ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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王朝を衰退させるもの 1

2022-04-06 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

私の趣味は宝塚を見る事ですが、他に海外ドラマを見ることも趣味の一つ。

韓ドラ・華流・・・そしてトルコやロシアのドラマまで色々見てます。

勿論宝塚と関係のある王朝の話は大好き。

という事で堅苦しくないお話を聞いてほしいのですが。

絶対君主制からいわゆる産業革命を経て戦争の形が変わるにつれて、色々な国の王室が消えていきました。

国王より権力を持つ大統領が登場し、王室は飾り同然となりやがて衰退していく。

そうはいっても、イギリスのように多々スキャンダルはあれど今もってウインザー王朝が続いている国もあります。

ウインザー朝は恐らくあと2代は安泰でしょうね。

だけど、オランダやスペインなどはちょっとどっちに転ぶかわからない部分もあり。

「君臨すれども統治せず」と紙一重なのは「王室なき国」という事で、いついかなる時に「王室を廃止せよ」と国民が動くかわからない。

ゆえに、あれこれチャリティなどで顔を売ったり人気を博したりする。

今の所、エリザベス女王ならびにケンブリッジ公爵のおかげで王朝は続くだろうと思いますが、少しおバカな王様がいるオランダでは王位継承権1位の姫に尻拭いをさせる始末。

歴史を振り返り、王朝が衰退する原因は何かを考え、今の令和皇室に思いをはせてみましょう。

 王朝を衰退させるもの

① 後継者がいなくなる

いわば自然消滅ですけど。王家を名乗るくらいですから一族は沢山いた筈でそれが代を重ねるうちにどんどん先細っていき、直系が消えて傍系がついでもついに・・・というパターンです。

 スペイン・ハプスブルグ家

代表的な例です。スペインハプスブルク家は度重なる血族結婚によって奇形児が生まれるようになり、男子の出生も減り生まれながらに身体や精神に問題がある国王が続き、やがて後継ぎを残すことが出来なくなって断絶。

そしてスペイン・ブルボン朝が登場します。

 

 バイエルン王家

バイエルン王家というのは、ある意味「呪われた血筋」の家系です。

かの有名なヴィッテルスバッハ家の家系で精神疾患が多いのです。

オーストリア皇后エリザベートもそうですし、その息子であるルドルフもちょっと変わっていたらしい。

でも最も有名なのはやっぱりルードヴィッヒ2世ですよね。

若い頃は恐ろしくハンサムだったけど、王国を継いでからは城作りに夢中。

結婚もせず水死という最期を辿ります。

無能な王のおかげでバイエルンはドイツの1地方になってしまいました。

現在、ルードヴィッヒの弟から始まり現代に至っては傍系の傍系ただ一人残るのみのようです。

 日本にも一時期、天皇家において継承者がいなくなりそうになった時代がありました。それは幕末。天皇家には経済的な余裕がない為に天皇の子は男子は長子以下全て仏門に入り還俗を許されませんでした。

その結果、幕末の孝明天皇 → 明治天皇 → 大正天皇となるのですが、本当に綱渡りで奇跡的に直系が続いているのです。

 

② 革命による衰退

 ブルボン王朝

言わずと知れたフランス革命によって王朝が滅んだケースです。以後、復活しますがさらに革命が起きて共和制に移行します。

でもルイ14世の時代がフランス王家の絶頂ならその衰退はルイ15世の時に始まっており、浪費による支出のしわ寄せが16世にまで波及したと言えるでしょう。

またルイ14世の時に厳しく宮廷の儀式が決められ、それに従う事は莫大な費用がかかりました。そうした事がブルボン家の衰退を招いたと思います。

 ロマノフ王朝

これも革命によって、ニコライ2世一家皆殺しにより絶えました。

ロマノフ家の衰退の根はニコライ二世がアレクサンドラと結婚した事から始まります。イギリス王室に根を持つ血友病が皇室に影を落とし、結果的に政治どころではなくなったわけですね。

 

 イラン皇室

これは私も覚えていますが、1970年代、突如イスラム教のホメイニ師が登場して皇帝一家は亡命を余儀なくされ、今に至っています。

皇帝はイランの近代化に尽力したようですが格差が起きて不満がたまり、それを扇動したホメイニの勝利と言ったところでしょうか。

しかし、今のイランもまた経済格差は大きなもので1970年代よりギリギリと庶民をイスラムの力で締め付ける一方、お金持ちは隠れて好き放題をするという現代。どちらが幸せだったのかと思いますね。

 

 ハプスブルク家

ハプスブルク家の衰退の根は国民から慕われたフランツ・ヨーゼフ2世がヴィッテルスバッハ家の血を持つエリザベートと結婚した為でしょう。

皇室の伝統を守ろうとする皇帝、破ってばかりの皇后。そしてその息子であるルドルフ皇太子は先見の明を持ちながらも父と衝突してばかりで、ベルギー王女との間には娘一人を残しマイヤーリンクで死にます。

女帝を認めていなかった皇帝は孫のエリザベートに皇位継承権を与えませんでした。代わりに大公になったのが甥のフランツ・フェルディナンド。しかし、彼は認められない貴賤結婚をしており子供達には皇位継承権がありませんでした。フランツ・フェルディナンド大公夫妻はサラエボで暗殺され、第一次世界大戦に突入。敗戦でオーストリア帝国は消えてしまいます。

フランツ・ヨーゼフ1世の後を継いだのはカール1世。フランツ・フェルディナンド大公の弟の子で、最後の皇帝です。

現在もハプスブルク家の血筋は続いています。

 

 日本では武家が政権を取っても皇室をなくそうとはしませんでした。明治維新になってからは皇室に日の光を当てました。戦争にまけても皇室はなくなりませんでした。まさに稀有な万世一系の歴史を持っています。

 

あの時、あの人があの人と結婚しなかったら・・・とか、そんな事を思わせるものもありますよね。

 

 

コメント (9)
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