ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

坂東三津五郎さん死去

2015-02-23 18:21:36 | ドラマ・ワイドショー

歌舞伎界がまた・・・

 坂東三津五郎氏 死去 

 21日、歌舞伎俳優の坂東三津五郎氏が死去。

 享年59歳。

 膵臓がんの為

 歌舞伎界の事はよくわからないのですが。

  勘三郎さんと団十郎さんが亡くなり、そのすぐ後、三津五郎さんの病気が

  発表されて、ファンならずとも驚き、心配したものでした。

  新しい歌舞伎座になってから、少しもいい事が起きないなと。

 でも初期のがんだったから・・・・という事で、ドラマにも出てたし、元気なんだなあと。

  だけど本当に突然の訃報に驚いています。

  三津五郎さんのドラマとしては「ルーズヴェルト・ゲーム」が最後だったと思いますが

  あの時もネットでは「顔色が悪い」などと言われていましたよね。

  だけど、本当にいい役だったなあと思います。

 1976年、NHKで放送された「怪傑黒頭巾」を見た時、「かっこいいなあ」と思って

  何と言う名前か聞いた記憶があります。

  そのとき、「坂東八十助」という名前を知りました。

  以後、度々テレビで見るくらいで。

  でも、宝塚とは大きな繋がりがあった人でしたね。

  寿ひづるさんは、雪組から花組に組替えになって、もうすぐトップという時に

  三津五郎さんと電撃的な「結婚退団」したとか。

   「いーちゃんをトップにせず辞めさせた」とファンからは多少のブーイング?

  それでも幸せならいいかと見守っていたものの、あの離婚劇ですっかり心象が

  悪くなったことも事実。

  彼はとてもモテたんでしょうね・・・寿さん以外にもヅカでは噂があった人がいましたよね。

  あの容姿だし、優しそうだし。

 でも、巳之助君が後を継いで、何とか寿さんのメンツも立ったかなと思ったものです。

 過去に色々あっても、役者としてはこれから油が乗って、素晴らしいものを見せて

  貰えるはずだったし、三津五郎さん自身もそう思われていたでしょう。

  志半ばの死は悔やんでも悔やみきれません。

  人というのはどうしてこうもはかないのか。だからこそ、一日一日を大切に生きて

  行かないといけないんですよね。

 三津五郎さんの死で歌舞伎界の勢力図にも大きな変化があるのでは。

  心からご冥福をお祈りします。

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皇太子殿下 55歳に3

2015-02-23 18:20:00 | 皇室報道

 

