ふぶきの部屋

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天の陛下 64歳に3

2024-02-23 15:46:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 愛子内親王と悠仁親王について

愛子には、新型コロナウイルス感染症の感染状況が落ち着き、今年度からは大学のキャンパスに足を運べるようになりました。

大学での勉学に熱心に取り組み、先生方やお友達と一緒に、楽しく充実した学生生活を送っているように思います。

卒業論文の執筆に当たっては、指導の先生方の御助言を頂きながら、論文を読んだり、放課後などに大学の図書館や日本語日本文学科の書庫などで資料を集めたりしながら、一生懸命、論文を執筆していました。

卒業が間近に迫っていますが、残りの大学生活を有意義に送ってもらえればと思っています。

これまで温かく御指導いただいている先生方や職員の皆さん、そして、親しくしていただいているお友達に心から感謝しております。

 お友達?楽しく充実した?学内ではほとんどみかけることもないのに。

大変な4年間でしたね。それは愛子内親王に限らず、同学年の人達全員が経験した事です。それでもずっとキャンパスに通った生徒もいます。その事が欠落してるような気がします。

大学生活では、日本語日本文学科の専門科目の授業はもとより、教養科目や他の学科の授業、例えば、日本史、東洋史、日本の伝統芸能や福祉などの講義を聴き、視野を広げることができたことや、殊に今年度からは、大学のキャンパス内で先生方やお友達と直(じか)にお話ししたり、一緒に運動ができたりしたことなどが、かけがえのない経験として印象に残っているようです。

 ここでいきなり「福祉」が出てきたことにびっくり。学習院の日本語学科には福祉の講義があるんですか。何となく「あどけなさ」が残る印象です。

また、キャンパス内の様々な場所を探索できたことも楽しかったようです。

日本赤十字社への就職に関しては、愛子は、成年の記者会見の時にも、「自分の住んでいる街であるとかないとか関係なく、人の役に立とうと懸命に活動している災害ボランティアの姿に非常に感銘を受けました」と申しましたように、人のために何かできればという思いを以前から持っていたように思います。

そのような中で、愛子は、昨年には私や雅子と共に、日本赤十字社から日赤の行っている様々な活動についてのお話を伺ったり、日赤本社で開催された関東大震災時における日赤の救護や医療活動などの展示を見に伺う機会がありました。このようなことを通じて、日赤の活動に携わることで、少しでも社会に貢献したいという気持ちを強く持つようになったと思われ、私たち家族ともよく話し合い、日赤で勤めることを希望いたしましたところ、日赤側にも快諾していただいたことはとても有り難いことでした。

愛子には、この4月から、日赤の一員として多くの人のお役に立てるよう努力を続けてほしいと思いますし、社会に出ると大変なこともあるかもしれませんが、それを乗り越えて、社会人の一人として成長していってくれることを願っています。

愛子には、これからも、色々な方から沢山のことを学び、様々な経験を積み重ねながら視野を広げ、自らの考えを深めていってほしいと願っています。

また、同時に皇族としての仕事も増えてくると思いますが、今後も、思いやりと感謝の気持ちを持ちながら、皇室の一員として一つ一つの務めを大切に果たしていってもらいたいと思います。

その過程で、私たちで相談に乗れることは、できる限りしていきたいと思います。

皆様には、これまでも愛子に温かいお気持ちを寄せていただいていることに、心から感謝しております。

今後とも愛子を温かく見守っていただければ幸いに思います。

 突如「福祉に目覚め」親を説得して赤十字に就職させてもらった印象がありますが。

陛下って果たしていい父親なのでしょうか。

「3ない教育」でしたっけ?週刊誌に書かれていましたけど。

とにかく愛子内親王が何をしても徹底して見守り、強制せず、口も出さず。

それは私達も見ていればわかるんですけど。

果たしてそれでよかったと本当に思われているんでしょうか?

本来なら孫がいてもおかしくない年齢であるのに、病気設定の妻とあどけない娘のフォローに徹する「家族主義」の天皇陛下ですね。

悠仁親王は今年18歳となり、成年を迎えます。

小さい時から甥(おい)として成長を見守ってまいりましたが、近頃は、地方や都内への訪問であったり、外国の方々との交流であったり、少しずつ、皇室の一員としての務めを果たしてくれていることを頼もしく思っています。

会った時などには、トンボの話や野菜の栽培、また、クラブ活動として行っているバドミントンの話など、生き生きと話してくれますので、充実した日々を送っているのではないかと思います。

これから、大学への進路についても考えを深めていくことになると思います。本人が関心を持ち、学びたいこと、やりたいこともあると思いますので、自身の将来をしっかりと見つめながら実り多い高校生活を送ってほしいと願っております。

 まあ・・こういうしかないと思います。

皇位継承者として半分認めていないのではないかとも思われるご発言ですが。

誕生日の挨拶とか新年の挨拶ぐらいしか会わないですものね。

ただ、天皇が悠仁親王に言及したのは初めての事で、これはよい兆候かと思います。

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天皇陛下 64歳に2

2024-02-23 11:08:25 | 皇室報道

 外国訪問と雅子様へ贈る言葉

新型コロナウイルス感染症の感染拡大の落ち着きを受けて、コロナ禍にあって開催されていなかった園遊会を、昨年は春、秋と開催することができ、久しぶりに多くの皆さんをお迎えできて嬉(うれ)しく思いました。

 大雨なのに遅刻した事とか、ご老人をずっと立たせたままだったとか、おもてなしとしては飲み物のみでどうなの?とか、そういう事は全部なしにして大変うれしく思われたのですね。

 

6月には全国植樹祭に出席するために岩手県を訪れました。

高田松原津波復興祈念公園の国営追悼・祈念施設「海を望む場」において、巨大な津波が押し寄せた広田湾を臨み、東日本大震災当時のことを思い出しながら、犠牲となられた方々の御冥福をお祈りし、花をお供えいたしました。

 花をお供えした・・・の一文は不要じゃないかな。作文のようで。それにあの時も花を持つ事を忘れてしまって。佳子様の供花と比べられましたよね。もう何度も訪れている地をまるで初めて来たかのように思われたのでしょうか。

東日本大震災津波伝承館では、震災での体験を後世に伝える活動などをされている方々からのお話を伺い、震災の事実と教訓、そして人々の体験や復興への思いなどを後世に伝えていくことの大切さを感じました。

「奇跡の一本松」のモニュメントを初めて実際に見ることができ、全国植樹祭の記念式典でも「奇跡の一本松」の遺伝子を受け継ぐ南部アカマツの苗木を植えることができました。また、記念式典では、「奇跡の一本松」を用いて製作されたいわゆる「津波ビオラ」などで構成される弦楽四重奏を聴くことができ、以前私自身が、そのビオラを演奏会で弾いたことを思い出しました。

この地域がこれまで辿(たど)ってきた困難を思い起こしながら、全国植樹祭が開催されるまでに復興が進んできたことを、雅子と共に心から嬉(うれ)しく思いました。

今回訪れた、陸前高田市、大船渡市や釜石市では、被災地の皆さんから直(じか)にお話を聞くことができ、幾多の困難を抱えながら弛(たゆ)みない努力を続けてこられた姿に心を打たれました。

皆さんのお話を伺いながら、まだ課題が多く残されているものの、復興が着実に進んできていることを感慨深く思いました。

被災地が、新しいコミュニティ作りを始め、今後、真の復興を遂げていくことを心から願うとともに、被災地に引き続き心を寄せていきたいという思いを新たに致しました。

 「心を寄せる」のは定型句ですからね。

 奇跡の一本松ヴィオラには数々の裏話があったんじゃなかったでしたっけ?また掘り起こしてしまったか?

9月には、全国豊かな海づくり大会のために北海道を、そして10月には、特別国民体育大会のために鹿児島県、国民文化祭及び全国障害者芸術・文化祭のために石川県を訪れ、それぞれの地域の特色に触れ、この国の自然・風土や歴史・文化の豊かさを改めて感じることができました。

今年の歌会始の歌でも詠みましたが、各地を訪れた際に皆さんと直(じか)に接することができたことは、大変嬉(うれ)しいことでした。

それぞれの場所で色々な方のお話を直接伺い、皆さんの笑顔に接することができたことも心和むことでした。

 ここでも遅刻されたんでしたっけ?石川県ではひどい雨で・・鹿児島でも天候が・・・

地方を訪れた際、それぞれの関係者の方々が感染防止対策に気を配りながら万全の準備を進めてこられたこと、また、多くの道県民の皆さんが私と雅子を温かく迎えてくださったことに、雅子と共に心から感謝したいと思います。

6月には、日本・インドネシア外交関係開設65周年及び日本ASEAN友好協力50周年という記念すべき年に、雅子と共にインドネシアを訪問できたことを大変嬉(うれ)しく思います。

二人揃(そろ)っての初めての東南アジアの国への公式訪問ということもあり、私たちにとって、とても思い出深いものとなりました。

訪問中は、ジョコ大統 領御夫妻やハメンク・ブウォノ10世ジョグジャカルタ特別州知事御夫妻を始めとして、各地でインドネシア政府や国民の皆さんに温かく迎えていただき、心のこもったおもてなしを頂いたことは大変有り難く、心から感謝しております。

この機会に改めて、今回の訪問の実現に尽力されたインドネシアと日本の多くの関係者の皆さんに感謝したいと思います。

訪問を通じて、インドネシアの歴史や、多様性に富んだ豊かな社会・文化に対する理解を深められたほか、両国の間で長年にわたり培われてきた友好親善と協力の実績を目の当たりにすることができました。

また、ボゴール宮殿、同植物園、ダルマ・プルサダ大学、ボロブドゥール寺院遺跡など、かつて上皇上皇后両陛下も御訪問になったゆかりの場所を訪問したり、両国間の交流に様々な形で貢献されてきた幅広い世代の方々に直接お会いして、両国の友好親善関係が、難しかった時代を経て、世代を超えた人々の弛(たゆ)みない努力と交流を通じて育まれてきたことに思いを新たに致しました。

日本や日本の人々に温かい気持ちを寄せていただいているインドネシアの人々が沢山いることを実感し、嬉(うれ)しく、有り難く思いました。

中でも、日本の文化や言葉などを通じて日本に関心を寄せるインドネシアの若い人々や、インドネシアで暮らす日本の子どもたちや若い人々と交流する中で、今後の両国の友好親善と協力関係において若い世代が果たす役割の可能性を感じました。

両国の若い世代が、お互いに対する関心を深めて交流し、両国の相互理解と友好協力関係の一層の深まりに大きな役割を担っていってくれることを期待いたします。

今回の訪問が、日本とインドネシアの人々の相互理解を一層深め、両国の友好親善と協力関係を更に発展させる契機となったのであれば、大変嬉(うれ)しく思います。

結果は真逆。インドネシアは中国を選んでしまいましね。やっぱり皇后陛下が日程の半分をホテルで過ごし、かなりあちらに気を遣わせたことが原因ではないかとすら思います。

 日本人としては、両陛下が単に「お客様扱い」されて、正式な国賓扱いをされなかった事に少し怒りを覚えますが、陛下にとっては雅子様との楽しい旅行だったんですね。

 

雅子は、工夫や努力を重ねながら、この1年も、都内での式典などの行事のほか、予定されていた岩手県、北海道、鹿児島県並びに石川県への地方の訪問を全て終えることができました。

 毎年繰り返される「工夫と努力」とは何なのか明かして頂きたいですね。陛下と共に地方へ訪問する事は皇后として当然の公務と言えますが、そこに「特別感」を与えることによって、陛下自らが「雅子は偉い」とアピールする。そうなると国民は「そういうものか」と思ってしまいますよね。

 

また、久々の海外への親善訪問として、滞在期間が国内で地方を訪問する時よりも長いインドネシア訪問を二人で無事に果たすことができたことに安堵(ど)するとともに、嬉(うれ)しく思いました。

この1年、都内、宮殿や御所での行事も増えました。

いまだ快復の途上で体調には波があり、大きな行事の後や行事が続いた場合には、疲れが暫(しばら)く残ることもあります。

そのような際には、十分に休息を取ってほしいと思いますし、これからも、無理をせずにできることを一つ一つ着実に積み重ねていってほしいと思います。

国民の皆さんには、これまで温かく心を寄せていただいていることに、雅子共々改めて感謝の気持ちをお伝えするとともに、引き続き雅子の快復を温かく見守っていただければ有り難く思います。

 「快復の途上」も「体調の波」も30年ずっと使われてきた言葉ですが、さすがに還暦を迎えて「快復の途上」に何もないのでは。私達国民も大きな行事の後には疲れが残りますが、必死に働かなくてはならない現実があります。

陛下は「雅子様にとって素晴らしい夫」でいる為に大変大きな努力をされているようですが、その「努力」を国民に向けては貰えませんかと思います。

 雅子様の体調の波の陰で泣いている皇族もいますし、誹謗中傷を受けている皇嗣家をどのようにお考えなのか。

 

雅子と結婚してから、二人で一緒に多くのことを経験し、お互いに助け合い、喜びや悲しみなどを分かち合いながら歩んでまいりました。

雅子は、娘の愛子の成長を見守りつつ、私の日々の活動を支えてくれる大切な存在であるとともに、公私にわたり良き相談相手になってくれています。

本当によくやってくれていると思い、助けられることも多いです。

私も、今後ともできる限り力になり、支えていきたいと思っています。

30年を共に過ごし、雅子には、私からこれまでの感謝の気持ちを伝えたいと思うとともに、この先の人生も引き続きよろしく、と伝えたいと思います。

 素晴らしくお幸せな結婚生活だったんですね。よろしいですね。

こんなに支えて貰って雅子様は妻として日本一幸せですね。

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天皇陛下 64歳に1

2024-02-23 10:35:01 | 皇室報道

記者会見が開かれました。

 この一年を振り返って

年明けから間もない今年の元日の夕方に発生した能登半島地震は、お正月に家族で集まっていた多くの家庭を襲い、大勢の方が亡くなり、また、けがをされたり、住まいを無くされたりしました。

今回の地震に見舞われた能登地域は、雅子も私もそれぞれ学生時代に訪れて、思い出深く思ってきた地域であるとともに、昨年10月に、二人で揃(そろ)って金沢市を訪問し、県民の皆さんに温かく迎えていただいたことが特に心に残っており、その石川県において、多くの方が犠牲となられ、今なお安否が不明の方がいらっしゃることや、避難を余儀なくされている方が多いことに深く心を痛めております。

亡くなられた方々に心から哀悼の意を表しますとともに、御遺族と被災された方々に心からお見舞いをお伝えいたします。

冬の寒さが続く中、また特に地震発生から暫(しばら)くの間は殊の外厳しい環境の中で、多くの被災者の方が避難所での生活を続けてこられており、長期化する避難生活において、高齢の方々などの病気が悪化したり体調を崩されたりすることが案じられます。

今回の地震では、半島地域において道路網が寸断したため、救出・救助活動が難しくなっており、孤立集落が発生したりしました。

水道施設の復旧が難しく、断水が長期にわたっており、非常に不便な生活を強いられている方も大勢おられます。

このように厳しい状況の中で、救出・救助活動や、救援物資の提供、被災者の医療・健康支援、ライフラインの復旧などに日夜懸命に取り組んでおられる皆さんに、改めて心からの感謝をお伝えしたいと思います。

 ここらへんの復旧とかの話はいわゆる「進講」で得た知識のご披露という事なのでしょうね。ここまで細かく話す必要性があるのかなと私は疑問に思います。

特に「高齢の方々などの病気が悪化~~~~」の部分はまさしく、聞いた事をそのまま話しているんだなとすぐにわかってしまい、病気を悪化させるのは何も高齢者だけじゃないのに・・などと思う人もいるかもしれません。

ただ普通に「復旧に取り組んでいる人々に感謝すると共に引き続き能登の為に頑張って欲しいと思います」でよかったんじゃないかなと。

また、発災直後から数多くの専門ボランティアやNPOが被災地で活動を開始し、被災された方々の様々な支援に当たっています。

きめ細かい支援の大切さを感じるとともに、被災地において、これらボランティアやNPOの活動をされている方々の尽力も大変有り難く思います。

 申し訳ないのですが、天皇陛下が「ありがたく」思う必要性はあるでしょうか?天皇陛下ってそういう立場ですか?

むしろ、鼓舞する側ではないのでしょうか?

だとすると「活動されている方々には感謝の言葉しかないが、引き続き能登の復興に尽くして欲しい」でいいんじゃないかな。

あれこれと得た知識を披露しつつ話すって・・・学生のようで。

 

様々な困難な状況が続いていますが、今後、多くの人々からの支援を得て、復旧・復興が順調に進んでいくことを心から願っています。

今回の地震により、能登地域独自の伝統的な文化や産業も大きな被害を受けました。地域の歴史文化・伝統産業は、そこに住む皆さんの心の拠り所となってきた大切なものだと思います。

伝統技術を受け継ぐ若い人々の力も得ながら、長く受け継がれてきた伝統文化を守り、継承していくための支援も大切であると思います。

被災地にお見舞いに伺うことについては、私としては、現地の復旧の状況を見つつ、被災者の皆さんのお気持ちや、被災自治体を始めとする関係者の考えを伺いながら、訪問できるようになりましたら雅子と共に被災地へのお見舞いができればと考えております。

 なぜそこに「雅子と共に」が入るのか。絶対に入れないと何かおありになるんでしょうかね?

天皇陛下は敬語を使う必要なないのです。

「近いうちに必ず被災地へ行きたいと思います」でいいのですよ。

未だに行けてない事の言い訳を述べているようで、ここらへん国民はしっかり読んでもよく陛下のお気持ちがわからないと思いますが。

 

国内全体に目を転じると、自然災害や物価高などにより、多くの人々が様々な困難を抱えながら生活しており、支援を必要としているお年寄りや障害のある方、生活に困窮している方や生活困窮世帯の子どもたちなど、社会的に弱い立場にある人々のことが案じられます。

同時に、このような社会的に弱い立場にある人々を支え、その命と暮らしを守るために力を尽くされている方が多くいることを有り難く思っています。

大変なことも多い中ではありますが、人々が、これからもお互いを思いやりながら支え合い、困難な状況を乗り越えていくことができるよう願っております。

 毎年の決まり文句であり、皇后陛下もまた同じ事を文書にする。という事はこの文章全体の作成者は皇后陛下って事になりますね。

天皇たるもの、物価高騰からは遠い存在である、困難を抱えているわけではないし、もし、本気で案じられるのであれば、上皇夫妻のように頻繁に施設などを視察するとか、ウイリアム王子が昔やったようにホームレス体験をしてみるとか、「体験」によってしか得られない事について、うわべだけで案じて下さっても心には響きません。

 

地球規模では、地震や水害などの大きな自然災害が起きています。

この1年においても、モロッコやアフガニスタンにおいて大きな地震が発生し、多くの人々が亡くなったり、負傷されたり、家を失い避難生活を余儀なくされたりしています。大雨による被害や山火事、深刻な干ばつなど、地球温暖化に伴うと思われる自然災害も世界各地で多発しています。

ここに改めて、これら自然災害により犠牲になられた方々の御冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた方々にお見舞いをお伝えしたいと思います。

「地球温暖化」について、グテーレス国連事務総長は、昨年7月27日の会見で、現在の状況を「地球温暖化」の時代から「地球沸騰化」の時代が来たと警告しています。

以前にも述べましたように、持続可能な世界を築いていくためには、世界の人々が知恵を出し合い、共に手を取り合って協力していくことが、今正に求められており、地球温暖化の問題は、今私たちが真剣に取り組まなければならない喫緊の課題であると思います。

 今度はグテーレス事務総長まで引用するとは。天皇陛下が地球温暖化にまで言及する必要があるでしょうか?

また、世界各地で現在も戦争や紛争などが発生し、多数の人々の命が失われています。飢餓や貧困、抑圧や偏見などに苦しみ、生命や尊厳が脅かされている人々もいます。世界が直面するこうした困難な状況に、深く心が痛みます。

平和な世界を築くために、世界の人々がお互いの理解に努め、お互いを尊重し、お互いを思いやりながら協力していくことの大切さを改めて感じています。

 理想は高く、現実は厳しいと言う事ですね。まあ、天皇陛下は日本国民だけでなく世界の民まで思いをはせる素晴らしい陛下と言う事です。

このような中でも、この1年、明るい話題もありました。

昨年の5月には、新型コロナウイルス感染症の感染症法上の位置付けが5類に移行しました。

引き続き感染症の流行を注視していく必要がある中にあって、人々の日常生活が元に戻っていく上で、確かな明るさが見える年となりました。

科学技術の分野では、つい先日の2月17日、H3ロケットの打ち上げが成功しました。

また、1月20日には、小型月着陸実証機「SLIM」が月面へのピンポイント着陸に成功しました。

「はやぶさ」や「はやぶさ2」に続き、宇宙開発の分野で長年にわたり積み重ねてきた技術が花開いたものであり、関係者の努力に敬意を表します。

生成AIなど、AIの技術の進展が注目されてきていますが、能登半島地震の被災地では、日本の優れた水処理技術とAIを結び付けた自律制御型のポータブル水再生システムの活用により、入浴や手洗いのサービスが提供され、厳しい状況にある被災者の方々の助けとなっています。

こうした取組は若い人たちが中心となって設立した企業による取組と聞きました。全国各地から駆け付けたボランティアの活動を含め、若い人たちのこうした活力が我が国の新しい可能性を切り開いていくことを期待したいと思います。

また、例えばスポーツの世界では、昨年開催された野球のWBCでの日本代表チームの3大会ぶり3回目の優勝や、米国メジャーリーグで活躍する大谷翔平選手が、史上初となる2度目の満票選出でのMVPに選ばれたこと、あるいは、将棋の世界で、藤井聡太さんが「王座」のタイトルを獲得し、史上初の八冠を達成したことなど、若い世代の人々が、日々の努力の積み重ねにより新たな世界を切り開いていく姿は、私たちに明るい夢と希望を与えてくれました。

 言葉もありません。生成AIにまでお詳しい陛下という事で、国民とはかけ離れた存在であると言う事を再認識致しました。

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