ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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比較したくはないけど   3

2015-02-09 08:00:00 | 皇室報道

 大正13年1月16日成婚・・・21歳

この頃、裕仁親王は摂政宮。つまり天皇の代行をしていたのです。

ゆえに良子妃も「摂政宮妃」と呼ばれていました。

良子などと名前で呼ばれた事はない筈。

若干21歳。とはいえ、この時代なら普通かおそめですね。

摂政宮妃はフリンジ、フェザー・・・がお好き?

非常に若々しく初々しいドレス姿ですよね。

 

これはレース使い?

アールデコの香りが漂う、美しい摂政宮妃。

 

 眞子様20歳

 佳子様20歳。

 

美智子嬢。大体20歳くらい?

なで肩なので着物がよくお似合い。髪は天然パーマをなでつけて。

まだ「満月」のように頬がふっくら。

 

 現代は20歳や21歳は学生時代です。

とはいえ、紀子嬢はすでに礼宮とお付き合いを。

 

 香淳皇后22歳。照宮さまの母に。

結婚されて髪をきちんと上げられ、「ミセス」の雰囲気に。

 

正田美智子さん。聖心女子大を卒業。

これからは家事手伝い・・・・ハイソなお家のお嬢様は働きません。

軽井沢でテニスをして皇太子殿下と知り合います。

 

 小和田雅子嬢ハーバードを卒業。

まるで母君が主役みたいな写真ですが。

雅子嬢は外交官試験を突破。外務省入りして東大に学士入学。

そしてオックスフォードに留学・・・学生時代が続きます。

 

 即位の大礼。23歳。ティアラは昭憲皇太后の。

今のようにウエストを絞っていないスタイルのドレスですね。

 

23歳くらいの正田美智子さん。

濃い色のツーピース。襟が大きい。なで肩がコンプレックスだったのでしょうか?

 

 週刊誌を飾る小和田雅子嬢24歳。

白のブラウスは定番。胸元にブローチも定番。

外交官試験受かって得意顔。

川嶋紀子さん23歳。

シンプルな水玉のワンピースに黒のバッグ。髪はハーフに。

いわゆるトラッドスタイル?

ジョギング姿でマスコミに会釈。

デート・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

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比較したくはないけれど  2

2015-02-09 07:30:00 | 皇室報道

15歳の久邇宮良子女王。お見合い写真です。

これを裕仁親王に届けられたんだとか。

大正時代、皇族の範囲が決められ、永世皇族制度はなくなりました。

ではこの頃の皇族のお仕事は。軍務です。

香淳皇后は袴に髪はおすべらかしですね。

もしかしたらこれでも「省略形」なのかもしれませんね。

 

眞子内親王15歳。オーストリアにホームステイの帰り。

飾り気がまるっきりない。

佳子様15歳。ちょっと反抗期?

 愛子内親王13歳。

高級ブランド品ながら真冬に半袖セーター・・・下にはアンダーシャツみたいな?

 愛子内親王は将来「皇女」になります。

 

19歳くらい。刺繍が美しい。

同じく19歳から20歳くらい。

この頃、良子女王は洋装といえばこの羽根飾りが多いですね。

カメラもお好きだったようです。

普段はこんな風な洋装だったのでしょう。

このドレスと椅子、帽子は私好みっ!!

少女漫画の世界から抜け出たよう。

 

 

 眞子様18歳。もはや制服はないのに

大学に入学と言うことでリクルートスーツのよう。

 佳子様18歳。これまたリクルートスーツのよう。

入学式くらい、もうちょっと華やかに・・・と思う事はタブー。

  

雅子妃16歳。何で16歳で振袖なのかわかりませんけど。

3人とも貸衣裳?

 

有名な1枚。10代で野球選手のおっかけをしていた頃。

これも多分大学時代・・・部屋のちらかりようがなんとも。

でもまあ、自由なバブル時代っぽいですね。

 小和田雅子さんは七五三の写真も成人式の写真もありません。

小和田家も江頭家もそういう事にはうとかったんでしょう。

雅子さんの居場所が日本になったり外国になったり落ち着かなかったから?

今思えば、ちょっとかわいそうですよね。

 

  セーラー服の川嶋紀子嬢。

19歳の紀子さん。

小和田雅子さんと3歳しか違わないのに、まるで違う時代のファッションのよう。

こっちが普通です。

髪は長めでカール。バブル期は前髪をくるんとするのが流行ってました。

だけど誰もいかり肩じゃない。

 

 

 

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比較したくはないけど   1

2015-02-09 07:00:00 | 皇室報道

 天気がよくわかりません。晴れたり雨が降ったり。

寒いよーと思っていると、意外暖かいと感じたり。

立春を過ぎたんですものね。

 

さて。

昨今、皇后様のファッションについて色々考える事が多く。

個人的には「年齢にそぐわない恰好」じゃないのかなあと思ったりしてます。

アンチエイジングという考え方が浸透し、50代でも30代に見えるとか

80代でもせいぜい50代に見えるとか・・・そういう努力が必要と言われますよね。

吉永小百合なんて年齢不詳の域に達し、もはや怖いーーだし

十朱幸代も栗原小巻も岩下志麻も年齢不詳

大地真央なんて、自分の年齢を忘れてるって感じ。それは黒木瞳もそうだけど。

だけど役柄の幅を広げるには歳相応に老ける事が必要。

そんなに若く見える事が重要なのかなと思ったり。

皇后陛下は成婚以来、日本のセレブ女性のファッションリーダーでした。

それはベストドレッサーになった80年代にピークだったと思います。

あれから30年。

皇后陛下の時は止まってしまったような気がします。

それがいいか悪いかは私にわかりませんが、最近の皇后様の

ファッションを通して感じるのは「痛々しさ」です。

老人なのに老人らしく暮らせない。

それは現代の老人も同じでしょう。

やっぱり皇室は国民の鏡なのかなと思ったりして。

 香淳皇后・・・1903年(明治36年)3月6日生まれ。

 満7歳頃。

10歳頃。

初等科に入られた頃のドレスは舶来品ですよね。

まるでフランス人形のような感じ。

学校へは制服をお召のようで。プライベートで写真撮影時には

髪を後ろで束ねて袴。

 

久邇宮家は幕末に「朝敵」とされた宮家です。

しかし、伏見宮家の血筋をもっとも濃く受け継いでいるのもまた久邇宮家。

母は薩摩藩主の七女。

父は久邇宮邦彦王。

 

 皇后・・・1934年(昭和9年)10月20日生まれ。

 5歳くらい?

 愛子内親王5歳。

 物議をかもしだした道中着。

ちなみにこの時の雅子妃の服装は白スーツ。ローブ・モンタントでは

ありませんでした。

簡略化の一途ですね。

 もうちょい大き目

この時代、昭和10年代はモボとかモガの時代でしょうか?

でも裕福じゃないとこんな素敵な服は着れませんでしたよね。

 戦前は商人。

だけど、戦後は「新興貴族」のお家柄。

 

 皇太子妃・・・1963年Z(昭和38年)12月9日生まれ

 小和田三姉妹

久邇宮三姉妹

8歳頃。田園調布雙葉合格祝いの関西旅行。

こういうチェックのワンピースは普通でしたけどね。

 

 秋篠宮妃紀子・・・1966年(昭和41年)9月11日生まれ

七五三時。

今と違って柄がシンプルですよね。

色も紫を選ぶとは。冒険したなあという感じ。

皇后陛下の七五三は・・・

右側のお写真です。

 

小和田雅子さんの七五三の写真はありません。

双子ちゃんのはあるようですけど・・・・・外国にいたから(という理由で?)

ないのかな。

とはいえ、これは雅子さんを責められません。

1960年代。今みたいに必ず七五三をやるとは限らなかったんです。

あの当時は今ほど季節行事とか年齢行事が大事にされてなかったというか。

まだまだ余裕のない時代だったんでしょうね。

ゆえに、着物を着てお写真撮れる(貸衣装ではなく)人はお金持ち。

だけど、小和田家は外交官の家ですからお金持ちの筈ですよね。

 

 

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