 昭和天皇の思い出

「昨年8月に昭和天皇実録が天皇皇后両陛下に奉呈されました。

実録が,長い時間をかけて多くの人々の努力により今回完成したことをうれしく思いますとともに,

編纂(さん)に関係した方々のご苦労もいかばかりであったかと思います。

実録は,昭和天皇ご一代のご事蹟(せき)を客観的資料に基づき記したものであり,

実録の内容の公表を通じ,多くの人が昭和天皇のご事蹟(せき)に関心を持ち,

併せて昭和という時代への理解を深めることになればと思います。

実録自体は大部のものであり,全体を読むのには時間が掛かりますし,

個別の内容について申し上げることは控えたいと思いますが,

昭和という激動の時代にあって60年を超える長きにわたり,国民を思われ,

真摯(し)にご公務に当たられた昭和天皇のお姿がしのばれます。

昭和天皇のご事蹟(せき)と昭和の時代の変遷を,

政治,社会,文化,外交などの総合的な視点から理解するためにも,

更に実録を読み進めていきたいと思います。

昭和天皇には,幼い頃から,御所に上がらせていただいた折に,

優しくお声を掛けていただいたことを懐かしく思い出します。

そして,天皇のお仕事の大切さやお仕事が大変なこともお話の節々に感じたように思います

小さい頃の思い出ですが,御所に上がった折に,生物学者でいらっしゃった昭和天皇が,

何かをお調べになるのに書庫に入って行かれたことがありました。

今の陛下も一緒に行かれて,私も興味があったのか,後をついて行ったように思います。

書庫の中で分厚い本を昭和天皇が広げられ,

今の陛下と何か楽しそうに,それでいて真剣な感じで話し合われていたのをよく記憶しています。

その時,私は,何かあったら調べることの大切さ,そして,お二人の研究者としてのまなざしを肌で感じ,

研究をするというのはすばらしいことだなと,子供心に思ったことを覚えています。

現在の私は,昭和天皇とも現在の天皇陛下とも研究分野は異なりますが,

お二人から,真理を探求していくことの大切さや,その楽しみについても,

いろいろと教えていただいてきていることに対して大変感謝をしております。

 「孫」としての意見が一つもありません。他人事。そして読んでない。

  読むのに時間がかかるから個々については言わないけどーーーというのは

  要するに「読んでない」って事ですよね。

 「・・・したように思う」「ついていったと思います」「記憶しています」

  要するに全然覚えていないって事ですね。

 この部分の秋篠宮の答え。

昭和天皇の思い出ということですが,一つ挙げるとするならば,これは昭和の最後の頃ですね。

昭和天皇の恐らく一番最後の生物学の関心事だったと思われるナスヒオウギアヤメというものがありました。

ナスヒオウギアヤメというのは,ヒオウギアヤメ,これはアイリスの仲間ですけれども,

ヒオウギアヤメの一変種になるわけですね。那須にあるのでナスヒオウギアヤメなのですけれど,

昭和天皇の生物学研究所の職員が普通のヒオウギアヤメと違うものがあるといって見付け,

恐らく変種だろうということになったのですが,そのアヤメが,

果たしてヒオウギアヤメとどういう関係にあるのか,そのことを知りたいとあるとき私に話されました。

いわゆる花の形態であるとか,そういうものでないやり方で何か分からないかと,

遺伝学とか,生化学ですとか。それで,私がつなぎ役みたいな形になって,

財団法人でしたけれども進化生物学研究所という元々は東京農業大学の育種学研究所

だったところですが,そこの所長に話をして,ナスヒオウギアヤメのプロジェクトが

始まったということがありました。

その間,中間的な報告が私の所に来るとそれを昭和天皇の所で説明をするということをしていたのが

ちょうど1988年でしょうね。春ぐらいだと思うのですけれど。

ただ残念ながら,一連の仕事が終わる前に崩御になってしまいまして,

その後平成になってからですけれども,できた論文を吹上御所の,

昭和天皇のお御(み)影というのでしょうか,写真の前にお供えしたと,そういうことが

恐らく一番印象に残っていることかなと思います。

そのほか,子どもの頃に,夜,曼珠沙華がきれいにお堀端に咲いているから見に行こうという話があって,

全員で曼珠沙華を見に行ったとか,そういうことがありますけれど,

一番印象に残っているのは,やはりナスヒオウギアヤメのことです」

 だけど皇太子のこの「情」のなさというのは・・・単に昭和天皇との思い出がない

  というだけなんでしょうか?

  天皇陛下はこの部分を、美智子妃の思い出として語られています。

 「この時私は那須を離れ,地方で行われる行事に出ていたのですが,

昭和天皇は生まれたばかりの浩宮を守って留守をしている美智子が寂しくないよう,

香淳皇后と共に散策にお誘いくださったのではないかと思います」

 この後、ヒツジグサを見つけて昭和天皇に名前を教えて頂き、紀宮のお印にした話に

繋がるのですが、これは故意だったのでしょうか?

独身の頃の思い出などではなく、あえて美智子妃が一人で那須に残された時の話を

したというのは。

 

 韓国で行われる「水フォーラム」出席について

私も,国連「水と衛生に関する諮問委員会」の名誉総裁をやっておりますので,

今回の世界水フォーラムが,水問題を考える上で良い大会となることを心より願っております。

私の出席については,これは政府の方で検討されることですので,

私からはコメントは控えたいと思います」

 何というか・・・「国連水と衛星に関する諮問委員会の名誉総裁」をやってるぞ。どうだ!

