ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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日本一運のいい女ー雅子皇后の肖像75

2020-09-24 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

  2009年1月1日 天皇一家

愛子内親王は触れられるとびっくりして手をよける。

悠仁親王は「一緒に遊びましょう」と誘って見るけど反応がないのでご両親を見る。

皇居へ向かう

 

 2009年1月2日 新年一般参賀

 2009年1月2日 両陛下と夕食会へ

 週刊ポスト 2009年1月16日・23日号

「雅子妃宮内庁長官が異例の来訪」

 

 女性自身2009年1月20日号

殿下動いた!陛下への異例の電話雅子さま美智子さまおせち囲み「絆」再生の約束

 

 週刊女性2009年1月20日号

年は明けても心は晴れず?雅子さまブレずに持久戦」

「ついに身内からも出た「雅子さまはブレないから」発言 雅子さま09年持久戦の「狼煙」今年も元旦行事をご欠席!」

 元日行事の欠席で今年も快復は期待薄という感じ。と、いうより逆風に負けず今年も持久戦を続けるという狼煙だと顔をしかめる関係者も」

 医師団の見解「心身の状態は自分でも予測できない波がある」

 ある皇族が雅子妃について「あの人はまったくブレない」と驚嘆

  普通、天皇の心労の原因が自分にあると言われたら病状悪化を覚悟してでも新年祝賀行事には出席するでしょう。

 2009年1月7日 昭和天皇二十年祭

2009年1月18日 御所の夕食会

 週刊女性 2009年1月27日号

病状快方じゃないの?窓閉めこわばる表情の半蔵門ー雅子さま無理やり復帰の怪」

 

 週刊現代 2009年2月14日号

スクープ雅子さまベトナム断念で地中海クルーズはアリか

 

 週刊ポスト 2009年2月13日号

深層レポート「秋篠宮天皇論」「雅子さま不要論」の渦中「雅子妃が女官に妹・礼子さん・ベトナム同伴断念皇太子の決断」で新展開」

 

 2009年2月4日 愛犬まり死去

 まりが死亡する数日前に入院中の動物病院に真夜中に見舞い

 愛子内親王はまりが死んだ日、数時間遅刻

 

 2009年2月5日 皇太子ベトナム訪問記者会見

「今回,ベトナム国からご招待を頂いたことを雅子も大変有り難く思っており,お伺いできないことを,本人はもとより,私も残念に思っております。外国訪問は,日本と諸外国との相互理解と友好親善を増進する上でも大切なものであると考えておりますが,同時に,雅子は,依然として病気治療中であり,外国訪問については,移動距離,訪問期間,訪問中の行事などの観点から,慎重な判断をする必要があります。今回の訪問についても,お医者様とも相談の上で総合的に判断して私一人で訪問することといたしました。

お招きいただいたベトナム国の方々のご厚意におこたえできないことを申し訳なく思っておりますが,ご理解いただきたく思います。
 今後の外国訪問については,ケース・バイ・ケースでお医者様と相談しつつ判断することになろうかと思います。

基本的には,前からお話ししているように外国訪問は我が国と諸外国との友好親善を増進する上でも良い機会であり,今後とも大切にしていきたいと考えております。

いずれにしましても,雅子としては少しでも多くの公務ができるように頑張っておりますので,長い目で温かく見守ってくださるようお願いいたします。

 司会進行役の大森茂東宮侍従が時間切れを理由に記者の関連質問を打ち切り。

 記者会は「取材の制限・妨害に等しい」と抗議。後日、野村東宮大夫が謝罪。

 

 2009年2月6日 皇太子ベトナム行きの見送り

 

 2009年2月15日 ベトナムから帰国お出迎え

 喜んではいるものの、父親と手を繋ぎたがらない愛子内親王。おまけにさっさと自分から東宮御所内に入ってしまう。

 

 週刊ポスト 2009年2月27日号

巨大メディアの内幕 だから皇室の真実は伝わらない!皇太子会見打ち切りで東宮職と宮内記者会が火を噴くまで雅子妃巡り「八百長質問」発言も飛び出したバトル」

 

 女性セブン 2009年3月5日号

超側近がまた辞任!雅子さまを追い詰める「東宮侍従長6人目の重圧」

 

 2009年2月23日 皇太子49歳の誕生日

 3人がやっているのは3歳児用英語の知育カード。それをババ抜きにして遊んでいる。

 

 誕生日記者会見

 ご質問で触れていただいたように,雅子は,体調に波がある中,病気治療を続けながら,新年一般参賀にすべて出たり,皇后陛下のご名代で祭祀に臨んだりするなど,これまでできなかった公務もできるようになってきていて,私も雅子もうれしく思っております。

 これは,本人が,公務,祭祀のいずれについても,その重要性を認識し,体調が許す限り頑張りたいと考えて努力している結果であると思います。

 しかしながら,体調が良いとどうしても頑張り過ぎる傾向があるため,お医者様からは,無理をして回復が逆行することのないよう慎重を期す必要があること,また,育児や東宮職内部の仕事とともに,ライフワークにつながるような活動を大切にしていくことが望ましく,これと公務とのバランスをよく考えていく必要があるとの意見を伺っております。

              ↓

「頑張りすぎる」とはどういう事なのかと記者が質問する。

 雅子にとって,一つの公務をする場合には周囲の期待もありますので,それに全力を傾けることになります。

 お医者様からはほかの活動もいろいろとしたらよいと言われていますが,その場合には,それらの活動を,言ってみれば,犠牲にすることにもなります。

 また,日数をかけて準備をすることになります。

 公務の後で疲れが残ることにもなります。

 したがって,新しく一つの公務ができたからということで,またすぐに次の公務を期待するというのは,本人を精神的に追い詰めることにもなるので避けてほしいとお医者様から伺っております。

 やはり,その時々の体調を勘案し,お医者様に相談しながら,これまでどおり個別に検討していくことになると思います。

 先ほどの質問については,皇統の問題が重要な問題であるということ,これは私は非常によく認識しております。

 

               ↓

       一度皇太子は退場し、記者達が撤収している時、退場から20分後に突如再登場する

 「雅子は周囲の期待もありますので、1つの公務をする場合には全力を傾けることがあります。1つの公務をする場合、それだけ多くの日数をとって、そのための準備をする。やはりそれに伴って、結果としては疲れが残ることもありますので、次から次へと新しい公務をするということはまだ難しい、ということを申し上げたかったわけです。」と補足説明

 

 女性自身 2009年3月10日号

ご公務お休み1ヶ月「頑張りすぎが」誕生日会見で「ご病状」異例の言及 雅子さまギリギリの闘い 皇太子さまたまらず明かした「苦悶の今」

 

 徳島新聞2009年2月27日 共同通信社社会部長・宮城孝治氏講演:平成皇室「公あっての私」考え方の違い 両陛下ら苦悩」

 ある宮内庁関係者によれば、皇太子ご夫妻は新婚時代、「二年間は子どもをつくりません」と両陛下におっしゃったと言う。

真実だとしたら、落胆したことだろう。
 実は、皇太子ご夫妻は真剣に「お世継ぎ問題」を受けとめていた。

雅子さまは、生真面目で頑張りやだ。

両陛下の期待に応えたいという使命感のような気持ちは強かった。

しかし、この問題は頑張ろうとすればするほど女性にはつらい。
 雅子さまが九九年に流産したとき、撮影されるのは忍びない、と皇太子さまが食堂の白いカーテンを外し、車窓に目隠しをした。それを聞いた両陛下は不快感を示したという。

皇族という立場は、辛いときも国民から姿を隠すようなことをしてはいけない、ということだと周りは斟酌した。厳しいが、考え方の違いを物語っている

この年は早々から雅子妃批判が飛び出した年でした。

前年から「離婚するのではないか」との憶測も飛び交っていました。

海外公務の足掛かりとして、ベトナム行きが検討されていて、ついでにヨーロッパで静養という話も出ていたが、結果的にはベトナムへは行かず。

前年から元気に遊びまわっている姿を見て来た記者達は皇太子に突っ込むも、「時間切れ」という事で記者会見は遮られ、記者会が怒り出す場面も。

それで、誕生日の記者会見では「雅子は頑張りすぎる」と言ってしまったのだが、記者達にすれば「何をどう頑張りすぎているの?」という事になり、それに皇太子があいまいに答える場面が。

記者会見の文面を見ても、公務の前の準備は当たり前のことだし、それだけでヘトヘトになってしまう人って何かおかしくない?と思いますよね。

どうやら記者会見場の裏に雅子妃がいて、皇太子の曖昧なものいいに「もう一度話して」と言ったのではないか・・・だから20分後に再び登場して喋ったのではないかと言われています。

誰もが当たり前にやっている「仕事」の準備が「頑張りすぎて」しまう・・・と言われたら一般人はどうしろと・・・と思いますよね。

遊びなら何日で歩いても平気で元気で笑っているのに。

ただ、この頃に批判された「しかえし」が今、秋篠宮家に向かっているんだろうと思いました。

 

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新章 天皇の母28

2020-09-24 07:00:00 | 新章 天皇の母

大変や大変や后の宮さんが・・・・

突然、御所が揺れに揺れ、大騒ぎになっていた。

早く御匙・・早くやっ!

典侍が叫び、女官や侍従らが駆け回る。

顔色が真っ青の后の宮はすぐさま、ソファに寝かされ口元の血が拭われる。

ああ、后の宮さん、しっかりしはって!

后の宮は突然ご自分が吐血された事に驚き、ソファに寝かされてもまだ心臓がどきどきされているようだった。

一体、何があったのだ」

飛び込んで来たお上は后の宮の手をとり、「早く医者を呼ばぬか」と珍しく語気を荒げる。

お上・・お上、私は大丈夫です

后の宮はそうお答えになり起き上がる。

起きはっても平気どすか?」

ええ。自分の部屋に行きます。ああ・・床を汚してしまったのね

そんなもん、掃除したらよろしいわ。お戻りさんになるんなら侍医が参ってから」

その方がいいのかしら

后の宮は自分で判断するのをやめてしまったようにぐったりともう一度ソファに横になる。

慌てて駆け付けた侍医がすぐさま脈をとり、丁寧に診察した。

吐血は腸壁が破れた結果と存じ上げます。出血が治まるまでお食事は控えらえ、点滴にいたしましょう。今までにも何度か鼻出血なされていますし、過度な精神的なお疲れが原因かと思います」

それでは大事ないのだな

はい。見た目ほどは。ただ、これは心の問題が原因のようでございますので、なるべくストレスのかからない環境を」

私が愚痴を言ったばかりに」

お上はつい先日、后の宮に女一宮について話した事を後悔した。

いつも后の宮は真面目に受け止める癖があるからこうなのだ・・・もっとご自分がしっかりしなくてはと思われたのだった。

 

それでも帝の心はささくれ立ってしまう。

なぜ東宮は参内しない?東宮妃は一体何を気に入らないというのか。

二言目には「皇室の決まりごとが時代遅れ」とののしるが、確かにそういうものに苦しめられてきたことは事実だが・・・

后の宮もまた静養に赴いても少しもお気が晴れないようだった。

東宮妃は私に似ている)

后の宮そう思うと背筋が凍る思いをされた。

そうではない。似てなんかいない。私があの頃、流産をきっかけに気が塞いでしまったのは、先帝の元に参内するのが嫌だったのは、他の妃殿下達から虐められていたからよ。

あの当時は時代が変わっていた。

旧皇族や華族が臣下となり、財産の多くを手放す一方、成り上がりがアメリカなどとの貿易で資産を築く。伝統や格式よりも、財産を持っているかいないかの方が重要だった。

后の宮はまさにそんな時代における成功者の一族だった。

旧皇族の血を受けていない、華族の称号を持ったこともない、上流階級のしきたりも伝統も知らなかった。

けれど、后の宮は裕福に育ち、絵のような西洋館に住んでお手伝いさんがいるような家庭で、女性としては珍しくも大学まで出して貰い、美しい着物もドレスも欲しいまま。

誰もがうらやむ生活を送っていたのだ。

それなのに宮中に入った途端、それらの生き様が全て否定された。

先帝の后の宮を始め、妃殿下方の冷たい視線は忘れない。

いつか乗り越える、いつか上に立ってやるのだ・・・とそれだけを思って今日まで生きて来た。

それが嫁にこのような思いをさせられようとは。

そして、その嫁がよりによって合わせ鏡のような存在とは。

 

