ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

皇后陛下のファッションセンス

2014-07-09 08:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 「ペテロの葬列」を見ました。イエスは弟子の裏切りを予言していた。

ペテロは「私は決して裏切らない」って言ってたのに、結果的には裏切った・・・・

その後、悔い改めたけど自分が許せず逆さはりつけに?

この伏線がどう生かされるのか楽しみ。

1幕芝居を見ているようで、それぞれのキャラが立ち、面白かったです。

ストックホルム症候群とてもいうんでしょうか。みんな犯人に同調していく様が

なんとも 

それにしても・・・・・安蘭けい。全く違和感なかったーー

マレフィセント」のCMを見るとむかつくし、キャロライン・ケネディが塩村に

手紙を送ったという件も私の怒りの導火線に火をつける結果になるのですが。

日本人は「アメリカ美人」に目がない。

「あんな綺麗な人が悪いわけない」って根底から信じているのでは。

だけど、二人ともしょせんはアメリカ人

「青い目をしたお人形」に過ぎないのですよ。きっとセルロイド製なの。(死語っ)

常に上から目線で異国を勝手に解釈する・・・・乗せられてはダメです。

本題。

皇后陛下のファッションに疑問を抱く人が現れるなんて・・・・21世紀は恐ろしい。

昭和世代はそんな事、考えた事もないんじゃない?

だって・・・・正田美智子さんは

 西洋館にマントルピース

 カトリックの女子大卒のお嬢様

 クリスチャン・ディオールを着こなし

 華麗に世界旅行

 本物の王子様に見初められ

たんですもの。

今でも婚約記者会見の時に着てた、素晴らしいAラインドレスを記憶して

いる方も多いでしょう。

とても・・・ご誠実でご立派で

美智子妃殿下になられたからは

 スポック博士の育児書を片手にナルちゃん憲法

 常に美しく若々しく

 植田いつ子の華麗なるコレクション

 片身替わりにぼかし

 ケープに小さな帽子

 相手国に親しまれるようにさりげなく国旗や国花を入れる

等々、常に完璧でしたよね。

皇后陛下の着物だって一冊の本になるくらい、種類も量も多いです。

 

 小さな帽子 → お雛様の髪飾りをモデルにしたもの。

             つば広の帽子は普通はななめに被るけれど、美智子妃殿下は

            わざとおでこを出して被ってました。

             やがて「小さな簪風帽子」になっていきます。

            理由は「美智子さまの表情がよく見えるように」

 ケープ → コートを着る事が出来ない場合が多いので、半分は防寒用

 透明な傘 → 会う人々がちゃんと顔を見る事が出来るようにするため

 ぼかしや片身替わり → 日本独特のファッションを紹介。

ちなみに「いかり肩」のケープは、1098年代から90年代の流行がそうだったんです。

女性がどんどん社会に進出し、「戦う女性」のイメージがいかり肩なんですね。

それから紀宮の着物の帯が短かった件ですが、これも昔の帯は短かったんです。

それは今年、成人式をした我が娘が経験済み。

姫が振袖に使った帯は今から半世紀前の物。

とてもいい品であると褒められましたが、いかんせん短くて、模様が今風に出ないと

言われました。

つまり、ファッションはその時代、その時代の流行やしきたりがあるので

今のものと違うからってすぐに非常識と言うのは間違ってます。

袴にブーツだってそうでしょう?昭憲皇太后は華族女学校に視察に行く時

小袿にハイヒールをはいて洋傘をさして転びそうになったと・・・本で読みました)

 

いわゆる、チャールズ&ダイアナの時のドレス写真を探したのですが

やっぱりなくて

ダイアナ妃の写真集は沢山あるんですけど・・・・・

その中に

こんなのがあって。ダイアナ妃が来日するというので記念に出された写真集。

昭和61年・・・1985年。

栄光の80年代ですわーー

あの当時の日本は英王室ブームでございまして。ウェッジウッドにバーバリー

DAKSに・・・英国ブランドが大人気でした。

私はDAKSが大好きでスーツもバッグもペンケースに定期入れまでそろえた記憶が。

(今思えばDAKSのスーツでリクルートしてた自分が怖い)

