 体調が悪いのに頑張って被災地へいけた。それが快復だ。

被災地へいく・・というのはただ単に訪問するのではなくそこで「慰め」る事が

目的なのに逆に「病気なのに来ていただいて」と言われる事を恥ずかしいとも

みっともないとも思わず「頑張った」と賞賛する。

これは人間としてのあり方が問われますね。

 

 歳を重ねるごとに「体調の波」はひどくなるものです。具体的にどのような

  薬を用い、どの程度の頻度でカウンセリングし、何が一番心の問題なのかと

  いうところを発表せず、「努力した」とか「体調の波が」とか無関係のフレーズを

  つなぎ合わせると言うことはつまり、本当は「病気」ではなくて

  そもそもの問題は「性格」にあるのだという事を暴露してますね。

  しかも殊更に褒めて欲しがっている風があり・・心理学的に「自己愛」が

  強すぎる傾向があると感じられます。

 

 「あげくに」という言葉の使い方が間違っていると・・・ネット上で話題に

  なってますが、本当にそうですね。「協議を重ねた結果」になる筈が「あげくに」

  これじゃ、悪い事をしたみたいです

 

 また

内親王殿下が安心できる環境で」

「学校へのお付き添いは、学校側と協議を重ねたあげくに、

内親王殿下が学校生活に戻ることができる唯一の方法」

「専門家のお話を複数回にわたりお聞きになられた後」

という文章は明らかに雅子妃の「感想文」と重複しており、つまり一番

認めて欲しい部分なんでしょうが、こういうのを「馬脚を現す」というのですよ。

医師団の見解と感想文が重複するなんて明らかに一人で2通書いていると

暴露しているようなものではありませんか?

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雅子妃 48歳 感想文3

2011-12-09 07:45:37 | 皇室報道

このような中にあって、天皇、皇后両陛下には、温かいお心遣いをいただきながらお

見守りいただいておりますことに心からお礼を申し上げます。

天皇陛下には、先ごろご退院になられましたが、お後も、

くれぐれもお大事になさっていただきますよう心よりお祈り申し上げます。

また、皇太子殿下にもいつも変わらずお支えいただいていることに

感謝申し上げております。

 国民の皆様には、私自身や、愛子のことにつき、日ごろより温かい

気持ちをお寄せいただき、この機会に厚くお礼を申し上げたいと思います。

私自身、引き続き快復に向けての努力を続けながら、

愛子に必要な手助けをしていくとともに、被災地をはじめ困難な状況に

ある方々に心を寄せていきたいと思っております。

これからも温かく見守っていただければ幸いに存じます。

 

去年の文書・・・ほぼ同じフレーズ。

 

http://blog.goo.ne.jp/yonyon4009/e/9d5939429ba5f9e42ae957428f6f4344

 

 

 私が一番憤りを覚えたのは「天皇陛下には先ごろご退院になられましたが」

  の部分

  文章的には「入院された」になるのになぜ「退院」?しかも、一度も見舞いに

  いかずに「お大事に」と言い放つ無神経さ。

  いくらなんでもこんな失礼な文章はないだろうと思います。そのあたりを

  追求しないテレビも悪いっ

  必要もないのに娘と病院に「篭城」し、陛下が入院するからといって追い出された

  事への「恨み」がるにしても、本当に「お大事に」の気持ちがあるなら

  見舞いに行くし、国賓歓迎行事、国事代行行事にもでるだろうと言いたいです。

 

 最後のフレーズは

 自分の事が第一 (快復にむけ云々)

 娘をコントロールする事が第二 (愛子に必要な手助け云々)

 被災地に心を寄せるのが最後

皇族としての優先順位がズレている。ゆえに両陛下とも意見が合わないし

皇族方や学習院からも変な目で見られる。

 

さあ・・・国民は引き続き暖かい目で見守るんですか?

来年も娘さんの付添いが最優先事項で行く先々で迷惑をかけるそうですが。

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雅子妃 48歳 感想文2

2011-12-09 07:45:10 | 皇室報道

「また、

愛子の学校のことが私の生活の中で大きな部分を占めてきた年

 でした。

この問題では、多くの方にご心配をいただいていることと思いますが、

昨年から、皇太子殿下とご相談をしながら、どうすれば愛子が

安心して学校に通うことができるようになるか、そのために、

親として何をしてあげられるのか、

日々考え、力を尽くしてまいりました。

学校とも相談を重ねてまいりましたが、愛子の学校への付き添いは、

与えられた状況の中で唯一取れる可能性として続けてきたもの

でした。

 そして、今年の9月には、学校からも参加をすすめられ、

愛子自身もぜひ参加したいと希望した、

山中湖での2泊3日の校外学習がありました。

この時、先生方のご配慮をいただき、私が少し離れて付き添う形で、

全行程一人で、お友達の皆さんととても楽しく参加できたことが、

学校生活に戻っていく上での大きな自信と励みになったように感じております。

そして、このことは、学校の先生方もとても喜んでくださり、ありがたく思っております。

 その後、愛子が私の付き添いなしに通学する日も増えてくるなど、

段々と良い方向に向かってきていると思います。

また、愛子は、4年生になり、学校の特別クラブの活動として管弦楽部に入部し、

お友達と一緒にチェロの練習に励むなど、これまで以上にさまざまな分野に

関心を持ち、いろいろなことに取り組んできております。

一つ一つ成長していく子供の姿をみることは嬉(うれ)しく、私にとり、

日々の励みになっております。

 今後とも、愛子が安心して学校生活を送ることができるように

愛子自身の気持ちをよく聞きながら、学校の理解と協力をお願いしつつ、

私もできる限りの手助けをしてまいりたいと思っております。

 

 訳  愛子内親王の学校の付添いは唯一自分がしてやれる事だった

      山中湖付き添いは愛子内親王にとっていい結果をもたらし、学校側も

       喜んでいる。

      これからも付添いは続けます。

  前半のさられいとした文章に比べて後半は語る語る・・・

 

 前半で「言葉では言い尽くすことが出来ない程の衝撃的な出来事」と

  語った大震災。でも本音は「愛子の学校のことが生活の中で大きな部分を

  占めた」と語る。

  前半で 「何が出来るのかを考えながら」説明を聞き、被災地を回った。

  後半で 「何をしてあげられるのか」日々考え力をつくしてきた・・・と。

  同じ事を言っているのに心の中が透けて見えるような気がしませんか?

  娘に対しての丁寧語。「何をしてやれるか」ではなく「何をしてあげられるのか」

  ですよ。被災地には「なにをすべきか」ではなく「何が出来るか」ですし。

 

 そして一番気になるフレーズが「安心」です。

「どうすれば愛子が安心して学校に通うことができるようになるか」

「愛子が安心して学校生活を送ることができるように」

この二つは「いかに学校に安心して娘を通わす事が出来ないか」を言っているような

ものですね。

それは1年半も前の「いじめ」事件が尾を引いているのか・・とも思えますが、

学習院は「そもそもいじめはなかった。家庭でのしつけの問題」としたことに

『私の思いを理解してくれない学校は信じられない。通わせられない」と思い

色々他の学校に問い合わせたけど、結果的にどこも受け入れてくれなかったので

「じゃあ、私が付添って敵から娘を守りましょう」という事なんだと思います

「敵」とは誰か。

いうまでもなく「教師」「学校」でしょう。自分の意見を本気にしない・・・という事への

壮大な怒りが見えています。

送り迎えにがっちりと側近がついている愛子内親王。

母親がいてもいなくても現状に変わりはないのです。

でも、「私がいないとだめだ」と考える根底には「私がいない間に娘について

どんな評価を下されるかわからない。私がついていればこの子は理想の娘で

いられる」というもの。

評価とは「学力」「マナー」だと思います。つまり他の生徒に比べて出来ない事を

認める勇気がないのです

 

 文章を読んだだけで「執着」を感じますが、「愛情」は感じられません。

 ちなみに「与えられた状況の中で唯一とれる可能性」という言葉。

  意味わかりますか?私は全然わかりません

  「付添いしかしてやれない(皇族として自由のない生活をしているから)」

 と思っているのかもしれませんが、それが連日貴賓室9時間のひきこもりと

 昼食とお茶ってのは・・・・それすら取り上げられたと思っているんでしょうが

 普通の親はそんな事しないし、しちゃいけないんです。

 

 なぜ、ここまで執着するか。

 「私達は鏡どうし」なんでしょうね 学校に適応できない娘の存在は

 社会に適応出来なかった自分の姿であり、無理を通しているのはその頃の自分の

 「恨み」をはらす為と思えば納得できるでしょう。

 実際は「出来ない」事へのコンプレックス人生であったという事ですよ。

 

 気の毒な学習院と桜組の生徒さん達。

 学校側は決して「付添い」を奨励しているんじゃないのに「学校に理解された」と

 勝手に解釈して、さらに自分の娘の意見を聞きながら今後もやっていくと。

 他の生徒の迷惑とか、恐がっている事とか一切考えないとは

 PTAも怒るべきじゃないんですか?

 

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雅子妃 48歳 感想文 1

2011-12-09 07:44:32 | 皇室報道

 朝一番から怒りまくりの私に家族が絶句。

日テレは浅田真央の帰国ニュースの方が雅子妃よりも大きくて(当たり前か)

詳細に感想を伝えなくて誤解が生じるのではないかと・・・

テレ朝は「雅子様の18年」と題して、まるで離婚準備か?近重は擁護一色。最近は

この人の顔を見ると不愉快でしょうがない

神田秀一氏も擁護しつつ、医師団の文章を「侍従が書いたようなもので不満」とはっきり

おっしゃってくれたのがよかったです

雑誌が色々書く中、テレビだけは及び腰。そのくせなぜ皇太子妃の誕生日に

秋篠宮の「私、もしくは皇太子の意見を・・」なんて映像を流すのか

小和田さん家はまだお金があるのねーーそういう意味の「献金」があるのかも。

お誕生日文書及び医師団の見解は昨日だかに帰国している小和田夫妻の「添削」

が入っているのかしら?