  的な。そして政府に訪韓を阻止された事に恨みがあるような話し方ですよね。

 

 天皇の公務について昭和天皇から学んだ事は

昭和天皇とは本当に小さい時から御所に上がるたびに非常にいろいろと

良くしていただいていたわけですけれども,

昭和天皇から直接公務について何か教えていただいたということよりは,

やはり昭和天皇とお話をしながら,ご様子を拝見しながら,

昭和天皇がご公務に真剣に取り組んでいらっしゃるということを非常に肌で感じ,

そのことが私にとっても大変大きな教えになったように思います」

 普通、身内のことを「よくしてもらって」とは言いません。それを言うなら

  「可愛がっていただき」だと思います。

 「昭和天皇には小さい頃から御所に上がるたびに、色々と心を砕いて頂き

  可愛がっていただきました」というならわかるけど「昭和天皇とは・・・よくして頂いて

 いた」という言い方自体が変。

 この「よくして頂いて」は小和田語ですよね。

 かつて愛子内親王が雅子妃から「よくしてくれてるから今度は私が・・・」と言ったのと同じ。

 皇太子は昭和天皇と触れ合ってはいないでしょう。

  本来、皇統を継ぐ孫なのですし、誰よりも可愛がられなくてはいけない存在なのに

  それがなかったという事は、それを阻むものがあったという事。

  孫が祖父母と親しくなれない原因は「親」です。

  浩宮の成長過程で、美智子妃の葉山静養や「いじめ」などから、過剰に回りへの

  敵意を吹き込まれたのではないかと。

 

 戦争について両陛下から聞いた事は

個々のことについてお話しするのは差し控えたいと思いますが,

両陛下からのお話の中で,やはり本当に戦争がいかに悲惨なものであるか,

こういったことを本当に二度と繰り返してはいけないものだということが,

お話の節々で感じ取られ,本当に両陛下の平和を尊ぶお気持ち,

それから諸外国との友好関係を大切になさるお気持ち,

そういうものが私にも非常にひしひしと伝わってきて,そういったことが私にとっても

非常に強く印象に残っております」

 つまり何も聞いてないという事ですね。

  とにかく「悲惨」「二度と」「平和」という言葉を羅列していれば、何とかなるといった感じ。

  感想が小学生並みで「何だかわからないけど戦争って怖いんだなあ」と思いました的な?

  しかも「個々の事について話すのは差し控える」という事は、具体的な

  エピソードが何もないと言う事ですね。

記者会見時の皇太子の顔が非常にむくんでいる事が気になりました。

また、動画の中の雅子妃の上目使いに笑う顔がどうにも不愉快で。

キャバクラ嬢じゃあるまいし、媚びたような顔をする必要性があるんでしょうか?

さらにいうなら皇太子は内親王側に体を向け、雅子妃を見ないようにしています。

無意識に避けているような感じです。

もしかしたら娘も避けているのかも。

 

天皇陛下から「次世代として最後の宿題」になる・・・と言われた今回の記者会見。

私は、天皇陛下から見ると今回は「及第点」と思います。

なぜなら「憲法順守」「平和」を繰り返している事。

「正しい歴史認識」「謙虚に歴史を振り返る」「平和が大事」「戦争は悲惨」

天皇というのは国家安泰を願う立場にいるものですが、それは無条件であると

私は思います。

「正しい歴史認識」や「謙虚さ」を持った国家なら願う価値あり・・ではないのです。

天皇陛下と皇太子の発言を昭和天皇がお聞きになったらどうでしょうか?

負けてしまったばかりに」と思われるでしょうか。

昭和天皇が晩年、沖縄へ行きたいと思われたのは「君主」として沖縄を見捨てた

形になってしまった事を詫びる為で、決して戦争したことではないと思います。

避けられるものなら避けたかった。

それは誰でも同じです。でも日本と言う国の存亡の危機に、天皇としてどうあるべきか。

それはなかなかに答えが出ないものであるけど、次世代が過去を否定しては

いけないのではと思います。

 

皇太子が天皇になると言う事は、はっきりと「自虐史観」を掲げた天皇が誕生する

事になります。それは政府にとってメリットになるんでしょうか?

政治家の方々は皇室には無関心です。

むしろ左翼の方が「天皇と皇太子の発言は利用価値あり」とみているでしょう。

それが正しいのでしょうか?