で・・・おおむねチャールズ&ダイアナなんですが、一画に

「日本のプリンセス」として美智子妃殿下のお姿が。

昭和60年、世界のベストドレッサーに選ばれた事で「美智子さまのファッション」は

世界的に賞賛されました。

 

余談ですが、この本の中には面白いページもあって

 「礼宮様とアンドリュー殿下」

王室と皇室の次男坊特集みたいな?

 かっこいい礼宮が・・・・

 スターですわーー

あ・・でも、日嗣の皇子を無視するわけがなく

 浩宮さまと15人のお妃候補たち。

ちなみにこの頃、小和田雅子の名前はありませんでした。

だってみんな、旧皇族、旧華族、実業家一族だもんね。

浩宮はダイアナ妃来日時、京都を案内したのですが、「古都について勉強しなおし」

たらしいです。この頃、歴史は専門分野じゃなかった?

チャールズ&ダイアナの結婚式の時、アン王女も白地の服を着てたし

ブライドメイドはみんな白だし?列席者の中にも白がいたので、当時は

今ほど「花嫁と同じ色でーー」とは言われなかったんだと思います。

というか、何度も申し上げますが美智子妃の服は裾からぼかしで色が

変わっていますから・・・プロトコルに反してはいないです。

雅子妃が紀宮の結婚式で批判されたのは、紀宮が上質ではあったけど非常にシンプルな

ドレスを着ていたのに対し、雅子妃が「自分が主役」とばかり

ゴージャスなアイボリーシルクを身にまとっていたからです。

この日、皇后陛下も紀子妃もグレイのドレスでしたのに。

 

ただ、現在の皇后陛下のファッションに問題がある事は事実です。

うちの母も、生きてる時は年に数着はオーダーでスーツを作り、そのデザインの

素晴らしさに娘として羨ましいと思いましたが、肝心要の私の婚約時に

誂えたワンピースの形がひどくて、「ついに我が母も歳をとったか」と思ったものです。

あの時、感じた違和感と同じものを皇后陛下にも感じます。

それは何だろうと考えると

 年齢にふさわしい装いじゃない

 洋装令改革?

この二つですね

皇后様の服、30年前とあまり形が変わっていないし、このごろはますます

若作りになっているような気がして。

エリザベート皇后は60になってもそうは見えない程若々しいドレスを着てたけど

常に黒一色だった事が幸いしたのかしら?

 沖縄のゆうなの花の帽子

 伊勢神宮参拝時のお長服のケープ

かなりけったいに見えたのは事実。

年齢相応ではないですよね。色だけ地味にしても・・・・・

むしろ、普通のお年寄りは形はそれなりだけど色は華やかになっていくのでは

ないかと。皇后陛下は逆なんです。

また、桂宮通夜の時の和服にはちょっと驚いてしまいました。

庶民の家では喪主が黒紋付きで訪問者が洋装である事が多く

いわゆる「和服」がもっとも格が高いとされていますが、皇室は違います。

明治に出された「洋装令」以来、皇室の正装は洋装なんです。

だから三笠宮妃はドレスを着ていたのです。

昭和天皇の大葬の礼の時もそうだったでしょう?

皇后陛下はベールが足まですっぽりと隠れるようなモンタントを着ていました。

両陛下にとって戦没者慰霊祭の服装は第一級だと思いますが

香淳皇后は常に洋装。

東日本大震災の慰霊祭で喪服をお召になって以来、和服が素晴らしい

和服でいい・・・という事になっているんでしょうけど。

皇室のファッションがどんどん格下げになっているようで、私はあまり。

あの王室改革者だったダイアナ妃ですら、どんなに奇抜なファッションをしても

「王族らしさ」だけは失わなかったのいなーーーと

 

かつて、紀子妃が結婚した頃、皇后様と同じような服ばかり着てた頃がありました。

それは単純に皇后陛下の真似?と微笑ましく思ったものですけど

今思えば「皇后陛下流」でないと認めない何か、暗黙の了解があったのかも。

紀宮もまた、母と同じ素材でよりシンプルな服装しかしなかったし。

華子妃や秩父宮、高松宮妃のような自由がなかったなあと思うのです。

本来、皇室のファッションリーダーとなるべき紀子妃、眞子様がより地味で質素な

服装しかしないというのは、「皇后の呪縛」がそこにあるからではないかと。

昭和60年に世界のベストドレッサーに選ばれたという「過去の栄光」が

今も尾をひいているのかもしれません。

そういう意味では、いつもお古ばかり着てセンスゼロの皇太子妃は

皇后陛下にとって「もっとも安心できる存在」ではないかと思うのです。

オランダの即位式で、雅子妃があのような無様な格好をするという事を

皇后はある程度予測していたものと思います。

だけど何もしなかったし何も言わなかった・・・・週刊誌に寄ればむしろ

勧めたと。

ああいう場合、日本の皇族が恥をかくというのは非常に

不名誉な事でそれを阻止するのが皇后の役割ではないかと思うのですが

あえて好きにさせた、恥をかいても知らん顔だった・・・とするなら

それはなぜだったのか。皇后陛下の御心を知りたいです。

何を言っても聞く皇太子妃ではないのはわかりますが、最初からひどい事に

なるだろうとわかっていながらオランダに行かせた理由は何だったのか。

そして、「皇后の権威」が間違った方向に使われている事、陛下はご存知でしょうか。

 

 

 

コメント (39)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今時の女の子に読ませたい昭和の少女漫画15

2014-07-09 07:00:00 | 昭和の少女漫画

 さてさて。久しぶりに「昭和の少女漫画」を。

今回は非常にマイナーかもしれませんが、大谷博子です。

レディスコミック等で「翔子の事件簿」シリーズを描いているのでご存じの方も

多いと思うのですが、何をかくそう、この方もマーガレット出身。

彼女を一言で表すなら「清く正しく・・・正しいーー漫画家」って所でしょうか。

全て性善説 時々、イラつくんですけど、当時小学生だった私には非常に面白い作品群でした。

 

 「通り過ぎた青空」(昭和49年 別マ)

登場人物・・・直子(表紙左)

        晃(表紙右)

ストーリー・・・自殺未遂で病院に入院した晃。回りに当り散らしていたら、

         突然直子が病室に入って来て「あなた、命いらないの?だったらあたしに頂戴」と

         言う。

         実は直子はガンで腕を切り落とさなくてはならない運命。

         にも関わらず明るい直子にひかれ、晃は彼女と結婚したいと思うようになった。

         しかし、直子は手術してもガンが転移しており余命いくばくもなく・・・・・

 

赤いシリーズに代表される「余命いくばくもの」というのは、少女漫画の王道中の王道で

今でも「世界の中心で・・・」系に繋がっていますよね。

題材にしやすいと思います。

なかでもこの「通り過ぎた青空」は、主役も相手役も清廉潔白。

直子の明るさや前向き度は今ではありえないーーって感じです。

 「青春だから悩みます」(昭和49年 別マ)

登場人物・・・相原真美(表紙右)

        一条潤也(表紙左)

        

ストーリー・・・真美は高校生なのに身長が144センチ。一方の一条潤也は195センチ。

     背が低い事がコンプレックスになっている真美はバレー部に入りたいけど

     代わりに雑用をやっている。

    そんな真美を好きになった潤也は新聞部の同級生に頼んで、校内新聞の

    一面に自分と真美のツーショットを撮らせて掲載。

    これにはバレー部の先輩でひそかに潤也を慕う京子も面白くない。

    それを利用して真美の存在を疎ましく思う不良グループが真美を陥れようと・・・・

    実は潤也の妹は脳性まひでそれを苦にした母が心中してしまった過去があり

   真美はその妹そっくりなのであった。

 

