ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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英雄というのは報われないもの

2014-07-31 03:00:00 | つれづれ日記

 相変わらずシンデレラです。

沢山のコメントにお返しできず、ごめんなさい。

でも全部読んでいますので。今は時間が惜しくて。

 

佐世保の事件、次々と明らかになる事実っ はネットで言われている事を

週刊誌が書く?みたいな?

何となくあの加害者の家庭が東宮家に似ているので ちょっと怖いです。

学歴ばかりたかくて躾が出来ず他罰的な親。

その親にごまかしごまかし育てられた娘の爆発。

事を起こした本人は冷静で「人を解体してみたかった

・・・・・皇室通はこの一言を読んで「ああ・・・雅子さんのコジュケイのはく製が」と思うわけで。

窓ガラス?に当たって死んだコジュケイをはく製にすると先生が言って

中身を云々 小学生の女の子にしては「気持ち悪い」事を平気で・・・というか

冷静に、残酷なほどすっきり書いている部分が。

給食に洗剤を入れた時も、母親は平謝りしたけど父親は学校のせいにしたとか。

ここらへんもよく似てる。

という事は、やっぱり去年の皇太子の額の傷は・・・・・もしかして・・・・と思っちゃうよね。

そんな「自称皇族」でも皇族は皇族なわけで。

20年ぶりに伊勢に行ってみれば「出来なかった事が出来るようになった」とか

20年前のドレスをそのままお召に。当時の感慨を思い出されての事ではないか。

丁寧に保存している技術が・・・」とほめあげ。

その一方で「雅子様の体調に考慮して」あれもこれも取材はダメ。

愛子内親王に関しては「よく頑張ったね」と幼稚園児扱いのほめあげ。

来てくれてありがとう」と沿道から声をかけられ、鼻たかだか?

伊勢に来たかった」と雅子妃は言ったとされますが、それで「本当にきて下さって

ありがとう。念願が叶って本当によかったですね。これからもちょくちょく体調に

支障がない範囲で来て下さい。そして付近の観光してお帰りになられたらよろしい

なんて思う人がいるのか。いたら手を挙げて

「悲願の伊勢神宮」とかいうタイトルで

雅子様は20年前、この玉砂利を歩いた事を思い出されていた・・・・」とどなたかに

書かせる?

悲願の伊勢神宮参拝は無事に終わり、これで正々堂々フランスへ行けますとも。

夏中静養してディズニーシーへ行っても叱られない。やる事やったんだから。

神様なんてちょろいもんよ。鳥居をくぐって玉ぐし捧げたらそれでOKなんだもん。

でもこれでうちのお父さんは未来の天皇陛下確定(元から確定しているけど一部の

心無い国民がああだこうだ言って文句言ってる)だから、その決定には逆らえない。

絶対に逆らえるもんですか。

公務をしようがしまいが、天皇は天皇、皇后は皇后。

私達の意思は天の意思なんです。

愛子は皇太子になるのよーーー神様なんて・・・・♪ 少しも怖くないわ ♪」

そしてハイになった雅子妃の夢はどんどん膨らみ

あと何年で皇后になれるかしら。式典関係は全部「体調の波」で押し切って

年の半分は欧州で過ごすわ。だって3億使いたい放題だもん。

これでヤフオクの件も永遠に闇に葬られ、消えた扇やティアラの事を追及される心配はない。

だってどこにもないし。知るわけないし。

 ありのままの私が行くわよ ありのままの姿でヨーロッパ

 みんなひれふすわ だって私は・・・・日本の皇后 誰も逆らえない 少しも怖くないわ ♪」

駅での満面の笑みとお手ふりの意味はこれでした。

そして一部の「心ある」国民は悔しさに歯噛みし、「天は私達を見捨てたのか」と

悲しみの雄たけびをあげるのでした。

 

とはいっても。

古代から日本の「英雄」というのは常に報われないものなんですよ。

ヤマトタケルしかり、聖徳太子しかり、大津皇子しかり、長屋王しかり、後醍醐天皇しかり・・・

義経だって天草四郎だって、悲劇の死を迎えたからこそ国民の心に残り

永遠に語り継がれる話になるわけで。

先日、新宿の高島屋の「浅田真央展」を見に行きました。

御年23歳のフィギュアスケーター。

近々のソチ五輪ではメダルを取れなかった人です。

けれど、この催しには沢山の人が訪れ、解説なしのソチ・フリーを見て涙ぐんでる。

高橋大輔だって同じです。

今だって傷だらけのソチ・ショートもフリーも涙なしには見る事が出来ません。

個人的にここ数か月が一番仕事上、きつかったーー さすがの私も辞めたいと思いつつ

出勤し、珍しく愚痴ばかりの日々。

でも、そういう時、やっぱりなぜか見ちゃうのが真央&大輔だったわけで。

メダルの栄光はないけど、二人は確かに「英雄」です。

それは日本という国の中だけでなく、世界でそう思われている。

ゆえにメダルなしでもエキシビションに出たわけで。

「判官びいき」という言葉、私は好きです。

傷だらけでも報われなくても一生懸命やってくれて、わかる人にはわかる・・・それで

十分だと思いたい。

その後の事は歴史が決めるでしょう。

誰が名を残すのか。

 

そうそう。どこぞの内親王が道長について卒論を書いたんでしたっけ。

その締めくくりは「道長の人生は本当に幸せだったのだろうか」でしたね。

さらに一言付け加えさせて頂いてもよろしいでしょうか。

ともあれ本人が幸せであってもなくても、後世において道長を愛する人はいない。

道長の政治に翻弄された一条天皇と定子中宮の愛は源氏物語に姿を変えて残され

今も多くの人々に感動を与えている。どちらが本当の幸せだろうか」

 

 

 

 

 

コメント (15)
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