ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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紛争は現場で起きているのに!玄葉っ!

2012-09-21 16:29:12 | 政治

 あはっ タイトルはしゃれた・・・つもりですが

今日のテレ朝ワイドスクランブルは惨かったなあ

テレビ局に抗議したくなるほどで。

尖閣周辺にフリゲート艦が来ているとかーー反日運動は官製デモで

お金を貰ってやってたとかーーそういう事実を次々述べられているのに

中国人ジャーナリストのモウとかいう人が

「それはありえない事なんですね」と自己流の話術を展開。

デー=ブ・スペクターが「このまま中国は本当に尖閣諸島を自分達のものに

出来ると思っているんですか?」と突っ込むと、それには答えず

テレ朝がサンケイ新聞の記事を鵜呑みにするなんて。もっと朝日らしい

話をしてくれ」と言う始末。

これにはアナウンサーもちょっとカチンと来たようですが

さらに彼は習近平シンパらしくて、さらにそこに話をすすめようとする。

文化大革命時に下放された共産党幹部の息子で苦労の挙句、民衆の気持ちを

掴んで政界に返り咲き。

そんな持ち上げ方をして気持ちいいですか?テレ朝さん。

でもこういう時期に中国人ジャーナリストを呼んだり、「日本側が折れるべき」

と論ずる評論家の意見を出したり。

テレ朝はどっちの国の放送局なわけ?

デーブの方がよっぽど日本人みたいだったじゃないですか

 

 玄葉外相「尖閣、国際司法裁判所では争わない」 

 21日の記者会見での玄葉外相のご意見。

 尖閣は国際法上、歴史上疑いのないわが国

  固有の領土だ。

   現時点において必要性は考えていない」

 日本には領土問題は存在しない。

 反日デモについて 「まだ予断できないが、やや収束されている感もある」

  接続水域への中国船侵入には「強く抗議」

 ネットで騒然としています。

  「玄葉外相の台詞は韓国が竹島問題について言ってるのとすっかり同じ」

  そう・・日本が竹島問題で国際司法裁判所に訴えると言った時

  韓国は同じ事を言ったんです。

 じゃあ、竹島と尖閣と何が違うの?

  これでは竹島はもしかして日本領土じゃないかも・・・と言っているような

  ものではないかと?

  何が「領土問題は存在しない」だよっ

  現にフリゲート艦が来てるじゃないか

  「あれは幻・・・多分夢。もしくはただのパフォーマンス」だとでも

  どこまでおめでたいんだか。脳内お花畑とはこのことね。

  民主党や・・連休なんか増やさなくていい 子供達の夏休みと冬休みを

  削って5連休にして親には有給休暇を取れ?なんて馬鹿な政策をすすめる

  よりも目の前の敵をなんとかして。

  領土を奪われたら連休だのって言ってられないのよ?そんな事もわからないの?

 中国の領事館が東京と土地をばばーーんと買ったそうで。今後も

  日本中の土地を買いあさる計画。こんな風に内部から侵食・・いえ、侵略して

  おいてまだ日本に対して被害者面をするような国。

  絶対に許せない。

 

 アメリカ公聴会で中国に懸念 

 尖閣問題についてウエッブ上院議員

 「『日本に対し、さらなる行動を取る権利がある』と中国の国防相が主張したのは、

  『軍事力を使う』と脅しているようにしか聞こえない。

  これは、アメリカにも直接影響を与える」

 「日米安全保障条約の下でアメリカが果たす義務について、

   明確に主張することが極めて重要だ」

 今、アメリカだって不景気だしイスラム教問題で反米デモも起きてるし

  出来れば「他人事」として介入したくないんだと思います。

  中国市場はアメリカにとっても重要だし

  なんだかんだいっても中国製品は安いということだしね。

 でも18日にアメリカ大使館の車が包囲されて大騒ぎになった事を思えば

  ほっとくと自国に不利と見たのでしょうか?

 いくら安保条約適用だからって、それでもアメリカを信用しきれない何かが

  あるのも確か。っていうか、そもそも他の国頼みにする方がおかしい。

  けれど、アジアの秩序を考えるとここはどうあっても日本が領土を奪われては

  ならないわけよ

  あれ・・・これって開戦前の日本の思想?今や立場逆転。「日本にひどいことを

  している中国」に世界が立ち上がるときかも。

コメント (5)
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宝塚100年に向けて・・・原点に帰れ7

2012-09-21 10:11:29 | 宝塚コラム

 今回も頑張ります

 

 昭和11年12月 脚本集 

 

何度も書いているように昭和11年あたりといえば、宝塚は20年を超え

いわゆる「過渡期」を迎えていました

浅草オペラやエノケンがブームになり、少女歌劇は刺激がない・・・と思われた

事もあったようです。

そんな中、宝塚は独自のミュージカル路線を敷き、「男役」「娘役」の芸風の違い

を明確にして、さらに作品も大人っぽくしたりして生き残りをかけていました。

葦原邦子、小夜福子の人気もまさに頂点。

次世代のスターは・・・という時期でもあったようですね。

 

 少女歌劇を誤らせるもの・・・・二宮隆一

 

1・・我々は少女歌劇に少女らしさを要求する。

これは至極当然な要求であるように見えるが

女性ファンの皆様が、果たしてこの当然すぎる位当然な要求に

口先だけでなく、心から賛同してくださるかは、甚だ疑わしいのである。

 

ボクは、皆さんが少女歌劇に少女的なものよりいも、むしろ中性的なものを

無意識のうちに求めておられるような兆候を十分に看取するからである。

その最も明瞭な証拠は、男役生徒の圧倒的な人気である。

人気のバロメーターとも言うべきブロマイドの売り上げは聞くところによると

小夜、葦原で全体の過半数を占めるという程、主役をする男役生徒の

人気は素晴らしいのである。

すると皆さんは「それは二人がずば抜けて巧いんだもの」と反論するかも

しれない。

ところが実の所は二人がずば抜けて巧いなぞとは絶対に

ないのである。例えば踊りだったら差予算よりも雲野さんや天津さんの方が

巧いし、歌だったら、タッチンさんだって櫻井七重さんだって葦原さんに負けない

位巧いのである。

 

ところが娘役生徒の人気は男役生徒の圧倒的なのに比べると、人気というよりも

むしろ、地味な、掛け値のない値打ちという感じがする。

ボクは昔のことはよく知らないが、紅千鶴などは男役の誰よりも人気があった

のではなかろうか。

ファンにしても昔はもっと男のファンが多かったそうであるから。大多数の

処女ファンの中性的な要求が支配的となり、それが舞台にも反映し

男の観客が次第に宝塚から去りつつあるという事が言えるのではないだろうか。

 今更「ドンブラコ」に戻れといわれてもね・・・ という感じですが。

  宝塚で最初に断髪にしたのは葦原邦子だそうです。

  彼女の生前のインタビューでは「あの当時は髪を切るという事に決心が

  いったけど、男役だからばさっと切っちゃったのよ」とかおっしゃってました。

  そしたらみんな真似を始めて・・・結果的にそれが「男役」というものの

  芸の確立に繋がったのでしょうね。

 今も昔も女の子は「中性的」が大好き

  吉屋信子の小説が流行ったのも、華宵の絵が好まれたのも、そこに

  「中性的」なものがあったからだと思うんですね。

  思い切り現実離れしてて理想が服着て歩いている男性がいたら・・・なんて

  「巧い」とか「下手」じゃないのよーー

 男性ファンが減った・・・とか言ってますが現代の私達からみると

  十分に男性ファンが多いし、娘役主体の舞台だってまだまだ多かった。

  二宮さんが今の宝塚をみたら「なんじゃこりゃ」と言って逃げ出すかも。

 

2・・我々は少女歌劇に生徒らしさを要求する。

ボクはいいたいのは生徒というのは本来なんであるかという事である。

宝塚音楽歌劇学校が学校であるならば、生徒はそこで、、音楽・舞踊・演技を

勉強している学生に違いない。

 

学生というものは、学問を勉強しているものであるが、それが芸術的な

学校ならば、その生徒は芸道を勉強しているものである筈である。

さて、この芸道であるが、一般観衆に喜ばれない芸などというものは

存在の理由がないとすれば、観衆を魅惑する事の出来ない生徒は

芸道を学ぶ学校の学生としては劣等生である事は間違いない。

 

観客をチャームすることは、生徒らしくないどころか、大いに宝塚音楽歌劇学校

の生徒らしきことだといいたいのである。

また、生徒らしさの中に研究的な態度を含めたい。

少女の持つあらゆるよきものの舞台的な表現。それを我々は要求する。

 ちょっと何がいいたいかわかりにくい文章ですけど、要は完璧に出来ない

  ならやるな・・研究を怠るな・・・的な叱咤激励?

  二宮さんの文章はくどくて読みにくいですよね・・・(ってごめんなさい)

 今風にいうと「観客を感動させられない生徒はいらない」という事ですが

  それをこのまま現代の演出家にあてはめて「観客が共感できない脚本を

  書く演出家はいらない」我々は宝塚の演出家に「宝塚らしさ」を要求する・・・

  といったところでしょうか。

 小林一三校長はあくまで「学校宝塚」を主張してきましたが、一方で商業演劇

  として利益を出そうとしている。生徒にプロ級を求める・・・という矛盾が

  生じていたわけで

  ゆえに「少女歌劇っていうんだから少女にふさわしいものをやるべき」とか

  「いやいや日本の演劇界を牽引する存在になれ」とか、色々な意見が出て

  くるわけですね。

  その中途半端さがイラっと来るときもあったようですね。

 

昭和9年。「憂愁夫人」の葦原邦子&櫻町公子。

バイオリンを持つ葦原邦子の顔がとっても素敵です。

この作品は貴族の令嬢と音楽教師との身分違い恋を描いた作品で

大ヒットしました.

大路三千緒さんなどは「憂愁夫人」を見て宝塚入りを決めたとおっしゃってました。

 

決闘シーン。これで彼は彼女を残して死んでしまうのです・・・・

やがて彼女は「憂愁夫人」というあだ名を持って社交界に帰ってきます。

昭和9年10月の演目は星組で

・ オペレット「封印された市長様」・・・春日野八千代

・ 歌劇「牡丹灯篭」・・・門田芦子

・ 喜歌劇 「杭争い」・・・嵯峨あきら

・ レビュウ 「憂愁夫人」・・・葦原邦子・春日野八千代

ここでいう所の「オペレット」と「レビュウ」の違いは脚本を読んだだけでは

はっきりしないんです。でも「封印された・・・」よりも「憂愁夫人」の方が

格上だったおんは確か。

3本立てや4本立てにして主演する人をふやし、新人を育てるという

おおらかな時代でしたね。

 

封印された市長様の春日野八千代

 同じく「封印された・・」麻路さきに似ている

                    春日野八千代。

 

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