ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

比較したくはないけど9

2015-02-13 15:55:00 | 皇室報道

過去の記事にも写真を追加などしておりますので

ご覧くださいね。

香淳皇后70代です。

 

いわゆる「美智子妃無視」事件があったとかなかったとかいった話の時?

リアル昭和を生きていた頃の記憶では

美智子さまお可哀想」空気は確かにありました。

「民間から皇太子妃に選ばれたばかりに、手袋事件があり、お子様を流産し

女官にまで横柄な態度を取られ・・・苦労されたのよね。ほんと。あんなにやせて」

という「噂」話が。

だけど、「香淳皇后が美智子妃をいじめた」という具体的な話が出て来たのは

80年代に入ってからの皇室番組だったと記憶。

梨本伊都子氏の「日本はもうだめだと思った」から・・・具体的に出てきた事。

それは香淳皇后が表舞台から姿を消し始めた頃から出てきたものと思います。

そういう意味では美智子妃は「勝った」と言えるでしょうか。

だけど、今回、香淳皇后と美智子妃が一緒に写っている写真の中に

一度もそういう「雰囲気」は感じませんでした。

勢津君や喜久君のちょっとしらけた雰囲気は伝わってきますが、香淳皇后に関しては

非常に優しいお姑さんだったのではないかと。

ウインザー公夫妻と。ここでもウォリスと同じ柄物の服を着ていますが

「被っている」印象はありませんよね。

香淳皇后の帽子は普通の70代のもの。

71歳くらい。いちご狩りを楽しんでいらっしゃる。

昭和48年。宮崎県フェニックス動物園で。オオナガザルの歓迎を受けて

嬉しい悲鳴を。

昭和49年。明治神宮参拝の折、ハトを見てにっこり。

今、こんな事をする皇族はいません。

この写真を見ると「ああ、皇族にとって神社は神聖な場所であると同時に

我が家の庭のようなものなのね」と・・・・・思います。

この香淳皇后のドレスは可愛いですよね。

香淳皇后の70代は穏やかでほがらかであったと思います。

紀宮さまが作ってくれたケーキ・・・「味はともかく嬉しい」と笑ってお答えになっていた陛下。

こういうほのぼのエピソードが今上夫妻にないのはなぜなんでしょうね。

東宮家のせいですか?

本当に?

 

皇后陛下の70代は皇太子妃の「病気」に翻弄され、なにもかも自分一人で

背負うハメになった10年です。

年齢相応に老ける事が許されず、(もっともそれは自分でまいた種ですが)

今もって50代と同じ活動量をこなさねばなりません。

 服の色味は地味になりつつ。

皇太子妃の浪費のせい?新調も少なくなりました。

老人らしい色味ではあるけど。

「山伏のよう」と揶揄されたお長服。こういうドレススタイルを確立したのも

ひらたく言えば皇后陛下ですよね。嫁たちはみんな同じような格好ですから。

 

紀宮の結婚

母吾を遠くに呼びて走り来し汝を抱きたるかの日恋しき

 

紀子妃懐妊

初にして身ごもるごとき面にて胎動を云ふ月の窓辺に

 

このお写真を見た瞬間、個人的にすごくショックでした。

まさか・・・こんなお長服をお召になるとは。式年遷宮の翌年に。

年齢考慮もへったくれもありません。

これこそが皇后陛下の「好み」の集大成だったのかと。

 79歳と半年。何と表現したらいいか。

この表情。

人間歳を取ると色々な意味で「本音」が出てきますよね。

もうすぐ80歳になろうとしている方のこんな表情はみたくないなあと。

 

 

 

 

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比較したくはないけど8

2015-02-13 07:00:00 | 皇室報道

香淳皇后60代。 

ローブ・デコルテの香淳皇后。これぞ日本の誇り。

この頃、日本はまだまだ西洋にコンプレックスを抱いていた時代。

国民は誇らしかったろうなと。

香淳皇后63歳くらい?十二単を着て撮影。

歳を召されても気品は変わらず。

 964年。東京オリンピック。

多分、1966年。マスコス大統領来日時。香淳皇后はコートをお召。

一方のイメルダ夫人はすごいドレス姿。時は9月らしい・・・

皇族がコートを着てはいけないという事はなかったんですよね。

 

 197年 エリザベス女王来日。

1971年。訪英時。香淳皇后様のリーブ・デコルテは回りと調和されてますよね。

 

 

 

 

 一方、皇后陛下の60代はバッシングによる「失声症」から始まりました。

その原因の一つとなった写真。

ちょうどバブルが弾けた頃。

本来なら、華やかな天皇・皇后カップルのダンス姿・・・の筈なのですが

なぜ批判されたのか。

 軽井沢静養はふわさしくない・・・・皇太子時代、毎年東宮家は軽井沢で静養していました。

  プリンスホテル宿泊でしたよね。即位してから「御用邸があるのに」と言われてやめたのです。

 奥尻島の地震と津波の後、すぐに慰問に行かなかった事が批判され

 「国民と苦楽を共にすべきなのに」と言われ、阪神大震災以後はすぐにかけつけ

  膝をおって慰問に。

 両陛下もまさか即位して批判されるとは思っていなかったのではないかと。

  ただ、あまりにも昭和とかけ離れた皇室がそこにはあった・・といえばいえるでしょうね。

声を失いつつも手話で励ます皇后陛下。

すっかり「慈愛」イメージが定着しました。

 こだわりのケープドレス。

遠目から見ると聖職者のようですよね。

  皇后陛下は文学者で歌人でもあります。

 

皇太子懐妊によせて

いとしくも母となる身の籠れるを初凩のゆふべは思ふ

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