要するに健康な体を持っているのなら、背が低いとか高いとか、こだわる必要はない。

今の自分をありのままに受け入れて前向きに生きよう・・・・というお話です。

 

 「この花をください」(49年 別マ)

登場人物・・・奈々(表紙右)

        亮 (表紙左)

ストーリー・・・鈴村花園の一人娘、奈々は実は捨て子で養女。

        16歳の彼女に叔母は見合い話を持ってくる。

        奈々が見合いをすると知り、心ひそかに奈々を好きだった亮が

        告白し、いざ結婚?

 

16歳の花嫁ってのもなんですが、亮って大学生なのよ。

大昔の「大学生」ってどんだけ大人だったんだろう。

奈々の養父母は娘が養女である事を知らないと思い、隠し通そうとします。

でも娘は知っていた。

亮との結婚を反対する理由は・・・・というところでお父さんが倒れちゃって。

つまり、生まれじゃないよ、育ちだよ。って事です。

 「だから負けない」(昭和49年 別マ)

登場人物・・・早川めぐみ(表紙)       

ストーリー・・・母がおでん屋を経営する家の娘、めぐみは名門高校で成績が

       よく、この度、目出度く交換留学生として推薦された。

       しかし、それに漏れた生徒の嫉妬がめぐみの出自を問題にする。

       母が病気の時に店に出た姿を目撃され、高校生にあるまじき事をしたと

       PTAで問題になり、結果的に留学はなしに。

 

あの当時、母子家庭でお酒を出す店をやってるってだけで「水商売の子」とか

言われて傷ついた人多数。

今や立派な「自営シングルマザー」なのにねーー

めぐみは正攻法で「私の出自がどうのといわれるのは構わないけど

母を悪く言わないで下さい」と言い切るんです。

そのあまりの清々しさに、穢れきった私などはくらくらしますが。

 

 「うわさのあの娘」(昭和48年 別マ)

登場人物・・・三鈴(表紙左)

        伸吾(表紙右)

ストーリー・・・16歳の三鈴は、彼氏の一人もいないし子供っぽいし・・・と

         思っていたら友達はこっそり髪を染めていたのです。

         そこで三鈴も髪を染めたら、真っ赤に。

         かつらをかぶって学校へ行くもばれてしまい停学。

         そんな時、伸吾が親戚の美容室に連れて行ってくれて

         髪を染めなおしたり、色々やってくれて好きになる。

        でも、「あいつは不良よ」と回り中から言われ、傷ついた三鈴は

        高校を辞めると言い出した。

 

今時、髪を染めたくらいじゃ不良とは言わないけど、昭和40年代は違ったのです。

そりゃあ大変な騒ぎ。すぐに近所中に噂は広まり「あの子は・・・」とひそひそ声。

男性と二人で歩いてたらもう終わり。

なーんて時代もあったって事です。

伸吾は昔、ちょっとぐれた事がもとで「悪」のレッテルを貼られてしまったけど

本当はいい人。だけど、そのレッテルは「自分がやってしまった事の結果」として

素直に受け入れて前向きに生きてる・・・・そういう事を言いたいお話です。

 

大谷博子は、ちょっと特殊な別冊マーガレットの中で、唯一、正統派の

「少女漫画」を描く人でした。

しかも完璧に文部省推薦、教科書にも載っていいくらいの「清く正しい」漫画を。

今読んでも、その道徳的な価値は十分にあります。

それにしても16やそこらで「結婚」だの「大人になりたい」だのって・・・あの当時の

女子は偉かったわねーー

 

コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする