ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

世も末かも

2014-10-17 16:58:09 | つれづれ日記

 おかげさまで、腰は大夫よく・・・・なってる筈と言い聞かせて。

週末は舞台を見に行かなくちゃいけないから、何が何でも元気にならないと。

スカイステージで「ロミオとジュリエット」(星組)を見て。

DVD持ってるのに・・・何度も見ているのに・・・・何でしつこく泣けるんだろうと思いつつ。

柚希&夢咲カップルのラブラブぶりに「勝手にして」状態。

でもふと考えました。

今なら

ロミオって殺人で起訴されるよね?

 先にマーキューシオがティボルトに手を出して、ティボルトに殺される。

 ロミオは親友を殺され、逆上してティボルトを殺した。

この場合、ロミオは懲役何年くらいで求刑されるのかなあ・・・・・

無期懲役?死刑って事はないよね?

ティボルトはマーキューシオを殺しているから、死後、書類送検?

マーキューシオが先に手を出したのでティボルト正当防衛」が通用する?

でも、まるっきり丸腰状態のティボルトの隙をついてロミオは刺したわけだから

同情の余地はなくなるかしら?

とはいえ、親友を殺されたショックで我を忘れたというのは弁護の余地あり?

キャピュレット家は娘を傷ものにされ(まだ初夜前だけど)

跡取りを殺されたからモンタギュー家に損害賠償を請求できますか?

大公は甥を殺された賠償請求をキャピュレット家に出来る?

・・・・なんてことを姫と一緒にあれこれ考えていたんですけど。

そういう裁判劇も面白いかなって。

さて本題。

お仕事中・・・印鑑登録しに来たおばあさんが聞き取り調査されているのを耳にしました。

ーご結婚されたのはいつ?

昭和20年の2月。当時、兵隊さんだったから(夫が)多摩に住んでたの」

(兵隊さんといっても徴用されていたようで・・・お役人系?)

ーいつ、こっちに引っ越しを?

オリンピックの年だから昭和39年」

で・・・私と、6歳下の新人Aさん(主婦)は「よく年まで覚えているよね」みたいな話をしてました。

そこで、私が弾みで

私 「昭和20年の2月って。もうすぐ東京大空襲の時じゃないの」

A 「へえ・・・よく知ってますね。私、習ったかもしれないけど忘れました

私 「忘れた?じゃあ、終戦記念日は?」

A 「忘れました。8月ですか?」

私 「昭和20年の8月15日」

A 「昭和20年って・・・19・・」

私 「1945年です。広島の原爆の日は?」

A 「え?なんですか?それ。昭和?全くわからない」

私 「長崎は・・・・」

A 「さーー」

私 「広島と長崎とどっちが先だ」

A 「広島っ(得意げに)でもどれくらい違うかは・・・・」

私 「じゃあ、真珠湾攻撃の日は」

A 「ああ・・パールハーバーですか。ええっと昭和19年」

私 「あの、昭和20年で戦争が終わるんだけど

A 「え?じゃあ昭和15年」

私 「へえ、太平洋戦争って5年もやってたの」

みたいな不毛な会話が延々と続いていましてね。

たった6歳しか違わないのです。

彼女は昭和生まれですよ。

学校でちゃんと習った筈だし、毎年夏にはテレビで特集組まれるじゃない?

だけど、「忘れました」(てれっ)って言えちゃうんだーー恥ずかしげもなく

印鑑登録しにきたおばあさんが「昭和20年の2月に結婚した」の一言を聞いた時も

私と彼女ではまるっきり考えた事が違っていたわけ。

私は「終戦間近の物のない時代に結婚かあ。兵隊さんと。まあまあ・・ご苦労されて

と思い、下町に住んでいなくてよかったねとか、戦後は田舎に移ってよかったねとか

そんな事を思っていたけど、彼女の場合は

ひゃーなんて古い話。今から何年前?戦争中?歴史の教科書か?」だったわけですね。

広島と長崎の原爆記念日を忘れた・・・と言っただけでも怒るけど、

日本人として終戦記念日を忘れるってどうよ

ちなみに彼女はちゃんとした日本人ですけどね。

多分、学歴も大卒で適齢期にご結婚。後、専業主婦で今日まで来て

久しぶりに「働いてみようかな」と思った口。

どこにでもいる人です。

「真珠湾」を「パールハーバー」というようなことはよく知っているわけで。

彼女の子供は小学生。

当たり前だけど、終戦記念日も知らないだろうし、原爆?なんだそりゃ状態でしょう。

年号が苦手でも昭和20年=1945年くらいは把握して欲しいよね。

多分、天皇誕生日も知らないんじゃないかなあ。

 

1世紀も前、併合された恨みを募らせ、70年も前、売春婦にならざるを得なかった

可哀想な女性たちの恨みを日本に転嫁させ、現代の売春婦については

ほったらかしのかの国の「執拗さ」もどうかと思うけど、

日本人の忘れっぽさはもっとどうかと思います。

そういえば、水曜日の「ザ・プロファイラー」でやってたけど

太宰治が「人間失格」で最も言いたかったことは

日本人の変りよう」についていけなくなったという事だとか?

戦前は「国の為に」と言いながら、戦後は180度思想を転換させて

民主主義はいいものだ」とみんながいい始める。

戦前の全てを否定されている状態に耐えられなくなって自殺したとか。

もし、本当にそうなら太宰の絶望感はもっともです。

だけど、自殺・・・っていうか、心中しちゃいけなかったと思うけど。

死ぬなら一人で死ななくちゃ

芥川龍之介は一人で死んだよね?

ぼんやりとした不安」を抱えて。

その「ぼんやりとした不安」もまた、国の、国民の軽薄さを憂えたのではないかと思い。

私達もまた、幾度となく日本人特有の忘れっぽさ、熱しやすく冷めやすい所

扇動されやすい、「自由」とか「民主」とかいう言葉に弱い・・・・・

強気に出られると弱くて、言うべきこともいえなくなる。

「沈黙は金」を座右の銘のようにして。

いつしか国の事も住んでる地域の事も、家族や先祖の事すら

「忘れちゃった。ま、いいっか」で終わらせてしまう。

そういう部分に絶望感を覚える事、幾星霜。

それでも、だからって死ぬわけにいかないのですよ。

「普通」に昭和に生まれて普通に教育を受けた40代の女性ですら

この調子である事にどんな、情けなさを覚えるか。

日々、ブログで語る事すら無駄なのかもしれないと思います。

やっぱりね。

祝日を祝日として意味をわかった上で休んだり祝ったりするのではなく

単に「日本人は働き過ぎでろくろく休みをとらないから

連休を増やして強制的に休ませてしまえ。そうすれば経済効果も上がるでしょ

という耳障りのよい言葉にすっかり騙されてしまった国民だから

仕方ないのかもしれません。

8月11日に出来るとかいう「山の日」なんてまるっきり意味わからない祝日を

作るあほさ加減。

今からでも何とか出来ないものかしら?

 

 

 

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする