ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

祝!ご成婚30周年 雅子様語録  28

2023-07-13 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 2004年5月10日 皇太子による人格否定発言

その日、皇太子殿下は覚悟を持って記者会見に臨んでいました。

2004年5月10日、一人で訪欧する為の記者会見です。

一度は別れたいと思った皇太子様ですが、軽井沢の別荘で散々小和田の父君に説教され、「なぜ雅子が追い詰められたか。それは皇室が世間が雅子のいい部分を少しも理解せず、時代遅れの要求ばかり突き付けて来たからにほかなりません」と言われました。

そりゃ、殿下がもう雅子をいらないというなら我が家としては引き取るしかありませんが、こんな風に心を病むきっかけになったのは他ならぬ皇室なのですから、きちんと責任と慰謝料を払って頂きたい

ここまで言われても皇太子様は自分が脅されているとは思いませんでした。

ただただ、妻に申し訳なく、内親王が可哀想でたまらなくなったのです。

私は離婚など考えていません」思わず殿下はそうおっしゃいました。

確かに皇室は旧弊で古い体質で、私も窮屈だと感じる事が多々ありました。

皇族である私ですらそうだったのですから雅子などは・・皇室が変わるべきなんですね」

ええ、その通りですとも。その思いを記者会見でぶつけて下さい」

え?どのように?

そこで、皇太子様は小和田の父君から沢山の指導を受け、そして今、記者会見の場にいるのです。

記者会見では雅子さまについて

今回の外国訪問については,私も雅子も是非二人で各国を訪問できればと考えておりましたけれども,雅子の健康の回復が十分ではなく,お医者様とも相談して,私が単独で行くこととなりました。

雅子には各国からのご招待に対し,深く感謝し,体調の回復に努めてきたにもかかわらず,結局,ご招待をお受けすることができなかったことを心底残念に思っています。

殊に雅子には,外交官としての仕事を断念して皇室に入り,国際親善を皇族として,大変な,重要な役目と思いながらも,外国訪問をなかなか許されなかったことに大変苦悩しておりました。

今回は,体調が十分ではなく,皇太子妃としてご結婚式に出席できる貴重な機会を失ってしまうことを,本人も大変残念がっております。

私も本当に残念で,出発に当たって,後ろ髪を引かれる思いです。

私たちには,ヨーロッパの王室の方々から,いつも温かく接していただいており,フレデリック,フェリペ両皇太子殿下とは,限られた機会の中ではありますけれども,楽しい思い出が多くあるため,今回のことはとても残念に思っているようです。

雅子の長野県での静養のための滞在は,幸い多くの方々のご協力を得て,静かな中で過ごすことができました。

この場をお借りして,協力してくださった皆さんに雅子と共に心からお礼を申し上げます。

雅子からも皆さんにくれぐれもよろしくと申しておりました。

長野県での滞在は,とても有益なものではあったと思いますが,まだ,雅子には依然として体調に波がある状態です。

誕生日の会見の折にもお話しましたが,雅子にはこの10年,自分を一生懸命,皇室の環境に適応させようと思いつつ努力してきましたが,私が見るところ,そのことで疲れ切ってしまっているように見えます。

それまでの雅子のキャリアや,そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です。

最近は公務を休ませていただき,以前,公務と育児を両立させようとして苦労していたころには子供にしてあげられなかったようなことを,最近はしてあげることに,そういったことを励みに日々を過ごしております。

そういう意味で,少しずつ自信を取り戻しつつあるようにも見えますけれども,公務復帰に当たって必要な本来の充実した気力と体力を取り戻すためには,今後,いろいろな方策や工夫が必要であると思われ,公務復帰までには,当初考えられていたよりは多く時間が掛かるかもしれません。

早く本来の元気な自分自身を取り戻すことができるよう,周囲の理解も得ながら,私としてもでき得る限りの協力とサポートをしていきたいと思っています。

今後,医師の意見によって,公務復帰に向けては足慣らしのために,静かな形でのプライベートな外出の機会を作っていくことも必要であるかと考えています。引き続き,静かな環境を保たれることを心から希望いたします

と一気にお話になったのです。

記者達はぎょっとしました。

まさか、皇太子殿下の口から「雅子のキャリアと人格を否定する動きがあったことは確かです」などと不穏な発言が出るとは思わなかったからです。

記者達は畳みかけます。

皇太子一家の公務の負担の軽減と女性天皇についてお伺いします」

それに対しては

公務の在り方については,私は以前にもお話したように,新しい時代にふさわしい皇室像を考えつつ見直していくべきだと考えます。女性が皇位に就くことについては,ここでは回答は控えたいと思います」

この時点では皇太子様の中で「新しい時代にふさわしい皇室像とは何か」という事については何も考えていなかったのです。

ただただ「旧弊な皇室を新しくするべき」と小和田の父君に言われた事をそのままおっしゃっただけです。

しかも皇太子様は「雅子からも皆さんにくれぐれもよろしくと・・・」と伝書鳩のような行為をなさったのでした。

記者はさらに突っ込みます。

というか、殿下のおっしゃる事がほとんどわからなかったからです。

妃殿下のキャリアや人格を否定するような動きがあるとおっしゃいましたが,差し支えない範囲でどのようなことを念頭に置かれたお話なのか質問させていただきたいのですが

殿下は

そうですね,細かいことはちょっと控えたいと思うんですけれど,外国訪問もできなかったということなども含めてですね,そのことで雅子もそうですけれど,私もとても悩んだということ,そのことを一言お伝えしようと思います」とお答えになりました。

これで記者会見は終わりです。

つまり、突き詰めていけば「外国にいけなかったから体調を崩した」と言ってるのと変わらないと言う事なのだろうか。

なぜそんなに外国へ行きたいのだろう。

外交官だったから?