 

 

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皇太子殿下 55歳に2

2015-02-23 17:36:00 | 皇室報道

 戦後70周年について。

先の大戦において日本を含む世界の各国で多くの尊い人命が失われ,

多くの方々が苦しい,また,大変悲しい思いをされたことを大変痛ましく思います。

 文章作成者(雅子妃?小和田家?)

(まず、哀悼の意だよ。痛ましい・・・この言葉に尽きる。)

 何というか・・「苦しい」「悲しい」などという言葉で表現できる程度のものなんでしょうか。

  先の大戦というものは。

 

広島や長崎での原爆投下,東京を始め各都市での爆撃,

沖縄における地上戦などで多くの方々が亡くなりました。

亡くなられた方々のことを決して忘れず,多くの犠牲の上に今日の日本が築かれてきたことを

心に刻み,戦争の惨禍を再び繰り返すことのないよう過去の歴史に対する認識を深め,

平和を愛する心を育んでいくことが大切ではないかと思います。

そしてより良い日本をつくる努力を続け,それを次の世代に引き継いでいくことが

重要であると感じています。

 文章作成者(雅子妃?小和田家?)

平和憲法万歳!歴史認識といえばずばり「日本が加害者」という事でしょう。

戦争はしちゃだめ、平和といえば誰もが喜ぶ)

 戦後生まれのくせに上から目線だよな・・と思うのは私だけですか?

 

両陛下には,これまで様々な機会に,戦争によって亡くなられた人々を慰霊し,

平和を祈念されており,今年は,戦後70年に当たり,4月にパラオ国をご訪問になります。

戦後60年にはサイパン島をご訪問になりましたが,

お心を込めて慰霊されるお姿に心を打たれました

また,両陛下には,今年戦後70年を迎えることから,

昨年には広島,長崎,沖縄で戦没者を慰霊なさいました。

 文章作成者(雅子妃?小和田家)

天皇の業績をここで一発。感動したと言えばみな喜ぶし納得するだろう)

 「ご訪問になりました」という言い方がすでに上から目線。本当は自分がやらなきゃ

  いけない事じゃないんですか?

  両陛下が慰霊している事をいちいちあげつらう事に何の意味が?

 この部分の秋篠宮の答え。

私が本当に子どもの頃から度々に両陛下から戦争の話を聞きました。

特にあれは,1975年でしたでしょうか,まだ復帰から3年の沖縄で海洋博が行われたときには,

非常に激しい地上戦になった沖縄の戦争のときの話を,

折に触れてというよりも非常に頻繁に沖縄戦の話を聞き,

またそれに関連する映画を見たりいたしました。その後も度々に戦争のときの話を聞く機会があり,

私たち(両殿下)は,戦争というものを二度と繰り返してはいけないということを

強く思ったわけです」

同じ親から同じ事を聞いていながらこの感想の違い・・・・・

 

私は,子供の頃から,沖縄慰霊の日,広島や長崎への原爆投下の日,

そして,終戦記念日には両陛下とご一緒に黙祷(とう)をしており,その折に,

原爆や戦争の痛ましさについてのお話を伺ってきました。

また,毎年,沖縄の豆記者や本土から沖縄に派遣される豆記者の人たちと会う際に,

沖縄の文化と共に,沖縄での地上戦の激しさについても伺ったことを記憶しています

私自身もこれまで広島,長崎,沖縄を訪れ,多くの方々の苦難を心に刻んでまいりました。

また,平成19年にモンゴルを訪問した際に,モンゴルで抑留中に亡くなられた方々の

慰霊碑にお参りをし,シベリア抑留の辛苦に思いをはせました。

私自身,戦後生まれであり,戦争を体験しておりませんが,

戦争の記憶が薄れようとしている今日,謙虚に過去を振り返るとともに,

戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に,悲惨な体験や

日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切であると考えています。

両陛下からは,愛子も先の大戦について直接お話を聞かせていただいておりますし,

私も両陛下から伺ったことや自分自身が知っていることについて愛子に話をしております。

我が国は,戦争の惨禍を経て,戦後,日本国憲法を基礎として築き上げられ

平和と繁栄を享受しています。戦後70年を迎える本年が,

日本の発展の礎を築いた人々の労苦に深く思いを致し,平和の尊さを心に刻み,

平和への思いを新たにする機会になればと思っています。

 文章作成者(雅子妃?小和田家?)

「毎年黙祷している事をいい、沖縄豆記者に会って思った事をいい

両陛下から話を聞いているしそれをちゃんと娘にも話してる。

日本国憲法を守り、憲法9条を守る事が大事だとメッセージを送ろう」

 55歳にもなって、毎年の黙祷をわざわざ「黙祷した」と報告する皇族が

 どこにいるでしょう?

 いちいち「黙祷した」「沖縄と広島へ行った」「モンゴルへ行った」「沖縄豆記者から

 話を聞いた」と殊更に自己主張しています。

 当たり前の事をしているだけなのに、何でそんなに主張するのか?ものすごく

 不愉快です。

 豆記者から話を「伺っている」わけ?

   しかも「記憶している」って・・・・毎年会っているのに大昔の話しみたい。

 結果的に自分が聞いた話と愛子内親王に話す内容は「悲惨な戦争」という

  事だけでしょうか?

  具体的に何をどう聞いたという話がない(当たり前です。その場にいないんだから)

  適当に答えているという印象。

 大問題なのは

 「謙虚に」過去を振り返る云々・・・謙虚って何?謙虚って。今の日本人が謙虚に

 過去を振り返っていないとでもいうの?

  首相が靖国神社に寄進したりお参りしたりすると「謙虚じゃない」とか?

  河野談話を踏襲しないと思われるから「謙虚じゃない」とか?

 なぜにそこまで政治発言するのか。

 「歴史が正しく伝えられていくこと」という「歴史」を皇太子はどう受け止めているんでしょう?

 自虐史観でしかものを考えられない人、少しも日本国側に立ってものを見ない皇太子。

 これでも昭和天皇の「孫」なんですって。

 「我が国は・・・」からの件は天皇陛下の言葉のパクリ。「平和」を連呼するけど

  平和とは何か。世の中が左に大きく振れているからこそ、反対に動く事が必要なんです。

  でもこういう考え方は皇太子だけに責任があるわけではない。

  そういう教育をしてきた両陛下にあるのです。

 

 雅子妃と愛子内親王について

雅子は,治療を続ける中で,体調をその都度整えながら,

公私にわたってできる限りの活動をするための努力を続けています。

そうした中で,この1年を振り返ると,昨年7月に神宮参拝のため三重県を訪問し,

11月に「持続可能な開発のための教育(ESD)に関するユネスコ世界会議」への出席の

ため愛知県を訪問しました。

東京でも10月にオランダ国王王妃両陛下の国賓訪問に際する国賓行事出席や11月に

皇居宮殿での文化勲章受章者等の茶会などの行事に出席しました。

また,東宮御所内の仕事などでも,私をよく支えてくれる一方,愛子の成長にも心を配ってくれています。

このように,雅子は,確かに快方に向かっておりますが,

これですぐに活動の幅が広がるわけではないと思います。

お医者様からもご助言を頂いているように,体調を整えながら,

引き続き,焦らず慎重に,少しずつ活動の幅を広げていってほしいと思っています。

 文章作成者(雅子妃?小和田家?)

「温かく・・・」を入れるとなんだかんだ言われるから、とりあえず「活動の幅」

そして「お医者さまのアドバイス」という錦の御旗をかかげれば大丈夫」

 またも「やったこと」の羅列。それしか言うことないんかい?という感じ。

  「快方に向かっている」が「活動の幅が広がるわけではない」

  でも「活動の幅を広げていってほしい」

  意味がわからない文章です。

  一体、何をどうしたら「活動の幅を広げる」事が出来るの?

  焦らず慎重に・・・何をどうするわけ?

  こんなんで国民を騙せると思ったら大間違いだと思います。

 

愛子は,昨春から学習院女子中等科に進学し,元気に通学をしております。

新しい環境の中で中学校生活を始め,その環境にもかなり慣れてきたのではないかと思います。

中等科生になり,勉強する内容も難しく,量も多くなっていますので,

家でも頑張って課題などに取り組んでいます。

雅子も私も愛子の勉強を見ることがありますが,内容の難しさに驚くこともしばしばです。

同時に中等科では,外から多くの生徒が入ってきたので,

新しいお友達も増え,上級生とも交流するなど,実り多い中等科生活を楽しんでいるようです。

7月の武蔵野陵及び武蔵野東陵の参拝,さらに神宮参拝は,雅子と共に,愛子も同伴しました。

愛子は,一昨年の神宮式年遷宮に際して私たちと一緒に遙拝を行い,

また,初等科6年生の時に,放送委員として昼休みの放送で神宮式年遷宮について

紹介するために学習していたので,実際に神宮を参拝し,

更に理解を深めたのではないかと思います。

その後も8月に東京で行われた全国高等学校総合体育大会の競技などにも愛子を同伴しておりますが,

愛子もこうした行事への出席に少しずつ慣れてきたように見えます。

これからも少しずつ経験を積み,皇族の務めについての理解を深めていってくれればと思っています。

両陛下には,雅子の体調をお気遣いいただき,そして,

愛子の成長を温かくお見守りいただいていることに心より感謝申し上げております。

また,国民の皆様より私たちに温かく心を寄せていただいておりますことに心より感謝しております。

 文章作成者(雅子妃?小和田家?)

「愛子の「出来た事」を羅列してよその子とは一線を画す、高貴な子供なんだという事を認識

 させる。そして両陛下を出す事によってさらに「陛下の孫」である事を強調する」

 「元気に通っている」は嘘だし、慣れているのも嘘。

  そして家庭教師がいるのに内親王の勉強を親が見ているって?

  新しく雇った家庭教師が全く役に立ってないと言っているようなもの?

 去年一年の事はともかく、式年遷宮の遥拝まで持ち出すとは・・・・・しかも

  6年生の発表まで言い出す始末。もうすぐ中学2年になるのに、2年前の話を・・・

 「伊勢に参拝できた」「=皇族としての特権」という見方があるんでしょうね。

 とにかく「慣れてきた」ことが大事なんですね。

 

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皇太子殿下55歳に 1

2015-02-23 08:16:00 | 皇室報道

 皇太子殿下 55歳に 記者会見全文 

 1年を振り返って。55歳は今上が即位した年齢である事について

この1年も自然災害が様々な地域に大きな被害をもたらし,

多数の方々が亡くなられたことはとても残念なことでした。8月の広島県を中心とする豪雨や

9月の御嶽山の噴火により亡くなられた多くの方々に

深く哀悼の意を表し,ご遺族と被災された方々に心からお見舞いを申し上げます。

また,降雪による被害も心配しております。

今年1月に阪神・淡路大震災から20年を迎え,

3月には東日本大震災より4年となります。

被災された方々の悲しみやご苦労に思いを寄せ

厳しい環境の中で暮らしておられる方々の幸せとご健康をお祈りいたします。

 文章作成者(雅子妃?小和田家?)

まずは災害の話。亡くなった人がいたのは残念でしたねーって。

でも何かあったっけ?そうそう雨とか噴火とか思い出した。

雪も忘れちゃいけない。どこで大雪だったっけ?ま、いいか。心配しておりますっと。

それから1月が阪神大震災で3月が東日本大震災だからーー「思いを寄せて」にしておいて

被災者・・・じゃなかった、厳しい環境の中で暮らしておられるっと。

地下鉄サリンはどうでもいいよね?)

 阪神大震災の20年式典に参加しなかった事のいいわけはなし。

  頭からすっぽり抜けているんですね。

 

厳しい経験の中から,震災を乗り越え

未来を創造するための取組も多く生まれてきているように思います。

昨年11月に訪れた兵庫県では,震災の記憶を風化させず,

震災の経験を地域や世代を越えて伝えようとする取組がなされていました。

東日本大震災からの復興の取組として,昨年8月にパリで行われた「東北復幸祭」に参加した

「OECD東北スクール」の高校生と先日お会いしましたが,

被災地の生徒の皆さんが,自ら主体的に企画し,

行った催しが大きな成功を収めたことをとてもうれしく思いました。また,

昨年訪れた徳島県松茂町の防災センターでは,将来,起こり得る南海トラフ地震への備えとして,

小学生の子供たちが,自宅や学校のある地域で地震が起きた場合に,

どのようにして安全な場所に,そして,安全に避難をすることができるかを

一生懸命話し合っていた姿が印象に残っています。

防災には,日頃の心構えや訓練などの備えがとても大切なのではないかと思います。

今年,1月に出席した「防災・減災に関する国際研究のための東京会議」では,

我が国を含め,災害を受けた各国の経験が共有されましたが,

来月仙台で開催される第3回国連防災世界会議を通じ,将来の災害に備えるために,

国際的な協力が進むことを期待しております。これからも被災地の復興に心を寄せるとともに

防災に関して,関心を持ちつつ,私ができることをやっていきたいと考えています

 文章作成者(雅子妃?小和田家?)

とりあえず阪神大震災と東日本大震災の話を・・・両方ごちゃごちゃしてるけど

OECDは東日本の方よね。そうそう、OECDだよ。なんたって。

考え方としては防災が一番。防災防災と言っておけば誰も文句は言えまい。

あ、3月の国連防災世界会議の宣伝もしなくちゃ。なんといってもパン・ギムンが来るんだし。

で、ラストは、心を寄せて関心を持って出来ることをやるっと)

 

また,この1年,訪れた各地で農林水産業の活性化,地方色豊かな文化振興,

先端技術や伝統産業を融合した新製品の開発など各地域の活力を感じました

これからも,国内の訪問する各地でそれぞれの地域の特性をいかした新たな取組について

見聞を広められたらと思っています。

昨年12月に青色発光ダイオードの開発で赤崎氏,

天野氏,中村氏がノーベル物理学賞を受賞されたことを喜ばしく思います。

今回の3氏の受賞は,地道な研究の積み重ねと大学,

民間企業を始め多くの方々の支援と協力から生まれたものと思います。

今後とも我が国で先端技術の開発や基礎研究が更に進むことを期待しております。

このように技術革新により新たな経済活動が生まれる一方で,

世界経済は,先進国,開発途上国の双方が,所得格差や若年者の失業などの課題を抱え,

通貨や石油価格の変動などの問題に直面しています。

国際情勢に目を向ければ,この1年も中東などで武力紛争が続きました。

特に我が国国民を含め市民を巻き込むテロの事件が様々な場所で発生したことに深く心を痛めています。

昨年11月にお会いしたグテーレス国連難民高等弁務官から子供を含め難民を

取り巻く環境は深刻であるとのお話を伺いました。

また,10月に私が名誉総裁を務める,国連「水と衛生に関する諮問委員会」の第23回会合の

水循環・水と災害特別セッションやオマーン王室のイニシアティブに基づく

第3回スルタン・カブース学術講座での「持続的発展に向けた水資源の管理」に関するシンポジウム

東京で開催され,出席しましたが,環境保全や水の問題の解決などを通じ

持続可能な社会をいかに実現するかは喫緊の課題です。

このように世界の平和と繁栄をいかに将来にわたり

実現していくかが今改めて問われているように思います。

昨年11月に愛知県で開催された「持続可能な開発のための教育

(ESD)に関するユネスコ世界会議」に出席した際には,

未来の地球を支えるために自ら考え,取り組む子供たちを心強く思いました。

そして若い世代が,積極的に海外を訪れ,海外の青年と交流し,

各国の社会や文化を正しく理解するなど,

国民の一人一人が各国との友好を深めていくことを望んでおります。

 文章作成者(雅子妃?小和田家?)

ここからが本領発揮。若年層、所得格差、通貨、石油価格の変動。

中東は任せて。イニシアティブ、シンポジウム・・・難しい言葉を羅列して

国民に衝撃を与える。

最後は社会や文化を正しく理解する事が大事っと。これぞ皇太子

あとは出席した会議を羅列すればおおよね

 

先月,学習院女子大学で,私のイギリス留学中の体験を中心とした講義をいたしましたが,

学生の皆さんの目が海外に向いている様子をうれしく思いました。

私自身,昨年6月に,国交樹立150周年を迎えたスイスを訪問しましたが,

これからも,各国との友好親善の増進に少しでもお役に立てればと思っております。

そして,内外の若い人たちとの交流も大切にしていきたいと思っています。

 文章作成者(雅子妃?小和田家?)