后の宮の病状はすぐに公に発表され、数日、葉山の別邸で静養する事が決まった。

二宮からはすぐに連絡が入り、すぐにお見舞いに伺いたいとの旨があったが、東宮家からはそのような申し出がなかったので、后の宮は「慌てなくていい」とお断りになった。

東宮家はいつも通り春スキーにでかけてしまい、そのあまりにも人情味のない行動に回りは呆れてものが言えなかったが誰も批判しなかった。

「紀宮」(きのみや)は東宮家に気を遣いつつも、やはり后の宮が心配で子供達を連れて参内したが、その事が東宮家に伝わると妃はまた心が傷ついたと言って参内しなかった。

后の宮はいら立ちながら思わず「紀宮」(きのみや)に「余計なことをしないで頂戴。あちらの人は神経質なのだから。私の面目を潰さないで」と八つ当たりしてしまった。

二宮家では「なんでうちのお妃さんが叱られなあかんの」と侍女達が怒りで喧喧囂囂と言い合っていたが、二宮も「紀宮」(きのみや)も何も言わなかった。

そんな両親の姿を見つつ、大姫と中姫はそれぞれ中等科と高等科に進学した。

二人とも、両親が大きなストレスを抱えていることはわかっていたし、自分達もまたその巻き添えになっている事も知っていた。

東宮の伯母上はどうしても好きになれないわ。勿論、女一宮は可愛いけど。でも、あんな風に嘘をついていいのかしら」

中姫の素朴な疑問は当然の事だったろう。

身分が上の方には逆らえないのよ。伯母上はご病気なんだから」

大姫が慰める。日々、笑顔が可愛らしくなって来た若宮は姉たちにとってはぬいぐるみのようなもので、始終抱っこしていても飽きないし、お世話をするのも楽しい。

いつかこの若宮が大きくなった時、「陛下」と呼ばれるその日まで見守っていかなくてはならないのだ。

病気なら女一宮もでしょう

中姫ったら。そんな事を言ったらお母さまたちが悲しまれるわよ」

悲しいのは私の方よ。私、若宮の事は可愛いし大好き。こんな風に抱っこしていると癒されるもん。でも、お母様が贔屓なさっているようで少し悲しい

あら、やきもちをやいているのね。そうね、中姫はついこの間まで赤ちゃんだったんだものね

そんな事ないわ。私、ずっとお姉さんよ。お姉さまはご優秀でお父様やお母さまの期待もあるけど、私はスケートをやったり、踊ったりの方が好きだから・・・もしかしたらそういうところが合わないのかな」

どなたと」

お母さまたちと

あら、あなたには手話があるじゃない。あなたの手話はとっても綺麗よ。もっともっとお勉強なさいよ」

そうね・・・お姉さま。人間は正直で真面目に生きなくてはならないとお父様はおっしゃったわ。特別な才能がなくてもよい。皇族として生まれた以上は与えられた務めを果たし、コツコツと自分を磨く事が大事だと。言葉遣いや身のこなしも大切だから私達、小さい頃からそりゃあ厳しく言われて来たじゃない?」

そうね

学校でもお家でも、私達は一時だって気を抜いたことなんかないわ」

「ええ

でも東宮の伯母上は何も出来ないじゃない。お辞儀だってできやしない。それなのにどうして素晴らしいって雑誌に書かれたりするの?そして若宮が生まれたら、どうして私達、悪く言われるの?」

中姫のストレートな物言いに大姫は答えることが出来なかった。

ずるいと思うの。卑怯だと思うの。東宮の伯父上だっておじい様やおばあ様がどんなに心を痛めているか少しもわからないであの伯母上の言いなりだし」

それは私もわかってるけど、それをおとう様やお母さまに申し上げたからって何がどうなるものではないわ。何を言われても潔白なら黙っていなさいと言われるのがオチ。言い訳をすると余計に疑われるからって。私だって週刊誌なんかの見出しをみるとぞっとするのよ。怖いわ。まるで日本中が私達を憎んでいるみたいに思うこともある。だけど我慢しないといけないのよ

訴えちゃダメなの?」

ダメなの。私達は我慢しなくちゃ

私達が適応障害になればいいんじゃない?お母さまが倒れるとか」

それじゃやることが東宮の伯母上と一緒じゃないの。そういうのを同じ穴のムジナというのよ。同じところに落ちてはいけない。それが私達のプライドよ」

よくわからない。難しいもの。毎日、週刊誌の見出して女一宮が天皇になるのか若宮なのかって・・学校でも聞かれたりするし。なんていうか・・悪意を感じるのよ」

私達、なるべく距離を取らなくてはね

二宮家の姫達が、実はこんなに傷ついて、矛盾と戦いつつある事に、残念な事に「紀宮」(きのみや)達は気づいていなかった。

というより、今は毎日の公務で精一杯の状態で、子供達の細かな心の動きまでは図りかねていたのだ。

特に「紀宮」(きのみや)はあからさまになりつつある、自分への誹謗中傷に対し、必死に知らない顔をしていなければならず、それだけで精神的にも肉体的にもかなりきつかったのだった。

最近の、后の宮の態度の変化も気になることだし。

でも、それを口に出す事は出来ないし・・嫁として宮家の妃としての苦悩は大きかった。

 

そんなこんなで毎日が続いていき、いよいよ雨が降り出し梅雨入りも間近という頃、東宮家に大問題が起き上がった。

なんと、東宮の胃にポリープが見つかってしまったのだった。

 

 

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