皇太子殿下は「雅子は外務省にいれば出世していた」という小和田の父君の言葉を信じていらっしゃいました。

それを潰してしまったご自分の責任を非常に大きくとらえていたので、せめて記者会見でお妃を庇おうと思われたのでした。

 

しかし、事はそれでは済まなかったのです。

このいわゆる「人格否定発言」はすぐに海外に発信されました。

さらに、この発言を受けて湯浅宮内庁長官は

具体的に何をさしていらっしゃるかわかりません」と言い、林田東宮大夫も

そこまでおっしゃる心境は理解出来ません」とはっきり言いました。

殿下がお小さい頃に養育係だった浜尾元侍従は

ちょっとそれは宮様おっしゃりすぎじゃないですか

陛下のご学友の橋本明氏も「なぜ(両陛下に)相談せず最初にマスコミにぶつけたのか」と半ば怒り心頭で発言しました。

「そんなに外国へ行きたかったとは・・・」宮内庁は唖然としました。

皇太子妃のお勤めはお世継ぎを儲けること、そして宮中祭祀、殿下をお支えすることであるのに、愛子内親王が生まれてこのかた、雅子様は理由をつけては公務を突然休むという社会人としてありえない事をやっており、さらに、勤労奉仕団への会釈も全くなさらなくなっていました。

その理由は、雅子様は勤労奉仕団という面々に信用を置いていなかったからです。自分のテリトリーである東宮御所の敷地内に一般人が入り込む・・もしかしたら何か盗んでいくのではないかとそのようにお考えだったのです。

普通に考えれば勤労奉仕団というのは、戦後すぐに荒れ果てた皇居に胸を痛めた一般人が宮内庁に申し出て、お庭の清掃をした事が由来です。

それから昭和天皇も平成の両陛下も、勤労奉仕団に会釈をされてきたのですが、雅子様だけはそれを拒否して来たのです。

 

ご自分のキャリアとは何なのか。

それはハーバード大を出て、外務省に入り、自称ですが「外交官」を名乗り、お父様の力で仕事を貰って、休みがあればすぐに外国へ観光やスキーに行っていた、そんな生活の事です。

ご自分が大学の時はマスコミが大勢かけつけて、自分を「お妃候補」だとお持ち上げ「外務省に入った若き女性」として雑誌にも載りました。

その時ほど幸せだった時はなかったと、今になって思います。

皇室に入ってからは、どこへ行くにも宮内庁の許可が必要で、外国訪問は秋篠宮に取られたりしていました。

全ては「お世継ぎを得やすい環境を作る為」だったのですが、雅子様からすればそれは余計なお世話でした。

皇太子妃として、外務省を下に見て海外で華やかな生活をする・・・そんな望みを持っていたのに完全に断たれてしまったのです。

しかも、やっと産んだお子様が発達障害とは。

一体何の為に今日まで生きてきたのか。

何の為に皇室に入ったのか、意義がわからなくなってしまったのです。

雅子様は元の外務省に戻りたいと思いましたが、さすがにそれは無理。

父君にも「皇室の中で存在意義をみつけなさい」と言われてしまいました。

せっかくの欧州訪問も自ら棒に振ってしまいました。

雅子様の怒りと悲しみはどこまでも深く、決して決して癒えないような気がします。

 

世間が大騒ぎしている中、皇太子殿下は

皇居に挨拶して、さっさと欧州へ飛んで行ってしまいました。

 

そもそも海外訪問するのに「後ろ髪をひかれるとは相手国に失礼ではないか」との意見を筆頭に「記者会見で自分の不満を述べるとは何事か」と保守的な人達は非常に怒りました。

千代田では天皇陛下が「皇太子は何を言っているのか」と我が子が別人になってしまったかのような姿にショックを受け、参内のおりに質問しても答えず、あっさりと行ってしまった殿下に非常に怒りをあらわにされていました。

 

しかし、この「人格否定発言」は常識とはかけ離れた方向に進んでいくことになります。

すなわち「雅子様を病気にしたのは宮内庁であり、両陛下であり、秋篠宮家である」という論調です。

特に皇后陛下が姑として雅子様に辛くあたったと誠しやかに雑誌に書かれます。

いつのまにか皇太子一家には友納尚子という得体のしれない皇室ジャーナリストがつき、どこで見て来たのか?という程細かく雅子様の心理描写をして、「雅子様は悲劇のヒロイン」として祀り上げてしまいました。

友納尚子や雑誌が書く「雅子様の理解者」には「政府高官婦人」というこれまた誰の事かわからない人物の言葉が出てきます。

雅子様にとって皇太子様とのご結婚は「お約束が違う」という事だったのではないでしょうか。雅子様はあのまま外務省にいたら将来の総理大臣になっていたかもしれない優秀な女性です。そのような方を皇室と言う旧弊な世界に閉じ込めて籠の鳥にしてしまった罪は大きいですね。世界的に見ても女性の地位が上がらないのは、皇室が旧弊だからでしょう(政府高官婦人)」といった具合です。

 

次第にマスコミの論調は「雅子様お可哀想」に向かって走り出したのです。

 

コメント (17)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする