ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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宙組 「風と共に去りぬ」

2013-11-24 16:36:54 | 宝塚コラム

 早々に見て来ちゃいました。

これからの人・・・読まない方がいい?

 

 風と共に去りぬ 

 スカーレット・・・・朝夏まなと

 スカーレットⅡ・・・純矢ちとせ

 アシュレ・・・悠未ひろ

 ルネ・・・七海ひろき

 メイベル・・・怜美うらら

 

宝塚の作品として、あまりに有名なこの作品。

ところが私は、生では大昔、仙台で鳳蘭・遙くららの地方公演しか見た事がないのです。

中学生でした

新聞にでかでかと公演の広告を見るや否や母に「買ってっ」とその場で電話させて

しまった・・・・と。(確か三越レディスクラブ会員様優先予約だったような)

こういう時、「ダメ」とは絶対に言わず「わかったわ」と電話してくれた我が母はなんと

心の広い人だったろうかと思うんですが

しかも一緒についてくるし(って当たり前か)

正直、頑張って原作も読みました。でもさっぱり中身が入って来なくて

スカーレットにもバトラーにも感情移入できずに舞台を見て。

ストーリーも何となく入って来て、あっという間に終わったという感じで

取り立てて強烈に印象を残したという記憶がないのです。

ただ。幕が下りた瞬間、ぽたーーっと涙が出てきて

「ああ、私、感動しているんだ」と思いました。それはストーリーに?

いえいえ、多分鳳蘭の演技に感動したんだと思います。

 

それ以来、生で見る事はなく、一路版をビデオで見て。

その後は何となく各バトラーのメイクが嫌で(あのマリコさんですら)

宝塚のビデオでも見ないようにしてた作品だったんです

実は大地真央主演の帝劇版は続編の「スカーレット」も含めてみてますが

はっきり言ってつまんなかった。

以来、「風共」は鬼門に。

 

今回、色々なバージョンがある中での「バトラー編」について思った事は

「ベルサイユのばら」よりとても落ち着いた、しっかりした作りであるという事。

年々「ベルばら」は変な方向に行くのに、「風共」は変わらない。

「歌劇」の中にちょこっとブローウエイミュージカルの要素を取り入れて

台詞と音楽のバランスが非常にいい。

まとまっている。

・・・・だけど、何か足りないような気がするのも事実で。

原作や映画を知っている前提で描かれているので、1幕で盛んに出てくる

樫の木屋敷でのあの件」もセリフで出てくるだけ。

映画では冒頭に描かれる華やかなスカーレットの登場シーンをばさっと切って

あっさりアトランタから始めるというのはかなり大胆ですよね。

でもまるっきり知らない人が見たら「樫の木屋敷ってどんな屋敷なの?

タラのスカーレットの実家はどんな感じなの?アシュレにどんな風にせまったの?

それを見てたバトラーは何をどう思ったのか」と疑問だらけになるでしょうね

 

2幕目はタラの土地を守るために、いともあっさり「バトラー夫人」になっちゃった

スカーレット。彼女がたまたまアシュレに抱かれている場面があり、言い訳も

する事なしにバトラーは怒り・・・・があまりにも早いテンポで

正直、ついていけないよーーと。

見れば見る程、「バトラーってどういう生い立ちであんな性格になったわけ?

ひねくれてて、わざと人を怒らせるような事やって、そうかと思えば義理堅く

人情家で。矛盾した二つの性格を統合するにはスカーレットでよかったんだろうか」

と思ってしまうよね。

自信家の彼がアシュレに妻を奪われるかもって常にドキドキしてたなんて

ありえないんじゃないか?とか。

ラストでバトラーがスカーレットに「君は子供なんだ」って言ったけど、そういうあなたは

もっと子供じゃないの?とひとしきり

結局、この話は大人になりきれない愛されたがり屋二人の確執だったんだなあと。

 

さて、過去を見てないので比較する事は出来ないのですが

宙組を見て思ったのは、全体的に「軽い」という事。

同じ脚本、同じ演出、同じセリフなのに昔の作品は非常に重厚感があった

とお友達に言われ、「そうだよなあ」と思いました。

それは結局のところ、セリフの解釈がなってないという事じゃないかと。

今時の人に「戦争」をあれこれ語らせても軽くなるばかり。

辛い現実をリアリティを持って演じるのは至難の業でしょう。

むしろ2幕目、敗戦後の若者が「家柄なんてどうだっていいじゃない?

北軍とも仲良くしたっていいじゃない?」というセリフの方がリアリティがありました。

スカーレットがなぜ北軍と商売しているのか、それを責められて本当はどう思っているのか

バトラーは夫として彼女をどう支えているのか。

そういったあたりが全く語られずに一気に「嫉妬のくるみ割り」の方へ行ってしまうので

後に残るのは殺伐とした別れです。

 

やっぱり2時間程度で描くには長すぎるんでしょうね。

 

 出演者について

凰稀かなめ・・・ビジュアルは完璧。役柄も似合っていました。

          凰稀かなめという人は「色悪」が非常に似合う人で、お披露目以来

          「いい人」って一度もないんじゃない?

          白い役をやると途端に嘘っぽく見えてしまい、黒い役だと生き生きと

          光出す。宝塚のトップとしては珍しいタイプなのかもしれません。

          バトラーも清廉潔白な人ではありません。優しいかと思えば憎らしいし

          弱さと強さを交互に出す、難しい役です。

          今回は役を解釈したというよりは、教えられたとおりにやりました・・・という

          感じでそれはそれでいいんだろうなと思います。

          ただ、それだけに深みがない。

          バトラーが生きて来た人生が見えない。見えないような脚本だから仕方ない

          んだと言ってしまえばそれまでですが、彼女自身の社会的経験の少なさが

         「軽さ」を産んだのだと思います。

          植田作品はトップをトップらしくみせる為に、時に大仰な登場の仕方を

         しますし、演出も派手。そんな中、トップは演出に飲み込まれないように

         精一杯「見得」を切らないといけないのですが、そのあたりがかなり軽い。

         けれん味がないと言われるのかな。

         現代っ子だから、いきなり見得を切れと言われても無理なのかもしれないけど

         それならそれで、登場しただけでぴかーーっと後光がさすくらいのカリスマ性は

         欲しいかも。バトラーってそういう役です。

         重厚感、見得・・・それらが今後の凰稀の課題でしょう。

         個人的にはどこから見てもあまりに美しく、もう何でもいいやーーって思った

         んだけど、そうも言ってられないからね。厳しく言いました。

実咲凜音・・・ベル・ワットリングのいう「あの人は神様なんだ」というのがよく表現

        されていたなあと思います。娘役としては儲け役ですけど、もう少し前に

        出てもいいのかなあ。下級生になりすぎてます。

朝賀まなと・・・七海のスカーレットがどんな風かわからないのですけど、こっちは

         一言でいうと「うるさくてお子様」なスカーレットです

          よくいえば「おきゃん」悪く言えば「落ち着きがない」

          セリフを型通りに解釈するとああいう演技になるのかと。

          きつさがない、重さがない、真剣味がない。ただ感情的な普通の女性です。          

悠未ひろ・・・アシュレ。アシュレってやりがいのない役だなあと。

        1幕目はなかなか出てこない。語られるのに出てこない。

         やっと出て来たと思ったら夢みがちな事ばっかり言ってるし。

        アトランタ脱出時もいないし、気が付けば雇われ人の居候で、見せ場一つもない。

        特に雑貨屋で、あれこれ語るさまはスカーレットじゃないけど

        「アシュレってこんな人だったのかしら」と誰でも思うよね。

        メラニーが亡くなった後のアシュレの嘆きは、あれで正しいんでしょう。

        見事に情けない男になってました。「静」の演技をきちんとやったんだなあと。

緒月遠麻・・・一生懸命やってたのはわかるけどあまりに似合わな過ぎ。当たり前です。

         そもそも男役なんだし。背は高いし個性的な顔立ちだし。歌だって聞かせる

         方じゃないし。ミスキャストの見本のようでした。

汝鳥怜・・・1幕の最後に出てきたマミー。ここからやっとお芝居が始まったという感じ。

       

七海ひろきはすっかり二枚目のお兄さんが似合う路線になってるし、蓮水は逆に

脇を固める代表のような感じ。

星吹彩翔は非常に可愛い少年で。ミード博士にぽんと帽子をかぶせられた時の

沈黙にちょっと涙しました。

凰稀かなめのおかげで宙組は順調。

これからが正念場かなあ。

コメント (11)
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