 雅子妃 48歳に (感想文全文) 

「今年1年、日本の国内外でさまざまなことがありましたが、3月11日に発生した

東日本大震災は、言葉では言い尽くすことができないほど衝撃的な出来事でした。

あの日、東京でも強い揺れを感じましたが、その後の報道を見るにつけ、

とりわけ東北3県の被害の大きさ、失われた多くの生命(いのち)や、

そうした尊い家族などをなくされた方々の今なお続くであろう深い悲しみを思い、

とても心が痛みます。

 震災後、あまりの被害の大きさに、私自身とても辛(つら)い気持ちでおりましたが、

被災され、厳しい状況に置かれた方々のために

何ができるのかを考えながら、

専門家の方々のお話を伺うとともに、4月に都内、5月に埼玉県に避難された方々の

お見舞いに伺い、その後、宮城、福島、岩手の東北3県の被災地を訪れ、

被災された方々をお見舞い致しました。

 被災者の方々に直接お会いし、それぞれの方のさまざまな思いを伺う中で、

この方々のお役に少しでも立てたらと思ったことや、

厳しい状況にある被災地の方々から、逆に私の体調のことをお気遣いいただき、

ありがたく感じたことなどが昨日のことのように思い出されます。

今でも、お会いした方々一人一人のお顔や伺ったお話がよく思い出され、

被災地で苦労しておられる大勢の皆さんのことを思わない日はありません。

被災地はこれから厳しい冬を迎えることと思います。

これからも、被災地の方々の思いを深く心にとどめ、一人一人の方の

今後の幸せを祈り続けながら、復興への道のりを末長く見守っていきたいと

思います

 

  今回の文書は前半と後半に別れています。どちらも展開が同じなのですが

  どうみても気持ちは「後半」のみに偏っているようで、この前半部分は『思い出」

  としてしか語られていません

   3月11日の東日本大震災は一番の「思い出」です。

   テレビをみていたら被災者と同じ気持ちになりました。

   お見舞いに行って体調を心配してもらった事が印象に残りました。

  紀子妃は被災地への重いとして「頑張るゾウをプレゼントされた」子とをあげていま

  したが、雅子妃は自分の体調を気遣われた事が一番なんですね

  無論、おばあちゃんに「二人のお母様を大事に」と説教された事は「恨み」の

  思い出になっているんだと思いますが。

 

 「何が出来るのかを考えながら」という言葉にひっかかるんですね。

  考えたら行動なんです。

  秋篠宮家の場合、それがボランティア活動だったり、自分が冠を務めている

  団体から何度も詳しい話を聞き、被災地へ赴き・・・という一連の行動。

  皇太子夫妻の場合、ほとんど説明をうけないまま被災地に行ってますし、

  日帰りで限られた人としか話をせず、滞在時間わずか1時間にも満たない

  様子で、これを「何が出来るのかを考えながら」と自慢されても、結局何も

  しなかったじゃない?と言いたくなります。

  震災後、いち早く行動を起こされた両陛下に対して、なかなか被災地に行かない

  東宮家に他の宮家が行動をおこせず、結果的に通り越してという事になりました。

  また「愛子様の学校がある平日は被災地にいけない」という事も言われました。

  彼女にとって「一番は何か」という事はおのずとわかっていますが、皇族として

  それはどうなのか・・・とは考えないんだなあって。

 

 「昨日のことのように思い出されます」これは「よい思い出」の場合、よく使う

  フレーズで、彼女の場合、震災で苦しんでいる人たちを慰めた自分ではなく

  「心配してもらった」事がとても「いい思い出」になっているんですね

  何の為に被災地に行ったのでしょうか?

  こんな風にさも「思い出」を語られてしまうと、もう二度と行きません宣言なのか

  「震災はもう終わったこと」なのかといぶかってしまいます。

 

 末永く見守るというフレーズも非常に無責任に思えてしまうのはなぜか。

  頭で考えているからそれでいい・・というわけではないんじゃないかと。

  「被災地ではみんな頑張っているから私も頑張ろう」とか「仕事に復帰しよう」とか

  そういう前向きさが一切なくて(だから心の病気だといわれればそれでおしまい)

  自分が受けた印象のみを言葉にしているあたりが、公人としてあるべき姿なのか

  と感じるのです。

  そもそも「末永く」は「続く」にかかるよね。それだけ復興が長くかかるといいたい?

  「一日も早く復興するように祈る」ならわかるけど。

 今、気づきました。皇太子も皇后陛下も「長く心を寄せ」という表現を使っています。

 雅子妃としては「末永く」と「長く心を寄せ」は同じ言葉と思ってパクったつもりでしょう。

  意味が違うのに。

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