忘れちゃいけない。学習院女子大での講義。留学っていいよー楽しいよーー

なんたって海外に目を向ける事が大切なんだから。

そういう意味では最先端の教育を受けて来た僕は偉い。来年も講義したいな

 

今年我が国は,戦後70年を迎えます。

この機会に改めて戦争で亡くなられた多くの方々に深く思いを致し,

平和を心から願い,世界各国との友好を確かなものとしていくことが大切であると考えています。

 文章作成者(雅子妃?小和田家?)

世界友好。世界平和・・で思いを致すで完了。なんて素敵な言葉だろう。

思いをはせると思いをいたす・・は)

 

「一昨年天皇陛下が,昨年皇后陛下が傘寿をお健やかにお迎えになられたことを

お喜び申し上げております。

天皇陛下が即位されて今年で27年目となりますが,天皇皇后両陛下には,

長きにわたり,国民の幸せを願い,国民と苦楽を共にされながら,ご公務を行っておられます。

このような両陛下のお気持ちを体して,これからも心を込めて務めを果たしていきたいと思います。

私は,今年で55歳になりますが,天皇陛下が即位されたのと同じ年になったと思うと,

身の引き締まる思いと共に,感慨もひとしおです

私は,常々,過去の天皇が歩んでこられた道と,天皇は日本国,

そして国民統合の象徴であるとの日本国憲法の規定に思いを致すよう心掛けております。

そして,これまで,象徴とはどうあるべきか,その望ましい在り方を求め

続けてこられた天皇陛下と陛下をお側(そば)でお支えになっておられる皇后陛下の

お姿に学びながら,これからも努力していきたいと思っています。

両陛下がこれまでなさってきた,こどもの日及び敬老の日にちなんでの施設訪問については,

今年から秋篠宮と共に受け継がせていただくことになります。

今年は,こどもの日にちなんだ施設訪問を行う予定です。

私は,沖縄や北海道の豆記者ボーイスカウトのメンバー,

全国高等学校総合体育大会の参加選手や大会ボランティアの生徒を始め,

意欲に満ちて,生き生きとした子供たちと出会う機会が多くあります。

一方で,いじめや子供の虐待など心の痛む問題もあり,

青少年や子供たちを取り巻く環境が少しでも良くなるように社会全体で取り組むことが大切です。

また,次の世代を担う子供たちが健やかに育っていくこととあわせて,

若い世代が社会の問題に関心を持ち,高齢者や障害者など弱い立場にある人たちを大切にし,

思いやりのある寛容な社会を築いていくことも重要だと思います。

これからも,このような社会をつくっていくために努力されている多くの方々のお話を

伺いながらいろいろと考えていかれたらと思っています。

 文章作成者(雅子妃?小和田家?)

ええと。天皇陛下が傘寿になったのはおととしで皇后陛下が去年。

「国民の幸せを願い」「国民と苦楽を共にし」がテーマだったからこの言葉を入れて

55歳は即位の年なので感慨深くて身の引き締まる思いっと。

え?まるで即位するつもりみたいな言い回しだって?

当たり前じゃない。いつでもオッケー。

そして憲法9条。なんといっても平和憲法を守る事が天皇の仕事だ・・・

それから自分がやっている事の羅列。ボーイスカウトでしょう?

豆記者にも会ってるし、高校総体にも行ってる。

今年からは施設の訪問もあるし。全体的に取り組む事が大事。

天皇たる自分は国民に教え諭さないといけないからね)

 一番腹が立つ「感慨もひとしお」

  まるで今年、即位出来るみたいな言い方に見えてしまって。

  同い年になったからってそこまで思うものですか?

  普通は「まだまだ至らぬ点が多く・・・」と来るのが普通では?

 憲法に思いを致す・・のが常套句になっていますが、そうしろと言われているんでしょうか?

 正直、意図的で嫌味な感じです。

 

コメント (7)
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