ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

男系継承を確固たる基軸に安定的な皇位継承の提言 2

2022-02-05 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

有識者会議においては、現在の皇位継承の順位を変える事無く、どちらかというと悠仁親王即位後の事を念頭に置いて物事を決めようとしている節があります。

勿論、敬宮愛子内親王には元々皇位継承権はありませんので、どんなにマスコミが「女帝」と書き立てても内親王が皇位につくことはありません。

・女性が結婚しても皇族として身分を保持ー配偶者及び子は皇族にならない

・旧宮家から現宮家への養子案

・旧宮家の復帰

確かに皇位継承の事だけを考えると、これらの案も考えていかないといけない問題ではあります。

しかし、それよりも今、政府がすべきことは「令和の皇室」を正しい道へ戻し、皇室が一丸となって皇嗣家と悠仁殿下を支えていく組織作りではないでしょうか。

その為には、政府と皇室の立場をはっきりとさせるべきです。

平成の天皇皇后が30年の間に行った「皇室改革」の骨子は以下の3つです。

 天皇皇后の「お気持ち」「強いご意思」による強権発動

・ 憲法にも皇室典範にもなかった「退位」を実現させたのは「天皇の強い気持ち」

・ 強い気持ちを持って退位しても東宮御所に住むことを希望。

・ パラオの慰霊訪問では宿泊施設がない事を理由に政府が止めたが海上保安庁の巡視船を改造してまで行った。

 

2 戦後の自虐史観をベースとしたお言葉

・ 平成の最後の方の「戦没者追悼式」では「深い反省」という言葉が何度も出て来る。

・ 平成13年の誕生日会見で「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています」と発言。

・ 週刊誌などで度々報じられて来た「天皇の訪韓希望」はただの飛ばし記事ではなく、ご本人達は本気で「日本が悪」と考えて来た。

 

3 皇后の権力強化による「陰の女帝」で物事を決める

・ 秋篠宮家に産児制限をかけたこと

・ 皇室の伝統を覆したことや「伝統は時に苦痛」と発言したこと

・ 皇室日程にはなかった「お慎み」の乱用

  皇室外交におけるティアラや勲章を体調次第で外す

 

1に関しては、これは天皇と日本政府というものの関係を根本から崩すものです。

天皇が行うべきは国事行為が主であり、即位や退位に関して政府を通り越してスクープされるなどという事があってはならないのです。

なぜなら日本国憲法においては「主権在民」であるから。

そして天皇は即位の礼で「日本国憲法を守る」と誓いました。

にも関わらず、自らそれを破り「退位しないといけないのだ」とお気持ちを表明しました。

勿論、それを実行するには陰で色々動いた人達がいたでしょう。

彼らは政府の頭の上を飛び越えてマスコミを使ってスクープし、政府が「そんな事は聞いていない」と言っても協議する間もなく国民感情を操り、政府がそれを認めざるを得ない形になりました。

さらに政府を驚かされたのは、上皇となったあとの「仙洞御所」です。

今上は吹上御所に、そして秋篠宮家は皇嗣として東宮御所に住むものと政府は思っていたのに、いきなり「思い出の多い東宮御所に住みたい」というお気持ちが発動され、東宮御所は仙洞御所にする為に改築され、その為の仮御所として高輪の旧高松宮邸を改修する羽目になりました。

しかも、当初の予定では卓球台など余計な施設を造る計画もあったそうで、さすがに予算が多すぎると削られたのですが。

最初から香淳皇后が住んだ大宮御所にしてくれたら、それほど多くの予算を必要としなかったでしょう。

パラオ訪問他、いわゆる「慰霊の旅」は多くの国民の支持を集めているように見えますが、それがすなわち「強い気持ち」だけで作られたスケジュールであり、しかも誰に対しての「慰霊」なのかという点が政府との見解の相違を生み出しているものと思います。

 

2に関しては、天皇の「お言葉」を政府が精査する事無く勝手を許したら案の定「深い反省」という言葉が飛び出した結果です。

平成時代の天皇は、終戦時に12歳という多感な歳であったことや、バイニング夫人に教育をうけたせいで、父である昭和天皇への戦争責任を強く感じており、自らはその後始末をしているというような考え方であったと思われます。

美智子皇后に関してもキリスト教の家庭で育ち、聖心女子大を出るに至って強く自虐史観が植え付けられたものと思います。

そして日本の政府は50年以上もその自虐史観の中にどっぷりとはまり、自らの国を責め続けて来たのです。

しかし、天皇はどこの国の天皇であるかという事を考えた時、「日本は悪い事をしたから深い反省をしながら生きて行かなくてはならない」と戦没者の前で言葉にするのは間違っています。

日本には忘れてはならない4つの日がある。6月23日の沖縄戦終結の日、8月6日の広島原爆の日、8月9日の長崎原爆の日、8月15日の終戦記念日」と黙とうしつつ「深い反省」をしているのはおかしいではありませんか?

そしてここに3月10日の東京大空襲が入らないのにも違和感を覚えます。

 

3に関しては、正直「証拠を見せろ」と言われたら、平成が始まった時からの週刊誌を全て網羅し、一つ一つ精査する必要があります。

しかし、悠仁殿下が生まれた時秋篠宮殿下が「お許しがでたので」とおっしゃったのは事実でしょう。そして雑誌によると佳子内親王が生まれた時、雅子妃より先に出産したとバッシングを受けた時も黙っていながら、3回目の懐妊を「紀子ちゃんがまたバッシングされたら可哀想」と言って暗に止めた事から、実際に産児制限をかけたのは皇后であると言っても過言ではないでしょう。

また、紀子妃の懐妊がわかると体調を崩し静養を断念するとか、秋篠宮に次ぐ皇位継承権を持つ悠仁殿下を「末の悠仁」と読んだ事も、いわゆる「匂わせ」として存在しています。

皇室の「奥」の権限は皇后にありますが、例えば宮中晩さん会などの行事は政府にとってとても大事な外交行事です。新年祝賀の儀もまたそうです。

そこに「首が痛いので」とティアラやネックレス、勲章さえ外して登場する皇后の姿は、国益に反するものでした。

雑誌等では、天皇の心臓手術以来「皇位継承順位を決めるのも皇后」と言われる程、つまり天皇が何も発言しなくても「皇后さまのお気持ち」優先のような考え方が広まりました。

 

政府が上記の出来事に対して、何も言えずなされるがままになってしまった背景には、総理大臣始め政府側の「皇室への無関心」があります。

・皇室予算が適正に使われているか

・天皇皇后及び皇族が分をはみ出さずに暮らしているか

・天皇皇后及び皇族が国益に叶った発言や行動をしているか

・天皇皇后及び皇族の「公務」がどんなものではあるか把握しているか

これが全くなされていません。

「はい、内廷費3億円、皇族費〇〇円」と支給したらそれっきり。

「あとは宮内庁がやればいい」とほったらかした結果、今上が東宮だった時のオランダ静養も阻止できなかったし、様々な浪費をさせてしまったのは事実でしょう。

有識者会議は、皇位継承問題を語る前に、「平成・令和」の皇室予算の使われ方を今一度計算しなおし、どこまで無駄遣いを許して来たかを確かめ、天皇皇后及び皇族方に対して注意をしなくてはなりません。

眞子様の結婚の時の様に「一時金はいりません」と言われたから「じゃあ、あげません」などというのは無責任です。

また、皇族の暮らしぶりや財産についても精査する必要があります。

つまり、有識者会議が行わなければならないのは、「天皇皇后及び皇族とは」日本国にとってどんなメリットがあり、彼らはどんな形で貢献してくれるのかをはっきりさせなければならないのです。

教育、思想、金銭感覚、日々の行動全てに目を通す、あるいは目を光らせていなければ早晩皇室は亡びるでしょう。

倫理観を皇族に任せきりではいけないのです。

天皇や皇太子の口から「人格否定発言」や「深い反省」という言葉が出ないようにすべき。

また、皇室に残る文化遺産、宝飾品や装束の数々、調度品などをもう一度洗い直して公開できるものは全て公開すべきと思います。

出来ない場合はなぜ出来ないのかを明らかにすべきです。

 

私は皇位継承を語る前に皇室への政府の立ち入り調査及び「皇室典範」の見直しを提言いたします。

 

コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする